夜の遊園地
こいぬと女の子がいるのは、夜の遊園地です。
わたしは夜の遊園地のパレードで踊っている、ひとりのダンサーです。ダンサーα、と呼ばれています。ほかにダンサーβ、ダンサーθ、ダンサーΩ、なんかもいます。つまり、わたしのなまえは、αです。個体としての、なまえ。なまえなんて、あってもなくても、って感じですので、みんな好きなように呼べばいいと思います。ピンクのドレスのひと、でも、あたまにティアラをのせてるひと、でも、金色の髪のひと、でも、おっぱいの大きいひと、でも。
ここ何日か、まいにちやってくるのが、こいぬと女の子です。こいぬは、夜の遊園地をお掃除するお掃除ロボットの吸いこみ口に、一瞬で吸いこまれそうなくらい、小さいです。犬種はわかりません。犬には興味がないのです、わたし。かと言って猫にも、興味はないのですが。
こいぬはときどき、吠えます。きゃんきゃん、と吠えます。それは、夜の遊園地のなかをうろうろしている、夜の遊園地のマスコットキャラクター(薄気味悪い、一緒に写真を撮りたくない、と評判のキャラクターだ。わたしはかわいいと思うのだが、昼の人種に近いダンサーθ曰く、あれをかわいいというやつはちょっとアレなやつ、らしい。アレってなんだ)や、わたしたちダンサーのなかでも、化粧や衣装の派手な者たちに向かって、積極的にきゃんきゃん、きゃんきゃん、吠えるのでした。ダンサーΩが、うるさいあの犬、と忌々しげに舌打ちをしますが、夜の遊園地はペット同伴が可能なので、仕方ありません。そういえば三週間前に、大きなカエルを連れてきた男性がおりまして、あれは大層迷惑を被りました。お掃除ロボットの吸いこみ口には、絶対に入らないと断言できるほどの大きなカエルは、ぴょん、ぴょん、と遊園地内を自由に跳ねまわり、コーヒーカップのカップのなかを、メリーゴーラウンドの馬車を、休憩用のベンチを、わたしたちダンサーの衣装を、透明な液体(おそらくカエルの体液と思われる)でぬたぬたの、ねちゃねちゃの、べたべたにしていったのでした。あれに比べたら、ただ吠えるだけのこいぬなど害もない、かわいいものです。
それよりも、女の子です。
こいぬを連れてやってくる、女の子。
女の子はなんだかとても、白いワンピースに、レースのソックスに、黒いストラップシューズに、ピクニックなんかで使いたいバスケットが似合いそうな雰囲気の女の子、なのですが、夜の遊園地にやってくる女の子の装いは、首が開いただるんだるんのTシャツに、おしりの形がわかるほどみじかいデニムのショートパンツに、真っ赤なハイヒールを履いて、そう、夜の遊園地、ではなく、夜のカラオケボックス、や、夜の繁華街、なんかで、おなじような恰好をしたお友達や、ちゃらちゃらした男の子たちと騒いでいそうな感じ、です。わたしは、でも、女の子はどんな女の子でも、かわいいと思っているし、それはこいぬよりも、だし、おしゃれに疎い子も、趣味がない子も、男の子と遊んでばかりいる子も、おじさんからお金をもらうような子も、太っている子も、痩せている子も、鼻が丸い子も、眉毛がない子も、天然パーマの子も、おっぱいが小さい子も、女の子はみんな平等に、かわいい、のですよ。だからあの女の子が、どんなお洋服を着ていようが、かまわない、こいぬを抱っこして、よしよしとあたまを撫でる、あの女の子の手に、わたしも撫でられたい、なんて思う。夜の遊園地のパレードで踊る、ひとりのしがないダンサーですが、α、というなまえの、なまえであって、なまえでないものを持つ、一個体ですが、ええ、どうかわたしのことを、観てください。
そう祈りながら、わたしはきょうも、踊ります。女の子はきょうも、こいぬと来ている。こいぬをときどき撫でて、コーヒーカップに乗る。あのコーヒーカップの、カップは、大きなカエルがぴょん、と乗って、透明な体液で、ぬちゃぬちゃの、ねちゃねちゃにしていった、やつ。不思議なことに、わたしは園内を、パレードでぐるぐるまわっている、というのに、わたしの視界には自然と、女の子とこいぬの姿が映りこんでくる。わたしが行くところに、女の子とこいぬがいる。女の子とこいぬがいるところに、わたしが吸い寄せられている。なんでもいい、なんでもいいや、と思う。α、と呼ばれなくても、かまわない、そのひと、でも、あのひと、でも、ダンサーのひと、でも、おっぱいの大きいひと、でも、なんと呼ばれても気にしないから、わたしのことを知ってほしい、の、なんて。
恋みたいですね。
夜の遊園地