ライオンのたてがみは何色

 どうぶつの大半が融けた頃のはなしをするひとは、もうあんまりいなくて、あんまりいないというのは、どうぶつの大半が融けた頃に生きていたひとたちが、年老いて寿命を迎えたので、それから、どうぶつの大半が融けた頃に生まれたひとたちは、どうぶつの大半が融けた出来事について、くわしくは知らないので(なぜなら生まれたばかりで、テレビのニュースを観ても意味がわからなかったから)、なので、どうぶつの大半が融けた時代のことを勉強したい場合は、図書館に行って自分で調べてみてくだいねというのが、歴史の先生のお言葉だった。どうぶつの大半が融けた時代から七十年経って、ぼくらは生まれたのだった。
「ライオンのたてがみの毛を持っている、一本だけれど」
と言ったのは国語の先生である。三十二才の先生は当然、どうぶつの大半が融けた時代には生まれていなかったけれど、先生は先生のおじいさんからもらったのだと教えてくれた。ライオンのたてがみの毛は小瓶に入れられて、職員室の先生の机の上に置いてあった。大事に飾っている、というより、国語の教科書や、教材や、ファイルや書類らと一緒に、片づけられずにただ置かれている、という感じだった。ライオンのことはべつに好きでも嫌いでもない。先生はそう言っていた。ライオンのたてがみの毛の色は、茶色っぽくもあり、橙色っぽくもあり、金色っぽくもあった。見るたびに異なる色をしていた。結局は何色なんだと、ぼくのなかでうまく整理がつかなかったので、ライオンのたてがみの毛の色はライオンのたてがみ色ということにした。歴史の先生の言葉通り、どうぶつの大半が融けた時代のことを図書館に調べに行くと、その時代のことが書かれた本はいろいろあったけども、どれもなんだか現実離れしていて、ほんとうにこんなことがあったのかと疑ってしまうほど、空想じみていたし、まるでおとぎ話でも読んでいるような気分だった。どうぶつがとつぜん液状化する原因は不明で、液状化したどうぶつはその場で水たまりのように拡がり、たまたま近くで液状化したどうぶつと混ざりあって、目や鼻や耳や手足なんかはもうぜんぜんわからなくなって、たとえば融けた茶色い毛のどうぶつと白い毛のどうぶつがマーブル模様の水たまりをつくっても、そのどうぶつらが元々なんのどうぶつだったかは判断できなくて、つまり、これはある日とつぜん起こったことで、にんげんたちが原因究明を始める前に終息してしまった出来事だから、当時のにんげんたちにもわからないことだらけで、わからないながらも仮定や憶測を交えて精一杯書いたものだから、書くひとによって内容は異なったし、歴史が捻じ曲がったりしているかもしれなかった。もうざっくり言えば、どうぶつの大半が融けた七十年前に生きていたひとたちも、生まれたひとたち同様にくわしいことは知らない、ということだ。本を読んで頭が痛くなったのは、生まれて初めてのことだった。
 もうまったく、意味わからなかったです。
 ぼくは国語の先生に言った。
「うん、ぼくも読んだとき、まるでちんぷんかんぷんで、からだが地面から数ミリ浮いている感覚だった」
 ドライブインで買ったホットコーヒーをのみながら、先生が頷いた。ぼくと先生は公園にいる。ぼくたちが住んでいる町から車で二時間ほど走ったところにある、名も知らぬ町の公園である。その公園には小さな動物園が併設されており、動物園には一頭のトラがいる。おとなのトラである。ついでにトラは、しゃべる。しゃべるけれど、トラの言葉がわかるのはおそらく、ぼくと先生だけである。いまのところ。ほかにもいるかもしれないけれど。
「ぼくもうわさできいたことがあるけれど、すごかったらしいね。クマや、シカや、ライオンなんかが、いきなりどろってとけて、ぐちゃぁってひろがって、そのまま雨に流されて、きれいさっぱりなくなったとか、なんとか、まあ、ぼくもくわしくは知らないんだけどね」
 公園は閑散としている。にんげんがいない。人気のない公園なのか、人口が少ない町なのか、ともかく、にんげんというにんげんがいないので、ぼくと、先生と、トラは、自由におしゃべりを続ける。ときどきトラが、おりがじゃまだなぁ、とつぶやく。先生も思い出したように、きみにふれたい、とささやく。恋愛ドラマのなかで男の人が、恋人である女の人にささやくような調子だ。
「さわってもいいけど、手、噛んじゃったらごめんね。噛まないように気をつけるけど、反射的に、がぶっていっちゃうかもしれない」
「むしろ本望さ」
なんて先生は嬉しそうに笑いながら、おりのあいだの低い垣根を乗り越えて、トラに近づいた。トラが顔を、おりにくっつける。先生はおそるおそる、トラのあごにふれて、それから手を、輪郭になぞって動かした。猫にやるみたいに。トラは気持ちよさそうに、目を細めている。猫みたいに。
 さわり心地はどう、せんせい。
「いいよ、うん、想像していたよりも毛がかたいな。でも、いいね。のどが鳴っている。腹が減っているのかな。あたたかい。熱いくらいだ。きみが生きていることが、よくわかるよ」
 興奮しているのか、国語の先生にあるまじき感想だな、と思いながら、ぼくは人気のない静かな公園を見渡した。けたたましい鳴き声が、南国の鳥がいるおりの方から聞こえてくる。先生の机の上にある、小瓶に入ったライオンのたてがみの毛のことを思い出してみる。ぼくはトラも好きだが、ライオンもそれなりに好きだと思う。よく晴れた日曜日の午後である。

ライオンのたてがみは何色

ライオンのたてがみは何色

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-05-21

CC BY-NC-ND
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