楽園前

 にんげんたちが、楽園に行く、楽園に行くから、にんげんたちは次第に減ってくる、町から、捨てられた犬と、猫と、小鳥と、ハムスターと、イグアナと、楽園に行かないにんげんたちだけが、いる、町のかたすみで、ポップコーンを販売していた女の子と、女の子が作るポップコーンをまいにち買っていた男の子が、くちづけを交わして、ポップコーンをたべて、ときどき思い出したように、セックスをする。
 部屋のなかで、なにもない空間を爪でひっかくと、ぽろぽろとこぼれ落ちてくるパンくずのようなもの、崩壊をはじめている証拠、楽園へはバスで行く、路線バスで、楽園前、というなまえの停留所で降りれば、そこはもう楽園である、というのを教えてくれたのは、バスに乗ったけれど、楽園前で降りなかった元恋人、楽園前のひとつ前の停留所で降りると、パチンコ店があり、楽園前のひとつ先の停留所で降りると、大学病院がある、ということを教えてくれたのも、元恋人、わたしが足の小指の爪だけに、黒いマニキュアを塗っているあいだに、元恋人は捨てられたイグアナを売りさばくと言って行方をくらませました。未練はない。とっくの昔に消失していたよ、愛なんて。
 きみたちの家族は楽園に行ったのか、きみたちを置いて、もしくはきみたちは自主的に残ったのか、なんのために?
 わたしは問いたかったが、ひとつぶのポップコーンをたべあっているふたりの邪魔をするのは、野暮だと思った。特にこれといってやることもないので、なにもない空間を爪でひっかいて、ぽろぽろ落ちてくるパンくずのような世界の一部分を、もっともっととはがすことに夢中になる。ほとんどのにんげんがいなくなったせいで、おいしいコーヒーを淹れてくれるひとがいなくなってしまった。パスタを作ってくれるひとも。パンを焼いてくれるひとも。なんで来ないの、あんたも来ればいいじゃんと、ともだちに何度か楽園行きを勧められたが、わたしは絶対に行かないと決めていた。生活は確かに不自由になったけれど、でも、楽して生きたいとは思っていない。にんげん、少しくらい不便な環境で生きた方が、人として成長するんじゃない云々、なんて自論。いやいや、そんな複雑なものじゃなくて、単純にわたしはにんげんのことが、あんまり好きじゃないだけ。にんげんが好きか嫌いかでいうと、あんまり好きじゃないけど、嫌いでもない。にんげんと犬どちらが好きかというと、たぶん犬。にんげんとメガネカイマンどちらが好きかというと、断然メガネカイマン。なまえが可愛いから。
 きょうも、楽園に向かう路線バスには、たくさんのにんげんが乗っている。おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、若い男女、学生、親に連れられて何も知らない子どもたち、飼い犬は繋がれたまま放置され、飼い猫は飼われていたときと変わらず我が道を行き、小鳥は鳥かごから放たれ自由の身となるも、からすやとんびに襲われて、ハムスターはとことこ道路をかけまわり、イグアナはわたしの元恋人に拾われ売りさばかれる。わたしはまだ愛を信じている若い男女に対し、どうか末永くお幸せに、なんて思ってもいないことを思いながら、世界を少しずつ、少しずつ削ってゆくお仕事に没頭する。ところでメガネカイマンに逢いたいのだけれど、どうしたらいいのでしょう。誰か教えてくれ。

楽園前

楽園前

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-05-20

CC BY-NC-ND
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