うつ病休職者、夜の大塚を行く。

嫁から厄介払いされて大塚駅に一泊した夜のことです。

1

うつ病休職者は、厄介者なのである。社会にとっても、家族にとっても。
これは厚生労働省がどれだけ頑張って否定しても否定しえない事実である。少なくとも僕にとっては確かにそうである。

会社には3通メールを送ってようやっと1通メールが来る具合で、まったく復帰を期待されていない感を抱かざるを得ない。
(立場が逆ならこちらも同じことをするだろうから特段の恨み辛みはない。)

そしてある日曜日、自分の夫がうつ病休職者で早9か月働きもせずいることにヒステリーを悪化させた我が嫁は、遂に、私の目にあんたが入ると私の気が狂いそうになるから、お願いだからどこか余所に泊まってと懇願されるに至った。こちらとしても、そんなヒステリーと一緒にいたらまた気が狂ってしまうこと必定なので、素直に着替えをまとめて総武線各駅停車に乗り込んだ。この病気をやり色々な葛藤を乗り越えた結果、一つ理解したのは、激烈な感情の高ぶりは時間がこれを鎮めてくれるということだ。そういう意味で何処かに2,3日宿を取ることは大人の知恵だと思うようになってしまった。しかし、なんといっても必要なのは先立つモノである。というわけで、僕は一瞬の躊躇の後に田舎で開業医をしている我が父に3万円送金してもらうように頼んだ。そして、大塚駅界隈のビジネスホテルに一泊7000円の部屋を3泊取った。何故大塚にって、取り敢えず山手線界隈で一番ホテルが安そうに思えたからである。これで都合9000円浮いたことになる。

27にもなってこんなしょうもないことをやっていて情けなくないのかと言われれば確かにとしか言いようがないのだが、他方で麻酔なしに手術するのがどれほど辛いことか分かるか、と言ってやりたい気がする。取り敢えず金は当座の苦痛を解消する。もちろん、世の中のうつ病患者の内で、こんな金の使い方ができるのはごく一部の恵まれた人間であることは承知している。彼らはモルヒネなく手術に耐えているのである。それは大変気の毒なことだが、僕が小金持ちの開業医の息子に生まれたことは別段僕の責任ではないし、それに僕は人並み以上に十分苦労していると思うから、折に触れて父親に金をせびっているわけである。

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大塚駅を初めて訪れる人は、夜のとばりが下りる頃、是非南口から外に出てみてもらいたい。人影のまばらなロータリーの向こうに天祖神社の鳥居を望み、手前には鈴木貫太郎が揮毫した天祖神社の石碑がある。向かって右奥から、東池袋の方からやってくる荒川線の路面電車がゆっくりとカーブを描いて、山手線の高架下の停留所に止まる。と、入れ違いに今度は飛鳥山の方からやってきた逆方向の路面電車が再びゆっくり動き出し、消えていくのである。上野や飛鳥山の様に美しいとは言えないし、浅草や銀座の様に活気がある場所でもないが、ある種の風情を感じる景色で、いい写真が撮れる、そんなところだと思う。

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僕は別に大塚に景色を見に来たのではなく、泊まりに来たわけなので、南口から高架をくぐって北口に出る。すると、なにかボードをもって無表情に立ちんぼするガールズバーの女の子たちが鈴なりに並んでいる。新宿界隈では盛んに「ガールズバー2000円いかがですかぁ」と覇気なげに声をかけられるので、その違いになんだか奇異な感じがした。恐らく警察署毎に微妙に取り締まりの裁量基準が違うのだろうと思う。予約したビジネスホテルは、繁華街の道すがらにあったので、途中何組もの中国系の中年女性達や若い呼び込みの男達に声を掛けられた。

何年かぶりに大塚に来て驚いたのは、ピンサロの価格破壊が起きていることだった。2回転2000円―二人の女性が順番に客につき、客にフェラチオして2000円、という意味である―という看板がいくつも見える。中には2回転1800円という店もあった。僕が大学生だった頃、今からもう5年以上前だが、怖いもの見たさで巣鴨南口にある2000円のピンサロに入ったことがあるが、そこまでのダンピングをしている店は他になかった記憶がある。
スーパーでレジを打って時給1000円出る時代に、この価格破壊は何によって引き起こされているのだろうか?スーパーのレジ打ちのような仕事に、一昔前なら正職員で雇われたようなレベルの人がどっと入ってきて、労働力としての適格性が少し落ちる人たちがこのような世界に押し出されてきているのだろうか?

翻って自分は、つまり労働適格性を欠くためにパワーハラスメント的な仕打ちに合って休職に追い込まれた自分は、今の会社には到底長くいられないとして、流れ着く先はどこになるのだろうか?と、目線をあげると何軒かフィリピンパブの看板が見えた。会社でさんざんケチョンケチョンに言われてきた自分だが、英語だけは学校同様職場でも人並み以上に通用した。フィリピン人の労務管理をセブシティでしたこともあるし、いっそのことフィリピンパブの雇われ店長候補にでもなろうかなと、それくらいにならなれるかなと、そんな陰鬱な気分にさせられる、そんな大塚北口なのである。

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うつ病に一度かかると何が起きるか?とにかく疲れやすくなる。ちょっとしたことで疲れやすくなる。

午前中いっぱい伏せっていて午後外出ができれば、幾分いい方だ。重症患者は、トイレに行ったり食事をしたりすることさえ難儀である。
今自分は平日リハビリテーションセンターに通っていて、土日は子供の面倒を見させられている(否、見る子供がいることに感謝しなければいけない。これもこれでリハビリだ!!)ので、毎日夜の7時になればすっかりぐったりしてしまう。これは、筋力・体力の低下ということもあるが、結局身体運動を制御している脳のエネルギーのキャパシティが低下したことによる部分大だという。言い換えれば、一度うつ病を患ってしまうと、身体的・精神的ストレスを受け止めるコップの容量が一気に小さくなってしまうのだ。

その日も僕は大変に疲れた。チェックインして荷物を降ろし、ガウンに着替えてドスンとベットに横になった。そして2,3時間転寝してしまった。

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睡眠は何にも勝る薬であることは、うつ病相手でも変わりがない。
自分の肩の上の重しが幾分軽くなったような、足が軽やかになったような、気分がした。


昔セブシティーに勤めたころは、仕事がはねて夜になると、今とは違った意味で、つまり、幾分かの軽躁気分と一人外国に赴任している寂しさとが入り混じったような、ふわふわした不快感を持っていたのだが、そんな僕を見かねた当地の現地スタッフが、モアルボアルというビーチに泊りがけで連れて行ってくれた。そのとき、我々男4人は昼間の3時から延々サンミゲルという当地のビールをあおり続け、晩飯とともにウィスキー割りなんかもさらに飲み、また宿に帰って飲み、飲み、飲み…という一夜を過ごしたのである。

ひたすらに騒ぎまくった一夜だったが、一瞬だけ、連れ立ってくれたケンちゃん―生粋のセブ人だった―という男が、ふと真顔になって僕に語りかけたのだ。
「おい、俺たちフィリピン人が、どうしてこんなに狂ったように馬鹿騒ぎするのかわかるか?」
一瞬虚を突かれ、二の句を継げずにいると、ケンちゃんは
「それはな、嫌なこと、どうしようもないことをな、一切合財忘れっちゃうためだよ。」

ケンちゃんがそう語るや早い、またこれまた強いテキーラが隣の男から僕に回ってきた。
ケンちゃんの言葉は重いなあと思いながら、くいっとテキーラの盃をあけて、ケンちゃんに空の盃を手渡したのであった。

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先程見上げたフィリピンパブの看板が、頭に浮かんだ。
「今こそフィリピン人と現実を忘れる時だ。」
思うが早い、シャワーを浴びて大塚北口に繰り出した。

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夜の店選びは、レストラン選びに似て、ちょっとした手がかりを求めて入念に街歩きをし、これと決めた店にエイとはいるのが僕の好きなやり方だ。
十分店選びした後ならば、当たっても外れてもそれ自体ゲームとして面白いし、それに今後の店選びのヒントを一つ得たことになるから、そういう意味で損はないことになる。

まず一軒目、30前後の日本人の呼び込みが
「さあお兄さん、どうですか、本番30分8000円」
無視して行き過ぎようとすると、
「飲みなら90分2000円!」
初めて聞く形態の店だった。90分2000円は安すぎる。しこたま飲ませて「本番」に持ち込む算段じゃないかと思った。
「どうですか、フィリピンですよ!」

へえ?なんで?!
大体今フィリピンパブで働くフィリピン人は、昔興行ビザでフィリピンと日本を往復する間に日本人の旦那を捕まえて、永住権を獲得した、ある程度の生計基盤を持つ人が大多数だ。そんなフィリピン人がそんなバカみたいな値段で売春するとは容易に思えなかった。ひょっとしてそういう人もいるのかもしれないが、その場合は相当に違法性が高いから、その分相当に取られる可能性もあるなあと思い、やはりこの店は行きすぎることに決めた。

次いで二軒目、特に呼び込みの人はおらず、雑居ビルの窓が全面どピンクで塗りつくされ、その上に「宴会パーティー大歓迎」と書いてあった。
なんとなく大塚北口に似合わない新しすぎる感に胡散臭さを感じたのと、自分が一人で乗り込んだ時に宴会パーティーされてたら鬱陶しいなと思い、ここも見送った。

そして三軒め、ふとビルを見上げると、背中が大きく開いた赤いドレスを着た女性が、切れかけの蛍光灯に照らされて、携帯電話を片手に煙草を吸っている姿に目を引かれた。この店は女の子をそれほどきつく管理していない店であることがうかがえた。東南アジア系の女性は、きつく管理されればその本来の美しさというか、色気が抑え込まれてしまう。逆にプレッシャーを受けていない女性だと、彼女自身のフィーリング次第でとてもうっとりするようなものを見せてくれることがある。日本のキャバクラ嬢が規格品だとみれば、彼女たちは良くも悪しくも手作り。だから客は金を払うだけでなくて、彼女たちをいい具合に乗せる必要がある。
今日とんでもなく大サービスしてくれたと思えば、翌週は妙にやる気なさげだったりする。しかしそれはそれでそこがまた一興。

2

店に入ると、明らかに50overと思われる、ちょっとくたびれたカントリーミュージックの歌手のような恰好をした男性を、女の子たちが車座に囲んでいた。僕なんかは根がケチなので、そんなに多くの女の子がついたら幾らの払いになるか分からないし、なんだって彼女たち同士のおしゃべりにお金を出さなければいけないのかと思ってしまうが、このカントリー氏は大層ご満悦の様子だった。
傍目に見て、自由になる現金がこちらとあちらでそう差があるようには思えない、いやむしろ、恐らくは我が父の働きのお蔭で、こちらの方が金を持っているだろうと思う。となると、これは好みの問題というべきだろう。ハーレム願望というやつだろうか?しかし本当のハーレムというのは、恐らく王様を喜ばせようと全ての女たちが全神経を使って歌舞音曲を奏でるようなところで、男を囲んで思いつくまま気の向くままにお喋りするようなものではないだろうと思う。

新しい客が来たということで、カントリー氏を囲む輪は解散となった。
僕は日本人なので、どうもお邪魔しましてとカントリー氏に目配せすると、カントリー氏も会釈してくれた。なんというか、平和なところだなあと、すこし大塚北口を見直しつつ思う。

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みんな女性たちは30歳を超えているように見える。しかし、日本への永住権を獲得した彼女たちは、数次にわたって店側からのフィリピン招聘要請を勝ち取り、しかも一般にはあまり家族受け、身内受け、世間受けのしないフィリピン人女性との結婚を受け入れる日本人をゲットしたつわものたちだから、多少の年齢をカバーするだけの雰囲気を持ちあわせている。

僕にはナントカという、英語風の名前を名乗る、南国風の顔つきをして肉付きも程よくよい女性と、なにちゃんという、こちらは日本名を使っている、10年前は美人だったであろうと思われる女性とがついた。どうもこういう店の人の名前は覚えられない。というより、人の名前を憶えること自体が大の苦手だ。なんでだろうなあと思っていたところ、これは世にいう発達障害というものの一症状で、短期記憶能力が水準以下だからであるようだ。

一通り握手してご挨拶させて頂く。どうも最初に接触したフィリピン人が会社の人たちなので、今もってこの場でも、華奢で褐色の肌の人を見るとつい握手してしまう。フィリピンパブが初めてのフィリピン体験だった人たちはどうするのだろう?いきなりおっぱいを揉んだりするのだろうか?

なにちゃんの方がウィスキーの水割りを作ってくださる。と、私はここで「何か飲みますか?」と尋ねる。と、お約束の通り「アリガトウゴザイマース」と黄色い?声で御礼してくださる。
(この文章を誰が読んでいるか分からないので念のため注記すると、この種の飲み屋は大概客の飲み物は時間内飲み放題なのだが、応接する女性が飲む飲み物はどういう訳か知らないが、客が買わなければいけないことになっている。普通、赤ワイン一杯千円を取る。しかし、その赤ワインが本当に赤ワインなのかブドウジュースなのかは、まあ、気にしない方が、気分良くいられるというものだ。)

そうこうしているうちに、なんだか続々とお客さんたちが現れ始め、肉感的なナントカちゃんの方はよそのテーブルにいっちゃうという。キンキン声で話すなにちゃんよりも、腰をぴったりつけて魅惑的な笑みを浮かべるナントカちゃんの方が、個人的には好きだったのだが、だからどうしたいという気も起きず、「どうぞいってらっしゃい」と声を掛けた。わたくし根は個人主義者なもので。

ぐるっと鏡張りの店を見渡すと、客層は50以上と思しき、まあ風采の上がらないオジサンが多い。じゃあ自分がどう見られているのかという問題であるが、以前ふらっと入った竹ノ塚のフィリピン・スナックでチークダンスを踊っていた自分の後姿が世にも醜悪だったことを知って以来、あえてその問題は考えないことにしている。
しかし、この店のお客さん達、まるで何かルールがあるかのように、あまり長くない足を無理に組み、女性の肩に腕を回し、しかし抱き寄せるでもなく、彼らの指先は女性の反対側の肩に触れるか触れないかといったところで宙ぶらりんになっていて、もう片方の手でグラスを持っているのである。彼らは紳士的なのだろうか?意気地なしなのだろうか?はたまた人間50を超えると性欲が減衰するのだろうか?そんなようなら、こんなバカみたいな値段を取る店に来ないで、うまい焼き鳥屋やら寿司屋にでも行って飲めばいいのにと他人事ながら思う。もっとも女性たちも昔のように荒稼ぎをする必要もなければできるわけでもないので、これくらいの間合いがちょうどいい塩梅なのだろうとも思う。


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ということで、僕はなにちゃんとおしゃべりするよりほか時間の過ごし方がなくなってしまった。
取り敢えず、共通の話題と言えばセブシティーに勤めていたことくらいしかないので、縷々話をする。

話の流れで、とある日比ハーフだった同僚の話になった。
彼はなにちゃんと同じように興行ビザで日本に入国し、旦那を捕まえて永住権を取った人を母に持つ人で、東京の下町で育った人だったが、中学を出て高校に行かずにチンピラになりかかってしまった。賢明な彼の両親は彼をヤクザから引き離すために、有無を言わさず彼を母親のフィリピンの実家に送り返した。彼はその後、日当1000円の原動機の修理工から身を起して、私の会社のフィリピン支社でシステム管理に従事する作業員になり、遂には学卒の資格が無いのにも拘らず正職員の地位を得て、今や月に月に5万ペソ、日本円で15万円を稼ぐようになった大人物である。

「全く以てすごい人だね。殆どの日本人は彼には到底かなわないですよ。」
日本にいるフィリピン人はフィリピンのことを褒められることはほとんどないので、フィリピンのことを褒めるのはフィリピンパブ遊びの定石である。
「なんたって、子供6人養ってるからね。それに、Hided kidsも2人いるんだよ。どうもこれだけのことをする人はアッチのエネルギーもあるらしい。」
フィリピン人は、結構心底下ネタが好きなのである。

しかし、案に違えてこのなにちゃん、真顔でかくのたまわった。
「だけど、この人よりあたしの方がずっと大変だった。」
ほお、と目をきょとんとさせた僕にかまわず、彼女は続ける。
「この人、お母さん日本人と結婚したし、永住権もあった。この人日本に帰る家あった。私のうちは何にもないよ。本当に何にもない。本当に貧乏な田舎だよ。私、日本が無かったら、今もあの田舎でずっと貧乏だよ。」
なるほど…彼の月給15万円は彼の母親の奮闘努力があってこそだということか。2代かけてここまできたと。
「私ね、5回6回日本にタレントできました。」
タレントというのは、フィリピンパブ界隈の用語で、興行ビザで半年の年限で出稼ぎに来ている女性のことをいう。
「タレントのころは、No Freedom。買い物も、旅行も、散歩も、ずっとマネージャーがSuperviseね。」
店側からブローカーに半年で幾ら幾らという額を払って、女性は成田を出る時にブローカーから中を抜かれた分を支払われる仕組みになっていたから、女性がいい客を見つけて稼ぐだけ稼いでトンずらしてしまったら、店側は上がったりなので逃走を防ぐために厳しく彼女たちを統制したのだという。

柄にもなく真面目な話、フィリピンパブ嬢管理の実態は、パスポートを取り上げたうえで、ド田舎の1Kのアパートに3段ベットを2つ置いて6,7人を詰め込み、外出には男性スタッフの許可が必要だったということで、ほとんど昔のタコ部屋のようなところだったらしい。これで、月5万円の給料なのだそうだ。これが、タレントと呼ばれる彼女たちの生活実態だったのである。インターネットの記事を見ると、そういうタレント全盛時代を懐かしむような記載が多く、続けて永住権を得た「アルバイト」(多くは既婚者であり子持ちだろう)しかいない今日のフィリピンパブの「廃れ」具合を嘆いている。
しかしながら、そういう過酷な生活実態を背景とした彼女たちの媚態を買い叩く姿勢は、およそ人間としての品性を疑われるもので、その意味でアメリカが「人身売買容認国」として日本政府を糾弾したのは誠に正しい。
女を買いたいなら、男はホームでなくアウェーで買うべきである。生物学的に男は女より強いし、ましてや買春客は売春婦よりも強い。状況からして男側にアドバンテージがあるのだから、遊ぶ場所は女性側の国とすべきである。外国に行くだけの資力が無い男は、日本人の安い女で満足すべきである。

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ということで、結論的に言えば、彼女は今、Freedomを謳歌しているのだという。
ワインを手酌で飲む彼女は、ますます饒舌になる。
「あたしね、昔日本人大っ嫌いだった。今はFreeだからね、まあ、ちょっと嫌いくらい。」
ほぉ。別に彼女になんの思い入れもないので、何とも思わないのだが、そこまで明け透けに言われると、なんというかどちらが客だかよく分からなくなってくる。
「あぁ、でも日本はSafeね。フィリピン危ないね。だから日本は良いね。」
あまりフォローになっていない。

「ねえ、あなた年上が好き?年下が好き?」
一応彼女の方が年上らしいので、「年上が好きかなあ。」と答えると、
「私も年上のが好き。ねえ、あの子があなたにぴったりよ。27歳。ちょうどいいでしょ?」
彼女の指さす方をみると、一緒に酒を飲むんだったらこちらが金をもらいたいと思うような、無愛想で不格好な女の子がソファーで待機していた。

なんというか、その場ではここまで夜の店で粗雑に扱われたことはないなあと、少しイラッとしたが、冷静に考えれば、彼女は稼ぐがために日本で受けた尋常でないストレスが、まだ癒えきっていない、病みきっていないから、こういう態度をとるのだろうと思った。彼女は、"Now I am free"と何度となく繰り返した。”Now I am free”と自分に言い聞かせずとも心穏やかに日々を過ごせる日が彼女に来ればと望むものである。

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なにちゃんはなにちゃんで居心地の悪さを感じたのであろう、サポーターを連れてきた。
彼女は、純白のドレスに身を包んだ、、、、オバサンであった。
「シツレイシマース」と大声を上げて僕の隣にいきなりドンと腰を掛けてきた彼女は「○○○デェース!」とにこやかに挨拶された。
彼女は彼女で仕事でやっているのだから、理解できることなのだが、しかし年齢に応じた振る舞いというものがあるだろうと感じざるを得なかった僕は、ウッと体を仰け反らせてしまった。
「どこの島の出身ですか?」
「チチブ。」
「はぁ?」
「チチブ。毎日ミルク出るの…」
ああ、そういうギャグですか。。。申し訳ない。私あなたのセンスに追いつけておりません。

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以下○○○ちゃんのギャグが延々と続くのだが、これをいちいち思い起こすだけの体力は、病身の私の持ちあわせるところではない。
ただ不思議なもので、20分も経ったころには、僕はなにちゃんより○○○ちゃんと喋る方が心地よく感じられるようになった。きっと○○○ちゃんは受けた傷の解毒が済んでいるのだろう。
僕は去年会社で受けた傷の解毒が済んでいるのだろうか。過去の不幸を忘れられる人は、心の強い人だと思うし、幸せになれる人だと思う。
もう少し美人が相手をしてくれるフィリピンパブで遊べるようになるためにも、是非嫌な過去はさっさと克服して、また働き出したいものだ。

3

かのお店、2時間いてお勘定は8000円。レディスドリンクを1本頼んだきりで済む店だった。
大塚北口、ずいぶん落ち着いた土地柄のようだ。

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睡眠薬代わりに飲んだ酒だったが、どうもなかなか寝付けない。
2時にベットに入り、3時になり4時になり……5時を越えたころ、ウトウトと浅い眠りについた。明らかに夢を見ていた。
朝6時50分、目覚ましが鳴り体を起こす。頭と体はボーっと重いが、リハビリセンターに行かなければという強い意識だけが体を支えていた。

シャワーを浴び、服を着換え、荷物をまとめる。と、時計が7時半を指しているのを見て、あのにっくき我が嫁にモーニングコールする。長男の幼稚園送りに遅れられてはかなわない。電話すると、起き抜けで気だるげな返事が返ってきた。まったく家を追い出された俺が何だって朝モーニングコールせにゃいかんのか?俺はどこまで律儀なのか?俺は呪われて律儀に生まれついたのではないか?とブツブツ思いながら、山手線に乗り込む。

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リハビリセンターに行く途中、通所者と同じ電車に乗り合わせることがあるが、その時はお互い知らぬふりをするのが暗黙のルールだ。
うつ病患者は世を忍んで生きなければならない。うつ病患者は厄介者なのだ。
駅を降りたら、同じ電車から通所者が3人くらい降りてくる。僕は彼らを避けるのに、わざとトイレで2,3分スマートフォンをいじって改札を抜けた。

リハビリセンターは刑務所と似たところがある。通所者たちは中学校の体育教師みたいな指導員たちにネチネチ「指導」されるのだが、復職先の会社に出すレポートに下手なことを書かれたくないばかりに、ただひたすらじっと耐えなければならない。しかし、自分の周りにいるのはうつ病患者ばかりだから「稼ぎのない甲斐性なし!」「一家の穀潰し!」「会社のさお荷物め!」といった声なき罵声を受けることが無い。ホッとするのである。当然、その対価として一日820円を支払わなければならないが、それでも「社会復帰に向け前進している」という感覚(それが錯覚であるか否かは定かでない)を得ることができるので、割合精神衛生にいいのである。

リハビリセンターの敷地に入り、やれやれとカバンを背負って廊下を歩いていると、後ろからポンと背中を叩かれる。
ふと振り返るが早い
「寝ぐせついてますよ!」
と某嬢がニコッとしながら早足で睡眠不足の僕を追い抜いて行った。

フィリピン人のように華奢な彼女は、統一感のある服や鞄からしてそれなりの家を出たお嬢さんに間違いのだが、少し理屈っぽくて話が冗長なところがある。恐らくそれが原因で、会社に馴染めずに苛められたのだと思う。しかし、病み上がりにも拘らず快活な彼女は、きっとここにいる通所者の中では、相当に傷が浅い方に違いない。

睡眠不足でぼっとしている僕がボケっとしていると、
「ねえ、寝ぐせ!今日大丈夫なんですか?」
と振り向きざまにおっしゃるので、
「いやあ、どうもみっともねえなあ。」
とニヤッとしながら頭をかいてみせたら、彼女は満足げに廊下を走って行った。


屈託ない掛け値なしの笑顔に勝る解毒剤はない。

うつ病休職者、夜の大塚を行く。

うつ病休職者、夜の大塚を行く。

大塚駅北口には色々なものが沈澱しているような感じがしました。

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-05-16

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