蛾の話

私は蛾が大嫌いだが、最近になって実は好きなのかもしれないと思うようになった。

「スズメガの仲間だね」
アパートの階段わきに止まっているそれから十分に距離をとりながら、私が小声で友人に告げると、「よく知ってるね」と返って来る。
蛾を恐れない人にとってはただの風景であるそれの、名前を知っているということは、私が蛾に興味がある証拠でもある。
スズメガは、秋の初めに実家でよく見かけた。
父が鳥用に作ったエサ台に止まっていたことがあって、丁度ミカンを乗せに行った私は驚いて逃げ帰ったものだったが、後にその蛾の名前を調べて「スズメ」だった偶然は、非常に面白いものであった。
スズメのように上手に飛行するからというのが名前の由来であるようだが、羽のフォルムが戦闘機のようで美しい、とか、「顔」が可愛いとかで、実は愛好家もそれなりにいるというのがこの蛾であるようだ。
 祖母がオオミズアオ(あるいはオナガミズアオだったかもしれない)を拾ってきたこともあった。
梅雨の時期に、庭の手入れをしていた祖母が見つけたオオミズアオ。「きれいな虫がいたよ」と、弟がいつか使ったプラスチックの虫かごに入れて持ち帰ってきた。
家の中には入れずに縁台に置いたのを居間から眺めたのだが、弱っていたのかぴくりとも動かないそれの、萎びたキャベツのような薄緑色の羽に紫の縁取りのあるのが毒々しかったし、日が暮れても夕闇に浮かび上がるような様子が気味悪くてたまらなかった。
翌日には虫かごは空っぽになっていた。
多分あのまま死んでしまって、祖母が捨てたのだろうと思う。
しかし、この蛾も愛好者が多く、萎びたキャベツは「ヒスイのようだ」と評価され、学名には月の女神の名が使われていたこともあった。
 世界最大の蛾、ヨナグニサンの標本を見たことがある。
出張で訪れた宮古島の植物園に飾ってあった。例によって私が一番に見つけ、恐怖のままに同僚らにその蛾の特徴について語ると、大いに面白がられたものだ。
羽の先が蛇の顔に見えるが、それは鳥をよけるための擬態だということを話すと、標本の持ち主もそれを知らなかったようで、感心された。
やはり私は蛾に興味がある。
 蛾が嫌いな理由はいくつか挙げられる。
羽の色や模様が毒々しい事と粉をまき散らして飛ぶこと、しばしば大量発生することや、昆虫特有の意思の疎通の取れなさ。
しかし何といっても一番は「水気」を思わせるところである。
幼虫時を思い出させる太い胴は、潰すと血ではない汁を吹き出す。
しかもたやすく潰れる。私たちのように骨が無いからだ。
蛾が大きければ大きいほど、汁も多い。
私は大型の蛾をつぶしたことは無い、これは想像だが、想像だからこそ恐ろしいのだ。

しかし、蛾がその「水気」と決別したとき、私の中に別の見方が生まれた。

ある夏の終わりに、八ヶ岳南麓の清泉寮に宿泊した。料金の安い旧館に宿泊したが、食事や浴場は外の渡り廊下を移動して新館に移動しなければならなかった。
夕暮れともなれば、もうはっきりと冷たい八ヶ岳の風に身を縮めながら歩いていると、足元になにか転がってきた。
それは丸まったヤママユの死骸であった。
生きていたら悲鳴を上げて飛び上がっていただろう。
だけど、それはもう乾ききってまるで枯葉のようであった。
沖縄の標本のように、恐ろし気な翅を広げているわけでもない。
蛾は、落ち葉の一種なのだろうかと、その時思った。まもなく山の早い冬がやってきて、あとは凍るのを待つだけの落ち葉。
子供のころから恐ろしくてたまらなかった蛾が、別のものになった瞬間であった。

蛾の話

蛾の話

蛾が大嫌いな作者による、蛾と私の思い出話。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-05-07

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