バケモノタチ
潜めた願い
人間になれたらいいのに。
こんな馬鹿げたことを考えるようになり始めたのはいつからだっただろう、もう随分と前からのように思われる。
己にとって人間なんぞ食い物の内の一つでしかない筈なのに。
己の身体に不便を感じたことなど一度も無い。ただ人間に忌み嫌われるだけで、そんなものは不便の内には入らない__そう思っていた。
偶然出会ってしまった眩し過ぎる光が全てを変えてしまった。
ろくにものが見えない癖にそれを不幸と感じていないように笑って、俺を恐れずそして嫌わない。
俺がヒトじゃなかったらどうする気なんだ、と問うた時そいつは言い放った。
「自分が人やなかったとしてもどうもせえへん、自分は自分やろ?ええ奴な事に変わりあらへん!」
そんな存在は初めてだった。
だからどんなに嫌でも思ってしまう。
遠い。途方も無く遠く、そして恐ろしいほど残酷だ。
いくら見えていないからと言ったって。
いくらそんな言葉を発していたとしたって。
この身体では、蜘蛛の身体ではどうしても触れ合えない。
触れたらきっと気付かれてしまう、見破られてしまう。
だから願わずにはいられない。叶わないと分かっていても。
人間になりたい。触れたい。___好きだ。
好きなんだ、己ではどうしようもないほどに。
自分だけで解決する術が分からないことすら忘れるほどに。
「…いっそ俺のことなんて探さずに忘れてしまえばいいのに。」
そう一人呟いて聞こえる足音に心踊らせ、暗闇から這い出る。
あと一日、もうあと一日、己の正体が見破られないことを祈りながら心が折れてしまいそうな不安と、恋焦がれるこの思いを胸に抱えて。
また来たのか。全く…相当な物好きなんだな、お前は。
今日もまたそんな偽りの言葉を吐いた。
愛猫の逢瀬
─猫が襖を己で閉めるようになったら、それは猫又に変じている。─
誰が言い出したことか知れない。面白可笑しく語られるそれは、眉唾物だと思われがちだが、真のことで。
愛でられる獣から愛でられる娘へ。脚が、腕が、身体が、心を残し全て入れ替わる。
着慣れた着物では無く、上物の着物。
リン、リン、リンと上品に鳴ってみせる首元の鈴は自ずから着けたものでは無く。
襖の奥の仄暗い床の熱いその眼差しは猫又なんぞには随分と勿体無い。
嗚呼、なんと愚かな男よ。
人ならざる者との思いなど瞬く間に冷め行くことだろう。この真実が覆らないのならば、せめて今だけは。
神様、仏様。この男との逢瀬をどうかお許し下さいませ。
首元のお上品な鈴より愛らしい声で囁く。
「寝よう、寝よう。」
行燈の灯が黙って油の中に消え行く。
神様も仏様もまだこの逢瀬を許して下さるらしい。
バケモノタチ