エカテリーナの報酬

 広い館内での出来事だった。およそ三階建てだろうと想像出来る外観の中は円形のワンフロアのみで、内壁に決められた間隔をあけて飾られている絵画はアレクサンドル・カバネル『ヴィーナスの誕生』やフランソワ・ジェラール、ユベール・ロベールなど、新古典主義ばかりが並んでいた。
 しかしフロアの真ん中に展示ケースに保管されているのは宝飾品である。約百九十カラットのダイアモンド『オルロフ・ダイアモンド』だ。それを取り出すには二十四桁の暗証番号の他、指紋、網膜スキャンを突破してやっとロックが外れるが、ガラスケースは重く、成人男性であっても二人掛かりでやっと外れるしくみになっている。そもそも、閉館されたあとは万が一のことを考え、赤外線センサーが起動しており、ケースを中心に半径五メートルから三百六十度、赤外線ビームがあらゆる角度から交差しつつ移動するため、ダイアに近づくことすら許されなかった。
 とはいっても、館内の監視は二十四時間行わなければならない。別室のモニタールームには十個以上の監視カメラの映像が映り、それを監視したうえで決まった時間に自分の足で巡回する。
 警備の仕事をして半年が経ち、夜勤にも慣れてきたアデルはいつもの時間帯に見回りをしていたのだが、利き手に持っていたアルミライトをケースに向けると中のダイアモンドがなくなっていた。腰に下げていた無線でただちに警察と応援を呼び、館内のセキュリティシステムをロックダウンさせ、電灯をつけた。
「ねえー、これ君のでしょ?」
 応援と警察が来るまでの数分間、ケースがどうやって開けられたのか赤外線センサーをオフにしたことが吉と出たのか分からないが、アデルの後ろで女の子とも思えるハスキーな少年のような声がした。振り向くとそこにはスパイ映画のように天井から紐で繋いで宙に浮いている女の子、だろうか。髪を全てネットのようなもので頭を覆っているため性別の判断が出来ないが、小柄な体型は未成年のような気がしないこともない。丸くて大きな目で小さな顔、ブルーベースの白人。おそらくケルト系だろうか。
 ただアデルに見せて来たものは、数分前まで展示されていたはずの『オルロフ・ダイアモンド』だった。
「どうやって取った」
「え、普通に」
「馬鹿か。そんな普通に盗られて溜まるか」
「だって僕、泥棒だもん。これくらいのセキュリティなら簡単だよ」
 色々と訊きたいこともあるだろうがアデルは、ああ男の子なんだ。と呑気なことを考えながらも「いいか、そのままいてろ。もうすぐ警察と応援が来る」と厳しい声で指示した。
「けど僕は君にこれを返したかったんだよ」
「返してくれるのはいいけど俺にじゃなくて元の場所に返してくれ」
「元の場所は君だよ。君の祖先が愛した女性にこれを捧げたけど、振られたんでしょ? だったら子孫である君が持ってるべきだよ。君だよね? アデル・ハニティ=オルロフ」
「どうしてそれを?」
「僕は泥棒だよ。標的の歴史を調べてから盗むって決めてるんだ」
 アデルが何か言おうとしたとき、外からサイレンの音が近付いてきた。このままではアデルは捕まり、ダイアは別の美術館に輸送されてしまう。
「あーあ、残念だったな。君これ欲しそうじゃないんだもん」
「俺はこれが欲しいためにここの警備をしてるんじゃないよ。単に美術品が好きなんだ。特にそのダイアはいつまでも見ていられる。だから元に戻してほしい。俺じゃなくて、俺以外の人も見られる場所に」
 館内の扉が開き、アデルと泥棒の目には駆けつけた警察と応援が映った。全員が泥棒に拳銃を向けるが、彼が可愛らしい笑みを浮かべた瞬間、何かを床に投げつけ、それがバウンドした瞬間、館内がスモークで充満し、あたりが真っ白になって何も見えなくなった。
 数十分後、立ち込めた煙が落ち着き始め、誰もが咳き込む中、アデルは制服の胸ポケットに異物感を覚え、中を見ると一枚の紙切れと『オルロフ・ダイアモンド』が入っていた。それを警察に渡し、彼は紙切れを隠して重要参考人として別室に連れ去れた。幸い。ここにいた全員が泥棒の姿を目撃しているので彼が疑われることはなかった。最も、オーナーがアデルを警備員に雇った理由も、あの小さな泥棒が言った通り、ダイアの言い伝えにされている人物の末裔だったからだ。
「どうやって盗んだんだろう……」
「お前知らないのか? 数々と美術品を盗んでは持ち主に返そうとしてる泥棒、シビュラのこと。幸い、持ち主が死んでたり、お前みたいに末裔が受け取らないから結局は美術館に戻るんだけど、誰一人あいつを警察に引き渡したりしないんだ。まあ、今回は逃げたから捕まえられなかったけど」
 とは言っても、あの泥棒がすぐにでも捕まえられる位置にいたとしてもアデルはおそらく彼を捕まえず、ましてや警察に突き出さなかっただろう。
「そうですね」
 曖昧な返事をしながら、アデルはポケットの紙切れを握りしめた。

『やっぱり君に返すよ。そのあとは好きにしてね』

エカテリーナの報酬

エカテリーナの報酬

美術館の夜間警備員アデル。彼のもとに現れた泥棒が盗んだものは館が厳重に管理している歴史ある宝石『オルロフ・ダイアモンド』。それを盗んだ泥棒は「持ち主に返さないと」と言うが……?

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-04-22

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