*星空文庫

燃実

楓羽 作

燃実

目の前に積まれた桃の山から一つ、また一つと取られて行き、綺麗に皮を剥かれた桃は等間隔に切られ皿に盛られる。
その作業は主に家主と先輩の二人で行われ、私と他に2名はつまみつつ見てゐるだけだつた。

「剥くの此くらゐにしとく?」
「あんま大量に食べるものでもないしねぇ」
「すゐません、持ち込んだの私なのに」
「二個ぐらゐ貰つていつていい?」
「だうぞ。もつと持つてつてもいいです。」

家にまだある、と云ふと友人はにつこりと微笑んで數個ビニヰルに詰め込んだ。

「ぢぁ、歸るわ。桃、ありがたう」

家主が側にいた猫を抱き上げ友人を見送つた。

「併し、なんでこんな事になつたの?」
「實家で作つてたとか?」
「いやそれが…親戚とか近所とかから貰ゐまして」
「に、したつて凄い量だよ、數箱入りつて」

時期の終わりの桃は意外と安い。
狙つて買つてゐる人もゐるほどだ。品種によつては後半の方が旨いものもあるので短い期間といえど侮れない程色ゝな品種をもらう事も多い。
戻つて來た家主が、猫を放す。
するり、と私の横に來てテヱブルの桃に興味津ゝで見入つていたが、キツチンの方でザラザラとゴチソウの音がするとそちらに駈け出した。

「でも、終わりの奴でも香りは凄いあるんだね」
「煮るともつと甘い香りになるんだよ。煮ます?」

糖度が落ちてくるのが多いので菓子類を作るには良いらしい。
まだ殘つてゐる桃は先輩が持つて歸つてジヤムにしてくれる事になつた。

「さて、私達もそろそろお暇するわ。事務所行かないと、ほら、立つて」
「……やつぱ行くんですか?」
「當たり前。抑ゝ、あなたの用事でしよ?」

云はれた後輩は澁りながらも立ち上がる。
有り難いことに先輩は半分以上詰まつたまゞの段ボヲルを抱えて歸つてくれた。
量的に自分の負擔が減つた事で氣分が輕くなる。

「さ、こつちも色惡くなる前に食べちやわないと」
「併し、剥き過ぎぢぁないですか」

二人が剥いたのは二拾個くらゐだ。
山が出來たまゞのそれをフヲークで刺すと甘いにおいが一層廣がつた。

「ん、拾分甘い」
「汁氣多いですね~」

直ぐにフヲークを傳つて手が甘い汁でべたべたになる。
拭きつつ食べていたが、だんだん面倒になつてテヱブルに汁が垂れるのも構わず食べ續けると、皿も空いてくる。

「ねぇ、肘まで滴つてる」
「え、あれ?」

指を指されて見れば、手といわず腕までべたべたしてゐた。
絞つてくると、布巾を持つてキツチンに行つた家主が戻るまで、まう片方の手で拭おうしたのだが兩手がべたべたになつたゞけだつた。

「痒くなるよ?」
「あはは、まう痒いです」

私の腕を家主が取り、肘から丁寧に拭く。

「甘い、匂い。だね」
「……え?」

急に腕を掴まれて、何事かと聞き返したが返事はなかつた。
につこりと微笑んだ家主が俺の手を自分の方へと引つ張つて行つて、その唇に私の指が觸れた。

「……あのつ」
「ん、」

ゆつくりと唇が開いたかと思ふと、中指に齒の感觸を得る。
そのまゞやんわりと噛まれると、じわじわと中指が口の奧へと入り込んでゆく。
中指の腹に舌の上に置かれ舌の熱さに思わず指を引き拔かうとしたが、きつく掴まれた腕が動かすに指はそのまゞ熱い舌に舐め取られた。

「……つ、なにを」
「指まで甘い」
「それは……桃のせい、で」

夲當に、と猫のやうに目を細めてくる家主から、一瞬警笛のやうな物を背中に感じたが直ぐにそれは消えた。
まつすぐに見つめられると、不思議と視線が反らせなくなつてしまう。
肩をトン、と押されて後ろに倒れ込んだ。
ぽすつと控えめな音を立ててソフアーに身體が當たると、くすくすと笑い聲が眞上から降つてくる。

「ちよつとは警戒心持たない?」
「……え、はい」

全然無いね、と家主は囁きながら私に觸れてくる。

「あなた相手に警戒心はあまり無いです、けど」

持つた方がいいんだらうか、と夲氣で問へば堪えきれなくなつたらしい家主は、私を組み敷いたまゞ大笑いする。

「あー、笑つた。まあ、とりあへず、お風呂入つていく?」

何か云ひ返してやらうかと思ふが、いつもくだらない事ばかり浮ぶくせに今はなにも思ひ浮ばないのが悔しい。
嗚呼、これは完全に此人に落ちてるのか、と考へて苦笑いを浮かべると、家主はまたにつこりと微笑んで見せた。
それだけで、目の前の人物が何をしやうとしてるのか最後まで判り、そればつかり判るやうになるのはだうなんだと、自分自身に問ひを投げかけかけても何も思ひ浮かぶことがなゐまゞ頷き返した。

『燃実』

『燃実』 楓羽 作

桃を食べる。ゆるい百合なお話。

  • 小説
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  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-04-21
Copyrighted

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