わたしの宝物

仁科 哲夫 作

 長年住み慣れた大阪を離れ、南宮崎南郷町の外浦(とのうら)
に移ってから十二年が過ぎた。温暖な気候と海の幸に恵まれたこ
この暮らしは、穏やかですばらしい。南向きの書斎から、微妙に
色を移してゆく外浦の海とバエ(岩礁)をあきずに眺めている。

 わたしは酒を飲まない。というようりも飲めないのだ。はるか
に遠いご先祖様たちが、気の遠くなるような世代を重ねながら、
赤道東アフリカの熱帯雨林で染色体が四十八個のゴリラやチン
パンジーと別れて四十六個のヒトになり、サバンナに降り立っ
て直立歩行した。それから長い時間をかけてインドシナ半島あ
たりにたどり着いたころに、十二番染色体のある遺伝子に疵が
付いたようだ。疵が付くというのは言い過ぎかもしれない。変
異が起きたというべきだろう。
 原人、旧人、新人と進歩しながら、発祥人種であるネグロイ
ドからアラビア半島を越えたあたりでコーカソイドに変わって
いた。北西へ移動した人たちは紫外線の影響が少ないので肌が
白くなり、寒冷な空気を肺に送る前に少しでも温めようとして
鼻腔が広がり鼻の高い白人種になった。アフリカの黒人の中に
は、今でもゴリラの親戚かと思うほど鼻のひしゃげた人がいる
ので、種の適合の妙というのもうなづける。アラビア半島から
東に向かった人たちは色の黒いコーカソイドで、その端に住む
人たちがインド人である。さらに東に広がった人たちがモンゴロ
イドになる。ここで異変が起きたようだ。
 アルコールが体に入ると、二段階にわたって分解される。最
初に毒性の強いアセトアルデヒドに変わり、次に無害な酢酸に
なって体外に排出される。このアセトアルデヒドを酢酸に分解
する酵素を作り出す遺伝子の中の文字列、これは塩基と呼ばれ、
だいたい一塩基にA、T、C、Gのうち三文字が多いのだが、
その中の一文字にモンゴロイドになってから時々別の文字が現
れる人がでてきた。もともとあったのがG(グアニン)で、そ
れに代わって新しく加わった文字がA(アデニン)である。わ
したちは両親からどちらかの一塩基を受け継いでいる。したが
ってその中の一文字が父親のGと母親のGや、AA,GAの組
み合わせを受け継ぐことになる。Gの文字母親ののある遺伝子
はアセトアルデヒド分解酵素を作りだして、それを働かせるが、
はこの酵素が働かない。だから黄色人種が欧米人に比べて酒に
弱い人が多いのはこのためである。
 大多数のGGの遺伝子を持つ人は深酒さえしなければ、バッ
カスの饗宴を受けて幸せな人生を謳歌できる。ごくわずかだが
AAを受け継いだ人に酒が入ると、毒性の強いアセトアルデヒ
ドが分解されないまま体内に残り、気分が悪くなって強烈な吐
き気などに襲われたり、時にはショック状態になることもある。
だから二度と酒を飲もうと思わなくなる。前の人よりは多いG
Aの遺伝子の人は酒を飲めなくはないが、すぐに顔や体が赤く
り、頭がぐらぐらして眠くなる。だからそれぼど酒を飲みたい
ともわない。わたしはAAに近いAGを受け継いだようだ。だ
から、コップ一杯のビールで、金時の火事見舞いが出来上がっ
てしまう。

 晩酌の代わりが午後のコーヒーブレイクだ。念入りに淹れた
コーヒーをいつものマグカップにたっぷりと注ぎ、硬く粒のそ
ろったピーナッツを少し添えたトレーを机に運ぶ。窓を背に浅
く座り、引き寄せたパソコンの椅子に長くもない足をのせてか
ら、背もたれまで深く座りなおす。

 抽出された焙煎の香りとともに含んだ苦味が、上あごを潤し
て口中に広がり、温かい塊となってゆっくりと喉元をおりてゆ
く。その残り香が鼻の奥へとのぼってくる。ヘッドレストに頭
をあずけて軽く目を閉じ、「ふぅー」とひと息もらす。これが
下戸のわたしにとっての至福のひと時である。

 薄く開いた目は、ゆっくりと前の壁時計と陶製の額の間に貼
りつけた紙、毎年新しく替えている、筆ペンで書かれた、西行
の和歌へと移ってゆく。

 ねかわくわ 花のしたにて春しなん
       そのきさらきの もち月のころ    山家集

 西行の享年は七十三歳、その当時としてはかなりの長命だ。
しかも六十九歳の時、東大寺大仏再建の勧進聖として、伊勢
から奥州の平泉を巡り、京都までの長旅をしている。わたし
の子供のころに六十爺さんといえば、7よぼよぼと相場が決
まっていた。まして鎌倉初期のこの年での旅は、山峡に自然
にとけこんだ仙人の風貌ではなかったかと想像している。

 わずらわしい世の束縛から解き放たれ、あらゆる物欲から
も超越して、歌三昧の世界にあそぶ西行にとっても、いずれ
おとずれる死は、自分の意志ではどうにもならないことはよ
くわかっていた。だからこそ、たとえ旅の野末に朽ち果てる
身でも、やわらかい月の光のもと、花に埋もれた安らかな往
生を願い、その心を歌に託したのであろう。

 「如月の望月」といえば旧暦二月十五日の満月、釈迦入寂
の時を指す。「そのきさらぎといいおきて」、「望月のころ
はたがわぬ」、「願いおきし花のしたにて」と追悼の歌が詠
まれているように、わずか一日遅れの二月十六日に、己の数
寄をとおした漂泊の生涯を閉じている。わたしもできること
なら、この「花の下 雫に消える」ような静けさと安らぎの
境地で死にたい。

 死がそれほど遠くないところまで来ているという西行のや
りきれない気持ちは、彼の年を超えたわたしには痛いほどよ
くわかる。幸い今のところ健康に恵まれているが、いつお迎
えがきてもおかしくはない。早ければ今年か来年かも。運よ
く三年先、あるいは五年先まで延びてくれるだろうか。ひょ
っとして十年先であれば、これは儲けもの。しかし、二十年
先というのはまずあり得ないのも確かなこと。死んでも命が
ありますようにと、生にたいする執着は強いが、この願いは
だれもかなえてはくれない。その時がきてしまえば、凛とし
て受け入れよう。

 わたしのこれまでを振り返ってみると、妙にひねくれて、
斜(はす)に構えた、まことに悔い多き人生であった。せ
めて残された僅かな時間だけでも、満ち足りたものにしたい
と願っている。願望の表現になっているのは、まだ実現して
いないという意味である。なんとか現在進行形になってくれ
るとよいのだが、残念ながら願望の段階に留まったままだ。

 この理由は自分のことだからよくわかっている。安定した
反復こそ居心地がよく、西行のように意志強固でチャレンジ
精神旺盛な人間ではない。好奇心は人一倍強いが、踏み出す
まえに立ち止まってしまう。果断にして沈着、目標を設定し
て営々と努力と積み重ねていくのが、きわめて苦手な部類に
属する。いうなればぐうたら人間ということにつきる。

 このなんとも救いがたい性格をよくわきまえているので、
天罰も受けずに無事一年が過ぎてくれたことは、たいへん
ありがたい。四月の誕生日がくると、真っ先に張り紙を書
き変えることにしている。うっすらと黄ばみ、否応なく時
の経過を示してくれる紙切れ一枚が手元に残る。

 これが今の私にとってのいちばんの宝物である。

わたしの宝物

わたしの宝物

この年になると、死がそれほど遠くないところにきているという、 西行の気持ちはいたいほどよくわかる。生にたいする執着は強いが、 この願いはだれもかなえてはくれない。その時がきてしまえば、凛 として受け入れよう。 だが、もし選べるのであれば 「花のした 雫(しずく)に消える」 ような死をむかえたい。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2012-08-04

Copyrighted
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