あたらしい朝がこない、ので、やりきれなくなったひとたちが、こぞって沼にはいる。
 生きる気力を、失っているから。
 夜ばかりで、夜しかなくて、夜だけになってしまって、朝なんか半年くらい、きていないから。
 夜だけになってしまった国で、わたしたちは生きているのが、次第に、つらくなってくる。
 朝がこないと、すっきりしないよねと言ったのは、テレビのなかの芸能人。
 沼に、じぶんからはいりにいくひとたちが増えているのだから、すっきりしないどころの話ではないのだが、やっぱり芸能人はちがうな、と思いながら、テレビをこわす。
 ああこれ、沼にはいるひとたちが、沼にはいるまえに陥る現象のひとつだ。
 破壊衝動。
 わたしはテレビをこわして、そのあと、電気ケトルを床にたたきつける。
 二時間前にコーヒーをのむために沸かした湯が、冷めた水になっていた。
 まったくもう朝のやつ、どこにいったのだと思いながら、おとしたケトルを足でどかして、水にぬれた床をティッシュペーパーでふく。
 それからテーブルの上のスマートフォンをひっつかみ、恋人に電話をする。
 電話にでない恋人、いらいらして、投げ捨てる。
 かべにあたって、スマートフォンは床におちる。
 画面がこなごなにわれる。
 おもわずにやける。
 やばいなと思う。
 爪をはがしたい衝動に、かられる。
 でも、じぶんを傷つけるのは、ためらう。
 痛いのはいやだと、脳みそのどこかで、脳みそのなかのわたしが叫んでいる。
 このままじゃ沼行きだと、思う。
 沼には、はいりたくない。
 沼にはいったら最後、二度とこちらの世界には帰ってこれないのだ。
 もし、わたしが沼に行ったあとで朝が戻ってきたら、損だ。
 ばからしい。
 沼にははいらないし、そもそも行かない。
 窓の外で誰かが、おおきな声でうたっている。
 陽気な感じだ。
 きっと酔っ払いだ。
 夜の二十二時三十分。
 夜の、という言葉をつけるのは長年のくせである。
 夜の八時、夜の十一時、夜の十四時、夜の十六時。
 一日中、夜。
 太陽は宇宙人の攻撃にあって、消滅したとうわさにきいた。
 つまりもう、ほんとうに、朝はこないということか。
 それでは一日中、夜ふかししていいわけか。
 エッチして、いいわけか。
 いや、夜ふかしはともかく、エッチなことは朝でも昼でもできるか。
 そこのところは自由だけれど、それより朝がこなくなったことで、植物は枯れ、野生動物は絶滅の一途をたどっている。
 野菜は高騰しているし、にわとりはまるで鳴かなくなり、たまごをなかなかうまなくなった。
 生きる気力を失ったにんげんたちが沼にはいり、沼のなかにはにんげんたちがうようよ泳いでいる、というが、真相は不明であり、わたしはそうはなりたくないと思う。
 思いながら、画面がこなごなにわれたスマートフォンを、キッチンの流し台に持っていき、水をじゃあじゃあとかける。
 きれいに洗ってやらなくてはと思っている。
 そう思っている片隅で、これは本格的にやばいなと思っている。
 沼はもう、目の前。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-04-15

CC BY-NC-ND
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