先生

先生

私のあの人への愛は、留まることを知らない。
あの人がデビューをして早数十年、私はでビュー当時からあの人を応援してきたのだ。
あの人の文章は、私に色々な世界を与えた。
大人とは何か、酒の旨みとは何か、小説とは何か。
私にとって、今の私が出来たのは、全てあの人のおかげだと言っても過言ではない。
だからこそ、あの人の文をたったの一冊読んだからと言ってのらりくらりと「私はあの人の本を読んだんですよ」なんてアピールする者が居たならば、私は怒り狂うしかない。
私と同様にあの人のファンで、デビュー当時からあの人を応援している者なら同じことが言えるだろう。
「一冊程度読んだからなんだというのだ。君は今からあの人の作品を全て読むことができるのか。数十年の穴はなかなか埋められるものでは無いぞ」
私はあの人の本を買い、語るのは別に構わないと思っているが、一冊読んだ程度でその人を語るに自分は値するのか、と言う事を考えてほしいのだ。
私は何年もあの人に憧れてきたのだ。
小さな憧れではない。
私はあの人に出会って全てが変わったのだ。
そしてあの人の本を、出るたび出るたび、読んだのだ。
ファンを語るのなら、それくらいするものでは無いのか。
私が何故こんなにも怒るのか。
私はあの人をファンでは無く、愛してしまっているのだろうか。
否、違う、私は断じてホモセクシュアルではない。
つまり憧れなのだ。
私が文を書き始めて数年、私が何のために小説を書いてきたのか。
それは憧れのあの人に近づく為である。
欲は言わない。
私を知って欲しい、なんて事も思わない。
ただ「貴方は沢山の人を変えられる作家なんです」と、欲を言うのならば、そう言う事だけを知っていただきたい。
小説家というものは、誰かに知らない世界を与え、それを考えさせ、自分なりの回答を出すためにあるのではないか。
私はそんなことを考え、しがない、一、一般人として、今まで陰に隠れ、表に出ることも無く、ただただ自分の自己満足の小説を書き連ね、周囲に見せてきた。
名声など要らない。
私はあの人の小説を読んで、自分の考えを持ち、そういう考えもあるのだと、ただ書いてきたのだ。
小説とは何か。
私が今までに八十作ほど書いて、誰にも見せずにしまっておいた小説に何の価値があるか。
書き物をする人間の大半は自己満足なのだ。
私は結局、自己満足で書いているだけなのだ。
あの人、あの人と言ったものの、結局は自己満足なのだ。
けれど、世界は広い。
色々な考えを持つ人や、それぞれの世界感がある。
それを伝えるのが、小説という一つのインクに過ぎない。
けれど、その素晴らしさを私に与えたのは、紛れもなくあの人である。
やはりあの人は手に届きはしないけれど、私の最高の先生なのだ。

先生

先生

私が先生に教わった、小説とは何か。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-04-09

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