夕星を探して

我儘騎士と世話焼き錬金術師

 この国に来て、何年がたっただろうか。故国よりも過ごしやすい気候ではあるが、冬の寒さにはいつまで経っても慣れない。ようやく春めいてきた気候に、マグダレーナは機嫌を良くして近くの森に散策へ出かけた。愛用の籠と、護身用の短剣を持っていつもの道を歩いて行く。バイエルン王国の王都レーゲンスブルクは、王都のすぐ近くに「太古の森」と呼ばれる古くからの豊かな森がある。
 マグダレーナは、よく太古の森で山菜採りをしたり、錬金術師に必要な薬草を採ったりしていた。今日は、せっかくだからと早春の山菜を探して深い森に入った。持ってきた小さな籠にせっせと山菜を摘んでいると、近くで剣戟と人の威嚇するような声が聞こえてきた。マグダレーナは、音の聞こえた方へ警戒しながら走りだした。
 森を抜けて、隣のシュヴァンドルフを山道伝いに歩いていける小さな街道沿いで少年がモンスターに囲まれていた。少年といっても、王国騎士の紋章の入ったマントを靡かせているので多少、剣の腕に覚えがあるようだ。危なげない様子はなく、このまま放っておいてもモンスターの囲みを突破できるだろうと思われた。
 しかし、モンスターの背後からの攻撃に気が付かなかったのか、少年は小さな木で、枝を手足のように動かしているモンスターに殴り倒されて地面に倒れ伏してしまった。
 とどめを刺そうとするモンスターに、マグダレーナはすかさず割って入った。短剣を抜剣して、枝を振りかぶるモンスターの攻撃を受け止める。
「落ち着いて。あなた達の森を荒らさないわ。この人を連れて、森から出ていくから」
 マグダレーナは、懐から棒に持ち手とその上部三段に渡って、小さな鈴がたくさんついている道具を取り出して、ゆるやかに音を鳴らした。
 木の形をしていたモンスターは、やがて落ち着きを取り戻したのか振り上げていた枝を下ろして、左右に枝を揺らしながらのっそりと森の奥へと帰っていった。
 マグダレーナは、地面に倒れ伏している少年を見下ろした。目立った外傷はないが、気絶しているようだ。みかけの年齢から言って王国騎士の見習いかもしれない、と判断した。マグダレーナは、自分の荷物で枕を作りそこに、少年の頭をおいて仰向けに寝かせた。
「さすがにこの人を担いで戻れないし……」
 これからどうしようか、と考えていると少年が小さな声で何かを呟いた。気がついたようだ。
「大丈夫?」
 マグダレーナが少年の顔をのぞき込んだ。少年というより、美少女といってもよい華やかな顔立ちに、紫水晶の瞳の色が印象的な少年だった。少年は、反射的起き上がって剣を抜きマグダレーナの首元につきつけた。
「貴様、何者だ?」
「まずは、自分が名乗りなさいよ」
 剣を首元に突きつけられても、マグダレーナは構わずに反論した。少年が手をわずかに動かして、マグダレーナの皮一枚を僅かに切り裂く。真っ赤な血がすっとこぼれ落ちた。
「……イスファハーンの子、マグダレーナ」
「……どれが名前だ?」
 マグダレーナの出身国であるイスライール帝国では、苗字をもつという制度がない。父親の名前と自分の名前を名乗るのが習慣だ。
「マグダレーナが名前」
「イスライール帝国の出身か?」
 マグダレーナは、少年の問いかけに肯定する。
「僕に何をした?」
「モンスターを追い払うのと、仰向けに寝かせただけよ。外傷ないし」
 少年は、完全にマグダレーナのことを信じたわけではなかったが、後でどうにでもできると思ったのか剣を鞘に収めた。
「で、貴方は誰?」
「僕のことを知らないのか?知っていて助けたんじゃないのか?」
 何気なく、相手の名前も知らないのも居心地が悪いなとマグダレーナが問いかけたら、少年が目を丸くして驚いている。その顔が普段は大人びてみえる雰囲気を、歳相応の顔に見せる。
「有名人なの?」
「王国騎士近衛隊のレオナール・マイナードだ」
 レオナールは、まだ成人前のようなのにもう、騎士に選ばれていてしかも競争率の高いと言われている近衛隊に所属しているのだ。
「ふーん。貴方、騎士だったんだ」
「何だ、その反応は?」
「私は貴方の取り巻きじゃないんだから、これ以上言うことは無いわ」
 マグダレーナは、呆れたように肩をすくめた。レオナールは有名人かもしれないが、街の噂に興味のないマグダレーナには、知りもしないことだった。
「体調はどう?」
「悪くない」
「そ。じゃあ、森の奥へは入っちゃだめだよ。錬金術師とか弓使いじゃないと入ったら危険だから」
 マグダレーナは、立ち上がって自分の収穫物の入った籠を持ち上げた。レオナールの視線は、マグダレーナの籠に釘付けだ。
「貴様は、錬金術師なのか?」
「奥義まで修めている、マイスターランクだけど」
 自分の役目は終わった、と言わんばかり帰り支度をはじめるマグダレーナの手をレオナールはがっちりと捕まえた。
「森の奥へと案内しろ」
「さっきのモンスターを追い返すときに、一度森の外へ出ると約束したの。奥へ入ったら総攻撃食らうよ」
「いつなら良い?」
 なおも食い下がってくるレオナールに、マグダレーナはため息を付いた。
「明日なら森の精霊たちも許してくれると思うよ」
「ならば、明日僕を案内しろ。森の奥で咲いているというアンジェリカの花を探すのだ」
 マグダレーナは、再びため息を付いた。
「アンジェリカの花は、秋の花だよ」
「なっオズワルド将軍が、アンジェリカの花がプレゼントに良いと仰っていたんだぞ」
 レオナールは、マグダレーナを捕まえている手に力を込めた。
「嘘じゃないって。アンジェリカの花は綺麗で有名だからそう、仰ったんじゃないの?」
 マグダレーナがレオナールの手を振り払おうと、腕を振り回すが一向にレオナールは、離す気配がない。木々がざわめき始める。
「とにかく、一旦レーゲンスブルクに戻ろう。私達が出て行かないから、精霊たちが怒っているわ」
「しかし」
 レオナールがなおも食い下がろうとしたが、気配を感じて言葉を止めた。剣を構える。マグダレーナも当たりを見回しながら、懐にしまった神楽鈴を取り出す。レオナールの背後から木の形をしたモンスターと、光の精霊が襲いかかってきた。レオナールは、なんとか避けて、攻撃に転じようとする。そこへ、マグダレーナが鈴を鳴らした。
「待って。すぐに出ていくわ。ヴァルナ神に誓って」
 マグダレーナが、二度、三度と鈴を規則的に鳴らした。モンスター達は、敵対心を徐々に納めていく。これをチャンスと読んだのか、レオナールが剣を振りかぶる。
「やめて、レオナール!」
「何を言っている。倒さなければ殺られるぞ」
「精霊たちは嘘をつかないわ。無事に戻れるうちに出ていこう」
 マグダレーナは、更に鈴を鳴らす。
「信じられないなら、貴方が先に出口に向かって」
「いいだろう」
 レオナールは、剣に鞘を納めてレーゲンスブルク方向への出口に向かって歩き出した。マグダレーナは、安心したように肩から力を抜いて、さらに鈴を鳴らす。マグダレーナがモンスターたちに背を向けて歩き出す頃、同じようにモンスターたちも森の奥へと帰っていった。

 レーゲンスブルクは、城壁に囲まれた都で王城を中心に街が形成されている。大きく四つに区域が分けられている。貴族区域、商業区域、中級区域、下級区域。身分ごとに住む場所が異なるのだ。マグダレーナは、店を構えているので商業区域に住んでいる。商業区域でも、下級区域との境目に近い場所にある、小さな店がマグダレーナの住居兼、店舗であった。
 マグダレーナの店は、こじんまりとしていて棚に大小様々な瓶が並べられていて、天井からは、たくさんのドライフラワーが吊り下げられていた。店内に入ると、草花の優しい香りがした。
「で、なんでアンジェリカの花が必要なの?」
 店内にあるカウンターの前にある椅子にレオナールを座らせ、お茶を振る舞う。
「花をプレゼントしようと思っただけだ」
 頬を赤くしてマグダレーナの視線から避けるように、レオナールは顔をそむけた。それだけで、マグダレーナは全てが分かったかのように笑い出した。
「女の子へのプレゼントか」
「うるさいっ」
 マグダレーナがからかえば、レオナールはムキになって言い返した。レオナールは、漆黒の髪色に、色白の肌。紫水晶の瞳は神秘的に輝いていて、唇は薔薇色をしている。女の子が放っては置かない容姿だ。
「それなら、シノニムとかどう?アンジェリカと同じような青紫色の花で、今が盛りだし」
「……任せる」
 レオナールは、花のことは任せたほうがいいと判断したのか素直に頷いた。マグダレーナは、「素直でよろしい」と笑った。

シノニムの花

 バイエルン王国の王都レーゲンスブルクの近くにある太古の森は、文字通りレーゲンスブルクが王都として指定されるよりも昔からずっとある深い森だ。昔から精霊が住むと言われ、人々も森の脇を通過する街道を利用すること以外、あまり近づこうとはしない。
 レオナールは、森の中を歩いても精霊に悪戯されることのない錬金術師のマグダレーナを伴って、太古の森を歩いていた。
 マグダレーナが先頭を歩いて、長く伸びた下草を払い、後ろに続くレオナールが歩きやすいようにしてやる。地図を見たりせず、どんどんと森の奥へと歩みをすすめるマグダレーナに、レオナールは不安になって声をかけた。
「本当にあっているのか?」
「街道沿いには咲いてないの。もうちょっと奥よ」
 街道の道をそれてまだ、それほど歩いていない。もう少し奥に行かないとお目当ての花は咲いていなかった。
 レオナールは、森の奥へ来たのが初めてかのように、必要以上にあたりを警戒しながら歩いている。
「モンスターなら、出ないわ。私がいるから」
 マグダレーナは、森の精霊達に認められているので、害をなそうとするモンスターたちがマグダレーナ達に近づかないように、精霊魔法をかけている。だから、モンスターに襲われないのだ。
「腕のいい錬金術師というのは、本当のようだな。隊で雇ったときは、何度もモンスターに襲われた」
「行軍中に森の木々を傷つけながら歩いていたんじゃないの?」
 マグダレーナに図星を指され、レオナールは眉根を寄せる。
「迷わないための方法だ」
「太古の森を無事に歩きたいなら、木々に傷をつけたらダメよ」
 マグダレーナは呆れた口調で言った。おそらく、同行した錬金術師も同じようなことを言ったはずだが、レオナール達は聞き入れなかったのだろう。
「今度、隊で雇うときはお前にしよう」
「褒めていただいて光栄だわ」
 マグダレーナは、レオナールの皮肉を軽くかわして、森の奥へと歩みをすすめていく。やがて、右手奥の方から周囲の木々よりも高い古い建物が見えてきた。レンガ造りに見えるその建物は、殆どを蔦で覆われている。
「あれは、なんだ?」
 レオナールが、見えてきた建物を指してマグダレーナに尋ねた。マグダレーナは、肩をすくめた。あの建物がここにあることは知っていたが、方角を知るための目印にしか使っていない。
「さあ?随分古そうな建物ね」
「なんだ、知らないのか?」
 森の専門家のようなことを言っておきながら、知らないこともあるのかとレオナールは、鼻で笑った。
「貴方こそ、自分の国の建物よ、アレ」
 マグダレーナは、冷笑して謎の建物の横を歩く。この建物の脇を通ってもう少し歩いたところに、シノニムの群生地がある。
 いままで鬱蒼とした深い森であったが、だんだんと木がバラつき始めた。陽の光の差しこむ量が増えてくるにつれて、だんだんと下草の長さも短くなっていった。あたり一面に青紫色の絨毯が現れた。
 絨毯が敷かれているかのように、小さな青紫色の花が集まっていた。剣のような形をした細い葉っぱが花を縁取るように伸びている。
「ほら、ここ」
 突如として目の前に現れた幻想的な風景に見とれているレオナールに、マグダレーナは微笑ましそうに言った。
「絨毯のようだな」
 嬉しそうに目を細めて笑うレオナールを、マグダレーナはじっと逃さないかのように見つめた。さすがに居心地が悪いのか、レオナールはマグダレーナの視線から逃れるように顔を背けた。
「何をじっと見ている?」
「貴方の瞳と同じ色だと思って」
 シノニムの花弁の色は、ちょうどレオナールの瞳の色と同じだった。まるで女を口説く時のようなセリフに、レオナールは頬を真っ赤に染め上げた。そんな初心な反応にマグダレーナは気がついていないようで、懐から鈴を取り出して、呪文を唱えながら澄んだ音色を鳴らした。
「二、三本なら採っても怒らないって言ってるわ」
 わざわざ森の精霊に交渉したのだろう。マグダレーナは、鈴を鳴らすのをやめて懐にしまった。
「充分だ」
 レオナールは、地面に膝をつき程よい花つきをしているシノニムを一輪だけ摘んだ。
「シノニムは、昔はもっといろいろなところに咲いていたのよ」
「今は、こんな森の奥でしかみかけないのにか?」
「環境の変化についていけなかったみたい。この花は毒になるし」
 人間の毒になるからと、たくさん穫られたこともあったのだろう。マグダレーナは、少し寂しそうに笑った。シノニムの花が風に吹かれて、ゆらゆらと揺れる。咲き終わりなのか、花びらが風に乗って舞い上がり、マグダレーナの黄金色の髪を縁取るように花びらが滑り落ちる。
 森の精霊に愛されているかのような光景にレオナールは、一瞬だけ目を奪われた。
「いいのか?」
 毒を持つ花を人に持ち帰らせていいのか?とレオナールは問う。
「いいの」
「お前は、自分の判断が怖くならないのか?」
「なんで?」
「正義を貫いていると言えるのか?これは、貴重な花だが毒になる。それを、僕に渡して」
 レオナールの真面目くさった問いかけに、マグダレーナは心底可笑しそうに笑った。
「じゃ、貴方はこの花で好きな女の子を殺すの?」
「殺さない」
 マグダレーナの問いかけに、レオナールはムキになって答えた。頬が怒りで赤く染まる。
「でしょ。私は、信じているの」
 マグダレーナの先ほどとは違った優しい笑顔に、レオナールは不思議そうに見返した。そこまで人を信じることのできるマグダレーナは、レオナールにとって奇妙な存在だった。しかし、その風変わりな存在に心の奥底でコトリ、と音を立てたのを確かにレオナールは聞いた。

 地面に影が長く伸びる頃、空は夕日色に染まっていた。マグダレーナとレオナールは、王都レーゲンスブルク目指して、街道沿いを歩いていた。朝歩いた道をまた、戻っているのだ。朝に歩いた時と違うのは、二人が並んで歩いていることだろう。朝はお互いの意地の張り合いで、縦に並んで歩いていた。さぞかし、他の旅人たちからは奇妙に映ったに違いない。
 マグダレーナは、空を見上げて声を出した。
「あ、夕星」
 地平線にほど近いところの夜の色と夕日の色が交じり合ったあたりで、一際煌く星があった。夕星と呼ばれる星だ。マグダレーナは、子供のように指でさしている。
「暗くなる前には帰れそうだな」
 レーゲンスブルクの城門はもう、見えている。この歩く速度だと漆黒色に空が染まる前には、城門を通過し市街地を歩けるだろう。
「あの星、綺麗だよね」
 夕星は、他の星の追随を許さないほど光り輝く星で、天体観測に興味がなくても知っている者も多い星だ。
「さっさと帰るぞ。花が枯れるだろうが」
 レオナールは、星にはまったく興味が無いようだ。それよりも、贈り物として採った花が気になって仕方がないようである。
 立ち止まって空をみあげてしまったマグダレーナを置いて、レオナールは、早足で城門へ向かう。
「大丈夫だって。ちゃんと処置したじゃない」
 シノニムを摘んだ後、マグダレーナは持ってきた道具を取り出して花が長持ちするように錬金術をかけた。どうやって花を保存するかまったく考えていなかったレオナールは、マグダレーナの細やかな気遣いに驚いた。
 マグダレーナは、早足のレオナールに追いつこうと空を見上げるのをやめて駆け出した。
「一応、礼は言っておく」
 マグダレーナが横に並ぶ前に、レオナールはぶっきらぼうに言った。耳のあたりまで真っ赤に染まっているのを後ろを小走りしているマグダレーナにもわかった。
「素直じゃないな」
「うるさい」
 今日一日で、お互いがどういう人間なのか少しだけ理解した二人は、レオナールの素直じゃないところも、マグダレーナの一言多いところも、本当に、少しだけ気にならなくなっていた。
 それでもやっぱり、性分というものはどうしようもなくて、レオナールは早足のままレーゲンスブルクの城門をくぐった。

夕星を探して

夕星を探して

錬金術師のマグダレーナは、森の中で王国騎士のレオナールを助けた。二人は互いに反目しながらもお互いの仕事の助けるようになっていった。ある日、世界を揺るがす事件に巻き込まれて……

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-08-02

CC BY-NC-ND
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  1. 我儘騎士と世話焼き錬金術師
  2. シノニムの花