花びらの雨
さくらの花びらの、雨が、降った、日の午後三時に、黒い部屋から、白い部屋に移ったキミの、手の甲には、ガラスの球体がうめこまれていた、のだ。
球体のなかには、蝶がいて、蝶は、ガラスの球体のなかに、閉じこめられている、ということで、キミは、泣いている。
蝶をたすけて、と、さめざめ泣くが、蝶をたすけるためには、キミの手の甲から、ガラスの球体を取り出さなくては、いけない。
球体を、キミの肉体から、抉り出す形になる、と思われる。
そうなるとキミの手の甲に、ぽっかりと、クレーターができる。
そんなのは、いやだった。
さくらの花びらの雨は、まるでお祝いの、紙吹雪のように。
ぼくは、すこしだけ、鏡の中のぼくと、会話をすることができる。
鏡の中のぼくは、ぼくとおなじ顔をしている、というだけで、まったくの別人、というわけでもなく、シンクロしている部分も多々、ある、のだけれど、でもやっぱり、ぼくと会話ができるのだから、ぼく、ではない、ぼく、というにんげんである。
なんでもいいが、キミの手の甲の、ガラスの球体のなかにいる蝶をたすける方法を、鏡の中のぼくにたずねてみたけれど、やっぱり、キミの手の甲からガラスの球体を取り出すしか、ないようだった。
蝶は、ガラスの球体のなかで、衰弱している。
翅を動かすことも、飛ぶこともできず、それどころか呼吸だって、できているのかどうか、ガラスの球体のどこかに、目には見えない穴が開いているようだけれど、でも、そもそも、蝶、という昆虫が、呼吸、という行為をするのかどうかも、知らないのだけれど、弱っている蝶のことを想い、キミが、かなしんでいること、じぶんの右手の甲で、ひとつの生命が、ついえようとしていることに、気が狂いそうになっているキミのことを、ぼくは、たすけたい。
キミが蝶をたすけたいように、ぼくがキミをたすけたいと思う、の、キミのからだに穴が開くことは、ほんとうのほんとうに、いやなのだけれど。
いやなのだけれど。
いやなのだけれど。
花びらの雨