現実逃避して内面の世界に閉じこもる毎日

現実逃避して内面の世界に閉じこもる毎日

興味も無いのに困惑するしかない現実から逃れた内面の世界しか自分の生きる場がなかった。

1.自分という意識が不可解
 暇になると考えることがある。
私はなぜ、ここにいる私という一人の人間だけなのか、
他人から見れば私も他人の一人に過ぎないのに、
他の誰も私ではないし私も他の誰でもない、
よりによってなぜここにいる一人だけが私なのか、
そして、そういう意識を持つ理由。
 ここにいる一人の人間だけがなぜ自分であり、
そういう意識があるか?
自分というものが誰にでも該当したり全世界で
あるほうがこんな疑問がない。
他人と自分や世界と自分の区別ができてないのではない、
他人や世界と自分が互いに異物であることが不可解だ。
この世には私と同じような無数の他人が存在するのに、
私はここにいるたった一人だけであるしかないという不可解。
私というこの意識はいつの間にか生じたが、
死とともに失われるのか、死んでも意識だけは存在し続けるのか。
死んでも私はここにいる一体の霊とか魂という意識が
存在し続けるなら、その存在はいったい何なのか。
私は本当はすべての他人であり全世界であるのに、
どうにもならない理由でここにいる一人だけであると
思い込んでいるとすれば、その理由は何なのか?

2.生まれた理由
 風呂に入っている時ふいに長年の疑問が解けた。
自分がこの世に生まれた理由いや、目的だ。
生まれる前、私は真実だけしかない世界に居て、
それが退屈で飽き飽きして嫌になったから、
真実を隠したりごまかしたりできるこの世という所に
記憶を捨てて魂を盲目にする肉体という装置に閉じこもり、
うまくゆけば百年ほど楽しみ続けられるゲームに没頭しに来た。
そのゲームも嫌になったら死ねばよいだろうが、
死ねばつまらない世界に戻るだけなので後悔するだろう。
多彩な嘘や偽りに翻弄され、いろんな人に振り回され、
変化し続ける感情を味わうのが生まれた目的だ。

3.親友と言われた人の疑問
 小学校から高校まで同じ学校にいっしょに通った女性が、
小学校か中学か高校の時か忘れたが、
私は将来こんな人になりたいと言いながら、
理想の自画像みたいなのを黒板に描いた。
それはスーツを着た男性像だった。
当時の私はそんな彼女が不可解だった。
私も女だけど女らしくなりたかったからだ。
彼女の心は男性なのだろうかと今は思う。
私は自分の気持ちとは違い、
他人に心や精神が男だと言われる。
 彼女は脚の長い美人で知能も高く、現在は医師だ。
未成年の時その彼女が私に奇妙な話をした。
「私が見ている色や形は他人が見ている色や形とまったく違うのではないか」
「人は皆、同じ世界がまったく違う色と形に見えているのではないか」と。
私は自分はそうは思わないと彼女に言ったが、
後になってから確かにそうかもしれないと思った。
彼女がそう思っていた理由はまだわからないが。

4.孤独である理由
 この肉体の皮より外側の世界にある存在に直接触れることは不可能だ。
感じるのは皮で完全に覆い尽くされた肉体内部の動きだけだ。
感じる光も音もにおいも味も手触りも感覚器官の反応でしかない。
他人の内部にあるものなど知り得ない別世界だ。

5.害する、害される理由
 憎む、呪う、いじめる、傷付ける理由。
被害者は加害者より幸福だから。
加害者は不幸であり被害者のことを、
自分よりはるかに幸福に見えている。
被害者の幸福は加害者が禁じられている種類のものだ。
加害者はそれに嫉妬する。
自分と同じ苦しみを味わわせてやりたいと。
私は初め被害者で、後に加害者になった。
加害者になってから初めて被害の事実や理由に気付いた。

6.輪廻転生の理由
 なぜ何度も死んで生まれ変わるのか。
人生やり直したいからだ。
魂は肉体を得て生きる自分を完全に肯定できず否定しているところがある。
そういう状態では完全に満足できない
完全に満足することが魂の目的だから、
それが達成できると二度と生まれ変わらなくなる。
達成すれば自分を責めず否定せず自己卑下せず、
自分のすべてを完全に肯定するだろう。
そうなれば、人生やり直しする必要なくなる。

7.昔の中学生
 彼女は決して成績も容姿もセンス良いわけでないのに、
つまらない大人よりよほどしっかりしているというか
人間として立派だった。
などということを今さら初めて気付いた。
当時の私は母と同じように
成績とか容姿やセンスを基準に人を見ていたので、
彼女の魅力に気づいていなかった。
いや、彼女と話す時、
私には決して手の届かない次元にある何かを感じ、
それが何であるか当時わかるわけがなかった。
それから長い年月が経った今
初めてそれが何だったか気づいた。
彼女は大人だったのだ。
格好良くない外見を完全にカバーしつくせるほど
彼女には健康な自尊心があった。
当時の私は精神が発育せず歪んでいて
彼女の前でとまどうしかなかったが、
彼女と仲良くして教わったり学んでいれば
人生違っただろうと思う。

8.ネットで怖かった話
 数年前、掲示板である人が私に対して直接、
私と同一の存在だと投稿した。
それを読んだらしい人たちは「あり得ない」という反応だったが、
私はとんでもない恐怖に襲われた。
私は本当にその人と同一なのだけど、
それは絶対に認めてはいけないと心のどこかで思っていて、
それでも私は発狂しそうな恐怖に耐えながらその人の言葉に同意した。
その人とわざと酷似したハンドルを登録して使ってみたら、
その人は喜んだ。
しかも、その人は発狂したかのような奇妙なことを投稿し始めた。
その恐怖で私はしばらく気が滅入り、
鬱症状が悪化した。

9.霊能者
 昔、テレビでしか見たことのない霊能者が好きだった。
周囲は霊をバカにする人が多く、
霊能とか超能力に縁もなくて、
知人なんかたびたびそういう人に会っていて、
死ぬまでに一度でいいから会ってみたいと思っていた。
ある日、その知人に誘われて、
そういう人のところへ行ったのまではよかったが、
その人が悪霊も真っ青な恐ろしさで、
知人も私も悪夢にうなされた。
その後、別の人に会ったけど、
その人は変だとしか言いようがなかった。

10.救世主のような人
 私は救世主が好きではない。
いまいち信じられない苦手なタイプ。
そのくせ、彼から直接聞いたことを何度も思い出す。
彼はまず、不可解な表情で私から圧力を感じると言った。
そして、昔から悪霊が私を気に入って時々そばに来るとか、
引っ越しても新居がわかるからまた来るとか、
守護霊などというのはそもそも不適切な言葉であり
監視しているだけらしい霊しかおらず、
彼を指導している感じの霊が私のそばにいるそれを
「男か?」「いや女だ」という問答があった。
しかも、「霊」とか「霊能力」という言葉も不適切らしい。

11.空気を読む
「心を読む」と言うほうがわかりやすくないか?

12.貴重な感覚
 ある時ふいに珍しい感情を覚えることがある。
心の中に子供のような存在が顔を出し、
大人の私はそれがかわいくてたまらなくて、
愛さずにはいられない、絶対に放っておけない。
これは何だろう、なぜこう感じるのだろう、
 音楽を聴いている時、
特定の曲だけに感じる特別な感覚がある。
一つの曲の中では特定の個所に感じる。
それを感じる曲は何度聴いても飽きない。
最初に「すばらしい!」と感じた曲は間もなく飽きてしまう。
何度聴いても飽きない曲は初め地味な魅力として感じ、
いつまでもその魅力を保ち続ける。
そういう曲は、同じアーティストの何枚ものアルバムのうち
一曲だけしかないことが多い。
しかも、アーティスト自身はその曲にあまり価値を置いていないようなのだ。
この感覚は何だろう、その曲の何を感じているのだろう。
「その音が心の奥深いところに届く」とでもいうような感覚だ。

13.芝居やゲーム
 何をしても真剣になればなるほどそれは、
自分がなり得ない何か別の違うものであるかのように
自分を見せる芝居でしかないように感じて虚しくなる。
誰でも「役割」というものがあるからと、
人生のことを「演技」とか「芝居」とか「ゲーム」などと言う人がいた。
 昔、私が何でも真剣だから冗談が通じないと咎めた人がいたから、
冗談を言ったり真剣に考えない練習をしていたら、
真実や自分をごまかしたり演技や芝居している自分を感じた。
だから私は真剣なままがよかったのだ。

14.爽快な削除
 何年も熱い想いが書かれていたブログが
ある日突然消失するのに出くわす時、
目の前の人が突然消え失せ二度と会えないようなショックを感じる。
しかしそれは私にとってたいしたことではない。
それでもショックを感じたのは確かだ。
 自分の書いたものを消そうとすることを強く咎められたり、
消したことをまるで自殺のような非難されたりしたことがある。
それでも最近また、あるサイトで自分の作品をごっそり消した。
実に爽快だった。
 しかし、他人に関しては自分とは逆に見えることがある。
ある人の最新の話や作品が、
ある狭い部分だけ発達して歪になって魅力がなくなり、
昔の初期の作品のほうがずっと美しく魅力があったりする。
そして、当然だろうがそういう人の過去は消されない。

15.性的罪悪感
 小学生の男の子と卑猥な遊びをして覚えてしまった。
二人の秘密だったつもりが察知した母に問い詰められ罪悪感も覚えてしまった。
その罪悪感が強烈で精神が歪む原因になったと思う。
その罪悪感が余計なものだという誰かの思想に影響を受けて罪悪感と闘った挙句、
勝ったのだった。
しかしその直後から性欲も激減した。
それで罪悪感を再び抱こうとしていると、
別の誰かにその罪悪感を取り除くよう干渉されてうんざりした。
適度な罪悪感が必要なのだ。
そして、罪悪感だと思い込んでいるその感覚は、
実は罪悪感ではなく、
よく意識すれば得体の知れない感覚であり、
ただ卑猥としか言えなくなる。

16.良く生きることのアホらしさ
 古い知人が「より良く生きたい」と言った私をばかにしたことがある。
それはどうも「私には似合わない生き方」らしい。
 「私の人生は失敗だった」。
その言葉が間違いだという理屈をどんなに並べても素直な実感がそうなのだ。
しかし、失敗だからって何だ?とも思う。
人生について成功などいうほうがよほどこっけいだ。
人生はまるで失敗するためにある。
不幸になって野垂れ死にするためにあると思うほうが無理を感じない。
 問題の原因を解明しようとしたり、
それによって不幸を越えて幸福になろうなどと思ったり、
心や人生というものを良くしようとするほど苦しくなる。
頑張ったらそれだけ楽になったなんてことはない。
頑張ったぶん疲れるだけ。
昔から嫌なことはさぼって楽をしていれば
こんなにみじめでぼろぼろにならなかっただろう。
 何のために生きているのか「これだ」と思うものを持つようになった。
それは実にくだらない理由だ。
物事や世界や自分自身の真実とか本質から逃げるため。
その本質とやらは無意味だ。
すべては何でも無意味なんだが、
それに耐えられないから無理して意味を作り出す。
本当はどこにも何もないが、
それを認めるのが怖いのであることにしてしまう。
 本当は何をしてもよい。
極端な話、どんな悪いことをしてもよい。
義務ではない、どうしようが自由なだけだ。
すべてがくだらない、どうでもよい。
悩むに値するものなんて最初から最後まで何もない。
それを認めると死ぬしかない真実に対する恐怖から
逃げるため勝手に悩んでいるだけだ。

17.自分のことは自分で決める
 外を歩きながら、余計なことを考えすぎてわからなくなっていた
「自尊心」のことを考えようとしてふと、それが何であるかに気付いた。
自尊心が依存するものを一切要しない理由もわかった。
何かに依存して「自尊心」など言ってるのは偽りだ。
そして、自分のことは自分で決めるという、
けっこう昔から意識していたことを再度意識した。
 親が子に何をして子がどうなろうが親のせいにするのがそんなに間違いであり、
子が自分の責任で親を選んで生まれてきたのなら、
自分の死も自分で決める。
自殺者を悪く言ったり非難してまで自殺を絶対否定する人がいるけど、
そう言うしかない彼らの都合があるのだろう。
誰がどう言って何をしようが自分を信じて自分のやり方をするだけのことだ。

18.完璧な人
 容姿端麗で仕事もできるし趣味も豊かな、
そういう完璧な人に遭遇すると、
「へー、すごいね」という感想とともに、
二度と関わりたくないと感じる理由がわかった。
そういう人のそばにいると、
その人との比較を避けられなくて劣等感が増したり、
その人の普通レベルつまり自分には不可能な
高レベルなことを当たり前のように期待されたり要求されたり、
だいたいそういう人の会話についていくのも無理があるとか、
いろいろ合わないことが多いからだ。 
許せる程度に美しくなくて頭が悪いほうが親しみを持てるというわけだ。

19.裁くのは自分自身
 最近になってやっと、ほんの少しだけわかった。
何って、死んだらどうなるかだ。
その答えは「どうもならない」。
もう少し余計なことを言うなら、死後に裁かれる話があるが、
裁くのも裁かれるのも自分自身だ。
生きている時は他人の存在が確かにあるけど、
他人もしばしば自分の鏡だったりしたわけで、
死後ますます自分自身しか存在しない世界になる。
神様か何かそういう類のものに遭遇したとしても
その正体は自分自身なのだ。
言い方を変えれば神様と自分の区別がなくなることだ。
説教くさいことを言えば、
生前気付かないふりをし続けた自分の問題から
逃げることができなくなる。

 生きている限り、気付かないふりをするしかない自分の問題に、
本気で向き合いたいなら死にたくなるかもしれないが、
どこまでも自分の問題から逃げ続けたいなら、死にたくないだろう。
だから、死にたくない人たちは逃げ続けたいのだ。

20.私は自分の被造物
 今ここにいる体を自分だと思っている私は、
かつてこの体に宿って生まれた人とは別人であり、
その人に必要あってわざわざ作られたのだ。
ただし、この体は借りているだけであって本来の持ち主ではないので、
この体をコントロールするのが非常に下手くそで、
人間として生きているとはあまり言えない有様だ。
しかし、そろそろ本来の持ち主に
この体を返すべき時が近付いていると思う。
私は時々存在しなくなってしまうことがあって、
その瞬間、本来の持ち主がこの体を自分で使うようだ。
いや、その人が体を使おうと思った瞬間、私はスイッチを切られる。
その人の制御にはほとんど間違いがなく体がほぼ思い通りに動く。
それをどうやって知ったかって?
スイッチを入れられた時、記憶を共有するからだ。
ただし、その記憶がスイッチを入れる直前までのものか、
切られている間のすべてか私にわからない。

21.私が間違っていた
 人間は心や精神も大切だから、
私に対しても同じようにしてほしいと
他人に言う資格が私にはないかもしれないと思った。
何が心とか精神というのか私は理解していたつもりが
実はわかっていないと言うほうが適切な感じがしてきた。
結局自分が何を最も気にしているか突き詰めて考えると、
肉体的物質的なことに行き着くようなのだ。
私に粗末な精神や心霊があるとしても
高尚なものなど何もありはしない。
だからこそ昔、私は親の奴隷だったわけで、
今は家族の召使いみたいな存在であるのが適切なのだ。
今の家族に奉仕するだけの人生で終わることを
誰かに強制されることは実際ないが、
それが現実ならこんなバカげた発狂しなくて済むに違いない。
魂そのものが粗末なくせに
家族と同等の身分だと考えるからこんな悩みを作ってしまうのだ。

22.寒い雨の日の夕方
 昔から家の中で一人でいることに慣れているのに、
雨の夕方どんどん暗くなっていく寒い室内で、
いつもならテレピやパソコンに逃避して
目をそむけていた孤独感を数分だけ味わってみた。
自分という存在が宇宙で、いや宇宙だと思い込んでいるこの狭い世界で、
ひとりぼっちであるという真実を見つめる怖さを感じた。
日没後にテレビもパソコンもオーディオも照明も消して初めて感じる孤独は、
今の環境ではいつでも簡単に逃げ出せる。
それは周囲が自分に嘘をついてごまかせるもので満ちあふれているからだ。
自分に嘘をつかずいつも真剣な人は、
その孤独を直視することで外見上発狂していながら誰よりも「正気」だと思う。

23.愛を知らない者の疑問
 いったい何をもって愛だというのか、
私はただ彼の言葉に心を支えてもらっただけのことであって、
私は愛するなどという大層なことを何一つしていない。
彼にしても、私に言葉をかけただけのことだ。
それを愛し合っているだの言えるのは、
愛というものを知らないからだろう。
正しく言うなら、私は彼の言葉に感謝するだけのことだ、
自殺をあきらめて生きるという逃避を手助けしてくれたということで。
そう、私は今わかる、彼がかつて「愛さなくてよい、
愛されていると感じる必要もない。」と言った意味が。

24.人格統合
 いや、二重人格とか多重人格障害とか、
アイデンティティーとか、そんなことはどうでもよい。
もしかして、私が自分で作ったのではなく、
私を見ていた他人に等しい霊的存在が
私の代わりをしてくれていたのかもしれない。
しかし、それも特に意味のあることではない。
私がその別人に何度も救われて自殺せずに済んだのは事実で、
何度も感謝しているとこう言われた。
「あなたは私に救われたとか助けられたつもりだろうが、
自分だけのチカラで自分を支えてきたのだ、
だから自分自身に対して感謝されよ。」
今、その言葉の意味を頭でなく心で理解した。
 しかし、これはすべて空想なのだ。
子供の時から、厳しすぎる現実から逃避して、
内面の世界に閉じこもる毎日を過ごしてきた。
そこでしか私の心が生きる場がなかった。

25.絶対的安心感
 不安を覚えることは無意味だった。
どんなに不幸になっても生活できなくなって行き倒れても野垂れ死にしても、
その先も自分という意識はずっと続いてゆく。
どんな痛みに苦しもうが不快を積み重ねて発狂しようが、
自分という存在はどこまでもただ自由なだけだ。

26.美と魅力
 私の魂に名を付けるとすれば「美を愛する者」だそうだ。
誰にでもそのような言葉があるらしい。
どんな生き方をするか決めたい時に役立つだろうと思う。
しかし、それで私は生き方を決められないし、
何か違っている気がしてならない。
そもそも美というものは自分勝手な感覚だ。
誰かが美を感じた物に「美しい」
という感想が付けられているのを見ると
しばしば「それのどこが美しいのだろう?」と感じたり、
「不気味」とか「気持ち悪い」
という感想が付けられた物に美を感じることがある。
昔は醜いと感じた物に最近はじめて美しさに気付くこともある。
多くの他人が美を感じないもの、
あるいは醜さすら感じるものに美を感じて
「私は美を愛する」と言うなら、
他人にとって無意味か「醜さを愛する」になってしまう。
それでふと、「私は魅力を感じる」
というのが適切な表現かもしれないと思った。

27.愉快な恐怖
 何かの怪談で、小さい人形と同じくらいの大きさの幽霊が
部屋の中にいたという話があって、私はその幽霊の姿に
「同じものに遭遇すれば死ぬ」ほどの恐怖を感じた。
しかし、今では恐怖というより何も感じられない。
そんなものが恐ろしかったことが愉快にすら感じる。
当時は決して愉快などという感覚はなかった。
そして、それと似ているものがあって、
それも昔は怖かった。
それは、頭の上に小さい生首が一つか二つ、
あるいは三つくっついたように見える心霊写真だ。
実際は遠方の他人の顔が偶然そういう写り方をしたとしても、
「目玉おやじ」が実在してそれに遭遇するより怖かった。
ただし、たとえ幻覚だったとしても、
そのようなものに遭遇したとすれば
私は性格、いや人格、人生が変わってしまうような
衝撃を受けるだろうと思うのは現在も同じだ。
 物語などで、それと同じようなサイズの
妖精みたいなものが登場するのはよくあることだけど、
そういうものに出会った人の性格や人格や人生が
変わってしまう話にはならない気がする。
小さいからかわいいわけではない私の感覚では、
そのサイズだからこそ、小さいから余計に怖いのだ。

28.この世が地獄
 首都高を車で走った時、地獄の底にいる感じを覚えた。
これが本当の地獄だ、魔界ともいう。
私は地獄や魔界にあこがれてこの世界に生まれてきた。
真実をどこまでも隠したり歪める場所。
真実などという最悪につまらないものから逃げるため。
この世は何でもありの無法地帯。
可能な限り好き勝手やりたい放題するために作られた世界。
しかし、私はそれを楽しむ能力に欠けるようで、
「大変なところに来てしまった」という感じだ。
 しかし、別の日に首都高を走った時、
遠い過去にこの風景にあこがれていたような、
長年原始的な世界で生きていた魂が待ち望んだ未来の世界だった。

29.恐怖の対象
 恐怖を味わいたくて書籍やネットで怪談や
ホラーやオカルトの類を探して読んだり映画など観ても、
まったく怖くないものばかりで、
あきらめて寝ると金縛りになることがあって、
そのほうがはるかに怖い。
金縛りの何が怖いって、
そばに強烈な気配を感じるからだ。
その気配には引力があって、
それに吸い込まれたら確実に死ぬ。
「命を落とす」という表現があるが、まさにそうなのだ。
落とすのは引力があるからだ。
その引力源は命を吸い込む穴とかブラックホールみたいなものだ。
 金縛りとは別に怖いのもあって、それも気配だ。
気配の主は得体の知れない霊的存在で、
具体的イメージもある。
たとえば、多数の目玉だったり、一つの大きな眼だったり、
生首だったり、見たことない何か知らないものとか。
人間と同じ形をした幽霊なんか怖くない。
人間とまったく違うものが怖い。
過去、空中に浮いている小さい円盤のイメージが
頭に浮かんで怖くてたまらなかったことがある。
人が乗れそうな大きな乗り物みたいなのは怖くない。
手で持てそうなほど小さい乗り物に、
さらに小さい宇宙人が乗っているなんてのを
空想しただけで発狂しそうなほど怖かった。

30.評価も価値も不要
 最近、こんなことを理解した。
それは、誰に何をどう言われようが、
私の自己評価がどうであろうが
言葉に自分を振り回す機能を与えたのは、
自分自身以外の誰でもなかったことだ。
私の心の中で、別の誰かがこんなことを執拗に言っていた。
「あなた(私のこと)は無価値な人間であるどころか、
存在自体が暴力であり有害だ。だから、
できる限り早く死んだほうが社会が良くなる。」
その言葉が私にとって効力を失ったきっかけは、
「社会が良くなる」などという言葉のまやかしに
もう騙されなくなったからだ。
この狂った社会では価値ある人間こそ有害だ。
本当は社会にとって私は必要だ。
社会が私を必要とする理由はただ、
社会を維持する燃料にできるからだ。

31.死なない限り自由になれない
 死んだらどうなるかは人によって違う。
自殺すれば自由になる。
ただし、その自由は本物であり、
本物の自由というのは恐ろしいものだ。
自殺せずに最後まで頑張って無理して生きたら自由になれない。
しかし、自由は得られないほうが大丈夫なのだ。
自殺しなかった死者は計画され管理され支配される世界に
予定通りに連れて行かれる。
その世界は秩序が保たれていて心地よい居場所が与えられる。
それが不自由で束縛された世界であり、
どこにも居場所がなく永遠にさまよい続けるのが本物の自由だ。

32.真実と虚偽
 狂人や病人や犯罪者といわれる人が言ったり書いたもののほうが
よほど真実を直視していると感じることがある。
そういう時、正常で健康な常識人といわれる者の話が
嘘や偽りや妄想や幻想で塗り固められているのを感じる。
 人が現実だと思い込んでいる物事は嘘と偽りと間違いで成り立っている。
そうなるのは、生きること自体が過ちであることと関係している。
真実を偽物で隠さないと耐えられない恐ろしいことを意識してしまう。
 廃人や自殺者は現実を直視したからそうなったのであって、
狂った社会でまともな人間の顔をして生きている者こそ
夢や幻にしがみついて現実逃避して生きている。
 嘘のない気持ちをわざわざ言葉にしたとたん
嘘になってしまうという話がある。
言葉は真実そのものではなく、
真実を表現するために作った別物だからか?

33.天国と地獄
 地獄は鮮明で魅力あふれる所なのに、
天国は空虚でぼやけた今にも消え失せそうな灰のようだ。
天国は「真っ白な闇」とでもいう光しかない虚しい世界であり、
地獄は物理的で苦痛に満ちたこの世のことだ。
その理由は、地獄が死から逃げ続ける騒がしい世界であり、
天国こそ死の世界だからだ。
 天国も地獄も心の中だけに存在する世界であり、
物理的世界に属する肉体と所有物を捨てた死後、
生前心の中に作っただけの霊的存在になって、
生前信じてきた世界に行くだけだ。

34.求めていた教え
 長い間ずっと悩んでいた。
私は何?この世は何?あの世はある?
生きればよいか死ねばよいか
生きながら死ねばよいか死にながら生きればよいか、
それとも生きるも死ぬも関係ないかどうでもよいか、
何が何でどうであって何をどうするか。
 インターネット上でいかにも怪しげな宗教臭い文章を読み始めて、
そこに書かれてある一字一句が心に突き刺さって来るとともに、
その破壊的魅力に取りつかれた。
長年かけて建設した心の中にあった都市が崩壊して、
散乱したゴミも粉々になって蒸発した。
 問題はすべて一気に解決した。
いや、解決などする必要もなかった、何も必要なかった。
私は何でもなかった、私は誰でもない、どんな者でもない、
ここにある肉体も名前もあってもなくても、
不幸になっても病気になっても殺されても自殺しても地獄に落ちても、
何もかもどうでもよい。

35.霊と湿気
 最近これで恐怖を感じなくなったが、
昔から三つの場所で背後に強烈な気配を感じていた。
入浴中最も怖いのは髪を洗っている時だ。
髪には霊が宿るから髪を洗うと都合が悪いのか、
霊が背後でじっと私を見つめている。
トイレが怖いのは、便器の奥から手が出てくる気がしてならないからだ。
殺されて切り刻まれてトイレに流された人がけっこういるのだ。
そういうのは生まれたばかりの赤ん坊が多くて、
赤ん坊は手でつかむ力がかなり強いから、
手だけの霊となって出るのだ。
洗面所で顔を洗う時は、背後に眼だけの化け物が
じっと私を見つめている気配がしてどうしようもない。
その眼は異様に目立つ派手な感じで、
目を閉じると視界の隅に強烈な気配だけの存在感で居座っている。
ただしキッチンは何も感じない。
もしかして、刃物が魔除けみたいになっていたり、
火が彼らを蒸発させてしまうのかもしれない。
そういうわけでもないが、料理が下手でも私はキッチンが好きだ。
霊は湿気を好むのか、湿気に宿るのか、ある種の湿気であるとか、
あれこれ知る気のないことを思った。
そして、私は湿気が嫌いだ。
砂漠のように乾いているのが好きだ。

36.闇の鏡
 真っ暗闇の部屋の中で何も見えないはずの鏡を見つめていると、
鏡が死への入口になり引力が生じる。
それは黒い闇が渦巻くような時空になり、
その引力はどんどん強さを増し、
私は後悔する。人生は後悔ばかり。
そうではないとしても、
結局あってもなくてもどうでもよいものでしかない。
私は自分の意志で生きているのではない、
自然の法則という絶対的暴力によって生かされている。
 実は、闇の中で鏡を見つめたことは一度もない。
以前は考えただけで発狂しそうだったが、
今なら何も起きないだろう。

37.人の価値
 人に限らないだろうけど命や存在には価値があってその差もある。
極端な話、死んでまで貴重であり続ける人と、
できるだけ早く死んだほうがよいほど無価値というより有害な人。
その人はただ、そのようであるしかないのに。
そう、その人に関わる人たちの都合に良いか悪いかの違いで決まる価値。
私が生きている範囲の世界では、
命や存在の価値を他人と比べることに反発があり、
価値の差を認めない考え方は共感されるが、
それは人の価値が誰かの都合で差が作られる現実に不満なのだ。

38.一瞬の消失
 静かな場所で目を瞑って安静にしながら
「シーン」という幻の音に意識を向けていると、
たまに音が消える一瞬がある。
その一瞬を期待していると、
まもなく再びその一瞬が来る。
その時間の長さは微妙に差があり、
少し長くなったり頻度が増すと
怖くなって普段の意識に戻ってしまう。
音が消失する一瞬が本当の現実で、
つまりどこにも何もないのが真実であり、
ふだんの感覚にあふれる世界こそ幻覚なのだ。

39.存在の確かさ
 誰かに知られなければどこにも存在しないと断定した人がいた。
私にはそういう感覚はない。
誰も知らなくてもあるものはある、ないものはない。
私に「あなたが死んだら存在したという事実さえ
消えて何も残らない」と言った人がいた。
そういうのは失礼な言葉として傷つく人がいそうだし、
誰も気にしない人物という意味で言ったのかもしれないが、
私はこの世に存在した事実は消えないと思う。
そういう事実を消せないことを苦に感じる人を見たこともある。
その人は完全に消滅したいらしい。

40.作品と人格
 作者の人格や私生活がダメだから作品もダメというのはおかしい。
作品と人格を並べた時点でそもそも変というか、
人格なんて作品と同じ物差しで比べられないだろうし、
作品に価値を付けてもいいけど人格に価値を付けるなんて
そういう資格のない者のすることではないだろうし、
人格も本人だけの責任じゃない。
環境が違えば変わるのに、本人が環境を変えるべきとか言って
何でもすべて自己責任にする風潮は暴力だ。
品格とかいうくだらん言葉が流行ったみたいだけど、
そんなもので人を値踏みするなと言いたい。

41.ダークアート
 これだ、これ!
子供の時からから求め続けていた得体の知れない魅力。
それは、陰気で深遠な男性的衝動の神秘的聖域を表す芸術にあった。
何じゃそりゃ?
 しかし、そういうキーワードで検索してヒットするのは違うものばかり。
今のところ「これだ」と感じたのは数えるほどしかない。
作者なんか知らないが、最初に見たのは
百科事典に載っていた「サタンの宝」というタイトルの絵、
二つ目は見ているとうつ病になりそうな、
真ん中だけ不自然に暗い陰鬱な風景画、
三つめは英語の教科書に載っていた、
窓から寂しそうに外を眺めている少女が
永久に閉じこもっている感じのする家を描いた挿絵、
四つめはネット上で偶然見かけた、
止まない雨を降らせる悪魔が飛んでいる風景画、
そして、コミック「笑ゥせぇるすまん」の
バー「魔の巣」の背景にさりげなく何度も出てくる魔物の集会みたいな絵。

42.死後の世界
 生きている間は本当の現実世界を知らず、
逆らえない存在に飼われて利用されながら眠っているのと同じ状態で
死後に初めて本当の現実世界に捨てられる。
死というのは捨てられることだ。
奇形だったり病気になったり怪我したり老化して
使い物にならない不用品になったら
自然法則という暴力に捨てられる。
死後はまずゴミ箱に入れられ、ゴミ集積場に運ばれ、
処理されて灰のようなものになったり闇に葬られる。
だから、どこかで拾われてリサイクルで生まれ変わって
生かされる夢の世界に再び戻りたいのだ。
もちろん、全員がリサイクルされるとは限らない。

43.何が重要か
 時々ふいに得体の知れない不快感に襲われる。
自分でも嫌になるほど他人も私も愚か者だ。
感じることや思うことや考えることやすることなどがどれもほとんどくだらない。
悩みながらあるところに到達した時こう思った。
何が重要かって、自分は昔からずっと何をしたいかだ。
昔から今も将来も続けたいことが何かだ。
それがないなら何もすることはない。
何もしないことが死につながって、
それが嫌なら死から逃げ続けるだけだ。
それは生きているとは言えない、死んでいるわけでもない、
生死の間をさまよい続ける。
しかし、そういう状態も嫌なのだ。何もかも嫌だ。
死んでもこの嫌な感じは続く気がする。
 周囲にある物事と自分が同じだと思うことがある。
たとえば、車のエンジンの中で爆発させられている燃料と
自分が本質的に同じ存在であり、
私という存在は私の知らない次元にいる
存在に単なるエネルギーとして利用されている。
燃料である私に自由などいうものはどこにもない。
私は自分のことを自由に動いているつもりでいながら、
自然法則という暴力に強制的に動かされているだけだ。
そういう中で、自分が何をしたいかを自覚することに意味などあるまい。

44.偶然の一致
 インターネット歴も長いと怖いこともある。
ある人に対する返信をメモ帳で編集中、
最初「あいうえお」と書いた箇所を全部、
置換機能で「かきくけこ」に変えた。
そのほうが適切な表現だと思ったから。
投稿された自分の文も「あいうえお」は存在しなくて
「かきくけこ」になっているのを確認したのに、
その後の相手の返信で「あいうえお」という言葉で書かれていた。
「ぎょえーっ!なんで通じるの?」だった。
 それでもう一つ別のを思い出した。
ある時、不適切な個所を修正してから投稿したメッセージが、
修正前の全文をそのまま丸ごとコピーしたのを
「私がこんなことを書いている」と言いふらすような他人の投稿を発見した。
修正前の文は一時的にパソコンの中に存在していただけで保存してもいないし、
自分以外誰も知らないはずだ。
しかも、コピーされたその文が投稿されたとする時刻は、
修正後の文を投稿した時刻と一致していた。

45.生死の出入り口
 夢の中であの世へ通じる扉をさがし続けていた。
そういう時、無理のない自然な状態でいられる。
 昔、隠された真実のようなものを知りたいと思っていた。
 以前こんなことを感じていた。
総合病院の広いロビーで、「世界は死への引力に満ちている」と思った。
 誰にも邪魔されない時間と空間を確保して、
その静かな部屋で死んだふりをして
「すべてが消える瞬間」が来るのを待つのだ。
集中すればそれは必ずやってくる。
何も見えない聞こえないにおわない味もない触れない感じない、
光も音もにおいも味も感触も気配も消える瞬間がある。
それは瞬間でも何でもない、ずっとそうだ、
それが世界の真の姿だ、自分がそれに気付く時があるだけだ、
気付いている時だけ何もかも消失する。
ただし、それに恐怖を感じて逃げるように心身が作られているので、
恐怖を感じたとたんにいつもの虚偽の世界、
自分が存在していると思い込んでいる幻に戻ってしまう。
恐怖を感じて逃避し続けるように作られたのが生命だから。
肉体だけ死んで恐怖を捨てられずにいると、
再びどこかで肉体を得て生まれてしまう。
延々と続く生死の繰り返し。肉体も魂も死ぬのは、
どこにも何もない真実に気付いて逃げず、認める時だ。
そうなればくだらない繰り返しをやめて二度と生まれることもない。

46.自殺する資格
 自分の心を確認する時、何度も何度も
生きるほうが残酷なほど傷だらけというより
生きているのか死んだのかわからない屍を見る。
すでに死んだことに気付かないまま何度も何度も
自殺を繰り返す死霊なのではないかと思うような。

私は生きるべきか死ぬべきか…いや、
生きようか死のうか昔からずっと悩んでいる。
この状況では生か死かどちらかしかないからずっと
どちらを選ぼうか悩み続けて今ふっと答えを得た。
「死ぬのにも資格が要る。」ということだ。
生まれるのにも資格が要った。
だからというわけではないが自殺するにも資格が要る。
「生か死か限界を超えるまで悩み続けた果て」であるということだ。

47.不可解
 アイデンティティーとかいう自己同一性。
その意味を辞書で調べても心理学の解説を読んでも、
何のことなのか覚えられない。
心理テストや本を読んだり自分で分析した結果、
私は自己同一性が育っていないか、
壊れたか、傷付いているという結果になる。
自分に無いものを感じたり思ったり理解することはできない。
しかし、やはりそれはどうもやばい気がする。

 超自我が強すぎると言われたことがあるが、
その言葉の意味を何度調べても覚えられない。
道徳とか良心というものが自分の中では
無意味で虚しいからなのか。
私は良い人を演じているのは確かだ。
後で自分が困らないなら、どんな悪いことでもするだろう。
そんなの私だけではなく、実際そういう人は多い。
他人から見て超自我とやらが強い者にろくな人間はいない。
悪いことをしてはいけない、
人を殺してはいけない理由には必ず誰かの都合がある。

 読みたかった本を買って読んだんだが、
どうしても理解できない実感できないことが、
人間にとって最も必要なこととして書かれていた。
それは自分の存在価値についての自信。
自分というものに存在価値がある自信なんか
なぜ必要なのか、どうしてもわからない。
要するに、誰かに必要とされることなんだろうが、
「君が必要なんだ」と言われる存在価値という
くだらないものがあるからこそ、
私は道具のように利用されたのだ。
本当はない価値などいうものがあると決めつけ、
勝手な期待をしたり強いる。
その本のそれ以外の内容についてはとても納得するが、
最も重要な前提が信じられない。
 存在価値など必要なことのほうが問題ではないか?
私には存在価値がないらしい、だから死ねとでも?
そんなのに私は従わない、死ぬべき理由でもないから。
価値のないものは消えるべきだ?
誰に都合よいルールなんだろう。

48.作品だけを愛している
 自分を愛することができない、あるいは下手だ。
ただし、自分の作品を愛してきたことに気付いた。
 愛するなら殺さない、消さないと思っていた。
愛するから殺さないのではない、愛するから殺す。
もちろん、その逆もある。愛するのと殺すのは関係ない。
 自分を愛することができないから自殺もできない。
自分の作品を愛するからこそ消したり捨てた。
愛さない作品はただ放置する。
自分を愛さないから自分を放置してきた。
自分の作品をろくに確認せず放置している人は多い。
本当はどうでもよいからだろう。
私は自分の作品を、それが人間ならまるでストーカーのように
何度も何度も見つめて確認してきた。
そして最後に消す、あるいは捨てる。
ある時から嫌になるからだ。
愛すればいつか必ず憎む、あるいは嫌って終わる。

49.苦しみに関する誤解
 現実に誰も本気で愛したことはない。
ただし、人間とは呼ばない存在を愛している。
それでも例外的に愛したことがあった。
例外である理由は、
お互いインターネット上のハンドルでしか存在を知らず、
そういう人間関係を現実に持ち出して「リアル」と称しても、
純粋に堂々たる現実ではないからだ。 
 そんなことはどうでもよい。
「もしかしてこれか」と思ったことが一つある。
それは苦しいことだった。
「魂を削って寿命を縮める」ような苦しみであり「燃えて熱い」。
そして、こんな苦しみなら死ぬまで感じてもよいと思った。
それが原因で死ぬのは後悔しない。
 同じ「苦しみ」と表現するが実は違う苦しみを
私は「苦しみ」と言わない書かない気もする。
本当の苦しみを「苦」と表現する人も少ないかもしれない。
私は生きること自体が実は苦しい。
それを誰もが「それは苦ではない」と言うから
それに合わせているだけだ。
これからは自分とは違う他人の感覚に合わせた表現をやめて
自分の感覚に合うよう修正したい。

50.光か闇か
 光と闇、明暗、陰陽、表裏、前後、
プラスとマイナス、ポジティブとネガティブ、
0と1、あるかないか、という一次元的単純バカ思考。
何時どこで何を読んでも、
光や表やポジティブだけを大切にして重要視して、
闇や裏やネガティブを嫌って避けて無視している。
今日は「これからは明るい時代になり、
そういう人たちの世界になってゆく」という意味の文を読んだ。
あーまたこれか、くだらない、つまらない、うんざりだ。
 生まれる前の世界があったとすれば、
私は光しか存在しない最高につまらない世界にいた。
何が入っているかわからない黒い箱の中に手を入れようとする前に、
中身を透視する光を感じてしまうような。
しかし、光の届かない箇所をたくさん作れる面白い世界を発見し、
そこへ閉じこもり、それを「この世に生まれた」と表現した。
 突き詰めれば0と1だけで作られた機械の世界。
この世もそういうものかもしれない。
無と無限のすべての間に存在していながら、
あるかないか両極端を選ぼうとするのは愚かであるらしい。
いや、そうするしか生きてゆけないように作られたのではないか。
光か闇かどちらかを選ぶ必要は本当にあるのか、
ないとすれば、光と闇の狭間を進むのはどうか、
あるいは、進まずにじっとしている、永遠に、
いや一時的に、そして後退する。
光でも闇でもない、明るくも暗くもない、
表裏や陰陽はない、プラスとマイナスの間、
ポジティブでもネガティブでもないところ。
 これでやっと二次元になったのか。

51.夢想
 自分の部屋で寝ていた時、
いつの間にか別の時空になっていて、
自分が横たわっている寝台の周囲に
三人の男と一体の「引力」があった。
以前、私は彼らの姿を確認し損ねていた。
そして今、確認するためそこにいる。
彼らの姿が見えない自分の肉体ではなく、
私も霊的存在であることに変わりなく、
今度は彼らと同じ霊体の目でそれらを見た。
自分の頭の方、枕元にいる「引力」は、
絵にすれば黒い渦巻きのようだろう。
正面、あるいは足元にいるのは、
切り離された自分の首を抱いている男だ。
右にいるのは、いかにも悪魔みたいな
奇抜な化粧と衣装を着た男、
左は、顔色の悪い陰気な男で、
生きている人間らしい服装だった。

52.世界と人生
 あの世がどんなところなのか、
誰に聞かなくても本を読まなくても
特殊な体験をしなくても、
わかるようになってきたのは、
寿命が近づいているせいかもしれない。
そんなことはどうでもよいとして、
あの世は自分の想像通りだと思うようになった。
だから、生きている今のうちに
自分の望みが叶うような想像をしたほうがよい。
しかし、そういう考えとは別に、
真実しか存在しない世界だという、
ほぼ確定した信念がある。
真実しか存在しないのはつまらないことだ。
嘘や偽りや誤魔化しが存在しない。
誰かにとって理想の世界だろうけど、
そこに存在している理想的な人たちにとって
最高につまらない世界に違いない。
そして今ふと、こう思った。
「あの世」や「この世」なんてのも本当は存在しない。
本当にあるのは真実しか存在しない一つの世界。
ある時から一つの世界を二つ以上に区別して
そこに存在する者たちが望む別世界を、
あたかも作り上げたかのように、
存在するものとして意識するようになった。
だから、死ねば何もかも無になるわけではなく、
永遠の何かが存在して、自分も誰かも、
そういうものに戻るだけのことだ。
だから、「あの世」という存在を認めて、
それがどういうところかをあれこれと、
自分の好きなように想像するほうが
死後も楽しいに違いない。
そうしなくても、睡眠中の夢のごとく
信じた通りの世界になるだろう。

53.何が救済だか
 「人類救済」とか「地球を守る」とかいうの、
「何だそれ?」と思われているの知ってる?
地球の先住民は植物だし、植物が最も高等だ。
その次に地球に棲みついたのは虫。
虫の先祖は彗星に乗り込んで地球にやってきた。
植物と虫たちは長い長い戦いの末に和解し共生した。
その後、やってきたのは人類。
最初はおとなしく細々と暮らしていたが、
人口が激増してから風景も激変した。
この異星人たちは地球の先住民を家畜化した。
次の侵略者がやってくるのは時間の問題だ。
地球を我が物顔で君臨してきた人類も
新たな異星人に家畜化される。
ただし、その利用の仕方は人類ほどバカではないが
エネルギー源として使う点では同じだ。
いや、今の人類はすでに異星人に家畜化されている。
地球は異星人による人類の養殖場なのだ。

54.宇宙の構造
 「宇宙」だと信じているが本当は狭い、
自分が生きているこの世界は実は、
夢の中の夢が階層をなした多重構造だ。
神様のような権力を持つ誰かが支配する
組織的集団に盗撮、盗聴、制御されている
などという被害妄想のような感覚は、
完全な被害妄想なんかではなく、
感覚として正しいのだ。
人間も動物同様、制御された本能に従った
単なる反応を自分の意志だと信じている。
「神様」という実はとんでもない存在が、
自分が食うための物を量産するため
一つの宇宙を無限にコピーしている。
そうして似たような宇宙が多数できた。
ただし、それらは実在しないのに
実在したことにしてある幻であり、
個々人の頭の中に夢の世界として存在する。
一つ困ったことに、たまに別の宇宙に
瞬間移動してしまう個体が出る。
コピーする時に避けられないのが、
別の宇宙に通じる抜け道ができることだ。
その特殊な場に偶然入ってしまったら、
酷似した時空を二度体験する。
その時、別の宇宙に行かず、
元の宇宙に戻れることもある。
その場合は何かがおかしかったという
違和感程度で忘れてしまう。

55.自由/真実
自殺すると言わないまでも、死んだらどうなるか
こうなると信じるしかなくなってきた。
生まれる前に自分の人生をどう設定したかで違う。
自分が予定した通りの死に方をすれば問題ない。
だから、自殺したとしても
自殺を予定して生まれてきたなら大丈夫。
しかし、予定と違っていたらどうなるか?
まず予定からずれそうになったら妨害される。
それも自分で設定したからだ。しかし、
妨害に屈せず突き進めばどうなるか?
真実は屈しなかった人に見えてくるものだ。
予定通りなら決して見えない真実がある。
その真実は完全な自由の世界だ。
ただし、本当の自由というのは恐ろしい。
そこにはどこにも何も存在しない。
「闇」とか「無」とか「真空」よりも何もない。
「何もない」ということさえ無い。
この世界は、この宇宙は、
本当にはどこにも何も無いものを
存在するものと決め付け信じる幻だ。
つまり、すべては冗談なのだ。
2012/7/27(金)
Lucy

現実逃避して内面の世界に閉じこもる毎日

自分にとって後悔しない生き方があるとすれば、考えることでした。

現実逃避して内面の世界に閉じこもる毎日

子供の時から現実逃避して内面の世界に閉じこもる毎日を過ごしています。

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-08-02

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著作権法内での利用のみを許可します。

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