くらやみの国
手紙を、やぶく、のは、いらないから。
もう、そばにいないひとのことなんて、一生、思い出さない、忘れてやる、と思う。
無理だけれど。
だってそう思ってから一秒と経たずに、考えている。
あのひとのこと。
金曜日の朝、太陽がつぶれて、月が落ちて、朝も夜も、くらやみ、の世界。
白い服を着ることが、義務づけられた世界で、くらやみに浮かぶ、白は、人類の証明。
手紙をくれたひとは、光源を求めて旅に出た、から、いないの。
ぼくのとなりに、いつもいたひと。
ぼくをつつんで、ねむってくれた、ひと。
よどむ。
よどんだ空気をたべてくれるのは、くじら。
くじらが、よどんだ空気を、おおきなくちで吸いこみ、体内で浄化させ、背中から噴出させる、ことにより、なんとか生きている、ぼくら。
くじら、といういきものは、むかし、海にいたことを、しっているひとはすくなく、いまはもう、空にいるのがあたりまえ、のようになっている、時代。
ぼくをだきしめて、ねむってくれたひとが、くじらにときどき、なまえをつけていたっけ。
やぶいた手紙は、かならずもどってくるから、待っていてほしい、なんて、都合のいい内容の、もの、で、いらだったぼくは、手紙をやぶいて、そのへんに捨てた。
植物、というものが生えなくなった、現代で、ちりぢりになった手紙は、ねずみ色のアスファルトの上を、すーっとすべって、消えた。
紅いお茶を、のもう。
学校は、九時から。
いまは八時だ。
金曜日の朝はいつもより、空気のよどみが、ゆるやかで、はちみつのにおいがするのは、家のなか。
おかあさんが、はちみつたっぷりのホットケーキを、たべるから。
おかあさん、ぼくの好きなあのひとは、みつかるかどうかもわからないものを求めて、旅に出ました。
かなしいし、むかつくし、ころしたいし、だかれたい、です。
おかあさん、ぼくはおそらくあなたに、ぼくのこどもをみせることは、できません。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
あのひとのことが好きで、ごめんなさい、という謝罪、を、ホットケーキをたべる、おかあさんの横顔をみつめながら、こころのなかで行う。
おかしい、なんて、いわないで。
ぼくのことを、変なひと、というやつに問いたい。
変、の基準。
変、とは、具体的にどのあたりが変、なのか。
動物とおしゃべりできること、か、給食をたべるときにかならずデザートからたべること、か、いつもおなじ曲を聴いていること、か、同性しか好きになれないこと、か、たまにみんなにはみえないものがみえる、ことか。
そういったことが、変、というならば、動物の考えていることなんてわかるわけがない、と決めつけているひとや、給食はかならず汁ものからたべるひと、流行っている音楽しか聴かないひと、異性を好きになることがあたりまえだと思っているひと、だって、変だ。
変だよ。
そういうことなんじゃ、ないの。
紅いお茶をのみながら、いらいらしてくる。
おかあさんがみているテレビは、朝のワイドショー。
ゲイノージンの熱愛とか、宇宙でいちばん、どうでもいい。
テーブルにおいたスマートフォンが、ふるえる。
あのひと、からではないことは、わかっているよ。
だってあのひとは、携帯電話というものを、持っていないからさ。
ぼくのスマートフォンの待受画面は、くじら、だ。
背中の、山の、曲線が、よい。
よいのだ。
メールは、学校からだった。
『本日は彗星に衝突活動の兆しがみえるので学校はお休みです』
お休みです、だそうです。
では、紅いお茶をのんだら、ねむることにしませう。
おやすみなさい、彗星、おかあさん、ぼくの好きなひと。
目覚めたときには、くじらのからだのなか、希望。
くらやみの国