春の夜の町
爪の中から、スライム、みたいなものが、でてくる、夜の町。
赤信号を無視する、暴走車のうしろに、まっしろな尾っぽをみる、夜の町。
あたし、みじかいスカートから、自慢の美脚を惜しみなく、みせびらかして歩く、春の夜の町。
どこからともなく花の香りが、漂ってくる。
きのう、ともだちが、妊娠したと言った。
おなかをなでて、ほほえむともだちの、髪の毛を一本、ぷちっと引っこ抜いた、のに、意味はない、その行為に、意味などない。
あたしは、ともだちが、セックスをした、ということをどうこう思っているわけではなく、セックスをした相手、のことをいかがなものかと考えている。
商店街にある古書店の、しろくま、という店主、しろくま、の姿形をしておるくせに、にんげんのことばをはなしよる、しろくまの皮(もしくは着ぐるみ)をかぶったにんげんか、ときけば、ぼくはしろくまです、と言って、からだの毛をむしってみせる、奇妙ないきもの、であること。
春の夜の町、ミニスカートのすそをひるがえし、歩く。
ブーツのヒールがアスファルトを叩く音、ひびく。
闇に浮かぶ白くぼんやりしたもの、さくらの花。
あたし、まだセックスを、したことはないが、ケモノなのか、ヒトなのか、どちらでもあって、どちらでもないようないきものとは、まじわりたくないな、と思う。
右手の中指の爪のあいだから、むにゅっ、とでてきたスライムのようなものを、指と爪をおして出す。
膿を出すように、出なくなるまで出す、ということをときどきしながら、駅前のカフェに入り、カフェラテを注文する。
喫煙席のカウンター席にはくたびれたスーツのおじさんと、同い年くらいと思われる女。
パソコンをひらいて、キーボードをぱちぱちはじく女の、パソコンの画面をこっそり盗み見ると文章がみっちり、液晶画面を埋め尽くしている。
「小説家なの?」
たずねると、女はびっくりした顔で、パソコンをとじて、それからうつむいて、ちがいます、とちいさな声で言った。
はずかしそうなのは、何故か。
もし小説を書いているのならば、すごいことだと、わたしは思うのだけれど、それは絵も、そうなのだけれど、絵が描ける、小説が書けることを、どうして隠そうとするのか。
高校生のときも、休み時間に絵を描いていた女子に話しかけたら、彼女はまるで、他人にはみられてはいけない密書でもみられたかのように、光の速さ(おおげさなたとえだが、たとえは、おおげさくらいがちょうどいいのではないか)でそれを隠したので、あたしは、なんだか、いやな気持ちになったのだ。
あたしの取り柄は、美脚しかないから。
カフェラテを、ずずっ、とすする、パソコンを持った女は、そそくさと帰っていったので、あたしはたばこを、くちびるにはさんで、ともだちと、あの奇妙なしろくまとの子どもは、いったい、どちらに似るのかしらん、なんて、その様子を想像しながら、ライターで火をつける。
くたびれたスーツのおじさんも、たばこに火をつけている。
春、セックスをする相手もいないので、ひとりさまよう、夜の町。
どうしてあのこは、しろくまを選んだのかとか、しろくま以外のいいひとが、いたのではないかとか、というかなんで、あたしじゃないのかとか、あたしとしたって、ともだちが妊娠することはない、あたりまえだけれど。
でも、なんで、あたしじゃだめなのかとか、頭のなかをかけめぐる疑問を、疑問のままに、あたしは夜の町のカフェで、たばこのケムリに身をゆだねる。
もうすぐ四月。
春の夜の町