アホな話

アホな話

以前、日記やブログなどを投稿して後に退会したサイトで書いた話です。

1.ショックを感じた言葉
 まるで雷に撃たれたようにショックを感じて
性格が変わってしまった言葉を覚えている。
それは「変な人」。
私はその時まで明るく元気な性格だった。
その一瞬を境に、
陰気で閉じこもるようになってしまった。
その直前、私は大声で歌いながら
幼稚園の廊下を歩いていた。
その言葉を発したのは別クラスの知らない園児だった。
いつか再び大声で歌いながら歩くようになる言葉に
出会うことはあるだろうか。

2.学生時代の記憶
 確か中学生の時、成績最悪で校則に違反する制服を着た
「不良」というレッテルを貼られた少女が
私に話しかけてきたことがある。
当時の私は学年で一位の成績だと言われていたが、
そんなことが私を幸福にしてくれるわけでもなく、
本当の私は母からのいじめに耐える奴隷という
みじめな身分だったので、
その不良少女が美しく輝いて見えたし、
遠い存在でもあった。
そんな彼女が私に話しかけた普通の人間的態度に、
私は驚いただけでなく、
外国人と会話するような感じを覚えた。
話の内容は日常の他愛ないものからペットの話になり、
彼女は私の飼っている小鳥について興味を持ち、
私がそれに答えると、彼女は面白いと笑った。
そこには、彼女の素直な感情があるだけで、
母の言うような不良の悪さはどこにもなかった。
後で知ったことだけど、
彼女は勇気を出して私に話しかけたらしい。
おそらく当時からすでに対人恐怖症だった私の様子は、
彼女の目には「優等生ぶらない謙虚な態度」に見えたらしい。
会話できた物理的きっかけは、冬の寒い教室の中、
彼女と私が同時にストーブの近くに陣取ったことだ。
学校以外で生きる世界の違いすぎる二人が、
互いに相手に敬意を払いつつ
自然な会話が成立したわけでなくても、
昔から人付き合いの少なすぎる私にとって、
この記憶は死んでも思い出として残る気がする。

3.他人の顔
 大学生の時、同じサークルだったある男性に、
「俺の顔って怖い?」と聞かれたことがある。
確かにそうだろうが私には怖くないので
「気にするほどではない」と答えたが、
彼は「やっぱりそうか」とがっかりしていた。
彼は恋人ができない原因を自分の顔が
怖いからだと思い込んでいた。
私はその時はじめて彼の魅力に気付いた。
ただし、彼の怖さはおそらく目付きの悪さだ。
普通の神経ならそういう目付きの人に
関わりたくないと感じるかもしれない。
しかし、彼は誠実で優しい人間だと私は感じていた。
彼から年賀状をもらったことがあって、
私が年賀状をもらって本当に嬉しかったのは
彼だけだったかもしれない。

4.一物コピー
 昔、知人の女性が会社で「セクハラだっ!」と
周囲にしゃべりまくっていたことがある。
会社で仕事に熱中している時ふいに、
生の陰茎をそのままコピー機にかけたような紙を見せられた。
彼女は未婚だったがそれを見た最初、
「何だろ?」と思ってしばらく見つめていた。
それが何か気付いた時、自分の陰部を初めて
鏡で見た時のようなショックを受けた、当たり前だが。
その紙がただの悪戯に過ぎないと思ったからこそ、
「何ですか、これは!」と周囲にも見せて大騒ぎしたわけで、
嫌がらせと感じるような深刻な事態ではなかったと今なら思うが、
私は言葉通り「ひどいなー」と思って真面目に聞いていた。
しかし、私は密かに「私もその紙を見たかった」と思った。
 自分の陰部を見たことない女性がいた。
わざわざ鏡に映さないと見えないのもあるだろうが、
彼女に「私は初めて見た時から性格変わった。
滅多に見ないけど見るたびに凹む。」などと言ったら、
彼女は後日「鏡で見てみたけど、グロすぎてショックだった。
男の一物のほうがきれいだわ」と言った。

5.名前や見た目の性別
 昔のある日、銭湯の脱衣場に張ってある指名手配が
自分と同姓同名のいかにも悪そうなおっさんで、
女の偽名を使っていると当時は思い込んでいた。
近所のおばさんの名前のことを女の名前だと信じていて、
いい歳になってから男に同じ名前が多いことに気付いた。
男女両方に使われる名前は存在する。
ただし、読みが違うこともある。
近所のおばさんの場合は読み方も男と同じだった。
私の名前は祖父が考えたのだそうだ。
祖父は男を期待していて男の名前のつもりだったらしい。
女が生まれてきたので読み方だけ女になったんだろう。
ところが、私と同じ読みでも男がいることを最近知った。
女らしくするのが夢だった私の気持ちなど関係なく、
男のような育てられ方をしたというより、
本当の男でなくて残念みたいな親の態度があった。
しかしさいわい、私はそれで悩まなかった。
 幼い時、女の子らしい服を着せてもらえず、
飛行機の模型を持っていて男子と間違われたが、
その当時まだ、間違われたことがわかる程度だった。
 小学校で運動会の練習中だったか終了後か忘れたが、
他に誰もいない広場に私を含めて
三人の女子が雑談していた時、
一人が私の姿を指して「勇ましい」と言った。
褒めたつもりだったかもしれないが、
私はその言葉に恥ずかしさを覚えた。
私にとってその言葉は「男らしい」に等しかった。
 大学生の時、コンビニの前で
集まっていた不良少年グループに
一瞬、仲間だと間違われた時は、
間違われても仕方のなかった自分の格好に
気付いてショックを覚えた。
 未婚の時、知人が私のことを
男性でも女性でもない中性だと言った。
 結婚後、アロハシャツを着ていると
「どこのおっさんかと思った」と言われた。
その時、アロハシャツがそもそも
男の服だと初めて知った。
 顔で性別を判別する機械に顔を映してみたら
男と判定されてしまった。
遺伝的にも肉体的にも女だし
当然女らしい化粧していたのに。
いったい何なんだ…
 ここ数年の間に三度も同じ内容の記事を読んだ。
男は薬指が長く、女は短いというのだ。
しかし、私の薬指は明らかに長い。
しかも、夫の薬指は短い。
いくらホルモンを根拠にされても
事実と違うものは正しくない。
 ついでの話、
結婚式でかぶった日本髪のかつらが
似合いすぎて、その時だけは面白かった。

6.私はヘンタイ
 私は幼時から自分の陰部が他人とは違うと思っていて、
他人のは自分のようにグロテスクではないと思っていた。
しかし本当にそうなのか他人のを見て
自分で確認したいと思っていたから、
チャンスがあればのぞき見したかった。
そういうチャンスは用を足す時か
他はせいぜい風呂くらいで、
そう滅多にあるわけがない。
しかし、最初のチャンスは野外だった。
子供会の遠足にでも行った日、
長時間トイレに行く機会がないことがあって、
同じグループの女子たちが我慢できなくなって、
野原の真ん中でしゃがんで小便し始めた。
私も我慢できなかったが、
尿が顔にかかるのを覚悟の上で
真っ先に済ませて他人の陰部をのぞきに行った。
彼女たちは私の行動に大騒ぎしたものの
終わるまでじっとしていて逃げなかった。
それ以来私は当然「ヘンタイ」ということになった。
そこで私が見たものは自分のようなグロテスクではない、
毛も生えていないツルツルしたきれいな肌だった。
その時から私は自分を「穢れた者」と思い込んだ。
 二度目以降のチャンスは多数あった。
就職して女子寮に入居して風呂が共同だったから。
風呂には鏡が多数あった。
自分の前の鏡を見ているだけで
他人の陰部が偶然映ることがある。
しかし、当時の私はそんなことに
ほとんど興味も関心もなかった。
それでもある日ついに偶然、
目の前の鏡に他人の陰部が映っているのを見た。
その時も、映っていたのは私より
ずっときれいなものだった。
そして、思っていた通りのものを見たことなど
わざわざ特別な記憶になることもなかった。
 中学か高校の時クラスの女子だけが集まって
性感の話になったことがあって、
その場で主役のような話し手になっていたのは、
オナニーも知らないから当然
アクメも経験したことない子で、
無知や未経験を恥じるような雰囲気はどこにもなかった。
恥ずかしいのはむしろ成熟している人のほうで、
そういう人たちは黙って
無知で未熟な少女の話を聞いていた…
と私は長年思い込んでいた。
 会社に就職していい歳になってから初めて、
卑猥なことも好きそうな知人に性感のことを話した時、
その女性は知識だけ持っていたものの、
友達と卑猥な遊びをした経験もあるのに
「アクメがどういう感じかわからない」と言った。
私の感覚や性器の変化は本に書いてある通りだったが、
彼女は本に書いてあるような感覚や変化は
一度も経験ないらしい。もしかして女というものは、
正直に話すのが恥ずかしいから
未経験のふりをするのだろうか?
あるいは、本に書いてあることが実は
ある狭い世界の人たちが信じているだけの理想のことで
本当はむしろ異常なケースかもしれない。
少なくとも私の周囲にいた女性たちは
そういうふうにしか見えなかった。
 昔からいろんなメディアに登場するような女性たちを
私は自分で見たことも聞いたこともないので、
ヤラセや芝居に過ぎないかもしれないと思う。
だからやはり、私は変態なのか…

 「興味本位で見ないでほしい」と書かれた
不道徳なウェブサイトを興味本位で閲覧していると、
エロい画像が上下左右にわんさかあって、
読んでいる内容がつまらないので
それらの画像を見つめていると、
何もせずにアクメに達してしまった。
前回いつオナニーしたか
完全に忘れるほど性欲がなかったはずが。
そういうことを他人に話すと心が男だと言われるが、
そういう人は無知だと思うし、
自分の感覚では心身ともに女だ。

 狂っているとか間違っていると誰に言われようが
私はこう信じている。
男が男に惚れるのは自然なことだし、
女が女の裸体に性的快感を覚えるのも自然なことだ。

7.チャットのパスワード
 チャットで実験的グループカウンセリングに参加したことがあった。
その時メールでパスワードを知らされていたことに気付かず、
何も入れずにエンターを押すとはじかれたので、
Luciferと入れてみたらなぜか通ってしまった。
 そのチャットは予定が決まっているから
なかなか得難い自分の時間を確保して
準備を整えても家族が邪魔するので困って面倒になって、
とうとう家族の嫌がらせに負けて
グループから退会することで抜けた。
その後チャット自体が解散になったという話を参加者から聞いた。

8.一年ハンドル
 昔、インターネット上で数年だけ仲良くなった人がいて、
その人は年に一度だけハンドルを更新することに決めていた。
ハンドルを更新したことで誰かわからなくなれば
付き合いも終わりだけど、
その人はそのほうがよかったのかもしれない。
当時の私は、どこでもいつまでも唯一のハンドルを
使い続けることにあこがれていた。
数年間の努力の末、
どこでも完全に固定ハンドルになった。
昔の私は思いつくだけ多数のハンドルを作って使って、
目的などによって上手に使い分けていたわけではなく、
今から思えばめちゃくちゃな使い方で混乱していて、
それはまるで酔っ払いが「自分は酔ってなんかいない」と
断定するのと同じように、
かろうじて忘れない程度に管理できていたから
混乱していないつもりだった。
そして、今になって一年間だけ一つのハンドルを
使い通すやり方を賢いと思った。

9.貧乏アパート
 昔から引っ越しだらけだった。
赤ん坊の時に二度引っ越したらしい。
自分の記憶として覚えているのは幼稚園児の時に住んでいた長屋。
しかしそこでは小学一年生までで、
次の家は高層マンションだった。そのマンションは十六年住み続け、
就職とともに寮に移って、その寮も一度引っ越した。
結婚して社宅になって、社宅も一度引っ越した。
そして、その社宅からようやく買った家に移ることになった。
社宅といっても生活保護レベルの貧乏アパートだ。
つい最近までそれが並だと思い込んでいた。
最近の新築ブームに流されてモデルハウスを見に行くようになって、
今住んでいる家の欠点の多さに愕然として、
我慢しなければならないものに変わり、その我慢も嫌になった。
 まず、風呂を掃除すると玄関が床下浸水する。
掃除の水が壊れた壁を通るからだ。
風呂の構造がカビが棲みやすい形で掃除もしにくい。
天井に部屋を貫く大きなひびが入っている。
一見何もないところから雨漏りする。
トイレの雨漏りが上階からの水漏れだったりする。
私は長年、家の雨漏りが当たり前の感覚だった。
直接の上下はもちろん、
斜め上下および左右の部屋の騒音がすべて響く。
ベランダと室内の段差がすごすぎる。
たぶんこれで脚が曲がった。
アパート全体が突然、断水することが何度もある。
しかも、共用の水道が「不要」として止められた。
ちょっとした気温差で窓が結露する。
雨が続くと畳が濡れてきたり、
冷蔵庫が斜めに立つほど床が傾いていたこともある。
その傾きのせいで洗濯機がエラーで止まったりする。
もうすぐ新築に引っ越すからいいけど、
こんな家は二度と嫌だ。

10.新築マンション
 引っ越し前日天気が荒れて、
せっかく掃除したベランダがあっという間にドロドロに。
しかも案の定、雨漏りと床下浸水。
引っ越し屋が予定より早く荷造りに来たので、
自分の掃除道具はすでにダンボールの中。
これ以上の掃除はもうあきらめた、大変だし。
翌早朝も引っ越し屋が来てあっという間に
荷物を積み終わって出発した。
我らは自分で運びたい物が多かったので
レンタカーに積んでカーナビで目的地まで
ルートをひいて嬉々として首都高に入ると、
ぎっしり渋滞。
移動距離はたったの十数キロで所要時間20分の予定だった。
だから渋滞を甘く見て我慢したが予定の三倍ほど時間を要し、
新居で引っ越し屋が待ちくたびれていた。さすが貨物のプロ。
どの道を通ったのか夫が聞いたら、一般道だったらしい。
 ついに引っ越した。今度は新築マンション。
まず毎日くたびれていたベランダの段差が無い。
厳密には少しだけ段差あるが、
脚を直角に曲げる必要なんかどこにもない。
玄関が広いので、靴を踏まれる心配もなくなった。
トイレも浴室も、浴槽も広い。
カビ防止の内装工事もしてもらったから
毎日掃除に明け暮れる予定なし。
洗面所があるので前のように歯磨きや洗顔で
一々浴室に入る必要ないし、
洗面所との段差はわずかで床も冷たくない。
入浴以外で浴室に入る時、一々防水スリッパに替える必要も
段差きつくて冷蔵庫のような浴室内に
「わざわざ」足を踏み入れる必要もない。
前の家は洗面所が存在しなかった。
それなのに全体の面積は前の家よりなぜか狭いのだ。
実際の面積より狭く感じる危険なベランダとは違い、
日当たり良い上に強風の影響が少ない構造だ。
当然だけど雨漏りや床下浸水なんかない。
バルコニーの掃除で雑巾バケツの水を流す時、
排水の完璧さに驚いた。もしかして、これが普通?
そして、前の家から持ってきた物の古さや汚れが目立つ。
家には関係ないけど洗濯機を買い替えたが、
前の洗濯機のことを「あんなポンコツよく我慢して
使っていたな」と思った。それはコジマで買った。
服なんかも、洗濯して再び着る気のしないほど
ヨレヨレだったのに気付いて、何着か一度着てから捨てた。
前の家から持ってきたゴミのような服を着て
出入りしていたら不審者と間違われそうだし、
近くにある洋服屋の前を何度も通るうちに、
体に合うまともな服を作ってもらいたくなった。
 まだ他にもある。まず、家鳴りがないのだった。
夫も「変な音がしなくなった」と喜んでいた。
外の環境は前よりはるかに騒音だらけなのに、
窓を閉めると音は格段に小さくなる。
前は静かな住宅街だったのに、内外問わず
些細な騒音まで全部響いていた。
昔からうるさい環境に住み慣れていたけれども、
騒音が小さいのはやはり心地よい。
 そして、ゴミ出しルールが厳しくない。
分別は必要だけど全部の種類のゴミを何時出してもよい。
前の家では当日回収される種類のゴミだけを、
午前八時直前に出さなければならないルールだった。
前夜とか未明に出してはいけなかった。
それでも毎度カラスに荒らされて散乱するので
掃除しなければならなかったが、
今の集積場は建物内部なのでカラスに荒らされない。
普段の掃除もしなくてよくなった。
 最後に借家と決定的に違うのは、
室内を自分好みに改装できることだ。

11.嫌な虫
 小さい白菜を買って家で切っていると、
一ミリにも満たない粉みたいに微細な黒い虫が多数、
まな板の上に出てきて動いていた。
何度も洗ってどうにか片付けたが疲れた。
しかし、この虫はド近眼でなければ見えそうもない大きさだ。
昔、女子寮で白菜のみそ汁を飲んでいると
微細な芋虫が入っていたが、
芋虫だけ除けて飲み干したのを思い出した。
 昔、イチジクを食っていると酸味があるので、
変に思ってかじった個所を見ると、
微細な蛆虫がうごめいていた。
最初は一匹しか見えなかったがしばらく見つめていると、
あちこちに多数の蛆虫がゆっくり動いているのに気付いた。
その時はさすがに捨てたが、
すでに何匹か胃の中に違いなかったと思う。
しかも吐き気がせず、わざわざ吐くのも面倒だし
そのまま不安な時を過ごした。
 蛆虫はイチジクだけではなかった。
国産ブルーベリーの中にもいた。
味の違いははっきりしないが、
虫入りのほうが酸味が強い感じがした。
もちろん普段こんなことをしないが、
当時ふと気になって小さい実を
わざわざ半分に切って見つめて気付いてしまった。
 栗の中にもいた。
キャンプ場に生えていた栗の木から
落ちてくるのをゆでて食った時だ。
これは半分に切ってから食ったので
芋虫の存在に気付いたけど、
当時の晩飯がその栗しかなかったので、
芋虫だけ取り除いて全部食った。
この芋虫は注意すれば見える程度の大きさだった。
 ブロッコリーに小指ほどの大きさの芋虫が
数匹巣食っていたのには参った。
最初、一匹だけブロッコリーから出て
冷蔵庫の中を這い回っていて、
殺すのも嫌だからそれだけ容器に隔離していた。
他の数匹をどうしたのかはもう記憶がない。
その当時から一年間ほどブロッコリーを買う気を失っていた。
ただし、ブロッコリーの芋虫はそれが初めてではない。
子供の時、スーパーに食料を買いに行って
ブロッコリーが一つだけ売れ残っているのを見つめていると、
大きな青虫がくっついておりブロッコリーの色にそっくりだった。

12.家鳴り
 最近、床暖房のスイッチが自動でオン・オフする音に、
夫が神経質になって「家鳴り」だと騒いでいたが、
私は新居に家鳴りがなくてよかったと思いつつ、
家で一人の時「そういえば悪霊はもう来ないか」と思った日、
部屋の中にもう一人いないと鳴らないような音が頻発した。
しかも、洗面所にいる時、不気味な気配や視線を感じた。
今の楽天的な私は嫌ではないけど、それに触れる別の私は、
あんな恐ろしい魔物に二度と遭遇したくない。
 録音すればきっと「あり得ない」音だ。
最初「ドン!」という音で始まった。
玄関ドアにでもぶつかったような感じ。
そして部屋のドアを開けるかのような音。
以前のように部屋のドアが物理的にも開閉することはなかった。
次に、私のそばで物をあちこち触るような音。
その間、私はじっとしていた。家がまったく違うのに、
音が以前と似ていて聞き慣れた感じもする。
 昔、女子寮で私の部屋に遊びに来た人が、
異様な家鳴りに怖がって誰も部屋に来なくなった。
事前に家鳴りのことを話したわけでもなかった。
その女子寮は新築で、他の人の部屋は
こんな変な音一つも鳴らないと言われた。
 しかし、なんとかしたいともしようとも思わない。

13.シャワートイレ
 引っ越してから約二十年ぶりに陰部を洗えるトイレになった。
最初は親と同居していた昔、トイレに同じ設備があったけど、
当時の私は水が飛び散るのが嫌であまり使わなかった。
その後転居した女子寮にそんな設備はなくて、
次に住んだ社宅もなかった。
女子寮は新築だったけど社宅の設備は古すぎて最悪で、
トイレそのものが汚物みたいにドロドロだし、
足腰にきつい和式だった。
若い時は体力があって平気だったけど、
歳とともにだんだんつらくなってきた。
しかも、大便が陰毛にからまってなかなか取れない。
しかし今月からシャワートイレになって、
気が進まないながら使ってみることにすると、
毎度きれいに洗えているようで、
陰部を何度もふいてペーパーを浪費することもなくなった。
だから、ふきすぎて肌荒れしたり切れたりしなくなり
ボラギノールのお世話になることもなくなった。
以前はどうでもよい些細なことだと思っていたが、
そのストレスがなくなって楽になった時、
長い間よく我慢していたものだと思った。

14.都会の空気
 年が明けてようやく自分の感覚異常ではないと思ったのは、
下水の臭い。
現住所は東京湾と河口に挟まれた標高ゼロメートル地帯。
初めて訪れた時「なんて住みやすい街!」だったのが、
もともと都会育ちですぐに慣れて
もう嫌なところが気になってきた。
車を手放してますますどこへ行くのも徒歩ばかりになったが、
緑道が整備されていてそれに不満はない。
しかし、外を歩いても部屋の中にいても寝ても覚めても、
ある一定の同じ異臭がある。
近所の川を渡る時、その川が発している臭いと同じだ。
その水は透明度ゼロの毒々しい廃液みたいな感じた。
その臭いは晴れるとあまり感じないが、
天気が悪くなるとどこにいても感じる。
小笠原に行ってから東京湾に帰ってくる時わかるが、
海や川がものすごく汚れている。
親の毒から逃げられても、汚染水の毒で最後は死ぬのだろう。

15.床暖房
 新居で初めて床暖房になった。
しかし、期待したほど暖かくないし役に立たない。
足が冷えてたまらないので靴下を何重も履くため、
靴下の厚みが断熱になってしまう。
並べた座布団の上に横になる習慣があるが、
温まるのは座布団の裏側であって私の体ではない。
これも座布団が断熱になってしまう。
だからといって靴下を脱ぐと、
床暖房の入っていない箇所に移動した時足が冷え切ってしまうし、
座布団なしで床に直接横になるのは痛い。
夜寝る時は座布団よりも厚い布団の裏側だけ温めても意味ないし、
節電のためにも床暖房はオフにする。

16.銭湯
 厳しい冬の寒さで冷え切った体を温めに
銭湯に行くことにした。
銭湯に行く時いつも私は大荷物を抱えて行くのだけど、
夫の荷物は洗面器の中に石鹸とタオルだけ。
「着替えは要らないの?」と聞くと、
帰宅してから着替えるか、家で着替えてから行くという。
私の大荷物の中身はまず小銭、石鹸、フェイスタオル、
バスタオル、着替え、メイク落とし、洗顔フォーム、
シャンプー、コンディショナー、トリートメント、
ヘアバンド、ヘアピン、ヘアブラシ、無駄毛そり、
他にまだあったかもしれない。
荷物が多すぎて毎度必ず一つ二つ
持って行くのを忘れる。今回はバスタオルを忘れた。
タオル類は銭湯で売っているので買えばいいだろうけど、
一々買って余計な物が家に溜まって
収納できなくなるので、買わずに済ませた。
それで、かさばるバスタオルは要らないと思った。
着替えも次から下着だけにしようと思う。
旅行になると化粧品や持病の薬が加わり、
夫と比べた荷物量の差はもっと大きい。

17.悪循環
 風邪をひいて発熱してきたので病院に行ったら、
インフルエンザの検査をされて陰性だった。
休日診療所では一日分しか薬をもらえないけど、
それを飲み終わるころ回復してきた。
他人から見ても自分でも病弱なつもりが案外いつも丈夫だ。
ただし、血液検査でアレルギー体質なのは確かで、
風邪をひくとそれが悪化する。
それで、咳や痰や鼻水がいつまでも出続ける。
しかも、熱が下がった後で声がつぶれるので、
外見上いかにもウイルス源だから、
スポーツ施設や整体院に行けば迷惑がられるだろうし、
寒空の下でジョギングするのも風邪をぶり返しそうで、
運動といえばせいぜい体操と掃除くらいなもので、
頑固な凝りが全身に広がって便秘も悪化。
運動不足は花粉症などアレルギーを
悪化させるのも最近わかってきたが、
花粉症だから外へ出るのはダメなんて言っていると
確実に運動不足になる。

18.節電できない
 無計画停電で騒いでいた時期、
自分の地域が対象外かどうかに関わらず、
節電の必要性を感じてあせっていた。
しかし、夫は節電の必要まったく無いという。
私らの場合、電力消費が多いのは冬であって、
世間で電力不足が問題になるらしい夏は
エアコンを滅多に使わないし、
日当たり良くて夜更かしもしないから照明もあまり使わない。
一日のうちでは昼間の電力不足が問題らしいけど、
私らは冬でも昼間はエアコンも滅多に使わない。
キッチンで電力を使うのは早朝と夕方だけで、
その時間帯の電力不足は問題にされていない。
だから世間のため家で節電する意味は無いのだ。
 しかし困ったことに、
毎月の電気料金が一世帯平均の約二倍もある。
同じマンションの他の住民の
電気メーターをこっそりのぞいたら、
自分の部屋は約二倍速く回っている。
万が一、夫が電源をこまめに切ってくれたとしても、
私は冷え症というより、低体温に欠かせない電力を
ケチるのはつらい。頻繁にわざわざ温めなければ
壊死しそうなほど足が冷える。

19.爆発の光景
 戦争より酷いみたいだ、地震と津波。
三十年ほど前、この津波の風景を夢で見たことを思い出した。
夢の中で自分は鉄筋コンクリートのビルの最上階から
遠くの海岸を眺めていると、
海岸の町が汚い海水に呑まれていき、
自分のいる最上階まで汚水が迫り屋上に逃げる時、
間に合わなくて水没する瞬間に目が覚めた。
目が覚めた直後、自分が「現実」だと信じているこの時空が実は、
夢の中からすれば「あの世」なのかと一瞬思った。
なぜなら夢から覚める人は、夢の中にいる周囲の人たちにとって
突然意識を失ったり死んでしまうのだそうだ。
 いや、そんなことを書こうとしたのではない。
暇ができてふとテレビの電源を入れた時、
目に入ってきたのは発電所の爆発だった。
その爆発が、何年か前に自宅周辺で見たことがある
「不燃ゴミ爆発」とそっくりなことに苦笑した。
しかも、爆発の光景に愉快を感じる。
津波を含め、いろんなものが一気に壊されてしまう出来事に
自分が救われる感じを覚える。
その理由は無意識ではわかっているが言葉では説明できない。
 そして、自分のような無価値な人間ほど
災害に遭わず計画停電も対象外な事実に、
「やはりこの世界はすべてが間違っている」と感じる。
しかもそれで片付ける気はしないので、
「すべてが間違っている世界」をわざわざ作りたい
神の意思みたいなのがあるかと思ったりする。
 手に入らなかったのは灯油だけ。ただし、
石油ストーブ禁止のマンションだから被害としてはゼロ。
もともと小食で米はまだ欠乏していないし、
牛乳も滅多に要らないからどうでもよいが、
放射能騒ぎのせいか青菜類や牛乳が昨日まで
空っぽだったスーパーの売り場に溜まってきた。
昔よく食っていたカップ麺は持病に悪いので無いほうがよい。
 そんなことより苦しいのは何をしても改善しない体調。
生きる限り苦しみ続けねばならない感じで、
無理解な家族は冷たい。昨夜、
体の中心が気持ち悪い不快感で入浴も大変だった。
さいわい一晩で通常近くまで回復したけど。
明日は入浴や体操よりキツイ掃除の予定。
私はこの世を卒業するには
まだ苦しまなければならない課題が残っているのだろう。

20.買占め犯
 テレビの情報を信じるのはよくないと思うが、
今回の震災で「食料や日用品を買い占めていた犯人が
専業主婦だ」みたいなことを放送していた。
当然だろうが賞味期限内に食べきれないので、
巨大な冷蔵庫にも入りきらず腐って大量の生ゴミに。
日用品は収納に入りきらずゴミ屋敷状態らしい。
私は以前、台風や花粉が大量に飛ぶ強風の前日に
少し買いだめしていたことがあって、
結局ほとんど余計な物になって後悔していたし、
地震の場合は予知こそ意味あっても
後の備蓄にあまり意味はないと思うので、
冷蔵庫の中は今でも寂しい。
最初、いったい誰が買い占めているのかと不思議に思い、
少し考えて、「今後店頭に並ぶことはない」と騙して
高価で売る悪質業者の仕業かと想像していた。
おかげで私は震災ダイエットになってしまったわけでもないけど。
 ところで、昔から時々こんなことを考えていた。
地震や津波に壊されない乗り物を家にすればよいのに。
たとえば、津波の来ない地域では
キャンピングカーやトレーラーハウス。
津波の来る地域は船がそのまま家になる。
台風から逃げられなくて車や船が壊れても
すぐ作り直したり買い替える余裕を持つのは可能だと思うし、
台風は予測できるから対処できないこともない。
固定された家だけしか持っていないのは危ない。

21.便秘の恐怖
 最近の数日何をしても便が出ないだけでなく、
破裂するのではないかと不安になるほど腹が張って、
まず近所の診療所に行ったところ、
そこでは手に負えないみたいな説明と
大学病院宛の紹介状をもらった。
客観的にかなり危ない状態だろうけど、
命の危険に慣れ過ぎて面倒くさく感じていた。
しかし、翌日さすがに息をするのも苦しくなり、
連休に突入していたので救急病院に行ったが、
発熱してないし肛門に異常なく直腸も空っぽだった。
それでも効きそうもない見慣れた下剤をもらったが
指示通り飲んだら翌朝のトイレでちょびっとだけ出た。
しかし、ほとんど何も出ていないはずなのに
腹がしぼんできて翌日、嘘のように元に戻った。
 膨れた腹を見られていなければ
今まで通り誰にも心配されないままだろう。
ただし、今度だけなぜか夫が私の腹を見て初めて心配した。

22.不気味な羽毛布団
 紹介状をもらった大学病院に行った。
引っ越しが多すぎて毎度調べないとわからない
慣れない路線のバスに乗って地図を頼りに
慣れない繁華街で病院の玄関を見つけて、
まだ覚えていない自分の住所や電話番号を書いて受付に出した。
連休明けの初日で予想通りの混雑らしいことが
周囲の人たちの雑談から知った。
今まで通った病院のパターンからすれば、
もしかして夕方まで待たされるかもしれないと思って
待ちくたびれて居眠りする前に放送で名前を呼ばれて、
言われた番号の診察室にすっ飛んで行った。
さいわい期待通りの診察と検査があって
自分の腹のレントゲンを見た時、「あれ?きれいな形だ」と感じた。
外見に反して骨や内臓がきれいなのは悔しいけど。
その日の検査を含めて会計も早く終わってしまった。
しかし、病院を出て帰り道がわからなくなって
帰れる路線のバス停を捜すのに時間がかかり、
腹が減ってどこで何を食うか悩んで
結局弁当を買って自宅に戻った時まだ正午直前だった。
 そして、それとは関係ないが実はここからタイトルの話。
その翌日、クリーニングに出そうとして
羽毛布団のカバーをはずすと、
ふわふわした無数の羽毛が部屋中に散らばり、
重くてでかいダイソンの古い掃除機で吸っても吸っても
次々発生し二進も三進もいかなくなった。
最初その原因を、羽毛が針のように細くなって
縫い目から出てくるものと思ってあきらめていたが、
布団自体があちこち破けていたことにその時初めて気付いた。
その布団は数千円の破格で買った不良品だったのだ。
破けた布団の中身がどんどん出てくるのは当然だ。
買った当時からそんな状態で、
そんなことに今まで気付かなかったなんて
昔からボケていたのだろう。

23.検査またも異常なし
 テレビで見た便秘対策で食ったコンニャクが
腸に詰まって腹が膨れて服もきつくなって、
三件目の病院でやっと検査してくれることになった。
しかしその検査、前日から徐々に断食して当日、
2リットルの下剤で腹を空っぽにする準備が必要で、
重度の便秘にはとても無理だと思ったけど、
聞いた説明と書類をよく見て指示通りにしたら
なぜか理想的にできた。
検査は多少痛いこともあって苦しいものだった。
できれば二度と受ける必要ないのがよい。
その日の結果としては異常なし。
 昔から少し気になっていたものの、年々口臭が強くなっていた。
最初は歯磨きをきちんとして定期的に
歯医者に行くようになってしばらく改善したが、
それだけでは再び年々口臭が増していった。
それで次に毎日舌苔を取り除くようにして改善したが、
自分で調べて消化管から来る悪臭を整腸剤で改善した。
しかしそれでもまた再び年々悪臭が強くなり、
昔たまに使っていたマウスウォッシュを
毎日使うようにしたが効果は短時間だし
気休めのような感じもした。食生活は当然として、
便秘対策、歯磨き、舌苔、整腸剤、洗口、運動…
これ以上何ができるだろうと悩んでいた。
2リットルの下剤で腸内を洗ったからなのか
検査後その悪臭が激減したことに気付いた。
ただ、予想していたものの
大腸の内壁の色が悪かったことがわかった。
病院では命の安否を問題にするので
「さいわい」と言わねばならない。

24.都心の騒音
 夫が出張中、連日深夜から未明まで続いた
道路工事のすごい音にあきれたが、
大地震後なぜか新たな騒音が激増した。
地震以前は確か、ごくたまにしかなかったのに、
あの日から毎日、本当に毎日、一台どころか何台もつるんで、
緊急車がけたたましいサイレンとスピーカーの声を伴い
自宅前の道路を何度も走るようになった。
しかもそれだけではなく、ベランダから交番が見えるのだけど、
その中に大勢のお巡りさんがぎっしり詰まっているのを、
その交番に届ける物があった時に目撃した。
最近のある夜、聞いたことのない不気味な音が鳴った。
それは「ズザー、ぞわぞわぞわ…」というか
何とも言いようのない音で、ベランダに出て確認すると、
交番に詰まっていたお巡りさんが大勢出てきて、
道路に散乱した多数の何かを拾っていた。
 ところで、地震というのは強さだけでなく種類もあるようで、
今度の地震は経験したことない不気味さがある。
いくら幻覚だとしても本当は常に揺れている気がしてならない。
日本列島が乗っているプレートが海にぷかぷか浮いている感覚。
それに、「地震!震度×!(秒読み)、身の安全を確保してください。」
という男の声が鳴る地震警報機があって、
誤報もあって不安定な物体さえ微動だにしないことが多かった。
地震そのものよりも警報のストレスのほうが多かった。
しかし、度重なる余震で初めて何かが壊れたり、
じっと見つめて初めてすでに壊れていたことに気付くことがあり、
その時だけ地震の怖さを感じる。
しかも、壊れた箇所の調査が最初の地震間もなくだったりして、
長く続く余震以降に壊れた部分は無視される不安もある。

25.カメラの品質
 オーブの正体を調べるとアホなことに気付いた。
それは、カメラ(というよりレンズかも)の質が悪いとわかるもので、
わざとオーブを撮る方法を思いついた。

1.手前が明るく背景が暗い場所を作る。
2.座布団やぬいぐるみを叩いてホコリを発生させるか、
  霧吹きやスプレーなどで何らかの微粒子をまき散らす。
3.上記の環境の中にカメラを置いて背景を撮影する。

高品質カメラではオーブが写り難いが、
粗悪カメラほど多数のオーブが写る。
自分のカメラでオーブが写ったことは一度しかない。
そのカメラを今は持ってないが、
今から思えば画質最悪だった。

26.幻聴、不調
 昼食後、変な姿勢で三十分ほど横になって
好きな音楽を聴きながらうたた寝していた。
最後の曲が鳴っていた時、「三年以内に殺す」
という日本語の歌詞が…
その曲そもそも全部英語だからあり得ないが、
ボーカルが確かにそうつぶやいたように聞こえた。
幻聴に決まっているのはわかっていても、
その声の違和感でびっくりして目が覚めた。
しかし、なんで三年以内なんだ?
 エアコンと電気ストーブだけでは寒くて、
灯油を買いに行って石油ストーブで焚いたら、
不完全燃焼でちっとも温まらず、
酸欠を疑って換気してから焚いても、
再び不完全燃焼で部屋に臭いガスが充満した。
取説を読んで原因を考えていると、
灯油がしみ込んでいなかったかもしれず、
半日ほど待ってやっと正常に燃焼した。
ガスの臭いが鼻の中にいつまでも残るし、
室温の低さで体が冷え切ってしまい、
熱めの湯で入浴すると心臓がおかしくなった。
三年以内どころか三分後に死ぬかと思った。

27.視野と視力
 外出に花粉症用メガネをかけて行った。
でもそのメガネに度が入ってない。
ド近眼だから景色がよく見えない。
しかも、頭が寒いから帽子とスカーフで左右もよく見えない。
それにマスクが加わるからメガネが曇ってほとんど何も見えない。
そんな状態でも平気で歩けるのって…
子供の時からド近眼だったけど、
ドケチな母がメガネを買ってくれなくて
見えないままずっと生活していた。
だから、見えないのに慣れている。そりゃ危険かも。
 それでテレビや映画をあまり見ない理由に気付いた。
はっきり見えないからだった。
テレビも映画も画面が遠いから近眼には不向きだ。
ただし、パソコンなら近くだから見える。
もちろん、度入りメガネをかけての話だ。

28.心ここに有らず
 ヨガ教室で先生がたまに
「たとえば今晩の飯のことを考えてはいけませんよ、
見つめている一点に意識を集中してください。」などと言う。
私はそれに従って一点に集中しようとすればするほど、
体がぐらぐら揺れてバランスを失ってしまう。
ある日、先生が何も言わない時、
私の頭の中は晩飯のことで一杯だった。
しかし、そんな時に限って体が安定してバランスを保ち続け、
外見上いかにも集中できている感じになる。
 それとは別に、今年になって始めたジョギング中、
どこまで走り続けるのが適切か
自分の体を意識すればするほどわからなくなる。
ある日、走りながら晩飯のことで頭が一杯になり
意識が完全に飯のことに集中していた時、
完全にマイペースで安定して走っていたことに気付いた。
 歯医者に診てもらう時もそうだ。
口をじっと開け続けることを意識するほど
緊張で疲れるし、安定して開けていられなくなって
衛生士に迷惑をかけてしまう。
しかし、ふとしたことから晩飯のことを考え始めて
それで頭がいっぱいになってくると、
いつまでも安定して口を開けていられる。
 まだあった、楽器演奏もそうだ。
楽譜や指を意識すればするほど弾けなくなる。
ある程度弾けるようになった時、
まったく関係のないことを考え始めて頭がそれで一杯になった時、
いつの間にかスラスラと弾けていて、後で驚いたことがある。

29.悪霊と地獄
 夫が「君はこんなのが好きだろう」と言って
悪魔に関する本を借りてきて置いてあるので読んでみた。
わけがわからないわけでもないが、
つまらなくてバカバカしくてほとんど頭に入らなかった。
ただし、「殺人」という名の「頭の無い悪霊」の話があって、
それが時々そばに来るのと似ている気がして、
それだけもう少し知りたくなってインターネットで探していたら、
ある霊能者のブログがヒットして読んでいると、
私が日ごろ苦しんでいる症状が
「悪霊に憑依されている証拠」みたいに書かれていて、
しかも、私のような性格の人間は地獄に落ちると書かれていた。
落ち込むのも慣れているのであまりショックではなかったが、
それが自分にとって自然なことだろうと思った。

30.違和感と不快感
 母に対する違和感の原因は解明できたが、
最近どうにもならない不快感が気になり始めた。
母に関しては何かが確かに間違っている感覚であり、
実際に間違っていたわけだ。
しかし、不快感のほうは自分の内部から来ている。
誰かに呪われていて、人間として生きるために
欠かせない重要な何かを失っているような感覚。
変な言い方をすれば生きた心地がしない。
魂が先に死んで肉体だけ生きている感じ。
多くの人たちが感動したり喜んだり楽しんだり怖がったり悲しんだり
嫌がることを体験しても、まったく何も感じない。
感動しない、嬉しくない、楽しくない、怖くない、悲しくない、嫌じゃない。
まるで死人と同じではないか、
あるいは人間そっくりに作られたロボットはこういう感じではないか。
ただし、美や魅力は少しだけ感じる。
そして、その弱い感覚を確かに味わおうと努力している。
それでも不快感のほうが勝っている。不快感は怒りもある。
その怒りは些細なきっかけで封印が解けたかのように噴出する。
不快感は怒りの蓄積が原因かもしれない。
自分が生きていることが無駄に思う。
生きるべき理由も無ければ死ぬべき理由もないから
惰性で生きているだけ。生きる理由が惰性だけ。
しかも、このようなことを聞いた相手が
私のことを「苦しんでいる」と勘違いしたり
心配したり大きなお世話をしてくれたりして、
その内容が不要どころか不適切すぎて当惑する。
私が苦しみを感じていたのは、
いろんな感情を失う前の過去のことだ。
 時々噴出する怒りと、じわじわと増す不快感だけ確かに感じる。
これもいずれ終わる時が来るだろうけど。

31.金縛りの原因
 ついに解明した、金縛りの原因。
それは心臓の先天的異常。
生まれた直後、私の心臓は肥大していたらしい。
それが聞き間違いでなさそうなのは生まれつき胸が苦しかったのと、
頭に血が充分届いていないようで顔色が悪い。
数値にできる証拠は低血圧だけ。
しかも、その低血圧は昼間は正常範囲に上がってしまう。
だからこそ今まで生きていられたのだけど、
睡眠中に極度の低血圧になって脳や心臓が冷えて弱る。
健康診断でたった一度だけその低血圧が測定されたことがあり、
血圧計が壊れていると勘違いされて何度も測り直し、
「あり得ない、生きているのが不思議な値」と言われた。
その時、体がだるくて眠かったが、
そういう状態が普通なので気にしていなかった。
 そんなことはどうでもよい、
それが金縛りの原因になる理由だった。
睡眠中、極度の低血圧で内臓が機能しなくなって
突然死の危険が迫る状態になる。
それで体が死への準備を始めてしまい、幽体離脱する。
私の場合、金縛りと幽体離脱はたいていセットで、
命を落とす恐怖も付きまとい、
この恐怖だけは克服できなかった。
これ以外の何に対しても恐怖を感じないように
コントロールできるからだ。
私は怖がりなんかじゃなかった。
むしろ、他のものに恐怖を感じないのがつまらなくて
怖い物ばかり求めてきた。
本当に命を落とす以外の恐怖は愉快なものだ。
だから変だと思ったのだ。
変だと気付くのは遅すぎたかもしれない、
血の足りない脳は当然鈍いから無理もないが。
もちろん他の人に同じことは言えないだろう。
睡眠障害だと思い込んでいたのは間違いたった。
確かに睡眠障害でなる場合もあったが、その時は恐怖がない。
体が動かないだけのことで怖いわけがないのだった。
 短命が嫌なら運動不足解消で
延命効果があると考えるようになった。
運動すれば血圧が上がり心臓も鍛えられて
脳の冷えも軽減するからだ。
引っ越し後からぼちぼち始めたジョギングを継続するよう頑張ろう。
今日なんか天気予報で最も寒い日だと騒いでいて、
買い物で一瞬外へ出た時の冷たい空気にたじろいだから、
午後から厚着して覚悟して出るとまた暑かった。
それで汗をかいてかえって冷えたかもしれない。
ただし、風邪で寝込んでいた間だけ
運動不足になったのが悪かったらしく、
また死にそうな金縛りになり、今度は新しい感覚があった。
小さい肉体から大きな幽体が、
邪魔な衣を脱ぐかのようにドワッと出る感じだった。

32.言葉の裏側
 昔から、「誰も知らない」とか「誰も気付かない」と
自分で定義した隠れた真実を知りたいと思っていた。
それが自分の人生の本当の目的、
生きる目的に関係することだった。
それが何か今わかった。
言葉の裏に隠れた真実に気付いて感じることだ。
その前に持っていた疑問は、言葉は偽ったり
嘘をつくための道具だということだった。
そういう使い方もあるだろうが、
真実を正直に表現しようと努めても、
言葉にしたとたん嘘に化けてしまうという悩みもあった。
どういうわけでそうなるのかまではわからないが、
私は言葉に惑わされない必要があった。
当然だろうが言葉は単なる表現手段でしかない。
こんな当たり前の単純なことを私は理解していなかった。

33.キモイ生物
 幼時、飯事遊びでミミズをみじん切りにした私は
おそらく昔から気持ち悪い生物に魅力を感じていた。
ある日、小さな蜘蛛が家の中にいるのに気付いた夫が、
ものすごく嫌がって殺そうとしていたが、私が
「蜘蛛を殺したら祟られて悪夢に襲われる。」と言うと、
彼は殺すのをあきらめた。ただし、道具で捕まえて
窓の外に放り投げた。
しかし、翌日また同じような蜘蛛が同じ場所に表れた。
愉快だった私は「蜘蛛の内臓は脳が最も大きくて、
脚の付け根まで脳みそが詰まっている種類もある。」
とか、「蜘蛛の目は大中小八個そろっている。」と言うと
夫はますます嫌がり、私はますます愉快だった。

34.不味い飯
 豚レバーとさつま芋を煮た飯を食卓に出すと「ウズムシの餌だ」と言われた。
「不味い」と言われたのは頭でわかっていても、
その言葉が面白くて心の中で密かにずっと笑っている。
これからもまた「ウズムシの餌」みたいな飯を作ることになりそう。
実は、昔からずっと美味い飯を作りたいと思っているが、
たぶん才能も努力も足りないから何時まで経っても上達せず、
毎日違うものを作っては失敗している。
だからもう開き直って最初から不味い飯を作ってみようかと思う。
2012/2/15

35.手抜き自炊
 長年の夢だった完全自炊はあきらめて、
惣菜やレトルトや封を開けてそのまますぐ食える物を飯に使うことにしたが、
そういうものはほとんどすべて塩分過剰だ。
「焼いた魚を煮たら美味い」という婆さんの言葉を思い出した時、
惣菜売り場の塩辛い焼き魚を、
適当に切った野菜といっしょに鍋に入れ
汁一杯分の水でゆでて具と汁を別々の皿に盛ると、
一見まともな飯になったし味も悪くなかった。
魚介類が爆発する電子レンジを使わずに温められるし、
再加熱してもよい惣菜ならこれで塩抜きできそうだ。
2012/2/27
Lucy

アホな話

省略。

アホな話

タイトル通り、アホな話です。

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • コメディ
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-07-31

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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