語らい


満月の日でなくても,人の姿に戻れなくなったオオカミ男は,日中はコスプレショップの店頭販売員として,有り余った各衣装の販売促進に勤しみ,コスプレ好きが高じて,そのままの姿で家まで帰るというキャラ設定を駆使し,ひと目で分かるその違和感を抑え,本物のオオカミ男だということを周囲に気付かせることなく,必要な社会生活を行いながら,毎夜ごとに町の端に位置する森へ忍び込み,そこで遠吠えをし,声帯を鍛え上げて,満ちない月を見上げていた。週末に暇であること及び運動不足を解消したい気分であること,という条件の下でオオカミ男に付き合い,森へと散策に出かけることもあった私が,オオカミ男に「それはどういう意味があるの?」と訊いたところ,オオカミ男曰く,「月の満ち欠けに影響を与えることが出来る」らしい。遠吠えの度に耳を塞ぎ,遠吠えが終わると耳から手を離す私が,タイミングを見計らって,天体の運行が月の満ち欠けに及ぼす説明しようとした。それを察知したオオカミ男は,すぐに私に「それは要らない」と言い,胸を大きく膨らませる様子をあえて私に見せつけて,私が耳を塞ぐ時間をくれた。それを認めて,天辺に鼻を突き上げ,オオカミ男はまた遠吠えをあげる。振動を感じる,響き渡っているのを感じる。そこに込められた意味内容はさっぱり理解できない。けれど,細くなった糸の最後の最後まで,捧げるみたいに伸ばしていくその懸命さを見届ける度,私はある種の感動を覚えた。芸術的な光景というよりは,アスリートが見せる勝負に向けた力の尽くし方という感じの,身体を通して感じるもの。耳も尻尾もフサフサの毛並みも,私にはない。内臓関係も同じとは限らない。だから,私の感じるこれは,オオカミ男が私たち人間のように二足歩行をしていることだけを根拠とする,素朴な錯覚なんだろう。この錯覚を,私は好んでいるから,こうしてオオカミ男に付き合う。そして合間合間に,茶々を入れているとしか思えない,理屈っぽい話をする。人の世界と,オオカミ男が生きる世界が同じかどうかを知るためであって,何を知らないのかを知るために(残りはただ,カレをからかうために),私は話をする。
さっき途絶えた月の満ち欠けについては,オオカミ男に見える月は,人に見える様子の月とは違う。オオカミ男に見える月は,人に見える月より一回り,楕円形に膨らんで見えている。満月の時は,その膨らみ過ぎた部分が垂れるように落ちて来て,ここに辿り着く頃には分裂し,それが地上に住む各オオカミ男に向かって来る。引き寄せられるように,とオオカミ男がフサフサで爪が鋭い指と指を素早く移動させて打つからせる。その動きは素早いものだったから,実際,相当な速さなのだろう。避けることは出来ない。なので,オオカミの姿に変身したくないオオカミ男は,月を見ないようにしなくちゃいけない。経験則に基づくと,オオカミ男が月を見るから,あの余った部分が月から垂れることになると知られている。「だから見ない。見なければ,余った部分が垂れて来ないし,垂れたものがこっちに向かって来ることもない。オオカミの姿に変身しなくていい。ただのオオカミ男のままでいられる。そういう理屈だ」。それを聞いて,私には色々と訊きたいことがまた増えたのだが,まず最初に訊いてしまったのが「オオカミの姿に変身したくないオオカミ男もいるんだね」ということだったのは後悔した。それはそうだろう,人だって,走りたくない日だってあるんだろうし,私は大体がそうなのだから。すぐに謝罪を,と思ったところで,オオカミ男が「そうだ」という肯定の返事をした。人の姿の時に着ている服が破れるのもそうだが,変身後は体調が優れない。体力が減ったように感じる。足がもつれやすくなる,などなど,デメリットに感じる面が少なくない,らしい。 もちろん,変身している最中は,底知れない開放感と充実感,そして生まれてきた喜びを全身で感じる。それは代え難い幸せだと思っている。しかし,いつもそういう状態でいる訳にはいかない。満月の度に変身し続けた場合と,そうでない場合とを比較すると,後者の方が寿命に差が表れることも,オオカミ男の間で知られている。体に負担がかかることは明らかだ。だからそれを避ける者が現れても不思議はない。オオカミ男はそう言って,鼻と目と耳をこちらに向けた。私はそれを見つめ返した。まだまだ見慣れないその顔は,私にとっては不思議そのものだ。それを解き明かしたい衝動に駆られて,私は続けて疑問をぶつけていった。
なぜ,見える月の姿が違うのか。眼の構造の違いのせいでないか。変身が解ける時はどんなときか。さっき説明した例の部分が月に回収される。結果,私達は変身が解ける。その,例の部分の成分などは。知りたいが,手段がない。変身しっ放しの今の状態はとても危険なのでは。私もそう思う。が,最も長命の彼に紹介してもらった研究好きのオオカミ男の彼が言うには,変身と,その解除の回数が増えることが寿命を削ることになるのであって,変身しっ放しは少なくとも身体には影響ないだろうとのことだった。ただし,同様の例が少ないために,精神に与える影響に関しては,有意義な助言を得られなかった。解除されるに越したことはない。だから私はこうして,月の満ち欠けを早めようとしている。私に飛び込んで来た例の部分を回収してもらうために。でも,幸せな気分は続いているのでは。確かにそうだが,それも慣れるとそうでもない。人型に戻りたい気持ちが強くなっている,というのが素直な心情だ。飽き性。ではないと思う。一週間続くと食べ飽きる,みたいな。まさにそれだ。人間と一緒だね。我々の間に共通する部分は,むしろそっちの方が多いと感じている。私はその姿が嫌いじゃない。有り難いことだ,感謝する。月が満ちるのは,あとどれくらい。あと二週間はかかるのではないか。何せ,あの大きさを満ちさせるのだ。辛抱強くやっていかなければならない。じゃあ,いいか。何のことだ。そっちからの質問は禁止。筋が通らなくなるでしょ。何の話だ。
こっちの話。
町の真ん中へ帰る途中,オオカミ男は変身しない人のことを羨む言葉を口にした。私はそれを,オオカミ男の揃った牙の隙間から,思わず溢れたグチなのだと思った。カレはオオカミ男で,人間ではないが,こうして共に並んで歩いているからには,励ましの言葉を一つかけるのが人としてすべき事だと感じた。だから私はカレに言った。「人も自分の言葉で変身するよ。それも見た目からは窺えないぐらいの姿に」。オオカミ男は驚いていた。「姿形は変わらない」。そう,と私は頷いた。「オオカミ男も想像できないぐらいにね」。オオカミ男は尚更驚いていた。そう受け取れる表情を,私は首を上げて見ていた。けれど,その目がすぐに優しい感じを取り戻した。そして,オオカミ男が鼻を鳴らした。
「それは怖いな。」
カレがそう言ったのを聞いて,首の位置を元に戻した私が誇らしげに応えた。
「そうでしょ。」
地面に姿を伸ばして歩く,明かりが綺麗に見えていた。

語らい

語らい

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-03-25

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