そばにいる

 好きなひとがいましたが、おととい、わたしはその好きなひとを、からだのなかにとりこむ行為を、しました。つまり、好きなひとをまるごと、わたしのからだのなかに、とりこんだのでした。とりこむ、よりも、まるごとのみこんだ、と言い表した方が、わかりやすいかもしれませんが、ともかくわたしの好きなひとは、わたしのからだのなかに、いなくなったのでした。

 彼のいない、第二音楽室。
 
 わたしは、そういういきものなのでした。ひとを、まるっとのみこんでしまえるような、いきものなのでした。わたしの先祖は、たまごをまるごとのみこんでいたときくので、進化にともないずいぶんと変化したのだな、と思いますが、どちらかといえば本意ではありませんでした。ひとを、まるごとのみこめるということは、ふつうの女子高生にあるまじきことではないでしょうか。わたしは、ふつうの女子高生でありたいのでした。ひとを、からだのなかにとりこむなど、したくないのでした。好きなひとをまるのみして、今度はともだちをまるのみしてしまったら、わたしは、わたしは、わたしは、わたしは、わたしは。
 
 彼がたいせつにしていた、アコースティックギター。
 
 第二音楽室で、わたしは、主人を失ったアコースティックギターの弦を、そっと弾きました。第一音楽室では、吹奏楽部が、ピアノをぽろんぽろんと、トランペットをぷうぷうと、スネアドラムをとむとむと、鳴らしているのでした。
 
 音が、おなかに、ひびくなあ。
 
 わたしのからだのなかの彼が、びっくりしていないでしょうか。わたしはじぶんのおなかを、やさしくさすりました。わたしにとりこまれた、わたしの好きなひとが、おびえていたらいやだな、と思っていました。アコースティックギターの弦は、なれた指ではない指になでられ、不快に感じているようでした。べん、べん、と鳴くギターは、わたしの好きなひとがあつかっていたときのような鳴き声は、あげないのでした。あの気持ちのよさそうな、声。わたしと、わたしのからだのなかの彼と、恋人をなくしたギターだけの、第二音楽室。ひとと楽器でぎゅう詰めの、第一音楽室。ふたつの世界。ふたまたにわれた、わたしの舌を、彼はうつくしいとほめてくれた。
 
 わたしのからだのなかにいる、わたしの好きなひと。
 わたしのからだのなかは、いかがですか。
 
 ふつうは、つまらないよ。彼が言っていましたが、でもわたしは、ふつうの女子高生になりたいのでした。舌がまんなかでわれていようが、ひとを、からだのなかにとりこむいきものであろうが、わたしはふつうを、つくろいたいのでした。とかなんとか言いつつ、恋愛ドラマのありがちな展開にはうげってなるし、似たりよったりな設定と内容のテンプレートみたいな小説にはむむむってなるし、ふつうのものはつまらん、なんて感じるときも、ある。

 わたしのからだのなかであなた、どうかわたしの一部となれ。

そばにいる

そばにいる

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-03-14

CC BY-NC-ND
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