【ららマジ翼SS】温もりは麻薬【中編】

https://slib.net/70119の続きです

遅刻すまねえ……本当にすまねえ……
翼SSと称しながら、今回は菜々美の方が目立ってて本当にすまねえ……
やっぱりメイン来てるキャラは動かしやすいですね。『傷』の内容が分かってるから、公式設定とも食い違いにくいだろうという安心感がある。
イベントドレスに翼が来ましたね。これは絶対取らなきゃ(使命感)

次回更新予定は桃の節句。
pixiv版はこっちよ→http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7876864

 部活を終えた後、僕は菜々美と連れ立ってコンサートホールに向かった。東奏器楽部の定期演奏会にも使っている会場だ。今夜は社会人のアマチュア楽団のコンサートがある。
 途中、菜々美は熱を帯びた口調で、コンサートの楽団について教えてくれた。
「指揮者の方が先生の知り合いなんですけど、プロの楽団を率いていたこともあるっていうスゴイ人なんですよ! 今は一般の人たちの指導をしているそうです。もっとたくさんの人に音楽の楽しさを伝えたいから、って」
 それは立派な人だな――感心しながら聞いていると、菜々美はさらに続けて演奏曲の見所を次々と、熱っぽく語り始めた。
 音楽のことを語っている菜々美の姿は、本当に楽しそうだ。菜々美のはつらつとした笑顔に、僕の胸の中が解きほぐされているような感じがする。菜々美の活力が流れ込んできて、僕まで気分が高揚してくる。
「楽しそうな菜々美を見れただけでも、来てよかったよ」
「チューナー君、本番はまだまだこれからですよ!? でも、こうやってチューナー君と音楽の話ができるのは、とっても楽しいです!」
「音楽は恋人?」
 すると菜々美の口調の歯切れが途端に悪くなった。
「それもそうですけど……チューナー君と話せるから嬉しい、っていうか……」
「……」
 僕の中で何かがクラッと揺れた。僕を見上げながらはにかむ菜々美。このまま放っておくと、本当に菜々美に傾いてしまいそうだ。僕は調子に乗りそうになる自分を必死に押さえつけたのだった。

 アマチュアの楽団という話だったが、その演奏はなかなかのもので、僕も菜々美も完全に聴き入ってしまっていた。指揮者は白いあごひげを蓄えた好々爺だったが、一たび演奏が始まると、鋭利な眼光で絶えず奏者すべての音を把握し、管理し、自在に操っていた。一糸乱れぬハーモニーが聴く者を絶えず圧倒していた。
 コンサート会場を後にしてからも、僕と菜々美は興奮冷めやらぬ状態だった。
「すごかったですねー! ビシッ、バシッと痺れるみたいな演奏!」
「本当にね! 途中から呼吸が止まってた気がするよ」
「分かります、分かります!」
 会場前でそんな具合に盛り上がっていると、「ぐう~」という音が響いた。
「あ……」
 菜々美が照れ笑いを浮かべる。時計を見ると、すでに夜の9時を回っている。気付けば、空はすっかり暗くなっている。
「さすがにお腹が減ったねえ。折角だし、どこか食べにいこっか」
 最近は翼の手料理ばかりだし、たまには外食がしたかった。菜々美も嬉々として頷く。
「いいですね! 何にしましょう?」
「菜々美の好きなものでいいよ」
「私の好きなものだと、お肉になっちゃいますよ?」
「肉、か……」
 そういえばこの辺に安くて美味い焼肉屋がある。確か、財布にそこのサービス券が――あったあった。
「うん、焼肉行こう。菜々美のおかげでいいコンサートが聴けたし、今日は僕が奢るよ」
 流石に予想外の申し出だったようで、菜々美は目を丸くした。
「ええっ、それはさすがに悪いですよ!」
「大丈夫。安くて美味しいお店知ってるから。菜々美ももう腹ペコでしょ?」
「それはそうですけど……」
――ぐ~。
 再び菜々美のお腹が鳴る。
「お肉60分食べ放題。なんと学生ならお値段2480円。今ならこのクーポンでドリンクバーもついてくる」
「た、食べ放題……?」
 菜々美の口端にじわりと溜まる液体が――。
「菜々美、よだれよだれ」
「ハッ!?」
 菜々美は袖で口を拭うと、観念したようにはにかんだ。
「分かりました。チューナー君のお言葉に甘えますね」
「それでよし」
 焼肉屋には十分ほどの待ち時間で入ることができた。店内を漂う肉の香りが、空きっ腹にダイレクトに刺さる。待っている間、菜々美は「そろそろですよね? もうすぐ入れますよね?」と、そわそわしっ放しだった。
 好青年そうな若い店員が案内に出てきた。
「二名様ですね?」
「はい」
「こちらのお席にどうぞ」
 菜々美が小声で話しかけてくる。
「男女二人で焼肉って、変な目で見られたりしませんよね?」
「そんなことはないよ。ほら、あの辺とかカップルで入ってるじゃない」
「あっ、本当ですね! ……私たちもカップルに見えてるんでしょうか?」
「こんな夜遅くに制服着たまま二人で焼肉に来るくらいだし、何も知らない人が見たらそう思うかもね」
「えへへ、チューナー君とカップル……照れちゃいますね」
 食べ放題が始まると、よほど腹が減っていたのか、菜々美は目をぎらつかせて肉を貪り出した。
「あむっ! はむっ! ――やっぱりお肉は最高ですね! ほら、チューナー君もどんどん食べましょう! あ、すいませーん、牛カルビとハラミ、豚ロース、それから……牛タン! 二枚ずつ追加お願いしまーす!」
「お、おおう……」
 以前肉パーティに呼ばれた時にも思ったことだが、菜々美の食べるペースは男の僕よりも早い。次々に肉とライスをかき込みながら、次のオーダーを追加していく。僕はそのおこぼれを横からチマチマと貰っているだけで、お腹いっぱいになりそうだった。
 菜々美はうっとりとした表情で肉を味わっている。
「はぁ~、しあわせ~!」
「あはは、喜んでもらえて何より」
「素敵なコンサートに、美味しいお肉、チューナー君とデート! 本当に今日は最高の一日です!」
 菜々美とデート――今の光景を翼に見られたら、大変なことになりそうだな。そんな考えが頭をよぎって、背筋がゾクッとする。ふと肉から顔を上げて、入口に目を向けた時――僕は信じられないものを見た。

「先生、気持ちは嬉しいんですけど、本当にいいんですか?」
「たまにはたらふく美味しいものを食べさせてやりたいからね。それに、ここの食べ放題は子供割引もあるんだ。翼もいつも頑張ってくれてるし、今日は遠慮せずにたくさん食べなさい」
「わー! すっごいにおーい!」
「ニオイだけでうまそー!」
「……分かりました、そうします」

 ……あれは、翼? 孤児院の先生と子供たちも一緒だ。もしかして、孤児院のみんなでどこかに出掛けて、その帰りなのか? 幸い、翼たちはここからずっと離れた席に案内されたようだったが、万が一翼に見つかるようなことがあったら――頬を汗が伝う。それは焼肉の熱気ゆえか、それとも、もっと冷たい汗なのか……。
「チューナー君、どうかしましたか? 箸が止まってますよ?」
「えーと、そろそろお腹いっぱいになってきたなあ、って思って……」
「でも、まだまだ時間残ってますよ?」
「うん、気にせず食べてて。僕は少し休憩してるから」
「そうですか……」
 肉なんか食べてる場合じゃない。チラリと翼の方を窺うと、翼は子供たちの面倒を見るのに忙しそうで、こちらに気付くような気配はない。だが、同じ店内に留まり続けているのは危険だ。早く、この店から離れないと……。
「菜々美、次のお肉頼んでおこうか?」
「あ、お願いしてもいいです?」
「もちろん」
 ここは一刻も早く菜々美を満腹にさせて、食べ放題を切り上げねば――。

 それから、何とか翼に気付かれることなく店を出ることができた。菜々美が食べ過ぎで苦しそうだったので、街角のベンチで休憩することにした。
「はぁ~」
「ふう、もうお腹いっぱいです~」
 菜々美は腹を落ち着けるために一息つき、僕は翼から離れられた安心感で一息ついた。
 空は真っ黒なのに、大通りは街灯やネオンのおかげで病的なほどに明るく、昼と同じようにせわしなく人々が行き交っていた。僕と菜々美はそんな夜の街を眺めながら、ぼんやりと時間を過ごしていた。
 やがて、菜々美が口を開いた。
「チューナー君、今日は本当にありがとうございました。チューナー君のおかげで、すっごく楽しかったです!」
「僕も楽しかったよ。菜々美と来てよかった」
「また二人でお出かけしましょう! 誘ってもいいですよね?」
「まあ、うん……」
 雰囲気的にダメだとも言えず、歯切れの悪い返事になってしまう。菜々美は僕をじっと見つめてきた。
「……チューナー君にとって、今日のお出かけは、どんなものでしたか?」
「どういう意味?」
「えっと、ただの遊びなのか、それとも、で、デート……だったのか」
「……菜々美はどう思うの?」
「わ、私ですか? 私は……その……」
 顔を真っ赤にして俯く菜々美。元気に肉を頬張る菜々美も可愛らしかったが、こうやって恥じらう乙女な姿も可愛い。僕は苦笑しつつ言った。
「ゴメンゴメン。意地悪な返しだったね」
「……デート、です」
「え?」
 菜々美はそう答えると、僕の左手に右手を重ねてきた。
「ちょ、ちょっと菜々美?」
「チューナー君といると胸がドキドキして、でも心がフワッと軽くなって、力が湧いてきて、なんだってできちゃいそうな気がするんです」
「……」
「これが、恋、なんだと思います」
「菜々美……」
 菜々美がぐっと僕に顔を近づけてくる。まっすぐな瞳が僕を射抜いてくる。
「私、チューナー君のことが好きです! 今度はちゃんと恋人として、こうやってデートしたいです! チューナー君は私にとって特別な人だから……」
「っ……ゴメン」
 僕は菜々美を抱きしめそうになるのをグッとこらえて、菜々美の両肩に手を置いて、僕から押し離した。
「菜々美の想いには、応えられない」
 僕の答えに、菜々美が悲痛な表情を浮かべる。僕も胸が張り裂けそうな思いがした。でも、これだけはハッキリ伝えておかないと――。
 菜々美がポツリと言った。
「……やっぱり、私に魅力がないからですか?」
「違う。菜々美は明るくて、優しくて、真っ直ぐで、可愛い女の子だよ。ただ、僕には――」
「翼ちゃん、ですか?」
 菜々美が震える声で、絞り出すように言った。目尻には涙が溜まっていた。
「やっぱり、チューナー君は翼ちゃんが好きなんですか?」
 菜々美の声はか細くて、頬を伝い出した雫があまりに痛ましくて、僕はもはや正直になるしかなかった。
「……翼とは、もう付き合ってるんだ。だから、菜々美の気持ちは嬉しいけど、受け取る訳にはいかない」
「つ、付き合って……そんな、ウソ……一体いつから?」
「一週間ほど前に、翼から告白されたんだ。翼がまだみんなに知られるのは恥ずかしいって言うから、秘密にしてたんだけど……」
「そう、なんですか……」
 すると菜々美は涙を流したまま、乾いた笑い声を上げ始めた。
「あはは、ははっ……ズルいですよ、チューナー君。勇気を振り絞ってデートに誘ったらオーケーしてくれて、こんな幸せな時間に過ごさせてくれて……私、すっかり勘違いしちゃってました。チューナー君が今日見せてくれた笑顔は、ぜんぶ私を調子に乗せるための作り物だったんですよね?」
「そんなことない! 僕だって菜々美のことは好きだよ! ただ、今は……」
「やめてください。そんなこと言って、変な希望を持たせないでください……そんなの、ただ、つらいだけですから……」
「……」
 泣きじゃくる菜々美。そんな彼女を前に僕がかけてやれる言葉は何もないように思えた。今は、僕が口にする言葉のすべてが、菜々美を傷つけてしまうのだろう。
「……チューナー君は、私のこと、好きなんですか?」
「もちろん」
「それなら、もし私の方が先に告白してたら、チューナー君は私と付き合ってくれてましたか?」
「……」
 どうだったろう。思い返してみれば、僕が翼の告白を受け入れたのは、翼が好きだったからではなかったのかもしれない。ただ、翼の切り出すタイミングが、僕にとって不意打ちだったから、僕の心に妙に深く刺さってしまったのかもしれない。もし仮にあの日あの時告白してきたのが、翼ではなくて、菜々美だったら? 僕は一体どう答えたのだろうか。
 答えに窮していると、菜々美は真っ赤に目を腫らしたまま、微笑を浮かべた。
「黙りこくっちゃって、ズルいですよ。チューナー君」
「……ゴメン」
「じゃあ、お詫びに私のこと、ギュッてしてください」
「それは――」
「お願いします。そうしてくれたら、ぜんぶ諦めますから……」
 僕は少し迷った後、菜々美の背中に手を回して、彼女の身体を抱きしめた。
「……あったかい」
「菜々美、本当にゴメン」
「このまま二人一緒に心臓が止まって死んじゃったら、ずっとこのままですよね」
「……」
「こうやってあったかいまま一緒に死ぬことができたら、すごく幸せだと思いませんか?」
「……死ぬだなんて、そんなこと、言っちゃダメだよ」
「えへへ、ごめんなさい――チューナー君、顔を、見せてくれませんか?」
 少し体を離して、鼻先が触れ合いそうな距離で向かい合う。と、その時――
「えいっ」
 菜々美の唇が、僕の唇に飛び込んできた。僕は抵抗する間もなく、菜々美のキスを受け入れてしまった。
「んっ……」
 菜々美がゆっくりと唇を離す。僕たちの唇の間に、唾液がしっとりと糸を引く。
「ははは、お互い焼肉のニオイがひどいですね」
「菜々美、今のは……」
「キスですよ? もしかして翼ちゃんとはまだでした? それとも今のがファーストキス?」
「……初めて、だよ」
「あはは、私もです。チューナー君がイジワルなのがいけないんですよ。今のは私の仕返しです。それから――」
 再び菜々美が唇をぶつけてきた。今度は舌まで絡めてくる。
「あむっ……んっ……んはあっ……」
 焼肉のニオイが口と鼻を埋め尽くす。菜々美の身体のぬくもりと、肉のニオイと、柔らかい唇と舌の感触で、頭がどうにかなりそうだった。
 しばらく舌を絡めあって、ようやく菜々美が唇を離す。
「今のが、私から愛をこめてです」
「はぁ……はぁ……なな、み……」
「……ごめんなさい、やりすぎましたね」
 菜々美は僕から身体を離し、ベンチから立ち上がった。
「チューナー君と翼ちゃんのことは、私も秘密にしておきます。言いふらしたりしませんから、安心してください」
 菜々美は振っ切れたような笑顔で言った。
「今日は遊んでくれてありがとうございました! これからも普通の"お友達"として仲良くしてください。それじゃ、また明日!」
 そう言い残して菜々美は走り去って行った。今から追いかけて送ってやるべきかとも思ったが、今、菜々美にもう一度声をかけてしまったら、完全に菜々美に心が堕ちてしまいそうな気がして、思いとどまった。

 僕はベンチにもたれて呆けたまま、夜風に当たって火照った身体を冷ました。手持無沙汰に携帯を取り出した時、コンサート会場に着いてから電源を切りっぱなしだったことに気付いた。電源を入れると――
prrr,prrr,prrr...
 即座に着信が入った。発信元は"有栖川翼"。彼女はまだ焼肉店にいるのだろうか――。
「はい、もしもし」
――……今の、何?
「え?」
――菜々美ちゃんと、キス。二回も。
「翼? 一体どこに……?」
――焼肉屋さんに入った時、すぐ気付いたよ。チューナーたちが先に出てったから、ちょっと席を外して、外に様子を見に行ったんだけど……アレはどういうことなの?
「その、菜々美に告白されて、もちろん断ったんだけど、最後に抱きしめてほしいってお願いされて、そしたらいきなり菜々美からキスを……」

「ふーん。そうなんだ」

 背後から携帯をひったくられる。振り返ると、翼が冷ややかな目で僕を見下ろしていた。
「向かいのベンチから全部見てたよ」
 翼が顎で示した方を見ると、確かに道路を渡った向こう側にもベンチがあった。どうやら翼は、電話で話している間にこちらへ渡って来て、僕の背後に回ったらしい。
 翼は僕に水筒を手渡してきた。
「ゆすいで」
「え?」
「その口、ゆすいで。今すぐに」
 翼の剣幕に逆らえず、僕は翼の水筒のお茶を口に含んで、道端に吐き捨てた。翼はその間に僕の携帯を操作して電話をかけ始めた。
「……もしもし、菜々美ちゃん? うん、翼だよ。聴きたいことがあるんだけど、いいかな? ……うん、……うん、分かった、ありがと」
 翼は電話を切って、僕に携帯を返した。
「事情は分かったよ。まあ、許すかどうかは別だけど――さてと、みんなが待ってるし、一回お店に戻らなきゃ」
 そう言って、翼は踵を返した。このまま立ち去らせてはいけない気がして、僕はその背中に呼びかける。
「翼――」
「話しかけないで!」
 翼が振り向く。彼女の両目には光る滴が――。

キィィィ――――

「信じてたのに……ひどいよ……」
 僕が引き留めるより先に、翼は走り出してしまった。置き去りにされた僕は、ただ一人、その場に佇んでいた。


 翌日、翼は学校に来なかった。当然、僕の家に迎えにやって来ることもなかった。昨晩の別れ際に聞いた心の音が気になっているのだが、仕方がないので部活が終わった後に孤児院を訪ねることに決めた。
 それはそれとして、昼休みに紗彩が僕を訪ねてきた。
「話があるの。ちょっと屋上まで来てくれない?」
 紗彩に連れられて屋上に来たが、当然僕たちの他には誰もいない。紗彩は扉を後ろ手で閉めると、キッと僕を睨みつけてきた。
「アンタ……、昨日菜々美に何したの?」
「どういうこと?」
「菜々美の様子が変なのよ。いつも通り笑ってるかと思ったら、急に泣き出したり、机に突っ伏して塞ぎこんだり……情緒不安定っていうのかしら。アンタ、昨日部活が終わった後、菜々美とコンサートに行ったんでしょ? そこで何かあったに間違いないわ! さあ、白状しなさい!」
「情緒不安定……」
 原因があるとしたら、一つしか考えられない。ただ――
「何黙ってるのよ。心当たりがあるんじゃないの?」
 あの紗彩が昨日の一件を知ったらどんな反応をするか――
「正直に言うまでここから逃がさないわ。たとえチャイムが鳴ったとしてもね。アンタの巻き添えで私が遅刻するとしたって、一向に構わない。真実を語るまで私はアンタを逃がさない」
 紗彩の真剣な表情を見て、下手に誤魔化さない方がいいことを僕は悟った。
「……昨日、僕が菜々美の告白を断ったからだと思う」
 紗彩が「はあ?」と声を荒げる。
「菜々美がアンタに告白!? 冗談も大概にしなさいよ!」
「いや、僕もびっくりしたけど、本当なんだって……」
「……アンタ、何て言って断ったのよ」
「もう翼と付き合ってるから、菜々美の想いには応えられないって……」
「アンタと翼が付き合ってる!?」
 紗彩は案の定、厳しい顔つきで僕を睨んだ。
「アンタ、すでに翼っていう恋人がいるのに、菜々美の誘いを受けたってわけね。とんだ浮気者じゃない。最低ね」
「申し訳ない……」
「私に謝られても困るわ。ホント、どいつもこいつも、なんでこんな変態に騙されちゃうのかしらね……」
「……」
 確かに僕に非があるとはいえ、散々な言われようだ。僕は疲れた声で訊ねた。
「もう帰っていい?」
「もう一つ聞かせてちょうだい。アンタ、翼とのこと、まだ隠しておくわけ?」
「別に僕自身はみんなに知られても構わない。ただ、翼がみんなに知られるのは恥ずかしいから嫌だって……」
「翼はどこにいるのよ?」
「今日は学校休んでる」
「あー、もう! 間が悪いわね!」
「どうかしたの?」
「……アンタが翼と付き合い始めたことは、なるべく早くみんなに伝えるべきだと思うの。こういう言い方するのは癪だけど、菜々美と同じ悲劇に遭う部員が他にも出るだろうから。翼以外の子から脈ありと思われて言い寄られると、アンタだって困るでしょ?」
「……そうかもね。翼と相談してみる」
「それがいいわ。そうしなさい」


 この時、二人は知らなかった。屋上に出る扉の前で、聞き耳を立てていたトラブルメーカーの存在に……。
(んっふっふ、屋上に向かう怪しい男女を追いかけてみたら、良いコト聞いちゃった~★ これは特ダネの予感……!)


 放課後、音楽室に入ると、部員たちの視線が一斉に僕に注がれた。
「……?」
 妙な空気が流れる中、かなえが僕に詰め寄ってきた。
「チューナー先輩! 翼先輩と菜々美先輩に二股かけてるって本当ですか? アミ先輩のいつものガセネタですよね?」
「え? え?」
 さらにひかり先輩までもが詰め寄ってくる。
「チューナー君に限ってそんなことないよね? チューナー君は優しいから、そんな女心を弄ぶようなこと、絶対しないよね?」
 どうしてそのことが伝わっているんだ? しかも、微妙に話が捻じ曲げられているし……。部室を見渡したが、菜々美も紗彩もまだ来ていない。じゃあ、一体誰が……?
「ふっふっふ、チューナー君、誤魔化してはいけないよ。アミちゃんは、しかとこの耳で聞いたのだ。昼休み、屋上で、チューナーとサアヤちゃんがしていた会話を! ほら、ここに録音テープも!」
――菜々美がアンタに告白!? 冗談も大概にしなさいよ!
――アンタと翼が付き合ってる!?
「テープに録れたのはこの辺くらいだけど、チューナー君の所業を暴く証拠としてはじゅーぶんなのだよ! さあ、みんなの前で釈明してもらおうじゃないか!」
「女をホイホイ手玉に取る……シティーボーイ、恐るべしです……」
「私が躊躇ってる間に先を越されたとか、そんなことないよね! 私、まだ間に合うよね!」
「えっと、だから、それは……」
「こんにちはー。あれ、何かありました?」
 そこに菜々美と紗彩がやってきた。こ、このタイミングは……。
「菜々美ちゃん、いいところに! チューナー君に二股かけられたって本当?」
「二股っていうか、告白してフラれただけですよ?」
「それだけ?」
「え、えっと、キスは、しましたけど……」
「――!?」
 騒然とする音楽室。それを聞いた紗彩が俺に詰め寄って、胸ぐらを掴んでくる。
「ちょっとチューナー。昼休みにそんな話はしてなかったわよね?」
「ほら! ホントにチューナーと紗彩ちゃんが昼休みに内緒話してたんだよ!」
「え? なんでアミ先輩がそれを……?」
 首をかしげる紗彩に小声で事情を伝える。
「アミ先輩にあの会話を聞かれてたんだよ。しかも、紗彩が大声出してるところをちゃっかり録音されてて……」
「何? もしかしてこの騒ぎは私のせい?」
「ふっふーん、紗彩ちゃんのボイスはしっかり録ってるもんね~」
 アミがもう一度先ほどの箇所を再生すると、紗彩は引きつった笑みを浮かべた。
「あ、あー……」
「そんな……チューナー君が……二股……ガクッ」
「ちょっと、ひかりが倒れたわよ!?」
「大変、保健室に運びませんと」
「よっしゃ、私が担架持ってくるよ!」
「あ、あれ? 昨日のこと思い出したら、なんか涙が出てきちゃいました」
「な、菜々美センパイ!?」
「あらあら、大丈夫? はい、ハンカチ」
「ちょっと待って、チューナーの本命は翼ちゃんってこと?」
「そういえば翼ちゃんは?」
「今日は休んでるぜ」
「都会……チャラ男……コワイ……」
「やっぱりチューナーは最低な変態デスネ。同じ人間とは思えマセン」
「ゆんゆんゆんゆん……」
「うふふ、混沌としていますねえ」
「なになに? もしかしてお祭りの予感?」
「血祭りの間違いじゃない? あの男、みんなでお仕置きするべきだと思うんだけど」
「ああ、罪深い一人の男をめぐって燃え上がる少女たちの悲劇!」
「姉さん、面白がってる場合じゃないわ」
 めいめいが好き勝手なことを言って、もはや騒ぎは収拾がつかないレベルに発展していた。何とか騒ぎを鎮静しようと右往左往していると、足元にホニャがやってきた。
「チューナー、これは一体何の騒ぎニャ?」
「えっと、色々と不幸が重なって……」
「ふむ、ユグドラシルにノイズが突発的に大量発生したのだが、原因はこの騒ぎかニャ」
「翼と付き合ってることと、昨日菜々美にキスされたことが同時に明るみになって」
「チューナー、いくら翼に束縛されるのが苦痛だったとはいえ、二股かけてしまったのかニャ……」
「いや、決してそんなつもりは――」
「まあとにかく、今すぐユグドラシルに向かうニャ。この騒ぎなら黙って抜け出しても問題なかろう」
 ホニャの言う通り、どさくさに紛れて隣の音楽準備室に移動すると、紗彩がついてきた。
「ちょっと、どこ行くの?」
「ユグドラシルにノイズが大量発生したみたいで……」
「ああ、なるほど――」
 紗彩は一つ咳払いをして言った。
「変態チューナーの尻拭いは癪だけど――ノイズ掃除なら私も手伝うわ。一応、私の不注意が招いた事態でもあるわけだし」
「ありがとう、助かるよ」
 だが、紗彩はにこやかに「あ、そうそう」と付け加えた。
「戦いの最中に一発くらい流れ弾が飛ぶかもしれないから、せいぜい死なないように気を付けてね」
「は、ははは……」

 紗彩の協力もあって、何とかユグドラシルに蔓延るノイズを退治することができた。途中、本当に流れ矢が何本か飛んできたのだが……。
 僕も紗彩もくたびれた状態で現実世界に戻ってきた。音楽室を覗くと、そこにはなぜか菜々美しかいなかった。
「あ、チューナー君に紗彩ちゃん。もしかしてユグドラシルに行ってたの?」
「ええ、ちょっとノイズを掃除にね」
「そんな、声かけてくれれば手伝ったのに――」
「菜々美、みんなはどこへ?」
「部活できる雰囲気じゃなくなっちゃったので、今日は解散ってことになりました」
「菜々美はどうして残ってるわけ?」
「チューナー君に謝っておきたくて。まさかこんな大騒ぎになるとは思ってなかったから……ごめんなさい」
「いや、悪いのは僕だから、別に菜々美が謝ることは――」
 しかし、菜々美はかぶりを振った。
「チューナー君は悪くありません。それに、チューナー君が昨日私と遊んでくれたこと、悪いことだなんて言ってほしくないです……」
 参ったな――横目で紗彩を窺うと、彼女は苦虫を噛み潰したような表情で僕を睨んでいた。
「そういえばチューナー君、翼ちゃんとは大丈夫なんですか?」
「何、もしかして翼にもキスの件がバレてるわけ?」
「バレてるというか、見られたというか……」
「はぁ……、色々と呆れて物も言えないわ」
「実は昨日の夜、翼から心の音を聞いたんだ。学校に来ないのはノイズの影響もあるのかもしれない。これから翼のところに行って調律するつもり」
「翼ちゃんにノイズ……原因はやっぱり……」
「ちょっとちょっと。ノイズ退治がアンタの仕事なのに、アンタのせいでノイズ発生させてどうするのよ」
「面目ないです……」
「でも、ノイズと戦うなら私たちもついていった方がいいですよね!」
「うーん……ただフォローに行くなら私たちは邪魔だけど、戦うとなると人手は必要よね」
「もしかして、一緒に来てくれるの?」
「はい! 私からも翼ちゃんに謝っておきたいですし!」
「……チューナーと菜々美を二人にしておくのは心配だし、私も行くわ」
「二人とも……ありがとう」

 翼の孤児院を訪ねると、昨日見かけた保父さんが応対に出てくれた。面長で優しい目つきの中年の男性だ。
「翼のお友達ですか?」
「はい、翼ちゃんと同じ器楽部です! 結城菜々美といいます!」
「九条紗彩です。学校に来ていないということだったので、心配で窺いました」
「チューナーが来た、と伝えてくだされば、分かると思います。えっと、翼は……」
「朝から体調が優れないようで、部屋から一歩も出てこないんですよ……。お友達に見舞ってもらえれば少しは元気になるかもしれませんな。どうぞ、おあがりください」
 保父さんに案内されて、翼の部屋に向かう。保父さんが扉をノックして翼に呼びかける。
「翼? 友達がお見舞いに来ているよ?」
 返事はない。眠っているのだろうか。
「翼、入るよ?」
 保父さんが扉を開ける。中に入ると、翼がベッドで額に脂汗を浮かべながら眠っていた。翼の枕元の棚には昼食が置いてあったが、口をつけた形跡はない。
「ご飯も食べずにずっと寝てるのかしら」
「でも、苦しそうですね……」
「朝からこんな調子でして。昨日のお出かけで悪い病気でも貰ってしまったのか……」
「……チュー、ナー……」
「もしかして、起きた?」
「いえ、多分寝言でしょうね。悪い夢にうなされてるのかもしれないわ」
「いや……チューナー、行かないで……」
「翼……」
 保父さんが僕の顔をまじまじと見つめる。
「あの、あなたは、翼と一体どのようなご関係で……?」
「……彼氏です」
 僕はタオルを取り出して、翼の額の汗を拭った。
「大丈夫だよ、翼。僕はここにいるから」
「チュー、ナー……?」
 僕たちの様子を見た紗彩が、保父さんに申し出た。
「すみません。少し、私たちだけにしてもらっても構いませんか?」
「ええ、構いませんよ。何かありましたら呼んでください」
「ええ、ありがとうございます」
 保父さんが静かに部屋を出て行った。
「紗彩、ありがとう」
「ずっと目を覚まさないって、もしかしてノイズのせい?」
「ありえない話じゃないわね。チューナー、やりましょう」
「うん、行こうか。翼の夢世界に」
 ノートゥングを構えて、意識を集中する。神器の力が、僕と、菜々美と、紗彩の三人の意識を、翼の意識に重ねて――僕たちは翼の夢世界へと飛び込んでいった。

(後篇に続く)

【ららマジ翼SS】温もりは麻薬【中編】

【ららマジ翼SS】温もりは麻薬【中編】

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-28

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work