恋をしたら消える系の世界

 恋をしたら、いけないので、恋はしません。
 なぜなら、恋をすると、消えるからです。
 恋をすると、消える系の世界なのです、わたしがすんでいる、この世界は。
 消える、とは、言葉通りです。
 消えます。
 乱暴な言葉でいうと、死にます。
 わたし、というにんげんが、わたし、ではないにんげんに、恋をしたとしましょう。
 恋とは、すなわち、
 愛したいと思うこと
 愛されたいと願うこと
 優しくしたいと思うこと
 優しくされたいと願うこと
 さわりたいと思うこと
 さわられたいと願うこと
 支配されたいと思うこと
 支配したいと願うこと
 ときに、
 傷つけたいと思うこと
 ただし傷つけるのは、わたしの役目ではありません。
 傷つけるのは、第三者であり、わたしは第三者に傷つけれた、わたしの好きなにんげんを、なぐさめるのです。とろとろに溶けるまで、甘やかすのです。
「きみがいないと生きていけない!」
と思わせるまで、愛情を捧げるのです。
 愛するのです。
 優しくするのです。
 そっと触れるのです。
 こころを支配するのです。

 と、ここまでのことを、わたしが、この世界で行ったとしたら、わたしは即日、消えます。
 世界が、わたしを、排除します。
 コンピューターに登録されている、わたし、というにんげんのデータを、誰かがデリートキー長押しで消去する、というシステムにこの世界は、なっているようです。 
 わたしたちは、うまれたときから、恋をしないようにからだの構造ができているわけではなく、恋をしてはいけない、という教えをうんざりするほどきかされて、諭されて、脅かされて、育てられるのでした。

「でも、恋はするものだよ」

 そう言ったのは、部活動のコーチでした。
 わたしはラグビー部のマネージャーをしていまして、そのラグビー部のコーチをしているひとが、目を細めて言ったのでした。

「恋をしてはいけないというけれど、にんげんは、恋をするようにできている。だからキミも、いつかは誰かに恋をするよ。かならずね」
 
 そんな、じゃあ、消えるじゃないですか。
 にんげんが、そういうふうにできているのなら、わたしだけじゃない、みんなみんな、消えるじゃないですか。
 この世界から。
 にんげんが、いなくなるじゃないですか。
 
 わたしは矢継ぎ早に、言いました。
 ラグビー部のひとたちは、グラウンドを走っていました。
 わたしとコーチは、ラグビーボールをみがいていました。
 雲ひとつない、晴れた日でした。

「にんげんがまったくいなくなることは、ないよ。そういうふうにできているのだから、この世界は」

(ならばコーチは、恋をしたことが、あるのですか?)
 
 この質問は愚問である、と思いました。
 六十三歳の、コーチ。
 恋をしないで、生き長らえる者。
 恋をして、消える者。
 どちらかのにんげんしか存在しない世界で、六十三年間生きているということは、前者であります。
 恋をしないで生きてきたひとが、にんげんは恋をするものだよ、なんて決めつけるのは、やめていただきたい。
 わたしは恋をしないで、生き長らえる者になりたいのです。
 消えたくないのでした。
 消されたくないのでした。

「恋をして消える者がいる。恋をしないで生きている者がいる。わたしは恋をしないで生きている者だけれど、恋をして消えた者を、何十人とみてきたよ。友人、遠い親戚、アルバイト先の先輩、会社の同僚、ラグビーチームの仲間。若かった。若いうちに恋をして、そして消えた。けれども、みんな、恋をしたことを後悔している様子は、なかったよ。あのひとを好きになってよかった、みじかいあいだだったけれど恋ができてよかった、愛されなかったけれど、愛せてよかった。そう言ってみんな、笑って消えた。わたしは思った。
ああ、恋というものを一度は、経験してみたい、って。
わたしのように恋をしたくても、できないにんげんがいる。
恋をしてはいけない、恋なんてしたくない、そう思っていても、己の意思に反して恋をしてしまうにんげんも、いる。
キミは、きっと後者だ」

 まじめな子だからね、キミは。
 コーチは笑いました。
 いたずらに成功した、いたずらっ子みたいだと思いました。
 走っていたラグビー部のみんなが、みがきおえたボールを持って、コートの上に散らばっていきました。
 ひたいから汗を滴らせ、息を切らしていました。
 みんな、恋をしたことがないひとたちでした。
 それは、当たり前のことなのでした。
 恋をしたことがないひとしか、この世界には、いないのですから。
 
 わたしはラグビー部のみんなのことが、好きです。
 コーチのことも、好きです。
 けれど、これは恋ではありません。
 たとえばわたしが、ラグビー部のみんなのなかの、ただひとりだけをとくべつ愛しいと思った瞬間に、恋は始まるのだと思います。
 そして、消えるのだと思います。
 どれくらいのあいだ、恋をしていられるのかはわかりません。
 恋をしたことがないのだから、わかるはずがありません。
 では、もし、恋をしたとして、この世界が恋をしても、消えない系の世界だったら、恋、その先になにがあるのか。
 わたしは、コーチにたずねました。

「むかし読んだ本によると、恋をした相手と想いが通じ合うと、結婚、という儀式を行うことができるそうだよ。結婚、をしたにんげんは、子孫を残すこともできるそうだ。犬や猫と同様、にんげんにも雄と雌の二種類がいたらしい。
子孫を残すということは、にんげんから、にんげんがうまれるということ。
にんげんが、にんげんをうむということ。
ふしぎだね。
それはとても喜ばしいことで、すばらしいことで、幸福なことなのだそうだ。出生を祝い、うまれた日がとくべつな日とされる。
いつ、どこで、どうやってうまれたのかもわからないわたしたちとは、ちがうね。
雄も、雌もないわたしたちは、なんだかつまらないね。
恋をしたら消えてしまうわたしたちは、かわいそうだね」
 
 そう言ってコーチは、練習をしているみんなのところに行きました。
 しゃきっ、とまっすぐ伸びたコーチの背中を目で追って、それからパスまわしをしているみんなの顔を、ひとりひとり確認するように、みました。
 かっこいいひと。
 かわいいひと。
 背の高いひと。
 背の低いひと。
 ふとっているひと。
 やせているひと。
 雄ではないひと。
 雌でもないひと。
 わたしは、空を仰ぎました。
 
(わたしたちは、つまらなくて、かわいそうなにんげんなんだ)

 なんだかとても、恋がしたい、と思いました。

恋をしたら消える系の世界

恋をしたら消える系の世界

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-24

CC BY-NC-ND
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