パニックテーマパーク

相談部シリーズ4

パニックテーマパーク

 蝉がけたたましい大合唱を始め、山の稜線には入道雲が浮かび、アスファルトが鉄板のようになる夏。気温が三十五度を越えることも多くなり、湿度も上がって辛い夏。課題と補習と部活に追われる夏。
 そんな面倒な夏のある日の午後、俺、鞘脇芳樹は節電によって冷房が制限されるこの時期、校内で職員室ともう一カ所、冷房の入った場所である食堂の一角にある四人席のテーブルに着いてオレンジジュースをストローで吸っていた。からん、と氷が涼しい音をたてる。
「あっちぃ・・・あ、いたいた。お~い芳樹!」
 どこかのお茶の商品名みたいに人を呼ぶんじゃない、と思ったりもしながら俺はその声の主を見た。
「なんスか、宋さん」
 宋向先輩、こと宋さんは俺と同じ生徒会相談部の部員だ。
「お前さ、夏休み暇だろ?」
「暇っスけど・・・何ですか」
 最初っから暇だと決めてかかられたのは癪だけれど、事実だから仕方なく頷いた。
「実はさ、今度俺たち合宿すんだけど、そんときの荷物持ちとか飯作る係になるはずだったマネジが揃いも揃って旅行やら何やらで、いねーんだわ。だから、代理っつーことで・・・」
「お断りです」
 きっぱりと俺は言い切った。サッカー部と関係ない奴に雑用させようとは、何を考えてるんだこの人は。
「そんなんだったら女子に頼めばいいでしょ。渡海とか・・・布施先輩とか」
「女子には頼みにくいんだよー。何つーのかな、下心あるとか思われたりしたらヤだし」
「無いんスか?」
 問うと、困ったように宋さんは苦笑した。
「無いことは無いけど・・・」
 あるんだろうが、要するに。
「とにかくお断りです。他に当たってください」
「・・・分かったよ」
 不承不承頷いたのを確認して、俺はグラスに残った氷を口に入れた。それと同時に、
「あー、こんな所にいたー!」
 きーん、と頭に響くような声で騒ぎ立てる女。即座に食堂の受付にいたおばさんに注意された。
 すいません、とおばさんに謝りながら駆け寄ってくるツインテールの一年生が相談部のもう一人の部員、渡海。
「いーなぁ・・・。鞘脇、何か奢って」
「十円までならいいぞ」
「それじゃ何も買えないじゃん!」
 子供のように頬を膨らませて俺の隣に座った渡海は、仕方なくセルフサービスの水を持ってきていた。
「どーぞ」
 さりげなく宋さんの分も持ってくるような気遣いができるあたりは、女子らしいのか。
「なぁ、渡海」
「何?」
 ガリガリと氷を噛み砕きながら渡海は首を傾げる。
「布施先輩は?」
「先輩?もうすぐ来ると思うよ」
 同時に食堂の自動ドアが開いた。
「あ、みんな。やっぱり、ここだったんだね」
 柔らかな笑みを浮かべて歩み寄る女性こそ、相談部の部長の布施先輩。初夏の頃に、長かった髪の毛を肩のあたりまでの長さに切ってしまった。理由は単に暑かったからだそうだ。だけど、先輩は髪を切っても相変わらず綺麗なままだった。
「ちょうど良かった。さっき、生徒会本部から文化祭の執行部員として手助けしてほしいって依頼があったの。オッケーしたけど、良かったよね?」
 揃って頷く。別に、これといった用事はない。
「じゃあ、詳しくはまた今度話すね。私、これから園芸の方にも顔出してくる」
 植物が好きという布施先輩は、園芸部のお手伝いもしているという。今はサボテンの栽培に日々奮闘中らしい。
「明日と明後日は宋君は試合の前だから、休むって言ってたよね?で、海ちゃんは選管の仕事。私と鞘脇君は本部の委員会に出席しないといけないし・・・次の活動は来週かな?」
 りょーかいでーす、と渡海が気の抜けた返事をし、宋さんは既にエナメルバッグを担ぎいつでも動ける準備をしていた。
「私も行こっと」
 布施先輩が元来た道を引き返すように歩きだし、それを宋さんがダッシュで追い抜いていった。そして、ツインテールを跳ねさせながら渡海も駆けていく。
 俺は、ジュースのグラスをカウンターの返却口にのせてから、先輩の後を追った。
「先輩!」
 呼び止めると、小首を傾げて布施先輩は振り返った。
「あの・・・」
 呼び止めたはいいけど、何を言うのか整理するのを忘れていた。頭の中ではちゃんとした一つの目標があるのだが、そこまでの道筋が全然見えない。
「え、えっと・・・こ、今度の日曜ですけど・・・暇ですよね?!」
 暇ですよねって何だよー!自分で言っていて心中絶叫したい気分になった。これだったら、さっきの宋さんと同じだ。時間ありますか、とか聞いてればもうちょいスマートにいったのに・・・。
 だけど、
「うん、暇だよ。何で?」
 気を悪くした様子もなく、先輩は小さく笑った。
「あ・・・えっと・・・その・・・、今度の日曜に一緒に行きませんか?九時に駅前集合で・・・」
 先輩は首を反対側に傾げた。
「えーと・・・どこに行くの?」
 あ・・・しまった。つくづく、自分の要領の悪さを呪いたくなる。
「芝原に新しいアミューズメントパークができたじゃないですか。あそこにどうです?」
 さすがに後輩で、しかも、男子相手に先輩がそう簡単に頷いてくれるはずがないよなぁ、と半分諦めていたのだけれど、
「いいよ」
 あっさりと先輩は頷いた。
 そして、
「じゃあ、日曜の九時に駅前ね。伝えとくよ。じゃあね」
 そう言って軽やかに走っていった。このとき俺は、先輩の走る姿に見とれていて、気づいていなかった。
“じゃあ、日曜の九時に駅前ね。伝えとくよ”
 ・・・・・・誰に?


 やっぱりというか、何というか。こうなるんじゃないかと予想できていた。そもそも、先輩があっさり頷いたのがあり得なかったんだ。
 燦々と輝く太陽。空に点々と浮かぶ白い雲。駅前に集う人々。
 その中で、俺は、
「予想してた・・・。予想してたよ・・・」
「何言ってんの?大丈夫、鞘脇?」
 ぽんぽんと俺の背中を小さい手が叩いた。
「熱いよねー。熱中症?」
「・・・違うけど」
 何であんたらがいるんだ、とも聞けず、俺はぶつぶつと口の中で呟いた。
 俺が悪いのは分かってる。きっと、先輩にとって出かけるっていうのは、このメンバー全員で、ってことだったんだろう。二人で行くなんて考えていなかったに違いない。
(けどさぁ・・・)
 普通、男から誘ったらデートの申し込みだってことぐらい察するもんだろうに。
 はぁ、と長いため息をついたとき、
「どうした、芳樹。今から楽しもうっつーときにため息なんかついて」
 ブルーのタンクトップにカーキのハーフパンツという、どこの小学生かと思うような格好で俺の肩を叩いて改札に歩いていく宋さんの姿を見送って、俺はもう一度ため息を吐き出した。
「先輩、ちょっと待ってください!」
 これまた小学生のような白のワンピースの裾をなびかせて渡海が走っていく。
「鞘脇君、行こっか」
 微笑した布施先輩がその後に続いた。俺も先輩と並んで歩きだした。
 目的地の遊園地は、千葉の国際的に有名なネズミのキャラクターが闊歩する某ランドほど広大で賑わってはいないものの、そこそこの集客もある場所で、周囲は温泉や美術館もある観光地域だ。
 電車に揺られること一時間。芝原駅で降りてから少し歩いたところに、その遊園地の入り口はあった。
 開園時間からまだ少ししか経っていないのに、駐車場は大方埋まっていた。
 そして、チケットカウンターの行列に並んで、ようやく中に入れたのはそれから二十分も後のことだった。
「遊園地に着いたら観覧車に乗るのが常識でしょ」と言う渡海の発言で、俺たちは園中央の観覧車まで移動することになった。俺がそれに賛同したのは、高いところから園全体を見渡せる場所に行っておくのが得策だと布施先輩が言ったからに他ならないが。
「おー、スッゲーな・・・。おい、見てみろよ」
 宋さんが指さすのはウォーターパレスと呼ばれるエリアの一角。大きな流れるプールだ。
「こっからなら安全かつ広範囲でビキニ美女が見れるぜ」
 即刻、渡海と俺が臑に一撃入れてやったのは言うまでもない。
「でも、よく見えるよね。センターキャッスルからメインストリートがちょうど正面にあるから。パレード見やすいんだろうなぁ・・・」
 布施先輩が目尻を下げた。
 渡海が先輩の後ろから下を見る。
「そうですね。ナイトパレードの時間になったら、もう一回上ってみます?あ、でも、パレードは正面から見た方がいいか」
 この園のナイトパレードはそれなりに有名で、パレードが始まる夕方頃になると、園中央の城(シンデレラ城をパクったとしか思えないデザイン)から出口まで伸びる大通りにかけて人が大勢集まる。
 パレードの売りは、外に通りが繋がるという形状を利用して、光輝くフロートが城の内部から登場し、そのまま外に出て、敷地内の庭を通って再び戻っていくという変わったコースだ。要するに、シャッターチャンスが二度訪れるということで、親子連れに人気になっている。
「いいね。みんなで見に行こっか」
 窓の外を見ながら先輩は楽しそうに言った。宋さんと渡海は次に行くアトラクションで揉めている。
 俺はというと、降りていくゴンドラの中で、いかにして先輩の隣でパレードを見るか、ということを一人悶々と考えていた。



 観覧車の中の涼しさが嘘のようだ。
 溢れかえる人。茹だるような暑さ。熱気。湿度。日差し。声。そして、人、人、人。
 前を元気に歩いていく宋さんと渡海。既にアトラクションを粗方乗り尽くして、体力も既に限界に近いのに、目の前の二人はまだまだ乗り足りない、とばかりに目についた行列に並んでいく。
 並ぶ時間がたったの二十分程度、というのが少し鄙びた遊園地たる由縁なのだろうか。
「暑っ・・・何なんでしょうね、この暑さ」
 さりげなくを装って先輩に言うと、
「そうだねー。まぁ、湿度も高いし、仕方ないよ」
 帽子を目深に被り直して返された。
 髪短くしといて良かった・・・、と呟きながら先輩は宋さんと渡海の後に小走りで駆けていった。慌てて俺もその後を追う。
「なぁー、芳樹!腹減らねぇ?」
「あー、あたしもです!お腹減った」
 言われて気づいた。そう言えばもう正午を過ぎている。続いて今更のように感じる空腹感。朝飯から何も食ってない。
「じゃあ、屋台のお店見に行こ?色々出てるみたいだし」
「そうですねー」
 先輩と同じ物を買って、少しでも彼女と同じ好みだということをアピールすべきか、それとも、本気で腹を満たすべくがっつりと食べるか・・・。
 半ば本気で思案しながら歩いていると、目の前にはポップコーンやらパン、フライドポテトなんかの屋台が並んでいた。
「おっしゃー、全店制覇行くぜー!」
 走り去っていく宋さん。多分、全店制覇の前に金が尽きると思うけど・・・。
「先輩は何にするんスか?」
「私は・・・ドーナツにしようかな。ほら、あれ」
 先輩が指さすのは小さなドーナツがいくつか入ったものを売っている屋台だった。大した量じゃないくせに高い。まぁ、小食な人にはいいのかもしれない。
 だけど、それで俺が到底足りるはずもなく。
 仕方なしに安くて量がありそうな店を探すことにした。
 ふと、側に設置された電光掲示板に、
“ひったくり多発!注意”
 何の味気もないオレンジの文字でかかれた言葉に、気分ぶち壊しだろ、と幻滅する。何か、もうちょっとユーモアのある方法で注意を喚起できないものかね。
「鞘脇君、どうしたの?」
「食べ過ぎて動けないの?」
 先輩に被せて質問した渡海に、思いっきり顔をしかめて見せる。
「別に。先輩は何買ったんスか?」
「あたしはチョコドーナツ。一個いる?」
「あ、んじゃありがたく・・・」
「あたしも欲しいですっ!」
「俺も俺も!」
 横から宋さんと渡海も身を乗り出してくる。邪魔なんだよ、ったく・・・。
「うまっ・・・」
「ですねー。さすがベルギー産チョコレート」
「何か違うのかよ」
 チョコなんてどこで作られようが一緒だろうに。
 すると、渡海が目をつり上げて、
「あんた、そんなんだからモテないんだよ」
 うっせぇ。
「おっと、そうだ。ほれ、俺からもプレゼント」
 宋さんが差し出したのはチーズ味のポップコーン。Lサイズの箱を両手に抱えている様子からして、二個買えば百円安くなる、という歌い文句に負けたんだろう。一個いくらするか考えてんのか、この人は。
 とか言いつつも、しっかりとポップコーンは頂く。ごちになります。
「あたしも何か、みなさんの分買ってきますねー」
 渡海が小走りで離れていく。
 宋さんも更なる旨いものを求めて屋台を物色し始めた。この人は将来、絶対買い物で失敗する。確信した。
「置いて行かれちゃったね。鞘脇君、一緒にお店見に行こっか?」
「で、ですね・・・」
 一緒に歩こう、と。それはあれですか、並んで歩きましょうと。それは端から見たときにカップルと思われてもいいということですか?もしや、それも全部込みでのお誘いですか?
 心中でへどもどする俺をよそに、先輩は歩きだした。切りそろえられた髪がゆるやかに風に揺れる。
 俺も慌てて並んだものの、何を喋っていいものか分からず、口を開いては閉じ、を繰り返していた。他の人から見れば、死にかけの魚の物真似に見えたことだろう。
「どしたの?」
 きょとんとした顔で先輩が振り返った。
 心臓が宙返りの後にそのままマラソンでも走ったぐらいにドクドクと鼓動が高鳴る。
「や、えっと、その・・・ですね」
 何を聞けばいいんだ。
 それとも何だ。これはもしかして、告れ、という先輩の意志表示なのか?
「その、えっと、先輩は・・・」
 俺のことどう思ってるんですか。
 そう言いたかったのに。
 口から出たのは、
「どうして髪切っちゃったんですか?暑かったから、って言ってましたけど・・・」
 違う!俺が聞きたいのはそんなんじゃない!
「あぁ、これ?」
 指先で耳の横の毛を巻き取った。艶のある髪がするりと先輩の指先で滑り、揺れる。
「夏場って首筋とかに熱気こもっちゃうんだよね。それがイヤだ、って三浦に言ったら、切ればいいじゃん、って言われたの」
 そう言えば、あの人もショートカットだったな。
 気の強そうなバスケ部のマネージャーさんの顔を思い浮かべる。布施先輩とは仲が良いんだそうだ。
「だから、いっそのこと切っちゃえって思ったの。変?」
 いや、全然。
 首を大きく横に振る。あ、振りすぎてクラクラしてきた。
「そう?良かった」
 ちょっと笑って先輩が再び歩き出す。
「あ、宋君だ。おーい!」
 向こうから宋さんが駆けてくる。今度は両手にハンバーガー、口にサンドイッチを食わえている。どんだけ食うんだ、この人は。
「あれ・・・渡海来ませんでした?」
 もぐもぐと口の中にサンドイッチを押し込んでから先輩がきょろきょろと周囲を見回して言った。
 布施先輩が首を傾げた。綺麗な髪がその動きに合わせて揺れる。波のようだ、と思った。動きとともに、寸分の狂いもなく髪が流れていく。
「来てないよ。まだお店にいたんじゃないの?」
 おっかしいなぁ、と宋さんは頬を掻いた。
「一応一通り見たんスけどねぇ・・・」
 その見方が適当だったんでしょうね。ま、宋さんらしいや。
「すぐに帰ってきますって。待ってましょうよ」
 能天気に呟いて、俺たちは宋さん先導のもと、屋台が連なる通りの入り口で待つことにした。
 蝉のけたたましい声があちこちでし、強い日差しも収まる気配が一向にない。
 それでもすれ違う人たちが一様に楽しそうな顔をしているのは、テーマ―パーク独特の空気のせいだろうか。
「遅いねぇ・・・」
 布施先輩が心配そうに呟いた。もうあれから随分経っている。
 さすがの宋さんも何度か時計を見ては眉をひそめている。
「迷子じゃないですか?インフォメーションセンターで呼び出ししてもらえば・・・」
「お前、高一にもなった女の子を迷子の呼び出しでさがすつもりか?」
「でも、迷子だったら見つかりませんし・・・」
「俺だったら、穴掘って逃げ込みたいくらいの恥だと思うね。まして、相手は女子高生だぞ。どうなるか想像しろよ」
 ん・・・まぁ、そうかもしんない。
 でも、だったらどうしろと。
「携帯も繋がらないし・・・。海ちゃん、電源切ってるみたい」
 布施先輩がそう言って困り顔で呟いた。
「俺、ちょっと見てくるよ。芳樹は先輩とここで待っててくれ」
 そうとだけ言って、先輩は再び走って行った。
 残された俺たちは周囲を見回して渡海を探す。
「大丈夫かな・・・一人だと心配だよ」
「そうですね・・・。まぁ、渡海なら大丈夫だと思いますけど・・・」
 何があっても、あいつなら戻ってきそうな気がする。
 そう思っていたのだけれど。



 不意に宋さんから携帯に連絡が入った。屋台から少し離れたカフェのベンチの近くに渡海の荷物が落ちていたそうだ。
 急いで駆け付けた先には、いつになく真剣な顔で立っている宋さんがいた。
「これ、店の人に聞いたら、三十分くらい前からあったらしい。拾ってくれたらしいんだけど、全然取りに来ないって」
「さすがにそんなに長い時間、荷物を置きっぱなしにしているのは変だね。しかも、地面の上に。何かあったのかも」
 布施先輩の声音も硬いものになっていた。俺と宋さんは視線を合わせる。
「携帯は持ってるみたいだけど、電源切ってたしね・・・」
 先輩がそこまで言った時、
「これ、渡海の財布じゃないっスよ」
 宋さんが黒い長財布を取り出した。失礼ながら中を覗かせてもらうと、中にはスーパーのポイントカードが大量に入っていた。ただ、小銭は入っていたが、札は全く入っていない。
「これも違うよね?」
 布施先輩が見せたのは白い折りたたむ財布だった。こちらはクーポンとか入っているけれど、札がないのは一緒だ。
「海ちゃんのお財布は入ってない・・・」
 布施先輩の顔がいつになく真剣だ。宋さんが向こうを指さした。その先にはインフォメーションセンターの看板。
「ちょっと聞いてきます。財布を失くしたっていう人がいないかどうか」
 そう言って先輩が走って行ってから数分。先輩は必死の形相で戻ってくると、息を上げながらも休むことなく話した。
 今日は何件ものひったくりが起こっていること。渡海の鞄の中にあった財布は全て、その被害者たちの持っていたもの。そして、そのひったくり犯はまだ見つかっていないということ。
 これだけのピースがあれば、俺だってすぐに分かった。
「間違いないよ。海ちゃんはその人に誘拐されたんだ・・・」
「そうでしょうね・・・。恐らく、犯行現場を目撃したか何かでしょう。とにかく、急がないと・・・。警察に連絡して・・・」
 宋さんが携帯を出すが、布施先輩が首を横に振る。
「駄目だよ。海ちゃんが誘拐されたっていう明確な証拠もないし、迷子だって言われるだけだと思う」
 それはそうかもしれない。布施先輩が俺と宋さんに視線を寄越す。
「高校生の女の子をそう長く連れ回せるとは思わない。多分、どこか人目がないところに連れていって、ここから出る機会を待っているはず。だから、海ちゃんが連れていかれる前に探し出すよ」
「はい」
 今まで、相談部にいて事件は色々あった。だけど、ここまで緊迫した状況は始めてだ。布施先輩に任せていれば何とかなる、という状況じゃないんだ。
「とにかく、分かれて行動しましょう。連絡は携帯を使って。人目がつかなくて、出口までの道が確保された場所を」
 そう言うと、先輩が走り出した。短い髪が走る衝撃で大きく跳ねる。
「行くぞ、芳樹!」
 宋さんも別の方向に走り出す。俺は二人と違う方向に向かって駆け出した。布施先輩は水を使ったアトラクションの集まる場所。宋さんは子供向けのアトラクションの場所。俺はジェットコースターの乗り場が密集した場所だ。
 ジェットコースターの近くには木や池が多くある。木の陰やボードなら、長い時間人目につかず、隠れていられるかもしれない。
 そう思ってあちこちを駆けまわった。楽しそうに手を繋いで歩いていくカップル。着ぐるみに飛びつく子供。ジェットコースターに乗って奇声を上げる乗客。
 何もかもが目障りで、腹が立つ。
 こっちはそれどころじゃないんだよ!
「こっちにはいない!」
 電話の向こうで宋さんが怒鳴る。
 続いて、
「こっちもダメ・・・」
 布施先輩の声。俺も即座に返す。
「こっちにもいません!」
 既に探し始めて二時間近くが経つ。夕方になって、帰り始める人も多くなってきた。
 俺たちはメインストリート脇の噴水の前に再集合した。
「マズいよ・・・。帰る人が多いと紛れちゃって分からなくなる」
 出口を見張るにしても、東西南北にゲートがあるから、既に三人では無理なことだ。
 不意に宋さんが俺たちの手を引いた。
「もう一回観覧車乗りましょう!上からなら、死角になる場所も見れるし、渡海の白い服なら発見しやすいです」
「そんな悠長なことしてる暇ないよ!」
 布施先輩が初めて怒りを露わにした。宋さんが思わず手を離した。
「そんな時間のかかることできない・・・。考えて。安全に、絶対気づかれずにここを抜け出す方法を・・・」
 先輩は焦っていた。いつも穏やかな先輩が。いつも笑っている先輩が。
 渡海を心配して、必死になっている。それは多分、宋さんも・・・俺も。
ふと横を見ると、メインストリートの両サイドに人が集まってきていた。何だろう。そう思ってはたと気づく。
「そっか・・・パレード始まるんだな・・・」
 もうそんな時間なんだ。急がないと・・・。
「フロートに乗ったらそのまま外に出られるんスけどねぇ・・・」
 そう呟いた瞬間。
「それだよ!」
 布施先輩が声を上げた。
 その勢いに俺と宋さんがのけぞる。それを気に留めた様子もなく布施先輩は園内の中央を指さした。
「あの城!このパレードのフロートはあの城から出てくるでしょ?!だから、あの中で待機して内部を通るフロートに乗って外に出れば、絶対に気付かれないで出られるよ。フロートの中には無人のものも何個かあるってパンフレットにも載ってたし!」
 言うな否や先輩が駆け出した。
 弾かれたように宋さんも走っていく。
 俺も二人の後姿を追うように駆けた。
 空がオレンジと深い青のグラデーションに染まる。雲が彩られ、ぬるい空気を風が運んでくる。
 子供のはしゃぐ声。鳴り響くシンフォニー。アトラクションから鳴る効果音。長いヒールが地面を叩く音。荒く響く布施先輩の呼吸音。宋さんの靴音。
 全部が全部、耳の周りで渦巻いて眩暈のように感じさせる。
「パレードが始まるまであと十分もないよ。それまでに・・・」
 布施先輩が言うと同時に宋さんが城の中に駆け込んだ。
 布施先輩がそれに続く。
 俺は園庭を一度見渡した。パレード見物に行ったのか、人はいない。ただ噴水を背景に四体のブロンズ像が立ち尽くしているだけだ。槍を持った奴が一体、盾が二体。一体は何かを握るような形はしているものの、何も持っていない。
 俺はそれを後目に城の中に急いだ。
 大理石を模した硬い床に俺たちの足音だけが響く。
 フロートはトンネル状になった城の一階回廊を抜けてメインストリートに現れる。
 だとすると――――
「上だ!」
 そう叫んで螺旋階段を回っていく宋さん。布施先輩がよろめいて手すりに手を置いた。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫・・・ごめん、ちょっと足痛くて・・・」
 決して高いわけではないけれど、それでも丈のあるヒールは走るのに向いていない。それで全力疾走なんかしたら足首を痛めたって不思議じゃない。見ると、足首の部分は靴で擦れて赤くなっていた。少し腫れているようにも見える。
「先行って!海ちゃん探して!私もすぐ行くから・・・」
 そう言って一歩踏み出した先輩は即座に顔をしかめて踏みとどまった。
「先輩、ちょっと我慢してください!」
 先輩の白くて細い腕を掴んで引くと、そのまま先輩を背負いあげる。
 日頃から馬鹿みたいに重たい相談資料を持ってるんだ、俺は。年上といっても、女一人持ち上げるのは出来る。
 変なこと考える余裕もなく俺は階段を駆け上がると廊下を見回した。
「芳樹!あの奥の扉だ!」
 反対側の扉を指さして、廊下に転がり出てきた宋さんが叫ぶ。俺は頷いて先輩を背負ったまま廊下を駆け抜けた。
 綺麗に装飾された重そうな両開き扉。内側から鍵がかかっているのか、押しても開かない。
「鞘脇君、顔!横に!」
 刹那、冷たい両手が俺の頬を後ろから掴むと強引に横に倒した。ゴキュッ、と奇妙な音が首からなる。同時に何か巨大な塊が俺の顔のあった位置を通り抜けて壁に叩きつけられる。
 明らかに何かが壊れた音がして扉が吹き飛んだ。
「そ・・・宋さん?」
 振り返ると、ぜぇぜぇと息を吐きながら扉を睨み付けている宋さんは目に映った。そして俺の足元に落ちているのは大きな白い彫像。粉々に砕けて、女性の手と思われる部分が転がって来た。
「行くぞ!」
 宋さんが俺の横を通り過ぎていった。布施先輩が俺の服を軽く引っ張る。それが合図になったように、俺の足も駆け出している。
「渡海!」
 俺が怒鳴ったのと同時に部屋の奥にいた二つの影が振り返った。部屋は真っ暗だった。だが、二つの窓と壊した扉のおかげで中は見える。地面に横たわった人影に叫ぶ。
「鞘脇!先輩!」
 渡海が声を上げる。そして、立ち上がろうとするが即座にその場に倒れこんだ。足首と手が黒い紐で結ばれている。よく見ると、電気コードだった。コンセントに差すプラグが見えている。
「おい、あんた!」
 宋さんが叫ぶ。
 転がった渡海の横に立っていた男が血走った眼を俺たちに向けた。
「何で分かった?!」
「フロートに乗って逃げようと思ったんでしょう?」
 頭の後ろで澄んだ声がする。
 背中で先輩が身じろぐ。
「海ちゃんを連れて堂々と門からは出られない。そう考えたあなたはパレードのフロートに乗って逃げようと思った。だけど、海ちゃんを抱え上げてフロートに乗るのは抵抗される可能性もあって危険。そこで、上から飛び乗ることにした。この城は一階にフロートが収められている。だから、ここにしたんでしょう?そこの窓はそのまま一階の吹き抜け部分に繋がってる。飛び降りれば乗れるもんね」
「あんたが頻発してたひったくりの犯人だってのも分かってるんだよ!」
 先輩の後を引き取って叫ぶと、そいつは隠していた左手を見せた。そこには何か細長いものが握られていた。
 ん・・・あれって・・・。
「ブロンズ像の・・・」
 槍じゃないか・・・。何も持ってなかったブロンズ像の持ち物だったものだろう。
「そうだよ。先端は摩耗してるけど、殴れば十分痛いからなぁ。大人しくしとけよ」
 槍の先が俺たちに向けられる。暗闇の中でわずかな光を受けてきらりと青銅が輝いた。
「宋さん、何とかして下さいよ!サッカー部でしょ!」
「バカっ!俺のベルトからはサッカーボール出ねーし、靴もキック力を強化してくんねーよ!」
「そういうことじゃないでしょう!?」
「それに腕から光線出せないし、バイクに乗ってカッコ良くアクションなんて無理だっての!」
「だから、そう言う話じゃないでしょってことですよ!」
 駄目だ、この人じゃ・・・。
 同時に窓の向こうで派手な音がした。眩いばかりの光が窓から差し込んでくる。
 パレードが始まってしまうんだ・・・。
 男が渡海を結んだコードを引く。
「ちょっと、何すんのよ!」
「うっせぇっ‼!」
 抵抗する渡海を強引に引きずって窓から飛び降りようとしている。
 不意に背後から布施先輩の手が伸びてきた。そして、優しく耳を塞がれる。
 そして、
―――――――‼!
 つんざくような絶叫が轟いた。塞がれた指の向こうで高音が響く。宋さんが耳を塞いでしゃがみこんだ。
 ギョッとした様子で男が動きを止める。同時に渡海が足を払った。それは傍にあった花瓶をなぎ倒す。
 蘭のような形状の花が入った大きな花瓶は音を立てて倒れる。そして、中から大量の水があふれ出した。それは横たわった渡海を浸していく。
 何してんだよ!
 そう叫びそうになる。だが、渡海の目を見て動きが止まった。
 彫像をぶつけた宋さんと同じ目だ。何かに必死な目。
 後ろ手にコンセントのプラグを掴んだ渡海はそれを濡らしてそのままコンセントに突き刺した。
何かが爆ぜる音がする。そして、青白い炎が渡海の手元から上がった。
 ゆらゆらと鬼火のように立ち上がったそれは男の視界を覆うように現れる。その炎に反応したのか、けたたましいベルが鳴った。そして、天井から大量の水が降って来た。スプリンクラーが発動したようだ。
 悲鳴を上げて飛び下がるひったくり犯は、近くにあった黒いバッグを掴んで今度は俺たちの方に突進してきた。
「鞘脇君!左!」
 鋭い声に反射のように顔を左に傾けた。同時に右耳の横を何かが掠める。
ブンッ
 風が唸った。
 そして、
「うわぁっ!?何だ・・・」
 俺の顔の横を通過したのは先輩の靴だったのだ。それは相手の男の鳩尾にヒットしていた。何というコントロール・・・。
 宋さんが飛びかかった。そして、男の腕を抑えて動きを封じる。
 この部屋の騒ぎを聞きつけてか、人の声が近づいてくる。
 コードを解いた渡海が憤然として立ち上がった。



「事情は分かりました。お客様を危険な目に遭わせる結果となり、申し訳ありませんでした」
 応対に来た園の職員の人はそう言って、俺たちをスタッフの控室へと連れて行ってくれた。渡海により電気コードをこれでもかと巻きつけられたひったくり犯は、別の職員たちによって警察が到着するまで監視されているらしい。
「うわぁ、ずぶ濡れだぁ・・・」
 タオルを被った渡海が呟く。ふんわりとした渡海のワンピースは今やシルエットが一直線になってしまっている。
 宋さんは無言で髪を拭いている。折角決めた髪型が台無しになって、少し機嫌が悪いみたいだ。
 渡海の話によると、屋台通りから少し離れたところに一口ケーキを売っている屋台があるのを見つけて、近道になりそうな植木の中を通り抜けようとしたときに、植木の陰でひったくった鞄の中身を物色していたあの男と遭遇し、一悶着の末に殴られ、それで気を失っている間に城内まで連れ込まれたらしい。犯人にとっては幸運なことに、城を通り過ぎたすぐのところに園の救護室があり、倒れた渡海を救護室に運ぶ風を装って城の中に入ったというのを職員の人が教えてくれた。
「にしても、布施先輩といい渡海といい、今日の手柄は女性陣に持ってかれたな。どうすんだ、芳樹?」
 今日、大事な局面で一番機能しなかった人が何事かほざいている。
 だけど、言ってることは本当だ。確かに、今日のは先輩や渡海のおかげだ。
「ごめんなさい。私が捕まっちゃったせいでパレードも見れなくて・・・」
「いいよ、いいよ。みんな無事だったわけだし。な?」
 俺たちを見た宋さんに、俺と布施先輩は揃って頷く。
 ふと、窓の外が色鮮やかに輝いた。
「あ・・・」
 立ち上がった布施先輩が窓の外を見る。次いで、俺たちに振り返り、にっこりとほほ笑んだ。
「みんな、見て。帰って来たフロートが見えるよ」
 俺たちも窓際に移動する。
 見ると、園の外から帰って来た数々のフロートがゆっくりと城門に吸い込まれている。
「最後にいいの見れたし、いいんじゃない?」
 隣でくすりと先輩が笑う。それに合わせて短い髪が揺れた。
 宋さんが空腹を訴える。
 渡海は小さく息をついて窓の外を眺めていた。
「そういえば、役立ったね。前の事件」
 ぽつりと布施先輩が呟いた。
 確かに、と俺は頷く。
 演劇部から寄せられた事件の謎が、利用できた。
「海ちゃんも火傷しなかったし」
 渡海は相当な強運の持ち主のようで、あれだけ激しい炎を起こしたにも関わらず、コンセントプラグを持っていた手に火傷ひとつ負わなかった。
 それでみると、相談というのも案外役に立つのかもしれない。相談部の良いところは布施先輩だけではないのかもしんない、とも思った。
「みんな、来週は忙しい?」
 不意に布施先輩が聞く。
 きょとんとした顔で首を振ると、先輩は小首を傾げて、
「今日は色々大変なことになっちゃったし、海ちゃんなんかは特に楽しめなかったと思うから、来週にでも埋め合わせてってことで、どこか行かない?」
「行きます!」
 我先にと賛同する俺たちに、先輩はさらに笑みを深めた。
「じゃあ、そういうことで」
 空はすっかり黒に染まって、小さな星がそこかしこで瞬いている。
 相談部の夏はまだまだ終わらないみたいだ。

パニックテーマパーク

 文化祭で新聞部ブースで配布した小説です。今回は鞘脇たちが学校を飛び出し、校外で事件に巻き込まれます。本気な宋向や、慌てる布施、そして、逞しい鞘脇など、普段とは違ったメンバーの一面が見られる回になりました。シリーズの中では一番好きな話かもしれません。

パニックテーマパーク

デートの申し込みのつもりが相談部での小旅行になってしまった鞘脇の企画した遊園地行き。そこで渡海がとある事件に巻き込まれてしまって・・・。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-23

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted