看板


ビルの屋上に設置された広告用の看板を照らす,あの電球,あれを数個盗んだことで,捕まった男がいた。捕まったこと自体に不思議はない。電球に照らされなくなった深夜の看板は目立ち,ビルの要所要所に設置された防犯カメラは正常に機能しており,人通りが多い時間帯をわざわざに狙って,犯行に及んだために,目撃者に事欠かなかったという事情と,その時の看板に出された広告が,人気急上昇のアーティストが表紙を飾る,新刊雑誌のものだったという偶然を合わせれば,その発覚は実に合理的な理由に基づいている。だから,そこのところに関して,特に記す必要はない。記さなければいけないのは,その男に私が頼まれた,しなければいけないことの方である。
今,私は件の屋上にいる。男が電球を奪っていった,あの看板も目の前にある。下から見上げて確認したところ,新たな電球はまだ取り付けられていない。そのままの状態でも雑誌名だけは見えているし,少なからずテレビでも取り上げられたものだから,相乗効果で広告できると計算しているのかもしれない。おかげで私は助かったのだから,そうであったとしても,ケチをつける気はない。むしろ,私はこの広告主に対して,予め謝罪をしておかなければならない。なぜなら,私がこれからすることで,先の広告主の狙いは打ち破られることになるからだ。いや,事が上手く運べば,かえって私は,広告主から感謝されることになるかもしれない。
ああ,そうだ。念のため,ここで明らかにしておかなければならないのは,ここにいる私は,決して不法に侵入したわけではないということだ。約束していた時間どおりに,このビルの一階に現れた私は,ビルの管理人の案内に従い,エレベーターと階段を利用して, 屋上にたどり着いた。用件が済んだら合図をして下さい,私は階下のどこかにいますから,と管理人は言ってくれた。私はそれに対して,感謝の意を丁寧に伝えた。だから,私はここに堂々といられる。安全面には注意をしなければいけないが,見つからないようにする必要はない。別に,私が先の管理人と知り合いだったとか,このビルを所有する会社の重役であったとか,そんな都合のいい事情があったわけではない。私はただ,捕まった男から頼まれた際に,指示を受けた通りに行動しただけである。つまり,このビルの屋上にいられるのは,男が段取りをつけたおかげである。男はおそらく,先の管理人と知り合いであるか,このビルを所有する会社の重役と懇意にしている(重役でないことは,知られている男の職業から明らかである)。男だって堂々と,ここにたどり着けたのである。この事と,実は男が,電球を盗んだことの他,このビルの屋上に不法に侵入したことでも捕まっているという事実は矛盾するのだが,しかし説明できないわけではない。捕まった件に関しては,男は誰からも許可を得ていなかった。なぜなら,男は突然思い付いたからだ。そして男はこのビルの周辺のショップを駆け回り,必要な物を発見・購入し,唐突にビルに侵入して,駆け上がって(というのは文字通り,その時,男はエレベーターを一切利用しなかった),ここまでたどり着き,それから看板によじ登って(と男は言ったが実際は都合よく,置き忘れの脚立が一つ,そこにあった),一つずつ,電球を外していって,通報を受け駆けつけた警察官の数名により,作業を中断され,降りてきたところを取り押さえられた。これが事の顛末だった。そのため,事件に関して,説明を要することは一つである。捕まらなくても済んだはずの男が,捕まってでもしたかった事は何か,という事である。それは,私が頼まれた事でもある。
それを実行する前に,まず私は携帯端末を上着の内ポケットから取り出して,夜間モードを選択して,この屋上から見える光景を数枚写した。街の主役はビル群である,と何かの雑誌(映画関係のものだったか?)で読んだが,その通りだと思う程に煌びやかであった。発光しない壁面はこのためであったか,と一人納得していた。現実として広がる目の前のものと,我が手に収めた画面の数枚を見比べて,私は満足した。それから画面をオフにして,携帯端末を元の場所に戻した私は,男から預かった,数個の電球を確認して,そこに置かれたままの脚立を立て,看板に掛け,もう一度取り出した携帯端末で管理人に連絡を取り,電気を消してもらってから,持参したペンライトのお尻を噛み,作業に取り掛かった。安全面とともに,男によって決められていた,各電球の取り付ける箇所を間違えることには特に注意を払い,それを最後まできちんと行った。そして再び入れてもらった電気により,作業が無事に完了したこと,男の狙いは成功したことを誰よりも近くで確認した。近くで見るだけでこうなのだから,ビルの下から見上げたなら,もっとこの出来の良さを感じ取ることが出来るだろう。そう思うと,これに加担しただけの私は,誇らしい気持ちでいっぱいだった。脚立をきちんと片付けることができた。
それも写真に撮った。私は男にそのすべてを報告した。
青色を存分に活用し,日が暮れた後で浮かび上がるアーティストの姿は,後日のニュースで取り上げられた。ネットでも話題を呼んでいたが,テレビで取り上げられたことで,さらに話題を呼んだ。見上げた写真を撮るために集まる人たちのおかげで,あのビルは,街の名所のひとつになった。私たちが実施した演出のため,雑誌名は見えにくくなったのだが,結果として雑誌の売れ行きは倍増したのだから,男にも私にも,雑誌社からの抗議が届くことはなかった。私はそれを男に報告しに面会にいった。その一報に,男は鼻から息をフーッと吐き出し,口角を限界まで持ち上げて,満足したという顔を私に披露した。あの広告の写真を撮った男としては,ここまでしてやっと,仕事をしたという事なのだろう。私はそう理解した。だから私は頷いた。私の報酬は,ここまでやって,男に請求できるのである(近々挙げる結婚式の写真は,一流の腕によって,無償でして頂けることになった)。
後日,釈放された男を迎えにいった帰り,右折に手間取った車のせいで,他の車両の先頭に立って,交差点の信号機に捕まった私が,ハンドルから手を離し,指を鳴らそうとしたところ,助手席に座る男は首を鳴らして,駅前のビルを見上げ続けた。あのビルが建っているのはここではないし,その時は昼間の日差しの只中にいた。だから,男の目的はあの広告ではない。別の広告の可能性はある。男の手によるものは,あの広告以外にもまだまだあるからだ。見つければ,そして思い付けば,多分男は駆け出すだろう。助手席側のドアを開け放ち,また,無茶をするかもしれない。その時,私は同じように協力はしないつもりだ。私は飽き性である。
なので私は,きっと男の代わりに,そこにいることになるだろう。

看板

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-22

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