蒲公英の睫

 昔の記憶というのは曖昧なものだ。年を重ねるごとにあやふやになっていく。今では高校の同級生の顔もわからない事が多いだろうし、忘れた事さえ忘れている事というのが、きっと沢山ある。だが、そんな昔の事でも、誰しも鮮やかに覚えている記憶と云うのがあるのではないだろうか。景色だったり、場面だったり。きっと幼い頃に強烈に焼き付けられた記憶というのを持っていると思う。私の場合、一つはそれが澄んだ青空と、タンポポの花弁(はなびら)なのだ。


 子供の頃、まだ幼稚園児だった頃の話だ。私は田舎の団地に住んでいた。団地は5階建てで、二棟、東西に並んでいた。南側である家の裏は、遊具が幾つかある公園となっていた。団地二棟分の細長い公園で、地面は砂利などではなく土に草が生えているものだった。草、雑草とは云ってもボーボーに延びていたりはせず、管理人のおじさんが時々刈ってくれ、管理が行き届いていたように思う。当時は雑草、草呼ばわりしていたが、今思うとあれは芝生だったのかもしれない。その裏手の公園の事を、私達は「うら」と呼び親しんでいた。年の近い子供も数人おり、遊び場や遊び相手には事欠かない毎日だった。

 ある良く晴れた春の日の事だった。空は澄んだ青色で、日差しがとても眩しい日だった。タンポポが咲き誇っていたように思う。私と年の近い子供数人と、親が何人かでうらで遊んでいた時のことだったと思う。子供は遊んで、親それを見ながら井戸端会議をしていた。その頃は、幼稚園帰りなどにそうしているのがお決まりだった。うらにはブランコが2台あり、その周りを低い手すりのような黄色い柵で囲われていた。私達はその黄色い柵で平均台の様に遊ぶ事もよくしていた。ただ、私は運動神経が悪かったので、あまり柵の上を歩くことは出来なかったのだけれど…。

 その日は、ブランコに乗っていたのか、柵で遊んでいたのか、正直定かでない。定かでない、が、恐らくブランコに乗っていたと思う。恐らくブランコに乗っていて、そして恐らく、私はブランコから落ちた。その時私は恐らく、気絶をした。恐らくばかりで申し訳ないのだが、もう随分と昔の事であるし、そして恐らく気絶をしたりもしたので、如何せん記憶が曖昧なのである。記憶が曖昧であるのだが、私は後頭部を強打し、視界は一度ブラックアウトした。遠くで遊んでいた友達なんかの声がしていたように思う。
 そうしてどれくらい気を失っていたかはわからないが、私は目を覚ました。その時目に入ったのは、どこまでも澄んで強烈に眩しい青空と、タンポポの花弁だった。まつ毛が視界に入る時のように、あの細いタンポポの花弁が視界に入って来た。気を失って目を閉じていた私には、その日の日差しは眩しすぎて、すぐに目を閉じてしまったが、本当に綺麗な青空と、何故か視界に入って来たタンポポの花弁が視界に焼き付いて、今でも思い出す事が出来る。今は写真を極彩色に加工する写真家さんがいたり、そんなアプリがあるが、まるでそんな加工をしたかのような青空。そして何故か視界に入るタンポポの花弁。あの時見た青空は、人生で一番綺麗な青空だった。余談だが、人間の網膜も日焼けをするらしい。子供の頃の方が景色が鮮やかに見えたのは本当で、大人になるにつれ網膜が日焼けし、色褪せて見えるようになるのだそうだ。だからもう子供の頃のように鮮やかな世界を見ることはできない。あの青空が私の人生一番の青空と云うことになる。あの青空がこれだけ記憶に残っているのも、気を失ったりしたおかげなので、怪我の功名とでも云うのだろうか。
 目を覚ました、私はあまりの眩しさに目を閉じ、手で目を覆ったような気がする。後頭部がとても痛く、すぐには動けなかったので寝っ転がったままだ。目を閉じて周りとの受け答えをしていたのだけれど、その時にあるおばさんが、「タンポポを目に乗せる(入れる?)と目に良い、目が悪くならない」と云う内容の事を言っていた気がする。上記の理由で記憶が本当曖昧なのだが、そんな事を言っていたと思う。正直、その時は良く分からなかったし、今でもよく分からない。頭をぶつけ気を失っている子供の目を心配するのもよくわからないし、おばさんがそんな事をするのもよくわからない。そもそも本当におばさんがやったのだろうか。一緒に遊んでいた子の誰かがやったと考える方が自然ではないだろうか。そもそも本当に誰かが私の目にタンポポの花弁を載せたのだろうか?わからない事だらけだ。わからない事だらけだが、私が目を覚ました時、青空と、まつ毛のようなタンポポを見たのである。その時、手の中には確かに数枚のタンポポの花弁があった。


 小学生くらいの頃に、母にその時の事を尋ねてみた事がある。母は、落ちた事すら定かでは無かったし(正直私も母がその時いたかどうか定かでない)、タンポポに至ってはまるでわからないようだった。その時タンポポ云々言っていたおばさんに仮に尋ねたとしても、きっと覚えてはいないだろう。記憶も恐ろしく曖昧だし、本当の事かもわからない。けれど私の幼き日の記憶として、抜けるような青空と、タンポポの額縁が鮮烈に残っているのである。

蒲公英の睫

蒲公英の睫

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-22

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