けっこんしたいひと
けっこんしたいひとは、くまです。
しろくまさん、です。
商店街にあるケーキ屋さんで、バナナケーキをつくっています。
バナナケーキしかつくれない、しろくまさんです。
ほかのケーキは、店長さんがつくっています。
バナナケーキをつくるのと、店長がつくったケーキを、ぴかぴかにみがかれたショーケースにならべるのと、お客さんがやってきたときにご注文をきくのと、ケーキを箱につめるのと、レジを打ってお金をもらって、おつりを返すのが、しろくまさんの役目です。ショーケースをきれいにみがくのも、そうです。
しろくまさんは、とても働き者です。
少しずつではありますが、店長さんからバナナケーキ以外のケーキのつくりかたも、教わっているそうです。しろくまさんは、なんせ、お菓子の専門学校に通うためのお金が、ないものですから。
しろくまたちに対して仕事も紹介しない、ひどい街もあるみたいですが、ぼくの住んでいる小さな町は、しろくまたちにやさしい町ですから、自治体から、にんげん社会で暮らしてゆくための援助が、わずかですが、いただけるそうです。
ぼくが好きなしろくまさんは、その援助と、ケーキ屋さんのお給料で、慎ましくも幸せな生活ができている、と話します。
しろくまさんは、にんげんよりも、にんげんらしい、しろくまです。
だいすきです。
ぼくはしろくまさんのバナナケーキを、まいにちたべたい。
「しろくまは、おまえ、しろくまだぞ。それでおまえは、にんげんだ」
ぼくの、しろくまさんへの想いをきいた、自転車屋さんは、そう言いました。
愛があれば、だいじょうぶです。
ぼくは答えました。
自転車屋さんは、十四才のくせに愛って、と笑いました。ばかにされている、ことを、くやしいとは思いませんでした。自分でも、思うのです。十四才のくせに、愛って。
「それから、しろくまはオスだ。そしておまえも、男だ」
愛があれば、だいじょうぶです。
今度は声に出さず、こころのなかで答えました。
自転車屋さんは、しろくまさんが働いているケーキ屋さんの、斜め向かいにある自転車屋さんのひと、でした。つなぎを着ているひと、でした。自転車を整備するときは頭にタオルを巻くひと、でした。むかしはやんちゃしてた、とのことですが、いまもじゅうぶん、やんちゃにみえます。
ロードバイクのホイールを磨きながら、自転車屋さんは続けました。
「十四才だ、おまえは。しろくまへのそれは、一時的なものだ。やさしくされたから好かれているとかんちがいする女といっしょだ。十四才だ。うつろぎやすい、こどもは。そして残酷だ。大事にしていたものをかんたんに捨てられる」
ぼくは、だまってきいていました。
自転車屋さんの言うことは、まちがっていない。
そう思いながら、自転車屋さんの斜め向かいの、ケーキ屋さんの店頭でチラシを貼りかえているしろくまさんのことを、ぼくはみていました。
ぼくは、十四才です。
中学生です。
しろくまさんへの想いは、一時的なものかもしれない。
自分でも、そうなのではないかと思うときが、ありました。
しろくまさんのことを、きらいになってしまった場合のことを考えるときが、ありました。
好きだ、けっこんしたいくらい好きだ、と想っていた相手と、こいびと同士になったとして、では、こいびと同士でなくなる瞬間とは、どういうときなのか。
浮気をした、されたとき。
あきた、あきられたとき。
いやなことをした、されたとき。
気持ちが離れたとき。
とつぜん、きらいになったとき。
とつぜんきらいになることって、ある気がしました。きのうまで好きだったのに、きょうになったらきらいになっていること。
眠るまでは好きだったのに、目が覚めたらきらいになってること。
「でも、ぼくは、しろくまさんが好きです」
お店の窓にチラシを貼っているしろくまさんをみながら、ぼくは言いました。
「しろくまさんが、好きです。けっこんしたいくらい、好きです」
しろくまさんが、うまれた国に帰るのならば、ぼくはついていきます。
しろくまさんが、あのケーキ屋さんをいずれは店長さんから引き継ぐのならば、ぼくもケーキ屋さんをお手伝いします。
しろくまさんが、交尾をしたいというならば、します。
この町にきてから、お魚ばかりたべているというしろくまさんが、お肉をたべたくなったのならば、ぼくがしろくまさんのためのお肉になります。
しろくまさんが、ぼくにいなくなれというならば、ぼくはいなくなります。
しろくまさんが、ぼくのことをきらいだというのならば、ぼくは、やっぱりいなくなります。
「それくらい、しろくまさんのことが好きなのです。好きです。けっこんしたい。ねえ、自転車屋さん、ぼくはどうしたらいいですか?しろくまさんがつくるバナナケーキをまいにちたべるために、ぼくはなにをしたらいいですか?」
自転車屋さんは、なにも言いませんでした。
きゅ、きゅと、ロードバイクのホイールをゆっくり、ていねいに磨いていました。
ぼくはいつのまにか、泣いていました。
ぬぐっても、ぬぐっても涙は、ぼろぼろとあふれてきました。チラシを貼り終え、店に入ろうとしている、しろくまさんの背中が、ぼやけてみえました。
ぼくは、じゅうよんさい。
ほんとうは、わかっているのでした。
愛だけでは、どうにもならないことがあることを、わかっているのでした。
けっこんしたいひと