きみはきれいだから、きえて

 朝のばけものと、夜のばけものと、わたしと、きみが、友だちだったのは、いつのことだったかしら。
 わたしは、朝のばけものも、夜のばけものも、すっかりみえないからだに、なってしまった。おとな、になったからだ、きっと。
 生理がきて、胸がふくらみ、おおきくなるにつれて、次第に朝のばけものと、夜のばけもののからだが、薄くなっていった。
 朝のばけものと、夜のばけものが、この世界から消滅しそうになっているのではなくて、わたしが、彼らがみえない体質に、なりはじめているのだと気づいたとき、わたしはおとなになりたくないと、こころから思った。
 しにたい。
 完全なおとなになるまえに、こどものままで、しにたい。
 そうぼやくわたしに、きみは言うのだった。
「しにたいなんて、軽々しく口にしないでよ」
 わたしは、べつに、いいお天気ね、なんて軽さで、しにたい、と言ったつもりはない。けれど、じゃあ、いますぐ包丁を突き刺せ、とか、ビルの屋上から飛び降りろ、なんていわれて、できるかといえば、きっとできないだろう。

 みずうみには花が、浮いている。
 このみずうみは、いつもそうだ。花が浮いている。赤い花のときもあるし、白い花のときもある。黄色い花のときも。いずれも花は花ひらいた状態で、湖面を漂っている。その光景を美しいというひともいれば、奇妙だともいうひともいる。みずうみに浮いている花が、どこからやってきた花なのか、わからないからだ。どこで咲いた花なのか、まるでわからないからだ。だれにも、わからないからだ。
「わたしは好きよ、この景色」
と言ったのは、朝のばけものだった。
 もう、わたしにはみることも、声をきくこともできない、朝のばけもの。
 朝のばけものは、朝起きるとかならず、みずうみの花を眺めるのだと言った。朝のばけものの家は、みずうみの近くにあった。
「霧深い朝なんて、絶景なの。白く煙る湖面をゆらめく、赤や、白や、黄色の花。花にだけ、色がある。色があるから、なんとなく匂いも、わかる。霧のたちこめる朝って、なんだか不吉なことが起こりそうで、あまり好きじゃないのだけれど、でも花を愛でるときは、気にならない。ふしぎね」
 むしゃむしゃ、むしゃむしゃ、なにかのお肉をたべながら、朝のばけものは教えてくれた。朝のばけものがたべているお肉がなんのお肉かは、教えてもらえなかったけれど。
 
 それから七色に光る、あの山。
 あの山には、夜のばけもののお屋敷があった。
 夜のばけものは、語るのだった。
「私はこの山が放つ、七色の光に包まれて眠りたいと思い、屋敷を建てたのですが、しかしなかなか、夜というのは眠気が襲ってきませんで、私が眠る時間には、七色の光はすっかり太陽の光に負け、輝きを失ってしまうのですな。いやはや、残念でなりません」
 ワイングラスをぐるぐるまわしながら、夜のばけものは言った。夜のばけものがまわすワイングラスのなかには、赤でも、白でもないワインが、そもそもワインかどうかも不明な液体が、波打っているのだった。それはジュースなの、とたずねると、夜のばけものは、
「ジュースではありません。アルコールの類いではありますが、なにかは秘密です。おとなになりつつあるとはいえ、あなたはまだ、こどもですから」
と微笑んだ。クソ紳士やろう、と、わたしはこころのなかで言った。
 おとなになりたくないくせに、こども扱いされることを腹立たしく思う、わたしだ。
 その頃にはすでに、夜のばけものの姿は、ぼやけてみえていた。夜のばけものの、にんげんよりも太く、ゾウより細い脚は、はんぶん、わたしの視界からきえていた。

 それから、きみ。
 きみは、きれいなひとだった。
 肌はつやつや、玉のようだったし、髪はすとん、とストレート、ほっぺたはほのかに色づき、ぷくんとふくらむ胸の感触は、平凡な例えだけれど、おかしのマシュマロを想わせた。
 団地の五階に住んでいたきみは、団地の屋上にある、丸い貯水タンクが好きだった。
 気づけばいつも、そこにいた。
 貯水タンクの陰で、きみは、マンガを読んでいた。
 音楽を、きいていた。
 ぼーっとしていた。
 マンガは、ちょっとエッチな少女マンガで、音楽は、がちゃがちゃうるさいやつで、わたしはどちらにも、興味がなかった。北欧神話と、静かで冷たい音楽が好きだったわたしを、きみは、つまらないやつ、と言った。
 きみは、思ったことを言葉にしないと気がすまないひとだったので、わたしが趣味で書いたポエムを、ありきたりだ、と指摘した。わたしも、おなじことを思っていたので、怒りも、かなしみも、なかった。丸い貯水タンクを撫でながら、きみは、
「ひんやりしているの、しんだひとのからだみたい」
と言った。
 お姉さんが、みずうみに浮かんでいたことは、この町では有名な話だった。赤い花にかこまれて、お姉さんは浮いていた。
「わたしきのう、セックスしたよ」
 となりのクラスの、すごい好きなわけじゃないけれど、嫌いでもない男の子と、したよ。
 そう言ったら、きみは、怒ったね。
 きみは、わたしのことを、裏切り者だと、不潔だと、すごい好きでもないひととそういうことするなんて最低だと罵って、団地の屋上から、わたしを追い出した。
 ちょっとエッチな少女マンガしか、読まないからだ。きみは。
 わたしは思った。思いながら、朝のばけものの家に行ったけれど、朝のばけものは、いくら呼んでも、出てこなかった。夜のばけもののお屋敷も、たずねてみたけれど、夜のばけものも、いくら呼び鈴を鳴らしても、あらわれなかった。どちらも、玄関のかぎは開いていたので、おかしいな、と思っていたのだけれど、つまり、このときわたしにはもう、ふたりの姿がみえていなかった、ということで、声もきこえなくなっていた、ということで、気配も感じ取れなくなってしまった、ということだった。
 そして、きみも、次の日にはいなくなっていて、きみがいなくなってから三週間後に、きみのご両親が遠くの街に引っ越したと、きいた。
 それからさらに二週間経った頃に、山奥にある無人の大きなお屋敷で、きみがみつかったと、きいた。
 三年のかっこいい先輩と、これからデートに行くという放課後のこと、だった。

きみはきれいだから、きえて

きみはきれいだから、きえて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-17

CC BY-NC-ND
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