不機嫌の応酬

 
 眼鏡を踏みつけた俺の相方は、そこはかとなく楽しそうだったから恐ろしい。
 どうやら相当ご立腹だったようだ。いつもより過激な行動パターンを見ながら、俺は思う。正直に言って相手は雑魚だ。本来気圧す必要すら無く、只々事務的に相手をすれば片が付く――と、アイツも分かっている筈である。
 そこへ来てのこのドS寄りのパフォーマンスだ。余程虫の居所が悪かったのだろう。
 まあ、理由は分からないでもないのだが。
「さて――」
 じゃり、と踏みつけた眼鏡をさらに踏みにじって、彼女、風箕棗は笑う。
「こんな雑魚を送って寄越すなんて、君の組織(ところ)は一体どうなっているのかな」
 ……ああ、すっかりそういうノリになっている。
 アイツの本来の性格を知った上で端から見ている分には、非常に面白い余興だ。しかし、やられている当人はさぞや恐ろしい事だろう。何せ状況が状況である。
 アイツの殺気は本物だし、相手は本当に殺られても文句は言えない立場なのだ。
「……やれやれ」
 現状に一つ溜め息を吐いて、俺は彼女を狙う銃口を蹴り飛ばした。どうやら俺が相手をした中で、攻撃の入りが甘かった奴が居たようだ。倒れたままの姿勢で構えられていた拳銃は、軽いローキックであさっての方向に飛んで行った。
「日本にゃ銃刀法ってのがあるんだよ。銃器に頼るな、仮にも魔術師の端くれが」
 呟いて、相手の首目がけてかかとを落とした。きちんと気を失ったのを確認し、俺は相方の方を窺う。これで更に機嫌を損ねられたりしたら、全て終わった後でとばっちりを食うのは俺なのだ。
 幸いにも、棗はこちらの事など気にも留めていないらしい。さっきよりも二、三発分男前の上がった敵を見下ろして、丁度最後通告をするところだった。
「上の連中に言ってやれ。私に喧嘩を売るのなら、せめて『結社』並みの質を持って来いってな」
 これはまたとんだ売り文句だ。この程度の連中の所属する組織なんて、ごくごくマイナーな小さなものだろう。その筋すなわち魔術結社の、最古参にして最大手、最大組織である『結社』と同等のレベルなど、期待する方が間違っている。
 ついでに言えば、職業柄数十か国語を話せるのではなかろうかという棗だが、名乗りが無かったのを良い事にわざわざ日本語で喋っているので、何処からどう見ても外国人な敵の連中にはプレッシャー以外何も伝わっていない事だろう。
 つまり、やっぱり喧嘩を売りたいだけなのである。
 可哀想に、などと考えていてふと気づけば、我が相棒はあろうことか、俺の方を見もせずに立ち去ろうとしていた。
 内心慌てて、しかし棗が最後の一人を寝かしつけなかった手前、何事もなかったように取り繕って後を追う。
途中で不幸なそいつと目が合った。恨みがましい視線に向けて、俺は素直な気持ちを述べる。
「ご愁傷様。」
 相手もタイミングも悪かった。精々打ちのめされてくれ、頼むから二度と現れるな。
 棗を追って薄暗い路地を抜け、大通りに出る。
 明るい路地に、一瞬顔をしかめる。と、不意に真横で声がした。同時に、こめかみに感触も。
「気ぃ抜くなよ、青」
 にやりと笑って、俺の頭に人差し指を突きつけた棗が言う。
「……そう言うお前はホント気が立ってんだな、今日は」
 正直に言えば驚いた。が、それを表に出すほどではない。その程度ではコイツの相方などやっていられない。
「何だ、つまらん。可愛げの無い奴」
 俺の反応がお気に召さなかったのか、肩をすくめてそう言うと、棗は先に立って歩き出した。その後に続きながら、俺は講評に抗議する。
「身長百八十ある大の男に可愛げを求めてんじゃねーよ」
「昔は可愛かったのになあ?」
「どんだけ昔の話だ」
 恐らく初めて会った頃とかそんな所だろう。そもそも、それはむしろこちらの台詞だ。万感を込めて言わせてもらおう、あの頃は可愛かったのに。
「失礼なこと考えてるな、お前?」
 俺の思考を読んだかのような棗の切り返し。とは言っても、今更特に驚きもしない。長い付き合いだし、コイツならそれくらいはやってのけて当然である。
 というか、分かっているなら自重して欲しい。
 はあ、と溜め息を吐いたところで、俺はある事に気付いた。
「あれ、逆じゃないのか?」
 今日は仕事も入っていないから息抜きにでも行こうと、そういう話だった筈だ。これでは来た道を戻って、俺達の組織本部に戻ってしまう。
「ああ――報告沙汰だろ、これは」
 俺の疑問に、今度は棗が深く息を吐く。
「そりゃ気が立ちもするさ。珍しい全日オフだぜ、今日は。奴等のお蔭でほとんどパアだ」
 とんだ災難だ、と棗は長い黒髪を掻き上げる。相変わらず様になっている、と最早呆れながら、俺は一つの疑問を口にした。
「何だったんだろうな、あの中途半端な連中は」
 狙われたのが俺達で、相手が雑魚だったから、今回は一方的に殴るだけで済んだ。だが、一応連中は銃を持っていた。魔術の心得も初歩的ながらあった。即ち、下手をしたら白昼から流血沙汰、どころか人死にだって出かねない状況だったのだ。徹底秘匿が原則の魔術業界において、こんな無謀をやらかす輩が居ること自体が驚きだ。
 しかも相手が、あの――この、風箕(かざみ)棗である。
 無謀を通り越して無知だとしか思えない。
 首を傾げる俺を後目に、しかし棗はあっさりと告げる。
「東欧の方の、小さな魔術結社の連中だろうな。狙いは私、動機は怨恨」
「……は?」
 余りに自然に流れて来た情報に、とっさに頭が付いて行かなかった。
「こないだ個人業の方で、あっちの方の組織同士の仲裁したろ? その時に、私さえ居なければ結構な漁夫の利を貰えた筈の連中だよ。多分ね。銃も向こう製だったし、言語もスラヴ系だった。あの辺は結構物騒な裏方とつるんでるとこが多いから」
「……で、白昼堂々か?」
 棗は肩を竦めて応える。
「時差ボケじゃないのか」
「ふざけんなよ」
 ちょっと真面目な話をしたと思ったらすぐこれだ。呼吸をするように冗談を真顔で言う。しかも今回は悪い事に、真面目な話の方にまで性格の悪さが滲み出ていた。
「つまりアレだ。結局お前の自業自得で、俺は只のとばっちりじゃねーか」
「その為の運命共同体だろ、相棒」
「都合の良い時だけそういう事言ってんじゃねえよ、俺の事置いてこうとした癖に。それに俺はとばっちり受けるために相方やってる訳じゃない、断じてだ」
「一々ご丁寧なツッコミどーも。律儀だな」
 笑ってひらひらと手を振る棗は実に腹立たしい。好きでツッコミに徹している訳ではない。殴れるものなら一度殴ってやりたいくらいだ。
 だがしかし、これだけふざけた奴が業界における所謂最強ポジションで、俺はおろか当代の魔術師が束になって敵うかどうかだというのだから、実に現実とはままならない。拳を振りかぶった所で、どうせ華麗に避けられて終わりなのだ。一々真に受けるだけ馬鹿な話だった。
「ったく。付き合わされてる俺の身にもなれよ」
 呆れと共に吐き出したその言葉に、しかし返事は一拍遅れて返って来た。
「……いや。それは聞き捨てならないな」
 そう言った棗の声のトーンは明らかに下がっていて、何事かと隣を窺う。見れば彼女は真面目な顔で、遠い目で道の先を見つめていた。
 そのままこちらを見もせずに、彼女は言う。
「そもそも私は付き合ってくれなんて言った覚えは無い。一緒にやらせて下さいお願いしますって頭を下げて来たのはお前の方だろ、青」
「う、いや」
 それを言われるとやや痛い。何せ、紛うことなき事実なのだから。立場が弱いのは、実力に乏しい俺の方。
 俺は本来、コイツの相棒など務まる器ではない。
 そんな複雑な思いを今更のように噛み締めながら、しかしこれはこれとして食い下がる。
「……話が違うって言ってんだよ」
「話って何の話だよ。不利益の説明こそすれ、私の相方になるメリットなんて保証した覚えは無いな」
 棗は軽く眉間に皺を寄せる。珍しく、目に見えて気分を害したようだった。
「それに話って言うなら、私の為ならあらゆる努力は惜しまないってのがお前の触れ込みじゃなかったのか? なあ、雨宵(あまじょう)青慰(あおい)
「……非ッ常に不本意だ、が、それはまあ認めよう」
 そう、確かにそんな臭いセリフを吐いたような覚えもないではない。しかし、だ。
「だけどな、それはあくまで『お前の為』であって、お前の不始末押し付けられる為に何でもするとは言ってねぇよ」
 過失だというならばまだしも、である。コイツは今回、分かっていて放置していたのだから性質が悪い。改めて考えれば、今日の外出に俺を誘ったのだって、最初からこの襲撃を読んでの事だったのだろう。
 ――気が立っているのは決して棗だけでないのだ。
 ちょっと期待した俺が馬鹿みたいじゃないか。
そんな幼稚な思考を振り払うように、俺は通りに目を遣った。棗がこちらを一瞥する気配がする。俺は頑なに目を逸らし続けた。どうせ、碌に目を合わせるまでもなく、俺の心情など見透かされているのだろうから。
 やがて棗は小さく頷くと、にっこりと笑みを作った。
「ほお、そうかそうか。喧嘩を売ってるのならそう言えよ、言い値の倍で買ってやる」
「お前相手にそんな高値で吹っかけるような真似するか、俺だって相手くらい選ぶんだよ。それにお前曰く、俺は安っぽい男だそうだからな?」
 随分昔に言われた悪態を恨みがましく持ち出せば、はッ、と鼻で笑われる。
「ああ全くだ。この程度の挑発に乗るような、器の小さい男だとはね。嘆かわしいな」
 肩をすくめてやれやれ、と頭を振る棗。その気障な動作が相変わらず、誂えたように様になっていた。
「それとも、そんなに不満なら」
 棗は言って、俺の正面に回り込む。
その口元がにやり、とあくどい笑みを描いた。
 ――ああ、これは拙い。いつの間にか地雷を踏んだか。
「偶には敵対してみるかい? 相棒」
 眉間に突き付けられた人差し指の銃口に、俺は両手を挙げて降参した。
「……勘弁してくれ」
 何を踏まれるか分かったもんじゃない。
 少なくとも、俺は眼鏡を掛けてないってのに。

不機嫌の応酬

不機嫌の応酬

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-07

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