倣連想の儀式

 三面鏡の前に腰を下ろし、右手薬指を左手の母指球に密着させて掲げる。

「なにやってんの?」

 木内がこちらを見て言う。
木内は三ヶ月前から私と付き合っている女性である。年齢の割に小柄であり、同じく低身長である私と遊園地へ行った時、受付に高校生カップルと見間違われたほどだ。その時の受付の態度に私はひどく憤慨した。人間を見た目で判断するほど浅ましい行為はない。私は脳天に血管が浮き出るほど怒り狂い、欧米で言ったら確実に殺されるであろう単語を嫌というほど連発しながら800Hzのヘッドバンキングを繰り出し、脳震盪を起こして一ヶ月入院した。当時の後遺症は丁度一ヶ月経った今でも残っている。右側の口角が、気を抜くとダラリと下がってしまうのだ。お陰で水を飲むときは気合いを入れなければならない。誰かと会話をするときも同様だ。しかし、気合いを入れるという行為にはなかなか感情だけでは解決できない点がある。心の中で気合いを入れたつもりでも、実際の体には力が入らないことが多いのだ。そこで、プロのスポーツ選手は気合いを入れるために大声を出して叫ぶ。そうすることで体を引き締め、気合いを入れるのである。だからといって私は大声を出す訳にはいかない。水を飲むたび、話をするたびに盛った猫の如き大声を上げればそれこそ精神障害者を疑われる。この難しい問題を解決したのは、とある一冊の本である。私が図書館で出会っ

「ねえ、なにやってんの?」

 見ての通り、三面鏡の前で右手薬指を左手の母指球に密着させ、額程度の高さで掲げているのだ。
端から見ると何かの新興宗教に毒された可哀想な奴に見えるかもしれないが、これは神に祈っているワケでも自らを捧げているワケでもない。そして、この行動が私のルーチンワークとなっているワケでもない。そもそもこんな意味不明な儀式自体に意味があるワケないのだ。初詣、節分、葬式、我々人間は一年にいくつもの儀式を行うが、その儀式に意味のあるものなど一つとして存在しない。初詣では何もない空間や像に願いを託し、節分では家の外に煎った豆を撒き散らし、葬式では何かブツブツと呟いた後死体を燃やして埋める。そういった習慣を理解できない者からしたら、これらは限りなく意味不明な行動だ。こんな滑稽な行事に金をかける位なら、パチスロや競馬競輪といった賭け事で金と時間を使った方が百倍は建設的だ。というのが、私の祖父である下呂作の持論である。ことあるごとに持論を展開しては大真面目な顔を見せていた祖父だが、私からしたら趣味の競馬に娘の結婚式費用を使ったことを正当化するための言い訳にしか聞こえなかった。またこれだけに飽きたらず、祖父は様々な場面において意味不明な持論を展開していた。あれは私が小学二年生だったとき、祖父が突然私に話しかけてきたのだった。

『なあ、マナブ』

『なに』

『何故人は働くか分かるか?』

『金を稼ぐため?』

『そうだ』

『それで?』

『それだけだ』

『僕まだ二年生だからまだそういう話の大切さは分からないや』

『それぁただの言い訳だ!人間零歳でも相対論は理解できる!問題は、理解しようとしないお前にあるんだ!』

『へぇ』

『分かったか!』

『分からない』

『分かれ!』

思えばあの頃からボケが始まっていたのかもしれない。祖父は私が中学に入った時、祖母の財布と共に突然行方不明となった。警察の五ヶ月にわたる必死の捜索(本当に必死に捜索をしたかどうかは分からないが)にも関わらず、祖父は見つからなかった。それ以来、祖父のあだ名は私の中で『アルセー

「聞いてる?」

 聞いたかどうかでいうと、一応聞いてはいる。しかし、聞いていることと理解していることは別であるために、家庭や会社等で問題が発生するのだ。
例えば、私の母はよく『ゴミ捨ててって言ったじゃん!』と弟を叱る。対して弟は『そんなの聞いてないよ!』と母に対抗する。すると母は『言った!だってアンタ返事したじゃない!』と、弟は『聞いてない!』の一点張り。以降はただの口喧嘩となる。この場合、弟か母のどちらかが嘘をついているというワケではない。実はこの二人はどちらも正しいのである。どういうことかというと、弟は確かに『聞いた』が、その言葉の意味を『理解していなかった』のだ。いわば心ここにあらずといった状態で母の言葉を聞いたために、生返事だけして言葉を『理解しなかった』即ち『聞いていなかった』のである。この問題を解消するには『ほうれんそう(報告・連絡・相談)』したときに相手がきちんと理解したかどうかを確認するだけでよい。社会人たるもの、『聞いた』と『聞いてない』は矛盾しないことを理解すべきなのだ。これだけでほぼ全ての物事は概ね円滑に進むというのに、友人の中仙堂はこういった真面目な話を軽いジョークと勘違いしてスルーしようとする。もう中仙堂とは縁を切ったほうがいいかもしれない。しかも中仙堂は、今行っている大学を卒業したら起業するなどとほざいている。会社を立ち上げるのは勝手だが、そんな重要な話をヘラヘラと笑いながら酒飲みついでに語っている奴に成し遂げられる気がしない。奴は自らの将来を何も考えていないのだ。今の私がいるのは、中仙堂が反面教師となっているからなのかもしれない。しかし、中仙堂の所属しているバンドサークルの田淵は中仙堂を尊敬しているそうだ。その田淵も田淵で

「ねえってば」

「何?」

「さっきから何やってんの?」

「何ってほら」

私は両手を木内に見せた。

「右手の薬指を左手の親指の付け根にくっ付けて、鏡に映してんの」

木内はポカンと口を開けた。私はその口に単1乾電池(パナソニックのアルカリ)を挿し込みたくなったが、なけなしの理性をフル稼働させてその衝動を押さえ込んだ。

「あ、もう昼じゃん。なんか食いにいこうか。ほら、イオンならこの前の映画の半券あれば割引されるらしいし」

「う、うん」

 木内は、まるで人ならざる者を見たかのような微妙な表情を崩さなかった。
正直、これを見たいがためにアレをやったようなところはある。

倣連想の儀式

倣連想の儀式

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-06

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