*星空文庫

狂乱輪廻 弐

クローディア@朱雀 作

狂乱輪廻 弐
  1. ◆大禍津日神の章
  2.  再びー始まりー
  3.  記憶ー辿って出会ってー
  4.  変貌ー助けてみせるー
  5.  追跡ー記憶の淵へー
  6.  (過去編)出会いの歯車
  7.  (過去編)厄災の歯車
  8.  救出ーあるべき姿にー
  9.  再開ーおかえりなさいー
  10.  一緒 ー真実は?ー
  11. 捜索ー百鬼夜行の遭遇ー
  12. 遊戯ー木の神と山の神と草の神ー
  13. 宥和ー夫婦仲直りー
  14. ◆高御産巣日神の章
  15.  生命ー植物だってー
  16.  宴会ー宴に紛れてー
  17.  黒衣ー神衣による変化ー
  18.  少年ー不思議な力ー
  19.  降臨ー高御産巣日神の登場ー
  20. 驚愕ー小さな神様ー
  21. 怪傑ー別天津神ー

 この小説は「狂乱輪廻」の続編となっています。前章の続きとなっていますので、先にこちらからお読みください。

狂乱輪廻【https://slib.net/64533】
キャラクターデザインを描いてみました【http://d.hatena.ne.jp/rijel/20170408/1491654624】

◆大禍津日神の章

 

 再びー始まりー

 再びー始まりー

 いつものように授業をさぼり、眠い目をこすって教室に入った紅闇崎(こうあんざき) (ぬえ)は窓側の席に目をやった。誰も座っていないその席は、埃に汚れて今は使われていないことを意味していた。
 その席は凛瑛(りんえい) (れい)の座っていた席。いや、玲ではなく雪十士(ゆきどおし) 羅刹(らせつ)と言うべきだろうか。友だったため、机を見るたびに心が重くなる。
 生徒は帰ろうとしている者とこれから部活に行くもので別れ、それぞれが準備を始めていた。
 その中に混じって暗い表情の者がおり、頭が痛そうにこめかみを右手の指で押さえている。
「よお、白夜(びゃくや)。帰んねぇの?」
(ぬえ)紅蓮(ぐれん)に呼びかけ、それに気がついて紅蓮(ぐれん)は顔を上げた。規則正しい生活をしてそうな彼なのだが、その目の下には薄っすらと隈ができていた。
「ん……?ああ、紅闇崎(こうあんざき)。ちょっと……最近寝れなくてさ……」
意外な答えが返ってきた。
 彼は白夜(びゃくや)紅蓮(ぐれん)(ぬえ)のクラスメートで同時にライバル的存在でもある。
 (ぬえ)が眠そうにしていると決まって自分の知識をべらべらと喋るのに、そんな彼自身が寝れないなどと……。
「何だよ、悩みか??」
「いや、寝かしてくれない奴がいてさ……」
それを聞いて(ぬえ)は大胆に驚くポーズをとる。
「なにぃ!?夜のイベントをしているだと!?」
「なんでお前はその方向に持っていくんだよ!俺には好きな奴いないし女には興味ない!」
冗談なのに、と(ぬえ)は反省したように声をすぼめ、声のトーンを変えて話し始めた。
「もしかして久久能智(くくのち)か?」
紅蓮(ぐれん)はその問いに対して首を横に振った。久久能智(くくのち)とは紅蓮(ぐれん)の主である木の神。子供な外見をしているが案外長く生きている神様だ。
「……お前には関係のない事だ。じゃあ、俺は帰るな?」
「お、おう。じゃあな」
(ぬえ)はこれから帰る支度を始める。だから彼を見送った。ふらつく足を見て何度も一緒に行ったほうが良かったかな、と思いながら。

 「ただいま」
(ぬえ)は玄関の鍵を開けると決まり文句を言って中に入った。誰もいない静かな家は、静寂を彼女に返した。
「いつき、いないの……、あ」
言いかけたが、(ぬえ)は気がついて口を閉じた。
「何でだろうな……最近まで誰かいたような……」
途中まで真剣に悩んだが考える事を止めた。弟は死んだ、まだ自分は根に持ってしまっているんだ、と自分に言い聞かせながら。
 (ぬえ)は鞄を乱暴に地面に置くと早速従装(じゅうそう)(まと)った。彼女は従者と呼ばれる人間とは異なる存在。好戦的であるため、最近よく外に出て武器を振り回している。
 誰もいないことを確認し、屋根の上に乗って隣の屋根へ跳び、更に隣の屋根に跳び移った。天井に音が鳴るのは一瞬だから誰も不審に思わないだろう。
 次の瞬間、(ぬえ)の目の前に小さな鼠が通った。驚いて足を踏み外し、下に植えられていたみかんの木に落ちて痛いと頭を抑えた。上を見上げると(ぬえ)の目の前を通った鼠は屋根から(ぬえ)を見下ろし、嘲笑っているかのようにちゅう、と鳴いた。
「あの野郎!やりやがったな!!」
(ぬえ)は上体を起こすと大鎌を召喚(しょうかん)して握り、おぼつかない足場をしっかりと踏んで屋根に再びとび上がり、小さな鼠に大鎌を振り下ろした。
 ガコン、といって屋根にヒビが入り、鼠はひらりとその身をかわして姿を消した。
「待ちやがれ!どこ行きやがったコノヤロー!!」
全力で駆け出し、鼠を追った。ただの小生物なのかもしれないが、(ぬえ)には追いかける理由があった。ただ、苛立つからである。

 公園らしき所に着き、(ぬえ)はフェンスを乗り越えて着地する。
「うわっ!」
誰かに見られてしまったか、と(ぬえ)はまるで悪役のように声の主にぐるりと首を回した。
 声の主は短く切られた髪で(ぬえ)と同じ制服の男子版。高そうなシューズが日の光に照らされていた。
「なんだ、白夜(びゃくや)かぁ。危うく首跳ね飛ばすところだったぜ」
「なに通り魔みたいな事言ってるんだよ。ここは人目に付く。何処かに隠れて従装(じゅうそう)を解いたらどうだ」
呆れたような視線を(ぬえ)に浴びせつつ、紅蓮(ぐれん)は言った。(ぬえ)は仕方がなく茂みに入ろうときびつをかえす。
「あ、ここらでムカつく顔の鼠見なかったか?」
「見てないさ。いいから早くしろよ。だれか来るかもしれないぞ?」
渋々と(ぬえ)従装(じゅうそう)を解き、紅蓮(ぐれん)の元に戻った。しかし彼はそこにはおらず、さっさと歩いて行ってしまっていた。
「おいおいおい、何で行くんだよ」
「いや、従装(じゅうそう)解けって言っただけで会話しようなんて言ってないぞ?」
「ええ?そんな流れだと思ってた」
漫画だったら顔に汗のマークが付くだろう顔をして紅蓮(ぐれん)(ぬえ)を見る。
 彼が現実離れした格好している(ぬえ)を見て何も言わなかったのは、彼も(ぬえ)と同じ従者だからだ。先程も説明した通り久久能智(くくのち)という木の神の従者であり、一緒に邪神(じゃしん)という最悪な神を(ぬえ)と共に葬った一人。そして(ぬえ)と同様神の力を宿している。
 (ぬえ)はつれないやつだ、と一言言うと何かに気がついたように声を上げた。
「そういやさ、お前、帰り道違くねぇ?」
しかし紅蓮(ぐれん)は何も言わず歩き続ける。変な奴だ、と思いながらも(ぬえ)は事情があるのかもしれないと思い、彼が話してくれるまでしばらく待つ事にした。
 いつまでも付いてくる(ぬえ)に対して紅蓮(ぐれん)はため息をつくと、振り返って(ぬえ)を見た。
「……しつこいから言うけどさ、家の事だ。特にお前がネタにするようなものはない」
「ふーん。……まぁ、いいや。従者辞めたいとかとかだったらぶん殴ってやりたいとかおもったり思わなかったり……」
「あんな戦線に参加していまさらどうにかなる様なものでもないだろうさ。それだけの事だ。久久能智(くくのち)様には決して迷惑をかけない。あ、それより……」
紅蓮(ぐれん)(ぬえ)にお前の主は元気か、と聞いた。(ぬえ)は何を言っているのか分からない様子で首を傾げ、口を開く。
「何言ってんだ?私には主はいねぇぞ?」
「あれ?そうだっけ……?ああ、そう言えばそうだったっけ」
「ああ。私は"一度も"主を持ったことはないぞ」
(ぬえ)はそう言い放った。紅蓮(ぐれん)は勘違いをしたことに誤り、帰るからと(ぬえ)に手を振って背を向けた。

 (ぬえ)が帰路に着くと見覚えのある二人組がいた。着物を着て羽織をかけ、青い髪の区別のつかないほどにそっくりな男の子達だ。
天照(あまてらす)の従者じゃねえか。何だ、私に何か用なのか?」
(ぬえ)がそう言うと声に気がついたのか双子は手を振った。
「待ってた、だね」
「帰ってきた、だよ」
彼らはたまたま通りかかって立ち寄ったそうで、特に用事はないと告げた。それだけなのに待ってたとはどうゆう事なのだろうかと思ったが、あえて何も言わなかった。
「あー、このまま上がるか?」
「いいよ、だね」
「すぐ帰る、だよ」
死んでないか心配になっていたのだろうか。彼らもまた、邪神(じゃしん)を倒す時に一緒に戦った仲間なのである。それは一時の関係であって今は敵同士。心配してくれるのは双子の純粋な心があってなのだろう。

 翌日になると(ぬえ)は一回起きて布団に潜った。時計を見た瞬間、登校時間を過ぎていたからだ。
「あーあ……。私も早く主を持ちたいぜ」
そう愚痴をこぼすと起き上がり、階段を降りて下に向かった。上の部屋よりも下の方が寒く、廊下に足をついた途端ブルっと身体が震えた。
 適当なものを口に入れてコートを羽織ると、散歩をしたくなって玄関に向かい、外に出た。(ぬえ)はこの瞬間、家にいる人を置いていく感覚がしたがここ数年誰もいないはずなのでそれはないだろう。
 「そういやあの神社……」
それは(ぬえ)の通学路の通り道にある神社で、少し前に誰かがそこを開けたらしいという噂が立っていた。最もそこを開けたのは自分なのだが、なぜ開けたのかは思い出せない。
 再び行けば理由を思い出せるかもと(ぬえ)は神社の方向に足を向け、あるき始めた。角を曲がり細道を抜ける。枯れ葉が舞って(ぬえ)の肩をかすめた。
 神社の裏の方にある道から敷地内に入ると、僅かに神社の戸が開いている。閉めないのかなと思い近づくと、まるで祭壇のように後ろに置かれた大きな鏡、地面に描かれた五芒星(ごぼうせい)
「久々に見たなぁ。ここでいつきが……あれ?」
なぜだ、と(ぬえ)は下を向いて記憶をたどる。自分の弟は死んだはずで、もうこの世にいないのだ。なのになぜ、彼の名を呼び、思い出に浸ったのだろうか。
 しかし中に誰かいた光景は霧がかかっているようにぼんやりとしている。黒い髪の、大切な友がいたような。
 ガサッという誰かが茂みにぶつかった音がして(ぬえ)はハッと我に返った。気配を感じなかったので誰かがいることに驚いた。神主だったらきっと中を覗いた事を怒るだろう。身構(みがま)えていると黒いローブを被った人がゆっくりと姿を表した。すぐに分かった事がある。この世界の常識というものが通用しないと言うような透き通る様な白い髪。顔は見えないがフードの間から覗く肌は死人のように白かった。神か従者か、あるいは妖怪か。
 道に浮き出ている石に(つまづ)きその者は転んだ。
「お、おい!」
駆け寄って起こそうとすると彼は自分で上体を起こし、シュンとした声で一言言った。
「……お腹空いた」
「はい……?」
 
 素っ頓狂な声を上げたのがついさっきで、今は(ぬえ)の家に客人が来ている。食パンにハムを挟んだだけの簡単なサンドイッチを彼は咀嚼している。
「つうか……腹減って倒れたとか洒落(しゃれ)にならねぇな……」
(ぬえ)は呆れたように言うと、既に彼は二つ目に入っていた。
「そうだ、お前瞳の色青いし髪白いし……。もしかして従者?」
「お前が俺に対してその意見を持つならそうだと思えばいい。違うと判断するなら考えを改めろ」
期待した答えは返ってこなかったが言ってる事は間違えではない。
 (ぬえ)はローブを着た彼の背中を見て変わってるな、と考えていると、口に入っていた物を飲み込んで白き者は(ぬえ)に問いかけた。
紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)。お前は何かを忘れているとは思っていないのか?」
素直に返事を返そうと思ったが(ぬえ)はなぜ自分の名を知っているのかと問いかけた。しかし彼は何も言わず、ただもぐもぐと食べている。
「あー……何をだ?」
「理解出来ないなら理解は不要。理解できる時に理解するといい」
相変わらずにいい返事は返ってこず、(ぬえ)は彼から視線を離して口を尖らせて言った。
「あーあ。どうしていつきにしかり、こうも性格が……あれ?」
(ぬえ)は言いかけて途中でとぎった。彼は視線を(ぬえ)に移し、同時に(ぬえ)は疑問を口にした。
「何でだ?(いつき)は死んだのに最近名前を結構(けっこう)呼んだりするんだよな……」
「……それは、自分の主の名を呼んでいるのか?それとも本当に弟の名なのか?」
「……?何で私に弟がいたって知ってんだ?それに私には主なんていないぞ?」
何を言っているのか分からず、(ぬえ)は彼に問いかけた。しかし答えは沈黙で、最後の一口を放り込むと彼は立ち上がった。
「ありがとう。助かった」
随分と遅いお礼に戸惑ったが別にいいよ、と返事を返す。
 改めて見ると彼の容姿はまるで死人。生気の抜けた青い瞳に無表情の顔。白い髪はおそらく左に流しているだろう。肌は具合でも悪いのかというように白かった。
「なあ、教えろよ。私は何を忘れてるんだ?お前は何で私の名も知っていた?」
「……思い出したその時に、またお前の元に俺は現れる」
彼は廊下に出ると(ぬえ)の制止を無視して玄関の戸を開いた。
「お前達はどうやって邪神(じゃしん)を倒した?」
外に足を踏み出そうとする直前に彼はそう言い放つと外に出て扉を閉めた。(ぬえ)は彼を追いかけようと玄関の戸を開けて道に出たが既に彼はいなかった。
「何だったんだ……?あいつ……」
不思議に思いながら部屋に入りリビングに足を運ぶ。部屋の本棚ではなく地面に置かれた山積みの本は(しおり)が挟んでおり、(ぬえ)はいつきの読みかけか、という考えが横切った。そしてまたハッとなる。再び死んだはずの弟の名を呼んでいる、と。
"それは、自分の主の名を呼んでいるのか?それとも本当に弟の名なのか?"
不思議な雰囲気(ふんいき)を漂わせた男が言った言葉が頭に木霊(こだま)する。(ぬえ)はソファーに座り、確かに自分には主はいない、と確認する。一度も持ったことはない、と。
 だが、時々夢と記憶の隅に現れる黒髪の人は誰なのだろうか。顔は分からないが(ぬえ)にとって大切な人だった気がする。
「いっ……!!」
突然の頭痛に頭を抱える。黒髪の人の顔の記憶を辿った瞬間に起きた頭痛はすぐに治まり、何事も無かったように正常に戻る。
「何だよ……?」
(ぬえ)は考えることを辞めて部屋に戻ろうとした。その時、彼の言ったもう一つの言葉を思い出した。
"お前達はどうやって邪神(じゃしん)を倒した?"
引っ掛かり、この前の大戦線を思い出す。
「確か……。あれ?」
覚えているはずなのに思い出せない。確かに記憶にある気がしていたのだ。しかし、どうやって倒したのかが全くわからない。
 
 誰かの微笑みを見た気がする
 
 そう思った瞬間走り出した。

 記憶ー辿って出会ってー

 記憶ー辿って出会ってー

 (ぬえ)はとにかく走った。あてが無いわけではない。ある人物を探して走っているのだ。
 先程は彼の帰路とは違う方向に彼はいた。つまり、さほど時間は経っていないだろうからまだ、どこかにいるのではないかと思ったのだ。
 能力を発動し、一瞬だけ脇道を見て再び視線を他に移す。(ぬえ)の能力は洞察力眼。洞察力が上がり、霊体でも人間でも超生物でも必ず存在する弱点が分かる能力。道を一瞬だけ見ても、どこにどんな人がいたかはすぐに分かった。
 そして走る事数分。息が切れ始めた頃、目的の人物が視界に入り(ぬえ)は通り過ぎた道を引き返して後ろから猛アタックした。
「ぐえっ!」
衝撃によって背中が海老反り状態になり膝を着いて彼は腰を抑えた。
「はぁ、はぁ……見つけたぞ……白夜(びゃくや)……はぁ……」
これでもかと言うくらい息切れしながら(ぬえ)は彼の名を呼んだ。
 紅蓮(ぐれん)は急な事に驚かされた上に突然のダメージ。(ぬえ)を睨むと何の用だと言った。
久久能智(くくのち)に会わせて欲しいんだけど」
息を整えて言うと、紅蓮(ぐれん)は立ち上がってなぜだ、と答える。
「ああ、別にお前でもいいか。なぁ、邪神(じゃしん)ってどうやって倒したんだっけ?」
「……?何でそんな事聞くのさ。えっと……あれ?」
紅蓮(ぐれん)は記憶を辿って言ったものの、最後まで言えずに言葉を途絶えた。考える素振りをしておかしいな、と一言呟いた。
「何でだろう。確かに覚えている筈なのにでてこない……」
頭を掻きながら紅蓮(ぐれん)は言うと、(ぬえ)はやっぱり? と返した。
「やっぱりって……お前もなのか?」
「ああ。じゃなきゃ聞かねぇだろ」
だから久久能智(くくのち)に頼ろうとしたんだ、と(ぬえ)は言った。
 ついでになぜ急にそんな事を聞き出したのか、これまでの経緯を紅蓮(ぐれん)に話した。彼は特に横やりを入れてくることなく静かに聞き、なるほどな、と言った。
「そいつの言葉が気になるのか。確かに妙な言い方をする奴だ」
「だろぉ?でも、嘘言ってるようにも見えなかったんだ。私に弟がいるとか、主とか言ってたって事は私が従者だって事知ってるって事だし」
「いや、姿が普通とは違う奴をすんなり家に招いたからそうだと思った、というのもあるぞ?」
「だぁぁ!わっかんねぇ!!」
(ぬえ)は頭を掻きむしって嘆いた。紅蓮(ぐれん)は申し訳なさそうに(ぬえ)に言う。
「悪いけど、久久能智(くくのち)様を頼りたいのは俺も同じさ。でもどこにいるか分からないんだ」
先に言え、と(ぬえ)紅蓮(ぐれん)の頭に殴りを入れた。従装(じゅうそう)(まと)っていないのでさほど威力はないかもしれないが、痛いものは痛い。
 紅蓮(ぐれん)はしばらく考え込むと、高天原(たかまがはら)の行き方を教わったことがある、と呟いた。
「お、協力してくれるのか?」
「ああ、俺もどうして記憶が抜け落ちているのか気になるしさ」
以外な協力者ができて(ぬえ)は嬉しさを感じた。やはり、何かをするには一人よりも二人の方がいい。
 紅蓮(ぐれん)は考える仕草に入ると、(ぬえ)に言った。
「確か、(ゲート)を開けないなら古井戸に入れ、って聞いた……」
(ぬえ)は期待した返事が返ってこずにはあ? と訳が分からないというような声をもらした。紅蓮(ぐれん)の記憶は確かなようで、俺も正直いやだ、と愚痴をこぼす。天照(あまてらす)の従者であるアサヒとユウヒはどうやって地上に降りているのだろうか。やはり、帰るときは古井戸を通っているのだろうか。
「……そもそも古井戸ってこの辺にあったっけ?」
(ぬえ)は疑問を口にしたが紅蓮(ぐれん)は首を横に振った。そもそも、前に(ゲート)を開いてくれたのは久久能智(くくのち)神産巣日(かみむすび)だ。
「……そもそも何で高天原(たかまがはら)に行ったんだっけ?」
「えーっと、だめだ。よく分からない。何だか、所々抜けているみたいだな」
そうなってくるとますます状況を理解したくなるのが人間の性だ。いや、今は従者と言うべきなのだろうか。
 紅蓮(ぐれん)久久能智(くくのち)様を信じて古井戸を探すか? と(ぬえ)に問いかけた。それしか方法はないのかもしれないと(ぬえ)は渋々頷いた。
「でもさ、何で高天原(たかまがはら)って天にあるのに下の古井戸に飛び込むんだ?」
「知らねぇよ。アホ久久能智(くくのち)のガセじゃねぇの?」
主を悪く言うな、と紅蓮(ぐれん)(ぬえ)に指摘し、他に従者か神の知り合いはいないのかと聞いた。(ぬえ)は記憶をたどってみたが知り合いと呼べる従者や神はいないし、何よりどこにいるか分からない。居場所を把握できるのは紅蓮(ぐれん)だけだ。
「そもそも、久久能智(くくのち)の従者なのに何で居場所知らないんだよ」
(ぬえ)がそう言うと紅蓮(ぐれん)はごめん、と頭を下げて謝った。
 これでは本当に手詰まりだ。そう思っていると、ゾッとする気配を感じて紅蓮(ぐれん)(ぬえ)は同時に電柱の陰に目を向けた。日が当たっていないその場所に黒い猫が座っていた。その猫は、ただじっと二人を睨んでいる。
 紅蓮(ぐれん)が何だ、猫かと安堵していると、(ぬえ)紅蓮(ぐれん)を少し後ろに下がらせた。
「おい、こいつ普通の猫じゃねぇぞ」
その一言を聞いて紅蓮(ぐれん)は猫をじっと観察した。
「し……尻尾が二つ!?そうえば、猫又っていう妖怪がいたような……」
「え?何で妖怪が私らの事睨んでんだよ」
疑問を口にすると、その猫又はゆっくりと(ぬえ)達が向いている方向に歩き始めた。一定の距離を離れると猫は振り返り、みゃあ、と鳴いた。
「もしかしてだけどさ、付いて来いって言ってるのか?」
紅蓮(ぐれん)(ぬえ)にそう言うと、猫はそうだ、というようにもう一回鳴いた。不思議に思いながらも(ぬえ)達はその猫に付いて行くしかないと思ったので大人しく付いて行くことにした。

 茂みをかき分けて(ぬえ)紅蓮(ぐれん)は歩く。猫は変な道を歩くので、人目がないところで従装(じゅうそう)(まと)った。
「どこまで行くんだよ……」
「さあ……」
ここまでくると妖怪のいたずらかと疑ってしまう。猫は体が小さい為に細い道でも木が生えていてもすいっと通って行ってしまう。どうしようもないところは大鎌で斬り、猫に付いて行っていた。
 しかし途端に猫の姿が見えなくなった。(ぬえ)達は見失った、と慌てていると視界の隅に井戸がある事に気が付いた。
紅闇崎(こうあんざき)。あれ、井戸じゃないか?」
「ほんとだな。こんなとこにあったんだな」
紅蓮(ぐれん)(ぬえ)も知らなかったため、お互いへー、と感嘆の声をもらす。しかしそんな事をしている場合ではないと気を取り直し、井戸を覗き込んだ。
 周りは使われていないようにボロボロだったが、井戸の中に張ってある水は不思議な事に澄んでいた。
「あの猫、私たちの会話を聞いて連れてきてくれたんかなぁ」
「……さっきも言ったけどさ、天に高天原(たかまがはら)はあるのに何で下に向かわないといけないんだ?久久能智(くくのち)様には申し訳ないけど、怪しいんだよな」
言われてみればそうかもしれない。しかし、従装(じゅうそう)(まと)っているので最悪冥界につながっていてもきっとどうにかなるだろう、と考えて(ぬえ)は井戸の淵に足をかけた。
「お、おい紅闇崎(こうあんざき)!?」
紅蓮(ぐれん)の制止はもはや聞こえない。(ぬえ)は彼が言った言葉が頭から離れないのだ。
”思い出したその時に、またお前の元に俺は現れる”
”お前たちはどうやって邪神(じゃしん)を倒した?”
考えもなく飛び込んだ井戸の底は暗闇だった。

 どこかに落ちたようで、木材に腰を打って埃が舞う。
「いってぇ……」
ずれたベールを元に戻すと、辺りを見回した。どうやら使われていない倉庫のようで、書物や木箱などがおいてある。
 埃をはたいて一歩進むと、後ろに誰かが落ちてくる音がした。振り返ってみると、頭を打ったらしい紅蓮(ぐれん)が痛みを訴えている。
「おお、白夜(びゃくや)。お前も来たのか。てか、ここどこだ?冥界か?」
「いつつ……従者じゃなかったら死んでたな。分からない。何で井戸の底が普通に空間なんだ?」
とにかく外に出よう、と紅蓮(ぐれん)は言って木箱でふさがれている扉を発見して(ぬえ)と協力してそれをずらし、乾ききって開かなくなっている扉を体重をかけて押し出し、バンッという大きい音と共に開いた。
 眩しい目の前に広がっていたのは庭……だけを見れたらよかったのだが、羽衣を(まと)ったり変わった着物を着た者たちが武器を片手にこちらを睨んでいた。不意識に手を挙げて敵意がない事を表示したが聞いてもらえず、促されるまま宮殿らしきところに入らされた。

 そして今に至る。目の前には天照(あまてらす)の側近の思金(おもいかね)、そして高天原(たかまがはら)の長である天照大神(あまてらすおおかみ)が立っていた。天照(あまてらす)は敵意丸出しだったが、思金(おもいかね)からはそんな気配は感じられない。
「はあ、侵入者だと思ったら貴方(あなた)たちでしたか……。しかし、かなり昔の方法を使ってここに来ましたね……」
呆れた様子で思金(おもいかね)はため息をつき、正座している二人をじっと見た。
 あの後双子に連行されるのを見つけられ、天照(あまてらす)の知人だと言って通してもらったのだ。
「だって、久久能智(くくのち)がそうするしかないって言ってたみたいだし、なあ、白夜(びゃくや)
思金(おもいかね)はこめかみを抑え、その方法はいつしか伝えられなくなり誰も試す人がいなくなったので、着地地点に物置を建てたらしい。
「で、何の用ですの?(わたくし)たちは今は敵対関係のはずですわよ?」
二人を交互に睨みつけながら天照(あまてらす)は怒りを隠しきれない様子で言った。
 確かに、邪神(じゃしん)を倒すにあたっての協力者だっただけで、(ぬえ)天照(あまてらす)は仲が悪い。勿論紅蓮(ぐれん)も同様で天照(あまてらす)とは敵対関係だ。
「なあ、天照(あまてらす)。お前、邪神(じゃしん)を倒した時の事覚えてるか?」
(ぬえ)は反省の様子もなく天照(あまてらす)に用事を切り出した。それだけの事でここに来たのかと天照(あまてらす)は一瞬怒鳴りかけたが、思金(おもいかね)がそれを制止する。
「なぜ、それだけの為に信用ならないものを頼りにここまで来たのですか?」
 (ぬえ)はこれまでの経緯を言うと、紅蓮(ぐれん)も知りたい立場だと付け加えた。思金(おもいかね)はふむ、と考え込むと天照(あまてらす)にその時の事を言うように指示した。天照(あまてらす)はどうしてだと聞いたが思金(おもいかね)に論破されて渋々承諾した。
「耳かっぽじってよく聞きなさいですわ。あの時……あら?」
天照(あまてらす)はイライラしていた顔から急に不思議そうな顔になり、思い出せないと一言告げた。
「そうか……。天照(あまてらす)様。俺たちがここに参った理由、お分かりになられましたか?」
天照(あまてらす)は確かに、と頷いた。
 どうゆう事だろう、と思金(おもいかね)は言うと、今度は双子を呼んだ。
「参上、だね」
「来た、だよ」
違いがない位そっくりな二人が柱の陰から姿を現す。
 思金(おもいかね)は簡潔に言うと双子は知ってるよ、という雰囲気(ふんいき)(かも)し出し、口を開いた。
「「あの時は……、……?」」
二人同時に声を出したが途中で言葉に詰まり、顔を見合わせた。両方記憶がないらしい。
「どうゆうこった。皆駄目じゃねぇか……」
神産巣日(かみむすび)様と狐坂(こさか)の居場所が分からない以上、どうしようもないけどさ。この状況なら一柱と一人も同じ答えだろうな」
天照(あまてらす)はうーん、と未だに考え込んでいる。どうしても思い出せないようで、頑張ってはみるけれど無理なら申し訳ない、と言い残して帰るように二人に言った。あまり敵といると、高天原(たかまがはら)の神々が怪しむそうだ。
 収穫がない事に落ち込みながらも、(ぬえ)紅蓮(ぐれん)は指示された帰り方で帰ることにした。

 宮殿から離れて真っすぐと歩く。北東に進んだところに池があるらしく、そこに飛び込めば帰れるらしいのだ。また飛び込むのか、と紅蓮(ぐれん)は遠い目をして言ったがこの際仕方がないとあきらめた。
 「けど、どうして誰も覚えてねぇんだろうな。不思議だよなぁ」
「これも神の仕業(しわざ)なんだろうか……」
考えようにも答えは出ず、とりあえず帰ってから考えよう、と(ぬえ)は投げやりになって早足に歩き始める。
 その時、茂みから誰かが出てくる。(ぬえ)紅蓮(ぐれん)はそれに気が付いて武器を素早く召喚(しょうかん)すると、音がした方向に(かま)えた。高天原(たかまがはら)の神だったら大問題になるだろうが、この辺りは誰も近づかないと思金(おもいかね)は言っていたので警戒態勢に入る。
 完全に姿が見え、耳に飾られた赤いピアスが光を反射している。前髪を長くのばし、左の一部分だけ長くのばされ、それ以外は短く切られている青い髪。そして茶色いローブに身を包んだその男は、見覚えのある者だった。
「お前は邪神(じゃしん)の……!!」
鏡井雅(かがみいみやび)!!」
(ぬえ)紅蓮(ぐれん)は口々にそう言うと、武器を強く握りなおした。しかし、足元に見覚えのある動物がいた。それは、(ぬえ)達を井戸に案内した猫又だった。主人になつく猫のように、彼の脚に頬をすりすりと()り寄せている。
 (みやび)は猫又を抱き上げると、頭を撫でながら優しい口調で言った。
「ようやったなぁ、メウノ。流石わいの式神やで」
その言葉に真っ先に反応したのは紅蓮(ぐれん)だった。オカルト系にはあまり詳しくはないらしいが、用語は知っている。
「式神!?それって平安に存在した陰陽師が使う奴だろ?お前、確か剣振るってたよな?」
「すぐに反応するんはぬしか。流石、必要ない知識までも詰め込んだお偉いさんはちゃうなぁ」
何にも興味を示していない様子のその声は、紅蓮(ぐれん)を怒らせるのに十分だった。
「な……っ!お前、どこまで知って……!!」
腕の中にいた猫がすっと消える。冗談や、と口の端を吊り上げた彼の表情は冷たくゾッとするものだった。
「てか、こんなところに何の用だ、(みやび)さんよ!そもそも邪神(じゃしん)は死んだ!!従者が生き残ってるってこたぁ……」
(ぬえ)は地面を蹴って(みやび)に大鎌を振り下ろす。
邪神(じゃしん)の復活でも望んでのかよ!!」
しかし(みやび)が何か言ったかと思うと、一つ目の脚のない女が(ぬえ)の一撃を刀で防いだ。
「何!?」
(ぬえ)はいったん後退して紅蓮(ぐれん)の元に戻る。紅蓮(ぐれん)も銃弾を数発撃ち込んだがすべて叩き落された。
「ははっ、もう隠す必要もないしこれはいらへんな」
(みやび)はローブに手をかけるとそれを脱ぎ捨てた。脱ぎ捨てられたローブは青い炎に焼かれて消え去り、跡形もなくなった。
 彼の(まと)っている従装(じゅうそう)は陰陽師をモチーフにされており、今までの生気の含まれた瞳は生気が失われている。色々召喚(しょうかん)していた事、そして式神と言っていた理由が分かった。
「何ぃ!?隠してやがったのか!?」
「隠してへんよ?ただ、そうした方が都合が良かったんや。それにあいつはどうでもええ。ただのわいの駒にすぎんかったわ」
懐から巻物を取り出して女を消した。そして、
「ロウノ。出番やで?」
巻物を開いて後ろに大きな狼を召喚(しょうかん)した。神獣と呼ぶのにふさわしいほど凛々しいその大きな狼は、(ぬえ)紅蓮(ぐれん)を見て唸り声をあげた。
「ぬしらは殺る気なようやし、わいもちっとは遊んだるわ」

 (ぬえ)は大鎌を振りおろし、彼に攻撃を喰らわせた。しかしそのひと振りは紙でできているであろう巻物を鎖のように扱ってそれを防ぎ、後ろにいた狼が(ぬえ)に噛みついて来る。紅蓮(ぐれん)(ぬえ)に傷がつく前に狼に銃弾を放ち、紅蓮(ぐれん)に意識を向けると(ぬえ)は狼に向かって大鎌を振った。
 しかし(みやび)御札(おふだ)を投げると、大鎌にそれが当たりブワッ、と広範囲に青い炎をまき散らす。
「あっつ!!」
その中から狼が飛び出してくると、間一髪で回避した(ぬえ)に向かって(みやび)が巻物を振った。強度がないように見えたそれは(ぬえ)の頬をかすり、傷を作ると(みやび)は巻物を畳んで(ぬえ)に蹴りを入れた。咄嗟に大鎌を捨てて腕で防御する。
 狼は紅蓮(ぐれん)に集中しており、距離を取りながら戦うが犬の仲間であるために素早く、距離を取ることが難しい。噛みつかれそうになるのを回避して走っている間に設置しておいたワイヤーを引いた。狼の周りの木々は倒れ、ワイヤーが狼に向かって迫る。しかし狼は霊体のように光に変わると全て避けて紅蓮(ぐれん)の目の前で実態に戻り、かわそうとした紅蓮(ぐれん)の脚に噛みついた。
白夜(びゃくや)!!」
「よそ見はアカンで、紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)!」
自分を軸にして一回転した(みやび)が巻物を広げ、(ぬえ)にぶつける。(ぬえ)は大鎌を(かま)えるが間に合わず、腹に切り傷ができて後ろに飛ばされた。
紅闇崎(こうあんざき)……!!」
紅蓮(ぐれん)(みやび)に銃弾を撃とうと思ったが、狼の頭突きによって(ぬえ)と同じ方向に飛ばされて(ぬえ)の上に倒れる。
 「なんや、もう終わりなんか?」
狼は彼の近くに戻り(みやび)は風に舞っている巻物を手で押さえていった。
「くそ……。でも、これだけの騒音、天照(あまてらす)様達が気付くはずだ」
紅蓮(ぐれん)は顔に付いた砂を袖で拭いながらそう言うと、思い出したように(みやび)は言った。
「あ、言い忘れとったけど、ここら一帯に結界を張っといたんや。解かん限り気付かへんと思うで?」
うそだろ、というような顔を紅蓮(ぐれん)がすると、(ぬえ)
「じゃあ、お前を倒せばいいだけの話じゃねぇか!」
と大鎌を手元に戻して再び(みやび)に向かって駆けだした。
 (ぬえ)が大鎌を振るい、(みやび)は巻物を広げ、鎖を扱うかのようにそれを防ぐ。攻防戦が続く中、狼は助太刀しない。まるで、主人の心を読み取っているかのように。
 いつの間にか(みやび)(ぬえ)の後ろにおり、
「残念やったなぁ」
と言うと御札(おふだ)を投げて(ぬえ)に損傷を負わせた。
 紅蓮(ぐれん)は立とうと思ったが噛みつかれた脚がいう事を聞かず、立ち上がることができないが銃弾を(みやび)に打ち込んだ。しかしそれは彼が何もしていないのにも関わらず、青い炎に焼かれて消えた。
 「(ぬえ)さん! だね」
紅蓮(ぐれん)さん! だよ」
「おや?」
二人の名を呼んだのは天照(あまてらす)の従者、アサヒとユウヒだった。(みやび)はふっと微笑むと戦闘態勢を解除して巻物をしまった。
「どうして……」
「妖力を感知して、だね」
「駆けつけた、だよ」
紅蓮(ぐれん)をアサヒが肩を貸して立ち上がらせる。ユウヒは(みやび)を見ると何かを呟いて何とも言えない表情を作った。それは、立ち上げるのに精一杯の(ぬえ)にしか見えなかったが。
 「あーあ。こうなるとしゃあない、用を済ませて帰るしかないやん」
アサヒとユウヒは警戒して武器を(かま)える。しかし(みやび)は気にせずに近くに子供の鬼を召喚(しょうかん)した。その目には布が巻かれている。
 男の子の格好をした子鬼から青い玉を受け取り、(みやび)はそれを(ぬえ)に向かって投げた。受け取った瞬間、(ぬえ)の中の何かが変わった気がして目を見開いた。
紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)、ぬしはそれをよう知っとるはずや。ぬしが思い出せば、記憶の封印は解かれるはずやで」
そう言うと(みやび)は狼の上に乗って目の前に空間の亀裂を作った。待て、と紅蓮(ぐれん)は言ったが傷が痛いのか苦痛に顔をゆがめた。
「それと、わいの名前は鳳凰院閻魔(ほうおういんえんま)や。よろしゅうな」
狼は走り出して閻魔(えんま)は双子を見ると、ふっと笑った。アサヒは彼が入り消えゆく空間の中にナイフを投げたが一足遅く、空間は消えてナイフは木に刺さった。

 変貌ー助けてみせるー

 変貌ー助けてみせるー

 鳳凰院閻魔(ほうおういんえんま)と名乗る人物が消えた空間をじっと双子は見つめる。何とも言えない顔をしていたユウヒはいつもの顔に戻っている。見間違えだったのだろうか。
「宮殿に戻って、だね」
「治療する? だよ」
たしかに今は怪我が大きい。そうした方がいいのかもしれないが、と考えている紅蓮(ぐれん)と違って(ぬえ)はただ閻魔(えんま)から受け取った青い玉をじっと見ている。水晶玉とも呼ぶのかもしれない。青い玉の中には黒と赤の入り混じった光が浮遊している。
紅闇崎(こうあんざき)、おい紅闇崎(こうあんざき)!」
紅蓮(ぐれん)は呆然とそれを見ている(ぬえ)の名を呼んだが、彼女は見向きもしなかった。
 それを確かに見た事がある気がしていた。今まで記憶の隅にあるだけで顔も、声も、挙句には姿さえ忘れていたその存在。
(そう)……(ぎょく)……」
確かに誰かが呼んでいたその名前。自分を癒やしてくれた存在。自分を満たしてくれた存在。
 信じた存在は確かにそこにあったのだ。信じてくれた存在は確かにそこにあったのだ。
  
  その時、(ぬえ)の中の何かが変わった。
  "(ぬえ)……楽し……かった!"

「いつき……?」
 その刹那、紅蓮(ぐれん)、双子は不意に欠けていた記憶を思い出した。(ぬえ)の主で紅蓮(ぐれん)を救い、高天原(たかまがはら)にて戦い、そして最後に邪神(じゃしん)を打つべく己を犠牲にした黒き禍津(まがつ)天照(あまてらす)思金(おもいかね)も全ての神々も人間も同様に、欠けていたものが不意に現れた。それは厄災をもたらすと言われ、人間の間で今は、(けが)れを払うのではないかと伝えられている間違った信仰。名は、『禍津日神(まがつひのかみ)』。
 「……!」
突如、(ぬえ)の中に何かが流れ込んでいく気がした。よく知っている、ずっと守ってくれていた主の力。
「何で……何でこんなに大事な事……忘れてたんだよ!私は!!」
「いつき様……。そうだ、あの人が邪神(じゃしん)を倒して……!俺を、救ってくれて……」
禍津日神(まがつひのかみ)、だね」
大禍津日神(おおまがつひのかみ)、だよ」
なぜ今思い出したのかと全員不思議に思っていると、(ぬえ)はその場に膝をついた。
「そうだ……そうだ。いつきは……いつきは……もう……」
男勝りの彼女が弱音を吐く姿は滅多に見られない光景で、それだけでも同情してしまう程だ。
 紅蓮(ぐれん)は痛みが治まってきた脚を引き()るように歩いて(ぬえ)の側に座り込む。何も言わず、何もしない。下手(へた)に慰められるより、側に誰かがいた方が気持ちは安らぐものだと、彼は知っているからだ。
 その時、天照(あまてらす)思金(おもいかね)(ぬえ)達の元に走ってきた。双子は天照(あまてらす)の名を呼ぶと、頑張ったんだ、と言ってニコニコしている。
「思い出したんですの!急に!邪神(じゃしん)を倒したのは大禍津日神(おおまがつひのかみ)ですわ!」
「小生も、彼の事を今まで忘れていました……!しかしなぜでしょう……」
二柱(ふたはしら)が疑問を口にしていると、(ぬえ)はボソッと神様って生き返らないのかと呟いた。
 それを聞いた思金(おもいかね)は応える。
「神々が死ぬと、当時は黄泉(よみ)に行きました」
その言葉に紅蓮(ぐれん)は反応する。
「当時?じゃあ、今は?」
食い入るように聞き、思金(おもいかね)が後ろに手を組んで振り返り、空を見上げた。高天原(たかまがはら)の空は雲一つなく澄んている。
「……。かつて、黄泉(よみ)に向かった伊邪那岐(いざなぎ)が、死んだ伊邪那美(いざなみ)と喧嘩をして人間に寿命を与えるようになったのはご存知ですか?」
紅蓮(ぐれん)はその言葉に首を縦に振った。有名な話だ。古事記を知らない人々でも、一度は聞いた事があるだろう。
「父上より前に現れた最高神、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という存在は?」
「聞いた事ある。でも、現れた瞬間に姿を消したって書かれてた。しかも最高神なのにあまり知られていない謎の存在。そいつがどうかしたのか?」
「すぐに姿を消した訳ではないそうですの。あまり詳しくは知りませんけれど、世界の土台を創ったのは天之御中主(あめのみなかぬし)だそうですわ。つまり、秩序の結成者ですわね」
天照(あまてらす)が補足をつける。紅蓮(ぐれん)は興味深い、と言った風に頷いていたが、(ぬえ)は結論を言えと思金(おもいかね)に告げる。失礼しました、と咳払いをすると再び語りだした。
「その最高神はその状況をまずい、と思ったのでしょう。そもそも自分の子供のような存在を黄泉(よみ)に送る事すら嫌だったそうです。天之御中主(あめのみなかぬし)は考えました。秩序を維持する意味でも、数年掛けてでも転生させれば、減ることも無いし黄泉(よみ)に送る必要もない、と」
下を向いて思金(おもいかね)は近くにいる双子を撫でる。嬉しそうな顔を浮かべており考えている素振りも見せないので、おそらくはもう知っているのか興味がないのだろう。
「死んだ神は転生する……?じゃあ、いつき様も!?」
「ここからが本題です」
紅蓮(ぐれん)の問いかけをピシャリと静止させる。天照(あまてらす)思金(おもいかね)の表情が急に険しくなり、伊達であるだろう眼鏡を思金(おもいかね)は押し上げた。
「転生には何百年、何千年掛かるか分かりません。しかし問題はそれではない。死んだ神々は確かにその輪廻に入りました。けれど神々はいつからか、しっかりと転生していないのです」
「しっかり転生してねえって、どうゆうこった?」
「それは(わたくし)から説明いたしますわ。死んだ神がいつになっても現れず、そしてその神の力を持った従者が現れ始めたんですの」
紅蓮(ぐれん)(ぬえ)天照(あまてらす)の説明を聞いて顔を見合わせる。それは自分に心当たりがあったからだ。
「キミ達、だね」
「みたい、だよ」
双子は紅蓮(ぐれん)(ぬえ)を見て言った。それを思うのは二柱(ふたはしら)も同じで、二人を見ながら話を続けた。
「そう。まさに今の貴方(あなた)達です。白夜(びゃくや)さんはなんの神かは分かりかねますが、紅闇崎(こうあんざき)さんは間違えなく死神(しにがみ)様でしょう。彼は死んでいるので辻褄が合う」
「いつだったか、従者が神に変わったと言うのを思金(おもいかね)の父、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)様から聞きましたわ」
天照(あまてらす)の言葉にえっ、と(ぬえ)紅蓮(ぐれん)は反応する。一度誰の事だといつきに聞き、彼は嫌そうな顔をした気がする。それを思い出すと心が重くなった。
 結論を言うように紅蓮(ぐれん)二柱(ふたはしら)に話した。
「と言う事は、いつき様は戻ってこず、従者かあるいは人間にその力が宿っている可能性がある?」
「物分りが早くて良いですね。そうです、だから長年大禍津日(おおまがつひ)を待ち続ける事はできない」
「ちょっと待てよ!何か!? 私にいつきを待つことを諦めろって言うのか!?」
天照(あまてらす)思金(おもいかね)は静かに頷いた。
 (ぬえ)は二度目の絶望を感じて顔が真っ青に変わった。フラフラと頭を揺らす(ぬえ)紅蓮(ぐれん)は悲しい顔をする。悲しいのは紅蓮(ぐれん)も同じで、家族のようだった(ぬえ)といつきが二度と会えないというのは彼にとっても負の感情になる。
「記憶があるとか、そんなんはねぇのかよ?」
「あなた方に記憶はありますか?」
ごもっともなことを言われて(ぬえ)は泣きそうになる。
 その時、双子は(ぬえ)の持っているものに気が付いた。
(ぬえ)さん、だね」
「それなぁに? だよ」
指を指した先は鳳凰院閻魔(ほうおういんえんま)と名乗った者が渡してきた玉。それを持った瞬間皆の記憶は戻ったのだ。
「ああ、くっそつええ奴が私に渡してきたんだ。何でも、私はこれを知ってるはずだー、記憶のー、とか」
「で?何だか分かるんですの?」
天照(あまてらす)(ぬえ)に聞いた。その玉は、天照(あまてらす)もどこかで見たことがあると思ったからだ。
「いつきの神器、蒼玉(そうぎょく)だ。多分中の光はグングニルじゃねぇかな?」
いつきが死んでしまった以上、それは(ぬえ)にとって形見でもあるものになる。
 すると、思金(おもいかね)が首を傾げた。
「おかしいですね。主人が死ぬと神器は消えるはずですけど……」
その一言を聞いて(ぬえ)紅蓮(ぐれん)は目を見開いて思金(おもいかね)を見た。思金(おもいかね)は確認するように天照(あまてらす)の方を見た。天照(あまてらす)は同調するように頷いて、(ぬえ)に向き直った。
「そうですわ。神器は主人が消えると確かに消えてしまうはず。しかも本当にそれが大禍津日神(おおまがつひのかみ)の神器なら、どうしてそんな状態になっているんですの?」
天照(あまてらす)の疑問は確かにそうだと思えるものだった。神器の消滅は一旦おいておいて、なぜ大きな玉の姿をしていた蒼玉(そうぎょく)と、槍の姿をしていたはずのグングニルがこんなに小さくなり、しかも蒼玉(そうぎょく)の中に入っているのか。
「もしかして、だね」
「生きている? だよ」
 双子のその言葉に(ぬえ)は大きく反応した。紅蓮(ぐれん)もそれと同じに双子を見たが、確信がないのかあわあわと慌てだした。思金(おもいかね)は考え込むと(ぬえ)紅蓮(ぐれん)に向き直り口を開いた。
「その可能性はありますね。神器が存在している以上、生きていると考えるのが妥当(だとう)でしょう。小生達からしたら死んでいてほしい存在なのですが」
(ぬえ)の表情に希望が宿る。
「なあ、ほんとに生きているとしたら、どうやって探したらいい!?どうやったら見つけられる!?」
「そんな事言われましても、(わたくし)たちにそんな事分かるはずないですわ。結界の中にいたら見つける術がないし、何より神々がどこにいるなんて誰も分かるわけがありませんもの」
その言葉に手詰まり状態に戻った(ぬえ)は、紅蓮(ぐれん)に助けを求める眼差しを向けた。しかし紅蓮(ぐれん)もどうしようもないようで、(ぬえ)から視線を逸らさた。
 どうしようもない事を(ぬえ)は悟ると、とにかく邪魔したといってきびつを返した。紅蓮(ぐれん)はそれに慌てて追いかけ、天照(あまてらす)達にお礼を言うと(ぬえ)の隣を歩いた。
「いいのか?もう行って……」
「忘れたのか?あの訳の分からん奴の事をよ!」
紅蓮(ぐれん)は記憶をたどったが、そんな奴は知らないぞと疑問を抱えた。
 (ぬえ)は勝ち誇った顔をして紅蓮(ぐれん)を見ると、しょうがないから教えてやるよと言った顔で紅蓮(ぐれん)の疑問に答えることにした。
「ほら、私の所にいきなり現れてさっさと消えた得体のしれない従者だか神だか分からないやつだよ」
「ああ、紅闇崎(こうあんざき)の言ってたやつか!」
そう、(ぬえ)はその者を頼ることができるかもしれないと思ったのだ。彼は確かにこう言った。「思い出したその時に、またお前の元に俺は現れる」、と。
「そいつは全部知っているみたいだった。だったら、そいつが現れるまで待てばいい。鳳凰院(ほうおういん)……だっけ?そいつは少なくとも敵だろうし居場所も分からない」
「そうだな、また現れてくれるのなら、こっちとしても好都合かもしれない。俺としても、いつき様を探したいし」
決まりだな、と言っているうちにお目当ての池を見つけ、迷いもなくその池に飛び込んだ。紅蓮(ぐれん)もそれに続いて入り、現世(うつしよ)に帰還した。

 あたりはすっかり暗くなっており、街灯が道を照らしていた。
「うわ、すっかり暗くなっちまったなぁ。高天原(たかまがはら)は常に明るいから分かんねぇや」
途中まで一緒に帰ると、明日また会う事を約束して紅蓮(ぐれん)と別れた。(ぬえ)には確かに見えた。彼の顔が曇っていることを。だが、聞き出すわけにもいかないし家に泊めることはできない。紅蓮(ぐれん)の家は泊まり禁止、というのをクラスメイトと話している時に聞いたのだ。
「あいつ、いつかノイローゼになりそうだな」
ぼそっと呟くがそれは勿論誰も聞いてない。その言葉と声は暗闇に消えた。
 星がきれいだった。いつきと初めて会った時に、彼は太陽に向かって眩しい、と言っていたのを思い出した。
「あいつは、暗闇しか知らなかったのかもしれねぇな……」
そう思うと、なおさら生きているという希望を信じていつきを探さないと、と思った。あの時死んだように感じた事は自分の勘違いであってほしい。そう願いながら。
「まってろよ」

 月明かりに照らす下、黒いローブを着た白い髪の男が歩いていた。向かっている先は神社。その街に一つしかない、初詣にはたくさんの人が訪れる唯一の場所。
 神社の境内に入ると、人ではない小さな存在が彼の事を見つめた。無数にいるそれは、妖怪という存在。しかし彼はそんな事を気にせずに扉の目の前に入ると、扉を開けた。
 そこには鎖がいくつも絡まっており、御札(おふだ)が無数に貼られている。男は中央に書かれた五芒星(ごぼうせい)に近づくと、乾いているはずのそれに触れ、指でなぞると指に赤色の色が付いた。
「やはり、この力はあの方の……」
動かない表情は夜に見ると不気味のそれだった。立ち上がると辺りを見回し、ほかにも……。と呟いた。
「なぜ、下界に干渉しないあの方が、あの者の封印の手伝いをしたのだろうか……」
 拳を握って外に向かって歩き出す。こつこつという足音のみがその場一帯に響いた。
「風が乱れて輪廻の歯車が逆に回る……。誰かが……、混沌(よる)を望んでいる?何者かが、歯車を狂わせている?……おかしい。なぜ混沌(よる)の事を知り、歯車を狂わせる事ができる?」
彼の周りに霊魂が現れた。囲むように浮遊し始めたそれを見て、今まで様子を窺っていた小さな妖怪たちは慌てふためいて逃げ惑い始めた。
「させない……。させるものか。混沌(よる)は起こさせない、守ってみせる。その為には運命を変える存在の協力が必要だ。大禍津日(おおまがつひ)八十禍津日(やそまがつひ)。お前たちに誓って……。いや、友に誓ってその歴史、守って見せよう」
俯いていた顔を上げ、その頬を風が優しくなでる。今まで動かなかった表情は、確かに決意に揺れていた。
「俺の役目はこれでいいんですよね?答えの確認は、秩序を動かす者を見つけてからにしよう」
闇夜に消えるその姿の後ろに大きな鎌を持った霊体が、確かに存在していた。

 


 (ぬえ)は夜に夢を見た。忘れていた記憶が取り戻され、強い意志が見せたものなのかもしれないが、それでも(ぬえ)は彼に手を伸ばした。大切な主のいつきに。
 しかし彼に触れる事はなぜか出来ず、伸ばすだけで届く事はない。彼は聞こえない声で何かを言い、そして意識が完全に現実に戻る寸前、その言葉を聞くことができた。
「私を……探さないで……」

 ふっと目覚めるとそこはいつもの天井だった。変な夢だな、と思いながらも最後にいつきが言った言葉を思い出す。
"探さないで"
言葉が頭の中に巡り、自分の夢なのになぜ彼は否定をしたのか理解ができなかった。夢は自分の記憶の処理が見せるもので、考えてもいないものを見ることはそうそうないと聞いたことがある。
 特に意味も無く見たのだろうと自分で解釈すると、(ぬえ)は布団から起き上がった。
「そういや、あの変なやつ来なかったな」
てっきり人に見られにくい夜に来るのだと思ってしばらく起きていたのだが、いつの間にか自分は眠ってしまっていた。
 その時、インターホンが鳴って聞き覚えのある声が聞こえた。(まご)う事無く、それは紅蓮(ぐれん)の声だ。
 二階から玄関に行くためには階段を降りなくてはならない。降りている最中に、羽根が落ちている事に気が付いて足を止めた。
「何だ?」
それを拾い上げると、不思議と覚えのある感覚が体の中を駆け巡る。
 しかし、よく見ても見たことの無い、ただの白い羽根だ。帰り道か高天原(たかまがはら)で付いたものが、ここで取れたのだろうと思ってそれを受話器の近くに置いた。
 「はいはい、白夜(びゃくや)。今出るよ」
鍵を開けてドアを開く。視界に映るのは紅蓮(ぐれん)のみだと思っていた(ぬえ)だが、後ろに幽霊のように立っている男がいて(ぬえ)は肩を震わせた。
「び……白夜(びゃくや)……、後ろ……」
気づいていなかったのか、紅蓮(ぐれん)は後ろを振り返る。"それ"と目が合い、紅蓮(ぐれん)は声にならない叫び声を上げた。

 「脅かせんじゃねぇよ!」
(ぬえ)は家に上がらせて彼を見た。この前に訳のわからない事を言っていた彼だ。青白く何を考えているか分からない瞳は本当に死人のようだ。
「こいつが、紅闇崎(こうあんざき)の言ってた変な奴?」
「そう思うのならそう思え。違くても咎めるものはいない」
相変わらず何を考えているか分からないやつだ、と(ぬえ)は愚痴をこぼした。
 しかし、そんな事を言っている状態じゃないのではないかと紅蓮(ぐれん)(ぬえ)に耳打ちすると、はっとしたように喋りだした。
「そうだ、私は思い出したんだ!いつきの事!!どうなってんだ、何で私はこんなに大事な事を忘れていたんだ、何か知ってるんだろ!?」
「……」
(ぬえ)は白い彼に問いかける。紅蓮(ぐれん)もなぜだという視線を彼に向けた。
「誰かが大禍津日神(おおまがつひのかみ)という存在を消した。神々、従者だけではなく人間の記憶までも」
「人間の記憶もか!?」
即座に反応したのは紅蓮(ぐれん)だ。確かに神々だけ、というのは何となく身を隠す意味でもその判断は思いつく。だが、信じている人は数えきれるくらいしかいない人間の記憶すらも消してしまうのは確かにおかしい。
 彼に向かって紅蓮(ぐれん)は問いかける。
「そういや、お前の名前は?」
確かに聞いていなかった、と(ぬえ)も頷いて身を乗り出した。
 彼はしばらく無言でいると、口を開いた。
「今は、言えない。その前にお前の主を探すことが先決ではないのか」
話を逸らされて(ぬえ)は怒りかけたが、紅蓮(ぐれん)がそれを止めた。今は、と言ったのでいつかは言うだろうと彼は思ったのだ。(ぬえ)は仕方がなく身を引くと、どうやって探せばいいのか分かるのか、と彼に聞いた。
「それは、分からない。だが、近いうちに厄災がもたらされる事は確実だろう」
どうゆう事だ、と紅蓮(ぐれん)(ぬえ)は反応する。
「それは彼に出会えば分かるだろう。嫌でも、な」
相変わらず彼の言っていることは全く分からない。
 高天原(たかまがはら)に協力を求めるか、と紅蓮(ぐれん)(ぬえ)に聞く。敵対していたとしても双子くらいは協力をしてくれるだろう。しかし、彼は必要ないと立ち上がった。どうゆう事だ、と(ぬえ)紅蓮(ぐれん)は彼に問いかけた。
「輪廻の中に多くの人間の魂が入った。恐らくはもう現れたのだろう」
意味の分からないことを言い続ける彼に二人はついていけずにただ、外に出る彼に付いていくしかなかった。
 随分歩いた所で彼はいきなり従装(じゅうそう)(まと)えと言ってきた。戦いでも待っているのかと(ぬえ)は聞いたが、彼は死にたくないなら早くしろと促す。
「なんだかさ、完全にあいつのペースに呑まれてるな」
「くっそぉ……主導権を握られる感覚ってこれなんだなぁ」
ブツブツと二人で言い合いながら、彼に従って従装(じゅうそう)(まと)う。
 茂みを抜けると小さな街が見えた。(ぬえ)達が住んでいる街は少し歩けば都会に出るが、周りは森だらけである。その中で、森に囲まれた場所に村や街があってもおかしくはなく、今見えているのはそれだった。
 だが様子がおかしい。遠目に見ると人間達が走り回っているのだ。祭りというわけではなさそうで、何かから逃げていると印象づけられる。
「……こんな所にこんな場所あったんだなぁ」
紅闇崎(こうあんざき)、今はそれどころじゃないんじゃないか?」
紅蓮(ぐれん)は脳天気な(ぬえ)に向かってツッコミを入れた。
 そんな様子を見て彼は楽しそうだな、と言うと森を抜けようと歩き始めた。
「おい、まさかそっちに行くんじゃねぇだろうな!?」
(ぬえ)は彼の動きを静止するように促す。厄介事が起きているのは一目瞭然。その中に踏み入るのは(ぬえ)にとっても、紅蓮(ぐれん)にとっても嫌な事だった。
「……行きたくないのなら行かなくていい。行くのなら付いてこい。真実を知りたいなら尚更に」
真実?と(ぬえ)は首を傾げて彼に問う。だが、その答えは返ってこず、おーいと声を出す(ぬえ)に向かって紅蓮(ぐれん)は話しかけた。
「行こう、紅闇崎(こうあんざき)。そもそもこの状態なんかおかしい。あいつの言動といい、いつき様に関係がある事なのかもしれない」
紅蓮(ぐれん)が言うなら間違えはないだろう、と(ぬえ)は判断して渋々ついていくことにした。
 そこに近づく度に嫌な感じを受けたが、気付かないふりをしながら。

 街に入ると、(ぬえ)の目の前に人が倒れた。否、正確には落ちてきたと言うべきだろうか。紅蓮(ぐれん)(ぬえ)はそれに反応する。
「うっわ!!びびった脅かせんじゃねぇよ!」
「空から人だと!?」
慌てて上を見上げたが特に何もない。どこから落ちてきたのかは分からないが、見た感じでは死んでいるので危害はないだろう。
 その時、高笑いが聞こえた。知らない声であったなら良かったのかもしれない。だが、その声には聞き覚えがある。そして、聞き覚えのあるその声の主は絶対にその高笑いをする事はないだろう存在。
 (ぬえ)は声の方向に走り出した。紅蓮(ぐれん)もそれに続いて走り、その後ろに彼もついて行った。
 否定したい、見たくない、ありえない。そんな現実はあってほしくないと何度も願ったが無意味に終わり、立ち止まって天使の羽を生やした浮遊している存在に目を向ける。
「いつ……き……?」
声の主は声が聞こえたのか、それとも気配を感じたのか。(ぬえ)の方向に振り向いた。
 印象的な、猫耳がついているような黒いさらさらとした髪。白い肌は日焼けしていないことが分かる。(ぬえ)が初めて見た時不思議だな、と思った紫と赤で更生された、瞳孔が白い瞳。頭には角のような装飾が施され、足には足枷が付いている。何よりも一番に目に入るのは、天使が持っているような大きな翼。右腕に同化した大砲のような銃はそんな彼に似合わなかった。
 紅蓮(ぐれん)もその者を見て声を震わせ、名を呼んだ。その者は首を傾げて一言いった。
「誰?」

 「なっ……!?忘れたのかいつき、(ぬえ)だ! どうしたんだよ!こんな事して!」
「……?(ぬえ)?それは貴方(あなた)の名前なの?」
話が噛み合っていない。そもそも、明らかに変わっている彼は本当に(ぬえ)の主なのだろうか。
「いつき様!忘れちゃったんですか?!俺を助けてくれたじゃないですか!」
「……何を言っているのか分からないけれど、私は……」
ゆっくりと目を閉じてゆっくりと開く。その目に睨まれているようで、(ぬえ)紅蓮(ぐれん)は一歩下がった。
「私は大禍津日(おおまがつひ)。そして私の力は厄災の力。全てを不幸へと変え、永遠なる絶望を与える、黄泉(よみ)の力を受けた禍津(まがつ)……」
両手を少し上げると地面に黒いシミが現れ、そこから鬼の形をした何かが現れた。
「私を見たからには生きては帰さない。さぁ、黄泉(よみ)の使者たち。ここにある全ての魂を食らい尽くしなさい」
その言葉を聞くと、複数体はどこかに走り去り、残った鬼は(ぬえ)紅蓮(ぐれん)に襲い掛かってきた。
 (ぬえ)は大鎌を振り、紅蓮(ぐれん)は銃弾を無数に発砲する。しかし、倒しても倒しても一向に数が減る事は無く、次々と生み出されていることに紅蓮(ぐれん)は気が付いた。
「どうすんのさ!これじゃあ、きりがないぞ!!」
「やるっきゃねぇだろ!……っ!!」
大禍津日(おおまがつひ)の攻撃が(ぬえ)達に届き、お互い逆の方向に回避する。その間にも鬼は次々と現れ、数は既に数えきれないくらいに増えていた。
 数分持ちこたえていたものの、既に二人に息は限界だった。しかし止まっては鬼に攻撃をされるため、休憩するわけにはいかなかった。
「ふふふっ……あっははははは!!さあ、さあ!早く死になさい!今すぐに楽になれるから!!」
「死なねぇよ!!いつき、まずはお前を連れ戻すんだ!!」
(ぬえ)は地面を蹴ると大禍津日(おおまがつひ)の元に一直線に飛び上がり、大鎌を振り下ろした。大禍津日(おおまがつひ)の右腕と同化していた銃は元の腕に戻り、代わりに禍々しい形をした剣が彼の手に現れた。
 ガァン、という鈍い音が聞こえ、紅蓮(ぐれん)(ぬえ)大禍津日(おおまがつひ)に攻撃をしていることに気が付いて空を見上げた。すると今まで紅蓮(ぐれん)(ぬえ)に攻撃をしてきていた鬼たちは(ぬえ)の元に一斉に飛び掛かり、紅蓮(ぐれん)の周りから鬼は消えた。
「うわっ!!」
大禍津日(おおまがつひ)に地面にたたき落された瞬間に、鬼は(ぬえ)の元に走っており、鋭い爪で(ぬえ)をひっかいた。
紅闇崎(こうあんざき)!」
紅蓮(ぐれん)は右の(もも)に付いているポシェットに手を入れ、手榴弾を取り出し安全ピンを外すと(ぬえ)を囲んでいる鬼に狙いを定めた。その時、大禍津日(おおまがつひ)紅蓮(ぐれん)の目の前に瞬時に現れ、その時点ではすでに剣を(かま)えてあと一秒後にでも紅蓮(ぐれん)に突きを入れるような体制に入っていた。
「しまっ――」
にたぁ、と大禍津日(おおまがつひ)は口の端を吊り上げ、紅蓮(ぐれん)に剣を突き出した。心臓を目がけて剣が触れそうになった、その時だった。
 紅蓮(ぐれん)大禍津日(おおまがつひ)の間に瞬時に入ってきた黒い者がその剣を弾いた。それは、フードをかぶった表情の変わらない彼だった。彼の右腕には半透明の大鎌が握られていた。
「……!」
大禍津日(おおまがつひ)はそれに驚いて翼を動かし後ろに退避すると、懐かしい知人を見るような顔をして剣を消し、両手を合わせて歓喜の声を上げる。
「久しぶりね!死神(しにがみ)!!」
 その名前に(ぬえ)は鬼にふるっていた大鎌を止めた。だが、鬼はそれで攻撃を止めるわけではない。鬼は油断した(ぬえ)に向かって一斉に爪を突き刺そうと襲い掛かった。だが、死神(しにがみ)と呼ばれた彼は半透明の大鎌を回すといつの間にか(ぬえ)の後ろにおり、膝を着き大鎌の刃を下に持つようにして(かま)え、呟いた。
瞬連斬(しゅんれんざん)天津風(あまつかぜ)……」
その瞬間に鬼は全て切り刻まれ、墨のような黒い液体を出してすべて消えた。今まで斬っても斬っても現れ続けた鬼たちは、そこから出てこなくなった。
「すげぇ……」
(ぬえ)は思わず感嘆の声をもらす。自分と似たような大鎌を持っているのに、自分とはけた違いに感じたからだ。
 しかしその手から半透明の大鎌が消えたかと思うと、ばた、とその場に彼は倒れた。

 「紅闇崎(こうあんざき)!もっと速く走れ!!追いつかれるぞ!!」
「わぁってるっての!そんなに言うならテメェがこいつを持てや!!」
迫ってくる真っ黒な鬼たちを紅蓮(ぐれん)は発砲して倒す。
 状況的に不利だと判断した紅蓮(ぐれん)は、彼が倒れたその瞬間に(ぬえ)に退くように声をかけた。鬼を蹴散らすために持っていた手榴弾をつかって大禍津日(おおまがつひ)の視界を塞いだのだ。その間に(ぬえ)に彼を担がせ、紅蓮(ぐれん)は再び大禍津日(おおまがつひ)召喚(しょうかん)した鬼たちを二丁拳銃で撃っている。だが、彼が鬼を倒したら復活しなくなったのに、紅蓮(ぐれん)が鬼を倒してもすぐに復活してくる。
「待ちなさい、逃げられると思っているの!?」
「待てって言われて待つ奴いねぇぞ、いつき!!」
「だから、私はそんな名前じゃないってば!!」
いつきと呼ばれるのは(しゃく)に障るのか、右腕の銃で二人に攻撃をする。紅蓮(ぐれん)はポシェットから鏡を取り出すと、それを放たれた攻撃に向かって投げつける。鏡に当たると放たれた攻撃は大禍津日(おおまがつひ)に向かって跳ね返り、彼は羽を動かしてそれを回避した。
 紅蓮(ぐれん)銃把(じゅうは)(拳銃を手で持つ部分)から弾倉(だんそう)(銃弾が入っている銃の部品)を取り出し、ポシェットから別の弾倉(だんそう)を取り出すと、装填(そうてん)(銃把(じゅうは)に詰め込む事)し、先頭を走っている鬼の足元に向かって発砲した。すると地面は凍りつき、先頭を走っていた鬼たちは脚を動かすことができなくなり、その場に止まった。その途端後ろを走る鬼はその鬼たちに(つまづ)いて転び始めた。
「何をしているの!」
大禍津日(おおまがつひ)は怒りを隠せずに鬼たちに向かって怒鳴り声をあげた。紅蓮(ぐれん)はその隙にワイヤーを長めに取り出し、散らばらせると木々にそれは引っかかって大禍津日(おおまがつひ)の進路を塞いだ。気が付かなかったのか大禍津日(おおまがつひ)はそれに引っかかりその場に止まる。
 剣を召喚(しょうかん)してワイヤーを切り刻み、再び正面を向いたその時には二人は既にいなかった。

 (ぬえ)紅蓮(ぐれん)は神社まで走り、木陰に彼を寄りかからせると疲れを癒そうと座り込んだ。
「あー、死ぬかと思った……」
(ぬえ)はばたんと寝転がり、紅蓮(ぐれん)は立膝で息を整えている。
「いつき様、どうしちゃったんだろうな……」
紅蓮(ぐれん)はその事をずっと考えていた。まるで別人のように笑い、そして(ぬえ)紅蓮(ぐれん)に攻撃をしている彼は本当にいつきで合っているのだろうか。
 (ぬえ)は息が整って上体を起こし、俯いた。
「いつき……忘れちまったのかよ……なんで……」
しんとしたその間に心地よい風が吹き抜ける。
 すると目を開けて彼が起き上がり、悲しみを隠せない二人を見て口を開いた。
「おそらく、本来の大禍津日(おおまがつひ)が彼の人格を殺し存在しているのだろう」
いきなり彼がしゃべり始めたため(ぬえ)紅蓮(ぐれん)は同時に驚きの声を上げた。お化けや妖怪ではなくてホッとする(ぬえ)に対して紅蓮(ぐれん)は彼に質問をぶつけた。
「お前、いつき様に死神(しにがみ)って言われてたよな」
「そうだ!お前、死神(しにがみ)なのか!?死んだんじゃねぇのかよ!! それと、何でいつきはお前の事知ってたんだ!?」
「……いっぺんに質問をするな。これからの為にも順番に答えてやる」
すまん、と(ぬえ)は身を引いて謝る。紅蓮(ぐれん)も座り方を変えると彼の声に耳を傾けた。
 「まず、間違えなく俺は死神(しにがみ)という名がある。だがそれは友が付けてくれた名だからお前たちが知っているような死神(しにがみ)とは違うだろう」
「私たちが知ってる死神(しにがみ)とは違うって……どうゆう事だよ」
「おそらく、お前たちの知識の中の死神(しにがみ)は死者の魂を地獄か天国に運ぶ、というものだろう。だが、俺はそんな事はしない」
死神(しにがみ)はそこまで言うと立ち上がり、数歩歩いて止まった。紅蓮(ぐれん)(ぬえ)は自然と彼を視線で追う。
「俺は神々が死ぬと転生させる、輪廻の管理者だ。似たようなものかもしれないが実際には違う。俺は魂は運ばないからな」
「そして俺は死んだ後、ある理由で黄泉(よみ)に逝った。死んだ事で輪廻管理の権限が離れ、俺は黄泉(よみ)から出られずにいた。数年たった時、つまりはこの前。邪神(じゃしん)が輪廻に入った事で輪廻管理の力が戻り、俺は輪廻を通って再びこの世界に戻ってくることができた。ここまでが俺の話」
死神(しにがみ)は風を受けて横に流された髪を揺らし、(ぬえ)紅蓮(ぐれん)を交互に見ると、話をつづけた。
 「ここからが大禍津日(おおまがつひ)の話だ。お前の主は邪神(じゃしん)を能力で殺し、代償に彼の命は消えた、はずだったのだろう」
(ぬえ)紅蓮(ぐれん)はそうだったな、と顔を見合わせて頷く。だが、はずだった、という彼の言葉の続きを待ち、彼に続きを言うように促した。
「だが、あいつの中には大禍津日(おおまがつひ)が眠っていたため、代償は命ではなく人格の……いや、紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)の主を元の大禍津日(おおまがつひ)に変える。という結果になってしまったのだろう。紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)の主は死んだ、という結果と変わりは無いからな」
ややこしい事に(ぬえ)は頭がパンクしそうになり、紅蓮(ぐれん)は要点をまとめて(ぬえ)に話した。
「つまり、いつき様の中にいた本当の大禍津日神(おおまがつひのかみ)がいつき様と入れ替わった、という事だ」
一瞬で(ぬえ)は理解が追い付き、立ち上がって死神(しにがみ)に言葉を投げる。
「なにぃ!?何でいつきの中にそんな奴がいたんだよ!!」
興奮する(ぬえ)紅蓮(ぐれん)がなだめ、落ち着いたころを見計らって死神(しにがみ)は言葉をつづけた。
「人間か、あるいは従者か。紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)の主は一度死に、輪廻によって転生しかけた。おそらく、その時に大禍津日(おおまがつひ)が宿って神として地上に降り立ったのだろう」
 
 紅蓮(ぐれん)は熱心に聞いていたが(ぬえ)はますます訳が分からない、と言って頭を掻きむしり、どうやっていつきを元に戻せばいい、と死神(しにがみ)に向かって聞いた。紅蓮(ぐれん)(ぬえ)がすべてを投げやった事に呆れていたが、頭の悪い(ぬえ)には長い説明は不要だ、と死神(しにがみ)に言い、彼は分かったと返事をすると考えてから話し始めた。
「今の状態は人格を殺しているに過ぎない。だから、記憶を戻させて彼を信じて自力で自分を取り戻させるか、大禍津日(おおまがつひ)のみを殺す」
そんな事が可能なのか、と紅蓮(ぐれん)死神(しにがみ)に問う。しかし死神(しにがみ)は難しい、と一言呟いた。
「前の俺なら何の手順もなく大禍津日(おおまがつひ)のみを斬れただろう。だが、今の俺には当時のように戦う力は残っていない。頼りになるのは俺の力を持つ、紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)だけだ」
紅蓮(ぐれん)死神(しにがみ)(ぬえ)を見た。(ぬえ)はそんなの決まってる、と一人と一柱(ひとはしら)に言うと、決意した目で見る。
前者(ぜんしゃ)だ。私はその大禍津日(おおまがつひ)って奴を斬れない。私が完全にお前の力を制御できないってのもあるが、何よりそいつを殺したくはない。それにいつきは私の主だ。信じてあいつが戻るのを待つ」
まさしく(ぬえ)らしい、と紅蓮(ぐれん)は微笑んだ。
 その時、木の陰から聞き覚えのある、(ぬえ)にとって嫌な声が二人の耳に届いた。
「いっそ禍津日神(まがつひのかみ)ごと切り刻んでしまえばいいものを」
(ぬえ)はその言葉を聞いて激怒する。木陰から現れたのは、緑の髪を束ね、刀を()している目つきが鋭い女。そして何度も会っている水色の髪が特徴の、瓜二つの子供たち。
「話は、だね」
「聞いた、だよ」
三人は今までの会話を聞いていたようで、納得したような表情を浮かべていた。
 (ぬえ)はいつから聞いていたのか聞くと、答えたのは緑髪の女ではなく死神(しにがみ)だった。
「お前らが大禍津日(おおまがつひ)に接触する直前に呼んでいた。ここに待つように言って」
「だからあの時いなかったのか……」
紅蓮(ぐれん)は思い出しながら言うと、既に隣では緑髪の女と(ぬえ)が睨み合っていた。
「おい、どうゆうこった?狐坂(こさか)奈落(ならく)さんよ。今、いつきすらも殺せと言ったいたように聞こえたんだけどよ」
「耳は正常のようだな、紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)。そうだ。記憶やらそれだけを斬るやら面倒なことはせず、あいつごと殺せば厄災は消えるし何より私の復讐は完了する」
その瞬間(ぬえ)奈落(ならく)は武器を交えていた。
 相変わらずの二人に紅蓮(ぐれん)は呆れていると、双子の一人が紅蓮(ぐれん)の裾を引っ張った。
「ねぇねぇ、だね」
「聞いてない事ある、だよ」
紅蓮(ぐれん)は質問に答えるために双子の目線に合わせてしゃがみ込む。うしろで喧嘩をしている奈落(ならく)(ぬえ)については完全に皆見ていないふりをしている。
「どうして、だね」
大禍津日(おおまがつひ)の記憶、だよ」
「「戻ったの? だね(だよ)」」
紅蓮(ぐれん)はうーん、といって自分の記憶をたどる。
「確か、鳳凰院閻魔(ほうおういんえんま)って名乗る邪神(じゃしん)の従者だった奴が紅闇崎(こうあんざき)にいつき様の神器を渡したんだ。その瞬間に紅闇崎(こうあんざき)が思い出して、そしてら俺も思い出したからその時にお前たちの記憶も戻ったんだと思う」
閻魔(えんま)の名前を出した途端に双子の(アサヒとユウヒのどちらかは分からない)一方が眉を僅かに動かしたのを死神(しにがみ)は見逃さなかった。死神(しにがみ)は眉を動かした方をじっと見たが、二人同時に死神(しにがみ)を見るとにこっと笑った。
 なるほど、と理解した双子は紅蓮(ぐれん)にお礼を言った。その時、黒い鬼が双子の後ろにおり、飛び掛かった。紅蓮(ぐれん)は双子に伏せろ、と言うと二丁拳銃をいち早く召喚(しょうかん)して銃弾を撃ち込んだ。奈落(ならく)(ぬえ)は流石に喧嘩を止め、双子の元に走った。
 鬼はその場に消えたがその場に再び現れ、その爪を紅蓮(ぐれん)に向けて走る。
「そいつに従者、人間の攻撃は効かない。倒せるのは神々だけだ」
そう死神(しにがみ)が言うと先ほどにも持っていた半透明の大鎌を召喚(しょうかん)し、鬼を斬り裂いた。鬼は真っ二つに裂かれて消え、その場に黒いしみができた。だが、倒した死神(しにがみ)は息を荒くして肩で呼吸をしている。大鎌はすぐに煙となって消えた。双子は心配そうに死神(しにがみ)を見た。
「なんでそいつがこんな所に!追ってきたのか!?」
「まさか、街にも!?」
いくぞ、と奈落(ならく)は舌打ちをして走り出した。それに続いて(ぬえ)達も走り出す。

 追跡ー記憶の淵へー

 紅蓮(ぐれん)の読み通り、街はまさしく修羅場だった。一度邪神(じゃしん)の従者に破壊されたこの街は、更なる侵略が行われていたのだ。
「うわ、人間を食ってやがる……」
「これは……中々にキツイものがあるな……」
奈落(ならく)(ぬえ)がそう言うとこちらに気が付いた鬼が奈落(ならく)に襲いかかる。だが、奈落(ならく)はそれを切り裂くと刀に自分の主の力を宿した。
「散り逝け 愚かなる魂よ、無に還れ」
力が宿ったその刀を振ると、鬼は綺麗に消え去った。その手があったか、と(ぬえ)紅蓮(ぐれん)、双子は関心の声をもらす。
「ふん、そんな事誰でも考え付くだろう」
そっぽを向いて奈落(ならく)は次の戦闘態勢に移る。
 自分も負けてはいられないと、(ぬえ)も大鎌を(かま)えた。だが、後ろにいた死神(しにがみ)はそんな(ぬえ)の肩に手を置いて制止させる。
大禍津日(おおまがつひ)に居場所がばれる可能性がある。お前は力を使うな」
はあ?と(ぬえ)は訳の分からない、というような声を出して死神(しにがみ)にその顔を向けた。好戦的な彼女には無理な頼みもいいところだ。
 それぞれ戦闘に入る中、(ぬえ)はイライラを感じながら大鎌を振った。その瞬間、
「みいつけたぁ……」
魔法の弾が飛んできたため、一斉に皆は退避する。正面を見ると、翼を動かして浮遊している大禍津日(おおまがつひ)の姿があった。銃と同化していた右腕は剣に持ち替えられ、静かに彼は地面に降り立った。
「貴様!これはどうゆう事だ!!」
先に食い掛かったのは奈落(ならく)の方で、怒りの表情を隠さず刀の先を大禍津日(おおまがつひ)に向けた。彼はその様子を見てふふっ、と笑うと、
「何で?そんなこと聞いてどうするの?聞く事で貴方(あなた)には特がないじゃない。それとも、意味を聞いて否定して、自分が正しいとでも言い張るわけ?」
「なんだと……!!」
馬鹿にしたような言い方に奈落(ならく)は腹を立てた。
 大禍津日(おおまがつひ)は面白いと言うように笑う。(ぬえ)は怒りの表情を浮かべている奈落(ならく)の前に出ると、大声で叫んだ。
「てめぇ大禍津日(おおまがつひ)!!いつきを返しやがれ!!」
睨みながら言い終わると(ぬえ)は息を吐いた。その言葉を聞いて彼はゆっくりと笑いを止めると(ぬえ)を見据え、口を開いた。
「返せ?あっははは!私の意志で動いている以上、この身体は私のものだと思うけど?」
自分の胸元に手を当てて大禍津日(おおまがつひ)は笑う。(ぬえ)はそんな言葉は気にも止めないのか、そのまま続けた。
「意志で動かしてるから何だ!元々はいつきの身体だ!あいつは死んでない!お前が出ていけばあいつは戻ってくる!そんなことしてたって人間の気は引けねぇぞ!」
「……は?」
途端に彼の表情が変わる。怒りを覚えた顔だ。双子と紅蓮(ぐれん)は大丈夫なのか、という心配をしていたが死神(しにがみ)は黙って(ぬえ)を見ている。
「そうだろ。お前達神様ってやつは誰にも認識されてなければ、いねぇと同義だろ? 私だっててめぇなんぞ崇拝(すうはい)しない!存在してるだけでいつきが消えるしな!」
その時、彼はわなわなと震えた。それは怒りなのか悲しみなのかは分からないが、歯を食いしばって何かを耐えている。
「……私は……、崇拝(すうはい)なんていらない!」
「だってそうでしょう?あの(みにく)い生物共は私達を毛嫌いし、そして全て自分が悪いのにも関わらず私のせいにする!私は……こんな力を欲しくて持ったんじゃない!嫌われる為に生まれたわけじゃない!!」
「それなのに……なぜ私達が殺されなくてはならないの……?!私達が何をしたっていうの……!?嫌い!大っ嫌い!!私達を否定した人間も、神々も!すべて罰を受けるがいい!!」
彼が何を思って言っているのかは分からないが、その顔には確かに怒りが込められており、そして如何(いか)に全てが嫌いかが伝わってくる。
 彼は剣を持っていた手を再び銃に変え、(ぬえ)を目掛けて発砲する。紅蓮(ぐれん)(ぬえ)の前に出ると、二丁拳銃を(かま)えて攻撃を撃ち落とした。
「……大禍津日(おおまがつひ)……」
死神(しにがみ)は彼に手を伸ばそうとした。表情は変わっていないが声は震えており、伸ばしている手も心なしか震えているように感じるものだった。
(ぬえ)さん、だね」
「逃げよう、だよ」
その時双子は何かを察したのか(ぬえ)にそう告げた。奈落(ならく)大禍津日(おおまがつひ)の表情がどんどん険しいものになっていることに気が付いた。何かを思い出しているのか、それとも(ぬえ)の言葉が効いたのか。
「何言ってんだよ!いつきを取り戻すんだ!!」
「馬鹿か貴様は!あれを見ろ、明らかに怒りが頂点に達している。神々と戦う事は私達従者にとって無謀な事なのだぞ!!」
(ぬえ)の言葉に奈落(ならく)は反応して返す。紅蓮(ぐれん)奈落(ならく)たちと同じ意見なのか(ぬえ)に退くように促した。
 二度も敵に背中を見せる事は悪い事では決してない。だが、(ぬえ)は一刻も早く自分の主を取り戻したいと言う気持ちが大きかった。死神(しにがみ)に向かって(ぬえ)は問いかけた。
「神の力ならいいんだろ?おい、死神(しにがみ)!!どうやったら神衣(しんい)(まと)える!」
肩を掴んで彼を揺らす。だが、彼の答えは(ぬえ)が期待したものとは違っていた。
「……知らん。知る訳がない。なぜ俺に聞く」
「なぜったって……。お前なんでも知ってるし!」
「俺が知っている事は全てではない。知りもせず、俺万能であるという偏見はやめろ」
(ぬえ)が肩を掴んでいる腕をどかし、死神(しにがみ)は冷たく言い放った。紅蓮(ぐれん)は仲裁に入り、(ぬえ)に向かって言葉を投げかけた。
「まあまあ、落ち着けよ。今は争っている場合じゃない。そうだろ? 紅闇崎(こうあんざき)、今は冷静になるべきさ。チャンスは今だけな訳じゃない」
紅蓮(ぐれん)(なだ)められ(ぬえ)は舌打ちをして横を向く。双子は治まったことにホッとし、その間に奈落(ならく)は何かに気が付いた。
「なんだ……この空気は……」
その言葉に真っ先に反応したのは死神(しにがみ)で、大禍津日(おおまがつひ)の方向を向いて目を見開き、大声で叫んだ。
「伏せろ!!」
反応するにも遅い。大禍津日(おおまがつひ)は右手を上に掲げ、能力を発動した。
「絶対能力、生死与奪(せいしよだつ)!!」
透明何かが目の前を過ぎ去ろうとしているの分かった。しかもそれは、当たってはいけない、避けろと本能が告げている。
 その瞬間、全員を囲むように五芒星(ごぼうせい)が現れたと思うと、足元に穴が開いて全員下に落ちた。彼の能力は受けなくて済んだが、落ちる先は暗闇で何も見えない。

 紅蓮(ぐれん)は背中を打ち付けて痛みが全身を駆け巡る。痛みに耐えながら辺りを見回すと、大禍津日(おおまがつひ)が暴れていた小さな村に倒れていた。近くにいた奈落(ならく)を起こし、気絶している双子も起こした。
「何が起こった。私たちの足元が崩れた事は覚えている。だが、なぜ……?」
何が起こったのか分からないと言った様子で奈落(ならく)紅蓮(ぐれん)や周りを見ると、死神(しにがみ)(ぬえ)がいない事に気が付いて紅蓮(ぐれん)にその事を伝える。
紅闇崎(こうあんざき)ー!!」
死神(しにがみ)様ー!!」
奈落(ならく)紅蓮(ぐれん)はそれぞれいない一人と一柱(ひとはしら)の名を呼んだ。しかし、返事がなければ気配もない。紅蓮(ぐれん)奈落(ならく)は痛い体を無理矢理立ち上がらせ、辺りを見て歩き出す。そして、双子の声を聞いてその方向に向かった。
 そこには、双子が何を言っても起き上がらない(ぬえ)死神(しにがみ)の姿があった。紅蓮(ぐれん)奈落(ならく)は駆け寄って名を呼ぶが、呼吸があるだけで返事はない。
「どうなっている!?死んではいないようだが……」
奈落(ならく)(ぬえ)の頭を叩く。いつもなら跳ね起きるはずの彼女に反応はない。双子はハッとした顔をして口を開ける。
「……妖気、だね」
「感じる、だよ」
一瞬奈落(ならく)紅蓮(ぐれん)は双子の方を見て再び死神(しにがみ)(ぬえ)の方を見た。
 紅蓮(ぐれん)奈落(ならく)は何も感じられないと言ってアサヒとユウヒと見る。
「なあ、二人とも。妖気ってどうゆう事だ?」
紅蓮(ぐれん)は疑問を二人に投げかけた。難しい質問だったのか、二人は一瞬考える仕草をすると紅蓮(ぐれん)に答えを返した。
「分からないけど、だね」
「妖気は妖怪、あるいは、だよ」
「「陰陽師が持っているモノ、だね(だよ)」」
奈落(ならく)は理解に苦しむ、と言った表情を浮かべていたが、紅蓮(ぐれん)は思い当たる節を言った。
「……妖怪と陰陽師か。あの時会った邪神(じゃしん)の従者が確か式神を使っていたような……」
ぼそっとそう言うと、奈落(ならく)は何だと、と紅蓮(ぐれん)に向かって言った。確証はないと告げると奈落(ならく)は押し黙る。
「強い妖力、だね」
「否定できない、だよ」
双子はそう付け足すと、(ぬえ)死神(しにがみ)の方に向き直る。
 紅蓮(ぐれん)大禍津日(おおまがつひ)がいないかを確認すると、近くにあの従者がいるのかもしれないと歩き出す。だが、どこを探してもそれらしきものはなく、気配すら感じられない。奈落(ならく)紅蓮(ぐれん)と同じように探し始めるが、やはり姿は見えない。
「そういえば、だね」
「あの時、だよ」
「「結界で戦った、だね(だよ)」」
その言葉に探しようがない、と奈落(ならく)は肩を落とす。心配するような視線を(ぬえ)に向け、紅蓮(ぐれん)大禍津日(おおまがつひ)を警戒して(ぬえ)達が起きることを待つことにした。

 (ぬえ)は違う空気を感じて起き上がる。周りは一昔前を感じさせるような自然、そこから見える小川は今の時代ではあり得ないくらいきれいだった。
「何だ?何かの衝撃でタイムスリップしちまったのか?」
(ぬえ)は呑気な感じでそういうと、近くに転がっていた死神(しにがみ)に近づいてゆすった。
「おい、起きろよ」
それに反応して死神(しにがみ)はゆっくりと上体を起こすと、一瞬(ぬえ)を見てからぐるりと辺りを見回した。
「ここはどこだ?」
「知るかよ。しかも白夜(びゃくや)狐坂(こさか)もいねぇ」
 死神(しにがみ)は立ち上がり、小川の向こう側を見据えた。するとそこには着物を着た小さな子供たちが遊んでおり、一瞬こちらを見たが気付かないのかそのまま視線を元の場所に移した。
「気付いてねぇのか?」
とにかく歩いてみよう、と(ぬえ)は子どもたちの方向に向かって歩き始めた。すると死神(しにがみ)(ぬえ)を制止して木の奥、つまりは森の奥を真っすぐと見た。(ぬえ)は敵でもいるのかと大鎌を召喚(しょうかん)しようとしたが、召喚(しょうかん)できないことに気が付いた。どうする、と死神(しにがみ)に一言言ったが彼はそのまま何も言わない。
 するとそこから大きな獣が現れた。(ぬえ)はその獣を見た事がある。否、戦った事がある。邪神(じゃしん)の従者であった彼が使役(しえき)していた式神の狼だ。額に書かれている紋章が薄っすらと光を放っている。警戒心を出して注意深く狼を見ると、狼は白い息を吐きながら口を開いた。
「そう警戒するな。手伝ってやるのだぞ」
(ぬえ)は狼が喋ったことに驚きを隠せず、動揺したがそれとは裏腹に死神(しにがみ)は冷静に説明しろと問う。
 狼の周りに風が舞ったと思うと瞬時に人間の姿に変わった。銀色の髪に白装束。狼の面影と言えば頭に付いている耳と、尻に付いている尻尾位だった。鋭い目が(ぬえ)死神(しにがみ)を射抜く。
「お前たちを助けたのは私の主人だ。感謝しろ」
何も説明せずに彼の主人に感謝しろと言われても、何をどう感謝すればいいのか分からない。死神(しにがみ)は狼を睨むと、目的を聞いた。
「お前たちは今、記憶を見ている状態だ。だから、手出しはできないしこの記憶より先には行けない」
「!?ここは誰か記憶の中なのか!?」
(ぬえ)は即座に反応して狼に聞いた。狼は髪を払うと裾の中に手を入れ、話をつづけた。
「そうだ。お前たちは禍津日神(まがつひのかみ)の記憶を見ている。昔、封印した神々は昔の彼の記憶を消すことで大禍津日(おおまがつひ)を完全に肉体の中に閉じ込めた。今、お前たちはお前の主の記憶を取り戻す事が先決だろう? 閻魔(えんま)はそれに協力しているのだ。私も嫌いな人間の前には出たくないが仕方がないのだ。(ひざま)いて感謝しろ人間」
その容姿に似合わないほどの毒舌に、(ぬえ)は顔をしかめた。
「見返りに何を望んでいる?」
死神(しにがみ)はそう狼に向かって言う。狼はそれを聞いてくくっ、と笑うと静かに死神(しにがみ)を見て応える。
大禍津日(おおまがつひ)がいては私たちも動けない。見返りはこの騒ぎを落ち着かせる事だ」
(ぬえ)は一瞬、罠なのではないかと考えた。敵であろう邪神(じゃしん)の元従者、鳳凰院閻魔(ほうおういんえんま)が協力するとも考え(がた)いからだ。
 狼はどうする?と首を傾げた。
閻魔(えんま)の妖力が尽きたら記憶の先は見れない。今判断するのはお前たちだぞ?」
(ぬえ)は迷っている。罠かもしれないというのも考慮しなくてはならないのだ。
 しかし、死神(しにがみ)はよろしく頼む、といって警戒心を解いた。(ぬえ)はそれに驚いて死神(しにがみ)に問う。
「なっ、罠かもしれねぇぞ!?」
「落ち着け、紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)。俺たちには大禍津日(おおまがつひ)の記憶を取り戻す術がない。なら、罠でもここは釣られておくべきだ。俺たちを殺そうという素振りも見せないしな」
死神(しにがみ)はそれだけ言うと、子供たちが遊んでいる川の方に歩き出した。(ぬえ)は腑に落ちなかったが、死神(しにがみ)の言う事ももっともだと思って彼の後を追う。
 狼は元の姿に戻りそれに付いてゆくと、呟いた。
閻魔(えんま)……無理をするなよ……」

 (過去編)出会いの歯車

 (過去編)出会いの歯車

 平安後期。この時代と聞けば貴族の物語が普通だったりするが、これは農家で産まれた女子(おなご)の物語である。

 女は水の入った桶を運んでいた。水田(すいでん)に水を足すためだ。いつもの彼女の仕事なので、慣れた様子で木々を避け、目的の場所まで歩く。
 この女に父と母はいない。母は彼女を産んだときに病にかかり、半年で亡くなったそうだ。そして父は崖から足を滑らせ転落し、そのまま消息を断ってしまったのだ。父や母が大事にしていた農地を誰かに譲りたくなく、自分で仕事をこなしているのだ。しかし苦ではない。慣れというのもあるだろうが、村の人達がよく手伝ってくれるのだ。
 村の近くの神社から、子供と女の人の話し声が聞こえた。気になる会話をしていたので女は足を止めた。
「ねえ、お母さん。何でこの神社はあるの? どうしていつも誰かがお供え物をしなきゃいけないの?」
村の少し歩いたところに神社がある。井戸はこの先にあるので必ず通りかかるのだ。
 この村には(おきて)がある。それは、一日一回、日が暮れる前に握り飯と水の入った竹筒(たけとう)(昔で言う水筒)を村人で順番にお供えをする、と言う事なのだ。
「それはね、神様がここにいらっしゃるからなのよ。神様はね、病を治してこの土地を豊作にしたと言われているのよ」
子供のへぇー、という分かったような分かっていないような声と同時に、少女はそうなんだ、と呟いた。そしてお供え物が終わった後、子供とその母親は手を繋いで村の方向に足を進めた。
 少女も水を運んでいた最中だった事を思い出し、一歩前に踏み出した。
「おっとっと!」
下にあった木の根っこに気づかず、そのまま()けてしまった。水は少量溢れたが、大事にはならなかった。少女は体制を立て直して目的地に向かって歩き始めた。
 「時雨(しぐれ)ちゃん、大丈夫だった? 重くなかった?」
水田にたどり着いた時、時雨(しぐれ)と呼ばれた女に優しそうな女の人がそう語りかけた。彼女の仕事をよく手伝ってくれる人の一人だ。水の入った桶を地面に置き、近くにあった(しゃく)を手に取った。
 水が減ってきている水田に水を流し込む。満たされる事は無いが、狭い水田なので桶二杯分で十分に持つ。
「川から水を引いてこれればいいんですけどね」
「ははっ、この村に川がない以上、それは夢のまた夢ね」
女の人は笑うと桶を預かって元の場所に置いた。そして、夕飯の支度をしなくちゃ、と時雨(しぐれ)に別れを言って手を振り帰路に就いた。
 時雨(しぐれ)は水田をじっと見やると、徐々に収穫の時期が間近だと分かる。
「この村、川はないのにどうしていつも豊作でいられるんだろう?やっぱり土地神様のお陰なのかなぁ」
手を合わせてお礼を言うと、倒れている案山子(かかし)を立て直し家に戻る。
 日が暮れ始めてカラスが木々から飛び立った。それに驚いて時雨(しぐれ)は持っていた薪を落としてしまい、家の中に大きな木材の音が響いた。大きな音に反応する人は誰もいない。それは、一人であることを実感させるものでもある。急に寂しくなった時雨(しぐれ)颯爽(さっそう)と床に入ると、そのまま寝転がった。

 翌日、彼女は水の入った竹筒と握り飯を持って神社に向かった。神社までは少し遠い。だが、朝早いので走っていくという事はしない。先日雨が降ったため、木々が多いこの辺りは水たまりが消えにくい。そのまま真っすぐ突き抜けて行っても良かったのだが、今日はなぜかそれをしなかった。
 木の根を避けながら進む。木々を抜けた先には少し開けた野がある。そこで一休みをしようかと思うと、そこに誰かが数人立っている事に気が付いて急いで隠れた。隠れる必要はないと思ったのだが、大人の男たちだったため理性がそうさせてしまったのだ。
 早く離れないかな、と思ったその時、彼女の興味を引くような会話が聞こえてきた。
「見ろよ、これ!あそこの神社に付いてる南京錠の鍵だぜ?」
「本とかよ!どこで手に入れたんだそれ!!」
「いやさ、この前村長の所行ったんだけどよ、そこにこれがあったんだ」
「え?それ持ってちゃまずくねぇ?」
「大丈夫だって、あんな所に置いてあったんだ。予備かなんかだからばれやしねぇよ。気になるだろ?あの中!」
一人の男はさびた鍵を仲間に見せ、仲間は気になると頷いていた。神社の中なんて見たら罰が当たる。時雨(しぐれ)はその時そう思った。否、それは誰でも思うだろう。
 だが、時雨(しぐれ)はその時自分の手元を見てふと思った。いつも毎日のようにお供え物をしているが、竹筒と握り飯はいつもなくなっている。握り飯は野狐か何かが食べている可能性はあるが、竹筒ごと水が無くなるのはまずおかしい。
 そう考えているうちに男たちは立ち去った。時雨(しぐれ)はこちらに向かってきていることに警戒し足音を立てずにその場を離れ、男たちの視界に入らない場所に身を潜めた。
 完全に男達が去った頃、時雨(しぐれ)は茂みから身を出し、そして何かが太陽の光を反射していることに気が付いた。
 近付いてみると、それは男が見せびらかしていた鍵だった。一瞬の迷いが彼女の中に葛藤する。それは、村長に鍵を届けるか好奇心を優先させてしまうか……。
 時雨(しぐれ)は錆びた鍵に手を伸ばし、それを掴んで懐にしまいこんでいた。人間は強固な理性を持っていなければ好奇心には勝てない。彼女は強い理性など持ち合わせてはいないのだ。
 男が鍵を落としたことに気が付く前にその場を立ち去る。今の一件で握り飯が少し潰れてしまったが、途中川で手を洗って握り直せば大事無いだろう。そう思って少し遠くの川を目指して歩き出した。

 川に寄って神社に向かう頃、すっかり日が暮れかけていた。日が暮れる前にお供えをしなくてはいけない決まりなので、少し小走りになる。
 日が暮れる前に間に合ってお供えをすると、手を合わせた。やはり、昨日親子がお供えをした竹筒と握り飯は無くなっている。
 その時、時雨(しぐれ)は何かを思った。懐に入っていた(さび)の臭いがする鍵を取り出して南京錠に手をかけたのだ。いけない事だというのは分かっている。たが少しだけなら大丈夫、という気持ちが彼女を支配していた。
 ゆっくりと差し込んで鍵を回す。思いの(ほか)簡単に開き、ゆっくりと棒を取って扉に手をかける。この好奇心が後に(わざわ)いが降りかかる最初の地点だということは誰も知らない。

「誰……?」

中にいたのは彼女と同じくらいの年をした男の人だった。


 それからと言うもの、水田の仕事が終わると彼の元に行った。長い髪を一つに束ねた黒い髪。猫耳のように短く切られた両端の髪。
 彼の名は十六夜(いざよい)といった。彼はずっと一人であの暗闇の中に居たという。それに同情したのかもしれない。否、もしかしたら同年代の友達ができて嬉しかったのだ。それが例えいけない事であっても、その時はバレなければ問題はないと考えていたのだ。
 「私にはね、主がいるんだ。ずっと待ってるんだけど、姿すらも見せてくれない……。嫌われちゃったのかな……」
突然十六夜(いざよい)がそんな事を口にした。時雨(しぐれ)は当然それに反応して返す。
「ご主人?十六夜(いざよい)は小姓とかの生まれなの?」
その言葉に十六夜(いざよい)は、ははっと笑った。
「違うよ。でも、大きな家系にはいたよ。安倍晴明(あべのせいめい)。ほら、聞いた事あるでしょ?」
名前を聞いて時雨(しぐれ)は声を上げて驚いた。
「ええ?!あの安倍晴明(あべのせいめい)!?凄い!」
輝いた目で時雨(しぐれ)は食い入る。その反応が面白かったのか十六夜(いざよい)は笑いながら話を続けた。
「うん。まあ、ちょっと色々あってもう帰れないけどね……。でも、みんな優しかった。私は……最後まで庇ってくれた閻魔(えんま)様も……大好きだった」
それだけ言うと彼は俯いた。何か悪い事を聞いてしまったのかと思い、時雨(しぐれ)は慌てて話題を変える。
「あ、えっと……そういえば、この前の裏の池、冷たくて心地よかったでしょ?また行こうよ!」
元気付けてくれていると分かったのか、十六夜(いざよい)は微笑んで今度ね、と言った。
月読(つくよみ)様……今どうしているのかな……」
ボソッと言った彼の言葉を聴き逃し、時雨(しぐれ)は何を行ったのか尋ねたが彼は何でもないと首を振る。遠くで獣の声が聴こえ、時雨(しぐれ)は早く帰らなくちゃと立ち上がる。

 時雨(しぐれ)は上機嫌で風呂敷を抱え、家を目指して小走りで向かっていた。その時、髪を上に(くく)った青年が姿を表し、彼女を見ると微笑んで声をかけた。
「やあ、今日もどこかに出かけてきたの?最近話してくれないよね、いつも何しているの?」
時雨(しぐれ)は心の中で舌打ちをする。彼は、常に時雨(しぐれ)に付き(まと)ってくる。そんな彼の事を時雨(しぐれ)は嫌いだった。
「また貴方(あなた)なの?話しかけないでって言ってるでしょ、鬱陶(うっとう)しい!!」
身を引いて風呂敷を強く抱きしめ、それを見た彼は表情を崩さずに彼女が手に持っているものを見て表情を一変させた。
「また神社に行って来たの?あの子に会いに?分かっているのか!?あの子は……!」
十六夜(いざよい)を悪く言わないで!!」
時雨(しぐれ)は大切な友達を悪く言われた事に腹を立て、彼の顔に殴りを入れた。ビンタではなく、拳で……。
 そう、彼はどこから見ていたのか時雨(しぐれ)が神社にいる彼に会っている事を知っている。それだけで彼女にとっては気味が悪かった。一撃が効いたのか彼は殴られた所を抑えて時雨(しぐれ)を見た。
「私の友達に何かしたら許さないから!それにね、あの子は貴方(あなた)より良い子よ!大違いだわ!!」
睨みながら敵意を丸出しにして彼にそう言うと、時雨(しぐれ)は風呂敷を抱え直して走り出した。
 彼が殺意に揺れていることに気付かずに。

 (過去編)厄災の歯車

 (過去編)厄災の歯車

 時雨(しぐれ)はいつものように仕事を終わらせ、十六夜(いざよい)の元に行っていた。今日は眠いからと時雨(しぐれ)はいつもより早く十六夜(いざよい)と別れ、見つからないように南京錠を閉めようと鍵を懐から鍵を取り出したその時だ。
 殺気を感じて時雨(しぐれ)は視線がある方向に目を向けた。
 「!?」
驚きを隠せずに身を引いて逃げようにも男たちに囲まれていて逃げることができない。
 気付かれては行けない人に見られてしまっていた。
 この村の――村長だ。

 「うっ……」
そこは見た事のない座敷牢だった。いつの間にか村人数人に囲まれており、殴られて気を失っていたのだ。
 近くに人の気配はない。引っぱっても押してもビクともしなかった。
「どうしよう……! どうしよう……!!」
焦りが時雨(しぐれ)を襲う。無我夢中に何度も何度も殴り続け、最後に拳を振り上げ思い切り殴った。何かの力が全身に駆け巡った気がした。すると今までビクともしなかったのにもか関わらず、呆気なく格子は破壊された。
 そのまま地上に上がって誰もいない事を確かめ、大きな屋敷の廊下を足音に気を付けながら走る。喉が渇いておかしな呼吸しかできなかった。しかし、そこで立ち止まるわけにはいかないのだ。十六夜(いざよい)の身に何かが起こるかもしれないとその時思ったのだ。
 障子の向こうに誰かが話し込んでいることに気が付いて足を止める。できるだけ柱に隠れて辺りを警戒し、聞き耳を立てた。
「ああ、あの神社だけどよ。俺らだけは聞かされてたじゃん?この土地とあの男の事。願いを叶えられる神様って言うから、毎日お供えして願掛けしてたってのに。まあ、それも今日で終わりだな。村長、力を使わせるってよ」

………?なにを言っているんだ、こいつらは……まさか知っていたの……?十六夜(いざよい)の事を……

「普通にやってくれそうに無いらしいからよ、あの女人質にして叶えさせて、その後殺しとくらしいぜ」

は……?

「これで俺らも大金持ちで、永遠に裕福に暮らせるんだな? くぅ〜っ!この村に居続けてよかったぜ!」
「あの小娘も馬鹿だな。まぁ、俺らの裕福暮らしに貢献(こうけん)できるんだから、ありがたいと思えよな!ははははは!!」

……十六夜(いざよい)を……そんな……人間の欲望のままに……ずっと暗い場所に閉じ込めていたのか……?
なぜだ……なぜこいつ等の言う事に従わなければならない!!
なぜこいつ等の為に成らなければならない!!
なぜこいつ等の為に死ななければならない!!
なぜ十六夜(いざよい)は……なぜ十六夜(いざよい)を……!!

我の……最初の友達を!!

……許さない……
……許すものか!!
……人間は皆……許さない!!
ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ!!

コロシテヤル……
殺してやる!!


気が付いたら……我の手には剣が握られていた。
気が付いたら……鎧を(まと)っていた。
気が付いたら……屋敷の人間は死んでいた。

いや……まだ足りない!!貪欲(どんよく)な人間共は皆死ねばいい!!
――いや、人間だけじゃない!
救いの手を伸ばそうとしない神々も、世界も!!
すべて壊してやる!!

 八十禍津日神(やそまがつひのかみ)となった時雨(しぐれ)は剣に魔力を集中し、放出した。すると村の家がすべて崩壊し、燃え上がった。
 逃げようとする人々を嘲笑うかのように八十禍津日(やそまがつひ)は剣を紫色に変えて結界を張った。逃げられない(サマ)に人々は慟哭する。手始めに剣を一振りすると、人々に傷ができてその場に倒れた。それが楽しいのか、それとも怒りによる殺戮なのかは分からない。
 しかし、確かに人々を殺す彼女の口元は三日月を描くようにつり上がっていた。楽しさから湧く笑みなのか、それとも優越感が起こす笑みなのか。それは彼女にしか分からない。
「ふっ、ふはははは!! 愚かな人間達よ!我に命を捧げる事、光栄に思うがいい!!」
八十禍津日(やそまがつひ)は一心不乱に剣を振った。自分が血に染まることを気にせず、彼女から逃げようとする人々を次々に殺していく。
 しかし今彼女がいる場所は村の一部に過ぎなかった。村は広くはないが狭くはない。まだ残りがいると考えた八十禍津日(やそまがつひ)は剣の血をはらい、歩き出した。
「まだ足らぬ……。貪欲に染まる人間よ……己の罪と共に(みな)朽ち果てるがいい……!!」
 燃え盛る村に一人……否、一柱は歩く。村人は一点に集中して集まっているのか、八十禍津日(やそまがつひ)が道を歩いても見かけることはなかった。
 しかし、あることに気が付いた。屋敷で話していた男たちは、神社にいる者の力を利用する、と言っていたのだ。もしかしたら、村人と同じくそこにほとんどの者が集まっているだろう。
 八十禍津日(やそまがつひ)は口元を歪めた。これから多くの悲鳴が聞こえると思うと、不思議と足取りが軽くなっていく。人間の絶望に染まる顔、命乞いをする声、そして穢れ吹き出した血。それらを見ていると高揚感(こうようかん)があった。
 数分歩くと神社が見えてきた。村の火を受けて神社は燃えている。しかし作りはいいのか全焼するにはかなりの時間がかかるだろう。
 八十禍津日(やそまがつひ)の考え通り、村人はそこの周りに集まっている。恐怖に怯え、死を恐れている顔だ。今からそれをすべて消そうと考え、村人達に近づいた。
 その時だ。村人の姿は人の形をした紙切れに次々と変わり、それが合図だとでも言うように八十禍津日(やそまがつひ)の頬を御札(おふだ)(かす)った。頬から血が流れ、輪郭をなぞるように伝わっていき、地に落ちた。
 そして神社の中から人が姿を表した。刀を抜いて鞘を投げ捨て、真っ直ぐと炎の中から八十禍津日(やそまがつひ)に向かって歩いてくる。
 黒髪の、猫の耳のように短く切られた髪が特徴の男。従装(じゅうそう)(まと)い、刀を持っていない方の手には御札(おふだ)が数枚握られていた。
「……時雨(しぐれ)……」
十六夜(いざよい)は声を発した。その声には悲しみと懺悔の気持ちが読み取れた。しかし時雨(しぐれ)は剣を(かま)
「誰だ、貴様は。人間ではないな」
十六夜(いざよい)を驚かせるのには十分すぎる言葉だった。十六夜(いざよい)は唇を強く結び、震える腕で刀を握りしめた。
「どうして……なんで……時雨(しぐれ)……。あんなに大好きで……皆大切な人達だって言ってた!どうしちゃったんだよ!!お願い、私の事は忘れてもいいから……!!冷静になってほしい!貴方(あなた)は……」
「うるさいぞ!人ではない外れし者よ!!お前は我の何を知っている!貴様の事なんぞ知らん!!」
八十禍津日(やそまがつひ)は紫に染まった剣を振った。魔力が剣から離れ、十六夜(いざよい)に向かって斬撃が飛ぶ。
 しかし十六夜(いざよい)の目の前に来たかと思うとその斬撃は綺麗に消えた。十六夜(いざよい)の正面に二つに切れた御札(おふだ)が舞い散る。それは炎に焼かれて床に落ちた。
「……忘れ……ちゃったのか……全部……」
十六夜(いざよい)はそう呟くと握っていた御札(おふだ)を頭上に向かって投げた。人差し指と中指を立て(いん)を結ぶと、その御札(おふだ)は光を宿して時雨(しぐれ)に襲いかかった。時雨(しぐれ)はその攻撃を剣を振って全て叩き落した。
 十六夜(いざよい)は刀を右に(かま)え、叫んだ
「人に仇為(あだな)す厄災よ!掛かってくるがいい!!貴方(あなた)の命、ここで終わらせる!!」
十六夜(いざよい)の目には確かに涙が溢れていた。しかしそれと同時に覚悟を決めたようにも見て取れる。
 
 八十禍津日(やそまがつひ)は無駄な事をする子供に向ける目をして剣を(かま)え、剣を赤に変えて十六夜(いざよい)に斬りかかった。十六夜(いざよい)はその一撃を受け止めずにかわし、宙返りをして光る御札(おふだ)召喚(しょうかん)すると八十禍津日(やそまがつひ)に向けて放った。彼女がそれの対応に追われている隙に、十六夜(いざよい)八十禍津日(やそまがつひ)に近づき刀を振った。
 ガァァン、という鈍い音が鳴り響き、衝撃波が巻き起こった。その衝撃で燃えた神社の木材が時雨(しぐれ)十六夜(いざよい)を目掛けて落ちてきた。同時にそれをかわすと、十六夜(いざよい)は地面に手を付いた。するとそこに五芒星(ごぼうせい)が現れ、そこから白く光る煙が巻き起こり、龍の形になって八十禍津日(やそまがつひ)に襲いかかる。
小癪(こしゃく)な!」
八十禍津日(やそまがつひ)は剣を一閃させると、その龍を薙ぎ払った。同時に助走を付けて十六夜(いざよい)に斬りかかり、空いた左手に魔力を宿し、十六夜(いざよい)に向けて放った。
「うっ……!!」
その一撃はまるで刀で千回斬られたくらいの鋭い痛みだった。燃え盛る神社の柱にぶつかり、その衝撃で柱が崩れ、燃える瓦礫(がれき)十六夜(いざよい)に降り注いだ。
 八十禍津日(やそまがつひ)は剣を一振りさせてから戦闘状態を解除し、十六夜(いざよい)が死んでいるかを確認しようとした。いや、それすら不要だと判断したのか、きびつを返して歩き始めた。
「ま……って……」
声がする方に八十禍津日(やそまがつひ)は振り返り、真っ直ぐとその一点を見つめた。
 十六夜(いざよい)は力が無いながらも火が付いていない材木をどかし、立ち上がった。
「ほう……あの一撃を耐えるか。いや、我の嫌いな光の力に守られている気もするな」
瓦礫に火がついていたのにも関わらず、十六夜(いざよい)は少し焦げている跡があるだけで燃えていなかった。従装(じゅうそう)が燃えることはないが、髪も燃えないとなると何かに守られているというのが自然だろう。十六夜(いざよい)はゆっくりと八十禍津日(やそまがつひ)を見据える。
時雨(しぐれ)……貴方(あなた)はどうして……皆を……殺すの……?」
右腕を抑えながら十六夜(いざよい)八十禍津日(やそまがつひ)に問いかけた。答えを期待していたわけではない。ただ、自分に光を見せてくれた友に、少しでも感情が残っていてほしいと思ったのだ。
「人間共が貪欲だからだ。祀られている神も、世界も……勝手で傲慢で救いの手すら差し伸べようとはしない! 己が生きていれば……己が不幸でなければ他はどうだっていいのだ!! そんな奴らがこの地に存在していることが何よりもおぞましい事だ!!」
「それは……違う……」
怒りを込めながら問いに答える八十禍津日(やそまがつひ)に対し、十六夜(いざよい)は否定の言葉を述べた。
 八十禍津日(やそまがつひ)は何が違うのかという目で十六夜(いざよい)を見たあと、彼を睨んだ。十六夜(いざよい)はその気持ちを読み取るように口を開いた。
「確かに……人間達は自分の事しか考えていないのかもしれない……。私も……そんな風に思っていた。でも、それだけじゃないんだ。私に優しさをくれた人がいた……光を見せてくれた人がいた……! 人間達は愚かな人だけじゃない。優しく暖かな人だっているんだ」
「そいつらに貪欲な心が無いと言えるのか!」
八十禍津日(やそまがつひ)は急に大声を上げた。そのあまりもの声で今まで崩れるのを耐えていた柱の一つが崩れ落ち、八十禍津日(やそまがつひ)の後ろに落ちた。
「何が優しいだ! 何が暖かだ!! 優しさを与えて自分を作り上げる踏み台にしているだけではないか!!」
時雨(しぐれ)……どうしてそんなに……否定する?……どうして信じられない……」
「黙れ……!黙れ、黙れ黙れ!! 貴様の(よう)に信じると言い放ち、結局は自分の欲望のままに……理解者を増やすために綺麗事を並べる奴が一番嫌いなのだ!!」
 その時燃えている神社の天井が崩れ落ち、ピンポイントで八十禍津日(やそまがつひ)の元に瓦礫(がれき)が崩れ落ちた。反射的に八十禍津日(やそまがつひ)は後ろに跳ぶ。十六夜(いざよい)の所には何も落ちてはいない。
 八十禍津日(やそまがつひ)はその様子を見て舌打ちをした。ずっと感じられてきた光の力。今はその力が僅かに働いたような気がしたのだ。
 彼女は剣の色を緑色に変えて瞬時に彼の懐に回り込む。それに反応できなかった十六夜(いざよい)はただ、驚くことしかできなかった。終わりだ、というように剣を前に突き出した、はずだった。自分の攻撃をどういう事だか一瞬躊躇(ためら)ったのだ。十六夜(いざよい)はそれに気が付いたのか少しでも距離を取ろうと後ろに体重をかける。八十禍津日(やそまがつひ)は舌打ちをして彼に蹴りを入れて地面に打ち付けた。
 十六夜(いざよい)は苦しみながら腕をつき、必死で起き上がった。そして荒い呼吸をしながら口を開いた。
「まだ……心……、残って……るんだね……時雨(しぐれ)……」
嬉しそうに言う十六夜(いざよい)の言葉に、意味が分からないというように視線を向けた。
 十六夜(いざよい)の息の根を止めようとした時、つまり剣を突き出した時、僅かに静止があった。躊躇(ためら)ったのだ。彼を殺すことを。それを十六夜(いざよい)はしっかりと見た。
(やっぱり……助けたい。無理だ……殺せない。勝てない……。ごめんなさい、月読(つくよみ)様……)
そして十六夜(いざよい)は更なる覚悟を決めた――
 八十禍津日(やそまがつひ)は邪魔をされた苛立ちと殺せなかった焦りが交差していた。不快な感覚に八十禍津日(やそまがつひ)は首を振る。
「今度こそ失態はせん!! これで終わりだー!!」
八十禍津日(やそまがつひ)は地面を思い切り蹴ると十六夜(いざよい)に斬り掛かった。しかし彼はどうゆう訳か反撃せず、何かを見るように八十禍津日(やそまがつひ)の攻撃をかわしていた。
 苛立ちが膨れ上がり八十禍津日(やそまがつひ)の踏み込みが甘くなる。つまり剣を振る勢いがなくなったのだ。
  その瞬間。十六夜(いざよい)八十禍津日(やそまがつひ)を……抱きしめた。
「ようやく……届いた……」
当然八十禍津日(やそまがつひ)は振りほどこうとした。しかしそれよりも前に十六夜(いざよい)は大声を上げた。

  「絶対能力……! 森羅……万象ー!!」

 燃え盛る神社を光が包んだ。
 繋いだ二人を光が包んだ。
 禍津(まがつ)の目をした彼女が……元の瞳に戻った。

 時雨(しぐれ)はその場に座り込み、同時に力無くした十六夜(いざよい)も地面に座り込んだ。ドロッとした感覚を覚え、時雨(しぐれ)が自分の手のひらを見ると赤い液体が流れた。十六夜(いざよい)は睫毛を震わせ目の端から血が流れ出した。状況を飲み込めず自分に体重がかかっている十六夜(いざよい)を視界に捉えた。
「十六……夜……?」
「良かった……戻ったんだね……」
十六夜(いざよい)は嬉しそうにいうと口から大量の血を吐いた。目から流れる分、傷の分、そして今の吐血で生きているのが不思議なくらいだ。
 時雨(しぐれ)十六夜(いざよい)の背中に両腕を回し、抱きかかえた。
十六夜(いざよい)……!どうして!なんで!!」
ただそう言うしかなかった。なぜなら言いたい事が沢山、沢山あったからだ。しかし言葉に出てこなかった。十六夜(いざよい)はゆっくりと口を開いた。震えている唇を見るだけで痛々しい光景だった。
時雨(しぐれ)……私の……能力は……代償がいる……。神様を殺せば……誰かを殺せば……その分……大きな……。私は……弱いから……」
十六夜(いざよい)は途切れ途切れにそこまで言うと、息を吸った。それは時雨(しぐれ)にとって、絶望にも等しい言葉を発する前の事。
「……命が……代償……」
自分の鼓動が大きく鳴ったのを感じた。時雨(しぐれ)は首を振りながら嫌だ、と呟いた。燃え続ける神社の中、うるさかった火の音はもはや無音だった。
 そして時雨(しぐれ)は泣く声を振り絞りなぜ助けたのかと聞いた。時雨(しぐれ)には十六夜(いざよい)を傷付けた記憶が残っている。だから、聞きたかった。
「……世界が好きって……言ったから……」
その声はもう消え入りそうなかすれた声だった。
 
 十六夜(いざよい)に会ってからしばらくしたころ、時雨(しぐれ)は彼に言っていた。
「私ね、この世界が大好きなんだ!神様は私たちの事を見守ってくれるし、なにより人間たちはみんな優しいんだよ!」

従装(じゅうそう)は解け、束ねてあった髪がはらりと舞った。
「嫌だ……嫌だよ!!十六夜(いざよい)十六夜(いざよい)!!死なないで!! 貴方(あなた)がいない世界なんて嫌だ!!……お願い……死なないで……」
時雨(しぐれ)は喉が潰れるだろうという声で叫んだ。十六夜(いざよい)は血の流れる目を開き、手のひらを時雨(しぐれ)の頬に当てた。
「人間を……恨まない……で……?私は……貴方(あなた)が愛した……現世(うつしよ)を……また……否定したく……ないの……」
時雨(しぐれ)が彼の手を取ると……

――冷たい十六夜(いざよい)の手は力無くなり
  地に落ちた。


 燃え続ける神社に声にならない叫びが響いた。それは獣のような声でただ、大切な人の名を呼んでいた。
 時雨(しぐれ)は視界がぼやけると、眠気が襲った。目の前には十六夜(いざよい)の安らかな顔。彼に手を伸ばしその手を握った。
 十六夜(いざよい)は神を殺したのだ。その代償で彼は死んだ。
「ゆっくり……眠れるかな……。ねえ、」

――十六夜(いざよい)――

少女はその瞳をゆっくりと閉じた。
苦しみなんて一切なかった。
これが彼の能力なのだろうか。
 従者と厄災の戦いは今ここで幕を閉じた。


 「ここは……」
時雨(しぐれ)は見渡す限り何一つない流れの中にいた。自分はまるで魂のように軽く、そして動くことができなかった。ただ、流れに身を任せて漂っているだけだ。
(どうして……私達はこうなってしまったんだろう……)
時雨(しぐれ)はそう思った。普通に笑い、普通に遊び、普通に会う。ただそれだけだったはずだ。いや、それだけで良かった。
「……?」
その時自分の身体(からだ)から白い光が飛び去っていった。まるでこの流れによって切り離されるように。時雨(しぐれ)はその光を離してはいけないと思い、目一杯手を伸ばした。
「ま……待って!!」
しかしその光は驚くほどに速く、流れる空間の遥か遠くに消え去ってしまった。
 時雨(しぐれ)の体が徐々に薄くなっていく。その時、まるで人間が死ぬ直前に見る走馬灯が頭を流れた。十六夜(いざよい)に会ったこと、遊んだこと、そして……
「そうだ……」
時雨(しぐれ)は体を震わせた。薄れ始めていた体は再び元の色彩に戻っていく。
「人間さえ……いなければ……私はまだ十六夜(いざよい)と一緒にいれたのに……」
黒い髪がゆっくりと濃い紫へと変化してゆく。
「人間が邪魔しなければ……」
時雨(しぐれ)の体が紫色の禍々しい光に変わり、暴れ回っていた時の格好になる。
「なぜ……助けなかった……神も……世界も……」
村が一つ消えそうになり、人間だったはずの自分が神となったのだ。気が付かないはずがない。神々は人を助ける意味は無いと思ったのか。
「全部……全部死ねば良い……! 神も、貪欲な人間も……!! 蔓延(はびこ)る世界すらいらない!!」
八十禍津日(やそまがつひ)は神器を召喚(しょうかん)し、赤い光を宿して上に掲げた。
「こんな忌々しい場所から……抜け出してやろうぞ……!!」
八十禍津日(やそまがつひ)が剣を一閃させても一向に壊れる気配を見せない。それどころか、空間にヒビさえ入らなかった。
「なら……これでどうだぁぁ!!」
枯渇するのではないかと言うくらい魔力を剣に集中させると紫色に寸前に変え、空間を思い切り切り裂いた。
絶烈(インフィニティー)火爆獄暴炎(プロージョン)!!」
 流れが乱れ空間が切り裂かれる。空気が流れ込んできているところを見ると、どうやら外に出られるようだ。
「さあ、絶望の縁に立つがいい……人間共!」

 
 「……っう……」
時雨(しぐれ)と同じ場所にいるが違う場所。十六夜(いざよい)は痛みがないことを確認すると辺りを見回した。
 色と呼べるのかと言うぐらい様々な色が混ざっており、まるでどこかに流れるように動いていた。
「凄い……力……」
十六夜(いざよい)は今までに感じたことの無いほどの壮絶な魔力が流れていることを感じた。自分の主の月読(つくよみ)とは(けた)違いだ。いや、(けた)で表現ができるのだろうか。
 同時に十六夜(いざよい)は自分が死んだことを思い出した。
月読(つくよみ)様……これで……良かったんですよね……?」
最後まで会えなかったことがとても心残りだが、同時に良かったという感情もあった。
 十六夜(いざよい)は能力の代償で死んだ。森羅万象は何でもできるものだが、天地創造はできない。そして何より願いに見合った代償が必要なのだ。
 時雨(しぐれ)の意識を戻すくらいだったら死ぬことは無かっただろう。しかし、時雨(しぐれ)は人間を恨んでいた。意識を戻したって再び暴れだすだろう。だから……楽にした。転生というものが本当にあるのなら、今度は幸せでいてほしかったのだ。
 「ごめん……ごめんね……時雨(しぐれ)……」
十六夜(いざよい)は涙を流した。彼の長めの髪が揺れる。自分が彼女に関わらなければ良かったのだ。その気になれば能力で彼女から自分の記憶を消し去ることができたはず。でも、自分はきっと寂しかったのだ。光を見て、自分もそこに足を踏み入れたかったのだ。
 感謝と懺悔の気持ちで胸が一杯になり、一粒、また一粒と涙が流れる。 
 その時、前方に白い光が現れ、見たことのない綺麗な人へと姿を変えた。自分と同じように、上の両サイドで短く切られた髪が獣耳のようだ。
「……泣いているの?」

もみあげの髪だけ長くし、後ろは首の上辺りしかない人。だが、天使を思わせるその翼はその人の特徴とも呼べるものだった。その人が十六夜(いざよい)に触れ、指先で涙を拭った。
 その手は暖かく、母親がいたならこんな感じなのだろうかと一瞬思った。
 ふっと手が離れたと思うと、後ろに回り込んで十六夜(いざよい)身体(からだ)を優しく包み込んだ。今の状態なら嬉しいと思う場面だ。しかし、十六夜(いざよい)はその手に包まれた瞬間恐怖よりも恐ろしい、不可解なものを感じた。
「ねぇ、八十禍津日(やそまがつひ)を追いかけたくない? 自分に酷いことした人間に刃を向けたくない?」
何を言っているのか、十六夜(いざよい)は理解に苦しんだ。その人が語りかけてくるのは……復讐の誘い。
 十六夜(いざよい)は心臓の部分に手を当てられ、恐怖を覚えて振り解こうとした。しかし思いの外力が強く、びくともしない。もがく十六夜(いざよい)に向かってその人が微笑むと、優しい口調で十六夜(いざよい)の耳元で囁いた。
「そんなに怖がらなくていいの……。大丈夫よ? 痛くないから……ふふっ。やっと見つけた私の身体(からだ)……。逃がすわけもないけどね」
 十六夜(いざよい)は自分の意識が消えていくのが分かった。必死に拒んでも逃れる事はできない。

「待っててね。愚かな人間達……八十禍津日(やそまがつひ)……」

 救出ーあるべき姿にー

 途端に跳ね起きた(ぬえ)死神(しにがみ)は、急に変わった景色に首を傾げた。(ぬえ)の腹に違和感を感じて視線を落とすと、双子が彼女の上に乗っている。
「……何してんだよ?」
そう声を発すると双子は寝ていたのか目をこすりながら(ぬえ)を見る。表情を明るくすると紅蓮(ぐれん)奈落(ならく)の名を呼んだ。
 二人はその声聞いて走ってくると、安堵の息をもらして今まで意識がなかった事を説明した。
 死神(しにがみ)(ぬえ)は顔を見合わせて今まで見た物を確認し合った。誰かの協力を得ていつきの記憶を知ることができた。だが、細かい事は何一つ覚えていない。
「……!そういや、いつきは!?」
「いつき様に殺されそうになった……のかな?その時に急に地面に穴が開いてさ、そこに落ちてここに着いたんだ。で、アサヒとユウヒが言うにはお前たちから妖気を感じてそのせいで起きなかったんじゃないかって……」
紅蓮(ぐれん)の説明を受けて、(ぬえ)死神(しにがみ)を見る。だが、彼も状況が分からないのか静かに首を振った。
 (ぬえ)は立ち上がって従装(じゅうそう)に付いた土を払う。砂埃が舞って一瞬視界が白くなったがそんな事は気にしない。奈落(ならく)は何の夢を見ていたのか死神(しにがみ)に問う。
「……言う必要はない。教えたところで役に立たないだろうしな」
きっぱりと言うと奈落(ならく)から視線を逸らす。奈落(ならく)は一瞬怒りかけたが死神(しにがみ)は神と言う存在であるために何も言えないのか、彼を睨んでいるだけだった。
 だが、それは奈落(ならく)に対する僅かな優しさなのではないかと(ぬえ)は思う。名前は違ったが時雨(しぐれ)と言う女に言い寄っていた男は見た目からして恐らくは、邪神(じゃしん)の従者だった修羅(しゅら)と言う人物だろう。言い合いをしている時に奈落(ならく)に似た人物が後ろで隠れて聞いていたのだ。おそらくは知り合い、または親族と考えられる。男の表情と時期からして、村長に時雨(しぐれ)の事を伝えたのは彼。という事はあの男が厄災の引き金を引いたのだ。これは死神(しにがみ)の考察なのだが。
 (ぬえ)死神(しにがみ)に、これでいつきを救えるのかと聞いた。
「そう考えるのなら今すぐにでも大禍津日(おおまがつひ)の元に向かえ。無理だと判断するのならその後は自分で考えろ」
冷たい突き放しに(ぬえ)は一瞬カチンときたが、最初に記憶を取り戻させて彼を内側から呼び出し、信じて待つ。と言う計画だったはずだ。奈落(ならく)と双子の協力は予想外だったが。
「言っておくが私は大禍津日(おおまがつひ)を討つことが目的だ。協力はしない」
「いや、結果的に大禍津日(おおまがつひ)だけを倒すってなったら同じなんじゃないか?だってお前いつき様を殺すとはいってないし」
奈落(ならく)は訂正するようにどちらも同じだ、と紅蓮(ぐれん)に向かって怒鳴る。それを聞いた(ぬえ)は即座に反応した。
「なっ……!おい、あんな訳の分からねぇ殺戮マシンといつきを同じにすんじゃねぇ!!」
彼女のその一言が喧嘩の理由になり、睨み合って二人は武器を交える。アサヒとユウヒが仲裁に入り、紅蓮(ぐれん)は呆れたようにそれを見ていた。

 「っ……!はあ、はあ……」
妖力を使い切って閻魔(えんま)はその場に両腕を着く。周りで様子を見ていた式神は心配そうに彼を見、同時にどこからともなく現れた大きな狼が人間の姿に変わり閻魔(えんま)に駆け寄った。
「だから無理をするなと言ったのだ!人の記憶を見せるなど、いくら閻魔(えんま)の妖力でも持たないぞ!」
肩を支えて彼を自分の方に寄りかからせる。荒い息を吐いてとても苦しそうにしている彼は、見ているだけで痛々しい。
「大……丈夫や……。心配せんで……はぁ、ええ……。それに……」
閻魔(えんま)は首にかかっているお守りを手の平に乗せ、それを見つめた。
「こうせんと……後々面倒やし……なあ……」
そう言うとゆっくり目を閉じる。(かす)かな寝息を聞くと人間の姿だった狼は元の姿に戻り、その心地よい毛並みを枕の代わりにして彼を自分の体に寄りかからせた。

 途端、双子の内の一人の顔が一瞬険しくなり、声を上げて争っていた奈落(ならく)(ぬえ)はぴたりと喧嘩を静止した。どうしたのかと紅蓮(ぐれん)は二人を見たが特に変わった様子はない。
「今、殺気を……」
「何だよ……今の誰だ?」
間に入っているアサヒとユウヒに変わった様子はない。そもそも、こんな小さな子供が人をも殺せそうな殺気を放つ事はできないだろう。
 不思議に思いながらも本来の目的を思い出した(ぬえ)は、奈落(ならく)を放って考え込む。
「どうした?」
紅蓮(ぐれん)(ぬえ)にそう問いかけた。
「いや、あいつあまり話聞かなそうだからどうやって語りかけようかなと……」
それを聞いて紅蓮(ぐれん)はああ確かに、と同調する。彼もしばらく頭を使って考えると、一つの結論にたどり着く。
「でもさ、いつき様全く聞いてないわけじゃなかったぞ」
「確かにな。紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)の声にもしっかりと反応していた。……ではこうしよう」
腕を組みながらその鋭い目を全員に向けたあと、奈落(ならく)は指を立てて話を続ける。
死神(しにがみ)様の事をあいつは知っていた。なら、声は届くのではないかと思っているのだが……」
自身がなさそうにそう言うと、紅蓮(ぐれん)を見てから死神(しにがみ)を見る。だが、彼は首を横に振って不可能だと表明する。
「やっぱりか……まあ、馬鹿みたいな考えだ。忘れてくれ」
「……違う」
奈落(ならく)がため息をつきながらそういった時、否定したと思われた死神(しにがみ)は違うと言った。理由を問うように奈落(ならく)は彼を見る。
「どうゆうこった?死神(しにがみ)
(ぬえ)は身を乗り出して彼に問う。そして双子は興味ないような顔をして蝶々(ちょうちょう)を追って走っているのを紅蓮(ぐれん)は横目で見る。
 死神(しにがみ)は何かを考えるように俯き、ようやく口を開いた。
「あの状態の大禍津日(おおまがつひ)は……声が届かない。前にもあった。話を聞かないガキのように……」
不貞腐(ふてくさ)れているのかそっぽを向いて愚痴をこぼす。要は、自分の意のままに行動しているあの神には何を言っても無駄だということだ。
 全員お手上げ状態になり、紅蓮(ぐれん)も難しそうに考えていた時だ。死神(しにがみ)は策などいらない、と言って立ち上がり、双子の元に歩き出した。
天照(あまてらす)の従者。俺をある場所に飛ばしてくれ」
双子はどこに?と言ったが、死神(しにがみ)が提示した場所は双子も知らないところだった。
「ごめんね、だね」
「ボクたちの能力は、だよ」
「「知っている所と力を感じる所しか行けない、だね(だよ)」」
だが、彼は知人がいるからその気配を頼ってほしいと告げる。そして最後に知っている気配のハズだと言った。何のことだか分からないまま(ぬえ)達は見ていると、紅蓮(ぐれん)死神(しにがみ)に口を割る。
「待ってくれ、俺たちに協力してくれないのか?」
何故(なぜ)協力する必要がある。俺には得のない事だ。ここまでしたのだからあとはお前らでやれ」
それだけ言うと双子は気配を察知したのか手をつなぎ、能力を発動した。
「「相縁能力(そうえんのうりょく)、一斉移動!」」
(ぬえ)が制止した時にはもう遅く、死神(しにがみ)は双子の能力を受けて消えた。
 奈落(ならく)は舌打ちをすると、きびつを返して歩き出した。どこへ行くのかと(ぬえ)は聞き、奈落(ならく)はそれに答える。
大禍津日神(おおまがつひのかみ)を倒しに行く。下手をすると神産巣日(かみむすび)様も動きかねないからな」
紅蓮(ぐれん)(ぬえ)を見る。(ぬえ)は何かを考える仕草をすると、いつものようにそれを放棄して歩きだす。
 大丈夫なのかと紅蓮(ぐれん)(ぬえ)に聞いた。(ぬえ)は振り返って紅蓮(ぐれん)を見ると、何とかなると二カっと笑って奈落(ならく)に続いた。紅蓮(ぐれん)は何も考えずに突撃することをあまり好ましく思っていないが、(ぬえ)ならなんとかできるかもしれないという期待もあった。双子は紅蓮(ぐれん)の上着の裾を引っ張り、行かないの? と声をかけた。紅蓮(ぐれん)は武器を召喚(しょうかん)して銃弾をセットすると、仕方のないような、どこかやる気のある目に変わる。
「しょうがない、やってやるさ」
その様子を見て双子は微笑んだ。自分たちの能力で一刻も早く大禍津日(おおまがつひ)の元に向かおうと(ぬえ)達を呼び、能力を発動した。

 敵の数は誰が見ても増えていると分かるくらいに溢れかえっていた。発砲しているのは警察だろうか。
 アサヒは近づいてきた鬼をナイフで倒し、再び起きあがってくる鬼を奈落(ならく)が神の力を利用してそれを倒す。(ぬえ)はその間に大禍津日(おおまがつひ)の姿を探した。だが見かけるどころか気配すら感じられない。広範囲を探そうと能力に頼り、紅蓮(ぐれん)はそんな(ぬえ)を見て何かに気が付いて声をかけた。
紅闇崎(こうあんざき)、羽だ……」
(ぬえ)の足元には紅蓮(ぐれん)の言う通り真っ白な羽が落ちている。大禍津日(おおまがつひ)から落ちたものなのだろうか。
 (ぬえ)はそれを拾い上げ、まじまじと見つめた。起きた時に階段に落ちていた羽と同じものだった。(ぬえ)は夢の事を思い出す。それは、彼が探さないでと言っていた夢だ。
「ああなってるから探して欲しくなかったんだな……ん?」
ふと(ぬえ)は羽から視線を外し、何かを思いついたように目を輝かせた。紅蓮(ぐれん)はどうしたのかと聞く。
「夢に出てこれるってこたぁ、あいつの意思は残ってんじゃねぇのか!?」
希望を知った子供のように目を輝かせ、周りの敵を蹴散らしてくれている奈落(ならく)達に声をかけた。
「いつきを取り戻してくるぜ!」
「なっ……!紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)!!」
奈落(ならく)は鬼を足で踏みながら(ぬえ)の名を呼んだが、それを聞かずに一目散に駆け出した。追おうとしたアサヒとユウヒを紅蓮(ぐれん)は静止し、目の前の敵をなんとかしようと提案する。奈落(ならく)は自分の手で大禍津日(おおまがつひ)を殺す機会を失ったと思っているのか、一瞬イラつきを覚えた表情を見せてから敵の中心に飛びかかった。奈落(ならく)が素直に引いてくれるとは思っていなかった紅蓮(ぐれん)は驚きつつも敵を撃ち殺していくのだった。

 (ぬえ)は途中で足を止める。そしてしゃがみこんでそれを拾った。先程にも落ちていた羽だ。そこにあるという事はこの場所を通ったという事だろう。期待を胸に再び走り出す。だが、正直神衣(しんい)(まと)っていない状態で大禍津日(おおまがつひ)と渡り合うのは困難だと思っている。死神(しにがみ)はどこへ行ったのか再び顔を見せない。協力する事を否定していたので彼を期待するわけにもいかない。
 死神(しにがみ)の事は気にせず、これから先は敵をある程度減らしてくれている彼らにお礼を言うべきなのだろう。後で紅蓮(ぐれん)に何かおごらないとな、と(ぬえ)は微笑みながら心の中でそう囁いた。見慣れた景色がいくつも過ぎ去り、途中にうろうろしていた鬼たちを飛び越える。相手にしている暇はない。一刻も早く彼を見つけないといけないのだ。
「……いつき」
彼の名を口にする。正直(ぬえ)は彼がいつきと言う名を覚えていなかった事にショックを受けた。彼は最初出会った時、名は無いと言った。彼に名を与えた時、嬉しそうな雰囲気(ふんいき)を見せたのを今でも覚えている。少しだけ、弟と彼を重ねてしまったことを謝りたいという気持ちもあったが。
 そんな事を考えていると、奇襲に気付かずに攻撃を喰らう。攻撃を受けたのは幸い背中をかすった程度で大した怪我ではない。この程度では傷さえもつかないのが従装(じゅうそう)のいいところだ。
 (ぬえ)は攻撃をした張本人を確認するまでもなかった。大鎌を召喚(しょうかん)し、ゆっくりと彼の方を見据える。
「……よぉ」
(ぬえ)のあいさつに、大して反応しなかった。彼は不機嫌そうな顔で(ぬえ)を見ると、翼を折りたたんで地面に降り立った。彼の特殊な瞳と(ぬえ)の瞳が互いにぶつかり合う。
「もう逃がさないんだから……」
途切れ途切れでいつも話すコミュ障のような彼とは違う、はきはきした話し方。だが彼と付き合ううち、しっかりと話す様になっていることを(ぬえ)は知っている。
「なんつぅか……。一気に成長したみたいで(むな)しいなぁ」
「何の話をしているの?」
(ぬえ)の寂しがるような声に不機嫌そうに反応する。一瞬で消えてしまった(ぬえ)達に苛立ちを感じているのだろう。
 先ほどまでの(ぬえ)なら、取り合えずぶつかって分からせようと思っていただろうが、不思議と今は落ち着いた思考ができるようになっていた。
「お前さ、結構(けっこう)(つら)かったんだな」
(ぬえ)はゆっくりと大禍津日(おおまがつひ)に近づいた。それを合図と言うように大禍津日(おおまがつひ)は大砲を向けると(ぬえ)に向けて発砲する。
 「!!」
紅蓮(ぐれん)は音を聞いて振り向いた。おそらくその音は(ぬえ)大禍津日(おおまがつひ)が衝突した音なのだろうと理解する。
「どうした」
奈落(ならく)は地面に倒れた鬼に刀を刺してその存在を削除するかのように灰にした。紅蓮(ぐれん)は何でもないと首を振り、戦闘に集中するのだった。

 再開ーおかえりなさいー

 再開ーおかえりなさいー

 大禍津日(おおまがつひ)の剣を大鎌で受け止める。鈍い音を立てて刃の交じり合う音が木霊し、反撃するように大鎌を振り下ろすが、それをかわした大禍津日(おおまがつひ)はひらりと身を翻して(ぬえ)に再び斬り掛かり、後ろに退避されると同時に突きを出した。大鎌の()で受け止めると彼の剣を受け流して大鎌の刃を彼に向けて一閃させる。彼は羽をわずかに動かして回避すると至近距離で剣から大砲に切り替えて(ぬえ)に向けて数発発砲する。攻撃を受けて後ろに倒れ、その瞬間に大禍津日(おおまがつひ)が剣に変えて振り下ろす。
「くそっ……!」
倒れた体を何とか動かして宙返りし、攻撃を回避して走り出す。大禍津日(おおまがつひ)の剣は誰もいない宙を斬り、地面を抉って鋭い音を立てる。
 大鎌を握りなおして一回転させると大禍津日(おおまがつひ)の懐に回り込んで大鎌を下に(かま)え、鋭く切り裂いた。だが、斬り裂いたのは彼から落ちた一枚の羽根のみで、それに一瞬視界を遮られると気付いた時には彼はすぐ近くにいた。(ぬえ)は大鎌を捨ててそれを身代わりにし、上に飛び上がって彼を飛び越え、そのまま着地した。
 ゆっくりと彼は(ぬえ)を向く。その動作は彼の強さの前では恐怖でしかない。(ぬえ)は大鎌を召喚(しょうかん)しなおして(かま)えた。彼の目は確実に獲物を狩る獣のような目だ。その目を見て(ぬえ)は一瞬身震いをした。恐怖ではない、確かに歓喜のものだった。
 地面を蹴って彼に大鎌を振り下ろす。だが、その一撃は無意味ですぐに防がれ彼によって剣の傷が従装(じゅうそう)に刻まれ、血がそこから流れる。いつき自身の攻撃力はさほどもなかったはずなのだが、今の彼は近接が得意のようだ。遠距離攻撃を一切持ち合わせていない(ぬえ)には彼女よりも強い彼に対しては攻撃など無意味だと思った方がいい状況に、内心焦ったが(ぬえ)の目的はそれではない。今は、死神(しにがみ)が言ったように彼に記憶を呼び覚ます必要があるのだ。
 (ぬえ)は息を吸って吐いた。さらに歯向かってくるように見えたのか、大禍津日(おおまがつひ)は剣を(かま)えなおして太陽の光を反射する。だが、その光は実に弱いものだった。いつの間にか多くの雲が太陽を隠し始めていたのだ。ゆっくりと彼を見て(ぬえ)は口を開いた。
「いつき、覚えてるだろ?暗い中の記憶をさ」
「何?(かな)わないから結局は説得に入るの? 人間って自分の良いようにモノの方向性を変えたがるんだね」
呆れたように彼は返事を返すと剣を大砲に変えてそれを撃つ。間一髪のところで(ぬえ)はその攻撃を避けると、更に彼に話しかけた。
「いつきー。今戻ってくれば新しい本を買ってやらんでもないぞー。私は読まねぇけどな」
陽気な口調で言われている事を自分が舐められていると思ったのか、彼は顔色を変えて更なる発砲を試みる。その銃を(かま)えた瞬間、(ぬえ)はここしかない、と思い思い切り叫びながら彼に声をかけた。
「当時のお前も、今の私のように届かないだろう声をかけたじゃねぇか! 邪神(じゃしん)……いや、時雨(しぐれ)に!」
世迷言を、と彼に聞く耳はないのかそんな一言を口にした。魔法の銃弾が発砲される直前に届いてほしい、と思うように必死で彼に呼びかける。
「届いてたはずだ!お前の事に気が付いていたはずだ! 今だって、私の事が聞こえてんだろ、なあ、十六夜(いざよい)!」
「……!」
彼自身が驚きの表情を見せた。いや、その表情は本当に心の内側から見せていた表情のように感じた。
 (ぬえ)はその一瞬の隙に彼の足首に思いきり大鎌の柄を叩きつけ、よろけさせて彼の体を殴って吹き飛ばす。そしてしかりつける母のように、彼に再び声をかけた。
「あん時、お前は時雨(しぐれ)を救えなくてきっと後悔してると思う。だから、今度は私の番だ。悲劇なんて、悲しみなんて私は繰り返させねぇ。きっとお前をここに連れ戻すぜ」
「……やめ、て……」
大禍津日(おおまがつひ)は今までない表情で俯く。効果が出始めたのかもしれない。死神(しにがみ)は、記憶が戻れば自我(じが)は彼次第で戻ると言っていた。きっと彼が大禍津日(おおまがつひ)の中で奮闘しているのだと(ぬえ)は自然と思った。
 だが、まだ足りない。(ぬえ)の声に確かに彼は答えてくれるかもしれない。だが、大禍津日(おおまがつひ)の意志もそれに負けないくらいに強いのだ。
「やめてぇぇー!!」
急に彼は叫ぶと禍々しい力が彼を包み、それは広範囲に及んだ。すると今まで彼の傍には一体もいなかった黒い鬼が地面から現れた。
「なっ……!」
鬼たちは大禍津日(おおまがつひ)の意思をくみ取るように(ぬえ)に襲い掛かり、それをいったん距離を取って(ぬえ)は神の力を宿そうとした。しかし、その力は弱々しくてすぐに消えてしまった。鬼に押し出され地面を滑り顔に付いた埃を拭う。
「くそっ……。あくまでも契約しているのはいつきの方かよ……」
その間にも鬼たちは無限にどんどんと増え続けていた。何とか彼に近づけないかと思考を巡らせる。だが、無数にいるその目の前の鬼たちを切り抜ける術があるとも思えなかった。
 (ぬえ)は一旦(ひる)むことを利用して大鎌を薙ぎ、鬼が倒れた間にその間を通過した。しかし、目の前にも次々と鬼は生まれ、あっという間に(ぬえ)は囲まれた。襲い掛かる鬼を大鎌で斬り裂くが、その行動は無意味に等しかった。
「ふっ……、あはははは!!」
落ち着いた大禍津日(おおまがつひ)が笑いながらその場を起き上がる。(ぬえ)は遅かったことに舌打ちをし、襲い掛かる鬼を薙ぎ払う。
 大禍津日(おおまがつひ)はその様子を見て愉快そうに笑い、鬼に更なる指示を出すと(ぬえ)に向かって砲撃を喰らわせた。弾くにも意味はなく、砲撃を喰らって無数の鬼に爪で引っかかれる。まるでゾンビゲームを体験しているようだった。
 大鎌を一閃させて薙ぎ払おうと試みるが、後ろにいた鬼たちが交互に(ぬえ)に襲い掛かり、大禍津日(おおまがつひ)は剣を召喚(しょうかん)して(ぬえ)を勢いよく斬り裂いた。ギリギリの所で能力を発動してその一撃を防ぐが、そのせいで彼女自身が無防備な状態になり、鬼の良い餌になった。
「終わり、もう貴方(あなた)は終わり!!」
鬼を全方向から襲わせようとしたのか、彼は(ぬえ)から身を引いた。それに反応するように鬼は全方向からも(ぬえ)に襲い掛かる。
 大鎌を(かま)えて一か八かの賭けに出ようと限界まで引きつけ、神の力を宿そうと試みた。そして、

(ぬえ)の持っていたいつきの青い玉の神器が光り輝いた。

その光に包まれると、鬼たちは日の光に当たった吸血鬼のように灰となり、その姿を消した。
 何が起こったのか分からない様子で大禍津日(おおまがつひ)はその状況を凝視していた。無論、(ぬえ)にも何が起こったか分からない。ただ分かるのは、自分の知っている力が(ぬえ)を守ってくれたという事だ。そして、今までなぜだか契約する前くらいに重かった体が急に軽くなる。まるで、いつきとの契約が再び戻ったように……。

 ――あなたの声は、きっと届くであろう。己を信じ、絶望を打ち破るがよい――

聞いた事ない声が(ぬえ)の耳に届く。いや、耳ではなく、五感や脳ではないどこかでその声を聞いた。だがその言葉はまるで神の声とはっきり分かるようなくらいに神秘的なものだった。大禍津日(おおまがつひ)は驚きを通り越すような表情を浮かべた。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)……? 嘘……」
神産巣日(かみむすび)も言っていた、その名前。古事記には一度しか表記されない、神の中でも最も高い頂点に位置する最高神。
 その瞬間、(ぬえ)の衣服が変化を遂げ、そしてその力は圧倒的に大禍津日(おおまがつひ)を凌駕するであろうものへと変わる。それは神の(まと)う鎧であり神であるという象徴でもある、従者が(まと)従装(じゅうそう)とは圧倒的に違うもの。神衣(しんい)だった。
 (ぬえ)は感謝した。今までは強い思いが神衣(しんい)(まと)う結果につながった気がした。だが今はその最高神が引き起こした奇跡なのかもしれない。大鎌はまるで魂を刈り取るようなそれに変わった。
 大禍津日(おおまがつひ)の後ろで止まっていた鬼に気付いた大禍津日(おおまがつひ)は鬼に向かって声を上げた。
「何をしているの! 早くあの従者を殺しなさい!!」
鬼はその声にびくっと体を震わせ、命令に従ってその爪を立てて(ぬえ)に襲い掛かった。(ぬえ)は目を瞑りながら大鎌を一閃させた。見えていないだろうその一撃は、鬼を綺麗に斬り裂いて鬼は消えた。
 確かに神の力であると大禍津日(おおまがつひ)はその時確信した。(ぬえ)はゆっくりと目を開けるとそんな様子の大禍津日(おおまがつひ)を見る。やっと手を伸ばせるという事に、(ぬえ)は微笑んだ。
「何を……、微笑んでいるの? あなた、まさかあの憎たらしい最高神と手を組んでいたなんてね……」
 (ぬえ)は大鎌を回して空を切る。
「待たせたな、いつき。さっきよりも容赦なく引っ張り出してやるから覚悟しろよ」
(ぬえ)に怯えるかのように大禍津日(おおまがつひ)は一歩後ずさった。大砲に変えると警戒しながら姿勢を低くし、どう出るのか観察しながら(ぬえ)を見る。
 大鎌を後ろに(かま)えて跳び、大禍津日(おおまがつひ)の元に着地する。大禍津日(おおまがつひ)はその攻撃を大砲で受け止め弾くと、翼を動かして宙に飛び(ぬえ)に向かって無数に魔法の弾を発砲した。(ぬえ)はそれを走ってかわし、避ける事が不可能な状況ならそれを大鎌ではじいて防ぎ、大禍津日(おおまがつひ)の元に飛び上がると大鎌を一閃させる。刃が交じり火花が散る。お互い引かないくらいに押し合うと、(ぬえ)はその状況でも彼に話しかけた。
「いつき、覚えてるか? お前さ、神社から出た時太陽を見て眩しいって言ってたよな?」
聞く耳持っていないのか彼は背後に魔法陣を展開するとそこからどす黒い紫色を帯びた鎖が(ぬえ)に襲い掛かる。予想してなかった出来事に一瞬たじろくも、空中に召喚(しょうかん)された魔法陣を足場にしてそれを回避する。彼はその間に手の平に魔力を集中させ、魔力砲(ビーム)(ぬえ)に撃った。
「なにぃ!?魔法使えんのかよ聞いてねぇぞ!!」
そのまま宙を重力に従って落ちていた(ぬえ)に魔法が直撃する。そのまま地面に叩きつけられると、大きな音を立てて地面が彼の撃った魔法によって抉られ、何も見えないくらいに砂埃を舞わせた。
 大禍津日(おおまがつひ)は彼女が倒れているであろう場所を見続ける。そのまま死んでくれたら本望で、もしそうでないのならもう一度彼女に攻撃を仕掛ければいい。
 一向に彼女の姿が見えない事に不思議に思って地面に降り立つ。砂埃の中よく目を凝らし、大体のいる場所に焦点を当てて凝視する。だがその時
「おらぁぁ!!」
後ろに気配を感じたかと思うと(ぬえ)大禍津日(おおまがつひ)のすぐ後ろに回り込んでおり、彼の背中を大鎌の刃で斬り裂いた。
「あぐっ!!」
更なる攻撃を回避するべく彼は大砲から攻撃を撃ち込むが、(ぬえ)は足を曲げてかわし一気に詰め寄ると彼を薙ぎ払う。
 倒れた彼は必死に体を起き上がらせ、剣を(かま)えて(ぬえ)に斬り掛かった。剣の刃が閃光のように隠れ始めている太陽を反射し、お互いは攻防戦を数度繰り返すと大禍津日(おおまがつひ)は鎖を召喚(しょうかん)して(ぬえ)に攻撃する。大鎌を一閃させると全ては斬り裂かれ、(ぬえ)は地面を踏みしめて大鎌を彼に振り下ろした。かわした彼は体制を立て直して剣を(ぬえ)に向けて突き、防がれた瞬間に剣を引いて二段目の攻撃を繰り出す。僅かに跳んでその剣を足場にし、大鎌の刃と柄を交互に利用しながら彼に振る。大鎌は大振りでリーチがあるためだ。彼はバク転をしながらかわし、最後の一撃を回避し終えると大砲に変えて(ぬえ)に向けてそれを発砲する。砂煙が巻き起こり、辺りに散らばっていた小石が爆風を受けて宙へ舞う。小石の雨が大禍津日(おおまがつひ)に降り注ぐがそんな事は気にしていられない。
 (ぬえ)はその場から走り、大禍津日(おおまがつひ)の後ろに回り込んだ。反応に遅れた彼は攻撃を防ごうと試みるが、到底間に合うはずもない。仕方がなく腕で大鎌の刃を受けた。鋭い痛みと赤い鮮血が流れ、大砲から剣に変えて(ぬえ)に向けて剣を振るう。大鎌を引いて回避し、地面に着地すると走って彼との間合いを図り、(かま)えなおすとそのまま彼に突進する。振るった大鎌は空を裂き、気づいた時には大禍津日(おおまがつひ)(ぬえ)の後ろに回り込んで剣を(かま)えていた。
「たああっ!!」
振り下ろす一撃をギリギリで大鎌の柄で防いだ。重い一撃に歯を食いしばり、自分に刃が届かないようにと耐える。
 その瞬間彼は身を翻し、剣を大鎌から遠ざけて(ぬえ)を斬り裂いた。
「――ッ!!」
そのまま大鎌を左腕で持ち、彼に一撃を喰らわせる。だが、それは掠っただけで彼の放った閃光のような魔法に吹き飛ばされる。
 大禍津日(おおまがつひ)はすぐに(ぬえ)を追った。そして回し蹴りをわきに打ち込んで剣を振るう。(ぬえ)は繰り返される斬撃に防御の集中を緩めない。
「ほらほら、どうしたの! そんなものなの!?あなたの実力は!」
彼は跳び上がって剣を振り下ろす。(ぬえ)はそれを受け止めた。
 (ぬえ)はそんな彼の剣を受け止めながら口を開いた。
「信じてるぜ、いつき。お前は他の神の意志なんかに負けねぇってな!」
何を言っているのか彼は理解できていない。まだ説得を試みているのかと呆れた様子も見受けられる。(ぬえ)は彼を押し返すと息を整えた。
 「あなたって本当に愚かなのね。信じるだけで声が届くっていうの?」
彼は剣を降ろして(ぬえ)に問いかけた。いつ斬りにかかってくるか分からない為、(ぬえ)は警戒態勢を解かない。だが確実な答えを探さず、自分の思っている事だけを彼女は口にした。
「あたりめぇだろ。声が届かなくたって、信じる思いはそれだけで通じ合う。言葉や声なんて必要ないんだよ」
「愚かね。それで本当に通じ合ったことがあるというの?」
彼はオカルトを信じない科学者のようにその考えを否定した。だが(ぬえ)はその考えを改める気など微塵もない。
「あるさ。現にあいつは今もこっちに戻ってこようとしてるじゃねぇか」
「何を言っているのか理解に苦しむんだけれど。私は何も変わっていない。思い込みもその小さい頭脳の中だけにしてほしいわね」
天を仰いで彼はそう言った。だが、(ぬえ)はその言葉にふっと鼻で笑った。何がおかしいと彼は(ぬえ)を睨みつける。それに応えるように彼に言葉を投げかけた。
「分かるんだよ、私には。村やいろんな場所を壊した回ったと覚えていたいつきは、そんな事に負けず悔いようとしていた。あいつは……、友が自分自身を忘れちまっても負けずに戦った」
大鎌を握りしめて続ける。
「だがお前はどうだ、怒り続けて逆恨みして。それじゃあ強さを持って戦い続けてるいつきに負けてるも同然じゃねぇのかよ」
挑発したつもりはない。だが、その言葉はいつきの事を大切に思い、全てを知った(ぬえ)だからこそ紡ぎだせた言葉だった。彼は友を正気に戻すために時雨(しぐれ)を信じ、幸せになってほしいと願って戦った。しかし大禍津日(おおまがつひ)は誰も信じずただ罪も何もない神々さえも恨み、破壊衝動に任せて殺しを行っているだけの空っぽの戦いだった。(ぬえ)大禍津日(おおまがつひ)が刃を交えた瞬間、重さを感じなかったのだ。
 彼は肩を震わせた。
「……黙れ」
怒りに揺れるその力は、解放された瞬間に巨大な衝撃波を造る。それに押されないように(ぬえ)は体をできるだけ強風に耐える事の出来る体制に移った。
「黙れ黙れ黙れ黙れ!! 神々は言った、私たちはいらない存在なのだと! 神々は最後にこう告げた、生まれなければ厄災なんてもの無かったのだと! 誰のせいでこんな力を押し付けられたか分かっているのか!神々が私たちを(けが)したのだ!人間が否定して私たちのせいにしたのだ!」
怒りの表情を抑えきれておらず、歯を食いしばり今にも獲物を狩る獣のように(うな)る。
「否定してやる、消してやる、断ち切ってやる!誰も信じない、誰も私を想わない!殺してやる、殺してやる!!……私は、私はっ!!」
(ぬえ)はそれを聞いて怒りが頂点に達し、大鎌を地面に突き立てて声を上げる。
「本当に誰一柱としてお前を肯定しなかったのか! 私は見たぞ、死神(しにがみ)がお前の名を呼んで手を伸ばした事を!! お前はそれを取らなかった!お前自身が全てを否定しているんじゃねぇのか!」
「そんな訳ない!私は……!!」
「本当に恨むって事はな、信頼を感じて初めて成立するものだ! 一人で恨み続ければそれは孤独と怒りで耐えきれなくなり、理性なんてとっくにきえちまう! だけどよ、お前は理性を保ってる!信頼してくれる人がいてくれるからこそ、信頼できる人がいるからこそ理性を保ってそこまで立っていられるんだ!! お前には片割れがいたはずだ!そいつすらも信じられない存在なのかよ!!」
その言葉に確かに彼は反応した。
 今はもういない、一度死に輪廻によって時雨(しぐれ)に宿ったのであろう彼の片割れ『八十禍津日神(やそまがつひのかみ)』。伊邪那岐(いざなぎ)からは厄災の神が二柱(ふたはしら)生れている。大禍津日(おおまがつひ)はその理解者であり同じ兄弟を忘れて誰も自分を信じないと、否定するのだと思っていたのだ。
「誰一人として自分を信じていないなんてことはない!数百と出会う神や人の中で、信じてくれる奴は必ずいるんだ!なら人間だってそうだ!人間だって少なからず禍津日神(まがつひのかみ)を信じ、信仰している者がいる! それに……」
(ぬえ)は拳を握って今までのいつきとの関わりを思い出した。ぎこちなく(ぬえ)を心配させまいと笑顔をつくり、(ぬえ)のからかいに面白く反応してくれるいつき。(ぬえ)を信じてくれた彼は、少しずつ、確かに成長していた。
禍津日神(まがつひのかみ)は厄災だけをもたらすんじゃないって、いつきは教えてくれた。信じて見ろよ、大禍津日神(おおまがつひのかみ)!」
「やめてぇぇー!!」
頭を押さえて彼は大声を上げる。今まで恨み続けてきたものが一気に崩れ去る感覚。自分が自分ではなくなるような感覚を覚え、大禍津日(おおまがつひ)は大砲を空に向けた。
「認めない、認めない、認めない!!全て終わらせてやる! 全て消してやる!!」
聞き分けのない彼は本当に死神(しにがみ)の言ったように愚痴をこぼしたくなる。だが、(ぬえ)には分かる。彼の瞳は微かに揺れている。迷っているのだ。そして同時に分かっている。いつきの力が彼から流れている事に。
 大きな球が空中で造られる。それは黒い雷を帯びて体力の魔力が集結していた。それが地上に落ちたら、ひとたまりもないだろう。(ぬえ)はどうする、と思考を巡らせた。
 彼は掲げていた大砲を振り下ろした。
狂気之大虐殺(ルナティックオブカルネージ)!!」
強大な奥義は彼に従って圧縮し、魔力が一帯に放出される、その瞬間。
 「!?」
奥義の動きが止まった。(ぬえ)は何事かと彼を見ると、苦しそうな顔を浮かばせて彼は(ぬえ)に視線を向けた。
「……(ぬえ)……っ!」
確かに呼んだ、(ぬえ)の名前。大禍津日(おおまがつひ)自身となってしまった彼は今まで(ぬえ)の名を呼ぶ事は無かった。しかし今この瞬間に、自分の奥義をせき止め(ぬえ)を信じて自分を止めるようにと意思表示をしている。
 (ぬえ)はそれを見て力強く微笑むと、大鎌を(かま)えなおした。
「ああ……。いつき!」
地面を強く踏む。深呼吸をしてから魔力を全身に感じ、デスサイズに集中させた。失敗は許されない。
 膝立になる(ぬえ)に神の力が宿る。今すぐにも魂を刈り取ると思わせるようなその力は死神(しにがみ)を連想させる。否、確かに死神(しにがみ)のものだった。彼の表情が怒りに変わる。いつきの意識は大禍津日(おおまがつひ)の裏にいってしまったのだろう。
「なぜ……!?どうして……!!」
自分を制御できていらしい。いつきは確かに戻ってきていた。(ぬえ)の声が響いたのか。それとも大禍津日(おおまがつひ)に心の迷いが生じ、いつきが彼を抑えることができるようになったのか。だがそんな事はもうどうでもよかった。
 (ぬえ)の目の前に透明で赤く透けた十字架が現れる。時々舞う黒いカラスはより一層恐怖を(かも)し出している。体を捻ることができる限界まで腕を伸ばし、デスサイズを(かま)えた。

 そして、地を強く蹴り彼の元に飛び出した。
無限(アンリミテッド)……!」

 デスサイズを一閃させてその十字架を斬り裂く!
破滅(ルイン)!!」

斬り裂いた十字架の断面から斬撃が飛び出す。軌道は大禍津日(おおまがつひ)ではない。彼が今にも落とそうとしている、奥義の方だ。
「うおおおおお!!」
強い力を宿した(ぬえ)の奥義が大禍津日(おおまがつひ)の奥義とぶつかり合って中和されるかのようにお互いはじけ飛んだ。
 そして互いの魔力が降り注ぐその中で、(ぬえ)大禍津日(おおまがつひ)に近づいてその体を斬り裂いた。大鎌にはいつきの力が確かに宿っていた。

 鮮血が目の前に舞い、痛みが大禍津日(おおまがつひ)を襲う。いや、痛みなんてもうすでに無かったのだ。全てを恨んだあの日から。
「ああ……」
雲はいつの間にか太陽から離れ、まるで天照大神(あまてらすおおかみ)が自分のすべてを見ているように感じれた。
「……何が悪かったんだろう……」
答える者なんて誰もいない。聞く者なんて誰もいない。だが、そう思っていたにも関わらずそれを否定するかのように自分が受け取った身体(からだ)の主が応えた。
「何も……悪くない。ただ……」
声の主は静かに言った。
「歯車が……食い違ってしまっただけ……」
「……そう、そうなんだね……」
一筋の透明な熱いモノが目から零れ落ちた。なぜそれが頬を伝うのか、彼には分からなかった。けれど、
「……あなたの信じた世界は……確かに素晴らしいものなのね……。ねぇ、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)……」
嬉しいと思うその気持ちは確かに理解できた。太陽に手を向けて大禍津日(おおまがつひ)は微笑んだ。
 
 大切な片割れと一緒に微笑み合うような、幸せそうな笑みで……

魔力の降り注ぐ中、背中に生えていた真っ白な美しい羽が空に舞う。黒髪がはらりと重力に従い、鬼のような髪飾りは薄くなって消えた。


 (ぬえ)は呼吸を整えながら従装(じゅうそう)に戻った。大鎌を消して座り込んでいる彼に向かって歩を進めた。
 さらさらした長く黒い髪。横の部分は短くカットされているのか猫耳のようになっている。黒い着物はそんな彼に映えているような気がする。僅かに彼が脚を動かすと、足枷の鎖がジャラ、と音を立てた。
 (ぬえ)は彼の近くに座り、その頭に手を置いて静かに動かした。

「おかえり」

俯いていてあまり読み取れないが、赤と紫で(かま)成され瞳孔が白いその珍しい瞳は涙を耐えるように、そして嬉しそうに揺れていた。

「……ただいま」

冬に差し掛かろうとしている季節の風が、二人の横を通り過ぎるのだった。

 一緒 ー真実は?ー

 一緒 ー真実は?ー

 急に鬼たちは跡形もなく消えて紅蓮(ぐれん)達は参戦するべく音が大きいところを目指して走り、着いたころにはいつきは元に戻っていた。
 殺す機会を失ったことに奈落(ならく)は地団駄を踏んでいたがいつもなら反応する(ぬえ)は今回は何も言わなかった。いつきが戻ってきてくれた事が余程嬉しいのだろう。
 紅蓮(ぐれん)も安心したように安堵して久しぶりだといつきに挨拶した。双子は何とかなって天照(あまてらす)様に褒めてもらえる、とはしゃいでいた。
 帰ろうと(ぬえ)はその場を立ち、いつきは脱力して動けないというので背負って家に向かう。奈落(ならく)は次会った時は覚悟しろ、と捨て台詞を吐いて結界を開いてそこに飛び込んでいた。
「結界って神様しか作れないんじゃなかったか?」
紅蓮(ぐれん)は疑問を持って双子に問う。
神産巣日(かみむすび)さまの、だね」
「結界じゃないかな、だよ」
それに納得したように紅蓮(ぐれん)は頷いた。

 疲れ切って静かな寝息を立てているいつきを部屋に戻した後、紅蓮(ぐれん)(ぬえ)、アサヒとユウヒは街のファミレスに寄っていた。双子はいつもの着物姿ではなく、現代社会に普通にありそうな服で黒髪に変わっていた。もしかしたら他の神や従者はこうやってこの世界に来ていたりするのだろうか。
 おいしそうに同じアイスをつついて食べている双子を他所眼(よそめ)に、紅蓮(ぐれん)は紅茶を一口飲んだ。その反対側で(ぬえ)は疲れを訴えるようにソファにもたれ掛かっている。
「あー、とんでもねぇ脱力感だなぁ……」
「まさかこんな大事になるとは俺も思わなかったさ。紅闇崎(こうあんざき)もよく頑張ったな」
(ぬえ)は体勢を戻してジュースが入っているグラスの氷をストローで砕くようにつついた。
 「つか死神(しにがみ)どこ行きやがったんだろうな」
(ぬえ)は思い出したように死神(しにがみ)の名を口にした。彼も確かに、と肘を着いて応えた。聞きたいことが沢山あるんだがなと(ぬえ)はそう付け足した。だが、紅蓮(ぐれん)は別の事が脳裏をよぎったのか話を変える。
「そういえばさ、紅闇崎(こうあんざき)達起きなかった時あったけど。まあ、いつき様が戻ってきた事を考えて記憶でも見たのか?」
確かに紅蓮(ぐれん)達に言ってなかった、と思い出した。あの時は時間が惜しいと思っていたので話す機会がなかったのだ。しかもそこで話したら兄を大切に思っている奈落(ならく)に申し訳ないだろう。
「ああ、いつきの記憶を見てた。それに関連するんだけどさ……、あいつのー……式神、だっけ?その狼が私たちに言ったんだ。主のお陰だから感謝しろ、ってさ」
「あいつ?もしかしてえーっと、鳳凰院(ほうおういん)?」
そうそう、と(ぬえ)はその名前に反応して紅蓮(ぐれん)に指を指す。
「あいつ味方だったのか?」
「知らねぇ。どうだろう」
そう言って(ぬえ)はストローに口を付けた。
 その僅かな瞬間に紅蓮(ぐれん)は双子をちらりと見る。名前を口にするだけで放たれていた殺気。それは恨みのものなのか別の理由のものなのかは分からないが、殺気はおそらく二人のうちどちらかだけだろうと紅蓮(ぐれん)はふんでいた。(ぬえ)側にいるのがアサヒ、紅蓮(ぐれん)側にいるのがユウヒだ。少しの会話で口調を判断して(あらかじ)め把握をしておいたのだ。
 だが、思っていたような成果は得られる事が出来なかった。どちらも反応を示さなかったのだ。視線を戻してまた一口紅茶を飲む。
 殺気を放つという事は彼のことを知っていると言う事にも繋がる。だから問い詰めて彼のことを知ろうと思ったのだ。味方なら協力できるし、敵だったら……。どちらにしても情報が足りなすぎていた。
 「そういやさぁ、こんなに大事だったのに天照(あまてらす)達気付かなかったんかなぁ。下界がヤバイ事になってたら流石に目を向けると思うんだけどよ」
(ぬえ)の言葉に紅蓮(ぐれん)は考えをやめて目を向けた。(ぬえ)の言う通り高天原(たかまがはら)の神々は現世(うつしよ)に降りてきてはいない。
「……確かに。あんなにいつき様のことを毛嫌いしてるんだから何かしてきてもおかしくはないよな」
だろ?と(ぬえ)は言うと、言葉を続けた。
「何だっけ、なお何とかってやつ……」
直毘神(なおびのかみ)様達か?」
「そうそう。めっきり何もして来なくなったよな」
直毘神(なおびのかみ)とは、かつて高天原(たかまがはら)に行ったとき、いつきと戦いそしてボロボロに負けた神々である。古事記では厄災を直す神、として有名だ。
 アサヒとユウヒの食べていたアイスがあと三分の一だというところに差し掛かると、紅蓮(ぐれん)の携帯に着信が入った。ちらりと確認していいかという視線を(ぬえ)に向け、(ぬえ)はそれを承諾する。
 携帯を確認した紅蓮(ぐれん)は急に嫌そうな顔をした。それは(ぬえ)にもはっきりと伝わり、どうしたのかと聞く前に彼は席を立った。
「悪いな、急用ができた。先に失礼する」
「お?おお、またな」
そう言うと(あらかじ)め用意していたのか、お札を出してテーブルに置いた。(ぬえ)は慌てて彼を呼び止める。
「いいよ、私が奢るぞ?」
「いや、いいさ。今回は俺が持つから」
そう言うと出口に向かって歩き始める。右手をポケットに入れて左手を上げてまたな、と言うように少しだけ振った。
 明らかに様子がおかしい事に疑問を残していると、(ぬえ)達のテーブルに誰かが近付いてきた。バイトの人だろうか。
「わー、アサヒちゃんとユウヒちゃんじゃないですかー」
髪をハーフアップにしたグラマラスで美人な女性。いかにもサラリーマンだ、と思われる男の人は彼女をじっと見ていた。
「誰だ、知り合いか?」
(ぬえ)はアサヒの方を見てそう問いかけた。双子も現世に友達がいるのかと思ったのだ。
 たが、アサヒとユウヒは予想外の反応を示した。
天宇受賣命(あめのうずめのみこと)様ー、だね」
「こんにちは、だよ」
双子の流れるような挨拶に女性は微笑み、休憩入りまーすと言って(ぬえ)の反対側の席に腰を下ろす。店の制服を着ている人と同じ席で話すのはなんだか浮いている感じがした。
 女性は丁寧に(ぬえ)に向き直り、綺麗にお辞儀をしてみせた。
高天原(たかまがはら)に在住の天宇受賣命(あめのうずめのみこと)です。いつもアサヒちゃんとユウヒちゃんがお世話になってまーす」
元気そうな彼女の挨拶が終わると、双子はなってまーす、と声を揃えて言った。
「つーか、何で神様が普通にバイトしてんの?」
(ぬえ)は純粋に思った事を口にした。そう聞かれると想定していたのか、天宇受賣(あめのうずめ)はニコリと笑ってそれに答えた。
「神様だって下界に遊びに来ますよー。天照(あまてらす)ちゃんも時々こっちに来るし。そのためにはお金、ってやつがいるでしょう?だから働いているんです。うーん、人間って面倒くさい……」
さらりと凄い事を言った。天照(あまてらす)も人間の世に混じっている事があると言うのだ。つまりは、人だと思った人間が神様の可能性がある。と言う事だ。
 言われてみればと(ぬえ)は双子と天宇受賣(あめのうずめ)を交互に見た。人間だと言われても違和感がない。仮に神様だと言われたら頭がおかしい人と思われるだろう。
「それにですねー。ここで働いてて思ったんですけど、人間は皆信仰を忘れてしまったんですね。私達を信じない人がほぼ全員でした」
そう悲しそうに彼女が言うと、シュンと俯いた。天宇受賣(あめのうずめ)が落ち込むのも無理はないだろう。今の人間は信仰心が薄い。日本において一つの宗教にのめりこむ人はおそらくは数えきれるくらいだろう。いたとしても海外の宗教の人が多い。天照(あまてらす)教とかも聞いた事がない。
 そこで(ぬえ)は先ほどに紅蓮(ぐれん)と話していたことを思い出した。双子を微笑ましそうに見ている天宇受賣(あめのうずめ)(ぬえ)は問いかける。
「なあ、数時間前までとある神が暴れていたのを知っているか?」
それは高天原(たかまがはら)の神々が協力をしに来なかったことだ。邪神(じゃしん)の時は天照(あまてらす)月読(つくよみ)が協力をしていたが今回は何もしてこなかった。天宇受賣(あめのうずめ)は膝に手を置くと、周りの様子を気にしながら静かにその問いかけに応じた。
「ええ、知っています。大禍津日(おおまがつひ)でしょう?」
「なっ!知ってたんなら何で協力しなかったんだよ!!」
ガタンと立ち上がって(ぬえ)は声を荒げる。それに反応して客が一斉に(ぬえ)を凝視した。恥ずかしくなって静かに腰を下ろすと、天宇受賣(あめのうずめ)は申し訳なさそうに(ぬえ)に話を続ける。
天照(あまてらす)ちゃんから応援の命を受けました。けれど……、手を出すなと言われたのです」
真剣な、どこか申し訳なさそうにそう言った。(ぬえ)はその言葉に疑問を覚え、彼女に問いかけた。
「手を出すな?天照(あまてらす)高天原(たかまがはら)を治めてんじゃねぇのか?」
「違うよ?天照(あまてらす)ちゃんは治めているだけ」
ますます分からなくなった。(ぬえ)はしばらく考えていると、その様子にくすっと天宇受賣(あめのうずめ)が笑う。
天照(あまてらす)ちゃんは高天原(たかまがはら)の神々を統治しているの。けれどね、それ以上に上のお方がいるんだ。今は姿を隠されてお見えにならないんだけどね」
その時、それに反応して双子はその神の名前を口にした。
天之常立神(あめのとこたちのかみ)様、だね」
常立(とこたち)様、だよ」
聞き覚えのない存在を聞き、誰だ?と聞き返した。
天之常立神(あめのとこたちのかみ)様。世界で四番目にお生まれになった、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)様の次にお生まれになったお方。別天津神(ことあまつかみ)の最後の一柱(ひとはしら)高天原(たかまがはら)恒常性(こうじょうせい)(その内部環境を一定の状態に保ち続けようとする傾向の事)を(つかさど)っている御方なのー」
自慢するようにその神の事を話す天宇受賣(あめのうずめ)
 そして本題に入るよ、と彼女は真剣な顔に切り替えた。
「私と手力男(たぢからお)(天手力男神(あめのたぢからおのかみ):腕力・筋力の神)ちゃん、直毘神(なおびのかみ)三柱(みつはしら)に呼び出しがかかってね、大禍津日(おおまがつひ)の鎮圧を命じられたんだけど、その瞬間に頭上がピカって光ってね、天之常立神(あめのとこたちのかみ)様が透明な階段からお降りになられたんですー」
テーブルの上に腕を乗せると、続けた。
「もうびっくりだよ。今までお姿さえもお見せになられなかったのに、急に降りてくるんですよー。いきなり天照(あまてらす)ちゃんを睨みつけて下界に手を出すなって言ったんです」
「そして天照(あまてらす)ちゃんが危険な状態だって言って説得を試みるんだけど、急に神器を出して地面に叩きつけたんです。あ、天之常立神(あめのとこたちのかみ)様の神器は持ち手の先に棘鉄球があって、その間は鎖で繋がれているやつで……。天照(あまてらす)ちゃんより上の別天津神(ことあまつかみ)が急に来て睨みつけて挙句の果てには怖そうな武器で脅してきたんですよー。申し訳ないんだけど、何もできなかったの。私たちはアサヒちゃんとユウヒちゃん、神産巣日神(かみむすびのかみ)様の従者、久久能智(くくのち)ちゃんの従者に賭けるしかなかったんです」
「おい待て。私には賭けないんかい」
自分たちの事が出なかったことに(ぬえ)は反応して口をはさんだ。天宇受賣(あめのうずめ)は、ハハッと笑うとそんな(ぬえ)に向かって口を開いた。
「強いとも思えなくて……」
「ひっでぇ!!」
彼女の言葉に即座に反応を返す(ぬえ)。そんな様子を面白がってアサヒとユウヒは眺めていた。
「鎮圧したのは、だね」
(ぬえ)さん、だよ」
その言葉に驚きを隠せずに天宇受賣(あめのうずめ)はええっ、を声を出して驚いた。(ぬえ)はドヤ顔で彼女を見ると、少しは認めたかと彼女に言う。
「凄いって事は分かったけど……あの大禍津日神(おおまがつひのかみ)の従者でしょう?だから高天原(たかまがはら)の神々は天照(あまてらす)ちゃん含めて貴方(あなた)を信用していないの。強さじゃない。そもそも邪神(じゃしん)の復活は貴方(あなた)のせいじゃないか、って思ってた神々も少なからずいたんです」
そこまで言うと他のバイト仲間であろう人に天宇受賣(あめのうずめ)が呼ばれた。天宇(あめの)さんって言われていたのは気のせいか。
 彼女はその場で立ち上がり、(ぬえ)と双子に軽くお辞儀をして別れを告げ、奥へと消えていった。
「納得いかねぇ。何だよそれ……」
天宇受賣(あめのうずめ)が最後に言った言葉に対して愚痴をこぼした。
邪神(じゃしん)が復活したのは私たちのせいだ?ふざけてんのか。結果的に命を張って未来を守ったのはいつきじゃねぇか」
怒りを隠しきれずに(ぬえ)はしばらく高天原(たかまがはら)の神々に対して怒りの声を向けていた。

 (ぬえ)はそのまま双子と別れて家に着くと、いつきはいつもと変わらない様子で本を読んでいた。記憶が消えていた時に片付けとかなくてよかったなと(ぬえ)は内心そう思いながら彼に近づいた。
「起きたのか、いつき」
それに反応して彼は少し頭を縦に振った。
 いつもの様子に安心感を覚え椅子に座ると同時に彼は本を閉じて(ぬえ)に向き直った。
(ぬえ)……、どうして私を……探したの……?」
(ぬえ)は不思議そうに彼を見る。だがいつきは真剣な様子だ。(ぬえ)は考えることなく彼に答える。
「何で?お前を助けたかったからだぞ?」
「……貴方(あなた)が命を落とす可能性……。私は捜索を否定した……」
そんな事か、と(ぬえ)は思って立ち上がる。彼は彼なりに力を振り絞って(ぬえ)がいなくなるのを恐れたのだろう。いつかほかの神々が自分を討つことを確信して。もしかしたらその為なのかもしれない。彼の記憶を消したのは。
「だから全員の記憶から抹消(まっしょう)したのか?そんな事しても私は……」
「……?何の……話?」
いつきの反応に(ぬえ)は一瞬戸惑った。彼の事実と(ぬえ)の知っている事実が食い違っているのだ。
 (ぬえ)は咄嗟にその事を確認する。
「だって、神々からも従者からも、挙句には人間からも記憶を消したって……」
それに対して彼は知らないと否定した。
「全人間から……、神々から存在を消すという事は存在しないと同義。大禍津日(おおまがつひ)がそれを……実行すると思えない。(ぬえ)に覚えていてほしい私は……存在を消す事は……しない」
静かな、そして嘘をついていないようなその不思議な瞳は真っすぐと(ぬえ)を見つめていた。
「そもそも……そんな大規模な事をできるのは、膨大な力が必要……」
「……!じゃあ、もしかしたら天之御中主(あめのみなかぬし)かもしれねぇ。あいつ、私を助けてくれたんだ。二回も! 私達に何かある事を恐れたんじゃねぇのか?」
それに対していつきは怪訝そうな顔をする。
「……皆無。天之御中主(あめのみなかぬし)は私を……嫌っている。私を封印した一柱(ひとはしら)……」
(ぬえ)はそれに驚いた。だが、確かにそうだった。直毘神(なおびのかみ)すら圧倒するいつきがあっさりと封印されるはずがない。そしていつきはもう一つ、気になる事を口にした。
「……なぜ、封印したのか。……脅威なら……殺すはず……」
やはり最高神は何か考えがあるのだ。先ほどに天宇受賣(あめのうずめ)高天原(たかまがはら)に滅多に姿を見せない別天津神(ことあまつかみ)が下界に手を出すなと脅しをしてきた事。可能性では天之御中主(あめのみなかぬし)天之常立神(あめのとこたちのかみ)をけしかけてそうさせたのかもしれない。
 全く否定できない可能性ではないが、それは否定される可能性でもあった。いずれにせよその事に詮索すらできない自分たちには考えても答えは出ない事だった。それにもしも、そんな最高神と戦う事になったら絶対に勝ち目はないだろう。今はいつきの帰還を最大限に喜ぶしかなかった。

捜索ー百鬼夜行の遭遇ー

捜索ー百鬼夜行の遭遇ー

 (ぬえ)は窓を開けて空を見る。どんよりとしたその空は太陽と言うものを見せてはいない。そのせいか冬だという事もあって気温が急激に下がっていた。(ぬえ)は雪が降りそうだなと窓を閉め、カレンダーをチラッと見るともうすぐでキリスト教のイベントであるクリスマスに近かった。
「あーあ。リア充なんて爆発すればいいのになぁ」
そうぼやくといつきは何を言っているのかと言うように(ぬえ)を見た。
 クリスマスと言うのはカップルがさらに増えるイベントの一つである。その日に告白をしたりデートをしたりと外を歩く男女は大体がそれに当てはまっていると言っても過言ではない。
「いつきって欲しいもんねぇの?」
いつきに向き直って(ぬえ)はそう聞いた。彼は本を閉じると、
「……今の時代に存在する物品は……分からない……」
だろうなぁ、と(ぬえ)は分かり切っていたような答えに反応する。彼の調子が良くなった時に、(ぬえ)が言っていたことを覚えていたようで分厚い本を何冊も用意された。すでに家にあった本は何周もしていたようで、時間をつぶせるものがいいと言ってきたのだ。もうその時点でクリスマスプレゼントは終わっていると言ってもいいと思うのだが、自分が言った事なのでそれで終わらせるのも少し違うなと思ったのである。
 (ぬえ)は外をぼんやりと見つめている彼をじっと見つめ、何かを思いついていつきに聞いた。
「そういやさ、その足枷って消せねぇの?」
窓の外から視線を放していつきは(ぬえ)を見る。チラッと足枷を見た後に手を触れると、すっと足枷は姿を消した。
「んなぁ!? それ消せたんかい!!」
「消していない……透過しただけ」
そうだろうな、と(ぬえ)は驚いた姿勢から元の体制に戻った。
「……それで、意味は?」
何か意図があってそう聞いたものなのだと彼は判断しているのか、じっと見つめて(ぬえ)にそう聞いた。(ぬえ)はああ、と本題に入ろうと椅子に座っていつきに話す。
「いんや、お前さぁ、外に出た事あんまりなかったなぁと思ってさ」
さっき窓の外をじっと見ていたから(ぬえ)は必然的にそう思った。外に出たのは戦うときだけだったなと思い出したのだ。一緒に散歩をしたこともなかったし、何より彼が神衣(しんい)を除いてその着物以外を着ているのを見た事がない。
 (ぬえ)は思い出してダッシュで上の階に上がり、そして用事を済ますと急いで戻ってきた。その時点ではいつの間にか彼は本を再び読み始めていたが、(ぬえ)から放たれるただならぬ好奇心に反応して再度彼女を見つめる。
 彼女の手には服が持たれており、それはどれも今まで(ぬえ)が着たことのないようなもの。推測するに弟の物であったのだろう。
「さあ、いつき。出かけるぞ!」
「……理解不能。外出の意味を問いたい……」
面白そうだから、と(ぬえ)はその質問に答えてジリジリと彼に近づいた。

 鍵を閉めて行こうぜと彼を促した。いつきは気慣れない服を着せられて落ち着かないのか、ずっとそわそわしていた。特に靴が落ち着かないのだろう、ゆっくり歩いては不快そうにじっと見つめていた。
「ああ、そういやいつも裸足だったな。けどよ、今の時代裸足で歩いてたら虐待してるって訴えられんだよ。許せ」
無理矢理外に出したことに関しては謝る気はないのか、それだけ言うと彼の裾を引いて歩き出した。
 アサヒとユウヒ、天宇受賣(あめのうずめ)がやっていたように彼は黒い瞳に変わっていた。その為、人間に溶け込んでいると思っていたのだがじろじろと彼を見てくる人がいるのは気のせいだろうか。
「……落ち着かない」
いつきはそうぼやくと(ぬえ)に戻りたいと言ってきた。確かに人間に見えるとはいえ男なのに髪が長いのは少し浮いているのかもしれない。だが集中的に彼を見ているのは男の人が多い気がする。
 いつきを近くのベンチに座らせて(ぬえ)は少しの間彼の元を離れ、何かを手に持って再びいつきの元に戻る。寒いこの時期にははっきりと湯気が見えている。(ぬえ)はそれをいつきに差し出した。首をかしげて包みを開けると魚の形をかたどったたい焼きが入っていた。
「ここのたい焼き旨いんだよなー。特に冬だと焼きたてだしさ!」
持っていた包みを開けて頭からそれにかじりつく。クリーム色の中身が少しはみ出し、それからも湯気が昇っていた。中まで熱いのだろう。
 (ぬえ)はいつきに視線を促した。早く食べてみろ、と言っているようだ。しばらくそれをじっと見ていた彼だったが、少しだけ口に含んだ。
「……!」
感じた事のない味覚に彼の表情が変わり、ふっと微笑んだ。(ぬえ)はそれを嬉しそうに見ていると、持つ場所が悪かったのか中からカスタードがはみ出してしまい手にかかってあっつ、と声を上げた。心配そうにいつきは(ぬえ)の方を見やる。
「へーき、へーき。それうめぇだろ? いつき、お前が昔を生きていた時とは違って今はいろんなのがあるんだ。それも数えきれねぇくらいにな。これから嫌と言うほど見せてやるよ!」
ニカッといつきに笑って見せる。彼は期待している、と一言言うと空を見上げた。どんよりとしていた空は更に暗くなっている。
「……昔、時雨(しぐれ)が言っていた……。人間はきっと世界を、神様の力を借りずに……創り上げていくって……」
その時、ひらひらと白いものが(ぬえ)の膝に舞い降りてきた。空を見上げるとそれは無数に落ちてきており、雪だと呟く。手で感じる温度がいつもより暖かく感じたのはこのせいなのかもしれない。
「……人は、妖怪を見る事を忘れた……。人は、神を信じることを忘れた……」
舞い散る雪を見ながらいつきはそう呟いた。(ぬえ)は彼を見る。だが、いつきは首を振って視線を地面に落とした。
「必要ないのかもしれないな……もう」
彼の放った言葉にどのような意味が含まれているのかは今の(ぬえ)には理解ができなかった。いつきから視線を離しながら尻尾のみとなったたい焼きを口に放り込む。
 その時、何者かの足音が(ぬえ)達に近づいてきていることが分かった。従者として長いためにそれすらも機敏に反応してしまう。それはいつきも同様なようで、気配を感じてその方向に目を向けた。
()かる(こんな)所で会うとは、奇遇だな」
意味の分からない日本語を使ってくる真ん中分けにした短い髪。ぴょんと立っているアホ毛が特徴の男。注意深く見ると右目の黒い瞳は僅かに薄い。
月読(つくよみ)じゃねぇか!!」
(ぬえ)は立ち上がって声を上げた。いつきもすっと立ち上がって彼を睨みつけた。邪神(じゃしん)を倒した今、彼とは敵同士のはずである。しかも偶然を装って(ぬえ)達を殺しにかかる可能性もある。神々と禍津日神(まがつひのかみ)は相当に仲が悪いのだ。だが彼はそんな(ぬえ)達の警戒を気にしていない様子で話をつづけた。
「そう警戒するな。攻撃はしない」
「信じられねぇんだよ、甘い言葉ほど信じられねぇことはねぇんだ!!」
指をさして彼にそう言うと、(ぬえ)の横を通り過ぎいつきが月読(つくよみ)の前に出た。そして、深々と頭を下げた。
「……?」
「ごめんなさい……」
驚く月読(つくよみ)とは正反対にいつきは冷静に謝罪の言葉を述べる。それには(ぬえ)もたいそう驚いていつきの背中を叩いた。
「どうしたんだよ、お前! 寒さで頭がイカれちまったのかよ!?」
月読(つくよみ)は呆然とし、いつきは頭を上げた。
「……貴方(あなた)の従者だった十六夜(いざよい)は、約束を破った……」
「――っ! 十六夜(いざよい)を知っているのか!?」
彼から放たれた名前に反応した月読(つくよみ)。いつきの肩を掴んで問うた。
「教えてくれ……! 十六夜(いざよい)何処(いづこ)に行ったのだ!!」
必死な様子が(ぬえ)にも伝わる。すぐに怒ったり静かになったりと感情の変化が大変そうな彼には考えにくい事だった。
 (ぬえ)にはいつきの謝罪の理由は分かっていた。おそらくは主である月読命(つくよみのみこと)に最後まで会えずに死んでしまった事だ。最後にごめんなさいと、誰もいない輪廻の中でそう言っていたことを思い出す。
「……死んだ」
いつきのはっきりと言ったその言葉に、月読(つくよみ)はいつきの肩から手を放して俯いた。歯を食いしばって拳から血が出るのではないかと言うくらいに握りしめていた。
「俺のせいだ……。俺が一人にさせざれば……かような事には……!」
そうはっきりと言っていいものなのかと(ぬえ)はいつきの様子を窺った。月読(つくよみ)と同じように少し悲しい目をしていた。彼はなぜ、自分が十六夜(いざよい)だという事を伝えないのだろうか。
 月読(つくよみ)はしばらく自分の事を悔いていたが、すっと顔を上げていつきを見据えた。
「感謝する……。事実を教えてくれて……。それと……」
言いづらそうに月読(つくよみ)は顔を背ける。そして、小さな声で、
十六夜(いざよい)は、俺を恨んでおったか……?」
それが一番知りたいことなのだと言い聞かせるように真剣な目を向ける。それを見ていつきは微笑むとはっきりと、そしてすべての思いを込めるように告げた。
「……恨んでいない」
そうか、と安堵したように。そして嬉しそうに月読(つくよみ)は言った。そんな彼を包み込むように雪は降り続け、少しづつ地面に積もっていっていた。
「もしかしてだけどよ、十六夜(いざよい)が生きていると思っていたから新しい従者と契約をしなかったのか?」
「俺は十六夜(いざよい)以外とは契約せぬ」
(ぬえ)の質問にきっぱりと彼は言い放った。彼の性格上、従者を信じられないのかもしれない。以前思金(おもいかね)が言っていたが、天照(あまてらす)すらもあの双子を完全には信じていないという。
 いつきは切り替えるように月読(つくよみ)に質問を投げかける。敵として向き合っているのではないと判断したのだろう。
「……下界に降りて、用事は?」
思い出したように月読(つくよみ)はハッとなった。
「ここ数日、楽器とやらの稽古もかねて信仰はどれほどのものかと、俺を祭りし(やしろ)に立ち寄ったのだ……」
「楽器の稽古ってどういうこった」
彼が数日人間に紛れていた、という事ではなく別の事に反応を示した。月読(つくよみ)はよくぞ聞いた、と言うような顔をして語り始めた。
「人間たちが作る楽器と言うものは実に興味深い代物だ。あんな小さなるものが重なりて一つの音色となる。俺は日々、全てを使いこなせるよう稽古に明け暮れている」
「ようするにひまなんだな」
(ぬえ)は確信をつくと月読(つくよみ)は急に声を荒げた。
「何だと貴様ぁ! 俺を侮辱するのかぁぁ!!」
「してねぇじゃねぇかよ!!」
 そんなやり取りをしばらく見ていたいつきだが、話が進まないと思ったのか仲裁に入って月読(つくよみ)に話の続きを要求する。まだ腑に落ちないのかしばらく(ぬえ)に怒りの表情をぶつけていたが、これ以上は本当に進まないかもしれないと深呼吸をして心を落ち着かせ、話を戻す。
「月日を重ねるごとに減っているが、順調に信仰はあった。だが……」
再び月読(つくよみ)の顔が険しくなる。これはまた怒り出すな、と(ぬえ)(あらかじ)め察知して身構(みがま)えた。予想通り彼は声を荒げ、
(やしろ)の俺を見立てた御神体を何者かが盗んだのだぁぁ!! 腹立たしいぞ盗人(ぬすっと)めぇぇぇ!!」
幸い雪のせいか通行人が少ないのが幸いした。訳の分からない言葉を並べて怒鳴り散らしている男を見たら注目の的になる。
 (ぬえ)は何とかなだめる。
「で、私たちに手伝ってほしいってか? でもいいのかよ、高天原(たかまがはら)の神々とは私たちは仲悪いぞ。協力したらお前、責められんじゃねぇの?」
「愚問だな、従者。今日の空を見るがいい」
そう言って月読(つくよみ)は空を見上げた。空は曇っており太陽などは全く見えない。そして雪が降り注ぎ、この調子なら明日には積もるだろうという感じだ。
「雪だな」
左様(さよう)。雲がかかれば高天原(たかまがはら)は下界を見る事は出来ぬ」
不敵な笑みを浮かべて月読(つくよみ)は腕を組む。全てを計算したうえでの(ぬえ)との接触を彼は試みたのだ。どこかの高天原(たかまがはら)の知識の神を(ぬえ)は思い出す。
「俺は下界の地理について詳しくはない。協力を申し()でたい」
三貴子(みはしらのうずのみこ)からのお願いを断ったら何があるかはわからない。どうする、と(ぬえ)は視線をいつきに向ける。いつきは彼に聞こえない声で囁いた。
「協力するのも……悪くはない。信頼を得ることも重要だと思う……」
彼の意見に同調すると、待たされてイライラしているのか今にも怒り出しそうな月読(つくよみ)(ぬえ)は協力すると申し出た。盗んだ犯人が人間だったら捕まえることなど造作もないだろう。月読(つくよみ)がこうも言っているのだから、神主が回収したというわけではなさそうだ。
「感謝する。では、()二刻(にこく)に今から指定する(やしろ)に来てほしい」
聞き覚えのない時間帯を言われて(ぬえ)は聞き返す。いつきは親切に(ぬえ)に教えた。
()二刻(にこく)?」
「丁度……日付が変わる頃。(れい)時……」
「じゃあそう言やいいじゃん。わざわざまどろっこしい言い方しないでも……」
「貴様の無知が原因だろうが!それでも従者かぁ!!」
用件を伝えたのならもういいだろうと、いつきはこれ以上長引くのを恐れて(ぬえ)の背中を押して彼が立っている方向とは逆の方向に歩き出す。まだ話は終わっていないと彼は叫んでいたが、それすら気にしていたら本当に分かれる機会を失うだろう。
 
 月読(つくよみ)の姿が見えなくなると、いつきは立ち止った。(ぬえ)は疲れを訴え、何で()二刻(にこく)と言うのかいつきに聞いた。
「……今は数字だけれど、昔は十二支で時刻を分けていた……」
「十二支ってあれか? ()(うし)(とら)のやつ」
指を立てながらいつきにそう(ぬえ)は聞く。それに彼は頷くと話をつづけた。
「そう……。十二支は()(こく)十一時から……二時間ずつ。()(こく)は十一時から一時の間とされて……その一刻を四つに分けて、それぞれに十二支の刻と一刻、二刻って付けて数えていた……」
「二時間を四つに分けるってこたぁ……、えーっと一刻三十分?」
「そういう事……。丑三(うしみ)(どき)もそれと同じ原理」
「つーことは、(うし)(こく)は一時からの二時間で三時まで。それを四等分して一刻三十分で三つ目だから……、二時から二時半?」
いつきはこくこくと頷いた。
「なるほどなぁ。一つ知識が増えたぜ」
「どうして……急に知ろうと思ったの?」
いつもなら詳細を聞かずにスルーしていたため、いつきは急に知識を得ようとした(ぬえ)に疑問を抱いた。(ぬえ)は振り返ってその答えを返す。
「だってさぁ……また月読(つくよみ)みてぇに時間を指定してくる奴がいそうじゃん? それ考えると知っといたほうがいいかなって」
その言葉にいつきは僅かに目を見開いた。その様子に何だよ、と(ぬえ)は返した。
「成長したんだな……」
「失礼だなお前」

 その後帰路につくと夜まで待つことにした。今は電子機器が豊富なため、長期休みという事で夜更かしをしていたのだからしばらく起きているという事は別に苦ではない。問題はすぐに寝てしまういつきの方なのだが。
「でもさぁ、なんで夜中に来るように言ったんだろうな? 犯人探すんなら昼間の方がいいと思うんだけどよ」
「……犯人が人間なら……な」
ページから目を離さずにいつきは(ぬえ)の疑問に答えた。
「どうゆう事だ、もしかして人間が盗んだんじゃねぇって事か? なんでそう思うんだよ」
彼は本から視線を離して(ぬえ)を見た。いつの間にかいつもの着物姿で瞳もいつも通りに戻っている。彼に似合わない足枷もはっきりと姿を見せていた。
「人間が盗んだのなら……月読命(つくよみのみこと)だけで問題は解決する……。あれでも三貴子(みはしらのうずのみこ)だから」
あれでも、と今彼は言った。それをもし聞かれていたら確実に月読(つくよみ)は怒るだろう。
「人間じゃなくてもそんなに凄いんなら自分で何とかなるだろ?」
月読命(つくよみのみこと)は……地理に詳しくないと言っていた。妖怪や霊体の言動を見る事は不可能だから……、持ち逃げされたら追う事は出来ない……」
「なるほどな。だから私たちに協力を求めたのか」
そこまで話し終えると(ぬえ)は座っていたソファにごろんと寝転がった。携帯を確認すると今ちょうど五時を回ったころだった。
 あと七時間もある事に嫌気がさしながらも、眠らない工夫を続けていた(ぬえ)だった。
「霊体……? 幽霊って本当にいたのかよ……」

 指定された神社までは徒歩で一時間はかかる。だが、従装(じゅうそう)(まと)って空を渡ればすぐに着くだろう。まだ田舎の部類なのでこの時間は歩行者も自動車も少ない。
 (ぬえ)従装(じゅうそう)(まと)うと、今にも眠りそうないつきの肩をゆすった。彼は完全には目を覚まし切れていないが、神衣(しんい)(まと)って相棒と呼べるであろう神器の蒼玉(そうぎょく)召喚(しょうかん)した。

 いつきは自身でも飛べるが魔力を消費するので嫌なのだろう。蒼玉(そうぎょく)に座って目的地を目指していた。(ぬえ)は空は飛べないので屋根の上を渡りながらも何もないところは魔法陣を召喚(しょうかん)し、それを足場にして体力を節約しながら空を渡っていた。
「おい、いつきずりぃぞ。ただ座っているだけなんてよ」
「……心の中で移動方向を指示している」
「よく言うぜ全く……」
 数分で目的地にたどり着くと、鳥居に依頼主である月読(つくよみ)がもたれ掛かっていた。相当暇をしていたのだろう。昼に会った時は人間に溶け込むために普段着だったが、今は神衣(しんい)(まと)っている。紫がかった白い髪に月の髪飾り。そして左目は紫、右目は天照(あまてらす)の左目と同じ黄色。心なしか彼は少し光っているように見える。
 (ぬえ)達に気が付いた彼は地面に降り立つのを待って近づいた。やはり神衣(しんい)(まと)うと月読(つくよみ)は並みの神様ではないとはっきり分かる。
「早かったな。もう少し遅しと思ったのだが」
「約束の五分前には行動しろっていうのが日本人の決まりだぜ」
「……(ぬえ)、たぶん今二、三分過ぎてる」
気にすんな、と(ぬえ)はいつきに振り返って視線を向ける。呆れたようにいつきは少し微笑むと、月読(つくよみ)は行くぞと鳥居をくぐった。(ぬえ)といつきは慌ててそれに続いて鳥居をくぐる。
 月読(つくよみ)は堂々と鳥居をくぐってから真ん中を歩いている。(ぬえ)は日本人の風習が染みついているために自然と道ぎりぎりの左端を歩いてしまう。いつきはなぜ左端を歩くのかと聞いてきたが、彼も(ぬえ)の隣を歩いており真ん中に寄っており、彼も神様なので何も言えなかった。
 途端に視線を感じて(ぬえ)は右側の木々の方向に目を向けた。その瞬間月読(つくよみ)の神器が目を覆い、驚いて少しこけそうになった。
「何だよ!」
「目を合はすな。憑かれるぞ」
それだけ言うと神器を消して再び歩き出した。昼間怒鳴っていた時よりも、今の彼はかなり心強く感じる。これが夜を統治する月の神の威厳なのだろうか。目を逸らすと同時に視線の主の脚がなかったのは気のせいだと信じたい。
 本殿が見えてくると、嫌な雰囲気(ふんいき)を放っているのが分かった。辺りに目を向けると透明な何かが(うごめ)いており、妖怪と思わしきものがちらちらと視界に映る。
「いちまぁーい、にまぁーい……」
「――!?」
「ぎゃあああ!!」
どこからともなくそんな声が聞こえていつきは肩をビクッとさせ、(ぬえ)は声を上げた。その瞬間ざわざわっと木々が騒ぎ出すと何かに囲まれたような気配を察知する。
「チッ! 馬鹿共が!!」
神器を召喚(しょうかん)して月読(つくよみ)は辺りを視線のみで見まわし、
「八体か……」
そう呟くと右手に剣を(かま)えて正面よりやや右に走り出す。
 その後は一瞬の出来事だった。幽霊とおぼわしき物体に神器を振るったかと思うと、風のように見えない速さで囲んでいる幽霊全てを斬り裂いた。(ぬえ)達が見えたのは一瞬にして斬り裂いた後の月読(つくよみ)だった。嫌な声と共に何かが地面に消えてゆくのが分かる。
 月読(つくよみ)はゆっくりと立ち上がり神器を振ると、(ぬえ)達に怒鳴る。
「この大馬鹿共がぁ! わざわざ面倒な事をするな!!」
彼が言うには、妖怪の声に驚いてしまったために霊が集まってきてしまったらしい。
「ンな事言ってもよぉ……急に不吉な声聞いたら誰でも驚くっての」
いつきは申し訳なさそうな顔をして(ぬえ)の言葉に同意した。一度は怒ったが彼はすぐに平静さを取り戻し、ため息をつくと呆れた目で(ぬえ)達を見る。
「知っているだろうが妖怪や幽霊というのは人間が見る事を忘れしため、必死に自分たちを認識させようとす。妖怪の声に一度でも反応してしまうと霊体はそれに反応して何としても目を合わせようとしてくる」
「神々に憑依することは(あた)はざる(できない)が……、従者は半端者だ。妖怪の声も聞こゆし霊も見ゆる。声には反応せず、目を合わさなきように気をつけろ。恐怖は妖怪の餌となり、霊に憑依さるぞ」
はーい、と(ぬえ)は反省したように素直に返事をした。ゲームなどでは幽霊と言うものには物理攻撃は効かないと聞くので、(ぬえ)では対処はできないだろう。
 返事を聞いて月読(つくよみ)は本殿の方へ足を向け、鍵を手慣れた手つきで外すと扉を開けた。そして何も気にせずにその中に入る。いつきもそれに続いた。(ぬえ)は一瞬靴はどうしようかと悩み、何とか靴のみを消す事が出来たので滑らないように気を付けながら本殿の中に入る。いつきと月読(つくよみ)は裸足なので、そのまま上がったのだろう。そう言えば神様の神衣(しんい)はほとんど裸足だなぁ、と思い返した。
 本殿の中には入ったことがなかったのでまじまじと辺りを見回した。月読(つくよみ)はその間にも台座に近づいてこれだ、と(ぬえ)達の方に振り返る。
 言われたように、そこには何もなかった。否、厳密には何もないわけではない。何かを置く台座があってその上に置かれていたであろう物がなくなっているのだ。
「ほんとだな。何もねぇ」
「盗んだ者は分かりたるが、そいつの居場所にどうやって行くのか分からず……」
彼の瞳には僅かに怒りが感じられる。よほどに大事なのだろう。いつきも言っていたが、誰も信仰せず誰も知らないというのはいないのも同義。神々にとって信仰と言うものはよほど重要な物なのだろう。
 「で、盗んだって奴はどこに行ったんだ? 犯人は分かってるけどその場所にどうやって行ったら良いのか分かんねぇんだろ?」
「……認めたくはないがそういう事だ」
それだけ言うと、月読(つくよみ)は場所を指定した。それは(ぬえ)も知っている場所だった。
「おいそこ……、いつきが暴れてた村の近くの山じゃねぇか」
それにいつきは反応する。分かるのならそこに連れて行ってほしいと彼は(ぬえ)に頼んだ。逆方向だから少し時間がかかると告げると、いつきが封印されていた神社まで結界を通って行けると言った。
「結界で一瞬で行けるのか……すげぇな。ん? いつき、何でここに来るまで結界を通してくれなかったんだ?」
そう言っていつきを見るが、彼はその視線から目を逸らす。
「こいつ……」

 そう時間はかからずに山に着き、できるだけ音を立てないように注意を払いながら気配を辿って進む。途中で小さな妖怪たちが(ぬえ)達を脅かしに来たが、先ほどの事もありそんなに驚くことはしなかった。夜中にこうして出歩いてみると、結構(けっこう)妖怪と言うものはいたりするらしい。
 山道が見えると、いつきは月読(つくよみ)(ぬえ)に隠れるように言った。素直に茂みに身を隠すと、灯篭のような明かりが点々と歩いているのが見えた。それは気配でも分かるように、おそらくは妖怪の大群だろう。列をなして歩いている。
「嫌なる日に来てしまったな……。百鬼夜行だ……」
「……関わると面倒ごとになりかねない……。迂回しよう……」
「え? あいつらの中に犯人がいるんじゃねぇのか?」
(ぬえ)は迂回をしようとする二柱に声をかけた。まだ月読(つくよみ)にどんな奴が持っていったのか聞いていなかったので、(ぬえ)はてっきり妖怪が持っていったのだとばかり思っていたのだ。
「盗人は妖怪ならず。霊体だ」
彼は幽霊が御神体を持っていったのだと言った。幽霊が物を持てるのと疑問を持ったが、見失うかもしれないので月読(つくよみ)に付いて行くことにした。
「……ん?」
(ぬえ)は彼の後ろに付いて行こうとしたが、見覚えのある服装が茂みに入っていったのを見て足を止めた。いつきはどうしたのかと(ぬえ)に問うが、見間違えかもしれないと思い、何でもないと言ってさっさと行く月読(つくよみ)に走って追いついた。
 月読(つくよみ)は立ち止って正面を見ている。(ぬえ)はその場所を見ると、確かにそこには数体の霊が集まっていた。確かにその手には昔に造られたであろう、彼らに似合わない鏡が抱えられていた。
 月読(つくよみ)はいつきに耳打ちをする。あの鏡だけ何とかならないのか聞いているようだ。
「……分かった」
いつきはどこからともなく赤い鎖を召喚(しょうかん)し、それは鏡に向かってすごい速度で伸びて行き鏡に巻きつくとそれを引いていつきの手の内に鏡があった。驚いた様子で幽霊たちは慌てている。
「面倒事にならざる内に戻るぞ」
そう言って振り返ろうとした時……。月読(つくよみ)は顔を真っ青にして中心にいた幽霊を凝視していた。
十六夜(いざよい)……」
「は?」
急にそう言ったのでその方向に目を向けるが、見た事のない人の魂であろう物が人の形をして浮遊しているだけだった。
 (ぬえ)はこいつどうしたんだろうな、と言っていつきを見やる。だが、いつきも似たような反応をするばかりだった。
「……ぁ……」
声にならない音を喉から出して目を見開き、驚いている。月読(つくよみ)十六夜(いざよい)と言う名前を出したので、自分の姿を見て驚いているのかと思ったがそうでもないようだ。明らかに別の人物に見えているように感じる。
「おいおいおい、お前らどうしたんだよ!何の姿もしてないただの大人だぞ!?」
声は聞こえていないようだ。ただ茫然と、目の前の幽霊を見つめている。
 (ぬえ)は幽霊が何かをしたのかと判断すると、大鎌を召喚(しょうかん)して能力を発動する。(ぬえ)の能力は洞察力が上がるだけではない。対象の弱点も分かるのだ。
「存在してる限り、弱点は絶対あるもんだ……」
目を凝らしてよく見ると、見つけたと言わんばかりに勢いよく駆けだして目の前の霊体を斬り裂いた。予想通り(ぬえ)の攻撃は霊体を斬り裂き、人の形をしていたそれは透明な魂の形に変わった。仲間が倒れたと判断したのか、その周りの霊体が(ぬえ)に襲い掛かった。
「目を合わせなきゃいいんだろ……」
大鎌を(かま)えて先ほどに見た弱点に向かって一閃させようとした、その時。
 ガサガサと周りから無数の妖怪が姿を現した。この騒ぎを聞きつけて先ほどの百鬼夜行がこちらに道を逸らしたのだろう。(ぬえ)はいつの間にか囲まれていた。
「やっば……」
月読(つくよみ)といつきの方を見るが、彼らはもう誰もいない場所を見てまだ何かにおびえている。明らかに先ほどの幽霊が何かをしたのだろう。
 びしょびしょに着物を濡らした女に首のない男。火を(まと)っている鬼のようなモノに頭が牛のモノ。どれも妖怪であるとすぐに分かるほどだった。
 その瞬間、いつきの後ろにいた鋭い目をした女が彼の頭上の木を凍らせてつららをつくり、彼に落とした。(ぬえ)は妖怪に阻まれて守ることができず、成すがままに彼に背中につららが刺さる。痛みを感じていないのか反応せずにそのまま倒れ、動かなくなった。そして一つ目が月読(つくよみ)に体当たりをして倒し、彼も同様に動かなくなる。先ほどの幽霊が彼らにしたことがとんでもない状況に変わってしまった。幽霊たちは一つに集まってぶるぶると震えていた。(ぬえ)は一体一体妖怪を倒していくが、それはきりがなく続いて息が切れ始める。
 途端、視界の端に映ったものに視線を移した。口を大きく開けた妖怪が月読(つくよみ)を食らおうとしているのだ。それは隣にいるいつきにも同様で、舌が長い妖怪が動かない彼の頬をベロリと舐めた。
「くっそおおお!!」
妖怪を斬り裂いて彼らの元に向かおうと試みるが、通らせないように(ぬえ)の前に妖怪が立ちはばかる。
 もう駄目だ、と焦りが増す。その時、
「とまれ、群れを成す(あやかし)達よ」
その言葉に動作をしていた妖怪たちがぴたりと止まり、木の上に視線を移した。(ぬえ)も聞き覚えのあるような声に反応して妖怪達と一緒に木の上を見る。
 黒いローブを羽織って左に流した白い髪。月は出ていないというのに恐ろしいくらいにその瞳は光っている。誰もが臆する雰囲気(ふんいき)を出しながら再び彼は口を開いた。
「命が惜しくばそこから立ち去り、列に戻れ。俺に歯向かう者がいるのなら相手にしてやろう。来るがいい」
ぞくりとしたものが背筋を駆け巡る。恐怖と言うものを神格化したような存在そのものだった。
死神(しにがみ)じゃ、死神(しにがみ)じゃ」
「早う逃げるぞ、魂を取らる」
そそくさと全ての妖怪たちが退避する。ホッとしていると死神(しにがみ)が木の上から地面に降りてきた。
「いやぁ、やっぱお前だったんだなぁ。助かったぜ……お?」
(ぬえ)の横を通り過ぎて震えている魂たちの元に向かう。彼が近づくたびに幽霊たちは逃げようと必死になってもがいている。霊の内の一人が月読(つくよみ)の御神体を取ろうと浮遊するが、死神(しにがみ)は手を前に出すと見えない結界を張った。そのせいで幽霊は鏡に近づくことができずに必死に彼から逃げようとしている。
「もう逃がさないぞ」
透明な大鎌を彼は召喚(しょうかん)すると、全員まとめて斬り裂いた。すると人の形から霊魂になり、どこからか現れた流れている空間に吸い込まれていった。
 死神(しにがみ)は役目は終わったというように大鎌を消すと、元来た道を戻り始めた。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
(ぬえ)は彼に声をかけた。それに反応して死神(しにがみ)(ぬえ)の方に振り返る。
「いつき達が動かねぇんだ! 幽霊になんか変なもの見せられてたみたいなんだが……」
「……弱いものだな。そんなもので動きを封じられるとは、神々も終わったな」
ねぎらいの言葉もなく吐かれた毒舌に(ぬえ)は指摘する。どうやったら戻るのかと聞いた。
「肉体を離れた魂は神々には宿らない。だから、光を気にしない霊魂は相手の一番効く者を見させて心を操り、冥界に引きずり込もうとする。お前は俺の力を持っていたから免れたようだな。時間がたてば戻る。放っておけ」
「よかったぁ……。つか、お前ここで何をしてたんだよ」
一番の疑問を口にする。死神(しにがみ)は見たとおりだと言うと、いつきの近くに転がっている神社の御神体を見つめた。
「冥界に渡らせようとした時、あいつらは姿を消した。あれが原因か……面倒なものに目をつけたな」
それだけ言うと、戻しておけとだけ言って姿を消した。神出鬼没なやつだなぁ、と思いながらいつきたちに近づいた。

 起きた月読(つくよみ)死神(しにがみ)が助けてくれたと伝えると、心底嬉しそうに生きていたのか、と言った。どうやら彼が生きていたことを知らなかったようだ。その後、月読(つくよみ)は気になる事を言い出した。
大禍津日神(おおまがつひのかみ)が暴れし時、高天原(たかまがはら)の神々がなぜだか止めに入りざらなかったから下界に降りようとした。だが、高御産巣日(たかみむすび)が手を出すなと言って俺を結界に閉じ込めた」
天照(あまてらす)と同じだ、と(ぬえ)は呟く。どういう事だと月読(つくよみ)(ぬえ)に問う。
天照(あまてらす)ン所に天之常立(とこたち)が現れて下界に手を出すなって言ったらしいんだ」
なぜ別天津神(ことあまつかみ)たちが下界に手を出すなと言っているのか。他にも言われている神々はいるのかもしれないが、それは分からない。謎のままだった。

遊戯ー木の神と山の神と草の神ー

遊戯ー木の神と山の神と草の神ー

 (ぬえ)は目の前を走る(ぬえ)より少し小さい男に狙いを定めて魔法陣を召喚(しょうかん)し、それを足場にして勢いよく蹴って突進した。だが、それは察知されてたらしくひらりとかわされるとあざ笑うかのように手を振った。地面に墜落した時にずれてしまったベールを直して彼を睨みつけると、立ち上がって砂を払った。
「ちっくしょお……腹立つなぁ」
 
 数時間前の事。久久能智(くくのち)が兄弟たちに会いに行きたいが、自分だけではつまらないと(ぬえ)を誘ったのだ。
紅蓮(ぐれん)じゃダメなのか?」
「塾って所に行くから行けないんだって」
彼は彼で忙しいのだろう。今までよく何かあるたびに都合が付いたものだ。今は冬休みの間なので冬期講習か何かなのだろう。だが、従者になって一緒に戦うようになった数日後に、彼の頬に叩かれたような腫れがあったのは気のせいだろうか。
 動きたくなさそうないつきを無理矢理引っ張り出し、久久能智(くくのち)の開けた空間に入る。その場所はまさしく彼にふさわしいと言わんばかりの場所だった。木々は風を受けて揺れ、どこまでも広がる野原は手入れされているかのように美しい花々で咲き誇っている。遠くに見える山々は青い空とよく合っている。
「すっげぇな。こんな自然私たちの所にはねぇぞ?」
「……綺麗」
いつきと(ぬえ)は口々にそう言った。次々と自然が壊されている現代にこんな場所があったら、おそらくは全て壊されて建物やらが建ってしまうだろう。
 気に入ってくれた事が嬉しいのか、久久能智(くくのち)はフフっと笑ってこっちだよ、と案内した。向かっているのは山が連なっている場所。久久能智(くくのち)の事だから木々が多いところに案内するのかと(ぬえ)は思っていたので、違う方向を向いていたから反対側に向かった彼を追いかけた。
「こっちじゃねぇのか?」
「うん。今日は大山津見(おおやまつみ)の所に行くっていう約束だからね」
大山津見(おおやまつみ)とは山の神である。同じ自然の神様という事で、お互い理解があるほどに仲がいいのだろう。いつきは(ぬえ)に続いて久久能智(くくのち)に問う。
「私が行って……大丈夫なの?」
(ぬえ)が無理矢理連れてきたとはいえ、彼は厄災の神。他の神々にもあまり好かれていないために、自分が行ってしまっては空気を悪くしてしまうと思ったのだろう。久久能智(くくのち)はいつきの方に振り向いて微笑んだ。
大山津見(おおやまつみ)達は大禍津日(おおまがつひ)の事を嫌ってないよ? 僕の事を助けてくれたのにも感謝しているし、彼らは邪神(じゃしん)の脅威を無くしたのは大禍津日(おおまがつひ)だって知っているからね」
いつそれが伝わったのだろうか。邪神(じゃしん)を倒したのは確かにいつきだと言っても過言ではないが、戦場は邪神(じゃしん)の結界の中だった。一柱として邪神(じゃしん)が死んだ瞬間など見ていないはずだ。そう(ぬえ)達が思っていると、それを察知したのか久久能智(くくのち)が説明してくれた。
「僕が言ったんだ」
ああなるほどと納得すると目的地に向かって再び前を向いて歩き出した。
 緩やかな坂道を上ると、まるで神社のような建物が建っていた。横の竹藪の中に手裏剣が刺さっているのが見えた。久久能智(くくのち)は開いている戸に向かって走り出した。
大山津見(おおやまつみ)ー、鹿屋野比売(かやのひめ)ー!!」
兄弟の名を呼んで建物の中に手を振った。
 すると、どたどたと走る音が聞こえて綺麗な着物に身を包んだ少女が姿を現した。
久久能智(くくのち)ー!ひっさしぶりぃー!!」
がばっと抱き着いて久久能智(くくのち)は嬉しそうに背中から地面に倒れた。アハハと二柱は笑い合っていると、次に久久能智(くくのち)よりも大人びた青年、その後ろにすごく大人しそうな男が立っていた。
「おお!久久能智(くくのち)!!元気そうで何よりだな!!」
今もなお久久能智(くくのち)をスリスリしている少女を引きはがして青年は嬉しそうに久久能智(くくのち)に挨拶した。
 久久能智(くくのち)達が再会を喜んでいると、青年のすぐ後ろを歩いていた男が(ぬえ)達に近づいて頭を下げた。
大禍津日神(おおまがつひのかみ)様と従者様。ようこそいらっしゃいました。客間へご案内いたします」
淡々とそれだけ言うと、くるりときびつを返して建物の中に消えていった。それで気が付いたのか、青年と少女はいつきに向かって一目散に駆けだしてそれぞれ手を取った。
「おお!貴方(あなた)様が大禍津日神(おおまがつひのかみ)! お噂は伺っております!何でもあの邪神(じゃしん)を倒したとか!!」
「噂通りにお綺麗な方ですね!! 一体どんな身だしなみの気を付け方をしているんですか!?」
目をキラキラさせて二柱はいつきに詰め寄る。困ったような顔をしていると、(ぬえ)が間に入って二柱を引き離した。
「ちょっと待てよ!いつき戸惑ってんじゃねぇか!!」
すると今度は(ぬえ)の方を向いてずいっと顔を寄せた。
大禍津日(おおまがつひ)の従者! あなたはとても強いと聞きました!死神(しにがみ)様とお関わりがあるとかないとか!是非ともお話を!!」
「いや、その前に!間もないのに戦いに身を投じてご立派ですぞ!!」
久久能智(くくのち)お前、どこまで話してんだよ!!」
「全部ー」

 先ほどの静かそうな男が(ぬえ)達が付いて来ていない事に気が付いて戻ってくると、二柱を抑えて久久能智(くくのち)達を案内した。何もしていないのに感じた疲労感が異常だった。長い廊下を歩いて庭が良く見える一室に通されると、青年と少女は名乗り出した。
「お初にお目にかかりますね。私は大山津見神(おおやまつみのかみ)。山を守る神として、人間たちに伝わっております」
「お初にお目にかかります。わたしは鹿屋野比売(かやのひめ)。草を統べる神として人間に伝わっています」
そう言って同時に二柱は頭を下げた。そして、大山津見(おおやまつみ)は庭で落ち葉を掃いている男に手を向け、軽く名前を紹介する。
「彼は私の従者でね。少々無口なところもあるが、何でもできるいい子だよ。風雅(ふうが)っていうんだ」
確かに廊下で質問攻めをしようとしてくる二柱に対して、何も言わなかった。それどころか頭を下げてきた時から一言も話していない。
 竹箒で地面を掃いている彼を見ていると、鹿屋野比売(かやのひめ)(ぬえ)に身を乗り出してきた。
(ぬえ)さん!死神(しにがみ)様とお知り合いなんですよね!! 彼の好きな物とか好みの女性とか知ってますか!?」
「はぁ?何でだよ急に……」
鹿屋野比売(かやのひめ)が目を輝かせて(ぬえ)にそう聞いた。
鹿屋野比売(かやのひめ)は彼の事が好きなんだよ」
久久能智(くくのち)が笑いながらそう言うと、彼女は恥ずかしいのか顔を赤くしてそれを手で覆い、ゴロゴロと畳を転がった。なるほど、と(ぬえ)は理解したように頷くと、彼女の知っている事を記憶を頼りに順々に話した。
「えーっと……、あいつ好きな物とか嫌いな物の差別はなかった感じだったな。女性の好みは知らねぇ。案外仕事柄魂しか興味がないかもしれね……って何してんだよ!!」
思ったことを口に出しただけで彼女は綺麗な装飾が施された薙刀を喉に刺そうとしていた。
「それは私の思った事で事実じゃねぇよ!!もしかしたらお前が好みかもしれねぇぞ!?」
咄嗟に考えたフォローだったが、意外と聞いたみたいで即座に顔を整え始めた。
 ハハッと笑う大山津見(おおやまつみ)を横目に見ていたいつきは、(ぬえ)が言っていたことを思い出していた。大山津見(おおやまつみ)に声をかけようとしていると、ふすまの前に誰かが座って失礼しますと言って丁寧な手つきでそれを開けた。自然と(ぬえ)といつきの視線がふすまに向かう。
 その瞬間に驚いたような、どこか魂が抜けたような感覚が体を駆け巡った。お茶を入れてくれたのであろうその女は髪の毛は綺麗なものの顔は何とも言えないくらいだった。普通な顔からは到底かけ離れたような顔立ち。普通顔と言われている(ぬえ)よりも下であると言えるだろう。
「おお、石長比売(いわながひめ)。客だと聞いて出かけたかと思ったぞ」
大山津見(おおやまつみ)は嬉しそうに彼女を手招きし、手のひらを彼女に向けて紹介した。
石長比売(いわながひめ)は私の娘でね。私には三人の娘がいるのだが、そのうちの一人なんです! 邇邇芸(ににぎ)許さん」
嬉しそうな表情をしながら紹介し、その後に苦虫を噛み潰したような顔をして恨み言をつづった。石長比売(いわながひめ)は顔を上げ、(ぬえ)といつきに視線を向ける。
石長比売(いわながひめ)です……どうせその顔、あなたたちも私の事醜いって思ってるんでしょ!! よよよっ」
袖で涙をぬぐいながらまるで望まぬ結婚を言い渡された子供のように泣き崩れた。何を言っていいのか分からずに(ぬえ)は口を開こうとするが、彼女の良いフォロー方法が思いつかない。本当のことを言ったらおそらくどこを見ているのか分からない大山津見(おおやまつみ)に殺さねかねない。
 すると、いつきが彼女に向かって言葉を放った。
「……自然界にふさわしいお顔をしていらっしゃいますね」
彼の顔は死んでいた。自然界といっても様々なものが入り混じっている。彼は何を指して言ったのだろうか。それは(ぬえ)には分からない事だった。だが石長比売(いわながひめ)は良い方向に受け取ったのか、顔を輝かせていつきに向き直った。
(わたくし)はそんなにも自然界にふさわしい顔をしているの!? ああ、そんな大胆な事言われたのは初めて!」
ぶりっこをした女子が照れた時にやる仕草を彼女はする。顔を赤くしてテレテレと顔を振っている。もはやいつきの顔には何が映っているのか分からない状態だった。
「おお、娘を気に入ってくれますか!大禍津日(おおまがつひ)……大禍津日神(おおまがつひのかみ)!! 良かったらうちの娘を……」
「私は……独神(ひとりがみ)なので……男ではありません」
(ぬえ)は渾身の力でいつきの方を見た。いつきは平然としている様子だ。確かに彼は男だったはずだ。それは彼自身も証明している。
「まさかこいつ……古事記の文献を逆手に取りやがった……!」
「うーん、そうでしたね。それは致し方がない」
うんうんと頷いている大山津見(おおやまつみ)の近くに、気をよくした石長比売(いわながひめ)がお茶を置いた。鹿屋野比売(かやのひめ)は相変わらず熱心に身なりを整えていた。
 いつきは大体の騒ぎが収まったかと思ったのか、大山津見(おおやまつみ)に質問を投げかけた。
「……聞いても……(かま)わない?」
「なんでしょう? なんなりと」
彼が真剣な表情をしたので大山津見(おおやまつみ)は真剣な表情を返した。それには鹿屋野比売(かやのひめ)も反応して久久能智(くくのち)の隣に座る。
(ぬえ)が……私の従者が言っていた……。高天原(たかまがはら)には天之常立神(あめのとこたちのかみ)が。月読命(つくよみのみこと)の元には……高御産巣日神(たかみむすびのかみ)が……、とある神が暴れていたのにも関わらず……下界に降りる事を……制止したって」
何か知っているようで、三柱の神々は顔を見合わせて目で言葉を交わした。
 暫く何かを話したかと思うと、鹿屋野比売(かやのひめ)は外で何かをやっている従者の風雅(ふうが)を呼んだ。彼は彼女の指示に従って縁側に上がると、浅くお辞儀をした。
「今からわたし達と遊戯をして、勝ったら教えてあげます」
別天津神(ことあまつかみ)の事は誰にも教えるなって言われているんだ」
久久能智(くくのち)鹿屋野比売(かやのひめ)が無邪気な声でそう言った。だが、いつきは首を傾げた。誰にも教えるな、とはどういう事なのだろうか。
貴方(あなた)様達が二柱の提示する遊戯に勝ったら、私共が知っていることを話します。私達は少々、戦いにも投じていないので体がなまってしまうのですよ」
にっこりと笑って大山津見(おおやまつみ)(ぬえ)達に言った。
 だが、条件があると言って久久能智(くくのち)(ぬえ)の裾を引っ張った。
大禍津日(おおまがつひ)の参加は遠慮願いたいな。すぐに終わっちゃうからね」
いつきの力で何とかしてもらおうと思っていたのだが、悟られていたのかダメ出しを喰らってしまった。いつきの方を見ると頑張れ、というような表情をしていた。
「お題はー……そうだね、鬼ごっこにしようか」

 彼らはこの地形に慣れているために中々(ぬえ)に姿を現さない。慎重になりながらできるだけ足音を消し、能力を使って洞察力を向上させる。こんな事の為に使う能力ではないと思うが、久久能智(くくのち)はおそらく能力を使っている可能性が高い。
 彼の能力は意思疎通。生きている者なら誰にでも脳内に直接会話を送ることができる。木の神様だからどこかに隠れて(ぬえ)の動向を伝えているに違いない。
 山の神様だと思って脚が遅いのではと判断し、最初に大山津見(おおやまつみ)を狙った。だが、彼を捕まえようとするとその従者が邪魔をする。竹藪に刺さっていた手裏剣はおそらくは彼のモノだったのだろう。大山津見(おおやまつみ)を捕まえようとすると竹の葉を落とし、(ぬえ)の視界を遮断させて来る。だが、先ほどから彼が狙っているのは枯れかけている葉のみだ。自然の神様の怒りに触れないように主人を守っているのだろう。
 頭の中で作戦を考えているであろう(ぬえ)を見ながら、縁側で座るいつきは淹れてもらった茶を(すす)る。その隣には饅頭をもぐもぐと食べている鹿屋野比売(かやのひめ)がいた。彼女は鬼ごっこに参加しなかったのだ。
「……なぜ、(ぬえ)を遠ざけたの……?」
彼女を見ずに、言葉だけ向けていつきは話す。鹿屋野比売(かやのひめ)は饅頭を喉から通すためにお茶を飲み、(ぬえ)を嘲笑うかのように走り回る大山津見(おおやまつみ)を見ながら語り始めた。
「気付いてたんですか。流石、邪神(じゃしん)をその手で葬ったお方です」
「……戯言は良い。何が理由?」
もったいぶった彼女にぴしゃりと言い放った。彼女はははっと笑うと、湯呑(ゆのみ)を置いて遠くを見つめた。
「最近、天照大神(あまてらすおおかみ)様の宮殿に行ったんです。お友達がそこにいるもので……。わたし達は地上の神。前から約束をして、そこから会いに行くのです。そこで……わたしは見ました」
言いかけたところで口をつぐんだ。先ほどに言っていた、別天津神(ことあまつかみ)のことは誰にも言うな、というのと関係があるのだろうか。
「なぜ……別天津神(ことあまつかみ)の事は言えない……?」
別天津神(ことあまつかみ)について詳しい事は天照大神(あまてらすおおかみ)様までだと言われております。それは、神産巣日(かみむすび)様などお姿を隠されている事が多いからです。事実上、天照(あまてらす)様が最高神となっています。おそらくは……自分たちの存在を完全に隠すためだと。だから、詳しく知るものは他言してはいけないのです。なぜそういう事になったのかは知りません。他言すれば、おそらくは別天津神(ことあまつかみ)の事を周囲の神々に言ってしまう者がでてくる」
「……(ぬえ)は信用……ないんだ……」
それを自分だけに言ってくれるという事は、わざわざ引き離した(ぬえ)は信用できないのだろう。それもそうだと言ってもいい。感情的に動きすぎる元人間なのだから。鹿屋野比売(かやのひめ)はふう、と息を着くと膝をはたいて脚をぱたぱたと揺らした。
「正直そういう印象です。で、話を戻します。わたしが見たものは……、帰りの事でした。見た事もないような……そう、例えるならばこの世のモノとは完全にかけ離れたような、それでいて世界そのものを象徴したような雰囲気(ふんいき)を持つお方でした。そのお方が宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)様と一緒に下界に降り立ったのです」
その後の様子は簡単に言えばこのような感じである。別天津神(ことあまつかみ)四番目の神、宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)が下界に住むすべての神々に、今暴れている神には一切手を出すな、と言ったらしい。その意図は分からないが、その後に後ろにいて神々に姿を見せず隠れていた名も知らない不思議な神と宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)は去っていったという。その時鹿屋野比売(かやのひめ)に気が付いていたのか、不思議な神は美しい微笑みを向けてきたという。敵ではないとその時何となく思った。その後に後押しするように神産巣日(かみむすび)が現れ、高天原(たかまがはら)の神々と下界の神々に手を出すなと再度忠告をしたそうだ。
 その瞬間、(ぬえ)はぜえぜえと息を荒くして大山津見(おおやまつみ)久久能智(くくのち)、従者の風雅(ふうが)を引きずって戻ってきた。捕まえたのが以外だというように鹿屋野比売(かやのひめ)は驚いた表情を見せた。どんなもんだいと言った顔でドヤ顔する。
 だが、いつきは教えてくれてありがとうと鹿屋野比売(かやのひめ)に言うと、(ぬえ)に帰るぞと言った。
「ちょっ! 待てよ!!こいつらに聞くんじゃなかったのかよ!?」
「必要ない……」
それだけ言うといつきは頭を下げて元来た道を引き返した。結界を開ける所に向かうのだろう。(ぬえ)は動揺しながらも彼を追った。
 いつきは少しだけ早歩きになっていた。いつもの事なので足の裏に痛みは感じない。鹿屋野比売(かやのひめ)と話した意図の分からない別天津神(ことあまつかみ)のいつきに手を出すなという脅しまがいの忠告。普段自分たちの存在を認識させないようにしている神々がなぜ、自ら動いているのか。近くに何かが起こるのではないかという予感を残しながら、結界を開いて元の場所へ帰還した。

宥和ー夫婦仲直りー

 高天原(たかまがはら)とは、国津神(くにつかみ)とは違い天津神(あまつかみ)たちが暮らす場所である。その場所は天照大神(あまてらすおおかみ)を中心に回っており、果てしなく広い天界である。
 思金(おもいかね)はため息をついて頭を抱えていた。天照(あまてらす)は上機嫌に歩いていたが、彼がため息をついている事に気が付いて足を止めた。
「どうしたんですの?思金(おもいかね)
いつもならすぐに気が付くはずの彼が、二度目の呼びかけにようやく反応した。思金(おもいかね)天照(あまてらす)の姿を捉えると失礼しました、と丁寧に謝った。
「いえ、ちょっと厄介事を持ってきた神がいたもので……」
再びため息をついて思金(おもいかね)は頭をうなだれた。天照(あまてらす)は何の事なのか興味があって彼に聞きだそうとしたが、それよりも先に天照(あまてらす)達のいる所に一柱の女性の神が全力疾走で走ってきた。
思金(おもいかね)お兄様!!こんな所にいらしたんですか!?(わらわ)の話を聞きもせずぅぅ!!」
ダーン、と大きな音を立てて思金(おもいかね)の横に立つ。天照(あまてらす)の事は見えていないのか、気にせずに思金(おもいかね)の肩をゆする。
忍穂耳(おしほみみ)が悪いですよね!!そうですよね思金(おもいかね)お兄様!」
がくんがくんと彼の首が前後に揺れる。このままでは首が取れてしまうのではないかと疑うほどにだ。
 忍穂耳(おしほみみ)という名前を聞いて反応しない天照(あまてらす)ではない。「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)」とは高天原(たかまがはら)にやってきた須佐之男命(すさのおのみこと)天照大神(あまてらすおおかみ)誓約(うけい)(占い。吉凶や邪心があるかどうか見定めるもの)をした時に産まれた神である。天照(あまてらす)の息子であると言っても過言ではない。だが、彼らは天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめのにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと)という息子を下界に送った後、少し離れた場所で仲良く暮らしていたはずだ。
 天照(あまてらす)は未だに思金(おもいかね)をゆすり続けている女性の肩を叩き、それに反応して彼女は鬼のような形相で天照(あまてらす)の方に女性は振り返った。天照(あまてらす)はその顔を見て一瞬だけ顔をひきつらせた。
 女性はすぐに天照(あまてらす)に気が付くと、ハッと我に返って思金(おもいかね)から手を放して恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「あはは……天照(あまてらす)御姉様じゃないですか。お見苦しいところをお見せしてしまいました……」
舌を出しながら彼女は笑う。その女性はどこかで見た事があると思ったら思金(おもいかね)の妹にして造化の三神の一柱である高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の娘、万幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)だったのである。彼女はまごうことなく天照(あまてらす)の息子の正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)の妻である。
 天照(あまてらす)は気を取り直して咳ばらいをすると、どうしてここにいるのか聞きだす事にした。彼女は天照(あまてらす)の息子である忍穂耳(おしほみみ)と一緒に暮らしていたはずではないか。
秋津師比売(あきつしひめ)貴方(あなた)忍穂耳(おしほみみ)と暮らしていたのではありませんの?」
その言葉を聞いて少し迷ったような顔をしていたのだが、天照(あまてらす)は彼女を見続けていたので切り出す事にしたのか両手を前に組んで口を開いた。
天照(あまてらす)様にはご迷惑をかけたくはないので言いにくいのですが……」
「小生に迷惑とは思わないんですか」
「黙れ」
思金(おもいかね)の指摘に秋津師比売(あきつしひめ)は顔を変えて言った。兄妹仲がいいのか悪いのか分からない状況である。
「えーっと、実は(わらわ)忍穂耳(おしほみみ)と喧嘩をしてしまいまして」
「え?なぜですの!?」
秋津師比売(あきつしひめ)思金(おもいかね)の妹だという事もあってだいぶ落ち着いた性格をしている。それもあって忍穂耳(おしほみみ)は彼女との婚約を決めたのだろうと天照(あまてらす)は考えていた。そんな彼女が喧嘩をしてというのは、いささか信じがたい話である。
「なにがどうしてそうなったんですの?」
「聞いてくれますか!!」
思い出しただけで今にも彼を殺しにかかりそうな顔をした。天照(あまてらす)はどうしようかと慌てたが、彼女自身で平静を取り戻し、話題を逸らさずに少し前の事を語り始めた。
(わらわ)忍穂耳(おしほみみ)に今日は何を食べたいか聞いたんです。忍穂耳(おしほみみ)は何でもよいと言っていました。正直何か言ってほしかったんですけど、仕方がなく近頃貰った野菜を使って総菜を作ったんです。そうしたら……」
ふるふると身を震わせて顔を下に下げた。その後に起こる事を何となく予想した天照(あまてらす)身構(みがま)えて彼女の言葉を待った。
 案の定、秋津師比売(あきつしひめ)は叫びながらその後の事を話し始めたのだった。
忍穂耳(おしほみみ)も、挙句には息子の火明(ほあかり)までもがそれを食べたくないと一口も付けずに残したんですー!!何でもいいって言ったのにぃぃ!!」
頭を抱えてぐるんぐるんと頭の周りを飛び回る鳥のように回した。天照(あまてらす)は大変そうですわね、と他人事にしか考えられなかった。自分の息子が妻に対して冷たい態度をとった事は天照(あまてらす)にとっても叱りたい気持ちなのだが、天照(あまてらす)も似たような事をやった事をあるので何とも言えなかった。
 思金(おもいかね)が目を細めて呆れたように自分の妹を見ている。天照(あまてらす)は何とか彼女を落ち着けることにした。
「えーっと、忍穂耳(おしほみみ)貴方(あなた)の気持ちを考えずに冷たい言葉を放ったという事ですわね。まあ、忍穂耳(おしほみみ)も悪気はなかったと思いますわ」
「悪意があっていったに違いないですきっとそうです!!」
天照(あまてらす)の言葉を遮るように彼女は口をはさんだ。思金(おもいかね)天照(あまてらす)を助けるように秋津師比売(あきつしひめ)の肩を叩いて話しかけた。
「そんなの、共感しあえなければ解決はしません。聞いた限りでは忍穂耳(おしほみみ)が悪いとは思います。ですが、彼も自分が悪いとは思っていない(はず)ですよ。裏を介してしまえば秋津師比売(あきつしひめ)が悪いという事にもなるのです。自分の気持ちもまともに伝えず怒り出し、小生に愚痴を言うのは貴方(あなた)にも非がある事だと思います」
うぐ、と秋津師比売(あきつしひめ)は口をつぐんで何とも言えない表情を作った。思金(おもいかね)の言っている事は正しいともいえる。彼女が急に怒り出したのはその場の感情に任せた事だともいえるだろう。
「で……でも、忍穂耳(おしほみみ)が最初にやったのですから彼が悪いのです!(わらわ)は謝るまで許すつもりはありません!」
「そう思ってしまうのは女性の悪いところです。自分の罪を認めずに一方的に相手を責める事は良くありません。許すつもりはないと言いましたが、そんな気持ちでは本当は謝られても許さないのではないですか?」
天照(あまてらす)さえもその言葉に聞き入っていた。秋津師比売(あきつしひめ)は気持ちが落ち着いてきたのかしゅんとしている。本当に彼の言う通り、残した時に特に気持ちも伝えずに怒り出したのだろう。理由も分からず急に怒れば、自然と相手もイラッと来てしまう事が多い。忍穂耳(おしほみみ)はおそらく訳も分からずに彼女が怒り出したのだから夫婦げんかに発展してしまったのだろう。
「仕方がないですから手がかりを与えます。貴方(あなた)のお子さんにも悪いと思いますからね」
思金(おもいかね)は彼女にも非があると伝えると、知恵の神様らしく、そして優しい口調で秋津師比売(あきつしひめ)に言った。
「まずは謝って自分にも非があったことを伝えてください。忍穂耳(おしほみみ)も心優しい方です。今もなお謝りたいと思っているはずですよ、秋津師比売(あきつしひめ)貴方(あなた)の気持ちを汲み取って彼も自然的に反省を見せて謝るでしょう」
それだけ言うと、できますかと彼は秋津師比売(あきつしひめ)に聞いた。彼女は一層反省の色を見せ、
「分かりました。ありがとうございます、思金(おもいかね)お兄様、天照(あまてらす)様」
先ほどまで般若(はんにゃ)の面のように怒っていた彼女が嘘のようだ。いつもの穏やかな表情に戻って眉をハの字にさせながら頭を下げて天照(あまてらす)達の元を去っていった。あの状態の秋津師比売(あきつしひめ)を謝らせる気にさせるとはさすがの思金(おもいかね)だ。天照(あまてらす)は側近に彼がいてくれてよかったと心から心強さを感じた。
 天照(あまてらす)は縁側に座るとため息をついて自分の弟たちの事を思い出していた。須佐之男(すさのお)のやんちゃに、天照(あまてらす)は居場所のない彼を高天原(たかまがはら)から追放して自分が悪いと岩戸(いわと)に隠れた事もあった。その時は大勢に迷惑をかけてしまったものだ。今回の秋津師比売(あきつしひめ)も、些細な事から大きなことになりかねなかったかもしれない。
 次に月読(つくよみ)だ。月で静かに夜の世界を治めていた彼は、昔はよく天照(あまてらす)の元に遊びに来ていたものだ。だが、普段は落ち着いているものの彼はすぐに怒り出す。そのせいで喧嘩になってずっと姿を見かけなくなり、邪神(じゃしん)との戦いで仲を取り戻したように思ったが彼は一向に自分には会いに来ない。
「はあ……」
天照(あまてらす)はため息をついた。それに思金(おもいかね)は気が付いて天照(あまてらす)にどうしたのかと聞いた。
「いえ、ちょっと月読(つくよみ)の事を考えていて……」
「ああ、ずっと彼は来ませんね。まあ、彼の性格にも困ったものですが」
呆れて様な顔で思金(おもいかね)はそう言った。思金(おもいかね)の知恵を借りれば、自分も月読(つくよみ)と仲直りできるかと一瞬考えた。だが、やめた。彼の性格上再び喧嘩になってしまう事は目に見えている。
思金(おもいかね)、お腹が空きましたわ!甘味を持ってきてくださいまし!」
気を取り直す様に天照(あまてらす)は好物を提案した。
 自分の部屋に駆けだして(ふすま)を閉め、ぺたんと座った。
「あーあ、月読(つくよみ)は一体今どうしてるんですの……?」
須佐之男(すさのお)は結婚して根の堅洲国(かたすくに)(黄泉(よみ)に近い場所。須佐之男命(すさのおのみこと)が統治している)で櫛名田比売(くしなだひめ)と一緒に暮らしているそうだ。だが、従者もいない月読(つくよみ)は一柱で寂しいのではないだろうか。
 すると、失礼するぞと誰かが天照(あまてらす)の部屋に声をかけた。ハッと我に返ってどうぞと促した。声の主はすうっと襖をあけて、天照(あまてらす)に顔を出した。声の主はアサヒとユウヒを親猫が子猫を運ぶような持ち方で持ち上げていた。双子はしょぼんとした顔で反省したような雰囲気(ふんいき)を出していた。
「あら、手力男(たぢからお)。どうしたんですの……?それ」
天照(あまてらす)様……、この二人が走り回るもんで草むしりができないそうです。何とかしてくれやしませんか?」
なんとなく想像してしょうがありませんわね、とため息をついて双子を預かろうと立ち上がった。すると同時、先ほどまで話題の対象になっていた忍穂耳(おしほみみ)天照(あまてらす)の名を呼んで顔を出した。手力男(たぢからお)は自然と彼を優先するように後ろに下がった。
 天照(あまてらす)はまず手力男(たぢからお)を下がらせて双子にそこにいるように指示をした。双子ははーい、と元気な返事をすると黙って廊下に座った。
忍穂耳(おしほみみ)、久しぶりですわね。秋津師比売(あきつしひめ)とは仲直りできましたの?」
彼はやはりその話かーと恥ずかしそうに頭を搔いて笑った。
「ええ、彼女の気持ちがしっかりと伝わったよ。これからは秋津師比売(あきつしひめ)に嫌な思いをさせないようにしたいと思ってる」
「それは良かったですわね。ぜひともそうしてくださいまし」
自分の息子が成長していくのが自分でもうれしいと感じていた。
「でー、実は礼もそうなんだけど、俺、実は高天原(たかまがはら)に来ていた月読(つくよみ)様に相談していたんだよね」
「え?月読(つくよみ)に?」
天照(あまてらす)は驚きを隠せなかった。忍穂耳(おしほみみ)は今何と言っていたのだろうか。聞き間違いがなければ月読(つくよみ)高天原(たかまがはら)に来ていた、と言っていた気がするのだが。
「うん、月読(つくよみ)様に相談したらお前が悪い、そして謝れと言われちゃって……相変わらず厳しいお人だよなぁ」
天照(あまてらす)はその後の忍穂耳(おしほみみ)の話をあまり聞き取れていなかった。天照(あまてらす)に会わなくとも、彼は普通に高天原(たかまがはら)に遊びに来ていたのだ。自分に会わないという事はやはり、まだ彼も天照(あまてらす)と仲直りしていないという認識なのだろうか。だが、厳密には邪神(じゃしん)との戦いで神産巣日(かみむすび)に招集をかけられた時、そしてその後に仲は戻ったはずだ。
「はっ……もしや!! 女!?」
天照(あまてらす)はそのまま話し続けている忍穂耳(おしほみみ)の言葉を聞かずに考え込んでいたため、急に変な単語を出して忍穂耳(おしほみみ)は、はあ?と声を上げた。
「なんで弟たちや皆してどんどんと結婚していくんですのぉぉぉ!? お姉ちゃん許しませんわぁぁぁ!!」
「独身、だね」
「独身、だよ」
「だまらっしゃい!!」
双子は面白そうに言うと、天照(あまてらす)は頭を抱えながらぐるんぐるんと回していた。
月読(つくよみ)様が女を……? 確かただ母上をからかいに来たって言ってたような……」
忍穂耳(おしほみみ)月読(つくよみ)が来ていた理由を思い出していた。

 (ぬえ)は急に外が明るくなって不思議に思い、カーテンを開けた。窓を開けて外を見る。
「なあ、いつき。今日の太陽なんかでかくねぇか?」
「……知らない」

◆高御産巣日神の章

 

 生命ー植物だってー

 生命ー植物だってー

ちょっとした物を買ってその帰り、(ぬえ)はいつもの場所に咲いていた椿(つばき)の花が枯れていることに気がついた。椿(つばき)の花は冬に咲く。それを由来として名前をつける人も少なくはないだろう。
 近づいて落ちた椿(つばき)の花を手で持つ。潰れないように気を配りながらそれを袋に入れて持ち帰ることにした。まだ枯れる時期でもないだろうに、葉が茶色くなってきている椿の木から離れてしまうのは可哀想だなと思ったからだ。ほう、と息を吐くと白く息が見えた。冬にしか見ることができないその光景を楽しみながら(ぬえ)は帰路に着く。
 いつきはいつもの通り本を読んでいる。新しく読み始めた一冊は、すでに半分を切っていた。とさりと袋を置いて先程に拾った花を取り出す。変わらないその様子に、(ぬえ)は少し微笑んだ。
「……椿(つばき)?」
急にすぐ近くで声を掛けられて驚き、一瞬花を落としそうになった。
「んだよ……急に近くに来んなし」
安堵の息を漏らすと器になりそうなコップを探した。何もしないとすぐに枯れてしまうと思ったのだ。水の上に浮かせておけば少しは()つだろうと考えたのだ。
 台所の食器棚に向かおうとすると、いつきは椿(つばき)の花をふわりと両手で包みそれを見つめた。そして(ぬえ)に向かって声をかける。
「枯れて欲しく……ないの?」
ちょうど良さそうな器を見つけてそれを手に取ったとき彼がそう言ったので近付きながら頷いた。
いつきはそう……。と一言言うと花を机に置いて手をかざした。彼の手の平に冷気が集中し、数秒すると椿(つばき)の花は四角い氷の中に入った。少し驚いたが透明な氷の中心に咲いたばかりに見える花が飾られて綺麗な置物のようだ。
「器用だなお前。つか溶けねぇの?」
「攻撃の意思は無いから……高熱の炎を直接当てない限り溶けない……」
つまり通常の火や熱では溶けないということだろう。(ぬえ)は食卓の真ん中にその花の置物を置いた。
 室内用の葉に水をあげようと立ち上がり、ペットボトルに水を注いで二階に向かうと危うく落としそうになった。
 葉っぱが枯れているのだ。起きた時には数年も同じ位に緑だったが今は水分が無くなって枯れ木になっている。慌てて走り、見つめても土は少し乾いている程度なだけで特に変わった所はない。
「どうなってんだ……?」
急な寒さで枯れたというのもおかしいだろう。枯れた時間はおそらく(ぬえ)が起きてからここに来るまでの四時間の間である。
 仕方がないと思って植木鉢を抱え、一旦外に出そうかと思って階段を下り始めた。ドタドタと走っていた事に疑問を感じていたいつきが階段の下に待機していた。
「ちょっと退いてくんね?これ外に出すからさ」
「どうして……枯れているの……?」
彼も(ぬえ)の隣の部屋で睡眠を取っている。だから嫌でもこの植物は目に入るのだ。起きた時はなんとも無かった植物が時間足らずで枯れた事に疑問を持ったのだろう。
「分かんねぇ。まあ少しは茶色くなってたかもしれねぇが……ここまで急に枯れるものかのかねぇ」
(ぬえ)自身が思っていた疑問を彼に言う。それはいつきも同様なようで、首を傾げていた。
 仕方がないが外に出し、後で埋めておこうと思っていた時、見覚えのある姿に目を向けた。最近ずっと曇っている空の下、何かを考え込むような顔をして歩く木の神の姿。
「おーい、久久能智(くくのち)ー」
最近会ったのは彼の兄弟に会いに行った時だ。だからそんなに時間も経っていない。
 彼は(ぬえ)といつきに気が付くと、にっこりと笑って手を振った。だがその後いつもならすぐに話しかけてくるような神様が、何も言わずまた表情を戻して過ぎ去ってゆく。
「どうしたんだろうな」
「……」
言い方は悪いかもしれないが彼が真剣に考え込む事はあまり無いと言い切れる。
 疑問を感じていたが神々の考え事に一々反応していたらきりが無いだろう。その時点では気にしない事にしておいた。

 翌日、(ぬえ)はいつもの如く遅くまで起き、そして日が昇る頃にもまだ夢の中だった。
 途端、爆音のような音が聞こえて跳ね起きると、何事かと辺りを見回した。布団から出ていつきを探す。彼は屋根の上に登っており、煙が上がっている方を見つめていた。音に人々は反応して外に出たり窓から遠くの煙を見つめたりしている。
「何だよ、テロでもあったのか?」
「……どうだろう。人間の作る爆破物で……ここまでの距離で騒音が聞こえる?」
言われてみればと思って従装(じゅうそう)(まと)う。従者が暴れているのか神々が争っているのかのどちらかだろう。黒い靄が漂っているがそんなモノは気にしていられない。
 気付かれないように、出来るだけ隣の屋根を飛び越えながら爆音の元に向かう。近づくに連れて煙の臭いがひどくなり腕で鼻を覆う。
 (ぬえ)達が着く頃には煙はほとんど消えており、後は地を漂っているだけだった。騒動を聞きつけて人だかりやパトカーなどが停まっており、迂闊に近づく事が叶わない。(ぬえ)は誰もいない所に足を着け、いつきはそこで待機している事にした。流石に上からでは煙の中が見えないからだ。
 人の隙間を通って煙の中を凝視する。良く見るとその中心に誰かが倒れている事が見て取れた。
「あれは!? ……っ!いつき!!」
人の並を押し退けながら彼の元に戻る。(ぬえ)の意思を読み取るようにいつきは素早く煙の中に飛び込むと、人間に見えないように結界を開いて倒れている人を抱き上げ、結界に飛び込んだ。その間に(ぬえ)は誰もいない場所に入り込み、着いた頃にいつきが人を抱えて結界から出てきた。
 いつきは抱えていた人を静かに降ろした。(ぬえ)は名を呼んだ。
風雅(ふうが)!おい、風雅(ふうが)!!」
それは紛れもなく知っている従者だった。大山津見(おおやまつみ)の従者の、無口な男。火傷が痛々しいほどに彼の皮膚に残っている。従装(じゅうそう)は乱れて無数に引き裂かれたような跡が残っていた。
 戦闘していた後のようなその姿に疑問を抱いていると、彼の瞼が少し揺れた。
「! 風雅(ふうが)!!」
(ぬえ)は必死に彼の名を呼ぶ。味方というわけではないが、彼は久久能智(くくのち)の兄弟である大山津見(おおやまつみ)の従者だ。仲間も同然である。彼は薄く目を開くと震える声で(ぬえ)に向かって言葉を放った。
「……兄さん?」
「え?」
彼は言った後に人間違えだと判断して一瞬目を伏せた。だが、傷口が痛むのか苦しそうに呻き始めた。いつきは神器を召喚(しょうかん)すると(ぬえ)に床に寝かせるように声をかける。そのままいつきは治癒魔法を彼にかけた。彼の表情が穏やかな物へと変わってゆく。
「おい、何があったんだよ……」
(ぬえ)風雅(ふうが)にそう聞いた。だいぶ楽になったのか、彼は(ぬえ)を見ると口を開いた。
「百鬼夜行が……草原を荒らしていて……」
「荒らしてた?」
途切れ途切れに話し続ける彼の言葉を要約すると、鹿屋野比売(かやのひめ)がどこかの野が荒らされていると気が付いて彼はそこの小川に向かったそうだ。すると、たくさんの妖怪たちが暴れていたという。花々をむしり葉を燃やし、挙句には酸まで撒いていたそうだ。
「……なんて……事を……!」
いつきは妖怪が嫌いなために、更に敵対心を露わにした。(ぬえ)はどうしてそんな事をしたのかと考えていると、先ほどに彼が間違えた事に疑問を感じた。
「なあ、さっき私の事誰かと間違えてたみてぇだけど、誰の事だったんだ?」
いつきの治癒が大体終わったのか、彼は魔法を使うのをやめた。だが、風雅(ふうが)(ぬえ)の質問に彼は答えようとはしなかった。嫌な事でもあったのだろうといつきはこれ以上聞きだすのを止めるように(ぬえ)に言った。
 すると突如結界が開き、大山津見(おおやまつみ)が姿を現した。自分の従者に気が付くと駆け寄って抱き起した。
風雅(ふうが)、大丈夫かい!?」
彼は大丈夫だと意思表示するように首を縦に振った。それに安堵したのか息を吐いて(ぬえ)達にお礼を言った。
「怪我を治療してくれたんですか。使える者の少ない治癒魔法をかけてくださるとは……、大禍津日神(おおまがつひのかみ)様はやはりお優しいお方なのですね。他の神々が嫌う理由が分かりませんよ」
ふっと微笑んで真剣な表情に大山津見(おおやまつみ)は変わる。
「……あなた様方だからこそ、お話ししなくてはならない事があります。どうか、私の家まで来てくれはしないでしょうか」

 あの時と同じ客間に通されて石長比売(いわながひめ)がお茶を持ってきた。少し遅れて真剣な表情をしながら(ぬえ)の家の前を通った久久能智(くくのち)と、風雅(ふうが)の様子を心配している鹿屋野比売(かやのひめ)が走ってきた。
「遅れてごめんね、大山津見(おおやまつみ)
久久能智(くくのち)はその手に小さな苗木を持っていた。だが、その苗木は今にも枯れそうなほどに弱っている。
 その時、久久能智(くくのち)の後ろから見知った顔が顔を見せた。(ぬえ)は少し腰を浮かせて彼の名を呼んだ。
白夜(びゃくや)!」
(ぬえ)の声に気が付いたのか、紅蓮(ぐれん)は声のした方向に顔を向けて(ぬえ)に手を振った。心なしか元気がないようにも見える。
「おお、久久能智(くくのち)の従者じゃないか!これは心強いな!!」
大山津見(おおやまつみ)は手を叩いて嬉しそうな表情をして見せた。
 全員が座ると、自然の神三柱(みつはしら)は弱っている苗木を見て悲しそうな顔をした。
「話さなくてはいけない事って……何?」
先にいつきが口を開いた。久久能智(くくのち)は苗木を二人と一柱に見せた。
「見て、この子供はね……昨日発芽したばかりなんだよ」
「昨日?いくら水分がなくとも一日でこうはならないと思いますよ……?」
紅蓮(ぐれん)は不思議に思ったのか久久能智(くくのち)に言った。鹿屋野比売(かやのひめ)は頷いて、どこからともなく両手で花を出した。その花も枯れかけている。
「わたしのお庭に暮らしていた子なの。でも……」
今にも泣きそうな顔をして彼女は顔を伏せた。
「自然のモノが枯れてきてるって事か? あ、そういや家の植物も帰ってきたら急に枯れてたな」
「そうなのです。大禍津日神(おおまがつひのかみ)様の従者」
大山津見(おおやまつみ)はお茶を啜って一息ついた。コトンと湯呑を置く音が聞こえると、大山津見(おおやまつみ)は真剣な顔をして真っすぐと(ぬえ)達を見つめる。
「一昨日から急に、植物の命が次々と亡くなっていってしまっているのです。原因を調べる為に風雅(ふうが)を下界に向かわせました。そうしたら……あの状態です」
「え?下界? ここって高天原(たかまがはら)だったのかよ……」
今さらな事を(ぬえ)は口にした。(ぬえ)のその様子に少し安心したのか、鹿屋野比売(かやのひめ)はくすっと笑ってそうです、と言った。
 大山津見(おおやまつみ)は立ち上がって庭を見た。竹藪(たけやぶ)に覆われたこの場所は一見、何もないように見える。高天原(たかまがはら)の植物は大丈夫という事なのだろうか。
風雅(ふうが)が言うには妖怪たちが自然を荒らしていたと言っていました」
すると大山津見(おおやまつみ)は姿勢を低くし、その隣に久久能智(くくのち)鹿屋野比売(かやのひめ)が座った。正座になったかと思うと頭を下げた。
「お願いいたします!私たちにお力をお貸しください!!」
従者よりも位がはるかに上の神様という存在に頭を下げられるという事は人生で一度もない経験だろう。今までの流れで何となくは察していたが、まさか頭を下げられるとは思っていなかった。
「わたし達自然の神は、戦闘用ではありません。百鬼夜行が相手となると、下手をすれば……」
その先は言いたくないのか鹿屋野比売(かやのひめ)は声を伏せた。言われなくても、戦闘が得意ではない者が大群に襲われたら確実に命を落とすだろう。
紅闇崎(こうあんざき)、俺からもお願いする。久久能智(くくのち)様の従者である以上、全力で戦いたい。でも、俺はやっぱり策略しか向いていないからさ」
はははと申し訳なさそうに紅蓮(ぐれん)は笑った。
「本来なら風雅(ふうが)にも協力をしてもらいたいのですが……生憎(あいにく)あの状態です」
「わたしの従者が生きていたら……」
大山津見(おおやまつみ)が言った後、鹿屋野比売(かやのひめ)が悲しそうな顔をしてそう言った。
鹿屋野比売(かやのひめ)の……従者?」
いつきは疑問を口にした。(ぬえ)もそれは同じだった。鹿屋野比売(かやのひめ)は悲しい思い出を掘り起こす様に顔を伏せ、そして天を仰いで話し始めた。
風雅(ふうが)の兄です。わたしの従者は風雅(ふうが)の兄であり、そしてわたしの従者でした」
「……兄さんて言ってたのはその事かよ」
 場の空気が重くなって、(ぬえ)は空気を変えようとして口を開く。
「よし、任せとけ!お前らの頼み、聞いてやるよ! 妖怪どもをぶっ飛ばせばいいんだろ?」
「!協力してくれますか!! ありがとうございます!!」
大山津見(おおやまつみ)達の表情が明るくなった。紅蓮(ぐれん)(ぬえ)に微笑み、久久能智(くくのち)鹿屋野比売(かやのひめ)はハイタッチをした。
「良いだろ?いつき」
「……(ぬえ)がそうしたいのなら、(かま)わない……」
彼の了承が得られれば、これほどに気合いを入れようと思うことはない。
 (ぬえ)は早速どこを探せばいいのかと大山津見(おおやまつみ)に聞いた。彼女のやる気に大山津見(おおやまつみ)も元気を取り戻したように、笑顔で言った。
「まずは生命(いのち)の連鎖が絶たれてしまった場所で、手掛かりを見つけるのが良いと思います!」
その言葉に紅蓮(ぐれん)も賛同する。大山津見(おおやまつみ)鹿屋野比売(かやのひめ)は妖怪たちの目的を怪我しない程度に調べると言ってくれた。目的が分かれば阻止もしやすい。
 久久能智(くくのち)は付いてきて、と言ってそのまま庭に出て玄関に向かう。その事を分かっていたかのように、紅蓮(ぐれん)は自然な仕草で彼を追う。(ぬえ)といつきも二柱に頭を下げてから久久能智(くくのち)の後を追った。
 歩いている間、(ぬえ)は疑問を口にした。
「お前木の神様だろ?自然を復活させたりできねぇのか?」
久久能智(くくのち)は振り返って眉をハの字にする。そして、立ち止まると話し始めた。
「……君は本当に従者なの? いい?僕たち神々は司っているだけだよ。人間たちはみんなそうだけど、何でも願いを叶えられると思ったら大間違い。僕たちは存在しているモノの心臓と同じで、世界に必要な『モノ』を存在させ続けるために居るんだ」
そのまで言うと、再び歩き始めた。
「つまり、生み出す事は出来ない。生み出すのは世界そのもので自然の摂理なんだよ。だから、もしも知識を司る思金(おもいかね)様が消えたら知識なんてものはなくなるし、お父さんやお母さんがいなければ島々は存在しないのと同義。そして僕は木の神で存在を司り、そして死んだら木というモノは世界から消える。そういう事だよ」
そしてボソッと呟いた。
「……人間って自分たちの良いように僕たちの存在を改変して信じないんだからそこが嫌い」
最後の方はあまりよく聞こえなかったが、自分達を別の認識で誤解して、馬鹿にしたような言い方をする人間を好かないらしい。(ぬえ)も神を信じるようになってから、神々を小馬鹿にする人間は好きではない。主を馬鹿にする人間がいたら即座に首を落としてもいいのだが。
 そんな事を考えているうちに、この前と同じ帰る時に通った場所に着いた。久久能智(くくのち)は本当に協力してくれるのかと再確認をし、紅蓮(ぐれん)はもちろん(ぬえ)といつきは賛同した。
 それを見て微笑んだ久久能智(くくのち)は、結界を開いてその中に飛び込んだ。中をよく見ると、すっかり荒れ果てた森の入り口だった。

 宴会ー宴に紛れてー

 宴会ー宴に紛れてー

 荒れ果てた森には落ち葉さえも落ちていない。焦げているところを見ると、燃やされたのだと一瞬で理解できる。
 いつきは木に触れてそっと(さす)った。焦げてしまった木の欠片がパラパラと地面に落ちて形を無くした。
「なんて事だよ……」
人間がやったとは到底思えない。人間がやったのなら、燃やさずに切り倒して資源にする。ここがどこだかは知らないが。
「これも妖怪のせいなんですか?」
紅蓮(ぐれん)久久能智(くくのち)にそう聞いた。彼は頷いてどこからともなく苗木を出すと、それを地面に植えた。すると驚いた事にそれはするすると芽を生やし、小さな木に変わった。
「十年もすれば、ここは戻るだろうね。まだ新しかったのに……」
涙ぐんで彼は言った。(ぬえ)(さと)されたように、彼は木の神であっても司るだけで元に戻す等はできない。何も出来ない無力さを嘆くのは(ぬえ)紅蓮(ぐれん)も同じだった。
 すると、いつきがくんくんと鼻を鳴らして(ぬえ)の方を振り返った。
「妖怪の……臭い……」
大山津見(おおやまつみ)が言っていた、相手が妖怪だということを思い出す。この場所に痕跡はあるのかは疑わしかったが、臭いは残っているらしい。
「いつき、その臭い辿れねぇか?」
「……私は……犬じゃない……」
冗談のつもりで言ったのだが、彼は起こったような表情を見せた。悪い悪いと謝っていると、紅蓮(ぐれん)は地面を見つめてしゃがみこんだ。
「いつき様」
しゃがみながら振り返っていつきに聞いた。なに、と反応した瞬間に再び視線を元の場所に戻し、口を開いた。
「妖怪って、確か列を成して歩く事もあるんですよね?」
「……ある」
彼の質問の意味深さに、久久能智(くくのち)は何かを見つけたのかと紅蓮(ぐれん)に聞いた。彼は落ちている焦げてしまった小枝を指差して答えた。
「見てください、踏まれた様な痕跡があります。それも広範囲に……。木々を燃やすと自然と枝が落ちます。おそらく他にもあると思うので、それを辿りましょう」
「よく見つけたなぁ、白夜(びゃくや)
(ぬえ)は関心の声を漏らしてうんうんと頷いた。
 久久能智(くくのち)は一刻も早く進みたいのか、今まで以上に早足で歩き始めた。紅蓮(ぐれん)もあわててそれに続いて歩き始める。(ぬえ)はいつきに耳打ちした。
「なあ、妖怪ってこんな広範囲で暴れられるものなのか?」
「……小物には……無理だろう……。何か関わっているかもしれない……。別天津神(ことあまつかみ)の事もある……気を付けた方がいい……」
(ぬえ)は頷いて久久能智(くくのち)を追う。いつきはその後に上を向いて木を眺めた。
「……」

 久久能智(くくのち)は枝を見ながら真っすぐと道を進む。(ぬえ)は何かが気になってちらちらと後ろを振り返っていた。
「……どうしたの……?(ぬえ)……」
いつきは(ぬえ)の挙動不審な行動に疑問を感じてそう問いかけた。(ぬえ)はそれに気が付いていつきを向いた。彼の質問に気が付いて紅蓮(ぐれん)久久能智(くくのち)も振り返った。
「いやー……、何かに後をつけられてる気がしてよ」
「気のせいじゃない?」
久久能智(くくのち)がそれに対して答えを返す。確かに、いつきが気が付かないという事は、(ぬえ)の勘違いなのかもしれない。鳥の視線を誰かの視線と勘違いした、という結果も予想できる。
「んー……。腑に落ちねぇな……」
だが、振り返っても誰もおらず焦げてしまった木々にいるという事は無いだろう。(ぬえ)は何となく心に引っかかりながらも久久能智(くくのち)を追いかけて再び歩き出した。
 だが、しばらく歩くとそのまま森を出てしまった。遠くに村が見える。
「あれ?ここで終わってるね」
久久能智(くくのち)はしゃがんで折れた木の枝を見た。これ以上の痕跡はどうにもならないと判断し、久久能智(くくのち)はため息をついた。
 妖怪に詳しいのは今はいつきしかいない。だが、彼もすごく詳しいというわけではなかった。紅蓮(ぐれん)も、知っているのは人間が書いた書物の事だけだろう。
「もう一度引き返しますか?」
「ううん、今日はここまでにしよう? しばらく歩いたからこのままじゃ日が暮れちゃうし」
彼に言われて気が付いた。もう既に日が暮れかけており、木々の間からオレンジ色の光が漏れている。
 (ぬえ)たちは久久能智(くくのち)の言う通りにその場を後にした。帰る間、その他の場所を注意深く見ていたのだが手掛かりらしきものは見当たらない。
「妖怪の気配を辿れるやつとかいねぇの?そういやこの前月読(つくよみ)といた時百鬼夜行と遭遇したっけな」
そう言った(ぬえ)に対して、紅蓮(ぐれん)は運悪いな、と呟いた。久久能智(くくのち)が振り返って(ぬえ)に問う。
「……百鬼夜行に遭遇したの?」
「ん?ああ」
すると久久能智(くくのち)は立ち止まって手を顎に当て、考え込む仕草をした。
「百鬼夜行……。ここら辺にいたって事は、やっぱり妖怪が何かしたのかな……」
どれだけ考えても答えは出てこないと判断し、そのまま帰宅する事にした。

 (ぬえ)は帰宅したあと、思いついた事があっていつきに聞いた。
「なあ、高天原(たかまがはら)に行けねぇか?」
「……どうして?」
驚いた様子でいつきは(ぬえ)に聞き返す。(ぬえ)は立ち上がって数歩歩き、思い出した事を彼に告げた。
「前に高天原(たかまがはら)に行って鳳凰院(ほうおういん)と戦った時、妖力を感じて駆け付けたって言ってたんだ、あの双子。何か手掛かりになるかもしれねぇ」
いつきはそれを黙って聞いた後、少し考えてから首を振って(ぬえ)に告げた。
「私達は……敵視されている。無謀に行くのはあまり良くない……」
だよなぁ、と(ぬえ)は再び座り込んでごろんと寝転がった。
 いつきはそんな(ぬえ)を見ながら、正面に向き直って呟いた。
「確かに……それは悪くはない……。捜索なら数が多い方がいい……」
その後に、いつきは考えを(ぬえ)に提案した。

 「僕の能力?」
翌日に(ぬえ)久久能智(くくのち)を訪ねた。その隣には勿論紅蓮(ぐれん)がいる。
「そうだ、お前の能力ってテレパシーみたいなものだろ?それで天照(あまてらす)の従者二人を呼んでほしいんだ」
(かま)わないけど……それで何かが解決するの?」
不思議そうに彼は訪ねた。彼の言う通り呼び出す事で解決するという事は無い。妖怪の事に詳しそうなので頼りになるかもしれないと思っただけである。
「……不可能?」
「ううん、そういうわけじゃないよ。やってみるね」
少し不安を持ちながらも、久久能智(くくのち)は風を(まと)って天を仰いだ。
 木々がざわざわと揺れ、脈動が伝わるように(ぬえ)達に木々からすり抜けた風が頬をかする。久久能智(くくのち)から見るだけで癒されるであろう位の優しい光が漏れだした。
 その数秒後、久久能智(くくのち)から光は消えて木々も落ち着きを取り戻し、終わったよと彼は言った。双子が承諾するかはわからないが、来てくれることを信じるしかないだろう。
 その瞬間、結界が開かれて鹿屋野比売(かやのひめ)が姿を現した。着地に失敗したのかこけそうになったが、いつきが支えて転ぶ事は無かった。お礼を言って体制を立て直すと、慌てた様子で久久能智(くくのち)に告げた。
久久能智(くくのち)!見つけたの、見つけたの!!」
「何を?どこで?」
落ち着かせる事無く久久能智(くくのち)は質問を投げかけた。紅蓮(ぐれん)は今も慌て続ける鹿屋野比売(かやのひめ)に落ち着くように言いつつ冷静に話す様に促した。
 何とか一呼吸置くことができた鹿屋野比売(かやのひめ)はふう、と息を吐くと手を前に組んで少し気持ちが抜け切れてはいないができるだけ落ち着いた様子で話し始めた。
「えっと、今日新たな種を植えるために今は(さび)れてしまった祠の近くを通ったんです。そしたら……、無数の妖怪が鳥居を出入りしていたんです!」
最後の方になると再び慌てだしたように声を荒げたが、何となく伝えようとしていた事は分かったのでそれを聞き終わるといつきと(ぬえ)は顔を見合わせた。紅蓮(ぐれん)は首をかしげてそう聞き返した。
「祠、ですか?」
「はい……。しかも、何か変なふよふよした塊を持っていたんです!!何か企んでいるに違いありません!!」
久久能智(くくのち)の襟をつかんでぶんぶん揺すりながら紅蓮(ぐれん)に質問に応えつつ、見た物を告げた。
 植物が次々と枯れてゆく現象に関わりがあるのかもしれないとなると、放っておくわけにはいかないだろう。協力をすると言ったのは自分たちなのだから。
「そこに行くのが手っ取り早いんだろうけどなぁ……」
「罠の可能性も……否定できない……」
(ぬえ)といつきが考えている事は同じだった。他に何も見ていないのかと紅蓮(ぐれん)は聞くと、鹿屋野比売(かやのひめ)は思い出す様に頭を抱え、何かを思い出してぽんと手を打った。
「そういえば、お酒やら木の実やら持っていましたね」
何のために、と(ぬえ)は聞いたが知らないと彼女は首を振った。それはそうであると少し申し訳なくなった。
「酒か……。祭事、祝い、宴会……」
関わる事を一つずつ上げていく紅蓮(ぐれん)だったが、どれも可能性があるのでどれだというのははっきりとわからない。鹿屋野比売(かやのひめ)は行ってみる価値はあるのではないかと提案する。
「確かに、このまま何の手がかりも得られずに自然を壊させるわけにはいかないよね」
紅蓮(ぐれん)も考えは同じなようで、久久能智(くくのち)と一緒にその場所に向かう事にした。
「君達はどうするの?」
「あー……。折角見つけた手がかりだから私らも行くよ」
腕を頭の後ろで組んでいつきを見ながらそう言った。彼は、(ぬえ)の決定なら否定しないと言ってくれたため、鹿屋野比売(かやのひめ)は早速案内すると言って張り切っていた。
 歩くのには慣れていたように感じていたのだが、途端に疲れが現れて(ぬえ)は立ち止った。それに気が付いていつきは振り返って心配そうに(ぬえ)を見た。そして紅蓮(ぐれん)(ぬえ)を見る。
「どうしたの……?」
「なんか……つか……れた……」
息を荒げながら膝を抑えて呼吸をする。鹿屋野比売(かやのひめ)久久能智(くくのち)は不思議そうに顔を見合わせ、休憩するかと聞いてきたのだが、(ぬえ)はそれを否定した。一刻を争う状況なので自分の為に立ち止まるのはいくらなんでも心が痛むというものだ。
「……もしかしたら、死神(しにがみ)の力の影響かもしれないな……」
いつきはふと思った事を口にした。(ぬえ)よりも先に紅蓮(ぐれん)が興味を示して詳しく教えてほしいといつきに聞いた。(ぬえ)も気になる様子で息を荒げながらいつきを見た。
「勘だけれど……、死神(しにがみ)は命全ての死を司っている……。植物の命を失わせ続けている……妖怪たちが近いから……、半端な(ぬえ)では負荷になっているのかもしれない……」
「もう少しマシな言い方は無かったんかい。何だよ半端者って……」
「力がある限り影響するのか……」
紅蓮(ぐれん)は手を握ったり開いたりしてみたが、彼は特に変わっている所はないようだ。
 その時、紅蓮(ぐれん)は何かに気が付いたのか後ろを振り返った。そして何かが刺さったかのように心臓のある部分を抑えた。。
「った!」
「おいどうした?」
一瞬の痛みだったのか、紅蓮(ぐれん)は何ともなさそうに平然とした顔に戻ると、急に痛くなったと(ぬえ)にありのままを告げた。
「疲れかなぁ?」
久久能智(くくのち)は背伸びをして紅蓮(ぐれん)の顔色を見ていたが、特に何もなかったので大丈夫だよと言ってその場を離れ、少し遠くに行ってしまった鹿屋野比売(かやのひめ)を追いかけた。(ぬえ)はもうひと踏ん張りだなと心を切り替えて歩き出した。いつきは鎖の音を鳴らしながら(ぬえ)の隣を歩いて久久能智(くくのち)達の後を追う。
 紅蓮(ぐれん)は再び痛みが走った部分に手を当ててみたが、特に何も変わった様子はなく再び痛みが襲う事もなかった。
「さっき気配があったと思うんだけどな……」
再び振り返ってみたが鳥の影すらなく気のせいだと思うしかなかった。不思議になりながらも(ぬえ)達の背中を見失わないように正面を向いて歩き始めると、前にばかり集中して後ろの木の上に座っている者に気付かず、付けられている事にすら誰も気が付かなかった。
 そのまま鹿屋野比売(かやのひめ)に付いて行って歩いてゆくと、古びた岩が見えてきて今にも崩れ落ちそうな鳥居が見えた。規模からして神社ではなくお狐様を祀っていた祠なのだろう。
「ここです……」
「妖怪臭い……」
鹿屋野比売(かやのひめ)が到着したことを告げ、いつきは袖で鼻を抑えて臭いを嫌がっていた。(ぬえ)紅蓮(ぐれん)はその臭いを感じる事は無かったが、久久能智(くくのち)鹿屋野比売(かやのひめ)も不快そうな表情を浮かべていた。
 ゆっくりと岩に近づくと、そこから小さな影が飛び出した。
「「ばあっ」」
「うわあああああ!!」
いつきは静かに驚いてその他は声を上げて驚いた。岩の陰からひょっこりと顔を出したのは久久能智(くくのち)とよりも一回り小さい二人の子供。薄い青色の髪の色がよく目立つその容姿は、(ぬえ)が知っている顔だった。
「アサヒ、ユウヒ!」
紅蓮(ぐれん)は双子の名前を呼ぶと、岩の陰から手を繋いで双子は(ぬえ)達の前に出てきた。
「待ってた、だね」
「遅い、だよ」
そう言えばと(ぬえ)は思い出した。久久能智(くくのち)に頼んで協力を要請していたのだった。
「……よく、ここだって分かったな……」
いつきは双子にそう聞くと、双子は彼を見てにこりと笑った。
「妖怪が集まって、だね」
「いたからここだって、だよ」
「「思ったんだ、だね(だよ)」」
妖怪の気配を察知できる二人だからこそできた芸当だろう。それができなかったのなら、今頃久久能智(くくのち)が何と言ったのかは分からないが彼が指定場所へと向かい、居ないと言って探し回っていただろう。
 すると双子は先ほどまで隠れていた岩の後ろから大きな風呂敷を引きずって(ぬえ)達の前に置いた。不思議に思っていると、双子の一人が近くにいた鹿屋野比売(かやのひめ)に結び目を解いてほしい、と言った。彼女はそれに従って結び目をほどくと、中から多くの羽織とお面が姿を現した。
「こりゃなんだ?」
(ぬえ)はお面の一つを取ってまじまじと見つめながらアサヒとユウヒに聞いた。得意げな声を上げながら双子は説明を始めた。
「この先で、だね」
「妖怪たちが、だよ」
「「宴会をやっていた、だね(だよ)」」
そして羽織の一つを手に取ると、自分の肩にかけて再び手を繋いで真っすぐと祠の奥を指さした。
「これで紛れて、だね」
「情報を聞き出す、だよ」
そこまで言うと羽織を整えてお面をかぶった。言い方からして久久能智(くくのち)から大体の事は能力を通じて聞いているのだろう。説明しなくて手っ取り早いと思い、(ぬえ)は再び風呂敷に入っていたものを見た。
 お面、羽織が今双子が付けている物を合わせて四つ、目の模様が描かれたタオル程度の薄い布が二つだった。どう考えても数が合わない計算に、(ぬえ)は視線で双子に訴えた。それは紅蓮(ぐれん)も同じなようで、双子に問いかけた。
「これは誰がどうすればいいのさ。あるものの数が圧倒的に合わない」
するといつきは風呂敷の上にある布のみを取り、(ぬえ)紅蓮(ぐれん)を見て代わりに言った。
「神々は神衣(しんい)(まと)わずに……瞳だけ隠せばいい。人間とも違うからバレる事は無い……」
「従者は多少人間の匂いも混じっているからね。完全に匂いを消して顔も隠さなきゃいけないんだ」
久久能智(くくのち)といつきはそれぞれ薄い布を巻き、周囲を見渡した。布越しでも前が見えるのか、石などにつまずくことなく歩き始めた。
鹿屋野比売(かやのひめ)は行かねぇの?」
「はい……。私は非戦闘要員なので……。後で風雅(ふうが)を向かわせます」
それだけ言うと、鹿屋野比売(かやのひめ)はそそくさと結界を開いてその中に入っていった。袖で鼻を抑えていたので、彼女もおそらくは妖怪の臭いというモノが嫌なのだろう。
 (ぬえ)紅蓮(ぐれん)は羽織を肩にかけ、お面をつけた。違和感しかなかったが目的を聞き出すためには止む負えないだろう。全員が道具をつけ終わった事を確認し、双子は行こうかと言って崩れかけた鳥居を潜った。いい協力者ができてこの後の妖怪たちを倒す事も楽そうだ、と(ぬえ)は思いつつ、徐々に足が重くなってゆくのを我慢して双子の後に続いた。
 祠の裏に回り、意図的に切られたであろう雑草が散っている土の上を歩き、所々で小さな妖怪たちがこちらを見ている事に気が付いた。だんだんと(ぬえ)の足取りが重くなり、紅蓮(ぐれん)は肩をかそうかと気を使ってくれたが(ぬえ)はいらないとだけ言った。
 しばらく歩いて辺りが薄暗くなり始め、火の玉が浮いている事に気が付いた。それのお陰か遠くに立っている妖怪に気が付くことができた。頭が牛で胴体が鬼のようになっている妖怪。双子はひそっと(ぬえ)達に話しかけた。
牛鬼(ぎゅうき)、だね」
牛鬼(ぎゅうき)、だよ」
相手もこちらに気が付いたようで、重そうな体を動かしてこちらに向かって歩いてきた。
「遅いではないか、同朋よ。もう宴は始まっているぞ」
ただ自分たちを見ただけで道を開けて再び持ち場に戻った。双子が変装用に貸してくれた道具は、思いのほか効果があるようだ。
 全員で頷いてこの先に向かう。声が聞こえるようになってから段々と火の玉が多くなり、そして暗くなってゆく。そして大勢の妖怪が歌ったり踊ったりしているのが分かった。
「……何がこんなに楽しいんだろう。自然を壊しておいて……っ!!」
目隠しをしている為に目の表情は読み取れないが、何もかもをかみ砕いてしまうほどに歯を食いしばっているのが分かる。よほど頭に来たのだろう。
 ゆっくりと階段を下りて双子は振り返る。
「情報収集、だね」
「蹴散らすのはその後、だよ」
それだけ言うと妖怪たちの中に紛れて行った。こういう事には手慣れているのだろうか。
「二手に分かれましょう、久久能智(くくのち)様。従者と主の二人一組で」
「……賛同。多くても意味ないし……一人は危険……」
「さりげなく聞きゃいいんだな」
 紅蓮(ぐれん)久久能智(くくのち)は妖怪の中に消えてゆき、(ぬえ)達は聞きやすそうな所から行こうとお互い思い、まずは少ない数で飲んでいる所に向かおうと足を運んだ。
 すると、明らかに見覚えのある者とすれ違った。服こそ違ったものの、顔さえもよく見えなかったが忘れられない一度戦った謎の人物。(ぬえ)は振り返ったがそこには既にいなかった。
「……(ぬえ)?」
「え? あ、ああ……。何でもない……」
いつきはあまり近づきたくないのか(ぬえ)に行くように促した。(ぬえ)は渋々とその輪の中に入り、妖怪に話しかけた。
「よお、楽しんでるか?」
「お? なんじゃ、見かけない顔じゃなぁ」
「ああ、楽しとも。なんせ、年に一度の祭りなればなぁ」
それにいつきは反応して少し離れたところから聞き返した。
「年に……一度……?」
「おう、なんだや、お主等初めてなんかや? そうだや、この祭りは各地の同朋が集まって楽しむものだがや」
(ぬえ)は今しかないと思い、さりげなく話題を変えずに本題に入った。
「ああ、今まで行けなくてな。それと、草木を断つために頑張ってんだ」
あまりにも唐突すぎたかと思ったが、話しかける相手が良かったのかはははと笑ってお疲れだな、と肩を叩かれた。
 そしていつきは表情を変えずにさりげなく会話を振った。
「言われるがままにやっているけれど……、何の意味があるの?」
妖怪たちは顔を見合わせた。まずい状況を作ってしまったかと思い(ぬえ)は打開策を講じていると、妖怪の一体が口を開いた。
「よく分からず。詳しくは聞かされたらず」
「楽しいからやっとるっていうのもあるしなぁ」
いつきは少しだけ拳を握りしめた。久久能智(くくのち)も言ったように、植物も生きているのだ。それを楽しんで焼き払うなど、言語道断もいいところだ。
 すると、酒を持って通りかかった魚のような妖怪が輪の中に入って口をはさんだ。
「俺知っとるど。同朋の理想郷を作るって言ってたど、玉藻の前様が」
妖怪たちは目を輝かせたが、(ぬえ)達にはひとたまりもない事だ。彼らの目的だけで生命を断ち切っていたという事だ。
 いつきに目配せして、彼はその場から少し離れた。そこから離れる事は容易く、自分たちのやりたい事を話し始めていたので気付かれないように立ち上がって後ろの妖怪たちの方に紛れ込んだ。急にいなくなったことに疑問を感じるかもしれないが、元々一緒に呑んでいたわけではないので怪しまられる確率は低いだろう。
 少し遠くの方へ行って妖怪たちの波から外れた。いつきも(ぬえ)に付いて行って石の階段に腰を下ろした。
「運良かったな、私ら。急に核心を着いたぞ」
「……本当にそれだけなのだろうか……?」
いつきの意味深な言葉に(ぬえ)は彼の顔を見た。普段からあまり変わらない表情の上に目隠しをしているので何を思っているのかはよく分からなかったが、彼は先ほど魚の妖怪が言ったように、理想郷を作るという事だけではないと感じているようだ。
 腕を後ろに組んで紅蓮(ぐれん)達を待っていると、だんだんと妖怪の数が増えていることが分かった。
「妖怪って人間臭かったな」
「昔は……人間と一緒に暮らしていた……から……」
風で髪を揺らしながらいつきは(ぬえ)の言葉に応えた。彼は以前、人間は妖怪を見る事を忘れたと言っていた。今の彼の言葉を重ねると、やはり昔は彼らも共存していたのだろう。人間は何もかもを忘れ、神を冒涜(ぼうとく)しながら自分たちが頂点に立っていると思っている。(ぬえ)も、従者にならなかったらそんな考えで今も生きていたのかもしれない。
 ゆらゆらと揺れる松明の光を見ていると、紅蓮(ぐれん)達が戻ってきたのが分かった。(ぬえ)はそのまま彼らの元まで歩き、いつきは(ぬえ)に気が付いて立ち上がり、彼女を追って自分も久久能智(くくのち)の方へ向かう。
「どうだった?」
「あまりいい情報は得られなかったよ。分かった事と言えば森を破壊しているのは誰かの指示だという事」
「……こちらで分かった。玉藻の前、日本三大悪妖怪の一体……。やはりあいつが……」
その言葉に紅蓮(ぐれん)は反応して彼に聞いた。
「知っているんですか?」
「……ああ。私は……元々はそういうのに近い仕事をしていたから……」
彼の答えに初耳です、と紅蓮(ぐれん)は少し驚いた表情で言った。(ぬえ)紅蓮(ぐれん)久久能智(くくのち)達よりも一歩前に出て先ほど得た情報を言った。それは、理想郷の事である。久久能智(くくのち)は怒るどころかよくわからないと言った様子で妖怪たちの集まる正面を見た。真っすぐ前だけではなく、妖怪一体一体を見ているようにも見える。
「自分たちの欲望の為だけに……、許せない……!」
久久能智(くくのち)はここからでも分かるくらいに殺気を放っていた。気付かれるのではないかと思ったが、宴会に夢中でそんな事は気にも止めていないような様子だった。
 紅蓮(ぐれん)久久能智(くくのち)に声をかけようとした時に、(ぬえ)は思い出したことを口にした。
「そういや、根本的に違ったけど見覚えのある――」
「お待たせしたなぁ、儂ら同朋の子らよ」
重要な事を言う前に、メガホンなどで周りに聞こえるようなほどに大きな声で、女性の声が聞こえて(ぬえ)の言葉はさえぎられた。少し高いステージのような切り株に上がっていたのは、九本の狐のしっぽを持つ、金髪で長めの耳を持った女だった。異様な雰囲気(ふんいき)はその女が妖怪を指示していた玉藻の前だということが分かる
「……。(ぬえ)、時計を売ったっていう……質屋の……」
「え?」
(ぬえ)が良く寄っていた、変わった質屋の店主。邪神(じゃしん)を封印している懐中時計を売りつけてきたその店主であるというのか。そいうえば、と(ぬえ)はいつきが店主に敵意を向けた時、九尾の狐と言っていたのを思い出した。
「身近にいたのかよ……マジかぁ……」
お面の裏で嫌な汗をかきながら再び玉藻の前を見ると、妖怪たちがわっと立ち上がって声を上げたのが分かった。まるでアイドルを目の前にしたライブのようだ。
 妖怪たちの声が一通り静かになると、玉藻の前は嬉しそうに話し始めた。
「遠くから列を引いて歩くのは大変だったじゃろう。今回は生きの良い人間たちの血肉を沢山用意してあるのじゃ。好きなだけ騒ぐといい」
再び大声が上がって拍手の音が響いた。(ぬえ)達はその言葉を聞いて嬉しいわけではなかった。この宴会は人間を食らっていたのだ。
「人間を……」
紅蓮(ぐれん)は少し俯いた。無理もないだろう、従者になって死には鈍感になるかもしれないが、食らうというのはいささか吐き気が込み上げてくるものだ。
 玉藻の前は髪を解くと自然破壊の事や訳の分からない事を話し始めた。妖怪たちは楽しそうにその話を聞いている。紅蓮(ぐれん)は何かに気が付いて(ぬえ)に耳打ちをした。
「アサヒとユウヒは?」
そう言われて初めて気が付き、辺りを見回したが二人の姿は見えなかった。まだどこかに紛れているのか、それとも何かあったのか。それを言うと紅蓮(ぐれん)は首を振った。
「何かあったら騒ぎになる可能性が高いだろうさ。この一団は人間とは違って全員と仲がいいようだった」
今はどうする事もできないために、妖怪に詳しい彼らを信じて今は帰りを待つしかなかった。
 すると、玉藻の前は横にすっと横に身を避けた。そしてその隣に上がってきたのは、大きな首輪を付けてボロボロの服を着ている、白髪の少年だった。妖怪なのかと疑ったが、久久能智(くくのち)といつきがそれを否定した。
「あれは……」
「従者?何で妖怪と一緒に……。ていうかあの首輪、変な魔法がかかっているね」
紅蓮(ぐれん)(ぬえ)は二柱を見てからその少年を見た。少年は俯いたまま前を向く気配はない。玉藻の前は両手を広げて笑った。
「よく聞け、同朋よ。この中に紛れ込んだ者たちがおる。従者五つに神が二柱……。これはいい機会だ、狩りつくすのじゃ!」
「!?」
今の発言に(ぬえ)達は同時に驚いた。すでにバレていたという事なのだ。妖怪たちはきょろきょろと辺りを見回して走るものまで出てきた。すると紅蓮(ぐれん)はおかしい、と声を低くして言った。
「数が合わない!」
「はっ?」
(ぬえ)がそう返した時に、玉藻の前の隣にいた少年が石を拾い上げ、槍を投げる姿勢に入ると、石は魔力を受けて槍に変わり、少年は(ぬえ)達の足元に向かって投げた。
 ドスッと槍が地面に突き刺さると、それを目がけて妖怪たちが一斉に(ぬえ)達に襲い掛かる。どうやら、変装している正体に玉藻の前は気付いていたようだ。
「今、石が武器に……!」
(ぬえ)がそんな呑気な事を言っていると、紅蓮(ぐれん)(ぬえ)の背中を叩いてお面を外し、羽織を脱いで右脚のポシェットから何かを取り出すと、先頭にいる妖怪を目がけて投げつけた。
 それは煙玉だったようで、久久能智(くくのち)の声を合図に一斉に気配を確認しながら駆けだした。効果が切れてしまったのか、お面と羽織は使い物にならなくなっていたのでその場に脱ぎ捨てた。
「逃がさぬぞ!!」
大量に襲い掛かってきた妖怪たちは足止めしたものだと思っていたが、玉藻の前の声が聞こえて(ぬえ)の足元に紫色の陣が現れた。
「……(ぬえ)!!」
いつきは駆け出そうとしたが、その瞬間に(ぬえ)のみが消えてしまった。紅蓮(ぐれん)は一瞬それで立ち止まったが、後ろから自分たちを探す声が聞こえてきたので早く遠くに行くように促した。
「……(ぬえ)……」
いつきは心に痛みを感じながらも、首を振って紅蓮(ぐれん)久久能智(くくのち)の後ろに続いた。

 (ぬえ)は急に地面と景色が変わって驚いていると、大量の妖怪と門番のような役割をしていた牛鬼の姿が正面にあった。
「……これ、ちょっとマズいな」
苦笑いをしながら大群を見つめる。牛鬼は獣のような息を吐きながら斧を(かま)えてゆっくりと(ぬえ)に近づいた。
「貴様、従者だったのか! 殺して食ってやる!!」
「私は美味しくないんで見逃してくれや」
振り下ろされた斧を回避して大鎌を召喚(しょうかん)し、後ろに回って小物の妖怪を斬り裂いた。ゆっくりと牛鬼は振り向くと(ぬえ)に斧を振る。それを受け止めたが、相手はそれを押し返して(ぬえ)を吹き飛ばした。
「ぐはっ!!」
木にぶつかって背中に衝撃が走る。間を入れずに小物の妖怪が(ぬえ)に襲い掛かり、頬に打撃を受けてその場に倒れ、牛鬼の斧を回避して小物の妖怪を斬り裂きつつ逃げ道を探した。数で押されたら圧倒的に不利だと判断したためだ。
「おらぁぁぁ!!」
牛鬼の拳を受けて(ぬえ)は地面に思いきり叩きつけられ、斧が目の前に振り下ろされたその瞬間、牛鬼から青い炎が燃え上がった。
「どぁあっつぅぅ!!」
(ぬえ)の襟を誰かに勢いよく引っ張られ、自分の体が宙に浮いて茂みに突っ込んだ。
 そのままどさっと乱暴に振り落とされて痛みを訴え、上体を起こすと見覚えのある、忘れられない顔がそこにあった。
「お前は……鳳凰(ほうおう)――!!」
「静かにしいや。気付かれてまうやろ?」
人差し指を自分の口元に当てて彼は言う。(ぬえ)は慌てて声のボリュームを下げ、驚いた表情で彼を見た。
 陰陽師をモチーフにされた和装は桜が散る着物に変わっており、猫耳と尻尾が生えている。目は猫のようになっており、手には巻物ではなく薙刀を持っていた。
 「なんだよその恰好! きもっ!!」
「失敬やなぁ、紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)。こうしたほうが紛れやすいねん。あと、格好の事は言わんといて」
生き物のように動いている耳と尻尾を見て、(ぬえ)の顔が真っ青になる。女がその様な格好をしているのを雑誌か何かで見た気がするが、まさか男が付けているとは思わなかった。察知した気配を疑問に感じて彼に問う。
「てかお前、妖怪の気配がする」
「せやろうな。式神と融合してんねん、陰陽師甘く見るなや」
にっこりと閻魔(えんま)は笑った。
 (ぬえ)は後ろにきょろきょろと自分を探している牛鬼の姿を見つけて、少し身をかがめた。
「ここもすぐ見つかるやろうし、さっさと行った方がええんとちゃう?」
閻魔(えんま)(ぬえ)の視線の先にあるものを見ながら(ぬえ)に言った。立ち上がって大鎌を持ち上げ、閻魔(えんま)に近づいた。
「お前、ていうかここで何してんだ。まさか、この瞬間にも私を殺す気じゃねぇだろうな」
「殺す?ははっ、せやったら助けたりせぇへんって。ちゃうねん、ほかの目的や」
 その瞬間、閻魔(えんま)は即座に薙刀を振った。(ぬえ)は警戒して大鎌を(かま)えたが、閻魔(えんま)が持つ薙刀に触れて鈍い音を立てたのは、牛鬼の斧だった。(ぬえ)でさえ吹き飛ばされたその力を、彼はもろともしなかった。
「ほう、俺の力を受け止めるとはな。同朋よ、その従者の見方をするのか」
「さっさと行きぃや。ここは任せてもろうてかまへんで?」
よく見ると、彼の薙刀が少しカタカタと揺れている。彼も少し目を細めていた。やはり、牛鬼の一撃は重いのだろう。(ぬえ)は少し躊躇(ためら)いながら後ろを振り向き、そのまま走った。
 牛鬼の後ろにいた妖怪が逃がすまいと(ぬえ)に襲い掛かろうと走り出す。
「ロウノ、キクノ!!」
閻魔(えんま)は後ろに跳びのいて、それと入れ替わるように棍棒を(かま)えた子鬼が牛鬼の腹を棍棒で殴って吹き飛ばし、走って(ぬえ)を追いかけようとする小物を馬くらいの狼が薙ぎ払った。
「くそお!貴様、陰陽師か!!」
閻魔(えんま)は目を細めて微笑むと、薙刀を振って背中に(かま)えた。

 黒衣ー神衣による変化ー

 黒衣ー神衣による変化ー

 襲い掛かる小さな妖怪たちをいつきは神器で薙ぎ払う。しかしその後にも後ろで走っていた妖怪たちが入れ替わるように襲い掛かりきりのない状況となっていた。
 紅蓮(ぐれん)は身を翻しながら二丁拳銃を乱射し、銃把(じゅうは)(持つ部分)で懐に回り込んでいたウサギのような妖怪の頭を殴る。
「キリがないよ!」
久久能智(くくのち)は地面から巨木を召喚(しょうかん)すると、追手を足止めして走り出した。ここまでの中で、双子の姿は見えず(ぬえ)の手がかりもない。いつきは唇を固く結んで神衣(しんい)(まと)うと、上に飛び上がった。
「いつき様!?」
紅蓮(ぐれん)は立ち止って上を見上げ、久久能智(くくのち)もそれに気が付いて彼と同じように上を向く。当然巨木によって足止めされていた妖怪たちも、いつきの方を見上げていた。
「……終わらせる……。その方が……楽」
右手の方に蒼玉(そうぎょく)召喚(しょうかん)し、左手の方に浮いていたグングニルを宙へと上げて蒼玉(そうぎょく)による魔法陣を空に展開する。その中にグングニルが吸い込まれ、一段と魔法陣が輝きを増して大きくなった。
「ま、まさか……」
紅蓮(ぐれん)はその様子を見て冷や汗をかき、その瞬間には魔力を完全に終結させたいつきが奥義を放っていた。
獄魔殺撃(ジェノサイド)……!」
振り上げられた腕を振り下ろし、上空にためられた魔力は一斉に柱のように地上に降り注いだ。柱は妖怪達の身体を破壊し、跡形もなく消し去った。
 広範囲に及んだそれは、死体すら残っていなかった。彼は奥義を出し尽くして地上に足を降ろし、ふわりと神衣(しんい)が風で揺れた。いつきはきょろきょろと辺りを見回した。紅蓮(ぐれん)久久能智(くくのち)の姿が見えないのだ。
 辺りを見回していると、頭上に気配を感じて空を見上げた。もう既に日が落ちているのかという位に暗くなっているその空に、紅蓮(ぐれん)を抱えた久久能智(くくのち)が空を浮遊していた。ゆっくりと紅蓮(ぐれん)を降ろし、彼のお礼を聞いた後にいつきに久久能智(くくのち)は言う。
「酷いよー。僕たちまで巻き込むつもりだったの?」
頬を膨らませて怒りながら久久能智(くくのち)はいつきに怒った。子どもの姿をして尚且(なおか)つそのような怒り方では誰しもが反省をしないだろう。当然、すまなかったの一言を残していつきが反省する様子はない。
 先ほどまでいつきたちを殺そうとしていた妖怪たちは彼の奥義によって一掃され、静かなひと時が流れたがすぐに妖怪がこの場所に集まる可能性を考慮して双子と(ぬえ)を探す事を紅蓮(ぐれん)は提案した。
(ぬえ)……どこに……」
蒼玉(そうぎょく)召喚(しょうかん)してその上に座ると、上空に上がって森の中を見渡した。できるだけ注意深く自分の従者の力を感じ取ろうとしたが、妖怪たちの気配に紛れてどれがどれだか分からなくなってしまった。
 その刹那、いつきの方に火の玉が飛んできて咄嗟に魔法の防御壁を張ってそれを防ぎ、森の中から飛び出してきた九尾の狐の打撃をグングニルを召喚(しょうかん)して受け止めた。
流石(さすが)は神じゃのう。だが、後ろが(おろそ)かになっておるぞ?」
気が付くといつきの背中には無数の火の玉が浮遊しており、振り返ると同時に火の玉は既に動き出していた。
 しかし、それは一発一発的確に打ち消され、玉藻の前が驚いて下を見ると紅蓮(ぐれん)の二丁拳銃の銃口からは煙が上がっていた。いつきは動きが一瞬止まった玉藻の前に槍の柄で脇を突きよろめかせると、紅蓮(ぐれん)は助走をつけて跳び上がり銃弾を乱射した。玉藻の前は尻尾でそれを防ぐと紅蓮(ぐれん)に向かって火の玉を向ける。だがその時すでに紅蓮(ぐれん)は玉藻の前の上に上がっており、ポシェットからサバイバルナイフを取り出すと背中に振り下ろし、弾倉(だんそう)で頭を思い切り殴った。
「ぃ……ぐっ!!」
衝撃による脱力で玉藻の前は下に落下し、その先で久久能智(くくのち)が神器を(かま)えて待ち(かま)えていた。
「そおおい!!」
その身体(からだ)に似つかわしくない巨大な鉾を玉藻の前に一閃させて斬り裂き、思い切り吹き飛ばした。いつきは地面近くに降り、紅蓮(ぐれん)は地面に着地した。
 砂煙が舞って彼女の姿は捉えられない。だが、少し止むとゆっくりとした足取りで歩いて来るのが分かった。紅蓮(ぐれん)は拳銃を(かま)た。
「行ってください、久久能智(くくのち)様、いつき様。ここは俺が止めておきます」
玉藻の前は完全に砂煙が収まった時に姿を現した。その周りには無数の火の玉が浮いている。いつきと久久能智(くくのち)は玉藻の前を見て大丈夫であろうと判断すると、後ろを向いて久久能智(くくのち)は走りいつきは蒼玉(そうぎょく)に乗りながら移動した。
 追いかけようとする玉藻の前の足元に紅蓮(ぐれん)は銃弾を撃ち込み、それに反応して玉藻の前は立ち止った。そして、急に高笑いを始めた。
「何がおかしい?」
紅蓮(ぐれん)は不快感を感じて目を細め、トリガーに添えている手に力を込めた。
「確かお前じゃったなぁ、術を施したのは」
「何の話だか分からないな」
彼女に向かって銃弾を撃ち込み、かわした場所に向かってさらに銃弾を撃ち込む。火の玉と銃弾がぶつかり合い、花火のように辺りに小さな炎が飛び散った。玉藻の前が地面に足を着けた時、下駄の音がカタンと鳴った。それを合図に紅蓮(ぐれん)は弾を変えて無数に銃弾を撃ち込み、着弾すると銃弾は起爆して大爆発を起こした。
 音が鳴りやむと、紅蓮(ぐれん)は警戒しながら前方を見つめる。玉藻の前はゆっくり立ち上がって指先に妖力を込めて陣を描くと、手のひらに現れた灰を紅蓮(ぐれん)に向かってふっと吹いた。何をしているのかと紅蓮(ぐれん)は疑問に思ったが、数秒経つと途端に胸が苦しくなり、その場に蹲った、
「……っ!ぐっ……お前、何を!」
玉藻の前は何も言わない。ただじっと、結果を求めるように紅蓮(ぐれん)を見ている。
 眩暈がおこって睨みつけるように彼女を見ると、別の感情が沸き立つような感覚がした。自分ではない別の何か。その感情は一言で言い表せないほどに特殊なものとなっている。二回ぐらい感じていたその感情は、別の意識を呼び覚ますのには十分すぎる結果になる。

 妖怪たちを薙ぎ払いながら(ぬえ)は走る。宴で集まっていた大量の数とは違い、別の場所を探し回っているのかはわからないが数が少ない気がしていた。
「どけやおらぁぁ!!」
大鎌の柄の先端で土を払って妖怪たちの視界を塞ぐ。走りながら斬り裂いて、鬼の背中に回り込んで回転しながら大鎌を振るって斬り裂いた。鮮血が(ぬえ)従装(じゅうそう)にかかり、頬に付いたものを拭って振り返る。今倒した分のみで、(ぬえ)を襲った妖怪たちはいないようだ。
「まいったなぁ。これじゃあ、襲われるだけで合流できねぇじゃねぇか」
頭を掻きながら(ぬえ)はそう愚痴をこぼし、大鎌を担いで再び走り出した。少し疲れが見えていたが、歩いていたらすぐに見つかってしまう可能性、そして攻撃を回避する時に不便だという事を考えると歩くよりは走った方が良かった。
 先ほどに聞いた大きな音の方角に向かって走っているのだが、遠くから微かに聞こえたという事は相当遠くなのだろう。向かったとしても合流できる自信はなかった。再び小さな妖怪の頭を斬り裂いて止まらずに走る。
「何体居るんだよ畜生が!!」
立ち止って上に飛び上がり、地面に大鎌を叩きつけると地面が割れて衝撃波が起こり、素早く地面に着地して大鎌を拾うと起き上がる妖怪たちを無視して走り出した。
 木々の間を通り抜け、追手を完全に撒いて正面を向いた時、視界が急に真っ暗になって頭に何かぶつかって耳の中にゴンッという鈍い音が響き渡った。
「いってぇぇ!!」
「……痛い!」
痛みによる衝撃でお互いが地面に倒れ、その後ろから付いて来ていた少年は心配そうな声をもらして駆け寄った。
「大丈夫?」
久久能智(くくのち)!!」
(ぬえ)は彼の姿を捉えて脚を大きく曲げて勢いを利用して立ち上がると、額を抑えて痛そうに目を細めているいつきに気が付いて謝りながら立ち上がらせた。
「……石頭……っ」
「お前もなかなか硬かったぞ」
少し笑みを浮かべながら(ぬえ)は冗談めかしてそう言うと、途端にグングニルの柄の先が(ぬえ)鳩尾(みぞおち)に命中し、ぐふっと息を吐くといつきは華麗に回転して(ぬえ)の足を払い、倒れそうになった(ぬえ)に向かって衝撃波を放った。
 木にぶつかる音があたりに響いて木々が揺れ、カラスが飛び去った。(ぬえ)は冗談じゃなぇかよ、と痛みがあるところをさすりながら立ち上がり、ずれたベールを直した。
「探さなきゃ……良かった……!」
「そんな怒るなよ、悪かったって」
口をとがらせていつきはふいっと後ろを向くと、グングニルを左手に持ちながら蒼玉(そうぎょく)に乗った。
「今は喧嘩している場合じゃないよぉ。お仕置きも無理そうだし、今回は天照(あまてらす)の従者を見つけて一旦退かなくちゃ」
そう言った久久能智(くくのち)に対して、(ぬえ)は何かに気が付いて辺りを見回した。久久能智(くくのち)やいつきの後ろも見てみたが、(ぬえ)の探している者は見つからなかったのか疑問の声をもらし、それに反応して久久能智(くくのち)はどうしたのかと尋ねた。
白夜(びゃくや)はどうした?」
思い出したように久久能智(くくのち)はハッとなると、向こうで敵を食い止めてくれていると(ぬえ)に伝えた。納得して大鎌を担ぎなおし、自分は双子は見かけなかったと伝えた。
 「そういや、さっきの音はお前らか?」
(ぬえ)は微かに聞こえた大きな音にまだ疑問を持っており、それを久久能智(くくのち)といつきに聞いた。いつきは自分だと告発して(ぬえ)はやっぱりなと呆れたように腕を後ろに組んだ。
「それで合流できたのならいいじゃない。ほら、行こう。紅蓮(ぐれん)が食い止めてくれているのが申し訳なるよ」
久久能智(くくのち)はそう言ってそそくさと歩き出した。気付いているのか気付いていなかったのかは分からないが、小さな妖怪を足で踏んで行った。
「あいつ相当怒ってるよなぁ……」
「仕方がない。彼にとって木々は……体の一部も同然なのだから……」
それを考えると一刻を争うだろう。情報は手に入れたものの、彼らに辞めるようには言えていないのだ。最も、言ってもやめるとは到底思えない。人間らしいのなら、親玉をつぶしてしまえば混乱が起こるだろうが。
 紅蓮(ぐれん)を気にしつつ、久久能智(くくのち)を追いかける。目の前にいた妖怪たちを久久能智(くくのち)は鉾を(かま)えて薙ぎ払い、巨木を召喚(しょうかん)してその中に埋め込んだ。
「やべぇな。白夜(びゃくや)で親玉食い止められんならいつきと久久能智(くくのち)で今回は片付いちまいそうだ」
(ぬえ)は大鎌を消して歩く。いつきも、戦闘態勢に入っていない。怒りをため込んだ久久能智(くくのち)がぶつけるように目の前にいる妖怪たちを倒して歩いているのだ。
 その時、吹き飛ばされてしまうほどの竜巻が起こり、危うく飛ばされかけるも何とか踏ん張ってそれをしのぎ、いつきと(ぬえ)は頭上を見上げた。
 二体の烏天狗が頭上で真っ黒な翼を動かして飛んでいる。葉っぱでできた団扇(うちわ)のようなものを持っている為、彼らが風を起こしたのだと断定できる。
「退いて」
久久能智(くくのち)は睨みつけて烏天狗二体にそう言った。だが彼らは聞く耳を持っていないのか団扇(うちわ)(かま)えると再び風を起こして久久能智(くくのち)に風を向ける。彼は巨木を召喚(しょうかん)し風を防ぐと上に上って上段から二体同時に斬り裂いた。鉾の重さと斬り裂かれたことによって地面に強く衝突しながら墜落し、その後ろからガサガサと木々が何かに掴まれていると思うと、巨大な骸骨(がいこつ)が姿を現した。
「何だあれ!でけぇ!!」
楽しそうに見つけたと一言言うと、(ぬえ)といつきに向かって拳を振り下ろした。いつきは蒼玉(そうぎょく)に乗ったまま(ぬえ)を抱えてその攻撃を回避する。
「わりぃ!助かった」
(ぬえ)は大鎌を召喚(しょうかん)していつきが地面におろしたのを合図に、ゆっくりと手を引き戻す前に振り下ろされた拳の上に着地して跳び上がり、骸骨(がいこつ)の脳天に大鎌を振り下ろした。
 だがそれは弾かれたように大鎌から(ぬえ)に向かって衝撃が流れ、わずかにひびが入っただけでダメージは与えられていなかった。
「かてぇな!!」
いつきに何とかしてもらおうと思ったが、彼は他の妖怪に囲まれていて(ぬえ)をかまっている余裕はなさそうである。空中で体制を立て直し、魔法陣を召喚(しょうかん)してその上に立つ。その間にも骸骨(がいこつ)の妖怪は(ぬえ)に狙いを定めて再び拳を振るう。
 だがその刹那、(ぬえ)の隣に金色の髪が揺れたかと思うと鉾を(かま)えた久久能智(くくのち)が拳から鉾を振り下ろした。
「はあああっ!!」
中心を斬り裂き進み、肩に差し掛かって骨を足場にすると後ろに跳び上がって鉾を胸骨(きょうこつ)に向かって投げつけた。ひびが入ったそこを中心に段々と割れてゆき、最後には崩れ去って動かなくなった。久久能智(くくのち)の元に鉾が戻る。
 いつきは両手に魔力を集中させると、一斉に飛び掛かってきた妖怪が彼に触れる寸前に手をクロスさせて左右に腕を振るう。放たれた黒い魔力は妖怪全てを一掃し、彼が一息ついた時にはすでに全滅していた。
 (ぬえ)は足場になっていた魔法陣を消していつきの近くに着地する。久久能智(くくのち)はその前で鉾の先を地面に突き立てて前を見据えていた。
「流石は神様だなぁ。私達が倒せない敵を倒しちまう」
「……従者と……同じ強さの神は……信仰のない、名も薄い者だけだろう……」
彼の言葉に、確かにそうだなと(ぬえ)は頷いた。
 その時、ぞっとするような気配が二柱と一人に駆け巡る。ざわざわと木々が揺れると、より一層不気味に感じられた。
「何だ、何だよこの気配!」
(ぬえ)は周囲に気を配りながら警戒する。いつきも感じている者は同じなようで、冷や汗をかきながら横目で気配の本人を感じ取っていた。
 すると久久能智(くくのち)の前にものすごい速度で何かが通り過ぎ、大きな岩に衝突して大きな音を立てて砂煙が巻き起こる。それが時間経過とともにすうっと消えると、全員が知っている者が頭から、胴体から、あちこちから血を流して痛みに耐えていた。
「玉藻の前!!」
(ぬえ)が叫ぶよりも早く、久久能智(くくのち)が反応した。警戒と怒りを交えて鉾を(かま)えて足に力を込める。
「誰が……、ここまで……。っ!」
上から何かが降ってきて、玉藻の前の脚を踏みつけた者。漆黒の布を翻し、髪の色が見えた頃には既に玉藻の前の頭は撃ち抜かれていた。銃声の音に反応して全員の体がビクッとなる。完全に見えた赤い髪は、軍服のような服装によく似合う帽子によって半分以上隠れていた。撃たれた銃口からは煙が出ており、(ぬえ)の名を呼ぶ声によってゆっくりとその者は振り返った。
白夜(びゃくや)!」

 薙刀を振ってから手放すと、薙刀は猫又の姿へと変わって地面に着地した。多少ずれてしまった従装(じゅうそう)を直し、閻魔(えんま)は前を見つめた。大量にいた妖怪たちは姿形(すがたかたち)も分からないほどにズタズタにされて倒れていた。
「これだけやれば邪魔は入らんやろ」
目隠しをした子鬼は棍棒を地面に突き立てて背伸びをし、大きな狼はゆっくり歩いて閻魔(えんま)の元に近づいた。
「さあ、行こか――っ!!」
狼の上に乗ろうとした瞬間、気配を感じて体ごと振り返る。森の中を睨みつけ、それを不審に思った彼の式神は同じように彼の視線の先を見つめた。
 しばらくすると強大な妖力が閻魔(えんま)を襲う。確かに知っている力で、知らない者はいないその妖怪の気配。途端、閻魔(えんま)の目の前に大きな角を二本生やした鬼が閻魔(えんま)の脚を目がけて瞬時に現れて棍棒を振るった。
 いち早く気が付いた狼が前に出て透明な壁を作り、その攻撃を防いだ。子鬼は地面に刺さった棍棒を抜いて鬼に向かって振るう。しかし、攻撃が当たる前に鬼は消えてしまった。
 そして木の隙間を通ってゆっくりと歩いて来る者が現れた。ずるずると何かを左手で引きずり、右手には人型の紙を持っていた。その者の姿を視界に捉えた瞬間、閻魔(えんま)の表情が恐怖に変わる。狼は唸り声をあげ、猫又は威嚇するように喉を鳴らした。
 薄い青色の髪を上に束ねている。紫色の羽織を(まと)い髪の色よりも濃い青い着物が良く目立つ従者。引きずっているのは全く同じ容姿をした子供だった。
「やぁーっと見つけたぁ」
嬉しそうに口元を吊り上げ、ニタッと笑う。可愛らしいその外見なはずなのに、それはとても不気味な笑いだった。彼が近づくたびに一歩一歩閻魔(えんま)は後ずさる。その表情から恐怖はまだ消えていない。彼を守るように式神は彼の前に出る。
「探したよ、どこにいたの?」
人型の紙を持った腕を伸ばす。その刹那、危機を感じた子鬼が棍棒を彼の足元に投げつけて足元を叩き割った。土が少年の視界を塞ぐ。何かの力を使ってそれを払うと、既にものすごいスピードで狼は閻魔(えんま)を乗せて走り去っていた。最後に少年を見つめる彼の表情は恐怖ではなくなっており、それは誰かに分かるのかさえも分からない表情だった。
「逃がさないよ!!」
少年は数珠を掴んで(かま)えたが、そのころには既に森の中に消えていた。舌打ちをして数珠を握りしめ、その力によって(たま)(きし)む。
「また……逃がした……」
怒りの表情を浮かべながら、片割れを引きずって再び歩き出す。その持ち方は今すぐにでも投げ捨てたいような感じだった。

 邪心との戦闘の時に一度だけ見た彼の神衣(しんい)。ゆっくりと振り返った紅蓮(ぐれん)は片手に持った拳銃を上に向け、それを放つ。彼は敵ではないと思っていたので、警戒はせずに彼の行動をじっと見据えた。
 空に放たれた銃弾はすっと消え、一点が光ったかと思うと雨のように光が地上に降り注いだ。
「……!」
いつきは蒼玉(そうぎょく)から素早く降りると、上に手をかざして魔法の防御壁を張って攻撃を防ぎ、弾かれた攻撃はいつきが守っていない場所に降り注いで木々を破壊した。久久能智(くくのち)(ぬえ)は驚きを隠せずに彼を見る。いつきが守ってくれなかったら全員(はち)の巣状態だっただろう。
 紅蓮(ぐれん)は腰に差していたもう一つの拳銃を持っている手とは逆の手に(かま)え、飛び上がって無数に久久能智(くくのち)に乱射した。鉾の刃を盾にして防ぐと、紅蓮(ぐれん)は着地と同時に瞬時に(ぬえ)を向き、二丁拳銃を上に高く投げ、(もも)に差していた短剣を走って(ぬえ)に突き立てる。振られた短剣を回避して大鎌を召喚(しょうかん)し、再び振られた攻撃を大鎌で防ぐと同時、先ほどに彼が投げた二丁拳銃が彼の手元に落ちてきて、紅蓮(ぐれん)はその前にナイフを正面を向きながらいつきに投げた。急な事にいつきはかわし切れずに頬にかすり、彼に赤い筋ができる。そしてそのすぐ後に二丁拳銃は紅蓮(ぐれん)の手元にあり、(ぬえ)に向かって数発銃弾を撃ち込んだ。(ぬえ)の脚とこめかみに銃弾が貫き、何とか踏み切って大鎌を紅蓮(ぐれん)に振り下ろす。彼は二丁拳銃で大鎌を防いで後ろに退避した。
 (ぬえ)は頭から流れた血を拭って紅蓮(ぐれん)を見た。いつきの頬に血が垂れている事に気が付いて駆け寄ろうとするが、彼は大丈夫だと言って神器を(かま)える。
白夜(びゃくや)、お前どうしたんだよ!玉藻の前に何かされたのか!?」
紅蓮(ぐれん)は帽子のつばを抑えて深く(かぶ)り直し、カツカツと靴の音を立てて(ぬえ)達の方向に歩き出していた。久久能智(くくのち)は重そうな鉾を下に(かま)えて彼を睨みつけた。
「何かされたという訳じゃなさそうだよ。神衣(しんい)(まと)っていること以外はいたって普通だね」
「でも……あの時は……、私たちに攻撃は……してこなかった……」
あの時というのは邪神(じゃしん)との戦闘の時だろう。彼はその時、(ぬえ)達には敵対心を見せてはいなかった。ましてや主人の久久能智(くくのち)にも。
「でも明らかに私らに敵意向けてやがるぞ」
右手に持った拳銃を前に付きつけると、全員は武器を(かま)えて警戒態勢に入った。
 その瞬間、紅蓮(ぐれん)のすぐ後ろの地面から玉藻の前が現れると、振り返った紅蓮(ぐれん)に向かって炎の玉を繰り出した。彼は火の玉を受けて一瞬バランスを崩したがすぐに立て直し、地面を蹴って玉藻の前に肘で鳩尾(みぞおち)を喰らわした。
「がはっ……!」
癒え切れていない傷口に響いたのか、普通に攻撃を喰らうよりもさらに苦しそうな声を上げて玉藻の前は息と唾を吐いた。そして紅蓮(ぐれん)の顔に彼女の血が付いたが、紅蓮(ぐれん)は気にせずに拳銃を玉藻の前に向けて発砲する。気絶したように玉藻の前は動かなくなった。
 もう動かない獲物には興味を示さないように、紅蓮(ぐれん)は再び(ぬえ)達の方を向く。
「しょうがねぇから殴って気絶させようぜ」
(ぬえ)は大鎌を担ぎながらいつきに言った。
「……そうしよう。時間を割いている余裕は……ない」
久久能智(くくのち)は一瞬待ってと言おうとしたが、今の紅蓮(ぐれん)を見てそんな事を言ってはいられず、口を堅く結んで鉾を降ろした。
 いつきはグングニルを弓のように(かま)えると、神器を中心に弓になるように魔力が伸びて、手の平に造られた魔力でできた矢を(かま)えると弦のようなものを引いて紅蓮(ぐれん)に向ける。彼は警戒したように二丁拳銃を(かま)えた。
 いつきが放とうとした時、
()りゆけ  (おろ)かなる(たましい)よ、()(かえ)れ!!」
中性的な声はその場にいる全員が聞いた事のある声だった。緑色の髪をした者は風のように紅蓮(ぐれん)の目の前に現れると、見えないスピードで無数に彼を斬り裂いて最後に腹に刀を貫いた。
 紅蓮(ぐれん)は血を吐いてその場に倒れ、鮮血を払うように女は刀を払った。
紅蓮(ぐれん)っ!!」
久久能智(くくのち)は神器を消して紅蓮(ぐれん)に近寄る。木の陰から誰かが走ってくると、驚いたように全員を見つめた。
風雅(ふうが)じゃねぇか!!」
大山津見(おおやまつみ)の従者がそこにいた。腕に包帯は巻いているが、もう動けるくらいに回復していた。後で風雅(ふうが)を向かわせる、と言った鹿屋野比売(かやのひめ)の言葉を思い出して、彼がここにいる理由に納得した。
 しかし、それよりもなぜここに(ぬえ)の一番好かない人物がいるのかが疑問である。それに、紅蓮(ぐれん)に何の躊躇(ためら)いもなく必殺技を使ったのだ。
狐坂(こさか)ぁぁ!白夜(びゃくや)を殺す気か!!」
(ぬえ)奈落(ならく)に向かって怒鳴る。久久能智(くくのち)は慌てたように紅蓮(ぐれん)を抱き起したが、口の端から血を流していて胴体からも血を流していた。久久能智(くくのち)神衣(しんい)が赤く染まるのを気にせずに紅蓮(ぐれん)の名を呼び続ける。
 風雅(ふうが)紅蓮(ぐれん)の元に駆け寄って久久能智(くくのち)に地面に寝かすように促すと、
「最下能力、神秘治癒」
彼の手元に優しい光が集まって紅蓮(ぐれん)の傷が癒えてゆく。
「へえ、数少ない従者の治癒持ちかぁ。大山津見(おおやまつみ)いいなー」
「……兄の能力と違って、戦闘用ではないのであまり使えません」
小さな声で彼は言う。どこかしら寂しそうにも見えた。
 奈落(ならく)は刀を鞘に納めると、(ぬえ)奈落(ならく)にまだ話し続けていた。
「私たちの邪魔しに来たのかよ!」
「お前らにかまっている余裕はない。神産巣日(かみむすび)様の命令で、ある従者を探しに来ただけだ」
「……ある従者? ……玉藻の前の近くにいた……あの子?」
いつきは思い出したように呟いた。はっと気が付いて玉藻の前が気絶していた場所を見ると、彼女の姿は既になかった。
「逃がしたか!」
(ぬえ)は忘れていたことに後悔を感じながらも、申し訳ないようにいつきに謝った。彼は(ぬえ)のせいではないと一言言うと、奈落(ならく)に双子を見なかったかと聞いた。風雅(ふうが)が治癒をかけられる以上、紅蓮(ぐれん)は大丈夫だと判断してそれ以上はあまり触れないようにしているのだろう。
「知らん。大山津見(おおやまつみ)様の従者に会った他には、何者にも会ってはいない」
風雅(ふうが)は隣で賛同するように頷いた。
 情報収集する時から彼らを見かけていない。何も無いと良いのだが、玉藻の前を見失ってしまった以上二人も危ないかもしれない。
「そこの弱者で三大悪妖怪の一体を押せたんだ。天照(あまてらす)様の従者なら、問題ないだろうな」
「弱者!? 紅蓮(ぐれん)を悪く言わないでよ!」
奈落(ならく)の言葉に久久能智(くくのち)は怒りを現した。攻撃してきたとはいえ、彼の大事な従者には変わりはないのだ。奈落(ならく)は聞いているのかいないのか分からないが、ふん、と鼻を鳴らした。
 そしてすぐに奈落(ならく)は刀を持って歩き出し、(ぬえ)達から離れてどこかに向かおうとしていた。
「おい、どこ行くんだよ!」
振り返らず、(かつ)歩くのを止めずにそのまま(ぬえ)の問いに答えた。
「お前らに協力するわけでもない。私は自分の役割を果たすだけだ」
相変わらずの彼女の物言いは腹立たしい。今この状況でなければ真っ先に武器を向けていたのに、と(ぬえ)は舌打ちをして風雅(ふうが)の治癒が終わるのを待った。
 少しすると、彼は手を離して能力を止める。紅蓮(ぐれん)神衣(しんい)は傷口などなかったかのように綺麗になっていたが、彼の治癒のお陰で傷口は塞がれているようだった。
 紅蓮(ぐれん)は意識が戻ったのか目を覚まし、ゆっくりと立ち上がる。(ぬえ)はまた攻撃されるかもしれないと思って警戒をしていたが、彼はいつもの従装(じゅうそう)に戻って膝を着いた。
「おお、白夜(びゃくや)。戻ってきたのか?」
紅蓮(ぐれん)は申し訳なさそうに頭を下げて謝った。
「どうして……神衣(しんい)を……?」
いつきは紅蓮(ぐれん)にそう問いかける。彼は思い出す様に記憶をたどりはじめた。
「えっと、俺に何か術をかけていたみたいで……。従者と戦闘はつまらないから神衣(しんい)(まと)えと」
「だから神衣(しんい)だったのか」
(ぬえ)は納得したように頷いた。久久能智(くくのち)はなぜ自分たちを攻撃したのかと紅蓮(ぐれん)に言う。彼は言いづらそうにしていたのだが、主人に見つめられて観念したように話し始めた。
「俺はあまり自分の神衣(しんい)を好ましく思いません。攻撃をしてしまったのは反省しています。でも、呆れるくらいに全員が弱い存在に見えて……。頭ではわかっているんですけど、どうも止まらないんです。だから出来ればもう(まと)いたくないです」
ため息をついて紅蓮(ぐれん)はそう言った。どうやら、(ぬえ)とは違って彼は性格が変わってしまうようだ。何故だかは知らないが。
「そもそも……久久能智(くくのち)の従者は……、何の神の力を……?」
いつきの疑問もその通りだった。だが、なぜ従者に神の力が宿るのかあまり詳しく分かっていない。
 疑問は残るが、双子の声を聞いてその方向を向いた。

 少年ー不思議な力ー

 少年ー不思議な力ー

 双子は何の変化もなく、怪我もしていないようだ。
「良かったな。これで何とかいつでも帰れそうだ」
(ぬえ)はほっと一息ついてそう言った。久久能智(くくのち)も心配していたようで、無事でよかったと顔をほころばせた。
 双子は今まで、情報収集と混乱を回避することで精一杯だったそうだ。(ぬえ)達と同様の情報、そして目的。しかし、まだ知らない情報をアサヒとユウヒは皆に告げた。
「玉藻の前は、だね」
「従者を拾った、だよ」
その場にいた全員が思い出した。奈落(ならく)がこの場所にいた目的の一つである子供の従者。どんな力を持っているのかは分からないが、妖怪に目をつけられるというのは引っかかるものがあった。
「拾ったって……、どこかで……?」
「下級の妖怪からは、だね」
「それしか聞けない、だよ」
やはり、詳しい事は玉藻の前の近くにいる強い妖怪だけなのかもしれない。だが、どれが階級の上な妖怪なのかよく分からない。
 紅蓮(ぐれん)は少し考え込むと、
狐坂(こさか)がいた以上、体制を立てなおして再度襲撃は無理そうですね。従者の事も気になりますし、玉藻の前を探しましょう、久久能智(くくのち)様」
そう提案した。(ぬえ)もそれを聞いて懲らしめる事にもつながる、と賛同した。個人的に恨みがあるわけではないが、術をかけて引き離されたことをまだ根に持っているらしい。
 しばらく歩いたが、たくさん居たはずの妖怪達はめっきりと見なくなった。足音でもすれば襲い掛かってきたのにも関わらず、一体も姿を表さない。いつきは不審に思いながらも面倒な事が起こらなくてどこか安堵しているようにも見えた。
「妖怪の気配が、だね」
「少なくなってる、だよ」
双子は不意に立ち止まってそうポツリと言った。襲ってこないのは最初に感じた時よりも妖力が減っているかららしい。(ぬえ)たちが倒しすぎたのか、それとも潜んでいるのか。
「仲間われ?」
「あまり意味はないと……思う……」
久久能智(くくのち)の疑問にいつきは否定した。
「どこかで待ち受けて一気に襲いかかってくるかもしれませんね」
「疲れて休んでるんじゃねぇの?」
紅蓮(ぐれん)が言ったすぐ後に、笑いを交えながら(ぬえ)が言った。双子はニコッと笑いながら妖怪は疲れない、と言った。
「妖力は、だね」
「体力と、だよ」
「「同じようなものだから供給すれば疲れない、だね(だよ)」」
「供給?」
(ぬえ)は首を傾げて紅蓮(ぐれん)を見た。彼は首を振ったが、まずは自分の知っている知識を口にした。
「簡単に言えば、与えるって言う意味だな」
「供給は、だね」
「体を作る物を、だよ」
「「取り込めば供給できる、だね(だよ)」」
「手っ取り早いのは共食いか……、人間を……食らえばいい。血や吐く息でも良いらしいけれど……」
不意にいつきがエグいことを言うと、(ぬえ)紅蓮(ぐれん)の顔が白くなる。玉藻の前を初めて見た時、人間を用意したとか言っていた気がしたからだ。
「妖怪の餌になる人間が不憫(ふびん)でならねぇな……」
何があって餌になっているのかは知らないが、本人達はきっと望んでいなかっただろう。
「陰陽師や妖力がある人間は妖怪の餌になりやすいって、そういえば高御産巣日(たかみむすび)様が言ってたなぁ」
「え?高御産巣日(たかみむすび)?」
ふと思い出したように言った言葉の中には、今出てくるはずも無い名前を確かに彼は言った。全員反応したが、(ぬえ)神産巣日(かみむすび)がその名前を口にした事があるような気がして疑問を言葉に出した。
 久久能智(くくのち)(ぬえ)の方を向いて何かを言いかけたとき、紅蓮(ぐれん)が驚いた様に辺りを見回して叫んだ。
風雅(ふうが)はどこ行った!?」
彼の姿を探すまでに僅かな時間がかかったが、数秒するといつの間にかいなくなっていることが分かった。
「マジかよ?!確かにいねぇ!」
「静かだと……思った……」
彼は元々あまり喋らないからそこに居るものだと思い込んでいた。紅蓮(ぐれん)が気が付かなかったらこのまま気付かなかったかもしれない。
「引き返す?」
「馬鹿じゃないだろうから平気だとは思うんですけど、何かあったら困りますね」
大声にならない程度に彼の名前を呼んでみたりしたが、気配はなく返事もない。いつからいなくなったのか分からない以上、元来た道を引き返しても入れ違う可能性だってある。
 仕方がなく今は進むしかないと決意して正面を向いた。この一件が片付けば自然と彼に遭遇できるだろうと判断したからだ。途端、久久能智(くくのち)に向かって矢が物凄いスピードで飛んできた。
「! 久久能智(くくのち)様!!」
紅蓮(ぐれん)はナイフを取り出して弓矢を弾く。その弓矢は力のない紅蓮(ぐれん)が斬り裂いただけで二つに割れた。よく見るとその弓矢は木の枝を削ったようにも見える。
 全員が弓矢の放たれた方向を睨んで、次の攻撃に備えた。遠距離攻撃を仕掛けてきたのなら、そのまま茂みに潜んで次の攻撃を行う可能性が高いからだ。
 しかし、次に放たれた攻撃は弓矢ではなかった。一瞬何かが光ったかと思うと、マシンガンのように大きな発砲音が無数に響き、数えきれないくらいの銃弾が(ぬえ)達を襲った。
蒼玉(そうぎょく)……!!」
いつきは蒼玉(そうぎょく)に指示を出して神器が光に変わると、それは魔法の壁となって無数の攻撃を防いだ。数秒間に渡った銃弾の乱射はすぐに止み、久久能智(くくのち)が神器を(かま)えてそれを投げる。
 木々が伐採されたかと思ったが、木々など無いようにすり抜けて狙った場所にたどり着き、攻撃を仕掛けてきた相手に鉾が直撃する。ドサッと何かが木の上から落ちる音がすると、(ぬえ)紅蓮(ぐれん)、アサヒとユウヒは走り出して音がした方向に向かう。
 汚れている服に身を包んだ少年は頭を押さえながら(ぬえ)達を睨みつけて立ち上がる。その少年は間違えなく、玉藻の前の傍にいた従者だった。
「あ、お前!」
奈落(ならく)が探していたのは間違えなくこの少年だろう。アサヒとユウヒが近づくと少年は後ろに跳びのいて威嚇する。玉藻の前に利用されているのか、それとも大事にしてくれているのかはわからないが、確実に(ぬえ)達を敵視している。
「どうして、だね」
「妖怪と従者は、だよ」
「「仲悪いのに、だね(だよ)」」
双子は少年に近づいた。外見年齢はそんなに変わっていないようにも見える。実際生きている歳はどちらが上なのかは分からないが。
 しかし双子が近づくほどに少年は後ろに下がって警戒する。
「気絶させるか?もし狐おばさんに利用されてんなら助けてやらねぇとだろ?」
「狐おばさん?」
紅蓮(ぐれん)はこんな時にもなって馬鹿な事を言うのか、と(ぬえ)を呆れた目で見たが紅蓮(ぐれん)はまず、その少年は玉藻の前を慕っているのか否か確認したようだった。
 すると少年が地面に落ちていた大きめの石を拾ったかと思うと、その石に力が集結した。石は力を受けて変化を遂げ、もともと石だったのが嘘のようにみるみる剣に変わっていった。
「!!」
見た事もない力にその場にいた全員が唖然とする。少年はその間にも容赦はしないように走り出し、いつきに向かってその剣を振るう。いつきは即座にグングニルを召喚(しょうかん)してその刃を受け止める。(ぬえ)は走り出して彼を傷つけないように大鎌の柄で彼の背中を叩く。少年は不思議な事はできるがそれ以外は長けていないのか、あっさり(ぬえ)の攻撃は直撃した。
「ええ~、避けるかと思った」
今までの経験上今の分かりやすい攻撃で避けなかった者はいない。刃の方で攻撃しなくて良かったと安堵した。少年は打撃を受けて一瞬痛そうによろけて我慢しているように痛みに顔を引きつらせながら距離を取る。
「ねえ、何だか攻撃しがたいよ」
久久能智(くくのち)は神器を消して少年に話しかける。戦闘に慣れていなく、奈落(ならく)が少年を探している以上彼を倒すのは忍びない。
「君、利用されているの? それとも恩義で従っているの?」
彼の問いかけに少年は何も言わない。痛みが引いてきたのか深呼吸をすると、汚れた服からほつれた糸を千切(ちぎ)って木の枝を二本持ち、先ほどのようにそれを変化させた。弓と矢だ。紅蓮(ぐれん)は弓矢を誰にも当たらないようにするために、銃を(かま)えた。
 少年は弓を引いて放ったが、正面を向いていたから久久能智(くくのち)に当てるかと思ったら軌道を変えていつきを狙う。
「……!?」
全く別の方向に放たれたことに一瞬いつきは焦って神器を持つ手が追い付かなかったが、アサヒが素早く反応して弓矢を打ち落とす。短く礼を言って少年を見る。少年の瞳は、明らかにいつきの何かを見ている感じだった。
 少年はすぐさま弓を捨てて先ほどの剣をいつきに投げる。彼は無論その剣を打ち落とし、剣は粉々に砕け散った。(ぬえ)はそれを見て少年に向き直る。
「おいおい、露骨にいつきを狙ってんなぁ、お前」
大鎌を(かま)える。少年は何かを思い出す様に目を閉じてポケットを探った。
 そこには小さな袋が入っており、それを取り出して青いガラス玉を取り出した。ガラス玉は見た事もないような素材が使われているように見えた。何をするか分からないために警戒心を強めて(ぬえ)は地面を蹴って彼に斬り掛かろうとすると、少年は目を瞑ったままガラス玉を変化させる。石や木の枝を変化させた時よりも比べ物にならないほどの力が少年から感じられた。
 少年の持っていたガラス玉は槍の形状になったかと思うと、黒い雷を宿して少年の手に落ちる。完全な変化を遂げると、真っ先に驚いたのがいつきだ。その槍をその場にいた全員が見た事もあるもの。いつきの神器、グングニルそのものだった。
「嘘だろ……?」
物を武器に変えることができるという事は分かったが、まさか神々しか使えない神器を()せるとは思わなかった。
 少年は槍を(かま)えてじっくりと相手の行動を見据える。先ほど無茶苦茶に攻撃を繰り出してきていたことが嘘のようだ。
「ここにおったのか。探したじゃろうが」
その声は数度聞いた声。玉藻の前は少年の隣に降り立った。少し状況が変化した時に三大悪妖怪が現れるのは少々分が悪い状況だった。紅蓮(ぐれん)にぼこぼこにされていたのにも関わらず、既に回復しているようでピンピンしている。もしかしたら、先ほどの話題に上がったように、人間を喰らって回復したのだろうか。
 (ぬえ)達は武器を(かま)えると、玉藻の前に警戒しながら攻撃の隙を窺う。
「小僧、神々はお前に任せるぞ?」
玉藻の前が少年にそう言った。いつきの神器を模したその武器は同等の可能性がある。玉藻の前が勝ち目が少ない久久能智(くくのち)達を任せたのはそういう事だろう。
 玉藻の前は瞬時に姿を消すと、紅蓮(ぐれん)に向かって火の玉を放つ。ユウヒは紅蓮(ぐれん)の前に立つとそれを防ぎ、アサヒがナイフを投げて玉藻の前に攻撃をする。彼女はひらりと木に上って再び火の玉を無数に繰り出すと、(ぬえ)はそれを弾きながら走って高く跳び上がり、玉藻の前に大鎌を振るう。紅蓮(ぐれん)は銃を乱射して攻撃し、アサヒはナイフを投げた。
 玉藻の前が尻尾で体を守って攻撃を防ぎ、(ぬえ)に向かってその尻尾を振るう。木の上から降りて地面に着地し、紅蓮(ぐれん)は銃弾を変えて玉藻の前が乗っている木の枝に向かって発砲した。直撃した銃弾は起爆して玉藻の前が墜落すると、アサヒとユウヒが同時に彼女に斬り掛かる。後ろに下がりながらかわす彼女に、(ぬえ)は大鎌を一閃させて跳び上がったところを見計らって紅蓮(ぐれん)が銃弾を放った。
 少年は武器を(かま)えて久久能智(くくのち)との間合いを図る。久久能智(くくのち)が巨木を召喚(しょうかん)すると、少年は武器を振るってそれを斬り裂き、残った部分を足場にして勢いよく久久能智(くくのち)にとびかかる。だが、彼は大きな鉾で刃を受け止め、少年が後ろに後退するといつきが氷の結晶を放った。少年はいくつか掠って痛みに顔をゆがめた。
 久久能智(くくのち)が鉾を振るって地面をたたき割り、よろけた瞬間にいつきの放った鎖が脚を貫いた。身動きの取れなくなった少年に久久能智(くくのち)は腹に殴りを入れた。
「ごめんね」
その言葉とは裏腹に、思い切り吹き飛ばすとその直線状にいつきは黒い雷を放った。少年はそのまま倒れて動かなくなり、模された武器はすうっと消えた。
 玉藻の前がまさか倒されてしまうとは思っていなかったのか、少年が倒れたのを見て目を見開いて視線を(ぬえ)達から外した。
「よそ見してていいのかよ!」
(ぬえ)の一撃は玉藻の前の腕を斬り裂いて、肩に刺さったアサヒのナイフが爆発した。舞い上がった煙から玉藻の前が飛び出すと、ゴロゴロと転がってそのまま止まる。
 いつきがグングニルを槍投げの形に(かま)えて魔力を宿し、玉藻の前に向かって投げつけた。槍が地面に刺さった時には既に玉藻の前は姿を消していた。
「流石は……三大悪妖怪の一体……。逃げる事は……得意なようだな……」
「また逃がしてしまったか」
紅蓮(ぐれん)()しそうにそう呟くと、二丁拳銃を消した。アサヒとユウヒは一息ついて二人で手をつなぐ。
「この子、どうする?」
久久能智(くくのち)は少年をつついた。いつきが派手に最後に追い打ちをかけたために、一向に目を覚ます気配がない。
「とりあえず玉藻の前は、だね」
(しばら)く姿を見せなそう、だよ」
「これで()りたんじゃねぇ?」
(ぬえ)は笑いながら久久能智(くくのち)に言った。

 玉藻の前は森を走る。既に使える下僕がいなくなってしまった以上、どうする事も出来なかった。神々に勝てると思った自分がバカだったのだ。自分が思っていた以上に、圧倒的な力。それは従者も同様だった。紅蓮(ぐれん)神衣(しんい)(まと)い、敵わないと判断した時にもうこの場を離れるべきだったのだ。
「じゃが、あれを探せば勝ち。残念じゃったのう……」
ニヤッと笑ってスピードを上げて走る。できるだけ離れる事で頭がいっぱいだったためか、通り過ぎる影に気が付かなかった。
 自分の体が転倒する。態勢を立て直そうとしたのに、足は言う事を聞かなかった。
「全く、手間を取らせないでよね。女の子に手を上げる気はないけど、仕方がない事ならやるしかないし」
無駄がない綺麗な茶髪を揺らして翡翠(ひすい)の瞳を持った美しい男は血の付いた薙刀を地面に立てる。
「お前は……、新入りの……!?」
腕で浮き上がって男を見る。その顔には見覚えがあった。その男は新入りだと言って玉藻の前の側近を申し出た物だった。妖怪の気配しか無かったが、今は玉藻の前がより一層嫌うモノに変わっていた。
「神力……!貴様、だましたのか!!」
「何で気が付かなかったの?逆にさ。まあ、いいや。よくもあの従者を好き勝手してくれたものだね。あの子は……世界にただ一人しかいないんだ」
地面に立てられた薙刀を再び(かま)えて玉藻の前に突き立てた。
「いろいろ調査する私の身にもなってほしいね」
三大悪妖怪の鮮血があたりに飛び散って草花を赤く染める。元々普通の色だった小さな岩は、その赤を受けて染まった。
 男は不思議な瞳で死体を見つめながら歩き出した。
「あーあ、面倒くさいなぁ。可愛い子がいたら大歓迎なんだけど」

 少年はゆっくりと目を開けた。目の前にあった双子の顔に驚いて一瞬後ずさるも、安心したのかほっと溜息をついた。しかし、玉藻の前を探していたのかきょろきょろとした後、小石を拾って全員を睨みつけて力を手の平に集中させる。
「あ、俺たちに攻撃の意志はない」
紅蓮(ぐれん)は少年をなだめるように優しく言った。警戒を解いたのかそうでないのかは分からないが、少年は小石を後ろに投げると立ち上がり、少しずつ後ずさった。
「ねえ、僕は君を助けたい。玉藻の前は君を見捨てて逃げたよ。僕たちは十分お仕置きはしかからこれから帰るつもり。あの妖怪は従者が嫌いみたいだったし、どうせ君も嫌々だったんでしょ? 僕たちと一緒に来ない?」
久久能智(くくのち)が少年に語り掛ける。(ぬえ)は何も言わずに黙って聞いていた。それよりも(ぬえ)には首にある首輪が気になって仕方がない。いつきには足枷が付いているが、それは意味のあるものだ。少年の今の格好も従装(じゅうそう)とは思えないので、装飾ではなさそうだ。
 少年は一瞬目を輝かせた。しかし、すぐに表情を曇らせる。
「どうしたの、だね」
「どうしたの、だよ」
双子は少年に近づいてそう問いかけた。少年は静かに首を振ると、自分の首輪を指さした。
「それがどうかしたのか?」
紅蓮(ぐれん)は少年に目線を合わせて首輪に手をかけている少年にそう聞くと、紅蓮(ぐれん)は首輪に触れる。
「いった!」
炎のようなものが紅蓮(ぐれん)の指先に走ったかと思うと、紅蓮(ぐれん)は手を引っ込めた。久久能智(くくのち)が最初に言っていたように、変な術がかかっているらしい。
「それがあるから一緒には行けねぇってか?どうにかなんねぇのか、いつき」
彼はしばらく首輪を見つめると、お手上げだとでも言うように首を振った。
「無理……。私は……この辺りの専門ではないから……」
久久能智(くくのち)も双子を見るが、彼らも首を振った。(ぬえ)は切断してみるかと思ったが、彼を傷つける可能性があると久久能智(くくのち)が止める。いつきは容赦なく魔法を繰り出そうとしていたのだが。
 少年は言い合っている(ぬえ)達を見つめていたが、茂みから音がして肩を大きく上げて驚きながら後ろを振り返った。(ぬえ)達に付いてゆくことを、逃げたいと思う事を(とが)めに来たのだと思ったのだ。日に日に増えてゆく玉藻の前の欝憤(うっぷん)晴らしのこの傷は、消えることがあるのだろうかと何度も思っている。首輪は自分が主人を裏切ろうとすると首を絞めるもの。今は迷っているから絞められてはいないが、苦しい事には変わりはない。
 茂みから出てきたのは子鬼だった。目隠しをて男の子の形を模している。見た事もないその恰好をじっと見ていると、子鬼は少年に手招きする。敵意を向けていないと判断すると、(ぬえ)達に何も言わずに子鬼に付いて行った。
 (ぬえ)達から少し離れた小さな原っぱ。周りは木々によって死角になっており、茂みをかき分けないとこの場所を見つけられるかどうかも危うい場所。その場所に、端正(たんせい)な顔立ちをした青年が立っていた。後ろには大きく位の高そうな狼が座っている。彼の見た目からして、陰陽師だろうか。首にかけられたお守りが風で揺れた。
「初めまして、やな」
青年は微笑んだ。少年は嫌な予感がして少しだけ後ろに下がる。確認もせずにここまで子鬼に付いて来てしまったが、この男は敵の可能性があった。地面に生えていた草を一本引き抜いた。
「そんな警戒せんでええで。取って食ったりはせぇへんし」
青年はゆっくりと少年に近づく。少年は動かずに、そして一切の隙を見せずに青年を睨む。
 青年は御札(おふだ)を取り出すと、それを青い炎の小さな短剣に変える。瞬時に降り降ろされたそれに、思わず少年は目を瞑ってしまった。
 鈍い音がして首から違和感が消え、少年が目を開けると穏やかに笑う青年の顔がそこにあった。少年は首を見ると、首輪は無くなっていた。何度も何度も自分の首を触って青年を見る。
「ふふっ、夢じゃあらへんで。これでぬしは自由や。……で、頼みがあんねん」
少年は青年を見る。青年は細い竹を取り出した。
「これを、筆に変えてほしいんや。ぬしならできるやろ?」
いろんな素材を見分けてきた少年だからこそ、その竹はただの竹ではなかった。本当に言うとおりにしていいのかと疑わしくなったが、一生取れることのないであろう呪縛を解いてくれたので、少年はその竹を筆に変えた。竹が(あわ)い光に包まれて形を変化させる。装飾が施されたその筆は、感じた事のない力を宿していた。
 青年は筆を受け取ると、立ち上がった。ふっと微笑むとそれを懐にしまい、少年の頭を優しくなでた。
「ありがとうな。お礼に、わいの得意な手品を見せたるわ」
青年は両手を広げると、不思議な力を(まと)った。少年は何をするのかと疑問に思い、それよりもどこか懐かしい雰囲気(ふんいき)に感じ入っていた。
 青年の周りに無数の文字が現れ、その文字はどこからともなく現れた無数の紙に刻まれてゆく。青年が手を伸ばすと、本なのにもかかわらず紙が一切入っていないモノが現れた。
琥珀(こはく)(ページ)をここに」
「!?」
少年は彼が言った言葉を疑った。今この男は、伝えた覚えもない自分の名前を言ったのだ。それを口で言おうとすると、のどが痛くて言葉にならなかった。
 青年の手にある本に、無数の紙の中から厳選(げんせん)されたように特定のモノだけ集められ、一冊の本を作った。本は見えない速さでペラペラとめくられ、青年はそれを見ながら目を細めて冷や汗をかいた。大丈夫かと近づくと、青年が見ていた本は消えてその辺りに浮いていた文字や紙はいつの間にか無くなっていた。
 青年は後ろにいた狼に倒れこむ。狼を支えにして立ってはいるが、苦しそうにも見える。彼は口を開いて少年に告げる。
「ぬしは居場所が欲しいらしいな。高天原(たかまがはら)天照大神(あまてらすおおかみ)を頼るとええ。欲しかったものがそこにはある。ぬしの声も、術の(たぐい)じゃないから高天原(たかまがはら)の水を飲めば自然と治るはずや」
少年はその言葉をしっかりと記憶して頷いた。少年のこれからを、この青年は教えてくれた。お礼を言いたかったが、自分の声では彼に伝えることはできなかった。
 なぜ少年の事を、伝えてもいない事を分かったのかと聞こうとしたのだが、彼の支えとなっている狼は早く行くように促した。その威圧(いあつ)は少年の体をビクッと震わせ、少年は怖くなってその場を立ち去る。
 完全に(ぬえ)達の姿が見えると、(ぬえ)はいち早く少年に気が付いて駆け寄った。目に浮かぶ魔法陣は、能力を発動している証拠だった。
「お、見つけた! どこ行ってやがったんだよ!!」
その声に全員反応して(ぬえ)の元に駆け寄った。双子は(ぬえ)達の後ろから顔を出して何かに気が付いたように首を傾げた。
「首輪、だね」
「無い、だよ」
本当だ、と紅蓮(ぐれん)は少年の首元を見る。そこにはいつきでも無理だと判断した首輪が無くなっていたのだ。
 少年は先ほど来た方向を指さしたが、そこを覗いてみても誰もいなかった。とりあえずはこれで大丈夫だと判断して久久能智(くくのち)はほっとして、行く場所がないなら自分と来るか、と提案した。
「お前んとこに行って何かあんの?」
鹿屋野比売(かやのひめ)が従者が欲しいって言ってたんだ」
(ぬえ)の問いかけに久久能智(くくのち)が答える。鹿屋野比売(かやのひめ)は一人で暮らしていて寂しいそうだ。しかし、少年は俯いて何かを伝えようとしていた。いつきはアサヒとユウヒに持っている物を聞いて、それを貸す様に言った。双子はそれぞれ巻物と筆を取り出して少年に渡す。
 少年はそれを受け取ると、巻物の紙の部分に何かを書き始めた。「高天原(たかまがはら)に行きたい」、という一言だけだったが、少年からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
「ていうか、この子喋れないんだな」
紅蓮(ぐれん)はどうにかできないのかと思ったが、術をかけられている可能性もあるのでどうしようもないだろうと結論を出して不便だなと思っていた。
「喋らないのはあの首輪のせいじゃねぇのか。面倒だなぁ、玉藻の前って」
(ぬえ)はどこに行方をくらませたのか分からない玉藻の前の名を出した。
 「……あいつは、どこに行ったのだろう……」
いつきは疑問を口にすると、久久能智(くくのち)は懲りたとも思えない、と付け足した。双子も気配を辿ってみたものの、途中で消えてしまったと話した。
「そういや風雅(ふうが)もどっか行っちまったよな。狐坂(こさか)の事もあるし、探した方がいいんじゃねぇ?」
「そうだな、この子は高天原(たかまがはら)に行きたいって言ってるけど、狐坂(こさか)が何をするか分からないし、風雅(ふうが)があいつに接触していたら面倒だな」
風雅(ふうが)の気配を辿ることはできないだろう。近くにいる者の気配はいつきや久久能智(くくのち)が感じることができるかもしれないが、遠くにいる者は無理かもしれない。
 紅蓮(ぐれん)は癒してくれた恩があるからと、自分一人でも彼を探すと言った。久久能智(くくのち)も兄弟の従者なので、見捨てるわけにはいかないと紅蓮(ぐれん)に付いて行くことにした。
「……私は、この子を……高天原(たかまがはら)に連れてゆく……」
(ぬえ)はその言葉に驚いて彼を止めた。
「待てよ、お前、敵視されてんだぞ!?易々(やすやす)と命を明け渡すようなもじゃねぁか!!」
いつきは慌てる(ぬえ)を見てため息をついた。何だよ、と(ぬえ)は気持ちを切り替えて彼に問う。
「私は別に……自分で天に昇るとは……言っていない。……(ゲート)で送るだけ……」
(ぬえ)はそれを聞いて安心したようにほっと息を着いた。(ぬえ)は少年が離れないように手をつなぎ、紅蓮(ぐれん)はそれを見送って久久能智(くくのち)と一緒に森の中へと入っていった。

 奈落(ならく)は途中から付いて来ていた男に嫌気がさしつつも、前を向いて歩いていた。男は先ほどに、自分の姿を見つけると一緒に行くと言い出したのだ。
「なぜ私と共に来る?」
貴方(あなた)神産巣日(かみむすび)様の従者です。何かあられては主人に顔向けができません」
何の言い分かは分からないが、いざという時に(おとり)にできると考えて連れてはいるが、複雑に行動しても彼が自分を見失う事は無かった。不思議なのはそれだけだが、妖怪に出会った時に冷静に処理していたので足手まといにはならないだろう。
 静かになったころ、前方から何かが歩いてくる音を感じて刀の鯉口を切った。目を細めてできるだけの神経を使って警戒する。姿を現した人物は、前に見た事のある人物だった。
「……!? 邪神(じゃしん)の従者!」
狼の上に座る彼は奈落(ならく)に気が付いて顔を向ける。奈落(ならく)はすぐにでも彼を斬りつけることのできる体制に入っているが、彼は全く動じなかった。それどころかふっと微笑んで生気のない瞳が奈落(ならく)を見る。
「遅かったんやな。もっと早く来ると思っとたで」
「はぁ?」
予想外の言葉に奈落(ならく)は思わず声をもらした。神産巣日(かみむすび)の結界の中で命令を与えられ、誰も言わずにここまで来た。否、誰かに会って話したとしても邪神(じゃしん)の従者には話さないだろう。
「なんだ、その恰好……。そんな姿だったか……? まるで陰陽師……」
奈落(ならく)(ぬえ)達からポツリと聞いた事がある。邪神(じゃしん)の従者がなんとか、と。よく聞いてはいなかったが、この事だとは思わなかった。だが。彼の姿は初めて会った時とは違っていた。茶色いローブではなく、青い生気の入った瞳だったはずである。彼は最初を連想できない変貌(へんぼう)ぶりだった。
 その瞬間、後ろから誰かが飛び出した。それは見なくても分かる。奈落(ならく)が心配だからと付いて来ていた風雅(ふうが)だ。
「貴様は……貴様はぁぁ!!」
物静かだった彼からは想像できないくらいに殺意に満ちて、怒りを(あら)わにしていた。手裏剣を閻魔(えんま)に向かって投げたが、狼は彼を守るように額の紋章を光らせて、妖力で透明な壁を作って手裏剣を弾く。風雅(ふうが)はクナイを取り出すと斬りつけるように振るう。しかし、先ほどと同様に弾かれた。閻魔(えんま)は何も感じていないようにその姿を見ていた。だが、風雅(ふうが)は確実に彼に敵意を向けている。
「何なんだ……」
奈落(ならく)は呆気に取られていた。風雅(ふうが)は当たらない攻撃を何度も何度も撃ち続け、その怒りを消す事は無い。
「はあっ……」
閻魔(えんま)はその様子にため息をつくと、右手の中指と人差し指で五芒星(ごぼうせい)(えが)き、その中心に御札(おふだ)を貼る。御札(おふだ)はたちまち力を宿して(えが)かれた五芒星(ごぼうせい)の角に力が広がり、
全解放(ぜんかいほう)五行陣演武(ごぎょうじんえんぶ)
そう言って(いん)を結ぶと集まった五つの力は魔法弾となって風雅(ふうが)を襲う。
 風雅(ふうが)は攻撃を喰らってその場に倒れ、閻魔(えんま)は気にせずに狼に先に行くように促した。
「待て、私を忘れるつもりか」
奈落(ならく)はいつの間にか狼の近くに迫っており、彼に刀を向ける。彼は動じることなく刀に触れた。無論、触れた指からは血が(したた)った。奈落(ならく)があまりにも警戒心がなさすぎると驚いていると、彼は静かに言った。
神産巣日(かみむすび)の従者、狐坂(こさか)奈落(ならく)()けられない未来がそこにはある。貴方(あなた)は、それをどうやって回避する?」
「……?」
一瞬、彼の目が変化したような気がした。しかし、瞬きをしてじっくり見ると何事もなかったので、気のせいかと判断して刀を引く。彼の行動は理解ができなかった。敵意はなさそうだが、邪神(じゃしん)の従者であることには変わりはない。
邪神(じゃしん)の復活を望むのなら、ここで殺す」
「ふふ、紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)と同じこと言うねんな」
彼女と一緒にされて自然と怒りが込み上げる。閻魔(えんま)は人差し指を口に当てて気になる事を口にした。
「この後に別天津神(ことあまつかみ)の一柱が結界を張る。面倒やったら逃げた方がええで?」
奈落(ならく)が聞き返す前に、狼は既に走り出していた。
 奈落(ならく)は起き上がった風雅(ふうが)に声をかけると、彼は閻魔(えんま)の走り去った方角を見て歯を食いしばった。

 降臨ー高御産巣日神の登場ー

 降臨ー高御産巣日神の登場ー

 少年の手を繋いでいるいつきにあり得ないという眼差しを向けながら、(ぬえ)はいつきの後ろを歩く。久久能智(くくのち)は少年が退屈しないようにしているのか、返事が返ってこなくても淡々と話し続けていた。
 紅蓮(ぐれん)はその様子をじっと見ていると、いつきに向かって言葉を投げかけた。
「どうしてほとんど何も分からないその子に優しくするんですか?普段のいつき様だったら、見捨てるような気がするんですけど……」
いつきは振り返らずに木の根を(また)ぐと、静かな口調で言った。
「力が普通じゃないから……。それに、こいつは……私の神器を模せた……。きっと何かあるはず……」
「にしては優しすぎるよな。お前、なにか裏あんじゃねぇの?」
(ぬえ)はからかうようにいつきにそう言うと、彼は(ぬえ)をきっとにらみつけた。その目は今にも攻撃をしそうな目だった。冗談のつもりで言ったのだが、そこまで怒ると思わなくて少し気分が落ち込んだ。
 双子は周りで見ている妖怪たちを見回して、攻撃してきそうなものにはアサヒがナイフをちらつかせた。本当に今残っているのは小物だけなのか、攻撃するそぶりを見せただけでビビッて物陰に隠れてしまう。
「急に静かになったね。仕切っていた玉藻の前が居なくなったからかな?」
久久能智(くくのち)がそう呟いた。
「だろうな。強い奴の後ろに隠れて笑ってたんだろこいつらどうせ」
 すると久久能智(くくのち)が神器を召喚(しょうかん)した。ブンと頭上で一回転した後に柄の先を地面に突き立てた。地面に突き刺さった鉾は、ずんっと音があたりに響いた。
「君達、今だから言うよ?玉藻の前の後ろに隠れて木々の命を奪った事、僕は絶対に許さない」
いつも優しい瞳をしている久久能智(くくのち)の目はギラギラと光っていた。どんなに純粋な者でも、大切なものを傷つけられたらそれは怖くなるだろう。
「見逃すわけじゃない。これから、君達を見つけたら容赦なく葬っていく。それが神様に刃を向けた罰だ」
それだけ言うと神器を(かま)えて一閃させた。強風が巻き起こって小さな妖怪たちは後ろに飛ばされ、中くらいの妖怪たちは草木にしがみついて風を耐えた。
 久久能智(くくのち)は神器を消すと、いつきに早く行こうと促してさっさと歩きだした。紅蓮(ぐれん)も小走りで彼の隣に並んで歩く。いつきは森を見つめていた少年の腕を引いて歩き出し、(ぬえ)はじゃあな、と言った後にいつきに続いた。双子はその後ろについて歩き始めるが、双子の内の一方が立ち止って妖怪たちに見下したような笑いをした後に、一緒に歩幅を揃えてもう片方と歩き始めた。
 歩き始めた数十分、とうとう祠を抜ける、と言った時だった。
「「伏せて、だね(だよ)!!」」
双子の急な声に全員が反射神経に従ってその場に伏せる。その瞬間、膨大な魔力が辺りを包んだかと思うと、頭上を何かが通り過ぎた。そして魔力は目の前で固まり、(すだれ)のようなものに変わった。まるで森全体を覆っているかのように出口の周りは全て簾でふさがれている。
 全員、治まったところでその場を立ち上がる。完全に出口を塞がれているのを見て、久久能智(くくのち)は絶句した。
「何だろう、この力。強い……」
いつきは(すだれ)に近づいてそれにそっと触れた。バチッと何かが弾け、いつきの指先は何かに斬られたように血を流した。彼は指先を握り、ゆっくりとその場を下がる。
 紅蓮(ぐれん)とアサヒは遠距離で壁の破壊を試みるが、それは何かに吸い込まれるように消えてしまった。久久能智(くくのち)(ぬえ)は武器を召喚(しょうかん)してぶつけてみるが、まるで押し出されるようにはじき出された。
「何だよこれ……」
(ぬえ)は壁を睨みつけながら、ぎゅっと大鎌を握りしめた。
 いつきは少年の隣に行くと、
「これだけ大規模な……魔法……、どこかに弱い場所があるはず……。そこを探そう……」
「この長さを? だね」
「この距離を? だよ」
双子はぐるっと周りを見回していつきの言った事に対して言った。
「そうですよ、さすがにこの辺一帯を少しずつ探すなんて」
紅蓮(ぐれん)も呆れたようにいつきに言った。久久能智(くくのち)もそれだけは勘弁してほしいような様子だった。
 しかしいつきは歩いて探すわけではない、と少しむっとした様子で言った。両手を前に掲げ、蒼玉(そうぎょく)召喚(しょうかん)して横に浮遊する。
「私を……甘く見るな……」
手の先に魔法陣が現れ、蒼玉(そうぎょく)の力がいつきに宿る。彼はその魔力を全体に放ち、黒い雷が(すだれ)全体に伝染するようにスパークする。そして、いつきはゆっくりと反対方向を見ると、その場所に向かって赤い鎖を放った。
 放たれた鎖は真っすぐと突き抜けて(すだれ)を貫通した。そこは先ほどに彼が言ったように、他よりも唯一弱くなっていた部分なのだろう。
「スゲぇじゃねぇか、いつき!」
(ぬえ)は嬉しそうに彼を誉める。しかし当の本人は表情は変わらずにさっさと蒼玉(そうぎょく)を消した。
「へえ、禍津日神(まがつひのかみ)の魔法ってこんな事もできるんだー」
久久能智(くくのち)は感心したようにそう声をもらした。少年もいつきを見て目を輝かせている。
「見世物じゃ……ない。早く行こう……」
「素直じゃないですねぇ」
紅蓮(ぐれん)はニコッと笑っていつきにそう言った。その刹那、いつきは神器を召喚(しょうかん)して頬を掠めるように紅蓮(ぐれん)に神器を向ける。
「冗談ですよ、冗談……」
紅蓮(ぐれん)は両手を上げて冷や汗をかきながらいつきに謝罪の言葉を述べる。双子は少し下がって怖がっているようだ。
 その瞬間、頭上に穴が開いたと思うと何者かが武器を振って一刀両断するように地面に振り降ろした。ドォン、という大きな音が響くと全員が割れた地面に従ってよろめいた。
 武器を持った者は一番近くにいたアサヒに向かって薙刀を振り、ユウヒは武器を投げて壁を展開させ、攻撃からアサヒを守る。久久能智(くくのち)が素早く体制を立て直すと、鉾を敵に向かって振った。すぐさま敵は薙刀で鉾を防いだ。
 全員が状況に追いつき始めた時、その男の姿をはっきりと捉える事ができた。
 茶色の髪に緑色の瞳。そして紫色の紅葉が散る神衣(しんい)(まと)っており、桜の模様が描かれている薙刀で久久能智(くくのち)の攻撃を防いでいる。その容姿は誰もが振り返るほどに整った顔立ちだった。
「なんで、ここにいるの?高御産巣日(たかみむすび)様!」
久久能智(くくのち)はその名前を言うと、鉾を振って彼を後ろに吹き飛ばす。彼は空中で宙返りすると静かな音を立てて着地した。それを逃さずにいつきは魔法を彼に放った。しかし、ふっと身を翻してかわし、そして薙刀を降ろして陽気な声で語り掛ける。
「やあ、禍津日神(まがつひのかみ)ちゃん。ひっさしぶりだね」
 全員がいつきを見る。彼は心底嫌そうな顔をして高御産巣日(たかみむすび)と呼ばれた彼を睨みつけている。
「どういう事、だね」
「どういう事、だよ」
双子も驚いていつきを見ている。(ぬえ)は神様なのか?、と紅蓮(ぐれん)に耳打ちした。その疑問は久久能智(くくのち)が教えてくれた。
「知らないの!?高御産巣日神(たかみむすびのかみ)だよ!世界で二番目に生まれた神様で、別天津神(ことあまつかみ)の一人!!」
「え?つまり、どうなんだ?偉いのか?」
「すっごく偉いぞ、紅闇崎(こうあんざき)天照(あまてらす)様よりも圧倒的に」
(ぬえ)天照(あまてらす)高天原(たかまがはら)の統治神だという事を思い出し、やっと理解できた。
「なんでそんな偉い神様がこんなとこに居るんだよ!!そうには見えねぇけど!」
「失礼じゃない?!禍津日神(まがつひのかみ)ちゃんの従者!!」
(ぬえ)が指をさしてそう言うと、高御産巣日(たかみむすび)は指をさし返して(ぬえ)に言う。
 こほんと咳払いをして高御産巣日(たかみむすび)は前を見ると、少年の方を向いてから薙刀を(かま)えなおした。
禍津日神(まがつひのかみ)ちゃんともっと話していたかったけど、今はそんな場合じゃないんだよね。そこの君、私と一緒に来てもらうよ」
それを聞いて黙っている全員ではない。信用できない人物に、今まで自分たちが高天原(たかまがはら)に連れてゆこうとしている子を、そして戦って救い出した子を易々と渡すわけにはいかなかった。
 従者は前に出て武器を(かま)える。それが否定の意味だと分かったのか、高御産巣日(たかみむすび)はため息をついて戦闘態勢に入った。いつきは少年を背中に隠して蒼玉(そうぎょく)召喚(しょうかん)し、いつでも守れる体制に入る。
 (ぬえ)は双子が走り出したのを合図に地面を蹴って高御産巣日(たかみむすび)にとびかかり、大鎌で斬り裂いた。高御産巣日(たかみむすび)はそれをかわすと投げられたアサヒのナイフを薙刀ですべて叩き落し、(ぬえ)が次の攻撃に入る前に(ぬえ)の腹を(ひざ)で打ち付ける。
「がはっ!」
その瞬間に紅蓮(ぐれん)は二丁拳銃を(かま)えて無数に発砲した。高御産巣日(たかみむすび)(ぬえ)を突き飛ばして上に跳び上がると、紅蓮(ぐれん)の目の前に着地して薙刀を振った。紅蓮(ぐれん)は拳銃で間一髪のところで防いだが、高御産巣日(たかみむすび)は素早く紅蓮(ぐれん)の後ろに回った。反応しきれずに斬り裂かれる刹那、アサヒがナイフを投げて(ぬえ)が大鎌を振るった。
 彼は大鎌の柄を掴むとグイっと引っ張り、その力に身体は付いて行って前に出てしまい、アサヒのナイフを喰らった。その瞬間に高御産巣日(たかみむすび)がぐるんと薙刀を振って紅蓮(ぐれん)を斬り裂き、瞬間移動するように素早く双子の元へ行き、(ぬえ)に当たってしまった事に驚いているアサヒを無視してユウヒの目の前に行くと、彼の都合上反応しきれない速さで足払いをして倒れさせ、アサヒを薙刀で斬り裂いた。ユウヒは守れなかった事に対して体制を戻して攻撃をしようとするも、高御産巣日(たかみむすび)は薙刀の柄でユウヒを思い切り殴って吹き飛ばす。
 従者全員動けなくなると、高御産巣日(たかみむすび)久久能智(くくのち)達の方向を見た。従者がこれ以上戦えない事を理解して二柱(ふたはしら)は神器を(かま)えて警戒する。高御産巣日(たかみむすび)が左右に曲がりながら走り、久久能智(くくのち)に斬り掛かる。彼は防ぐと、いつきが槍を(かま)えて高御産巣日(たかみむすび)に攻撃する。久久能智(くくのち)を力で押してよろめかせ、いつきの攻撃を防いだ後久久能智(くくのち)は巨木を召喚(しょうかん)した。魔法を放って巨木を相殺すると、その中心から久久能智(くくのち)が飛び出していつきも鎖を放った。高御産巣日(たかみむすび)久久能智(くくのち)の鉾をしゃがんで回避し、いつきの鎖を薙刀で斬り裂いた後に久久能智(くくのち)に向かって魔法を放つ。いつきは魔法の壁を作って攻撃を防ぐと、魔法陣を展開して高御産巣日(たかみむすび)に向かって魔法弾を放った。彼も同じように魔法を放って相殺すると、久久能智(くくのち)の一撃を防いで彼との攻防をつづけた。その間にいつきは無数の氷の刃を生成し、久久能智(くくのち)が下がったところを見計らって氷の雨を高御産巣日(たかみむすび)に振らせた。
「!?」
彼に向かって放たれた魔法はその衝撃で砂煙を巻き起こし、視界が完全に遮断された。
 久久能智(くくのち)がいつきの隣に向かうと、やったのかと聞いた。
「……こんなものでやられるほど……あいつは……ヤワじゃない……」
その様子を見ていた従者たちは、痛みを耐えながらも立ち上がる。(ぬえ)はゆっくりといつきの傍に歩き出した。
 すると、砂煙の中から声が響いた。
「いやあ、やっぱりあの邪神(じゃしん)を倒した神様たちは違うねぇ」
全員がその声に反応して目を見開いた。視界が晴れてゆくと、いつきの放った氷の魔法は一つも彼に当たってはいなかった。彼は(あし)(イネ科の一種。(すすき)によく似ている)のような植物でドームのようなモノを作り、自分の身を守ったのだ。いつきの魔法はパリンと音がして粉のように空気に散っていった。
「いつき様と久久能智(くくのち)二柱(ふたはしら)でも傷一つ付けられないなんて……」
紅蓮(ぐれん)は驚いたように言った。その気持ちは(ぬえ)も同様だった。神様が強い事は知っているが、まさかずば抜けているいつきまでも彼に苦戦しているのだ。
 高御産巣日(たかみむすび)(あし)のドームを消すと、薙刀を横に(かま)えて静かに言い放った。
「これ以上時間を取られるのも面倒だし、さっさと片付けようかな」
途端、地面から(つる)のようなものが伸びて全員を縛り付けた。少年は何もされていないようだが、今にも内臓ごと潰されるくらいきつく締めあげている。
「ぐっ……」
「これは……っ」
「痛い、だね」
「痛い、だよ」
それぞれ口々に(うめ)いたり痛みを訴えていたりしている。
「……っ、グングニル!!」
いつきの声に応えるように槍が浮遊した状態で召喚(しょうかん)され、(つる)を狙うように刃をいつきに向ける。しかし、
「はい、無駄ー」
「っあああ!!」
高御産巣日(たかみむすび)が薙刀を前に突き付けたと思うと、いつきを縛る(つる)から痛いくらいに音が鳴る。力を込めた時に鳴る、ロープと同じような音だ。
「いつき!!くそっ!」
(ぬえ)は何とか力任せにできないかと思ったが、(つる)が固いのか自分の力が弱いのか分からないが、びくともしない。
 少年は何かないかと慌てた様子で辺りを見回した。彼のあの力は、何か物がないと意味をなさないからだろう。その様子を横目で見ていた高御産巣日(たかみむすび)はふっと笑うと、少年の方に向き直った。
「さあ、私と一緒に来てもらおう。君は大事な存在だから傷つけないよ、安心して」
高御産巣日(たかみむすび)はゆっくりと歩いて少年に近づいた。少年は距離を保つように彼が近づくごとに後ろに下がった。
「待て、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)!」
紅蓮(ぐれん)は彼に向かってそう叫ぶ。苦しそうな声で言っているのを見て、やはり痛いのだと分かる。高御産巣日(たかみむすび)紅蓮(ぐれん)に顔を向けた。
「その従者の事を大事な存在だと言ったな、その子は一体何なんだ」
「それ言ってどうすんの?私に特でもあるのかな?」
楽しそうに彼は笑った。最後の足掻きだとでも思っているのだろう。しかし紅蓮(ぐれん)は動じずに高御産巣日(たかみむすび)に言う。
「もし本当に大事な存在なら、その子も納得して貴方(あなた)に着いてゆくかもしれませんよ?」
紅蓮(ぐれん)は痛みに耐えながらもふっと笑う。高御産巣日(たかみむすび)は少し考えた後に、いいよ、と言った。
「その子は国津神(くにつかみ)の神々が使っている神器を造った、昔に生きた鍛冶師の転生。鍛冶師は天之御中主(あめのみなかぬし)が与えた能力で、今まで見てきた最高の武器たちを模して神器を造った。それが、今久久能智(くくのち)神や禍津日神(まがつひのかみ)ちゃんたちが使っている神器だよ」
痛みに耐えながらもいつきと久久能智(くくのち)はその言葉に反応を示した。
「確かに……、グングニルは北欧神話の……。久久能智(くくのち)様のハルバードってヨーロッパで使われていた……」
紅蓮(ぐれん)は思い出す様に記憶をたどってそう口にした。何の疑問を持たなかったが、今考えればなぜ国外の名前なのかが疑問になってくる。高御産巣日(たかみむすび)はゆっくりと歩き始めた。
「昔、どこぞの誰かさんが従者が人間に殺されたからって世界を消そうとした。その時、止めようとした国津神(くにつかみ)達の神器が戦いが終わったと同時に使い物にならなくなった。そして、落ち着いた御中主(みなかぬし)が世界を旅していた鍛冶師に頼んだんだ。願いを何でも叶えてやるから国津神(くにつかみ)達の神器を造ってほしい、と」
どこにでもあるおとぎ話のような話だった。神話には書かれていなかった話。おそらく、古事記が完成してからずいぶん後の話なのだろう。
混沌(よる)……」
すると久久能智(くくのち)が何かを呟いた。アサヒとユウヒもその言葉を聞いて俯いた。(ぬえ)は何の話かと久久能智(くくのち)に聞いた。
「昔、日本が消えてしまいそうな自体が起ったんだ。それは混沌(よる)って呼ばれる破滅。その時、僕たち国津神(くにつかみ)は総勢で守った。多分、それから神器が与えられたからその時の事だろうね。鍛冶師の事なんて知らなかった……」
「そう、だから神器を造ったり修復したりできる世界でただ一人しかいないそこの従者は、私たちが保護しなきゃならない。分かった?」
「なるほどな」
高御産巣日(たかみむすび)がそう言って少年に向き直ったその瞬間、紅蓮(ぐれん)(つる)(ほど)かれて彼が召喚(しょうかん)した二丁拳銃から銃弾が発砲された。高御産巣日(たかみむすび)は予想していなかったのか、その銃弾を喰らってから気が付いて後ろに飛びのいた。
「お前……どうやって……!!」
高御産巣日(たかみむすび)紅蓮(ぐれん)を睨みつけてそう言った。紅蓮(ぐれん)はニヤッと笑ってポシェットからサバイバルナイフを取り出した。そう、腕ごと体を縛られているので、紅蓮(ぐれん)(もも)にあるポシェットには余裕で届くのだ。
 紅蓮(ぐれん)は銃弾をそれぞれを縛っている(つる)に発砲した。(つる)は呆気なく銃弾で切れて、一瞬で痛みは消えて自由に動けるようになった。
「へえ、従者のくせにやるんだねぇ……。もうちょっと観察しておくべきだったよ」
「今の聞いて、だね」
「その子は余計、だよ」
「「キミに渡せない、だね(だよ)」」
「確かに、二番目に偉いって言われても、お前を信じるかどうかは別だからな」
(ぬえ)は大鎌を召喚(しょうかん)した。痛みの余韻(よいん)はまだ残っているが、十分戦える。
 高御産巣日(たかみむすび)は再び薙刀を(かま)えた。すると、後ろの方から誰かが走って近づく音が聞こえて高御産巣日(たかみむすび)は振り返る。そこには、奈落(ならく)風雅(ふうが)と一緒に走っていたのだ。
風雅(ふうが)!」
(ぬえ)は今までどこかに行ってしまっていた大山津見(おおやまつみ)の従者の名を呼んだ。紅蓮(ぐれん)奈落(ならく)と一緒にいる事を驚いていたが、その瞬間に高御産巣日(たかみむすび)が目の色を変えて奈落(ならく)にとびかかった。
奈落(ならく)ちゃーん!」
抱き着こうとする彼をすっとかわし、(ぬえ)奈落(ならく)は睨みつけた。当然かわされた高御産巣日(たかみむすび)は地面に衝突した。今気が付いたように、奈落(ならく)は彼の方向を見て見下すような視線を向けた。
「どうも、高御産巣日(たかみむすび)様。お久方ぶりです今すぐに高天原(たかまがはら)にお帰りください」
「酷い!奈落(ならく)ちゃん!!」
高御産巣日(たかみむすび)は地面に倒れたまま色々言っているが、風雅(ふうが)(ぬえ)達に駆け寄った。
風雅(ふうが)、君どこ行っていたの!?」
心配するように久久能智(くくのち)が言った。少し従装(じゅうそう)がボロボロになっているので、どこかで戦っていたのだろうと判断できる。風雅(ふうが)は気にしないでと言った後に、静かな声で奈落(ならく)を見つけて一緒に行動していたと言った。
「危ねぇぞ、あいつすぐに剣を向けるからな」
(ぬえ)奈落(ならく)をじっと睨んで風雅(ふうが)に忠告した。
「どういう意味だ、紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)。私は貴様のように誰これ(かま)わず刃は向けないぞ」
「嘘つけ、私には容赦なく斬り掛かってくるくせに」
それが奈落(ならく)にとっては起こる言葉だったのか、彼女は刀に手を添える。
「待って、今は……、だね」
「そんな事態じゃない、だよ」
双子は奈落(ならく)を制止する。奈落(ならく)は一瞬双子の方を見ると、その隣にいた少年を見て驚いて紅蓮(ぐれん)に聞いた。
「なぜこの子がここにいる!?あんだけ探してもいなかったのに!」
「え?玉藻の前に利用されていたのを助けたって感じだが……」
「まさか……、神産巣日(かみむすび)の従者も……」
いつきはハッとしたように奈落(ならく)を見てから高御産巣日(たかみむすび)を見る。奈落(ならく)は首をかしげていつきに言った。
「私も、とはどういう事だ」
すると久久能智(くくのち)が起き上がって土を払う高御産巣日(たかみむすび)を見ながら言った。
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)もその従者が目的なんだよ」
「そうだぞ、だから私たちはそいつから守ろうと必死だったんだ」
(ぬえ)がそう言い終わると、奈落(ならく)は辺りを見た。まるで森を覆うように囲われている(すだれ)。そして高御産巣日(たかみむすび)を見つめた。彼は陽気に手を振った。
 奈落(ならく)はそんな彼を見てずいっと近づいた。
高御産巣日(たかみむすび)様、鍛冶師の事は神産巣日(かみむすび)が引き受けると言っていたでしょう!なんで貴方(あなた)様がここにいるのですか!!」
高御産巣日(たかみむすび)は目をそらしながら奈落(ならく)から少しずつ離れた。
「い、いやぁ……。ちょっとその子を探しながら調査をー……」
「調査?何のでしょうか?」
奈落(ならく)はじっと彼を逃がさないような視線を向けた。二番目の神様はそんな威圧に勝てないのか、再び向けられる奈落(ならく)の視線からまた逸らす。
「えーっと、それは別天津神(ことあまつかみ)の事情で……」
別天津神(ことあまつかみ)の事情なら、神産巣日(かみむすび)様も入りますよね?つまり、従者の私も入る。教えてくれますよね?」
奈落(ならく)の言っている事に理解はできないが、どうやら高御産巣日(たかみむすび)は自分で動いていたらしい。
「ほら、私って一応下界にいた時に陰陽術を学んだし、妖怪の事は詳しくなったし……ねぇ」
「だから?」
奈落(ならく)は余計な言葉はいらない、と言ったように刀に手を添えた。高御産巣日(たかみむすび)奈落(ならく)には頭が上がらないのか、ヒッと顔を引きつらせて両手を上げた。
「ほら、今回の件は三大悪妖怪が関わっているって比古遅(ひこぢ)が言っていたじゃない?三大悪妖怪は平安の惨劇(さんげき)で二体ほど行方知れずだし、生き残りの事も気になってさ……。で、その調査のついでに鍛冶師をー……」
「そんな独自の調査は今やらないでください!!」
奈落(ならく)は刀を鞘に納めたまま高御産巣日(たかみむすび)の頭を思い切り殴る。彼は痛そうに(うずくま)って涙ぐんで俯いた。
 奈落(ならく)は少年の方を向くと、手を差し伸べた。
「さあ、行きましょう。今からゆくのは高天原(たかまがはら)の平穏の地。貴方(あなた)様を傷つけられる者はいない場所です」
だが、少年は紅蓮(ぐれん)の後ろに隠れた。奈落(ならく)はそれを見て驚くと、紅蓮(ぐれん)を睨んだ。
「この子は天照(あまてらす)の元に行きたいそうなんだ。それでも良い?高天原(たかまがはら)は同じだし、天照(あまてらす)の所だったら安全だと思うし」
久久能智(くくのち)奈落(ならく)の前に立って説得する。奈落(ならく)はなぜそんなところに、というと、少し考える仕草をしてからため息をつき、渋々承諾した。
 「なら、俺が連れて行きます……」
そう言ったのは風雅(ふうが)だった。
「僕たちも、だね」
「行く、だよ」
「そうだな、アサヒとユウヒは天照(あまてらす)様の従者だからな」
双子が言った後に紅蓮(ぐれん)がそう言った。奈落(ならく)は本当は主人に頼まれている以上、自分が連れて行きたいようだったが、少年が警戒しているので無理強いできない様子だった。
 高御産巣日(たかみむすび)奈落(ならく)の言葉であっさりと森を覆う(すだれ)を消した。余程奈落(ならく)に頭が上がらないのだろう。風雅(ふうが)と双子は一緒に高天原(たかまがはら)へ向かい、奈落(ならく)もその後ろに続いた。
「あいつ、狐坂(こさか)に弱いんだなー」
「……違う、高御産巣日(たかみむすび)は……女が大好きだから……何も言えないだけ……」
紅蓮(ぐれん)(ぬえ)はえっ、と声を揃えて驚いていた。そして高御産巣日(たかみむすび)が背伸びをすると、(ぬえ)達に振り返った。
「じゃあね、君たち。中々面白かったよ。あと、禍津日神(まがつひのかみ)ちゃん、また一緒にお話ししようねー」
それだけ言うと結界を開いてその中に入っていった。あっさり引き下がるのはおそらく奈落(ならく)に念を押されたからだろう。
「女好き?禍津日神(まがつひのかみ)ちゃん……?」
「まさか……」
紅蓮(ぐれん)(ぬえ)は口々にいつきを見ると、久久能智(くくのち)がとどめを刺すかのようにニコニコして言った。
高御産巣日(たかみむすび)様は、禍津日神(まがつひのかみ)の事を女だと思っているんだよ」
嘘だぁぁ、と紅蓮(ぐれん)(ぬえ)は大声を上げる。いつきはだからあいつが嫌いなんだ、と舌打ちをした。
 そして(ぬえ)はある事に気が付いた。
「ん?何で私女なのに何も言われなかったんだ?」




 男は剣を振るう。次々と襲い掛かる黄泉(よみ)の軍勢に、そろそろ体力が限界だった。雷神が醜女(しこめ)を指示して男を襲わせる。男はそれを見て再び剣を(かま)えると、その剣に力を宿して一閃させた。
「暴風=災色之刃断裂!!」
すると暴風が巻き起こり、まるで鎌鼬(かまいたち)が斬り進むかのように風を浴びた者は次々と斬り裂かれた。だが、どれだけ斬っても斬っても、数は減る事は無かった。
 男は叫ぶ。
「何としても根之堅州国(ねのかたすくに)を守れー!!」
神々はそれを聞いて更に意気を上げ、黄泉(よみ)の軍勢に立ち向かう。
須佐之男(すさのお)!」
美しい女性が男に近づいて神器で傷を癒す。男はお礼を言うと、雷神に再び向き直った。
 すると、岩場の上から女の声が響き渡った。
「良いですよ、良いですよ。黄泉(よみ)の者たち。このまま殲滅なさい」
高笑いしている女に、男は歯を食いしばって睨みつける。その間にも雷神は次々と襲い掛かってきていた。女神は心配そうに男を見る。
須佐之男(すさのお)……」
「大丈夫だ、櫛名田(くしなだ)。お前は俺が守ってやる!!」
女神はニコッと笑ってはい、と頷いた。
 その瞬間、(むち)が伸びてきたかと思うと女神を巻きつけ、岩場へと引かれた。
「きゃあああ!」
櫛名田(くしなだ)ー!!」
男は手を伸ばして襲い掛かる醜女(しこめ)を切り倒し、女神を追ったが次々と現れる軍勢に殴り倒され、その場に倒れてしまった。
「う……、ぐっ……!櫛名田(くしなだ)櫛名田(くしなだ)!!」
「ほほほほ!根之堅州国(ねのかたすくに)の王、須佐之男命(すさのおのみこと)貴方(あなた)の妻を返してほしければ、黄泉(よみ)までいらっしゃい。歓迎してあげます」
それだけ聞くと、男は気を失った。

驚愕ー小さな神様ー

驚愕ー小さな神様ー

 ジャージを着て走る、髪を上に結わえた女、そして短い黒髪が特徴の男がいた。走っているのは土手付近だが、今は早朝の為か道路を走る車しか外に出ている者を見かけない。
「なあ、白夜(びゃくや)
(ぬえ)は息を整えながらスピードを緩めつつ、隣を走る紅蓮(ぐれん)に話しかけた。
「どうした、紅闇崎(こうあんざき)
横目で彼は(ぬえ)を見た。彼も同様に息を整えながら走っている。従者になる前はこんなに体力がなかったはずなのだが、きっとここまで体力が付いたのはいろいろな戦いを経験し、従者として久久能智(くくのち)に従えているからだろう。
風雅(ふうが)が言ってたんだけどさあ、何だかお前が元気無いって……」
そこまで言うと、紅蓮(ぐれん)が立ち止っている事に気が付いて(ぬえ)は足を動かしながらその場に止まる。戦闘時に体力の限界を避けるために走っているので、立ち止まったら今までの苦労が無駄になる気がしたのだ。
 紅蓮(ぐれん)は少し俯くと、首を振って走り出した。
「あ、おい」
(ぬえ)もそれに続いて走り出す。心なしか、彼を傷つける事を言ってしまった気がした。
「なあ、ずっと思ってんだけどよ、悩みがあるなら言ってくれよ。友達とは言わないけど仲間じゃねぇか」
紅蓮(ぐれん)の走る速度が上がる。余程、彼が抱え込んでいる問題なのだろう。紅蓮(ぐれん)は一呼吸置くと静かに口を開いた。
紅闇崎(こうあんざき)が聞いてどうにかなる問題じゃないし、何かしてくれてももはや無理だ。だって……家の問題だから」
「別に話したくないならいいんだぜ?でも、何も全てが話して解決しないなんて事はねぇんだ。話して楽になるやつもいれば、悩みを解決できるやつだっている。抱え込んだってよっぽど意味ねぇぞ?」
紅蓮(ぐれん)の握る拳に力が入る。(ぬえ)も、紅蓮(ぐれん)が元気がないのは自分も嫌だ。いつきが自分を信頼していなかった時は少しだけ、心が重い状態だったのだ。仲間である紅蓮(ぐれん)が一人で悩み続けているのも嫌なのだ。自分にはどうしようもできない問題かもしれないが、話す事で軽くなってくれるのならいくらでも話を聞いてあげたかった。
 紅蓮(ぐれん)は走る速度を遅め、少し後ろにいる(ぬえ)に振り返って意を決したように何かを言おうとした。その瞬間、
「あらぁー、紅蓮(ぐれん)様。こんな所にいらしたのねぇー?」
甘ったるい声が聞こえ、キツイ香水の匂いがしたかと思うと、紅蓮(ぐれん)の腕に誰かが抱き着いた。金髪の髪を見て一瞬久久能智(くくのち)かと思ったが、彼は女ではないし何よりも背が違う。そして(ぬえ)が嫌がるような声と匂いをしていない。紅蓮(ぐれん)は嫌な顔をしていた。
紅蓮(ぐれん)様ぁー、わたし心配したんですよー?急にお部屋から居なくなるんですものぉー。あらぁー?」
すりすりと体を密着させて紅蓮(ぐれん)にすり寄る女に気味が悪いという視線を(ぬえ)が送っていると、それに気が付いて女は(ぬえ)の方を向いた。(ぬえ)を見た途端に紅蓮(ぐれん)に更に体を寄せる。
「やだぁー。紅蓮(ぐれん)様ぁー、浮気ですかぁー?でも、わたしの方が綺麗ですよねぇー?それにぃー、紅蓮(ぐれん)様はわたしの方が良いですよねぇー?」
さりげなく侮辱されて(ぬえ)はイラつきを感じて女に反応する。
「何だよ香水キッツいおばさん。そもそもその喋り方気持ちわりぃぞ」
「あらやだぁー。庶民ごときが何か言ってますわぁー。まあ、いくらあなたがアピールしても、紅蓮(ぐれん)様はもはやわたししか見ていないですよねぇー?ね、紅蓮(ぐれん)様?」
(ぬえ)が更に何かを言い返そうとすると、紅蓮(ぐれん)の表情が変わっている事に気が付いた。唇を噛みしめ、俯いてジャージの(すそ)を握って震えている。(ぬえ)が声をかけようとした時、
「帰ってくれ……紅闇崎(こうあんざき)……」
「で、でもお前……」
急に言われた言葉にうろたえつつも、紅蓮(ぐれん)に言おうとした。急に変化した彼は、彼女が現れた時からだ。つまりは。
「帰ってくれ!紅闇崎(こうあんざき)っ!!」
普段の彼からは考えられないくらいに怒りを含んだような声だった。いつもと違う彼に、(ぬえ)はこれ以上何も言えなかった。ただ、驚くしかなかったのだ。
 僅かな沈黙の間に風が二人の間をすり抜ける。紅蓮(ぐれん)は下を向いたまま歩き出した。
「……行こう、輝香(てるか)
「はぁーい♪ 紅蓮(ぐれん)様!」
(ぬえ)が動かずに固まっていると、女は振り返って舌を出した。(ぬえ)はそれにカチンときたが、紅蓮(ぐれん)に帰れと言われてしまった以上これ以上話しかけることはできないだろう。
 (ぬえ)が心に引っかかるものを感じつつも、きびつを返して帰ろうとした。だが、後ろにいた者に驚いて声を上げた。
「うわぁ!!」
「……そんなに驚く事……ないだろう、(ぬえ)……」
さらさらとした黒い髪を風に(ゆだ)ねるまま(なび)かせ、普段の着物に裸足、そして足枷を付けている。
「びっくりした!なんでお前が居るんだよいつき!」
「戦闘強化なら……協力しようと思って……」
彼は純粋な目で首をかしげる。まだ寝ているものかと思って起こさなかったのだが、(ぬえ)が家を出るときに起きたのだろうか。
 いつきは既に小さくなっている紅蓮(ぐれん)と女を見て、一言言った。
久久能智(くくのち)の従者……、嫌そう……」
(ぬえ)もいつきから紅蓮(ぐれん)に視線を移す。彼に女がすり寄り、頬をつついている。
「ああ、多分、紅蓮(ぐれん)が悩んでいたのはアレだろうなぁ……。確かにあれじゃあ悩みの一つになるわな」
久久能智(くくのち)の従者は……心が清らかだ……。このままでは……取り返しのつかない事に……なるかもしれないな……」
紅蓮(ぐれん)神衣(しんい)の事を思い出しながらいつきは言う。確かに、あの神衣(しんい)の状態では暴れる可能性が高い。
 (ぬえ)はいつきに返ろうと促すと、歩きながら言った。
「なあ、あの女どうにかならねぇのかな。紅蓮(ぐれん)に妹とかいなかったはずだし、部屋に居ないとか言ってたから……親戚とか幼馴染とか……」
許嫁(いいなずけ)……?」
「いや、そりゃねぇんじゃねぇかなぁ……」
いつきの言った言葉に(ぬえ)は否定の意を示す。確信はできないが、さすがに無理矢理結婚させるのは今の時代はないだろう。昔はよくあったらしいのだが。(ぬえ)は必死に考えてみたが、男に依存する女は怖い。久久能智(くくのち)の結界に逃がそうとも彼の家は金持ちで、総出で両親が彼を探すに違いない。そうなったら嫌な意味で彼は相当な有名人になりそうだ。従者である以上、それは避けた方が良いだろう。(ぬえ)の家に泊めようとしても、また同じ結果になりそうである。
 すると、(ぬえ)の下を何かが走った気がして足を止める。下を向いていると、葉っぱが動いているのだ。
「なんだ?虫か?」
「……?」
(ぬえ)といつきがそれに注目する。葉っぱは近くに転がっていた大きめの石にぶつかって葉っぱごとひっくり返る。
「あーあ……。ん?」
よく見てみるとそれは虫ではなく、小さな人の形をした神様だった。その神様は手の平くらいで、髪の色は土と完全に同化する色をしていた。背中には何か背負っている。包みに入っている為に何かは分からないが、微かに漢方の匂いがした。
 いつきはそれを見てハッとした顔をする。(ぬえ)が知っているのかと聞こうとすると、小さな神様は(ぬえ)達に気が付いて怖がった。
「わあ、人間だ!人間に見つかった!!従者、早う来い、何をしているのだ!」
慌てた様子で狼狽(うろた)えて、包みの中身を落としながら走り回った。包みから落ちたのは丸い薬で、黒い色をしていた。いつきはそっと手を伸ばし、薬を拾って小さな神様に渡す。だが、小さな神様は怖がって葉っぱの下から出てこなくなった。
 (ぬえ)ははっぱをぺらりとめくり、小さな神様に向かって声をかけた。
「落ち着け、私達は普通の人間じゃねぇ、従者だよ。こっちは主人の神様、いつき」
小さな神様は涙目で(ぬえ)を見上げ、いつきの方を見た。すると、目を輝かせて葉っぱを上に持ち上げた。
「わあっ!禍津日神(まがつひのかみ)じゃぁ!! 凄い、凄いぞ!!今日はなんていい日なのだ!」
ぴょんぴょんとウサギのように小さな神様は()ねる。(ぬえ)といつきは顔を見合わせた。高天原(たかまがはら)の神々には僅かに感謝されながらも敵として嫌がられている。なのに、この神様はいつきに会った事が嬉しそうである。
「申し遅れてしまったな。儂の名は少彦名(すくなひこな)!よろしくなっ!!」
少彦名(すくなひこな)?」
(ぬえ)は記憶をたどってみるが、わずかな知識しか出てこなかった。
「えーっと、誰かと一緒に国を造ったっていう……」
「……大国主命(おおくにぬしのみこと)だ。この子は神産巣日(かみむすび)の子で……一緒に出雲を造った後に……常世(とこよ)に渡っている」
「そうじゃ!儂は偉いのじゃ!!」
元気に彼は再び跳ねる。そしてマントのように持っていた葉っぱを自信に巻き付ける。
「儂は友の元に行こうと思ったのじゃ。久しぶりに顔を見ようと思ってな。でも、儂の従者が途中で居なくなってしもうたんじゃ」
きょろきょろと辺りを見回しているが、彼の身長では雑草しか見えないだろう。だから、(ぬえ)少彦名(すくなひこな)を持ち上げて頭の上に乗せた。彼は高さが急に変わって見える景色が変化した事が嬉しいのか、目を輝かせて空を見たり周りを見たりしている。
「どうだ?お前の従者いるか?」
「おらんのう……。どこに行ったのじゃ」
「……どんな……人なの……?」
いつきは少彦名(すくなひこな)にそう問いかける。珍しく、彼は一緒に探してくれる雰囲気(ふんいき)だった。
「うーん。結構(けっこう)生きているぞ?」
「それだけじゃ分かんねぇよ。従者は成長止まって長寿なんだからよ」
少彦名(すくなひこな)はそれを聞いてそうか、と今まで忘れていた様子だった。
 考え込んで思い出したように手を打つ。彼の大きさでは、石を地面に落とした程度の音だった。
「そうじゃ、力が強いぞ!!あと女じゃ! いろいろ知っていて助かっておる!!」
「特徴がいまいち掴めねぇな」
(ぬえ)は力が強いと聞いて腹筋が八つに割れているマッチョの姿の男性を思い浮かべた。しかし、女と言われてプロレスラー世界チャンピョンの女性バージョンを頭に浮かべる。だが、それでは中々しっくりこない。
「この辺りではぐれたのなら……、暫く歩こう……」
「そうだな、そうするか。いいか? 少彦名(すくなひこな)
(かま)わぬぞっ!」
協力をしてくれる事が嬉しいのか、彼は更に嬉しそうに笑った。(ぬえ)は会話がないのも寂しいので、少彦名(すくなひこな)に用事と何かを聞いてみた。少彦名(すくなひこな)は思い出したように袋を見せ、そこに入っている小さな黒い玉を持ち上げた。
「元々は顔を見に行こうと思っていいたのじゃ。でも、従者がこの綺麗な珠を見つけてな、土産にと思って持ってきた」
黒い玉はガラス製で、奥の方が透けて見える。(ぬえ)は頭の上で綺麗だと感動している少彦名(すくなひこな)に聞こえないようにいつきに耳打ちした。
「なあ。あれ……。ビー玉だよな?」
「……いいんじゃないか? 高天原(たかまがはら)にもそのような物は……出回っていない……。珍しいと捉えると……思う」
きっと宝物だと言っている少彦名(すくなひこな)を見て、何だかだましているような気持になった。ビー玉は百円でも買えるのだ。綺麗に思うのは小さい子供だけで、大人はただのおもちゃとしか思わない。
 少彦名(すくなひこな)はビー玉をしまい、電車が通っているのを見てはしゃいでいた。
「神様って意外と人間の造るものに興味を持つんだな」
興味のないような素振(そぶ)りを見せていた天照(あまてらす)とは対照的な神様だった。月読(つくよみ)でさえ人間界に来て楽器を習っていると言っていたのに、天照(あまてらす)は特に何かに興味を示さず、ずっと高天原(たかまがはら)に居る。
「たまに……下界に降りるとも聞いている……」
天照(あまてらす)が買い物してるのとかすっげぇ想像つくな」
神様だという事を見なければ、彼女は明らかに美人でグラマラス(魅力的)な体型をしている。アイドルなんかやったら大うけ間違いなしだろう。人間に溶け込んでいる事を見て、おそらくは目立ちたくないのだろうと考察できる。
 きょろきょろと小さな神様は(ぬえ)の頭の上で辺りを見ている。そして、(ぬえ)の頭をつついて意識を向けさせた。
「なあ、従者よ。なぜこの辺りは木々が生えていないのだ?」
あまり好ましくない回答しか、その質問に対して思いつくことができない。人間は自分の住む場所の為に木々を伐採する。久久能智(くくのち)が聞いたら明らかに怒るだろうが、この神様にも事実は言い(がた)い。
 (ぬえ)が返答に困っていると、いつきがそれを見て代わりに少彦名(すくなひこな)に返答を返す。
「この辺りは……土が悪い……。育ちにくいんだ……」
「そうなのか?儂が出雲にいた頃は木が沢山生えていたのじゃがなぁ」
沢山というのはどのくらいかは分からないが、今よりももっと見渡す限り木があったのだろう。
「まあ、細かい事は気にしない方が良いぜ?」
「うーむ……」
納得のいかない様子で少彦名(すくなひこな)は腕を組んで黙り込む。自分が常世(とこよ)に渡ってからそんなに時間が経っていないように思えているのだろうか。神様の時間感覚は(ぬえ)には理解しがたかった。
 暫く歩いていると、ふらふらと歩いて来る老人がいた。(ぬえ)は一般人に見られてはまずいといつきに隠れるように促した。彼は隠れる必要性は無いと言って、空に飛び立った。
 老人は杖をついてにこやかな表情で歩いている。だが、相当歳行っているのか足元がおぼついていない。
(あの身長から少彦名(すくなひこな)は見えないだろ。さっさと通り抜けるか)
(ぬえ)少彦名(すくなひこな)が落ちないように前を向き、さっさと早足で通り抜けようとした。しかしその時、少彦名(すくなひこな)が大声を上げて老人に言った。
「従者!どこに行っておったのじゃ!!探したのだぞ!!」
それだけ言うと、彼は(ぬえ)の頭から老人の肩に飛び乗った。
「はああああぁ?!」
(ぬえ)は一瞬状況に追いついていけなかったが、何が起ったのかが頭が追い付くと驚きに声を上げた。いつきも驚いた表情をしながら地面に足を着けた。
「……長生き、女……、言われてみれば……」
(ぬえ)は今でも信じられないという表情で老人を見た。老人は震える手で少彦名(すくなひこな)を指先で撫でる。少彦名(すくなひこな)は嬉しそうに目を閉じた。
 そして(ぬえ)はいつきの着物をがっと掴み、老人を指さして声を上げて言った。
「従者ってあんなばあさんでもなれんのか?!」
いつきは急に掴みかかってきた(ぬえ)に驚きながら静かに返答する。
「なれる……。素質さえあれば……」
「今まで若い奴しか見てこなかったぞ?!」
「それだけ若いころに……死んでいるのだろう……」
(ぬえ)はまだ何か言いたそうだったが、呼吸を忘れていたかのように呼吸を整え始めた。
「紹介するぞ!この者たちは儂をここまで運んでくれたのじゃ!あの邪神(じゃしん)を倒したと言われている禍津日神(まがつひのかみ)とその従者じゃ!!」
「そうなのかい?世話をかけてすまないねぇ……」
震える声で老人は(ぬえ)達にお礼を言う。
 (ぬえ)は腰に手を当てて老人をじろじろと見る。そして、指をさしていつきに言った。
「なんだか戦えなそうだけど――」
最後まで言い終わる前に、(ぬえ)の頬に何かがぶつかった。いつきの視界には、老人が(ぬえ)を殴ったのが見える。しかも(ぬえ)は吹き飛ばされてごろごろと土手を転がった。
(ぬえ)……っ!?」
「すごいじゃろう?儂の従者は!!」
足枷の鎖の音を響かせながら、いつきは土手を下る。(ぬえ)は目を回して大の字で倒れていた。
 そうしている間に、少彦名(すくなひこな)は時間がないと騒いでいた。おそらく、出雲に行くのに待ち合わせの時間でも指定しているのだろう。少彦名(すくなひこな)は老人に早く行くぞと促すと、はいはいと優しい返事をして老人は歩き出した。
「じゃあの!禍津日神(まがつひのかみ)と従者!!短い時間だったが、よい時を過ごしたぞ!!」
手を振っているのか老人の頭から手がひらひらと動いている。土手の下なので彼の姿は捉えられない。
「……あの速さじゃあ……、半月かかりそう……」
老人は赤子が手をついて歩くくらいの速さで歩いている。ここから出雲まではかなり距離がある。いつきの結界ではその距離の移動は叶わないだろう。待ち合わせが今日ならば確実に間に合わないだろうが、今のいつきにはどうする事も出来ない。
 「(ぬえ)?」
(ぬえ)はいつきに呼ばれて起き上がる。いててと頭を押さえ、先ほどの老人はどこかと怒りを含めた表情で言った。
「……もう……いない……」
「何だよ。やり返そうと思ったのに」
(ぬえ)が悪い……」
いつきに(さと)されて、(ぬえ)は反省したように俯いた。
 草を払って起き上がり、背伸びをして川を見つめた。朝日が完全に登り切っており、走っていた時よりも若干あったかい。
「いつき、私はこのまま走ってくけど、お前はどうする?」
「……戻る、寝る……」
付いて来てくれることを期待したが、彼はそうはいかないらしい。あくびをしてから眠いと一言(ぬえ)に言った。
 いつきは結界を開き、その中に入っていった。結界の中にも住居はあると言っていたが、(ぬえ)の家で寝るに違いない。
「自由な奴だな。猫かよ」
思いついたことを言っただけなのだが、いつきの髪形を思い出して納得がいった。彼は一回一緒に外に出た時から、もう行きたくないと言っていた。楽しむつもりが月読(つくよみ)に出会ってしまったので、もう面倒くさい事はしたくないのだろう。
「あいつ、幽霊の幻術で誰が見えていたんかな。邪神(じゃしん)かな……?」
彼にあの後聞いても教えてくれなかったので、(ぬえ)は知ることができない。言いたくないのなら言わなくていいとは思うのだが、やはり気になってしまう。
 そんな事を考えながら(ぬえ)は歩く。走ると言ったのだが、その事を思い出してから走るのはいささか面倒である。
「このまま家に直行するかー」
風が冷たく、早く戻ってあったかい物でも飲みたいという欲求が沸いてくる。いつきは今頃布団に入ってあったかい状態で寝ているのだろう。
「くそう、私も結界通してもらえばよかったぜ」
 街に入ると、曲がり角の所にいかにも怪しい者が立っていた。その者は白い髪をして白い着物を着ている。そして普通は違う神聖な雰囲気(ふんいき)。その状態で簡単に判断できる。
「ありゃ神様か……?まいったな、いつきいねぇや」
一日に二度も神様に出会うとは、普通ならば幸運ととらえるだろう。しかし、紅蓮(ぐれん)の今日の様子から今日が幸運だとは思えない。彼の状況を理解しただけでも幸運なのかもしれないが。
 面倒な事に巻き込まれる前に、(ぬえ)は早々と立ち去ろうとした。自分の想像通り神々が目立つ行動をしないのなら、いかにも人間な今の(ぬえ)に話しかけてはこないだろう。
 だが、白い者はばっと通り過ぎようとする(ぬえ)の袖を引っ張った。
「よお、そこの従者。迷っちまったんだ、案内してくれよ。もちろん拒否権はねぇ」

怪傑ー別天津神ー

 髪がピョンとたっている謎の神様は、(ぬえ)が断る間もなく拒否権は無いと言ってきた。何の神様か分からない以上、下手に一緒に歩くのはまずいと判断する。
「いや、これから用事あるんだよ……」
「用事があるのに、ゆっくりと帰っていたのか。それは不思議だな」
(ぬえ)が帰宅する間、時間をつぶそうとゆっくり歩いていたところを見られていたのだ。しかし、彼を見かけた時後ろを向いていたのにどうして分かるのだろうか。
「いや、用事までに時間をつぶそうとして……」
「嘘だ、心が揺らいでいる。人間は無意識な嘘をつかない限り、心は揺れてしまうんだぜ?」
何を言ってもこの神様相手には通じない。(ぬえ)はため息をついて、
「人間にお前の格好が見られるのはマズいだろ? だから無理無理」
神様は急に黙り込んだので、やっと諦めてくれたかと(ぬえ)は安堵する。
 しかし、その神は辺りを見回すと腕を組んで(ぬえ)に自信ありげに言った。
「大丈夫だ、人間の気配はない。俺には生物の気配が分かる。避けて通れば平気だ」
(ぬえ)はがっくりと首を顔をもたげた。この神様は意地でも道案内させるらしい。だが(ぬえ)は正直その頼みを断りたくてしょうがなかった。面倒くさいのだ。
「無理だって。他の従者に頼れよ」
このままでは一生その場にいる事になりそうなので、さっさとその場を立ち去ろうとした。
 だが、神はニヤッと笑って(ぬえ)に制止の声をかける。
「……。案内してくれたらいい事を教えてやる。お前が知りたい情報に近づけるかもしれねえぞ?」
その言葉に、(ぬえ)はピタリと止まった。
「何の情報だよ……?」
神様は食いついた事に嬉しいのか、楽しそうに笑って(ぬえ)を見下す様に見つめた。
「先日に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)が動き、その前には一斉に別天津神(ことあまつかみ)が動いた……。理由、知りてえだろ?従者」
(ぬえ)達の行動を阻害するように動いている別天津神(ことあまつかみ)。先日の妖怪の件も、直接ではなく奈落(ならく)を動かしていた節がある。今まで放っておいたのに、なぜ急に奈落(ならく)を動かしてあの少年を保護しようとしたのか。別天津神(ことあまつかみ)の行動は理解しがたく、邪魔になるのならどうにかしたい気持ちもある。
「理由? 知ってんなら教えろよ」
「だめだ、道案内が先だ」
手の平を前に突き出して神は言う。情報が欲しくば道案内をしろ、と言っているのだ。
 (ぬえ)は少し考え込む。罠の可能性も高い。だが、この神様からは他の神々とは違っていかにも強い、という気配はなく戦える風貌でもない。
(コイツ……、男か? 女か?)
声は中性的で見当が付かない。話し方は汚いが、(ぬえ)他人(ひと)の事言えないのでそれだけで判断するのもおかしい。いつきと同じで誰もが振り向く容姿をしており、なんとも話しづらいような神様だった。胸はないが。
「どこ見てんだよ。俺の体見ても面白くねえぞ?」
「ああ、いや」
神様はしびれを切らしたように、(ぬえ)に指さして問いかけた。
「道案内をするのか? しないのか? 拒否権はねえけど」
どっちみち拒否はさせない言い方に、じゃあ聞くなよと(ぬえ)は笑う。(ぬえ)は罠でもこの神様になら勝てそうだ、と謎の自信を持つと、道案内を承諾した。
 決断が遅い事に若干彼の表情が怒りの表情を見せている。
「で、どこまで行きてぇんだよ?」
「ああ、ここいらに古井戸があるって聞いたんだ」
(ぬえ)は必死に記憶をたどる。古井戸など見かけたことがないと言おうとした時、ある記憶が横切った。それは、いつきの手がかりを探す時に通った、高天原(たかまがはら)に行った時のもの。
「知ってるぞ。ちと遠いけど歩いていけねぇ距離じゃねぇ」
「おう、頼むわ。そこに俺の結界が開いてるんだ。早くしねえと」
笑うと更に綺麗な顔をしている。いつきを思い出して少し、一緒にいない事が寂しくなった。
 (ぬえ)は神様の指示に従って道を選ぶ。もうだいぶ日が昇っているので、働いている人達が出る時間帯に近づいてきているのだろう、神様がここにいくな、という頻度が高くなってきた。
「なあ、神様よ。お前、ところで男と女どっちなんだ?」
疑問に思ってそう聞いてみる。だが、神様は言いよどんだ後に首を振った。
「俺に性別の概念はねぇよ、従者。そういう神もいるだろ?」
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
お前というのもいささか気が引ける。
「何でもいい。終わるまでの付き合いだ」
終わるまで、という表現がどういう事なのかは分からないが、名前を教えてはくれないらしい。名前のない神様なのか、それとも教えない理由があるのかは理解ができない。
 普通の会話をしようにも、神様は特に反応を示さない。(ぬえ)は初対面に対しておどおどしたりはしないタイプなので、色々話してみるのだがすべて一言で終わってしまった。
「会話の成り立たねぇ奴だな」
「うるせえ。さっさと歩け!」
性格にも難がありそうだ。外見だけ良いのはいつきも変わらないのかもしれないが、彼の方が明らかに性格が良いように思える。
 前に来た道を記憶に任せて進む。紅蓮(ぐれん)高天原(たかまがはら)に行くときに通った場所だ。その時は確か、式神に案内をしてもらった気がする。案内という表現が正しいかどうかは分からない。おそらく、鳳凰院(ほうおういん)の指示で井戸に案内したようなものなのだから。
 段々と木が多くなってきて、茂みに足を踏み入れることが多くなってきた。(ぬえ)は慎重に道を選びながら、それでも道を間違えないように進む。神様だからこの場所くらいは簡単に来れるのではないか、という疑問を持ったが、本当に名のない神様だったら失礼だと思って口には出さず、言葉を飲み込んだ。
 (ぬえ)は木は多いものの更に土が多くなってきたのに気が付いて、もう少しだと神様に告げる。先ほどから、(ぬえ)の方をじっと見ている気がする。睨んでいるというより、見定めているような視線だ。
「着いたぜ、神様よ」
井戸が見えて(ぬえ)が先に飛び出した。神様が言う事には、ここに結界が開かれているらしいのだが。
「なあ、神様よ、ここに結界が――」
 背筋の凍るような明確な殺意を感じて(ぬえ)は一瞬体が硬直する。ばっと振り返ると、鎖の大きな音がして神器を振る白い神様の姿が瞳に映った。
 地面をたたき割るように、(ぬえ)に振り下ろされた棘鉄球。百キロはあるのではないかという位に重力の影響が激しくすぐに地面に落ちる。(ぬえ)従装(じゅうそう)(まと)うのが間に合い、間一髪で攻撃をかわした。
「ほう、かわすのか」
地面に突き刺さるように埋め込まれた棘鉄球が、再び宙に浮いて助走をつけ、(ぬえ)に向かって振られた。(ぬえ)は大鎌を召喚(しょうかん)して鉄球をかわし、跳ね返そうとしたが鉄球はびくともしない。
「重い……っ!!」
(ぬえ)は神器への攻撃を諦めて神様に向かって走る。大鎌を振ったが上に跳ばれ、持っていた棒の中に長い鎖が収納されてその先に棘鉄球が付く。メイスのような形に神器は変化した。
「くくっ、今の一撃で死なねえ……、か。面白れぇぞ、禍津日神(まがつひのかみ)の従者」
神器を肩に担いで神様は不気味に笑う。
 何かを唱えながら空中に文字を描き、それが分解して体に(まと)う。光は徐々に変化してゆき、神様の神衣(しんい)を完成させた。
「さあ、殺し合おうぜ?」

 (ぬえ)は走りながら振り回された神器をかわしながら、攻撃の隙を窺う。だが、大振りなのに隙は一切見せず体術と合わせて攻撃を繰り出してくる。(ぬえ)が大鎌を振って攻撃を試みると同時、神様は棒から鎖を出して鉄球を振った。
「うおっ!!」
鉄球に付いた棘によって従装(じゅうそう)が僅かに切れる。掠るくらいでは傷一つつかない従装(じゅうそう)が切れるのは、神様の攻撃を受けた時が最も多い。目の前の相手が神であることを改めて思い知らされる。
「くっそぉ!!」
距離を取って地面を蹴り、大鎌を振って振り下ろす。ガァン、という音が木々を反響して脳内に木霊する。神様は素早くメイスに戻して大鎌を受け止めたのだ。
 戦い慣れている。それだけで、神様に負けるかもしれない状況を作り出す。
「隙が多いなあ!!」
いつの間にか棘鉄球が背中に背中に回り込んでおり、既に避けられない状態にあった。
「がっは!!」
(ぬえ)に思いきり棘鉄球が直撃する。当たったらただでは済まないと分かってはいるのに、強い彼の前ではそんな事を言ってはいられない。後ろの井戸に衝突して古くなっていたそれは呆気なく崩れ落ちる。
 これでいつきの力を借りずに高天原(たかまがはら)に行くことができなくなったな、と流ちょうに考えながら口の端から流れる血を拭う。
「おいおい、もっと楽しませろよ、従者」
期待外れだったのか、神様はがっかりして肩を落とす。
「へっ……!これからだっての!!」
能力を発動してじっと見つめる。大振りだから隙はできやすい。だが、自分も同じような攻撃だという事を忘れてはならない。不思議にも、相手は(ぬえ)が踏み出してくるのを待っている。何を考えているのか分からないが、いきなり攻撃されるよりはマシである。
 戦闘狂に理由は無いだろうから、ただ楽しくて戦っているようにも見える。おそらく、どちらかが負けを認めるまでは終わらない。だが、負けを認めるのは(ぬえ)のプライドが許さない。
「でやああぁ!!」
地面を蹴って神様が立つ木を思い切り蹴とばし、バランスを崩したところを見計らって大鎌を回転させて勢いをつけ、足元に投げつけた。
「?!」
神様は飛び上がって棒から鎖を伸ばし、勢いに任せて(ぬえ)にぶつけようとした時、すでに彼女は神様の後ろの回っており脇腹に蹴りを入れた。そして大鎌を手元に戻すと、相手の攻撃を柄で腕を叩き中断させ、思い切り斬り裂いた。
 と、思った瞬間、大鎌の刃は鎖によって神器の鎖によってぐるぐるに巻き付けられており、神様は不敵に笑って大鎌に足を乗せると、(ぬえ)に向かって飛び掛かって(ぬえ)を地面に叩きつけた。
「ははっ!!」
解かれた鎖を振るい、棘鉄球を操って(ぬえ)が落ちた場所に落とす。重いものに反応して、そこを中心に地面にひびが入った。
 神様が地面に降り立つと、(ぬえ)は血まみれで動けない状態だった。
「本当に今までの戦いで生き延びてきたのかよ、お前……。こんなに弱いんだ、それとも大禍津日神(おおまがつひのかみ)に頼ってたのか?」
神器をメイスの形に戻し、(ぬえ)にとどめを刺そうとしたその時。
 後ろから誰かの走る音が聞こえたかと思うと、素早い動きで脚を叩かれ、バランスを崩した神に透明な大鎌が振り下ろされた。神様は鎖を両手でつかんでそれを受け止めると、目の前にいる男を蹴り飛ばした。
「ぐっ……!」
地面を滑って摩擦で止まる。白い髪を横に流し、漆黒のローブに身を包む男。
死神(しにがみ)か……。生きてたのかよ」
舌打ちをして彼を睨みつける神様を無視して、死神(しにがみ)(ぬえ)に近づいた。
「……」
死神(しにがみ)(ぬえ)の頬に触れると、優しい緑の光が辺りを包み込む。少しすると(ぬえ)の傷が徐々に癒えていった。そして(ぬえ)が意識を取り戻したことを確認すると魔法を止めて立ち上がり、神様の方を向く。
別天津神(ことあまつかみ)が降りてくるとは、余程切羽詰(せっぱつ)まって(成す術がない状態)いるようだな」
「んなのお前が気にする事でもねぇだろ? 早く役割に戻れよ」
死神(しにがみ)は透明な大鎌を握る。そして、静かに深呼吸をすると、神様の真隣に移動した。
「ああ、そうするとしよう」
首に当てた大鎌を引く。斬られる前に神様はしゃがみ込み、首が()ねられるのを間一髪で回避した。歯を食いしばって神器を振り、死神(しにがみ)に攻撃を繰り出すが、死神(しにがみ)は大鎌で受け止めた。空中に二柱跳び上がると、神様は神器を振って攻撃し、死神(しにがみ)は隙を見て大鎌を振るう。
 (ぬえ)は戦闘の音で目を覚まし、自分の傷が少し癒えているのを疑問に思って空を見上げる。死神(しにがみ)と神様が戦っており、空中から地面に降り立った二柱の神は、肉弾戦に入った後に後ろにお互い後退した。
 死神(しにがみ)はだいぶ疲れており、もう体力の限界に思える。(ぬえ)は助太刀しようと思ったが、思ったよりも身体のダメージが大きくて動くことが叶わない。従装(じゅうそう)(まと)っている為にすでに痛みは癒えてきているが、傷が完全に癒えるには相当時間がかかりそうである。
死神(しにがみ)!平気なのかよ!!」
死神(しにがみ)に声をかけて大丈夫なのかと聞くが、彼は少し(ぬえ)を見た後に余裕のない顔をして敵に向き直った。
「息上がってんじゃねえか、死神(しにがみ)。無理すんなよ、すぐに殺してやるよ。歯向かった罰だ」
 死神(しにがみ)(ぬえ)の方をちらりと見ると、脱力したように透明な大鎌を降ろす。神様は戦闘意思を無くしたのかと彼を睨みつけたが、死神(しにがみ)からゾッとするような気配が流れ出る。
紅闇崎(こうあんざき)(ぬえ)。よく見ておけ、これが……死神(しにがみ)だ!」
赤黒い光は彼を包み、その姿を神衣(しんい)へと変える。黒いローブは所々引き裂いたようなデザインなっており、腕から指先にかけて付けられた鎧に覆われた腕。そして所々に飾られた十字架は光を反射して不気味に見える。
 死神(しにがみ)は最後に(ぬえ)神衣(しんい)(まと)った時に使っているものと全く同じの大鎌が召喚(しょうかん)された。それを握り、神様を睨んで大鎌を(かま)える。だが、死神(しにがみ)の瞳は青にわずかな赤色がかかっている。
「へえ、力残ってないんじゃ無かったのか?」
神様は感心したように神器を担いで声をもらす。(ぬえ)は自分が神衣(しんい)(まと)った時とは明らかに違う雰囲気(ふんいき)につばを飲み込んだ。
 だが、死神(しにがみ)は足元がおぼつかなくなると大鎌を杖代わりにして体を支えた。何事かと思えば、死神(しにがみ)から少し電流が流れている。無理矢理神衣(しんい)(まと)ったのだろう。
「早くかかってくるがいい。まぁお前程度の実力じゃ、俺には敵わないだろうがな」
あからさまな挑発。いくら(ぬえ)でも乗ることは無いだろう。だが、神様は怒りの表情を見せた後に鎖を操り、彼に向かって棘鉄球を振り降ろした。死神(しにがみ)は今だとばかりに走り、後ろで地面に棘鉄球が落ちたのを気にせず神様に向かって大鎌を振り下ろす。
 神様はかわして鎖を引き、棘鉄球を振ろうとしたその瞬間に死神(しにがみ)は彼を蹴りつける。そしてよろめいた時に大鎌で斬りつけ、大鎌に巻かれていた鎖の先に付いている鉛を、神様に向けてぶつけた。後ろに倒れて起き上がり、神様は死神(しにがみ)を睨みつける。
 もう一戦挑もうと、神様は笑ってメイスの形に神器を戻す。だが、死神(しにがみ)は急に膝をついて神衣(しんい)を解除した。
「はぁ、はぁ……っ」
大鎌も消えて霧のように消えてゆく。赤が僅かにかかった瞳は、元の青色に戻っていた。
「ハッ! もう終わりなのかよつまんねえな」
棘鉄球を地面に落してそれが埋め込まれ、その上に足を乗せる。(ぬえ)は何とかしなければと体を立たせようとするが言うことを聞かない。
 神様は死神(しにがみ)に見下す様な視線を送り、メイスに戻すと彼に向かって歩いていった。
「思わぬ邪魔が入ったが……、まぁいい。このままお前ごと()らせてもらうぜ?」
何とかして神衣(しんい)(まと)えないかと(ぬえ)は考える。今まで、危ない状況で(まと)えた神衣(しんい)。その状況に陥っていると言うのに、自分の中に眠る力は応えてくれない。
「くそっ……!」
最後の抵抗に、(ぬえ)は大鎌を投げつけた。しかし、ひらりとかわされると嘲笑(あざわら)うかのようににやりと神様は笑う。
 死神(しにがみ)に向けて神器が振り上げられ、体力の限界で動く事がままならない死神(しにがみ)は目を閉じた。全てを諦めた時に行う、人間の行動に等しい。(ぬえ)はそれが許せなかった。
「諦めんのかよ!」
動かない足を無理矢理動かして、(ぬえ)は神様の元に走る。まさか動いて来るとは思っていなかったようで、神様は驚いたまま(ぬえ)の拳を喰らって地面に倒れた。
「まだ終わってねぇぞ!!」
「くそったれ……!!」
神様は頭にかかった砂を払って(ぬえ)を睨みつける。
 その時、神様の後ろに茶髪の髪の男が霧のように現れ、薙刀の柄で神様を足払いさせて転ばせた。
「いってぇ!!」
頭をぶつけて神様は怒る。なにしやがると茶髪の神に怒りを向けた。男は冷静に神様に向けていい放つ。
「やーい、君も勝手な行動してやんの。神産巣日(かみむすび)ちゃんに怒られてしまえ」
「あぁん?! 何をしようと俺の勝手だろうが!口出すな!!」
「……高御産巣日(たかみむすび)?」
(ぬえ)は以前会った男神の名を口に出す。(ぬえ)に気が付いた高御産巣日(たかみむすび)はニコッと笑って手を振った。そして白い神様に向き直る。
比古遅(ひこぢ)が怒ってたよ?下界で目立つ行動するな、ってね」
「あいつの事なんざ知らねえし。ほっとけ!」
どうやら彼らは知り合いのようだ。
 (ぬえ)はここまで道案内をしてきた事を思い出す。その条件は別天津神(ことあまつかみ)の情報。高御産巣日(たかみむすび)別天津神(ことあまつかみ)一柱(ひとはしら)だから、知り合いなら本当に別天津神(ことあまつかみ)に対しての情報を確実に白い神様は持っているはずだ。
「おい、そこの神様!私は確かにお前をここまで案内した!情報よこせコノヤロー!!」
「あ?罠に決まってんだろ誰が教えるか、バーカ!!」
「んだとコラァァァ!!」
(ぬえ)は彼の言い分が頭にきて怒りを見せる。
 その様子を死神(しにがみ)は真顔で見ており、高御産巣日(たかみむすび)は彼に気づいて声をかけた。
死神(しにがみ)!生きてたんだ本当に」
白い神様を押し退けて高御産巣日(たかみむすび)死神(しにがみ)の元に走る。だが、死神(しにがみ)は伸ばされた手を叩いた。
「触るな」
そして高御産巣日(たかみむすび)を睨みつける。嫌われたものだねぇ、と言うと高御産巣日(たかみむすび)は叩かれた手をさすった。(ぬえ)はどうしたのかと思ったが。このような得体のしれない神々とは確かに仲良くしたくはないな、と何となく納得できた。
 高御産巣日(たかみむすび)が白い神様に戻る事を促すが、まだ敵が生きている事が納得できずに白い神様はまだ戦う事を表明する。(ぬえ)は大鎌を手元に戻し、いつ攻撃されてもいいように(かま)えた。傷はある程度塞がっているのでいざとなったら死神(しにがみ)を逃がす事も可能なはずだ。
(いつきが居たら……)
自分はそう考えたが、途中で頭を振ってその考えを取りやめた。今も、そしていつも彼の力を借りてしまっているのだ。もうこれ以上は頼ることはしたくはない。
 高御産巣日(たかみむすび)の制止も聞かず、白い神様は神器を(かま)えた。好戦的なのも(ぬえ)と同じようだ。
「ちょっとぉ……。はぁ……」
何を言っても聞かないと判断した高御産巣日(たかみむすび)は、もう何も言う気がないようで後ろの木にもたれ掛かって退屈そうに足を振った。
「時間がねえんだ、手っ取り早く終わらそうぜ?」
時間がないのなら(かま)うな、と(ぬえ)は思ったがこれ以上怒りを覚えさせたら何をしてくるか更に読めなくなる。だから、言うのを止めた。
 白い神様が走り出して、(ぬえ)は大鎌で防御しようと片足に力を入れる。だが、振られた棘鉄球は急に現れた神器によって攻撃を防がれた。
「何?!」
白い神様が驚いていると、高御産巣日(たかみむすび)が手をひらひらとさせて言った。
「だからやめとけって言ったのにさ」
それだけ言うと、上空に目を向けた。白い神様と(ぬえ)も上空を見上げる。
 神々しい光と共に、美しい神が浮遊していた。毛先が赤紫色をした髪、白色と紫色の簡素な着物に白い羽織を着ている。エルフのような尖った耳に、左半分には刺青のようなものが刻まれており、右目は前髪で隠れていた。螺旋の入った赤い瞳が白い神様を映す。
常立(とこたち)、下界での行動はするなと忠告したはずだが……?」
「何でてめえがいるんだよ、御中主(みなかぬし)……」
(ぬえ)はその名前に驚いてその神様をじっと見つめた。
天之御中主(あめのみなかぬし)……? あの神が?」
(ぬえ)を助けてくれた最高神。(ぬえ)の想像とは全く逆に、近寄りがたい雰囲気(ふんいき)を醸し出しているが確かにその力は感じられるほどに膨大な物だった。
 常立(とこたち)と呼ばれた白い神様は神器をメイスの形に戻した後、それで御中主(みなかぬし)を指して言った。
「問題起こす従者をほっとくてめえが馬鹿なんだろ! 問題はさっさと排除すべきだ!!」
問題を起こす従者とは(ぬえ)の事を指したのだろう。確かに、いつきに出会ってから面倒な事に巻き込まれることが多くなった。彼の厄際の力なのかは知らないが、確かに天の神々からしてみれば大問題に値する。だが、(ぬえ)はその状況を楽しんですらいた。
 御中主(みなかぬし)(ぬえ)の方をチラッと横目で見つめた。(ぬえ)はそれに気が付いて、何とも言えない感覚が体を駆け巡った。まるで、今にも(ひざまず)かなくてはならないような感覚。これが最高神の風格なのか。視線を常立(とこたち)に戻すと、静かな声で言い放つ。
「狂わせているのはそこの従者ではない。大禍津日神(おおまがつひのかみ)の厄災は厄介なものだが……、狂わせているのは『生き残り』だ。貴様が勘違いをすると分かっていたから忠告したのだ。面倒な事を起こすな、殺されたいか」
ハッ、と鼻を鳴らして常立(とこたち)が笑う。
「例の惨劇の生き残りだか何だか知らねえが、そこの従者が行く先々にいるのは間違いねえんだ。否定は?」
すると返事を返したのは御中主(みなかぬし)でなく、今まで常立(とこたち)が納得するのを待っていた高御産巣日(たかみむすび)だった。彼は常立(とこたち)に耳打ちする。(ぬえ)達に聞こえないように。
「あのね、常立(とこたち)。その従者は死神(しにがみ)の転生だ、行く先々にいるのは必然だよ。分かった?」
「納得……できるかぁぁ!!」
常立(とこたち)は神器を振って棘鉄球が宙を泳ぐ。(ぬえ)に向かって振られて咄嗟に大鎌で防いだが、その重さで後ろによろめいた。
「君はどんだけ馬鹿なの!?」
「うるせえ! いつでも正しいのは自分自身だ!」
「貴様……殺す!!」
常立(とこたち)の馬鹿さ加減に、二柱は殺意を露わにした。喧嘩を始めた事で今がチャンスだと思った(ぬえ)は、死神(しにがみ)に駆け寄って彼を起こしてここから逃げようとした。だが、死神(しにがみ)は殺意に満ち溢れて計り知れない力を(まと)っている御中主(みなかぬし)に、静かに手を伸ばした。
御中主(みなかぬし)……様……」
死神(しにがみ)?」

『狂乱輪廻 弐』

まだ続きます。
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『狂乱輪廻 弐』 クローディア@朱雀 作

 邪神の脅威によって引き裂かれた禍津日神とその従者。共に歩んでいた日々はそこで終わりを告げ、従者である彼女はごく普通な平凡な日々を送っていた。  ある日、彼女の元に一人の青年が姿を表した。人形のように表情が変わらない彼は、気になることを口にするのだった。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日 2017-01-29
Copyrighted

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