空気

 くちびるが、切れて、血が出たから、だれか、ティッシュペーパーをください、といったけれど、ここの人たちには、ことば、がいっさい通じないのだと、思い出した。血は、なめた。すぐに、とまった。
 みんな、ことば、というものが、わからない人たちだった。ことば、をつかわない人たちだから、みんな、ひとりのようなものだった。学校では、おなじ教室にいるのに、クラスの全員が、孤独、なのだった。家のなかでも、家族が一言もしゃべらずに、食卓をかこんで、ごはんをむしゃむしゃ、たべているのだった。
 もしかしたら、なにか、彼ら独自の、コミュニケーションをとる方法が、あるのかもしれないけれど、彼らとはちがって、ことば、をつかうぼくには、まるで、わからなかった。どうしてぼくは、こんな世界に飛ばされたのか、わからないことだらけで、でも、ぼくをこんなへんてこな世界に飛ばしたのは、家の近所で骨董品を売っているあの、あやしい店のおばあさんであることは、まちがいないのだった。
 そんなんだから、ことば、をつかわない人たちは、ぼくのことなど見て見ぬふりで、ぼくは、この世界に実体があるし、存在もしているのだけれど(からだは透けていないし、痛みも感じる)、空気に等しく、もしかしたら彼ら独自のコミュニケーションをとる方法で、ぼくに問いかけたりしてくれているのかもしれないけれど、ごめん、まったくきこえない。耳できく、ではなく、目でみる、というやり方だったとしても、ざんねん、ぼくにはみえない。
 だから、帰りたい、と思うのは、当然のことで、ぼくはおとうさんのことを、おかあさんのことを、妹のことを、飼っているイグアナのことを、ともだちのことを、いつもぼくにおすすめの本を教えてくれる図書室の司書さんのことを、学校帰りに寄り道するたこやき屋さんのことを、かんがえて、みんなの顔を思い出して、泣いて、でも泣いたって、どうにもならなくて、死にたくなって、でもそれは、こわいからむりで、ぼくは、あのおばあさんはほんとうにいったい、ぼくをどうしたかったのだろうと想像して、でも、想像したところでおばあさんのかんがえていることなんか、わかるはずもなかった。
 こっちの世界の空は、そういえば朝も夜も、白いのだけれど、けれど、朝と、昼と、夜はちゃんとあって、それは時間が、午前一時、午後一時ではなく、午前一時ならば、ただの一時、午後一時ならば十三時と、二十四時間表記で、時計の文字盤も、テレビのすみっこに表示されるデジタル時計も、すべて零時から二十四時で刻まれるからで、つまり、こっちの世界の人たちは空をみない、ってこと。
 空が白いから、雲がういているのかどうかも不明で、でも、雨や雪が降るから、雲はちゃんとあるようだけれど、いつ雨や雪が降ってくるかは、予測もできないってこと。
 ぼくも、ほんとうに存在しているのか、だんだんと自信がなくなってくる、ということ。
 くちびるが切れて、血が出たのも、ゆめまぼろしかもしれない、という疑惑。
 そもそも、ぼくという人間が、ゆめまぼろしである、可能性。
 ああもう、ねむりたいな。
 まったくねむった気になれないんだ、夜が明るいからさ。

空気

空気

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-28

CC BY-NC-ND
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