珈琲とイズミくんのいる生活

珈琲とイズミくんのいる生活

『wake-up!!!』


 イズミくんは朝が弱い。起こすと少し、機嫌が悪い。

 彼が唯一苦手なのが朝で。いつまでも起きないから、数分おきに起こすんだけど、起きる頃にはいつも15分は経っている。今ではわかっているので、言われた時間より遅くても20分は早めに声をかけはじめるのだけれど、一緒に住み始めた最初の頃は、よく、怒られた。

「6時に起こしてっつったじゃーん!」
「起こしたよ、起きなかったのはイズミくんだよ?」
「じゃあなんでもう6時半なんだよ」
「それはこっちのセリフ」

 呆れながら、できたてのオムレツをお皿に乗せてテーブルに置くと、彼は着替えをしつつこちらを見ながら言った。

「いいよ、時間ないから。それ夜に食べるよ」

 紛れもなくイライラしながら。だけどその、夜に食べるよっていうのが彼のイライラしつつもの最大限の優しさで。そんなだからわたしは、毎朝彼を見送る時に笑顔で「いってらっしゃい」って言えるのかもしれない。



 起きてからの彼は分刻みにきちんと動く。遅刻というものはしたことがない。何かで時間にズレができたとしても、最終的には合わせていく。そして、成果をだす。バリスタの資格は2年前に取った。資格がなくても仕事は成立するのだけれど、彼はいつか教える立場になりたいのだそうで、個人のこだわりとして資格を取った。

 コーヒーへの思いも強く、海外にもよく飛んでいく。バリスタとして世界の腕を見たい、知りたいというのはもちろん、コーヒー豆の知識もすごい。気になったらとことん調べなくては気が済まないのだ。夜仕事から帰ったと思ったら、明日の朝には出発するから、なんてことは日常茶飯事だ。

 だけど準備も自分ですべてしてしまうし。何か必要なものがある時だけは家に帰るまでに電話が入る。買っておいてほしいものや、用意しておいてほしいものなんかを伝えてくる。

 またかぁ。

 そう思ったことも何度かあった。わたしとの約束のほうが先だったのに。とか。

 けどね。わたしを置いて海外に飛んだ彼は必ず毎日連絡をくれるし、お土産も買ってきてくれるし。なんだかそんなことで上手くかわされてるのかも知れないけれど。それはそれでいいのかな、と思うようになった。

 たぶん、頼られているから。

「えっとね、7時には起きたいから。日本との時差は8時間でしょ?そっちの午後3時頃に電話入れてくれる?」

 旅先からの電話で、毎回言われるセリフ。

 電話入れてくれる?

 これを言われると、わたしが居なきゃダメじゃない。って気持ちにさせられる。だって。起こさなきゃ起きないんだもん。なのに一人で行っちゃうんだもん。しかたないな、って。

「わかったよ。電話入れるからちゃんとマナーモード解除しておいてよ?」
「OK、ちょっと待って」

 そう言って一旦声が途切れると、彼はまた電話の向こうから話しかけてくる。

「今解除したから、これで大丈夫ぅ!」

 明日の午後3時。ってことは、午後2時半から電話を鳴らし始めなきゃならない。わたしの逆計算は彼が何処に居たって大事である。電話であれ、なんであれ。何処に居ようがとにかく彼は、朝が弱い。

 何コールしただろうってくらい。電話を何度も鳴らしては切り、鳴らしては切り。ようやく電話が繋がる。

「・・・お、・・・はよ」
「起きた?」
「ん~・・・」

 起きてないな、これは。なんてのも毎回のこと。そしてわざと一旦電話を切り、わたしはもう1度電話を鳴らす。ほら、起きてない。すぐに出ないもの。何度かコールしてやっと、彼は電話に出る。

「起きた?」
「うん、・・・起きた」

 なんだかごそごそと音が聞こえてきて。電話が繋がったまま彼は洗面所に向かう。音でわかる。あ、水が出た。話すことなくただ繋がったままの電話の向こうで、たぶん、顔を洗う音がする。ごそごそガチャガチャと、聞こえるその音だけを聞いてクスッと笑いがこみあげる。

 ほんと、毎度毎度。

「おはよう。ありがと、電話」
「うん、今日は?帰ってこれそう?」
「うん、終わらす。ぜったい今日飛行機乗るから」
「わかった。じゃあ家に戻るのは明日かな」

 忙しいくせに、また何処かのお店で長居して、選んだお土産を持って帰ってくる。おかげでいっぱいに増えた。コーヒー豆やコーヒーを入れる器具、マグカップなんかが。だっていつも、お土産そればっかなんだもん。

 電話を切って、ブレイクタイムにするかな。時計を見ると15時過ぎ。わたしは、山のようにたまったマグカップの中から1つをセレクトしてコーヒーを入れる。これ、は。ノルウェーのお土産だったかな。コーヒーは、と、ベルギーのにしよう。

 自然と、彼の生活に引き込まれてしまった。それはそれで、楽しい。



2015/02/11 PM22:23
Ai Ninomiya*

『願いごと』


 イズミくんはロマンティストである。あぁ見えて、サプライズ好きである。

 いつも突然何かを仕掛けてくれるので、呆れる反面、それが彼の優しさで愛おしくなる。

 この7月、月が替わって実はまだ彼に1度も逢えていない。ずっと海外なのだ。1度帰ってくる余裕がないといって、2か国をはしご中。今はたぶん、カナダのほうにいるはず。カナダとの時間差で、昨日も電話があった。いつもの、毎日の電話。

 そんな彼から荷物が届いた。彼が海外に旅立ってから1週間後のことだった。

 送り元の国はウズベキスタンだった。

「最初に行った国からだ」

 イズミくんは、今はたしかにカナダだけれど、その前にウズベキスタンにまず出かけているはずなのだ。


「ウズベキスタンにはコーヒーを飲む文化があまりないんだよねー」

 そう言いながら彼は旅行の準備をしていた。かれこれ10日ほど帰ってこれないとのことで、彼なりのスケジュールをプリントアウトしたものをわたしに見せてくれていた。

「ハードだね、今回。でもなんでコーヒー飲まない国にわざわざ行くの?」
「よくぞ聞いてくれた」

 彼は準備をしていた手を止めて、こちらを振り向いた。あ、やってしまった。彼の話したいモードに火をつけてしまった。

「ウズベキスタンはコーヒーは飲まないけど、お茶の文化は発達してるんだ。コクチャイっていう色はオレンジっぽい、そうだな、紅茶みたいな飲み物があって。チャイならわかるでしょ?あれと似たようなものだと思ってくれていいよ。油の分解作用もあるって言われててね、まぁ中国の烏龍茶みたいな感じ?それを今回ちょっと飲んでみたくなって」

 彼の話は止まらない。

「そう、それはまたいつもと違う珍しいものなんだね」

 合間に会話を無理やり入れ込むと、今度は思い出したように違う話を始めた。

「そういえばね、陶器がとても素晴らしいんだ」
「陶器?」
「青い色の装飾が素晴らしくて。イスラムアートっていうんだけどウズベキスタンにも数多くあって、タイルの模様わかる?古い歴史建造物でよくあるでしょう?タイルで、一面素晴らしい柄の入ったやつを使って壁に貼られているやつとか」
「あぁ」
「わかる?あれ、あれがカップになったものが数多く作られてるんだ。青ってコーヒーに合うと思わない?どうしてもいくつか手に入れたくて」
「うん、うん、わかるよ。でもあの、準備しなきゃね、イズミくん手が止まってる」
「あーほんとだ、時間ないのに」

 そう言うとまた彼は家の中を走り回って必要なものをスーツケースに詰めだした。そう、それが出かける前の出来事で。



 そうやって出かけて行ったウズベキスタンから届いた荷物はA4サイズ四方くらいの大きさのダンボールで、開けてみると中にもう1つ一回り小さいダンボールの箱が入っていて、その周りを現地の新聞のような紙で覆われていた。中の箱を取り出すとわたしはその箱も開けてみた。

「え・・・」

 また、中には箱だった。そして今度もまた周りを紙で覆われている。そんなに大事なものなのかな?結局、A4サイズの箱の中に入っていた箱は手のひらに乗るサイズの小さな白い箱だった。これはダンボールではなくきれいなプレゼント用のような箱で、底箱に蓋をかぶせるタイプの箱だった。その蓋の2か所をきちんと金色の丸いテープで留めてある。それをゆっくりと外した。

「まあ、これはいつもの、カップなんでしょうね」

 自然とそんなことを口にしながら開けてみると、カップであることはわかった。そのカップの中に紙が1枚入っていた。それをそっと取り出してみる。

「たん・・・ざく?」

 細長いわら半紙のような紙に凧糸のような糸が穴をあけて通され、外れないようにくくり付けられていた。その糸の部分を手に取ってぶらんと、持ってみる。

「短冊だ、えっと・・・」

 そこには願い事が書いてあった。

「あなたとこれからもずっと一緒にいられますように 泉」

 なんだかそれを、じっと眺めてしまった。そしてふいにカレンダーに目をやった。

「七夕かあ、今日」

 短冊を手のひらに乗せてもう一度その願い事を心の中で読んでみる。

「ずっと一緒に、っていうわりには、あなた1年の半分は日本にいないんですけど?」

 嬉しかったのに、そんな文句を短冊に向けて言うと、わたしはその箱に入ったままのカップを手に取った。ゆっくりと出してみると、繊細な、どちらかというと紅茶に合いそうなデザインのカップだったけれど、この色がイズミくんがコーヒーに合うと言っていた色なのかと思った。鮮やかなその青は、海というよりは空だと思った。

「夜空だ」

 デザインを見て思った。澄んだ青だけど深い青。そんな青く色付けされたカップに細かく書かれた絵が、よく見ると規則的のようで不規則なあらゆる濃さの白と水色を使った模様になっていて、少し離して見ると流れる天の川のようだった。

「だから、短冊・・・。そっか、じゃあわたしも書かなきゃ。今からでも笹って手に入るかな」

 イズミくんから電話の入らない時間帯をチェックしてわたしは笹を買いに出た。こんなの買うの何年ぶりだろう。子供でもいれば気にもするんだろうけど、もう何年も、出先でたまに笹を目にして七夕かと思うくらいだった。ほんと、あの人はいつでも何処にいてもいろいろ考えていて、覚えていて、楽しいことを作るのが上手い。彼に負けないように、笹と折り紙を買って帰って笹をベランダに設置した。もちろん、イズミくんの短冊も、お星さまから1番よく見える位置に吊るした。あいにくの雨だけど、そちらは晴れてるのかな?どうかな?

 わたしの短冊は、彼の短冊から少し下に、ひっそりと吊るした。

「これからもイズミくんとの楽しい思い出が増え続けますように 栞」



 今日、彼から電話が入ったら1番にお礼を言おう。素敵な天の川と短冊をありがとうって。


2015/07/07 PM18:36
Ai Ninomiya*

『牡丹一華』


 イズミくんは牡丹一華を育てている。牡丹一華、読み方はボタンイチゲ。一般的にはアネモネと呼ばれる花のことである。

 もともとは赤い花のものを育てていた。それが気づくといろんな色に増えていた。もちろん色が変化するはずはなく、イズミくんが毎年違う色の種類の球根を買い増やしているから。そして去年までの種は、植える際に球根に付いた子球を下り取って分球する。
わたしにはとてもできない、長く育てているからできる技なのだ。

 今年も、牡丹一華の植え付けをする季節になった。

 いつも海外を飛び回っているイズミくんも、この季節には必ず数日の休みを入れる。植え付けの準備から植え付け完了まで、1日では終わらせない。それぐらいじっくり取りかかるから。

 どうしてかなんて、聞いたことはない。それは、イズミくんのお母さんが好きだった花だからだ。

 4月に生まれたイズミくんのお母さんは、4月にその命を閉じた。イズミくんがまだ小学校に入園する前の話だ。もちろんわたしは知らない。出会ったのはもう、お互い成人する学生の頃だったから。

 イズミくんのお母さんが病気になったのはイズミくんが幼稚園に入学する前のことなのだそうで。幼稚園への通園はほとんど、祖母とだった。何度か、お母さんと通園したことがあるそうで。

「きっと体調よくってさ、入院してた病院から一時帰宅の許可でも出てたんだろうね。俺ちっちゃかったから、いつも家にいなくて病院にいるのが母親の仕事なんだろうって思ってて、どうしてその時だけ家に居たのかちょっと不思議ではあったんだよね。今だから許可出てたんだろうって考えられるけど」

 お母さんと幼稚園に行った日は、会う友達や先生、順番にひとりひとり、お母さんを紹介したと言っていた。自慢だったんでしょう、よほど嬉しかったんでしょう。そしてその話を聞いてわたしは笑顔になれた。

 イズミくんのお母さんが庭に育てていた牡丹一華を、そのまま枯らすことなくお父さんが育てて、秋になったら植え付けをし、春になったら花を咲かす。いつお母さんが帰ってきても牡丹一華を楽しめるように。だけどお母さんがその庭の花を育てることはそれ以降なかった。それでも花を毎年咲かせていたお父さんは、今でも実家で花を咲かせている。そしてわたしと結婚した年から、このマンションのベランダで、イズミくんも牡丹一華を育て始めた。

 正直お母さんには妬けてくる。わたしもそれほどまでに愛してもらえるのかなと、自信をなくしてしまいそうになる。

「シオリさん、それ、今年の新しい球根取ってくれる?」
「どれ?」
「テーブルの上に置いてるやつ」
「あぁ、待って」

 ベランダから部屋の中に顔を覗かせたイズミくんの元に、テーブルの上の球根を持っていく。茶色の紙の袋に入れられたそれは3つの球根。昨日イズミくんが店を回って買ってきたものだ。

「今年のは何色?」
「今年のはモナリザの白」
「モナリザ?大きいやつだっけ?」
「そう。八重の。あぁ、ブーケに入ってたやつだよ」

 ブーケ。そう、わたしの結婚式のブーケは牡丹一華だった。4月に結婚式を挙げた。イズミくんからお母さんの話をいろいろ聞いていた私は、ブーケに牡丹一華を依頼した。作ってもらえるフラワーショップを探すのは大変だったけど、いくつかの色を組み合わせた牡丹一華のブーケを持った。髪にも、イズミくんの胸ポケットにも、牡丹一華を使った。

 イズミくんと、わたしと。イズミくんのお父さんと祖母と、私の両親と。そしてそこにいないイズミくんのお母さんも一緒に結婚式を挙げるつもりで。

「あれきれいだったよなあ、白い牡丹一華。いつか育ててみたかったんだ」

 土に植えた球根に軽く土をかけると、イズミくんは私を見た。

「楽しみだね、来年の春」
「うん」

 鉢をベランダの1番いい位置に置くと、イズミくんは部屋に戻ってきた。

「ちょっと、コーヒータイムにしましょうかね」

 イズミくんのお母さんにヤキモチをやいているわたしはいつの間にかいなくなる。またイズミくんの魔法にかかってしまった。お母さんがいたから、こうやって毎日忙しくしているイズミくんとも、こうやって一緒に花を育ててコーヒーを飲む時間を大切だと思えるんだよ。

 そしてイズミくんの淹れてくれるコーヒーはいつもに増して優しかった。



2015/10/21 PM23:33
Ai Ninomiya*

『GARNET』

 日付が変わって1時間も経ったかなって頃、玄関の鍵の開く音がした。そしてドアが開く。イズミくんだ。リビングで、始まったばかりの深夜の番組から目を逸らすと、わたしはリビングのドアの方に視線をやった。ゆっくりとドアが開いてイズミくんが入ってくる。

「さっぶーぅ」

 いかにも冷え切った風に見える、マフラーもコートも、防寒着なのにすでに役割をはたせないくらいに外は寒くなっているようだった。

「おかえり、ごめん、先にお風呂入っちゃった」
「いいって言ってんじゃん、寝てていいって。それより湯冷めするよ?今日マジ寒い」

 コートをソファにバサッとかけるようにして置くと、イズミくんはヒーターの前を陣取るように座り込んだ。

「ご飯は食べてるんだっけ?」
「うん、食べた」
「じゃあお風呂沸かしなおしてくるね」
「ありがと」

 お風呂の準備をしてリビングに戻ると、イズミくんはまだヒーターの前に座り込んでいた。わたしはキッチンに向かうと電気ポットに水を入れた。電源をONにして、沸くまでの間にお茶の用意をした。カーテンが開いたままのベランダに面したガラス窓の向こうはちらほらと雪が見えていた。

「イズミくん、帰る時雪降ってた?」
「いや、あ、降り出してきたね。寒いはずだよ」

 電気ポットがカチリとお湯の沸いた音を立てると、わたしはイズミくんの大好きなコーヒーではなく、ルイボスティーを入れた。イズミくんが南アフリカに行ったときに、わたしにと買ってきてくれたものだ。体にいいんだって。そう言って、その頃初めて見たその茶葉についてインターネットで調べたりした。イズミくんの帰りが遅い日は時々これを、彼にも出す。

「はい、ルイボスティー」
「おぉ、さんきゅ」

 ヒーターの前でカップを受け取ると、熱いのに我慢するようにすすりながらイズミくんはルイボスティーを飲んだ。

 こんな風に帰宅の遅い日がけっこうあって。お風呂に入った後も、リビングでパソコンを開いて少し仕事をする。先に寝てていいって言われてもなんだかね。その日も風呂上りに髪を拭きながらイズミくんはパソコンの電源を入れた。雑誌を読んでるようで実はパラパラめくっていただけのわたしは、ソファに座ったままでイズミくんに声をかけた。

「今日もまだ寝ないの?」
「うーん・・・調べものあるから」
「そっか」

 少しの沈黙。動かないわたしを変に思ったのか、パソコンの画面を見ていたイズミくんがわたしの方を見た。

「なんか用でもあった?」
「ううん、べつに」
「そう?」
「うん」

 あっさりと寝室に行けばよかったんだけど、その日はソファから動けなくて。用もないのにソファに座ってるだけのわたしをイズミくんが余計に不審がる。

「なに?なんかあったんじゃないの?」
「何もないって。寝る・・・ね」
「うん」

 そこで溜息なんかついてしまった。自分でも不思議だったんだ、今日の気分っていうか、気持ちがおかしい感じがする。持っていた雑誌をテーブルの下にしまって、わたしはソファから立ち上がった。いつもみたいに、リビングの電気はそのままに、キッチンの電気だけをOFFにした。

 寝室でベッドに横になってなんとなく眠れないって思った。眠気はあるのにな。まだ暖かくない寝具が体温で温まるまでには時間がかかる。わたしは横向きになると、頭から掛布団をかぶった。寒いな、ほんとに今夜は。目を閉じてじっとする。時々素足をこすり合わせたりして。ゆっくりと寝具が体温と同化していくのを感じながら深呼吸をする。

「なあ・・・」

 声がして寝室のドアが開いた。たぶん。頭から布団をかぶったまま、わたしはじっとしていた。

「寝た?」
「ううん」

 少しして、ふわっと、ベッドにイズミくんが座ったのがわかった。わたしを包む布団越しにイズミくんが触れる。

「シオリさん、ぜったい何かあったでしょ?」
「何も、ないよ」

 布団をかぶったままで、わたしは返事をした。それもきっと、イズミくんからしたら変だったんだ。布団越しにそっとイズミくんが私の背中をさすった。

「具合でも悪い?風邪?」
「大丈夫だよ」
「ほんとに?」
「ほんとに」

 布団の中にもぐったままのわたしは、いつしか目を開けて息を潜めているみたいになっていた。だけど鼓動は早くなっていた。どうしたんだろう。どうしてだろう。背中をさすっていたイズミくんの手が止まって、布団に伸びた。ゆっくりと布団を覗くようにしてイズミくんがわたしを見ているのに気づいて、なんとなく顔を上げてわたしもイズミくんを見た。

「どしたんだよ、なぁ」

 布団に隠れるようにしているわたしの腕を取って体を起こすと、わたしの頬に手をやった。

「なんで泣いてんの?なんだよ、何かあったんなら教えてよ」

 だって、自分でもわからないんだもん。わたし泣いてないよ。けど、イズミくんの指が濡れていくのがわかる。わたしの涙で。何も返事できなくて首を振った。

「だって何もないのに泣かないでしょう?」

 ううん。何もなくても涙が出ることもあるんだよ、きっと。そろそろと頬を撫でるイズミくんの指をそっと掴んで私は言った。

「ほんとに、何もないよ」
「だって泣いてんじゃん」
「自分でもよくわかんない」
「わかんないって・・・」
「ただ・・・」
「うん」
「手を繋いで一緒に寝れないかな」
「手?」
「うん、手を繋いでたい」
「なんで?」
「わかんないけど、ちょっとだけ甘えさせて。仕事まだいっぱいある?起きて待ってるから。手繋いで寝たい」

 カッコ悪い。親に駄々こねる子供みたいだ。自分の涙が止まらなくなってることに自分でも気づいた。何かを考えるようなイズミくんの表情が見えた。やりかけている仕事のことなのか、わたしのことなのか、何だかはわからないけど、でもその後でゆっくり微笑んだ。

「淋しくさせちゃってた?俺」

 私は首を振った。

「待って。パソコンの電源落としてくる」
「いいの?」
「うん、今日は手ぇ繋いで寝る」

 子どもに言い聞かせるようにイズミくんはわたしの頭を撫でて、寝室を出て行った。だけど、わたしは少しの罪悪感を持ってしまった。ベッドから起き上がると、暗い部屋でドアの方を見たまま動けなくなってしまった。寒さなんて気にならなかった。リビングの電気が消えるのが寝室のドア越しにも見える。そしたらイズミくんは寝室に戻って来た。

「ごめんね、わたし我儘だよね。いつもいっぱい自由にさせてもらってるのに」
「どしたの?何の話?」
「だって、イズミくんは仕事いっぱい頑張ってるのに、わたしは仕事してないし。専業主婦って言っても子供もいないし、イズミくんは海外に居ることも多いから、一人だと忙しいことも何もない。自由な時間をもらって、友達とランチしたり、好きな習い事させてもらったり、きっと他の主婦の人に比べたら贅沢な生活してるのに、なのに甘えたいなんて我が儘だよね」

 一気に言葉が溢れたけれど、落ち着いてゆっくりとイズミくんは頷きながら、わたしの言葉に耳を傾けていた。

「そんなことないよ。こんな不規則な仕事やってて。俺のマネージメントみたいな事をさせてしまってて。子供できないのも二人の時間少ないからだ、きっと。一緒に出かけるっていっても俺の仕事を兼ねたみたいなカフェ巡るくらいでさ」
「ううん、それは楽しいから」
「そう言ってくれるシオリさんに俺は甘えっぱなしなんだよ」
「そんなことないよ」

 ベッドに座っていたわたしをまたベッドに横たわせると、イズミくんはそっと布団をかけた。

「風邪ひくよ。俺はいつもシオリさんに甘えてるから、シオリさんも俺に甘えていいんだよ。手、繋いで寝るんでしょ?」
「うん」

 イズミくんもベッドにそっと入ってくる。いつも一緒に寝ているベッドなのに、この日はベッドが一層軋んだ。そしてイズミくんはわたしの手をそっと握った。

「他には?甘えたいことある?」
「ううん」
「ほんと?」
「ほんと」
「そりゃ、嘘だな。何かあるでしょ、他にも」
「なんでわかるの?」
「わかるよ、シオリさんのことはさ」
「じゃあ、何だと思う?」
「んーとね。じゃあ、手を繋ぐの一旦ちょっとやめてもいい?」

 そう言うとイズミくんは繋いだ手をほどいて、私を抱きしめた。

「朝までこうしてるから。これでいい?」
「・・・うん」
「これ、正解?」
「正解」

 この日からかな。イズミくんが、仕事のペースを少し落とすようにしたのは。悪いことしてしまったと思ったけど、この日、イズミくんはこんな言葉をくれた。

「詰め込んでいたスケジュールを年間的にゆったりと組むようにするきっかけになって、シオリさんには感謝してる。急に泣いてるからびっくりしたけどね、あの夜は」

 わたしの誕生日に、誕生石で作ったガーネットのネックレスをプレゼントしてくれた。

「シオリさんがもしまた何かで泣くことがあっても、いや、俺が泣かせないけど。でももしね?そういうことがあったとしたら、俺がその時そこに居なくても、胸元でこれが受け止めてくれますように。俺の分身みたいなもんかな、これ」
「イズミくんなんだ?これ。ありがとう。大事にする。毎日つける」



2016/01/24 PM21:09
Ai Ninomiya*

『gentleness』


 イズミくんは、いつもとても、優しい言葉をかけてくれる人である。

 まだ結婚して間もない頃、料理が苦手だったわたしはいつも彼の言葉に救われた。味付けが少し濃すぎた時は、その分多めにご飯を一緒に食べるから大丈夫、と言い。逆に薄すぎた時は、若いうちから減塩は必要だからたまに薄味の日も作ってくれていいよ、と言った。最初は、いいよもう食べなくて、と捻くれていたわたしだった。惨めだなぁと自分のことを思っていたけれど、イズミくんはそう言いながらどんな料理でも全てたいらげた。そして思ったんだ、いつか、気を使わせることなく、美味しく食べてもらえる料理を毎日作れるようになってやるって。

 この日は輸入家具を扱うショップに来ていた。イズミくんが新しくオープンする予定のカフェで使う家具を見に来ていた。カウンター席以外はソファを使いたいというのがイズミくんの希望で、一緒に見に来ていた。

「これいいんだけどなあ、もう少しゆったりしたサイズだったらなあ」
「そう?充分じゃない?」

 座ってみたけれど、それほど気にはならなかったソファ。だけどイズミくんが座ると、少し、気になるようだった。

「少し窮屈なんだよね。座り心地もデザインも最高なんだけどな」

 で、見ていて気が付いた。

「イズミくんさ、少し太ってきてない?」
「ええ?そんなことないでしょ」
「そうだよ、ワイシャツ苦しいとか、ベルトの穴の位置変わったとか言ってたじゃん」
「あれは太ったんじゃなくて、俺に風格が出てきただけでしょ」

 良い解釈である。

「私だったら苦しくないよ?このソファ」
「そうだけど、でもほら、お相撲さんとか体格の大きい人が来店してもゆったりがいいからさ。もう少し検討してみようかな」

 結局その日、店で使うソファは決まらなかった。

「どうする?何処かで夕食食べてく?」
「いいよ、今日は家で作るから」
「外で食べて帰ったほうがシオリさんも楽じゃん」
「そうだけど、ちょっとカロリー抑えたメニュー考えるから、作るよ」
「なに、それぇ。俺がやっぱり太ったみたいなさー」
「いいじゃん。ご飯作るから食後のコーヒーはイズミくんが淹れてね」
「それは本職だから任せといて」

 イズミくんは今は数店舗あるカフェのオーナーで。製菓調理専門学校でバリスタの指導も行っている。授業の無い日が逆にハードスケジュールで、世界のカフェを巡って海外にも飛ぶ。だけど、1番最初のカフェをオープンした頃は、ただの普通のカフェのオーナーだった。もちろんコーヒーへの思いは強く、珍しい海外のコーヒー豆が揃っていることで有名なお店として口コミが広がった。豆によっては注文を受けてから焙煎することもある。なので時間にゆとりのある、コーヒーを純粋に楽しみたい常連客が増えた。わたしも実はそこで一緒に働いていた。数ヶ月だけ。

 オープンして少しした頃、わたし以外に雇っていたバイトの男の子が来れなくて慌ただしく働いた日があった。その時わたしは、忙しいなんていうのは理由に出来ないミスをした。イズミくんが海外で仕入れてきた大事なコーヒーの器具をひとつ、落として壊してしまった。忙しい合間にそんなミス、お客さんには笑顔を見せるけれど、正直イズミくんは難しい顔をしていた。それでも、大丈夫だから、とわたしに声をかけてくれながらその日の営業は終わった。

 何度も頭を下げた。夫婦だと言っても店ではオーナーはイズミくんである。しかも壊してしまった大事な器具。入荷するまでは当分その器具を使うコーヒーは淹れられない。

「コーヒーはこの器具を使う種類だけじゃないんだから、そんなに落ち込むなよ。俺まで悲しくなるだろ?」
「でも、本当にごめんなさい」
「いいって。明日の準備してから帰るから、シオリさんは先に帰ってゆっくりしてなよ」

 だけど、帰る前に見てしまったんだ。奥の保管庫のところで、壊れてしまった器具を大事そうに磨いているイズミくんの姿。もうそれは使えないのに。

「今までありがとね」

 って声をかけながら、きれいに磨いていた。声もかけられなかった。わたしはその場を逃げるように去った。その後からは、店では働かないことにした。

「なんで?一緒にカフェやってこうよ。この間のことは本当に気にしなくていいから」
「うん、ありがとう。でもね、やっぱりわたしはイズミくんの仕事に関わらないほうがいいかなって思うんだ」
「なんで?」
「イズミくんが家に帰ってきた時に迎えられる奥さんでいるほうがいいよ。ダメかな?」
「ダメじゃないけど・・・なんか淋しいじゃん」
「ごめん。お店も軌道に乗って来たし、わたしの代わり誰か雇う事できる?」
「うん、それは大丈夫。えぇ~、ほんとに辞めるの?」
「ごめん」
「う・・・ん、そんなに言うなら、わかった。せっかくだから、自分の時間楽しんでよ、シオリさん。」

 それからは、専業主婦になった。昼間時間できるだろうから誰かとご飯でも行って来たら?なんて声をかけてくれたけど、働いてるイズミくんに悪いので、たまーにだけ甘えることにした。その代りに普段は、お料理教室に通うことにした。これなら、イズミくんの役にも立つ。美味しい料理を作って家で待ってられるのは幸せなことだし。習い始めて少しした頃から、栄養士の資格も取るように勉強した。コーヒーについても勉強した。カフェインによって悪作用もあれば良い作用もあるのがコーヒー。どうせなら、活かせられる料理を作りたい。

 その後、イズミくんも経営する店の店舗も増え、バリスタの資格を取って指導を行うようになった。イズミくんの生活は非常にタイトなスケジュールで、体調管理にはとても気をつかった。

「なのになんでイズミくん、太ってきたのかなあ」
「シオリさんの料理、美味いからじゃん」
「でもちゃんと栄養考えてるのに」
「なんでだろね」
「イズミくんが海外行ってるときだけは管理できないからなあ。好きなものなんでも食べて帰ってくるじゃん?遅い時間にカロリー高いものも食べるし、コーヒーに合うスイーツも食べて帰って来るし」
「それは仕事だからさぁ・・・コーヒーとスイーツは切り離せないから」
「まだまだ勉強しなきゃダメかな、予定外の食事の事も含めて」

 そう言ってイズミくんのお腹の辺りをつつくと、イズミくんはバツが悪そうな顔で笑うと言った。

「よろしくお願いしまーす、助かりまーす」

 どうしてこんなにいつも、優しく接してくれるんだろう。もちろんわたしだけにではなく、誰にでも。だからイズミくんのカフェで働く人は、辞めることなく長く続く人が多い。さっさと辞めてしまったのは、わたしぐらいだ。わたしは気を使ってくれるイズミくんには甘えてはいけないと思ったから辞めた。それは逃げたことへの言い訳にしかならないかもしれないけれど。違う部分でサポートできればって思うんだ。

 この日も食後に美味しいコーヒーを淹れてくれた。

「やっぱり上手いなあ、コーヒー淹れるの」
「何言ってんの?これで飯食ってるから、俺たち」
「だよね、感謝しております」

 そう言って頭を下げると、イズミくんも両手を膝について頭を下げた。そして顔を見合わせると一緒に笑った。こうやって笑ってられるのが1番。

「いつも美味しいご飯作ってくれるから、俺のコーヒーは精一杯のシオリさんへのお返しのつもりなんだよ。だからね、俺もコーヒーに関してはまだまだ勉強しなきゃダメなんだ」
「まだ勉強すんの?」
「こんなものに終わりなんてないよ。店のことももちろんあるけど、生きてる限り楽しめる時間のための勉強だもん」
「そうだね」

 イズミくんらしい、勉強を楽しむところ。食事の後片付けとか、家事は全くできない人だけど、コーヒーの器具やカップだけは全てやってくれる。この日もそうだった。

「いつもありがとうの気持ちを込めて片づけさせていただきます」

 私の頬にキスをしてから、飲み終わったカップを手にすると片付けにキッチンに立った。



2016/10/17 PM22:02
Ai Ninomiya*

『Laugh triumphantly & happily』


 イズミくんは、ちょっと頑固な人である。特に、楽しみで待ち遠しかったイベントがキャンセルになる時なんてのは、子どもさながらに駄々をこねるのである。それを宥めるのがまた、楽しかったりするのだけれど。



「シオリさん、どうしよう」

 イズミくんの切羽詰まった声だった。

「どうしたの?」
「飛行機が飛ばない」
「え?」
「すごい雪なんだ。吹雪いてて」

 朝1番の飛行機で帰ると言っていたイズミくんからの電話はすでに11時前。

「だめだ。ずっと待ってるけど目途がたたなくて」
「しかたないじゃない、待つしかないんだから。こっちはなんとかするから」
「なんとかって・・・だめだよ。せめて明日の朝までには帰らないと」

 2日前から北海道に出向いてたイズミくんは、今日の午後には自宅についているはずだった。普段なら別に、飛行機が飛ばないなんてのは気にもしない。海外なんて特に、時間にルーズな国も多くない。だけど今回はきっと、明日が初めてのカフェレストランのオープンの日だからだ。

 もともとバリスタのイズミくんはコーヒー専門のカフェをいくつか経営している。日本にいる時には実際にコーヒーを店で淹れることも少なくない。明日オープンするのは、もともとコーヒー専門のカフェだった店舗のうち、1店舗を、あらたにカフェレストランとしてオープンするもので。レストランを兼ねた店舗は初めてになる。そのレストランのメニューの監修をわたしがやることになった。

「明日のオープンランチタイムのコーヒーは、ぜってー俺が淹れたいんだ。シオリさんの料理に合う味は俺が1番わかってるから」

 嬉しい言葉だけど、飛行機が飛ばないなら仕方がない。

「電車も全部ストップ。そりゃそうだわ、窓の外真っ白でなんも見えねぇもん」

 無理だから諦めなきゃいけないのはわかっている。そんな感情が声に乗って伝わって来る。だけど諦めないのがイズミくんであって。きっと何か動くだろうなとは思っていた。だけど今回は雪が相手で、これと言って動ける術は少ない。

「意地でも帰るから。また電話するわ」

 そう言って電話を切って。仕方がないのでこちらもイズミくん不在のつもりで準備が必要になった。カフェでコーヒーを淹れてくれるバリスタを、どこかの店舗から1人借りなきゃいけない。イズミくんはきっと、間に合って自分でコーヒーを淹れるつもりだろう。だから誰にもアポは取らないはずだ。だけどね、もし、万が一間に合わなかった時には困るので。何人か声をかけて、メインで常にレストランで働いてもらうバリスタ以外にもう1人人員を確保した。まぁ、今回はイズミくんがいなくても後はなんとかどうにかなりそうだ。わたしは、明日のメニューに合わせてのシェフとの調整に向けてレストランに出向く用意を始めた。

 レストランについて一通りのチェックを済ませた頃、またイズミくんから連絡が入った。

「シオリさん?今日は無理かもだけど、明日の朝には戻るから」
「どうやって?ニュースでもやってるよ?すごい雪だって」
「でも今もう青森だから」
「青森?」
「電車動いたんだ、トンネルが主流の区間だけなんだけど」
「え?電車動いたの?その区間だけなんてそんなことあるの?」
「奇跡だろ?ただ青森からがまた動いてなくて」
「どうすんの?」
「今トラック拾った」
「拾った?トラックを?」
「あれだよ、ヒッチハイク!」
「ヒッチハイク?え?知らない人のトラックに乗せてもらったの?」
「それがさぁ、すごい良い人で。同じ東京に帰る人で。妻の監修する店のオープンだって話したら一緒になって意地でも明日の朝までに帰るぞーって盛り上がっちゃって」
「何それ・・・?」

 電話の向こうから微かに聞こえてくる知らない男の人の声。「おくさーん、ぜったい帰りますから待っててくださーい」と叫んで、それに合わせてイズミくんも、「おーーーー!」と盛り上がっている。

「大丈夫なの?吹雪いてるみたいだし、雪道でしょう?」
「そういうのは万全だよ。常に長距離で北海道とを行き来してるんだって!心強い人に出逢った、俺ってすげぇ運良くね?」
「運がいいとかそういうんじゃなくて、気を付けてよね、イズミくんは乗ってるだけかもしれないけど、その方に迷惑かけないでよ?」
「大丈夫だよ、いざとなったら俺が運転変わるから」
「何言ってんの?大型トラックの免許なんて持ってないでしょ?」
「そーだった。俺トラックの免許持ってねー」

 電話の向こうでトラックの運転手も一緒に大笑いして盛り上がっている。

 だめだ、これは止められないわ。気を付けてと声をかけて電話を切った。言い出したらきかない人なのは知ってるけど、ほんとにいろいろ無茶をする人だ。だけどクスッと笑ってしまった。

 結局、彼は次の日の朝、自宅に戻って来た。

「ただいまー」

 イズミくんを起こす必要もない朝。ちょっとのんびりしていたら、ハイテンションで起こされた。

「ごめんイズミくん、寝てた」
「いいよいいよ、寝てて。俺も今からちょっと1時間くらい?寝る」
「寝てないの?」
「いや、助手席でぐっすり寝ちゃって、これが。運転任せっぱなしで申し訳ないなと思って。それでさ、今日オープンの店に招待したんだ」
「招待?」
「うん、今日はトラックで会社に帰ったあと休みだって言うからさ」
「いいけど。ほんっとせわしない人だね、イズミくんって」
「そこがいいとこでしょ?」

 小さくウインクをすると、荷物をリビングに置いたまま、彼は寝る前にシャワーしてくるとそのまま洗面所のほうに移動していった。寝ててと言われたけれど、この荷物置きっぱなしはもうどうにかしておいてくれよ?ってことでしょう?ほんっと、いつも同じパターン。

 クスッと笑って、わたしはそのまま1日をスタートさせた。

 8時過ぎには店について、シェフが仕入れてきてくれていた食材をチェックする。もうすでに準備は始められていた。基本、料理はシェフにお任せするので、わたしはあくまで監修のみだから。少し遅れて、イズミくんも店に顔を出した。さすがだ、彼を知った店員たちはシャキッとする。これでも彼は尊敬されてるオーナーさんなんだなあ、そう感じる瞬間だ。誇りに思う。

「遅くなってごめん、みなさん、オープンに向けて引き続き準備お願いします」

 一瞬手を止めて集まっていたスタッフたちが、その声を合図にまた自分の持ち場に戻る。わたしは特に、これといってすることがないから。店の端の席に座って休むことにした。ちょっとドキドキしながら。あと数時間でお客さんが来るのかあ。そしたら少しして、イズミくんがエスプレッソを入れてきてくれた。

「ありがとう」
「いえいえ。そうそう、今日はご招待しておいたから」
「ご招待?トラックの運転手の人?」
「違う、違う。そっちもだけど、シオリさんのご両親」
「うそ?」
「だって、食べてもらいたいじゃん?シオリさんの監修した料理」
「えー?うそぉ?そう言うのは言っといてよ」
「内緒にするからいいんでしょ?今日は3人で食事してってよ」
「ほんっとに・・・。あ、もしかしてそれで急いで帰って来たの?今日」
「それはどうでしょう?」

 イズミくんは、ちょっと得意げに笑った。



2017/01/25 PM17:58
Ai Ninomiya*

珈琲とイズミくんのいる生活

珈琲とイズミくんのいる生活

私の旦那さん、イズミくん。コーヒーを淹れるのが仕事。そんな彼とコーヒーのある生活が、私の毎日になりました。大好きなイズミくんのお話を、ちょっと聴いてください。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-28

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 『wake-up!!!』
  2. 『願いごと』
  3. 『牡丹一華』
  4. 『GARNET』
  5. 『gentleness』
  6. 『Laugh triumphantly & happily』