うみ

 くるしいときは、海に行く。
 海をみると、くるしいことを、わすれることができるから。なんであの子は、いなくなってしまったのかって、いなくなってしまったあの子が、からだのどこかに巣食っていて、なかなか消えてくれないから、ときどき思い出しては、なんでいなくなったんだろうって、かんがえる。いなくなってしまったのだから、もう、なんでかってかんがえたところで、わからないのだけど。
 きのうは、青い雪が降った。
 あの子が好きだった、冬のあいだに一度だけ降る、ペールブルーの雪を、てのひらにのせて、なめてみると甘いってこと、あの子が教えてくれたことの、ひとつで、あの子は、ぼくの先生で、ぼくの友だちで、ぼくの恋人で、ぼくのすべてだった。いなくなってしまったのは突然で、不意打ちで、予兆はなかった。大好きだった人がいなくなったというと、亡くなったの、とたずねられるけれど、あの子は、生きてるよ。存在はしているけれど、ぼくのそばに、いないだけ。ぼくのとなりから、いなくなってしまっただけ。ぼくのところからいなくなった理由は、やっぱり、わからないのだけれど。
 海面から、なまえもしらない魚たちが、顔をのぞかせている。青い雪が降ると、生き物たちが、あらわれるよ、めったにみられないやつなんかが、でてくる。そう言ったのも、あの子だったね。
 あの子は、うつくしいひとだった。
 夢を持っていた。きらきらとまぶしい、一点の光る星に向かって、まっすぐ進んでいた。
 誰にばかにされたって、否定されたって、あの子はあの子だった。あの子は自分を、見失うことはなかった。いや、あったのかもしれないけれど、ぼくにはそういった弱いところを、みせてはくれなかった。
 あの子がいなくなってから、ぼくは、ごはんをたべられない。お肉とか、お魚とか、お野菜を、たべられなくなった。白米も。だから、アイスクリームばかりたべているよ。あの子がきらいだった、チョコミントのアイスクリーム。お肉とか、お魚とか、たべないといけないことはわかっているのだけれど、スーパーでロース肉や、小間切れや、お刺身なんかをみると、どうしてかな、牧場で飼われている牛や、豚や、水族館の水槽で泳いでいる魚の姿なんかを思い出して、だめなんだ。
 あの子がいないと、さ。
 いなくなってしまったとき、あの子はぼくのことが、ほんとうはきらいだったのかなと考えた。あの子はきっと、そんなことはないよと、ぼくが傷つかないようにやさしく、ほほえんでくれるのだろうけれどさ、じゃあ、どうして、いなくなったのかと泣きたくなったけれど、泣いたってあの子は、ぼくのところには帰ってこない気がしたから、あの子のことでは泣かないと決めた。路肩にはまだ少し残っていた青い雪が、砂浜にはまったく微塵もなかった。海面から顔をのぞかせている、なまえもしらない魚たちが、ぼくのことをみているのが、わかる。なにをかんがえているの、魚。あの子も、なにをかんがえていたの。
 どうしてあの子は、ぼくの前にあらわれたの。
 いなくなるのならば、はじめから、あらわれないでほしかったよ。はじめからさ。
 ぼくは、ぼくのことをみている魚たちに向かって、砂浜のちょっと黒っぽいかための砂をつかんで、投げた。魚たちは一斉に、海のなかに顔をひっこめた。投げた砂は、魚たちがいたところまでなど到底届くことなく、波にのまれた。
 あわになりたい。

うみ

うみ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-28

CC BY-NC-ND
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