空の動物園

空の動物園

 深い珈琲の香りが品のいいジャズのスタンダードナンバーと共に流れてくる。
まだ早い時間の喫茶店の店内は客もまばらだった。
人同士,出逢うことは容易(たやす)い。自分はこれまで生きてきて果たしてどれだけの人と出逢ってきたのだろう。そして今まで、こんな形で別れたことがあっただろうか─。そう思いながら目を上げしばらくの間、男を見つめたのはやはり未練だったのだろうか─。
「─こんな紙切れがピリオドになるのね」そう言いながらテーブル置かれた離婚届に判をつき環(たまき)はもう一度目を上げた。
「─すまない、本当に。全部俺のせいだ」男は自身の(あやま)ちを認めている風に眉を(ひそ)めると自分の手元に目を落とした。
「─楽でいいわね、言葉で(あがな)い切れるのなら。あなたはこれからも自由に生きていけばいい。けれどわたしは、わたしたちはこれから、─」そこで言葉を切った。その先を言葉にすることが如何(いか)に虚しく無駄であるかを十分知っていたからだ。
「毎月の養育費は必ず振込むから」こうして行き当たった男の常套句(じょうとうく)なのだろう。どこかで聞き覚えのある台詞を男が言い、環はそれをぼんやり聞いていた。
「そうね。それだけはちゃんとして頂戴。─じゃ、わたしは学校に行かなくちゃならないから」そう言って立ち上がる環を男は申し訳なさそうに見上げた。だが顔を店の出口に向け歩き始めたその時、男の口元がフッと緩んだ瞬間を見逃さなかった。
そのままレジの前を通り重い真鍮(しんちゅう)の扉を開けカロンコロンとドアベルが鳴った時、不意に涙が溢れ出した。男が笑ったことが悔しかったのかこの先を案じた涙なのか自分でも分からなかった。環は慌ててバッグからハンカチを取り出すとそっと両の目頭を拭い往来から吹きつけてくる風に身を隠すように雑踏の中、足早に駐車場に向かった。

市街地の少し外れに翔人(しょうと)の通う小学校はある。
大空を翔(と)ぶように快活な人間になって欲しい、と夫婦で考えて名づけた。
通学は集団での登下校を基本としているが難産が原因で軽度の知的障害を持って産まれ性格も大人しく気の弱い翔人は、子どもたちの間にしばしば起きる確執を嫌がり車で母が送り迎えすることを望んだ。
翔人もじき七歳の誕生日を迎える。まだひらがなの読み書きくらいしか出来ないが美しいものが好きでよく道端に咲く花を見つけると手に摘み小さく束にして母に差し出す優しい心を持ち合わせていた。
学校の駐車場に入るとちょうどチャイムが鳴り子どもたちが一斉に校庭に飛び出してきた。環はその中に青いジャンパーを探した。青いランドセルに青いシャツ。青は翔人の色だ。
「あおい、いろは、そらの、いろだ。ぼくは、そらの、いろが、すき」白い歯を見せて翔人が笑う。その優しい笑顔がたまらなく愛おしかった。
走り回り歓声をあげる校庭の子どもたちを見ていると自然に笑みが浮かび、少しだけ元気をもらえた様な気がした。
二十分休みなのだろう。割と長い休憩時間の間ぶらぶらと上履きが入った袋を後ろ手に揺らしながらわが子の姿を探した。やがてなかよし山と呼ばれるコンクリートで造られた山のトンネルの中から出て友達と追いかけっこをする空色のジャンパーを見つけると環はホッとして思わず手を上げた。
入学の時、特別支援学級へ入ることを校長から勧められたが夫婦で相談して普通学級で授業を受けることにした。学業も運動も当然皆についていける筈もなく、だが懸念していた同級生からの差別やいじめはないようで心底安堵していた。

 その日は授業参観日だった。
朝の夫とのやりとりが思考を邪魔していたがもう考えてもどうしようもないことだ。努めて嫌気が差す現実を頭の中から追い払おうとした。
参観は国語の授業で全員が音読をすることになっていたらしく皆がプリントを広げていた。
「赤とんぼ」と云う教材だった。
「─では、たけのこ読みをします」担任の女性教師が言うと一斉に立ち上がった。
「あかとんぼ─まど、みちお」声を揃えて言い終わるとそこで一旦着席した。
赤とんぼ まど、みちお
つくつくぼうしが なくころになると、
あの ゆうびんのマークが きっと しらせにきます。
きんいろのそらから もう あきですよ・・・・って
着席したままそう揃って音読した後、今度は順番に一人一人気に入った文節を音読する。縦からの順番のようで二列目で一番前に座っている翔人の番が回ってくるまでさほど時間は掛からなかった。
「─きん、いろ、の、そ、らか、ら、もう、あき、ですよ、って」翔人は懸命にそう()んだ。
その声を聞きながら環はハッとした。自宅で懸命に練習してた一節だった。
「おかあちゃ、ん、きいて?きいて、てね?」そう言って何度も繰り返し詠んでいた一節だった。
離婚が決定的となり離別の準備で精神的にも一杯一杯になっていた。母子家庭としてこれから先を障碍(しょうがい)を持った子どもと生きていく。押しつぶされそうな不安と不貞で家庭を崩壊させた夫への憎しみで全く心に余裕が持てなかったのだった。
少し傾きかけた陽ざしが子どもたちを照らし始めていた。ふと窓外を見ると大き目の雲の端がオレンジ色に染まり、その間から漏れた陽が下の雲を金色に輝かせていた。
「─金色、の空」環はそう小さく呟くと着席したわが子を見つめた。
懸命に詠んだのだろう。翔人の頬は紅っぽく心なし上気しているように見えた。思わず感情がこみ上げ涙がこぼれそうになった。

授業参観が終わると懇談会があったが出席するつもりはなかった。帰ろうとした時、担任の教師に呼び止められた。話がしたいから、と言う。
「─懇談会の方はいいんですか?」そう訊くと、
「ああ、大丈夫です。副担任がいますから」教師はそう応え、
「ちょっとだけ、お話よろしいでしょうか?」そう繰り返し,環を別の教室へ案内した。
「本当にやさしいお子さんですね」懐かしい感触の少し背の低い木の椅子に座り向き合った時、教師は柔和な笑みを浮かべて口を開いた。
何か問題を起こしたのではないか、と身構えていたのだがそうではなく教師は翔人君の学校での様子をお伝えしようと思いまして、と前置きをした。
「─お勉強の方は、どうでしょうか?」いい機会だと思い先に気になっていることを訊いてみた。
「─勉強は、─そうですね。確かに授業内容には思うようについていけないところもあるようですが、わたしは学校と云う場所は勉学にのみ重きを置く場所ではないと考えています。翔人君は学校でのことをお家で話したりしますか?」教師が訊ねてきた。環が少しの間記憶を辿っていると、
「─つい先日のことですが、クラスの男の子が花壇にいたバッタをつかまえたんです。学級会の時間そのバッタをみんなで飼おう、という話になりまして。わたしも理科の勉強になるかと考えて賛成したんですが、翔人君だけが反対したんです」そう話を続けた。
「─あの子だけ、ですか?」そう応え目を上げると教師はうなずき、
「─普段ほとんど手を上げたことのない翔人君なんですが、はっきり手を上げて─だめだよ。バッタは、みじかい命なんだから、かえしてあげようよ。草がすきだから、もとの草にかえしてあげようよ、って。言葉を選ぶように少しつっかえながら、でもあんなにはっきり意見を言う翔人君を初めて見ました。あの時初めて翔人君の声を聞いた子もいたと思います。みんなじっと翔人君の話を聞いていて初め一人が拍手をするといつしかクラスみんなが手を叩いていました。翔人君は恥ずかしそうに俯いて座りましたが、その時わたしは大変感動しました。恥ずかしい話ですが忘れかけていたんだと思います、命の尊さを。大げさに聞こえるかも知れませんがたった一つしかない命の尊厳を、あらためて翔人君に教えられた気がしました─お母さん、大丈夫ですよ。勉強も大事だと思いますがそれよりも翔人君には素晴らしい優しさがあります。みんなが拍手したとき、わたしは翔人君の優しさが広がり輪になったのを目の当たりにした気がしたんです」目を潤ませてそう話した。
胸が一杯になっていた。
「─ありがとうございます」やっとそれだけ言った。自分も知らなかったわが子の行動を、知らぬ間の誇らしい成長を聞かされどう応えていいか分からなかった。

「─ショウちゃん。今日はがんばってたね」ハンドルを握りながらそう言うと翔人は頬を紅く染め大きく頷いた。
「─おとうちゃん、は?おとうちゃん、はきて、くれたの?」褒め言葉が嬉しかったのだろう。落ち着きなく流れる窓外のあちこちを見ながら翔人が訊いてきた。
「─ごめんね。お父ちゃんは今日もお仕事なの」そう応えると、
「ふう、ん。おとう、ちゃんにも、きいて、ほしかった、な」そう言って少し不満げに環を見た。
「─そう、だ。かえって、きたら、おとうちゃん、にも、きいて、もらおう。おとうちゃん、きょう、は、はや、くかえって、くる、のかな─」翔人の問いに環は応えなかった。思わず言葉に詰まり咄嗟(とっさ)に応えられなかった。
「─そうだね。今度、─今度、聞いてもらおうね」やっとそれだけ言うと助手席にいるわが子の手をまさぐり、そっと引き寄せた。
 取るに足らないことなのかも知れない。夫の浮気なんて、どこでも聞く話しだ。仕返しに奥さんも浮気しちゃいなよ、とはどこぞのコメンテーターが冗談混じりに良く口にしている。浮気心のない男などしたり顔の識者たちが言うようにもしかしたら本当にいないのかも知れない。
だとしたら家族とは一体何なのだろう。一番身近な集合体─。昔学校で習った社会科の答えはそう記すことだった。
環は翔人が生まれた日のことを思い出していた。

近くにある公園の染め抜かれた大きな銀杏の樹の見事な葉の色を憶えている。
折りから降り出した雨がしとどにその葉を濡らしていた。
「─見てごらん。きれいねえ」環はまだ見ぬわが子を慈しむように大きなお腹をさすり話しかけながら雨の滴る銀杏を見ていた。
その日の晩、遅い時間に破水し緊急の形でかかりつけの産院に運ばれた。すぐに分娩室に運ばれたがなかなか子宮口が開かず促進剤を用いた。だがそれが要因となり胎児の心音が遠のき、一時は母子ともに大変危険な状態に陥ってしまった。医師は慌てて点滴のチューブを引き抜いたが環の意識は朦朧(もうろう)としたままだった。数時間後、何とか子宮口が開き普通分娩で出産したがひどい難産で胎盤に酸素が十分行き届かない状態が続き重篤(じゅうとく)ではないがそれが翔人の障害の原因になった。
後になって聞かされたことだが母子が危険な状態になった時、夫は医師に帝王切開の施術を申し出ていたのだと言う。だが自然分娩できる、と云う医師の判断が思わぬ不幸な結果を招いてしまったのだった。
翔人の障害が確認された時、環は愕然(がくぜん)と肩を落としたが、
「─命は預かりものだ。授かりもの、じゃない。この子は天から預けられた大事な、本当に大事な宝物だ。俺たちを選んでこの世に生まれてきてくれた。一緒に、大切に育てて行こう─」夫はそう言って震える肩をそっと抱きしめてくれた。
─あの日、間違いなく三人は家族だった。何事の入る隙もない絆で結ばれていた。

不意に耳にあの日の産声が蘇り、環は思わず耳を澄ませた。同時に産まれたばかりの産着に包まれたわが子を抱き上げ、本当に嬉しそうに目を潤ませていた夫の姿が脳裏に浮かんだ。
─本当は優しい人だった。出産以来、体調を崩すことの多くなったわたしを気遣い忙しい仕事の中でもまめに様子を窺う連絡をくれたりもした。
環は二月程前の出来事を思い返した。

「─明日から三日ほど関西に出張に行くから」夜半に帰宅しサマースーツを脱ぎながら夫が言った。
「そうなの。大変ね、このところ出張続きで─」労うつもりでそう声を掛けた。脱衣所に向かう夫を目で追いながらスーツをハンガーに掛けようとした次の瞬間、どこからかフワッと石鹸の淡い香りが漂ってきた。いつものコロンでもたまにつける覚えのある香水の香りでもなかった。思わず顔を近づけて確かめるとやはり香りはスーツの襟元のあたりから匂ってきた。環は夫を振り返ると、
「─お風呂は?」そう訊いてみた。
「ああ、今日はいい、疲れた。明日朝早いから先に休むよ─」夫はそう応えるとそのまま寝室に入って行った。
咄嗟に湧き上がるある予感を振り払ったが、閉じられた寝室のドアをしばらくの間じっと見つめていた。するとその時かすかな音で携帯の着信音が鳴った。短く切れた着信はメールなのだろう。音の方を見るとスーツの薄い生地を通して青白い光が点滅していた。時刻はすでに日付を変えている。もう一度寝室を見たが夫は深夜の着信に気づいていないようだった。
環はしばらく考えた末、夫の携帯を確かめた。メッセージは女の名の送信元で明日の待ち合わせ場所と時間が記されていた。
男女の関係はどこか信仰に似ている、と環は思う。一度は互いに信じあっているが何かをきっかけに男か女、どちらかが不意に外方(そっぽ)を向いてしまう。おかしなことにそれから二人は全くの他人同士になりまた信ずべき別の相手を探し求めるのだ。
不貞が明らかになった時、夫は蒼白に妻を見つめだが後戻りするつもりのないことをはっきり告げたのだった。
真実は足枷(あしかせ)にも感じていたのだろう。あんなに可愛がり慈しんでいたと思っていたわが子を置き去りにすることさえ容易に許諾した。
環はやるせない憤りを辛うじて抑え身勝手な男を見つめた。

環は学生の時に両親を次々病気で亡くした。親類縁者はどこかにいるのだろうが頼る先も分からなかった。
夫も似た境涯で、だからこそ互いを愛し死ぬまで力を合わせ大切に家族を護り通すものだと信じて疑うことはなかった─。環は遠い日の約束を反芻(はんすう)した。
寄る辺もこれからを相談できる先も見当がつかない─。そんな不安が一気に押し寄せどうしようもできない日々が続いていた。
夫とは弁護士を通して慰謝料の話し合いを残しているが翔人と二人のこれからの人生がかかった大きな問題の解決が、こと金に行き当たることを考えるとますます合点のいかない気持ちが頭をもたげるのだった。

 赤信号の交差点で停まるとぼんやり左右を行き交う車の流れを見ていた。
「─おかあ、ちゃん」その声にハッと我に返ると、心配そうに翔人が見つめていた。
「─あ、ごめん、ごめんね。お母ちゃん、ちょっと考え事してたもんだから」笑顔を向けてそう言うと、
「は、はい。これ、─」翔人はそう言って手を差し出してきた。見るとまだ小さな手には束ねられたカスミソウが一杯に握られていた。
「わぁ、かわいい─!」思わず小さく叫んだ。カスミソウは環が一番好きな花だ。
「どうしたの?こんなにたくさん─」そう言って笑顔を向けると、
「あの、ね。がっこう、の、ちかく、に、さいて、たの。田んぼ、のみち、だよ。いっぱい、あった。おかあ、ちゃん、すき、でしょ?」翔人が答えた。どこからか風に乗って種が運ばれ畦道に根づいたのだろう。カスミソウは一本一本が生き生きとしていた。

年末が近づくと家の花柄の大きな陶器の花瓶に真っ赤なバラの花とカスミソウが活けられる。
毎年イヴの日、夫が贈ってくれるものだ。
「─バラも勿論きれいだけど、わたしはカスミソウが好きだわ。楚々として、どこか優しくて」翔人はそう言った母の言葉を覚えていたのだろう。
「─ありがとう」環はそう言うと純白の小さな花をじっと見つめた。まだ幼い息子の自分を想ってくれる優しさが胸に沁みた。落ち込み冷え切った心の中に突然明るい花束を投げ込まれた。そんな気がした。
「─ねえ、おかあ、ちゃん。きんいろ、のそら、みたいなあ」翔人が母を見て言った。
「お母ちゃん、今日見たよ」そう応えると、
「え、ほ、ほんと?」運転席の母をのぞき込むように翔人は驚いた顔を近づけた。
「うん。─そうだ。明日のお休み見に行こうか、金色の雲」そう言うと、翔人は目を輝かせて大きくうなずいた。

 秋はずっと高くに空がある。
浮雲も(まる)く舞っているトンビもずっと高みにいるようだった。
市街地から少し外れた所に造成を予定しているなだらかな丘陵がある。あちらこちらに樹木を抜根した跡があり、ならし始めた広い斜面にはやわらかい草が生えている。
二人はそこに寝転がって空を見上げていた。時折頬に当たる少しひんやりした風が心地よかった。
「─久しぶりねえ。空見るのなんて」胸を大きく膨らませ深呼吸をしながら環が言った。
「おかあ、ちゃん、も、そら、がすき?」翔人が目を向けて訊いた。
「うん。大好き。けど、ずっと見てなかったなあ─」笑顔を向けてそう応えた。
「どう、して?」翔人の問いに環は大きく空に向けて腕を伸ばすと、
「─どうして、だろうね。きっと大人になったから、かな?」そう応えた。
「おとな、は、そら、みない、の?」翔人が問うと、
「大人はねきっと─きっと、つまらないから。つまらないことばかり考えてて、空があることを忘れちゃうのね─上を向けば空があることを─」環はそう応えそして思い出した。子どもの頃自分も良く大空を見上げていたことを。
嫌なこと、つらいことがあると芝生のある近くの公園に行って寝転んで空を見ていたことを。空の青い色にぽっかり浮かぶ白い雲をじっと見ているとフッと心を鷲掴(わしづか)みにされ身体ごと天高くに吸い込まれていくような不思議な感覚に捉われ、しばらくすると思い悩んでいたことが薄らいでいるのだった。
 突如けたたましい(さえず)りが聞こえ、見ると雲雀(ひばり)が空に向かって羽ばたいていた。見る間にグングン天高く舞い上がっていく。
「─おかあ、ちゃん、みて、すごい。ほら、とり」翔人は空を指差すと半身を起こし興奮した様子で母を振り返った。
「うん、すごいね。空に帰ろうとしてるのよ」そう言うと、
「そら、に、かえる、の?」翔人はそう返しながら目を丸くしてじっと雲雀の行方を見つめていた。横でその様子を楽しげに見つめながら、環はいつか聞いた雲雀の悲しい物語を思い出していた。初め雲雀は神様の遣いとして地上に降りてきた天人だった。むやみに殺生を繰り返す人間達に警告の徒として使命を受けたのだ。だが地上で出会った一人の猟を生業とする若者に恋をし雲雀は使命を忘れてしまう。怒った神様は罰として雲雀を鳥の姿に変え天に戻ることを許さなかったと云う。鳥になってしまった雲雀は若者との恋も叶わず以来、天に向かって一生懸命に侘びながら空高くまで羽ばたくのだと云う。けたたましい囀りは許しを乞う懸命な言葉なのだ、と聞かされた。
物語を思い返して囀りを聞いていると叶わぬ想いにひたすら祈りを捧げる小さな命が、どこか今の自身の境涯と重なる気がしてまた切なくやるせない想いが渦を巻いて湧き上がってくる様な気がした。
環はじっと目を閉じた。こうして地べたに身体を預け自分の呼吸を意識していると全身の力が抜けホッとする。
大地と風にそよぐ草の息吹きが疲れ切った心を芯から癒してくれているように感じた。
「─おかあ、ちゃん。み、て」翔人の声に目を開けた。
「ほら、ぞう、さん」翔人が言い、空を指さした。なるほど、いびつな形が象に似た雲が浮かんでいた。
「─あれ、は、きりん、さん」別な方を指さし翔人が言う。
「─ホント、だぁ」翔人のさす指の先を見上げて環が応えた。
「─うさぎ、さん、も、とり、さんも、いる。どうぶつ、えん、みたい」翔人が言った。
「─うん、ホントだ。動物園みたいね」そう言ってうなずくと、翔人は満面の笑みを向けてきた。
遠くからカラスの鳴き声が聞こえてきた。
陽が傾きかけ離れた所に立つ大きな樹の影が長く横たわっている。
「─あッ、おかあ、ちゃん、ほらッ」突然翔人は立ち上がると陽の傾く先を指さした。
「ほらッ、きん、いろ、きん、いろだッ─」小躍りしながら興奮した様子で翔人が叫んだ。遠くの山にかかる大きな雲が一筋の光を受け見事な金色に輝いていた。
「─ホントだぁ。きれい」環も立ち上がった。
「─きん、いろ、の、そ、らか、ら、もう、あき、ですよ、って。─きん、いろ、の、そ、らか、ら、もう、あき、ですよ、って。─きん、いろ、の、そ、らか、ら、─」翔人は空に向かって繰り返し詩を詠んだ。
頬を真っ赤にして訥々(とつとつ)と、だが懸命に空に向けて詠んでいるひたむきなその姿がふと叶わぬ祈りを天に訴える雲雀に重なって見えた。
「─きん、いろ、の、そ、らか、ら、もう、あき、ですよ、って」翔人がもう一度叫んだその時不意に切ないほど愛おしい気持ちが胸に迫りあがり、環はわが子の温かい頬を両掌で包み込むようにしてギュッ、と自分の胸に抱きしめた。



空の動物園

空の動物園

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-21

Copyrighted
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