*星空文庫

ショートショートつめあわせ

山城よる 作

  1. 糜爛
  2. 愛惜と哀惜
  3. 不断桜
  4. ALSIEL
  5. 邂逅
  6. 遭雨
  7. 花の娘
  8. パ。(仏語:pas 意:step)
  9. 静けさ
  10. The twilight blue.
  11. 飴色の魔物
  12. おちて、さよなら
  13. 名を、はもの
  14. かすみづきよ

糜爛

それは。豪華絢爛な重緞帳に似て。り・り・り・り・鳴り止まぬ虫の声に似て。底から、底から、其処から、這いずり出でて来たる、ぞわ・ぞわ・ぞわ、怖気。ーーーー、? 襲来、する、唐突な。落下する。落下する。落下する。落下する。落下する。落花、する。つばき、の、はなの、散る、散る散る散る散る、らむ。花、花、花、花、花の、はなびら、に似る。鈍い。むらさきいろ。と。はいいろ。と。あお、と。あか。と。生の、におい。纏いて。密林に、咲く、巨花の気配もして。生きている、いた、朽網。生命に、回帰スル、色彩。色サイ。シキ。シキ、シキ、シキサイ。茫然、と、佇む、後悔の、いろ。を、していた。美醜泥土のフラクタルを刻んでいる。刻んでいる。刻んでいる。フラクタル、フラクタル、フラクタル。フラクタルフラクタルフラ、繰り返される遺伝子の形状、か。十重二十重。おなじ、かたちを、魂の底で、憶えて。いる。の。悍ましき。おぞ、おぞ、お、ぞ、ま、し、き。き、き。きず、な、の、きず、きず、き、ず、傷と疵と瑕とキズと、きず、可哀相に。腐敗して落ちる胎児の泣くさま、の、やう。わあ・わ・あ、わあ・わあ・び・びい・び・び・び・びい、びいい。早送り早送り早送り。細胞の奥から膿み出されるなみだが、なみ、な・み・だ・が、とろり。とろおり、とろ、り、ゆるやかに緩慢に落ち拡がっていくような、さま。とろ。とろ。どうしたって治り得ぬ、ふかい、ふかい、深い、ふかい、根底からの瑕疵、が。裏返す、裏返る。うら、が・え。る。かげ、に、隠された、止まった呼吸。す・す・は。然様なら。昏い。昊の落つさま。のぞみなし、こひねがう。然様なら、然様な・ら、さよう、なら。清冽、な、やいば、を。欲す。泪さえ、切って、斬って、裁って、絶って、断っ、て。おねが、イ。ね。ね、ね。ね、然様なら。ての、ての、て・てのひ掌の、ねつ。を。溶かして。ね、つ、で、溶かし、て。どうか。どうか。生き・て、いる、間に。沈んでゆく、深みに、埋れていく。埋没。埋没。日の目遠く。眠り。静穏、に。果てなく。最果涯なく。征こう。強さのまま。振り切って。やはらかく、せん・さ、い、な。弱々しき、もの。痛み。いた、み。い・いた、いたみ。ぐずぐずと緩慢に腐敗してゆく鈍い痛み。仄かな。甘やかさ、を、以て。懐柔して・ゆく。懐柔。凡て同化させ、て。癒えないきずを、鮮やかにして。微笑みで隠して。笑う。笑う、わ、ら、う。笑う笑う笑う笑う笑う笑う嗤う。嘲笑う。ひ・は、ひ・は。たえだえの。呼吸さえ隠して。隠して。悟られない、で。ゆるやかに、ゆるやかに、道の決まった下り坂を、おり・て、いく、やう・に。あゝあゝあゝあゝあゝあゝあゝあゝたえだえのいのち。あゝあゝあゝあゝあゝあゝあゝあゝいのちあゝあゝあゝた・えだえの、あゝあゝあゝあゝあゝあゝあゝあゝ救・け、て、よ。



(泥沼の、底。早く、だれか、引きずりあげておねがい)

愛惜と哀惜

 俺は少し淋しい人が好きだと思う。
 こころのどこかにぽつんと穴が空いているけれど、だから、すうすうと風通りがいい。少し肌寒いくらいの隙間風が吹いていると、ちょっとやそっとじゃ動じない。
 諦めと同じようなニュアンスの、その落ち着きにこそ安心して吐息出来る。寄り添って、一時的に。
 そのぽつんと空いた穴に手当てして、隙間風を止めてあげられる。
 俺の持っているものは誰が思うより乏しく、その中から与えて差し上げる事が出来るのはもっと僅かで。ひと時の擬似的な温もりを、その淋しい人たちは皆、やっぱり諦めによく似た落ち着きでそうっと抱き込んでくれるから。

 与えられているのはいつも俺の方だって、わかっているのに。
 わけ知り顔で、穴を塞いで、偽善的な、あとにはなんにも残らない優しさで腹を満たすの。共通するのは、やっぱり皆淋しい人たちで、やっぱり皆がその肌寒いくらいの隙間風を愛しんでいるということ。
 淋しさを抱き込んで、懐の中にしまっておけるひとたちは、満たされているだけの誰かより、よっぽど豊かだと思う。
 淋しさと、愛しさと、あと何を詰めておけばいいんだろう。空っぽの、冷めてしまったこころのうちに、神経さえ凍り付いてなんにも感じられないこの中に、何を擁するのがいいんだろう。
 皆、嘘だと知っていて。俺の持っている全てのものは仮初めだって、知っていて。俺自身がわからなくなって迷惑して嘆いていたとして、全部嘘さと笑い飛ばしてくれる位がいい。少し冷たいくらいがいい。並みの暖かさでさえ、俺には痛いくらいの熱に思えるから。
 全てを諦めたような落ち着きを、そうして、俺も少しずつ手に入れていくから。吹き荒ぶ隙間風に溺れても、もうその肌寒さに震えたりはしないから。しずかに、目を閉じて、少し俯き加減に、穏やかに笑うから。
 そのあと開いた眼で視る世界のすべてが如何に冷酷であろうとも、諸手で受け止めてあげるから。それから壊してあげるから。力で以て、全てを崩してあげるから。それが許されているから。力がある。

 微笑んで、サヨナラしよう。
 然様なら、ねえ。命の終焉にようこそ。
 その合図を出すのは誰か、もうわかるよね。さようなら、おやすみ。
 よい夢を、可哀い人たち。



(何もかも捨て去って、力だけが遺って、行使したら。きっと)
(世界が終りを迎えるのも、とても、早いのでしょう)

不断桜

 ざあ、と吹きつけた木枯らしに薄桃色が攫われているのが見えた。
 憂鬱な仕事帰り、きゅか、と硬い金属のピンヒールの足を止めた彼の背で、ふわりと波打つ月光の髪が揺れる。
 粘着質な、嫌な記者だったなあー、とぼんやりと思考とも言えぬ思想の中に意識を漂わせていた時。リーダーがいたから、余計なことこそ起きなかったが何故だかとても、疲れていて。
 夏には避暑地になる自然の多い遊楽地の、舗装のされていない道をどこまでも続いていくような木立の間を何メートルか何気なく離れて歩きながら、一般的な平均身長より大きな自分より、更に逸脱して大きな背中に声を掛けようとして、


「近くで、サクラが咲いてるネェ?」


 先を越された。
 その微かなはなびらは彼、屍の背と自分の間をとおったから、目撃したのは自分だけのはず。目の前を行く男にはその芳香が感じられたようだった。感覚器官が、想像を絶する程鋭い。
 風が、サクラの気配を運んでくる。


「秋なのにネー」
「二時の方向。距離は…さっきの風の強さだとちょっと向こうだね。その木立の向う側かな」
「匂いした?」
「いや…俺は鼻は良くないから。はなびらが横切ったの」
「行ってみようか」


 半身で振り返り、すう・と目を眇める。
 自分と違ってハリがあり真っ直ぐの、闇黒に見紛う濃い紫黒の髪が風になぶられて揺らめくのをぼんやりと見やる。
 それなりに長い付き合いになるが年齢不詳の屍は、その身の内に何を飼うのか知らないが未だ得体が知れない。ヒトならざる気配を感じる、と、こんな時があると度々思う。ヒトというより、蛇のよう。

 風流なもの、風情のあるものを好む。美しいものを"愉しむ"感覚が似ていると思う。
 今日は諸事情あってマネージャーも、他のメンツもいない。お目付役ガンバッテ!とたった一人の年下メンバー、ハギリに言われたが、一般的に自分がリーダーの世話役調停役リード役だと思われがちだが、実は違う、と思う。
 フザケているのは彼の本質ではないと。常々睡そうで、気怠いが、見た通りの人間ではない。得体のしれなさは、その"深み"のせいかもしれなかった。覗こうと思っても昏くて見えない静かな深淵を身の内に潜ませた、不可侵の男。
 チャラけているように見せかけるのは、まあ性格に起因するところもあるのだろうが、彼の方が"こちら"に合わせてくれているのだと思う。こちらから、距離の取りやすいように。近付くのも、離れるのも。
 …考え過ぎかな?と思いながら、がっさがっさと木立の垣根を割り行く背中を追う。


「いたっ!」
「アラー、カワイソーに(笑)」


 ぼすん、と濃い緑の壁を抜けたところにびんっと引き攣るように引っ張られた。
 後ろによろけて見上げれば、枝に髪が絡まっている。
 しゃらしゃらとマラカスを緩く揺らしたような笑い方をしながら、数歩戻って来てぬうと伸ばした腕がべきりと無遠慮に髪の絡んだ枝を手折り、ひょいと掌に落としてくれた。


「あ。カバネサンそこ溝あるよ」
「っと!そーゆーことは早く言ってよールルチャン。片足落ちたじゃない」
「上だけじゃなくて下も見なさいよ」


 枝に絡まった髪をぷちぷちと引きちぎりながら今度はルルが木の葉のさざめきのようにくすくす笑って、溝を跨ぎ越しながら片足が溝にはまり込んだ屍の腕をとって先を行く。とても自然な感じだった。
 何の意図もなく、昔から付き合いのあるような。猫の兄弟みたいな。じゃれ合って離れて、世話を焼いたり焼かれたり。
 かといってただ優しいわけでも、いつでも気にかけているわけでもなく。互いに自由なまま。
 好きなように。


「あった」
「ほんとだー」


 小さな木だった。屍の身長よりもほんの少し高いだけの。
 幹の先は枝には変わらず、中腹から痛々しく折れたようで、その先があったはずの樹。若い樹ではなく、遺った2メートルほどから伸びた枝の太さ、折れてなおどっしりと構えた様子、地面近くでうねる根の根の太さから立派な樹だったのだろうと伺える。
 秋も終りに近いというのに、枝枝のあちこちに薄桃色の花をつけていた。


「狂い咲きかなあ」
「違うよ、多分不断桜ダヨ」
「不断桜」
「ウン。秋から翌年の春まで咲き続ける桜」
「ふーん。寒くても?」
「寒くても」
「雪でも?」
「雪でも」
「散らないで?」
「サァ。でも、ずっと咲いてるんだよ」


 椛に桜、雪に桜も愉しめるんだろうね、とカバネは笑った。それはすてきだねえ、とルールも笑った。
 ぽい、と。やっと取れた銀糸の巻き付いたままの枝を適当に放って、ヒールを脱いでから樹に近付く。尖った、ここではあまりにも不粋な金属で樹を傷つけたくなかった。
 ふかりと裸足を優しく受け止める腐葉土が冷たいが、その根の股の適当な所にすっぽりと尻を収めて腰掛け、太い幹に背中を預ければ皮膚と樹の皮を隔てて水の流れが感じられた。そうっと目を閉じ、深く息を吐く。
 疲れは、知らぬ間に吹き飛んでいた。

 さあさあと、まるで狐の嫁入りにも似た音が幹の内側から聴こえる。
 このあたたかな樹の内側では、もしかして虹が掛かっているのかな、なんて考えながら息を止めて。大気に、幹の中の水の流れに、同化するように意識を沈めていく。時間が、ひどく緩慢に過ぎ行くような気がした。
 しゅぱっ、と火花の弾ける音。
 遅れて、焦げた煙と木のにおいが細く漂う。反対側で、カバネが煙管に燐寸で火を入れたのだろう。燐寸の焦げ付く臭いの後にしっくりと程よい重みのある、どこか華やかで甘い薫りが側をくゆって、風に流されていく。
 自然に還るように、繊細に吐息した。
 薄目を開けて見上げれば青い地面に茶色い血脈が張り巡り、その先々、あるいは途中でぽんぽんとささやかに薄桃色が弾けている。美しかった。
 時折吹く風がゆるりとはなびらを攫って、地面近くでひゅるるんと小さな竜巻を作るのを見ていた。


***
Special thanks!!→天狗しゃん。(屍さんお借りしています)

ALSIEL

 色めく。
 始まる前から悲喜交々の歓声が遠耳に飛び交うのが聞こえて頭痛がする。

 "感情"が込められた"声"は言葉として意味を成さなくてもパワーがある。そのあまりにも多い"力"の塊に有難くも吐き気がしそうだった。
ライブの前はいつもこうだ。他よりも特別優れた聴覚には壁や距離なんてものは無くても同じで、普段ならともかく、ライブ前のじわじわと腹の底で何かが燻るように全ての感覚が鋭敏に研ぎ澄まされた今、自分ではコントロール出来ない。
気を紛らわそうにもチューンナップされた楽器に触る気にもなれず、小さく息を吐いて楽屋を出た。手にしたお気に入りのミネラルウォーターが空だった。

自身の高身長においても引き摺る程の黒いドレスの、後ろだけ長くトレーンを引く裾を軽く手で持って廊下に出る。ヴェールを模したヘッドドレスは直前に着けるから、まだ頭は軽い。
 よくもそんな衣装で楽器が弾けるものだと叩かれたり、嘲笑されたりすることもある。しかし、"ヴィジュアル系ロックバンド"を銘しているのだから普通だ、と思う。
 ロックとはそもそも反骨精神や何らかの不満の訴え、即ち精神性の表れとしての言葉であり、その姿はTシャツにボロいジーンズなんかでも構わないのを、わざわざ、"目に見える様、視覚的である様"を意味する"ヴィジュアル"と冠しているのだから飾っていくらではないだろうか。
 見目の麗しさ、美しさ、格好良さなどに音楽を引っくるめて売り出すという名目から始まっているのだから当然なこと。曲の意図を、バンドの意志をオーディエンスにわかりやすく示しているだけだ。

 "ミュージシャンなら音楽で語るべき"などというのはもう遅い。
 そういうことを声高に訴える人間程、ライブやテレビ収録で平気で録音された音源を流して口パクをしたりするものだと知っている。そんな程度では、何かの借り物か模倣、二番煎じどころか数え切れない程繰り返されて来た流行りの踏襲の音楽でしかない。
 意思の曖昧な"売れるように"仕組まれた生温い商業曲で死ぬまで忘れられない程の曲ができるものか。売れる曲と、良い曲は別だし、また、そのどちらもと、自分達の音楽は必ずしも同義にしようとは思っていない。
 雨降りの日に「今日は雨ですね」とわかりきったことを隣人に言うかの如く、自分達のオトをかき鳴らすだけがたったひとつのスタイルだ。
 そしてヴィジュアル系の大まかな役割としては社会的大衆の共感よりもその目の届かないマイノリティの共感が目的であるし、それに何より目の前にいて声の届く、生の音の届く距離のオーディエンスの心の底を震わせるような"おそれ"足り得る部分こそ、他に無い"ALSIEL"の音楽なのだ。それに対して誰が何を語り、何を感じ、何を意図して泣こうが喚こうが喜ぼうが怒ろうがそんなのはほんの僅かのひと欠片さえ興味ない。

 傍若無人に、自分勝手に我儘にやりたい音を鳴らすだけが、ALSIELの唯一不変の"オリジナリティ"である。そこに信念なんてものはないのかもしれない。
 やりたい時にやりたいだけ、やりたいものをやる。それだけ。信念だなんだという下らないものは成し得た事柄とその時々の刹那のみが語るものだ。口で語る程、大層なものの持ち合わせはない。
 それを感じたり聞きたいと思うのならばCDやDVDを買えばよいし、ナマがイイならライブに来ればいいのだ。ALSIELがやっていることは至ってシンプルで、他意は無い。やりたいから、やる。ついて来たいなら来ればいい。誰かに、何かに合わせたりしない。

 頭痛を紛らわすのに下らないことをつらつらと考えながら自動販売機でレモン水を買う。がたこん、と落ちて来たペットボトルを何処からか持って来た(多分ドラムにかけられていた埃よけの)適当な布で全体を拭ってから蓋を開ける。
 自動販売機の中はかの有名なテカる茶色の家庭害虫の温床だとかいう話を聞いてから実はあまり買いたくないが今は致し方ない。
 奴らは髪の毛一本で一ヶ月生きられるだとか、首(頭?)が無くても一週間生きるとか何かと気味の悪い生態をしていると聞いたことがある。
 知らず買うならともかく、知っていたらなるべく避けたいと普通は思うだろう。
 くりっと振り返って歩き出そうとした瞬間、ぼすん!と壁にぶつかってよろけるのを腕を掴まれて止められる。
 ひん曲がった、何かの花のような、香草のような、どこかに鋭さのある没薬のような香りが濃く鼻腔を擽った。


「………カバネサン」
「なーに?」
「なんで気配もなく俺の背後に立ってんの。コワイ」
「いやー、何でだろ?わかんないケド(笑)あー…ルルチャン頭イタイの?今日"スゴイ"もんねえ、歓声」


 掴まれた腕を引いて離して貰い、壁に背を預けてしゃがみ込む。
 そこに屍が"居る"というだけで頭痛は少しマシになった。
 "ウルサイ"のは歓声のヴォリュームではなくて、彼らが声に乗せて放出する目に見えないエネルギーなのだ。その熱波のようなエネルギーは、オーディエンスが何千何万いようとも自分達の音楽が鳴り出しさえすれば押し返せる。
 一般人何万人分ものエネルギーに対して、ALSIELの"音楽"は同等以上に"強い"のだ。が、ライブ前のこの時間は耐えるしかない。
 同じように聴覚の優れたカバネが心配してなのか偶々通りがかっただけなのかはどちらでもいいが(むしろ後者でないと気持ち悪いが)、"居る"だけで、建物の壁や離れた距離よりも強力にそれから隔ててくれるのが今は有難い。
 同じように優れた聴覚でも、平気そうな様子からしてあの歓声から変にエネルギーを感じて"押されて"いるのは自分だけなのだろうかとぼんやり考えながら冷たい水を腹に流し込む。
 腕を組んで立ったままのカバネはひと気のない廊下のずっと先を眺めていた。


「…今日は特別大きな会場だからねえ」
「…………アリーナだもんな。収容規模世界で五指に入る。15万人だっけ…端まで聴こえんのかな」
「どれだけ大きくてもあんまし変わらないけどね」


 ヘラーと笑うカバネにつられて苦笑を漏らす。
 最近のALSIELは普段の"控えめ"のライブでも一万人規模は当たり前で、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いに乗っている。爆発的に売れてダブルミリオンなどのセールスを記録するまではメディアなんかにも色々言われたが、今じゃほんの少しでも辛口だと珍しいくらいのつまらない評論しかされない。
 まあ、音楽の評論家の言などどうでもいいのだが。
 その十何倍もの会場でも"あんまし変わらない"のだから、カバネは確かな大物だと思う。そして、ある意味でこのグループの精神的支柱に相応しいのも。


「こんな規模でも、オトさえ鳴らせりゃ"勝っちゃう"んだから僕らって凄いよねえ?」
「まあねー。如何にワレワレが普段から常人離れした攻撃性を秘めているかだよねー」
「まあ何よりハギリの"声"だね、スゴイのは。声域が広いのもそうだケド、何より"鼓膜レイプ"とか"孕む"とか言われてるの知ってる?(笑)」
「カバネサンどっからそういう情報仕入れてくるの?(笑) まあ…女の子はそうかもねえ。ついで言うとラジオやった時のカバネサンの声も同じようなこと言われてたよ。タイヘンだね、声で孕ませられるんなら世の中ハギリとカバネサンの子供ばっかで大変なことになっちゃうね」


 あり得ないことを話してくすくす笑う内に気が紛れたのか、頭痛を感じなくなった。
 何にも思ってなさそうな屍を見上げると、ぞっとするほど遠くまで澄んだ灰色の双眸と視線が絡んだ。
 ガラス玉よりもっと怜悧で、熱のある瞳。何もかも見透かしそうないろが僅かに細められて。


「頭痛は?」
「おかげさまで」
「そー?よかったねー。じゃーメンドくさいけど行こうかオヒメサマ?」
「悪いけどオウジサマの手しか取らない主義なんだよ、俺」
「ええー。じゃあ僕のこの手は何なのさ?」
「うーん?何だろう、"ただの"カバネサンの手(笑)」


 ドレスを纏った自分をからかってわざとらしく差し出される手を軽くはじいて並んで歩き出す。
 ひたひたと足音のない屍と、かつこつとヒールを鳴らす自分。衣装のテーマとなっている曲の中ではあり得もしない"未亡人"なのだが。それにしては華やかで拘束的な造り。そもそも、性別を間違えて産まれてきたような容貌。
 たっぷりと布を重ねた重厚な漆黒に銀色の薔薇を縫い付けたドレス、灰銀のヘビ柄のタイツ。サンダルではなくて今日は足首を覆うブーツを履いて、楽屋に戻ればヴェールを模したヘッドドレスを着ける。
 未亡人というより悪魔への嫁入りでは無かろうか。
 そうでなければハッピーな葬式だ。


「俺もハギリと同じで出そうと思えば7オクターヴくらい声出せるけど、ハギリみたいに腹の底を抉るようなデスヴォイスは出せないなあ。羨ましい」
「ルルチャンからそんな声出たら気持ち悪さで死人が出るんじゃないー?(笑)」
「…まあ確かに気持ち悪いかも。二人して7オクターヴあってハギリと重なってるのポピュラーで出しやすい4オクターヴ部分だしなあ…俺の低音とハギリの高音」
「ルルチャンがキリキリの高音で歌ったら声に刺されて死人が出るよ」
「カバネサンはどうしてそんなに俺で死人を出したいの」


 などと下らないことを話して笑って楽屋に戻れば、他の三人は既に準備を終えて待っていた。
 二人して遅い!などとどやされながらカバネは崩した衣装を整え、ルルはアイにヘッドドレスを着けられながらすぐに身支度を整える。


「じゃー、行こうぜ!」


 弾むように楽しげな声でハギリが言って、ぞろぞろと楽屋を出た。
 引き摺る裾を踏まれないようにその一番後ろを歩く隣にアイが居てくれる。


「…カバネさんと何を?」
「うちのエースの声についてちょっとね。カバネサン曰くこの規模のライブも普段と"あんまし変わらない"そうだよ」
「…まあ、やることは同じですからね」
「俺は耳が痛いよ。ただでさえウルサイ観客にアリーナの端々にまで届く爆音のスピーカーが沢山あるんだもん」


 舞台袖でギターのストラップを肩にかけて抱えるのをアイに手伝って貰い、アンプからのコードを繋ぐのもやってもらう。ローディーが何か話すのを適当に聞きながらピンマイクを装着して、マイクロイヤホンを耳に入れた。
 いつもと同じで先立って舞台に出ていくハギリの背を追って、いつもと同じ二番目に暗い舞台袖からライトの当たる灼熱の舞台へ出ていく。
 元気ー?なんてお決まりにオーディエンスに話しかけるハギリの背後を過ぎて上手のポジションへ。足元のアンプを蹴って好みの位置に調整した。


「じゃー、コンバンハ!さっそくいくぜー!!」


 わあああ!!!と押し寄せる歓声とエネルギーの熱波を押し返す音楽が唐突に始まって、脊髄反射のようにピックで弦を弾いた。
 音とオトの喧嘩。だがそれが心地よい。
 ハギリの声がずっと端にまで、アリーナの外にも居るのだろうファンにも届くくらい轟いて、すぐに楽しくなった。



(やっべえ今日マジでテンションたけえ俺!!やっぱ会場広いといいよな!)
(始まってしまえばなー。耳痛いから悪いけど声量抑えて、ハギリ…)
(飴玉のマシンガン全員分ありますけど。どうします?)
(どうしますもこうしますもねえ…やるっきゃーないでしょー?)
(早く行きマショウ。楽しいデスね、今日は本当に)


***
Special thanks!!→まいらぶ天狗しゃん。(屍さん、ハギリ君お借りしています)

邂逅

 出逢い?馴れ初め?あー…うん、聞きたいなら話してもいいんだけど、スゲー普通よ?言っとくけど。ありきたり過ぎてつまんねーくらい、普通。…意外?いや、ていうか。
 そもそもみんな俺にどんな波瀾万丈求めてんのかはわかんねーけど、平和主義な俺としては取り敢えずバンドメンバーの世話だけでかなり波瀾万丈な生活なんで、プライベートくらいは静かにしてたいわけよ。わかってくれる?…よな?
 てーことで、えーと馴れ初めだっけ、なんかハズいな、いざ話すとなると。うーん……おいリヴィ、笑ってんじゃねーよ。声掛けたのは、俺の方からだったよ。え?ナンパじゃないよ。そんなのは俺がしなくても女の子の方からしてくるもん。



(再現VTR START!)
***

 耳の奥までざわりざわりと侵してくる雑踏の音。人混みが苦手なのはこのせいだ。
 人類の殆どは足音を忍ばせる、ということができない。…というかしようとも思ったことがないのだろう。平和の証だ。
 気配を消して、足音を忍ばせ 、呼吸を殺さなければ生きていけない場所で育った自分とは違うのだとひしひしと感じる。
 しかし、と喉を鳴らして笑う。今、自分もその足音の中の一人であることは間違いない。意図的に、きゃしゅん!と金属製の硬いヒールで地面を敲いて歩くのが、気に入っているのだ。周りの誰より甲高く、澄んだ音のするこのピンヒールが。
 大人になって、あの街を出てもうかなり経つ今は、気配を消したり、足音を忍ばせたり、呼吸を殺したりする必要などないのだ。
 時々、逸脱して感度の高い聴覚に自分の名前が聞こえてくるが、構わない。街に出てぶらぶらするのが好きだが、ファン達はバンドメンバーのプライベートを邪魔しないようにちゃんと調教されている。遠巻きに眺めるくらいならいくらでもどうぞ、といった姿勢でいられるのは楽でいい。見られるのは仕事の一部。

 キャシュンッと音を立てて、足を止めた。朱い煉瓦敷きの広場の中央にある噴水のぐるりには麻のパラソルを立てたアンティーク調のアイアン製のテーブルセットが並び、昼下がりにカフェーを楽しむ人々が寛いでいて、その空いているテーブルのひとつに、肩に提げていたバッグを置いた。


「…………―――、」


 白いキャンパスに、色が乗る。透明の油絵の具がぺたぺたと乗せられて、何でもない、形ともいえぬ形が作られていく。
 ひどく感覚的な、規則性も何もない、思うままに色を乗せるだけのペインティングが目の前で進められていくのに何となし心惹かれて、そのキャンパスがよく見える場所に陣取った。


「……ルール様、御注文は如何なさいますか」
「ケーキ。種類は任せるよ。それとエスプレッソ。あとでラテ」
「承りました」


 目を惹くキャンパスから視線を外さないで、差し出されるメニューも手に取らないで注文をして、椅子の位置をごとごとと調整して腰を降ろし、足を組み、テーブルに肘を付いて顎を乗せる。
 するすると迷うことなく乗せられていく絵の具は幾重にも重ねられて、まるで混沌としているのに、濁っていない、不思議な一枚が出来上がって行く。その筆が滑る度に、描かれたラインから燐光のように淡く閃くような光が視えた気がした。
 耳の奥を侵すような雑踏や、人々のさざめきは聞こえなくなっていた。目の前のキャンパスに集中して、暫く考えた後、何種類かのケーキを載せたプレートとエスプレッソの小さなカップをシルバーの丸トレーで運んできたウエイターにトレーごと置いていくように頼み、載っていたものをアイアンの透かし彫りのテーブルに避けてから、丸トレーを裏返して、その上に楽譜用の羅線紙を広げた。

**

 ざかざかと音符を書き始めると時間が過ぎるのはあっという間で、気付けば夕方になっている。
 4.5曲分の羅線紙が積み上がる側でエスプレッソが冷え切っていた。


「……やべ、不味い」


 冷え切ったエスプレッソは香りも落ちて、常温に馴染んでぬるくなったケーキ類は溶けはしていないものの、やはり味は劣る。
 小さくため息を吐いて、飲むのも食べるのも諦めた。ところ、するりと寄って来たウエイターが、ことんっと新しいエスプレッソを手元に置いてくれる。


「…サービスで御座います」
「ありがと」
「貴方がいらっしゃるので、集客になりましたから」
「ああ、そうか。いちおーミュージシャンが作曲してるとこなんてあんまり見られるものじゃないよなー」
「宜しければ、ケーキも新しいものをお持ちしますが?」
「ううん、いい。ありがとうごめんね。それより、あの子に温かいカフェ・オ・レ持ってったげて。砂糖も少し」
「はい、かしこまりました」


 にこり、と上品に笑んだウエイターがゆったりと腰を折ってから下がる。
 湯気を上げるエスプレッソを冷ましながらちみちみ飲みつつ、ウエイターがテイクアウト用の紙のカップのカフェ・オ・レを、筆を置いてキャンパスの前で佇む彼女に持ってゆくのを眺めていた。
 エスプレッソをカラにしてから、ヒールを鳴らして立ち上がる。
 キンッ、と鋭く鈍い音を立てる足音で近付いて、1メートル程離れたところにしゃがみ込んだ。夕刻、気温が下がり始めて冷えた指でカップを包んで持って暖を取る、乙女とも女性ともつかぬ曖昧な年齢の女の子を横から見やる。


「…カフェ・オ・レ、頂きます」
「うん。…いつもここで描いてるの?」
「いいえ、ここは初めてです」


 口端に淡い笑みを浮かべて微笑む女の子がそっとルールを"視た"。


「この絵、いくらで譲ってくれる?」
「お気に召したのでしたら、どうぞお持ちになって下さい。描いてる間中、御覧になっていたでしょう?」
「"見てない"のになんでわかる?」
「ずっと、好い香りがしていましたから。貴方の香水でしょう?」
「! 待って、"見えてない"の?」


 この距離で、視線が絡まないのを不思議に思って聞いてみると、淡い笑みを深くして僅かに首を傾げる仕草をする女の子に、言葉を失う。
 離れた席に居た自分を一度だって振り返らなかったのは楽譜を書きながらも見ていたのでわかるが、黄橙の瞳が囲む瞳孔の奥が僅かに濁るのを見てとって正直に驚いた。


「はい」
「…スゲェ………」
「ありがとうございます」


 ぺこり、と深々頭を下げる女の子を前に何を言おうかと言葉を探すけれど、うまい言葉が見つからない。
 この色鮮やかで濁りのないキャンパスの自由な"表現"が、盲目の手によるものだったとは、夢にも思っていなくて。
 きゅむきゅむと心がやわく締め付けられる、少しだけ息苦しい心地良さを感じて、その画面に感性が刺激されるのに。いや、だからこそ、か。


「…あのう?」
「っえ、あ、ごめん。何?」
「ごちそうさまでした、カフェ・オ・レ。美味しかったです」
「うん。じゃあ、この絵を譲って貰う代わりに晩ご飯くらいご馳走させてよ。時間が許すなら」
「それくらいなら」


 花の綻ぶような笑みを見せてから、女の子は辺りに散らばった絵の具のチューブなどの道具を、まるで見えているのとそう変わらずにてきぱきと片付ける。
 ひとつだけ遠くに飛んだチューブを拾い上げ、彼女の手を掬った上に落とす。


「シルバーだよ」
「ありがとうございます」
「…早く行こ。寒くなって来た」
「はい」
「あ、そうだ。名前は?俺は…、ルール」
「リヴェルと申します」


 よろしく、と掬った手をほろり、崩すようにほどいて携帯電話をポケットから引き出した。アドレス帳に入れている、懇意にしているレストランやトラットリアの番号を見ながらどこにしようか、と考える。
 ここから一番近いのは、と頭の中で地図を展開しながらここで良いか、と選んだトラットリアに電話をかけた。


***

「とっても美味しかったですよね、あのトラットリアのご飯」
「そりゃそーだろ、俺が懇意にしてんだぜ?」
「味覚は確かですものね」
「"は"って何だ、"は"ってのはー。あーあー、お前は出会った頃のが可愛かったなあ」
「うふ、今は?」
「今?うーん、可愛さ余って憎さ百倍って感じー。ま、そこも好きなんだけどさー」


("熟婚さんいぇらっしぇい!"の番組より。笑)

遭雨

どばしゃぁん!と激しい水音に加え、ばたばたばたっと複数の何かが落ちる音がして。遅れて、がしゃん、と金属的な落下音が聞こえた。


「………………フレオラ」
「は、はあい……きょっ今日も水も滴るいい男ですね、ルールさん」
「お前そんなことより。何度目だ!俺の首でも狙ってんの!?毎回毎回なんでよりによって俺の頭にバケツごと花をぶちまけるの!さっさと拾え!たまには屍サンとか…いや寧ろカイトラとかカイトラとかカイトラとかカイトラにぶちまけろよ!あぁぁいったい、頭たんこぶできた。金属製バケツ使うな馬鹿、痛い……(涙目)」
「ルールさん、タオルを…どうぞ。大丈夫ですか、フレオラも。拾うの手伝います」
「手伝うな、イオ。フレオラの仕事だ。そうだろ」
「ええ、大丈夫ですから。ごめんなさいルールさん」
「…しかし、」


アイオールが持ってきた小さなタオルを受け取り取り敢えず髪を拭いながら、手を貸そうとするのをわざわざ掴んで引き止める。
 大丈夫、とは言っても相手は女性だ。フェミニストであるはずのルールが、そのように止めるということは相応の理由が存在する?
 と、一瞬の逡巡が済まぬ間に、フレオラの手がちょんっと地面に出来た水たまりに散らばる花に触れ、その瞬間、落ちた花からぎゅあっ!と棘のある蔓が伸びたのと同時に、べしん!とその首にチョップを食らわせ花を昏倒させるフレオラ。
 それに触れるのを止めてくれたルールをちらりと見やれば、彼は明後日の方向を見ていた。
 見た目はただの向日葵だが、扱いの難しい花だと知っていて止めてくれたらしいことがわかる。


「…フレオラ、ちゃんと"寝かせて"おけよ」
「おっかしいなあ?ちゃんと寝かせたはずだったんですけど。すみません」
「無事だからいいけど。気を付けて」
「はあーい」


 くあくあとまるで欠伸でもするように向日葵の中心が横一文字に開いて、獣のような血色の口に牙が覗いた。鮮やかな黄色がめらめらと色を変えて、紅や紫や青になるのを眺めてルールが笑う。


「食獣向日葵。毒々しくて可愛いね。イオ」
「危ないじゃないですか…」
「フレオラなら大丈夫だと思ってわざわざ頼んだんだよ。特殊扱い植物も取り扱ってるのが特徴の店だし」


 深めのバケツに次々と蔓の伸びる向日葵を昏倒させて戻していく、フレオラの華奢な手。珍しい花も、特殊な花も危険な花も、頼めば取り寄せてくれる花屋の主。
 ALSIELの撮影では、ただの花はメンバーの雰囲気や華に負けてしまって意味がないので、このような特殊な花屋が活躍する。フレオラはその花屋の世界では新進気鋭の個人経営で、たまたま懇意にしていた爺の花屋が畳まれたところだったので、カイトラの口利きでALSIELの仕事を受けるようになった。
 バンドの中でも特徴的な女装ポジションにあるルールは特に花をその身に飾ることが多いので、必然的にフレオラとのやりとりは増える。のだが、最近とみに花の注文を増やしているのは何も仕事だけが目的ではない。
 どうやらイオがフレオラに惚れているらしいとわかったので、衣装やPVの大まかな企画やテーマを大体自分で引き受けてやってしまうルールが花を使う機会を増やしているだけのこと。


「…イオ、俺シャワー浴びて着替えてくるから。フレオラ案内してやって、今日の撮影B館スタジオに変わったから。屍サンたちはもうそっちにいると思う」
「わかりました。先に行きます」
「フレオラ、あとでな」
「はあい。ごめんなさい、ルールさん」
「いいって。遠いから、イオからはぐれるなよ」


 じゃああとで、とバケツを抱えた二人の背を見送る。
 イオのオーラが心なしか明るくひゅおひゅおと弾けるように揺らぐのを見て、くつりと喉を鳴らして笑った。


「…いーけないんだー、悪戯しちゃって」
「屍サン。何の話かな」
「フレオラちゃんの足元、何も無いとこにルールちゃん"何かした"デショ?じゃなきゃ幾らアノ子が天然ボケでも何もないとこで、何度も、わざわざルールちゃんを狙ってコケたりしないじゃない」
「さあねー。知らないよそんなことは。俺は超能力者でもないし。かみさまがイオに優しいだけでしょ?」
「フーン…ま、イイけどねえ。ところであの向日葵はシュミ悪いよ」
「紫のヤツはあとで屍サンの頭に飾ろうと思ってるんだけど」


 気配もなく現れた屍にさして驚く様子もなく、ルールは二人の背が見えなくなった方向と真逆に向かって踵を返す。
 ほてほてとその後をついてくる屍の、この至近距離でも殆ど聞こえない足音に耳を澄ませながら、さっきB館にもう屍サンいると思うって言ったのに、と考えた。


**


「またルールさんに花と水ぶちまけちゃった…」
「…あの程度なら、気にしておられませんよ」
「…どうしてかしら?いつも、ルールさんに声掛けようとして近付くと躓くのよ、何も無い所で。困ったわ」
「良いんじゃないですか、そのままで。機の巡りでしょう。あの方は迷星の生まれですから」
「迷星?」
「ええ。ひとは誰しも生まれに星が定められていて、その巡りによって運気が上がったり下がったりするものですから。…あの、このようなお話は、嫌いですか」
「いいえ?面白いわ、もっと話してみて」


 ALSIELは五人揃わなければ撮影も何も始まらない。
 つまりシャワーを浴びに行ったルールが戻るまでは暇というわけで、のんびりと、フレオラの歩調に合わせて歩きながら星の話をする。

 凶星の生まれは大抵が不運で、その殆どが二十歳までに死んでしまうのだが、凶星生まれの屍はそれさえ凌駕して上手く利用して生きていること。迷星生まれのルールは周りの人間の星の巡りの影響を受けてしまう繊細な星であること。
 ハギリは細やかに頻繁に、そしてランダムに運気が巡る動星の生まれ。ヴァレンは逆に静星の生まれで、基本的に運気が動かず低迷することが多いことなどを話せば、フレオラは相槌を打ちながら笑って、面白いわ、と言った。


「その星というのは、見てわかるの?アイオールさんは」
「まあ…付き合いが長くなれば経験則でわかります。産まれた年月日や時間、場所なんかに影響されるのであくまでも予想ですが…あの方々は他に類を見ない程、独特で、全員が全員珍しい星巡りなので。かなり顕著に運気が巡るのでわかりやすいのです」
「なあんだ、長いお付き合いじゃないとわからないのね。パッと見てわかるならわたしの星のことも聞いてみたかったのになあ」
「生年月日と場所と時間がわかれば調べてみますが。如何ですか」
「わあ、本当?じゃあ、次にお仕事で会える時までに調べておくわね」
「お待ちしております」


 そんな話をしている内に、あっという間にB館スタジオに到着してしまった。
 撮影用のセットが出来上がっているスタジオに入るなり、ではまた、と言ってフレオラは行ってしまった。
 白と銀で作られた無機質なセットに、生花を飾って仕上げをするのが彼女の仕事だからだ。
 あっさりと離れていく小さくまろいラインでつくられた背中を見て、名残惜しさを感じる。


「イーオさんっ、おっせーよ。やっと来たー…って、ルールさんは?」
「…頭から水を冠ったので、シャワーを浴びに行っている。屍さんは?いないのか」
「あれ、途中で会わなかった?ルールちゃん探してくるーって出てったぜ、さっき」
「……………(それで、ルールさんが水を浴びる不運に遭ったか)」


 気配さえない屍があの時気付かずにすぐ側にいたのだとしたら、迷星のルールが凶星の屍の影響を受けた為に、ピンポイントで水を浴びる羽目に陥ったのかもしれないと考えて苦笑が漏れた。
 五人揃っていれば互いに影響しあい相殺しあって丁度いいのだが。
 そういえばルールは屍とよく共にいるが、その度に何か不運に見舞われている気がする。あの二人はなんだかんだで仲が良いのに、相性は良くないのだから面白い。…他人事だから言える事であるが。
 それにしては、カイトラの影響だけは断固拒否でもしているように受けているのを見たことがないので、"星の巡り"というのも結構いい加減なものだとも思う。



(たっだいまー。シャワー浴びて来たのにこっち来るまでに何か急に嵐みたいな通り雨に遭ってまたびしょ濡れなんだけど!誰かドライヤー持ってきて!つーか屍サンのせいじゃないのこれもおぉ、やだ俺!)
(エー。流石の僕でも天候まで左右しちゃうようなチカラはないと思うケドー)

***
Special thanks!!→まいらぶ天狗しゃん。(屍さんとハギリ君お借りしています)

花の娘

「…最近イオがヘンだと思わね?ハギリ」
「? 何が?別に変わったことないけど…」
「…そう?何だろう、凄い違和感を感じるんだよな。ハギリにわからないくらいじゃ気のせいか……?」


 でもなあ、と眠たげに瞼を半分おろした半眼でぱちぱちと瞬きを繰り返して、それからくあぁと欠伸をする。滲んだ涙が落ちる前に指で拭って革のクラッチバッグに手を伸ばした。
 何だかんだ自分が以前働いていた所でたまたま知り合って既に十年来の付き合いだ。
 学生のように毎日顔を突き合わすような仲ではなかったけれど、それでも、人徳を中心に集まった彼の親しい友人の中でかなり近しい位置にいるという自負はある。
 近い分、言わなくても通じ合う事があって、わかることがある。その自分が感じる違和感。
 一体何なのか気になる。どちらかというと寡黙で表情も乏しいアイオールだが、それだけに何かあれば顕著に現れるのが常だというのに。だけど、と思考を巡らせながら目を閉じる。
 悪い方の変化や違和感ではないのでやはり自分の気にし過ぎだろうか。何故だか、かなり大事にされて来た(今もだが)自覚があるので、彼が欲する時には助けになりたい。
 自分の方が年上だから、と心配事は隠す男なので、特に。

 ふと。先日のシングルCDのジャケット写真の撮影があった時のことを思い出した。聞き上手で"話しかけられる"ばかりのイオが珍しく、ルールを飾る為の生花を持ってきた花屋の娘に声を………。


「!」
「ギャッ!?ちょ何!?ルールさんどした!?」
「あ、わり、」


 殆ど目を閉じて眠ってしまいそうだったルールがガタンっ!と唐突に立ち上がったので驚いたらしいハギリが弄っていたモバイルを落として目を白黒させている。
 すとん、と蹴立てた椅子を引き寄せて座る。
 銀は銀だがひとしずくのはちみつを混ぜたような淡い金色を纏う自分とは違う、水銀のような硬質な銀髪が珍しい毛色の女。
 それはふわふわしていて、そばかすで、たれ目。ろくに手入れもしていない太めの眉をそのままにしている素朴極まりない、いかにも町の花屋といった感じのする。


「…はーん、なーるほーどねーえ。隠すわけだ」
「えっ何かわかったの?」
「ふっふー。ま、確証はないけどねー?」


 CDのジャケットや、PVや、ライブで。ルールはよく花を纏う。
 それも毎回生花を。造りものの花はそれだけでルールに花が負けてしまうから。
 以前使っていた花屋はもう随分長く世話になっていたが、妻と子に先立たれた老人店主が一人で切り盛りしていたのだが、もうそろそろ身体が辛いとホームに入ることにして引退してしまった。
 その代わりとなったのが、カワイイ子がいるんですよ!フフ、と気持ち悪いことを抜かしていたカイトラ紹介の花屋で、個人経営にしては珍しい花々も取り扱っているところ。
 まあ、あの娘もヴァレンに好かれるよりはイオの方がマシであろうとルールは考えた。


「何なんだよー、一人でニヤニヤして。教えてくれよ」
「…知りたい?」
「知りたい!」
「耳貸して。屍さんに聞こえたら面倒くさい」


 テーブルに乗り出してきたハギリの耳元でこしょこしょと話すと、ハギリはくっ!と切れ長の目を見開いた。


「………マジ?イオさんが?」
「おそらくな!よっし俺次のアルバムに付ける衣装と写真集のテーマ変えてやろーっと。みんな花でごてごてに飾り付けてやる」
「おーえんしよーぜ、応援!」
「もち!だが、余計なことはすんなよ。十年見てきたけどイオは本命には奥手過ぎて取り逃がすタイプなんだ」
「マジかよ!想像つかねー」


**
とかいうイオ大好きな2人組。イオの恋路を応援し隊。笑
Special thanks!!→天狗しゃん。(ハギリ君お借りしています)

パ。(仏語:pas 意:step)

 指先まで、透明で丁寧に、しなやか。
 キンと冷えた骨髄と骨に、しなる熱の肉を纏わせ、空気に融ける常温の肌を保つ、強さ。
 背筋の伸びて、強靭な、獣の動き。
 爪先まで。
 はがねの様に、低く唸る。
 その内側で痛い程の静謐を護って。
 パ。

ぱちぱちぱち

 ゆるい拍手。
 視線を上げれば、屍が居た。その、異常な迄の静けさ。
 青く蒼く碧く深い、鍵付きの深淵。その存在感は無いということが際立って周りとの格差に存在感が強調される、その様子に、気配に気付く事もなく踊っていた。
 はあ、ふう、と知らず知らず上がっていた息を整えて、ぱちりぱちりゆっくりと瞬きを繰り返す。"視え"過ぎる色を、意識的に取り込まないように調整してから再度顔を上げて、屍を見た。


「地下に来るなんて珍しいね」
「そーだネエ、気が向いて」
「邪魔しに来たの?」
「まさか。美しく翔ぶ鳥を落としたくなっただけダヨ」
「それを邪魔と言うんだよ、屍サン」


 ふう・わり、と。後ろ手に伸びた手指を肩より上まで上げて、下げて、翼の動きを確認する様。
 華奢な脚、リズムを踏んで、たん・とん・パッ。宙空で一瞬止まる、時間と共に。息を詰めて、音も無く着地。緩く、再び踊り出す。

 やれば出来ない事は無い、と幼心に知っていた。
 負けたくない敗けたくない何にも折れたくない死にたくない。誰にも利用させない、自分自身を。必要なだけ、強く、なって来た。してきた、自分。
 眼光を鋭く、時に柔く、優しく。神の贈物、この誰もが美しいと称賛する面の皮一枚のかたちを最大限に利用する。
 汚したって構わない。誰にも負けない為ならば。欲するモノの為ならば。


「撃てば落ちるものだよね、鳥って」
「知ってるよ」
「じゃア何で翔ぶの?」
「さあ。衝動?」


 バレエ。相手のいない孤独なダンスを今日も独りで、レッスン場の僅かに剥げたワックスのフローリングに刻み込む。
 独り、という強さ。しなやかさ。
 どこ迄も孤独の、孤高の部分を持って、誰にも触れさせない。
 一面鏡の壁の端に腕を組んで立っている屍が映って視界に入る。絶対的。地割れ、地響き、樹木の鼓動、轟く雷、豪雨、…自由。の、音が聴こえてくる。鳴っていない非現実のおと。彼の、存在から。
 彼と自分は似ている筈なのに、正反対の"いろ"をしている。
 誰が見ても正反対なのに、何処か、何かが"同じ"だとわかる。
 だけど、それは"孤独"や"孤高"や、そんなものではない。正体は、一体、何?


「熱」
「屍サン、目障り」
「集中しな」
「嫌い」
「嘘吐くと針千本飲まされるヨ?」
「すき」
「ウン」
「でも、大っ嫌い」
「ドコ?」
「どっか」
「困ったネエ」
「そう? ちっとも」
「ルールちゃんはソレがいいヨ」
「熱でも、あるの?」
「ナイよ、僕はね」
「嘘吐くと針千本飲まされるんだよ」
「ナイって」
「俺もナイ」
「嘘吐くと針千本だってば」
「ドコ?」
「熱?」
「そう」
「パ?」
「それは俺の」
「ウーン?」
「熱、どこ?」
「音、カナ?」
「それ。」
「パは?」
「バレエのステップ。つまり、過程」
「音は結果だね」
「そう、それ」
「クハッ! 素直じゃないネェ」
「アンタもね」


 素直って何だっけ。自分の心を聴くこと?それに対して優しく肯定的で真っ直ぐなこと?そんなのは必要無かった。
 ギリギリと締め上げるように、必要無いモノは全部、ひとつずつ少しずつ削ぎ落として、それが、高みへ昇るステップだと。
 でも違った。それをやるには、生まれながらに"壊れて"いるか、"生まれながらに"強くなければならない。屍にはきっとそのどちらかがあったのだろう。そして、自分には、無かった。
 何処かで折れた。
 得意の弦楽器を弾きたく無くなったのは、弾けなくなったのは、この男のゆびが掻き鳴らすベースのせいだった。

 ずっと昔、まだ、メンバーの定まらないALSIELがALSIELになる前、グループ名も同じように曖昧な色をしていた、あの頃から容貌に全く変化のない彼と、自分。
 まるで時間をトリップして来たみたいに。今までの過程なんてまるっと全てが無かったみたいに。
 最初の、出会いを鮮烈に思い出した。自分は、叫んで喚いていた。


 なんて事ない事務所の廊下を歩いていて、互いに同じタイミングで顔を上げて、視線が真っ直ぐ絡んで目を潰すくらいの眩しい火花が散った。虹色の。
 そして目的が同じ部屋で、中に入ってから、社長と先輩がシリアスな空気で、お前たちがグループだと死の宣告のように言った。
 無理だと言った。この男は人間ではない、危険な生き物だ、こんな男の創る音楽を世に出してはいけない、ひとを殺すぞ、と。
 反対と否定と説得の甲斐虚しく、決定は揺らがないと社長に念押しされて終わった。黙って背を向ける社長に続いて、先輩がポン・と頭を軽く叩いて撫でてから出て行った。
 残された二人で、血が出るくらい歯を食い縛った。
 説得は無意味で、言い訳だったと今ならわかる。殺されるのはオーディエンス"ではなく"、自分だと予感していたのだ。
 その、ひとつの存在に、圧倒されて。


「ナマエは?」
「アンタは?」
「何だと思う?」
「知らねえよ」
「ガキだね」
「結構。死にたくないし」
「でも、社長の"命令"だよ。逆らえる?」
「"従わない"。俺はそうする」
「死ぬよ」
「死なない。生きてないから」
「屁理屈」
「生かせる?この俺を」
「知らナーイ。でも、殺すかも」
「弱いから?」
「かもね」
「……保留」
「マタネ、名無しチャン」
「さよなら」


 事務所の、防音壁が無かった頃のうるさい都心の音が殺意を抱くくらい嫌いだった。だけどそこにしか居場所がなかった、あの頃は。ひとりきりで。
 ある日また、ドラムとヴォーカルが決まったと聞かされてうんざりしていた。知らない誰かと演るのはまだ良いが、先輩・OLD WESTのように長期的な売り方をしたいのだという副社長が語った目標は間違っているとその時も思っていた。
 飽き性の自分、得体の知れない男、見も知らぬ男たち。
 創れる?何を?オンガクを??多大な疑問を抱いたまま、真夏、冷蔵庫の中にいるくらい冷やした部屋でチェロを片脇に抱えて譜を読みながら机を叩いていた。
 リズムを刻んで。その時。"それ"は、下から這い上がってきて足首を掴んだ。熱い、暑い、ネツ。

 今の今まで机を叩いていたリズムを刻む低く唸る電子ベースの音。びいん・と鈍く揺れる金属の弦のおと。あの男だと、すぐにわかった。そのおとの熱が、"いろ"が、彼の存在そのものだった。
 直ぐに弓を引いた。同じ曲を、同じタイミングで弾き叩く。ぎゃりぎゃりぎゅわぎゅわ、電子ベースとチェロが不協和音を創り出しても知らない振りで弾き続けた。が、バチンッと弾け切れた弓弦が頬を強く敲いて、ばたばたっと涙が落ちた。それは赤かった。
 這い上って来る電子のベース音は止んでいた。切れた弓弦が痛くて、急につらくて、ぼたりぼたりと涙が落ちる。敗けた。力の差があり過ぎて、同じグループに同じ音があればより強い方を遺すしかないのは当たり前で、だから。半年後か一年後かに迫るグループの発足とデビューがとんでもなく不安になってわあわあ泣いた。


「コドモだねぇ」
「煩い!殺された…殺された!」
「弱いからデショ?」
「俺は弱くない!」
「それはキミが決める事じゃナイし、相対的に決まっていくモノだよね」
「俺は…無理だよ、アンタと演るのは。何を弾けばいい?どうやって?横に並べない!」


 ぞろ、と指の腹が目の下に触れて、頬を撫でて首に落ちる。その指の冷たさにびく、と震えれば、男はにたり、蛇の笑み。ぺろ、と唇を舐めた舌先が蛇のように切れていて。ああ、"喰われ"ると思った。
 弱さは、相対的な、結果論、だなんて。嫌だ。このままじゃ本当に殺されてしまう。負けない。負けない。負けてなんてやらない、相手が誰でも、どんなでも。


「…クハッ!イイネ、さっすが社長。頑張って並びな、隣じゃなくても、側にサ」
「アンタを抑え込んで縛ってやる…俺は、何を、すればいい?」
「ギターかなあ。チェロが上手だしね。キーボードも要らないよ」
「わかった」


 腹を決めた。
 この男に殺されたチェロを、同じように殺されるのであろう鍵盤を、対価にしてこの男の望むだけのギターを得よう。同じ金属の弦を弾けばあのベースも手綱を取れよう。
 否、取るのだ。それがきっと社長の狙いであり、自分が態々呼ばれた理由なのだ。一先ずはそう納得しよう。


「いつか殺すよ」
「待ちくたびれちゃうナー。ま、それ迄はガンバッテ生きてみようか。流行らないとツマンナイし」
「必ず」
「で、キミのナマエは?名無しチャン」
「ルール。アンタは?」
「屍」
「死んでんじゃん……」


 何だそりゃ、と肩を落とした。
 あの時死んだチェロが、その後殺された鍵盤は、今も胸の底で眠っている。
 この男の音を殺す時、きっと必要になるから。そうだ、殺さないと、とふと、コトン・と鳴らされたノックの音のように思い出した。ひとつ、パを刻んでみると、くつりと笑いが零れた。


「俺、屍サン殺さなきゃいけないんだった」
「それ、アト50年は掛かるね」
「それ屍サン老衰死じゃないの」
「クハッ!ハジメテ会った時、面白かったよ」
「俺は物凄い嫌悪感だったなあ」
「でも、今はスキでしょ?」
「大っ嫌いだけどね」
「矛盾し過ぎじゃナイ?」
「いいんだよ、人間だもの」
「ねえ、一緒に踊ってあげよっか?」
「やめて、うんざりする」
「アー、やめちゃうんだ。もっと見てたかったんだケド」
「アンタの為に踊ってたんわけないから。さてとシャワー浴びて帰ろっと。アンタもさっさと行けば?」
「"マタネ、ルールちゃん"」
「"さよなら"」



(アノ時から全く変わらないネエ、あのコ)
(は?)
(何でもナイ。さっさと車出しな)
(命令しないで下さい!)

(あ、ルールさん。お帰りですか)
(イオ。ジム行ってたの?帰るなら送って)
(はい。帰りに軽いランチでも如何ですか)
(クロワッサンとドーナツ合体したやつ食べたい…お店わかる?)

***
Special thanks!!→天狗しゃん。(屍さんお借りしています)

静けさ

マリアが。その、罪深い程の純粋さで以て。聖水の杯を頭からそうっと被る様な神々しさで、彼は。ヒトの肉を斬り、血を、浴びる。
淡く穏やかな笑みが物語る正気。
隠し通されていた、本質がそこに、立っていた。腹の底で静かに圧し殺して飼っていた血みどろの獣がふうわりと口角を上げて、牙を剥く。
穏やかに笑って日常を喜んでいた彼とは似て非なるもの。容貌以外には一切の共通点の無い、別人だと。
それくらい、彼の纏う空気は変わっていた。まるで永久凍土。どろりと這う濁った氷のような光りを湛えて、琥珀と真紅が先を見ている。
何千年も凍り付いて底冷えし、僅かな振動にも崩れ去るくらいパキパキに全てを凍りつかせる冷気をしんしんと放っている。静かに、確実に。殺す強さで。彼が立つだけで組織の者々は勢い付き、彼らの敵は萎縮する。まるでジャンヌ・ダルク。勝利を約束された戦争を齎す。這い寄る死の気配をその背に背負い、引き摺って導き来る死神。死の道筋を明らかにする足音は、やけに金属的な。
きゃしゅん。


「行かなくて良かったの、屍サン。あのコのとこ」
「甘やかしたら面白くないでショ? ってーか僕は仕方なくここにいるんだケドー」
「それはおーれーもー。早く戦場に出たいんだけどおー。あのコ死んでないかなあ、一応女の子だし心配~」
「まさか」
「…。いーなあその信頼関係」
「まーさか。アイツは僕のいないところで死ぬ筈ないよ。まー、死んでも直すケド」
「ああやだやだこれだから俺アンタきらあーい。作り直した命は命といえるのかな? 一度終わったものを無理やり繋ぎ合わせて、それって本物なのかな?」
「お馬鹿サンだねー、ルールちゃん。そんな哲学はどーでもイイんだよ、"動いて"、"使え"さえすれば命かどうかなんて関係ナイナイ」
「やだあー怖い怖い。普通に死にたーい」
「いーやー無理でショ。ルールちゃんみたいな極上素材みすみす逃がすと思ってンのー?」
「うげうげえ、死んだらゾンビにされちゃうの? 俺。やだなあー」
「死んでからもキミのダイスキなボスの役に立てるんだからイイんじゃナーイ?」
「そこに俺の意志が付随しなければ意味はないなあー」


態とらしい金属の足音に対して、その男は、ひた・ひた・と聞こえない無音。硬い靴底も、歪な地面もものともしないで、まるでバレエでも見ているような既視感。筋肉を限界まで使って、まるで柔く浮いているような軽やかさ。重力に反する斥力を有する。
瑜伽ゆがんだ口許が独特な呼吸をする、その音さえ数メートルの距離離れると突出した誰の聴覚にも聞こえない。隠そうとも何とも考えられることもなかった凶悪さが滲む、笑み、に、見えるモノ。
こうこうと密やかに大気に溶け込んでいく邪気は隣の冷気に勝るとも劣らず空閑を侵食していく。
死神が居るのだとしたらおよそこのように、誰にも気取られず気付かれないうちに背後からそろり、生命を刈り取るのかもしれない。
音もなく影の中からすう・と現れ、振りかざす腕。血のひとしずくさえ滴ることなく気付けば死んでいる。或いは、次の一刹那から全くの別物として活かされている。
その背徳の技術を、紛うことなく迷いすらせずに行使する、大罪。
月光を纏う彼が殺す事の天才であれば、逆に闇黒に見紛う程の紫黒を纏うこの男は生かす事の天才であろうと誰かは云うだろう。
その二人が、組織の長の側を離れないでいる内は、世界中のどのような敵も、強さも、想いも…、この力を、この組織を崩せない。崩れない。


「ねー、屍サン」
「ンー」
「皆が欲しがるアレって、結局何なの? 俺の部下や、俺や、顔も知らないけど組織の皆や、それを束ねる支部長達の生命より、重大なモノ?」
「そんなの知らナイよ」
「必要であれば俺はどんなタイミングだってこの生命差し出すし、部下にもそう命じるだろう。それ以上に数え切れないくらい殺すし、殺して来たし、数多のものを消し去るし、消し去ってきた。だけど…俺は、本当は、…本当は」
「諄くどい。考えるだけ無駄ダヨ。既に戦争は始まっちゃってるんだからサー」


こく・と息を飲む音が聞こえた。同時に音もなく立ち上がる月光。
何もない空間に現れた漆黒の長太刀を構えている、その姿は静謐極まりなく、無駄が無い。奥に鎮座するボスと、その手前にいる屍と。守る必要など無い二人を華奢な背に庇うように立って、彼は口許に笑みを刷いた。
表の世界を辞した時、明るみから遠ざかる決意をした時からずっと。"俺が殺る"、と随分昔から心に決めていた男の来訪があった。
どのくらい、待っていただろう? どのくらい、愉シマセテクレル?? ねえ。


「***ちゃん、」
「***」
「やはりここにおったか、***」


ふちりふつりと蜘蛛の糸が途切れるような微かな衝撃が心の底で響いた。
寝かし付け、抑え込んで来た獣を閉じていた最後の理性を解き放って、目覚めを赦す。獣はとっておきの牙を剥き、歓喜に慟哭した。きちきちとその身の犬歯が、爪が硬く尖っていく。
ぴきぴきと、その身体から発せられる冷気が大気さえ凍り付かせ、そうして。まるで全てを悟った穏やかな笑みで。にこり、笑って。


「_____________…、」


(ねえボス? 死んだ後も、このイレモノは屍サンの言うように有用に使えるのかな、)
(下らん。お前の意志無くしてどうやってその能力を使えるというのだ)

***
Special thanks!!→天狗しゃん。(屍さんお借りしています)

The twilight blue.

めのみえないまあむが、いきをひそめているだっどをさがす。いつものばしょにすわっていないのを、からのちぇあーにふれてたしかめてからふらふらうろうろ、おうちのなかを、さまよいあるく。
まあむ、だっどはね。いまとてもこわいあおいいろをしている。いつもは、つめたくてまぶしいつきのいろなのに。ふかくてくらいうみのようなあお。かんじているの?まあむ。まどぎわにこしかけてぼんやり、ぼんやり、そとをながめているんだよ。ふらふら、うろうろ、まあむがちかくまでよってきても、まだきづかないうしろすがた。
 さみしいせなか。あおいせなか。まあむ、わらって。だっど、きづいて。


「なにがかなしいの、あなた」
「なにも」
「なにがおそろしいの」
「なにも…」
「うそつき」
「………………」


 まるでほしのおちたよぞらのようだよ、だっど。さみしいよ。かなしいよ。はやくわらって。はやく。まあむがなきそうだよ、こころがないているんだよ。僕までかなしいよ。


「まっているわ、あなたのそばで」


 かけたこころがないているんだよ。さみしいんだよ。ほかり。あいたあなをぼんやりとながめている。まどのそとにはたしかにそらがあって、ほしがまたたいて、つきがわらっているはずなのにだっど。かきちらかしたいびつなおんぷ。つむがれなくなったおんがく。だけどそこにいる。


「あいをして」
「おねがい?」
「そう、ここにいるわ」
「おれもここにいる」


 いつまでもここにいるから、だっど。まあむ。おとをつむぐよ。おわるまで。おかえりをいうまで、ぼくはきっとここにいる。

飴色の魔物

「屍さん。今度こそ俺を殺す気だね?」
「まさか(笑) 殺す気はないヨ。ルールちゃんが勝手に死ぬ可能性はあるだろーケド」
「これは俺でも無理だよ弾くの。なんで今更こんなの持ってくんの。俺のチェロを殺したのは屍さんのくせに」
「いけるいける」
「歴代持ち主が100人以上死んでるのに!?知っててなんでこんなの持ってくんの!!俺弾かないからね!!!!」
「だあーいじょーぶだって」
「いやだああああ!」


 何を根拠に大丈夫なんだよクソ死ね!!!!と叫んで、ルールはジュラルミンケースを蹴りつけてテーブルから落とした。
 反対側で落下するケースを避けてけたけたと笑うバンドリーダー屍が、無様に転がったジュラルミンケースを抱え上げてテーブルに元あったように戻す。
 The amber curseと呼ばれて久しいコントラバス。
 呪われた宝石の如く持ち主を次々と不幸にし、死に至らせることで有名で"所持"しているというだけで死ぬといい、実際に所持者が死んだと"わかっている"場合だけでも100を超える。
 酔狂に弾く者は一週間以内で死に、所持するだけでも一年以内で誰かが死ぬ。
 つまりは、一年以内で点々と、死者が出る前に所持者を変える楽器なのだった。
 そうして長く永く渡り歩いてきた遺物。

 ルールは諦めて、蓋に手を掛けた。
 蹴り落としたのに、傷ひとつ歪みひとつない美しい琥珀色が覗く。ひずんだ、特異な形の目玉みたいにゆらり、水っぽく光を反射して、こちらを見つめてくる。
 品定めされているような気分になったが、そんな視線は慣れたもの。きろり、見降ろして、すう・と手を伸ばす。腹に触れ、撫で上げ、肩を叩いて、首を絞めるように指を掛けて、弦を抑えた。びいん・と重く弾ける。


「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」


 長い沈黙を共有して、くつり、先に空気を揺らしたのは屍。


「アンタが弾きなよ。名が体を現すってことなら最初から死人の屍さんなら死なないよ」
「それを言うならルールちゃんだって、その世界で唯一の"規則"なんでショ?死さえ凌駕しちゃうでしょ」
「じゃあ正直に弾くの怖いからルール様お願いしますって言いなよ。そしたら弾いてあげる。約束もあるしね」
「アア、やくそく…」


"嫌だよアンタみたいな危険物と組むの"
"仕事なんだから割り切りナヨ"
"仕事?じゃあカネなんて要らないから下りる"
"もう決まった事なんだし諦めた方がイイんじゃない?もうルールちゃんは僕の"楽器"だよ、そういう契約。"
"そもそも何で本人の了承なく契約締結されてんの!!!?おかしい!!"
"事務所ってヤラシイよねえ(笑) てことでギターおねがいね"
"アァ!!?ギター!!?何で!!だから俺は!!"
"鍵盤と弓弦楽器が本職、デショ?聞いてるよ"
"だったら!!!"
"上手に弾けるのは知ってるよ。でもそうじゃなくて、"不自由で自由"なオトが僕は欲しいんだよ"
"意味わかんない。アンタの楽器になって俺は何を得られるのよ"
"さあ?何が欲しい?"
"知らないよ。バンドの方向性も色もアンタの事も何も知らないんだから"
"そう?じゃあ、決まったら言って。ルールちゃんが僕の"楽器てあし"になる代わり、ひとつだけ何でもあげるから"

(…ねえ、約束憶えてる?俺ね、屍サンが"見る世界"を特等席で見たい)
(ふうん…解った。僕は振り返らないから、ちゃんと付いておいでよね)


「したねえ、そんな約束」
「忘れてないんだ。意外~」
「覚えてるから、弾いて」
「わかったよ。………次のレコいつ?」
「アサッテ」
「りょーかいリーダー。お悔やみは皆で想死曲ひとつ頼むわ」


 くは、と笑った屍は、よろしく、と。述べてコントラバスとルールを置いて、部屋を出て行った。
 事務所でアルシエルに与えられたワンフロア。ドアが閉まれば何も聞こえない。耳が痛い程の静寂。
 ルールはケースから出したコントラバスをスタンドに置いて、壁際に立てた。
 その真正面で、椅子の背を盾のように前にして向かい合って座る。未だ否定するような強さで、存在感で威圧してくるThe amber curseに向かい合って感じる、その"呪い"の正体。
 きけきけと、そのウッドのボディの中から嗤う声が聴こえる。内側に木目ではなく黒い血管が張り巡るような。サウンドホールから、今にも針金のような身体をした悪魔が這い出て来てもおかしくないと思った。
 燃えるような赤、悠久の眠りから目覚めた琥珀、時にはロゼ、血のように紅いワインの色あいをして、ゆら、ゆら。ゆら。見つめ合えば、揺蕩ういろは生き物の目の色のように潤んで。ひかる。
 苛烈な赤は支配を嫌う。が、残念だな、支配を嫌う人間を、俺が何人落として来たか、お前知らないだろう。覚悟しろよ。

 覚悟を決めるのは自分の方。呪いを信じるわけではないが、現実的に所持者が幾十幾百と死んでいるのだから、警戒するに越したことはない。
 簡単に死ぬようなタマではないにせよ、この腕が、目が、頭が、無くなるのは困る。音が紡げなくなるのは。だから。静かに腹を決める。
 そうして。抱き着くように両手を伸ばして、スタンドから引き寄せてくるり、回して腕に抱く。
 死への覚悟より、紫がかって見えるほど美しく燃えるコントラバスがどのような音を吐いてくれるのかに興味が移って、自分が所有する他の弦楽器達にするのと同じようにヘッドにキスをしてから、弓を引いた。



(まったくもう、ベースは屍サンの担当のくせに。俺は便利屋じゃないんだぞ…)
(ルールさん呪いのコントラバス弾くんだって!!?遺言書書いとけよな!!)
(もう弾いたからもうじき死ぬなコレ。ねえ、悲しんでくれる?)


**


 ぎりぎりと引き絞る弓弦のような緊張感。
 真冬の、厳冬の骨髄まで凍りそうな痛い寒さの中、野外のステージに立っていた。


「すげ、広ぇーっ!」
「叫ぶな、うるさーい」
「だって楽しみじゃんよ!ココでやるんだぜ!!」
「耳が痛い。お前わかってる?ハギリ。人間が詰まってないステージってな、音をそのまま刺々しく転がしてあわよくば増幅させて"ココ"に戻ってくんだよ。黙って座ってろ」
「座るとこねーよ(笑)ナニ、ルールさんそんなに苛々してるの珍しいじゃん。生理?」
「ねーよ。ほんと、頭痛いから静かにして…トーンとヴォリューム抑えて」


 コンクリート敷きの白い会場の、後ろの方にパイプ椅子が並べられていく。中央から前は、スタンディングだけ。皆が押しあって飛び跳ねて酔ったように拳を突き上げて叫んで、唸る熱気が視えるようだ。
 ライブ前の、燻る火をまだだよ、まだ、と燃え上がらないように抑えておくのはエネルギーが要る。楽器の調整にステージに立って、寒空の下、顎まで埋まる毛皮を纏って。慣れない、いつも立つのと反対側。
 コントラバスを抱えて白く凍る息を吐く。
 ぼおおおおい、と、深く厚く重い音が鳴った。大半が弾いて鳴らされるコントラバスを、弓で鳴らすのは。リーダー屍直々の"お願い"で、この曲だけの仕様。
 その"オト"の為に、世界一悪名高いThe amber curseまで手に入れて、持ち主や演奏者が死ぬという噂を知っているのにポンと渡された、その精神。

 信頼などない。最初から、"契約上の"冷え切った関係だから、このコントラバスを鳴らすこの腕が壊れたら、彼は同等の次を探すだろうし、探し出してくるのだろうこともわかっていて、了承した。
 口頭に契約を了承して、そのずっと後で"約束"を取り付けた。契約と約束。
 大したものではない。ただ、違った時、自分はその時、相手を壊すか自分を壊すかして、離別するのだと思う。


 ばああああああう、ぼおおおおおい。
 客席に飛んでいく音の底で、るうん・と鳴る音の余韻はきっと、三歩斜め前のヴォーカルの位置に立つハギリにも聞こえないんだろう。だけど、このウッドボディの腹の底で鳴る、この音が彼は聴きたかったのだろうなとぼんやり考えながら、適当に即興で弾いて、コントラバスの音を拾う為のマイクの位置を足で蹴って整えた。
 ALSIELという音は。真冬の、厳冬の、ただなかの。生きた血さえ凍りつくような極寒の中にこそ似合う。冷たさを斬り裂いて、殺すように。自家発電のエネルギーで、成層圏を超えて、てっぺんまで。


(…だけど)


 ずっと先へ、ずっと上まで。
 二重どころかもっと重なり合って、五人分、五重螺旋で上昇していく精神構造で以て。
 "いける"と、信じてるの?


(屍サン。だけどね、)


 未来予知でもするような気持ちになった。
 白いコンクリート敷きの会場を埋め尽くす、自分に似せたニセモノっぽい金、刺々しく伸びる紫、灰色と、漆黒と、スキンの頭、頭、頭、顔。わあああああと混合して融け合って届けられる叫び声という歓声。
 研ぎ澄ませた感覚で意図的に聴力を麻痺させて、此方から飛ばす音だけ拾うように"聴整"して。マイクの位置、立ち位置、ドラムセットの位置も何もかも完璧で。


(ドコを見たいのか知らないけど。どこまでも、追いかけてみたいよ。その肩越しに何が見られるのか、俺はまだ知らない)


「ハギリ、客席に落ちちゃうよ」
「見てるだけだって」


 厚い金属を叩き壊す力で目一杯殴りつけたような音がした。
 ぎいいいん。金属の叫び声?


「ルールさん!!!」
「………な、に?」
「弓!折れてる!」
「あら」


(…………"イカレ"てる)


 呪いの琥珀。ウッドボディのコントラバス。内側に、黒い血管を張り巡らせた。意識が、引き込まれる。
 調整終わったから、戻ろ。と、声をかける。折れた弓をステージの端に投げ捨てて、コントラバスを抱えた。
 寒空の下、どんな悪環境でも必要以上に遠くまで"鳴る"のが確認できたから、もういい。例えばこのステージが終わって、呪いで死んでも。
 かみさま、俺は。一切を後悔しないよ。多分ね。


「なあ、そのコントラバス、終わったら燃やそうぜ」
「あぁ…それ、いいねえ…いっぱい紅茶淹れられるな」
「ルールさん?」
「え、何?」
「なんか変だぜ。気をつけろよ」
「………うん」



ありがと。と言って笑った。
(呪われてるのかも)
(冗談キッツイぜ、それ)


***
Special thanks!!→天狗しゃん。(屍さんとハギリ君お借りしています)

おちて、さよなら

 そのひとの双眸は、
 あを。黒過ぎてあおく深い色をして、時折星のまたたくように光る。ニヒルに笑う。でもたまに子供みたいに笑う。ひたひたと猫のように歩くか、がつがつ踵鳴らして歩くかのどちらか。気分屋さんで、傲慢不遜。ピアノが上手。でも本人はうまく動かせない左の薬指が不快だという。
 まつ毛が長い。指も長い。前髪と、手足も。黒と焦げ茶がよく似合う。尖った靴も。シルバーはいらない。首の後ろに隠すようにあけたピアスだけ。黒くてみどりに見える髪。烏の濡れ羽色はあのひとのこと。
 くろ。ねじ。強くて、うつくしい。象牙色のピアノの下でだけ寝る。かわいい。雨と、流れ星に似た、降り注ぐやわくまろいオーラは、廃銀と宇宙の色。ひろく、したたか。


 人の死は二度あるという。肉体の終わりと、忘れられた時。法要が50回忌までしか無いのは、50年も過ぎれば大抵のひとは二度目を迎えるって。
 人に限らずそうだよね。生きるものはみんなそうだ。忘れたくないからかなしむし、悼むために思い出す。
 春。だから嫌い。喧しいとこが嫌い。どこに行ってもぽんぽん跳ねるような弾けるような音と歌うような声が聞こえるから。静かにしてよ、と思うから。

 大抵のひとは、その死を乗り越えろというけれど、なんで?
 大事な大事な人なのにその人の死を、その人のことを、なんでわざわざ乗り越えなきゃいけないの?別にいつかひょっこり帰ってくるはずとか思ってない。
 忘れたく無いし大事にしたいから乗り越えたくなんてないよ。なんで乗り越えるのが普通、みたいになってんの。むしろ乗り越えるって何なの。忘れるってことなの。考えないようにするってことなの。どうなの。どんなことにせよしたくないしできないけど。
 好きも嫌いも愛のうち。他の人がどうとか統計的にどうとか心理的にどうとかそんなの全部どうでもいい。私にとって私が唯一確からしいと思えれば。嫌いなものも好きなものも全部私の大事なもの。そろそろ私が帰る夢をみる頃かな。星を敷き詰めた紅い空と火を吐く樹の世界へ。あの人がいた景色。

 自然界の、聞こえない音。
 地鳴りでもなく、振動でもなく、存在しないはずのものものどものこえを聞く力を失うのはいつだろうと待ちくたびれてもうどれほど経つだろう。
 春は煩く夏は鋭く秋は侘しくて冬だけがぼくの耳を休ませる。
 しんしんと積もる雪の音が好きだ。そのくしゅくしゅといじらしい微かなヒビキは日々の皹のよう。ひゅおひゅおと鳴く切り裂く風の楽しそうな会話はそれでいて静謐ないろをしていて、耳に優しくよく馴染む。
 身体が冷える程、だいじょうぶいきているよと語りかけて来るような冷たく凍て付く吐息が身体の奥に引っ込んだ生命を擽るようだ。

 そんな音を、こえを、彼女が意図的に聞かないようにするようにしたのはいつからだったろう。
 繰り返され抗えず拒むことも出来ずなし崩しに歯を食いしばり受け容れるしかない迎春のファンファーレに何度も大事な友を、家族を攫われたせいか。
 聞こえなくしても視えるくせに。そのような力のある人間の、背負うしかない業というか、何だっけ、そうだ、ノブレス・オブリージュ。力を持つものは義務的にそれを負わねばならない。
 持ち主として選ばれたことの幸不幸はわからないけれど、見えないはずの色が視え、聞こえないはずの音が聴こえるその力は確かに無為だろう。己の為に使えるようなものでも、ましてや他人の為に生かせるようなものでもなく。
 しかしそのお陰で彼女はいくらでも耐え忍ぶ力を得たし、待つことの重要さも学んだのだから、目に見えぬものも結局はギブ&テイクにかわりないのは確かだけれど。
 あとは一年と半年後に出会すのだろうあの子との関係がどうなるか。好に転じるもよし、悪に転じるもよし。彼女という人間に与えられるものに意味がないことはなく、また、無駄にすることもないからこそ彼女は真に欲するものを必ず手に入れる事が出来る。
 永遠に。死ぬまで。死んでも。ただ、冷酷なまでに豊饒に準じ、ストイックに、アレが欲しいからコレとコレとコレは我慢せねばならないと思うのは、女の子としては可愛くはないよねと僕は思うなあ。
 本当に欲しい物は必ず手に入るから、本当に欲しいのかよくわからないものは諦めようと潔く、物分りが良すぎて彼女は数多の損をしている。
 多少よくわからずとも欲しても許されるのが女の子という生き物なのにね?彼女は己を女の子だと自覚する前に人間だと自認してしまったから。早く大人になり過ぎた。だから、早くあと一年と半年が経てばいいなと僕は思うよ。

 列車のレールがレバーやスイッチひとつで切り換えられるのと同じで、ひとの人生も同じだ。己で発見したそのスイッチを押すか押さないか、己で作り出したレバーを引くか引かないかくらいの選択なら誰にでも出来るけれど、軽重関係なく抗えず拒むことも出来ないスイッチやレバーがレールの上に現れることも必ずあって、しかもそれを左右どちらに引き倒すのか、オンオフどちらに切り替えるのかは選べないときた。
 そのようなものだけを僕らは"運命"と呼ぶけれど、この言葉ももう使い古されて可哀想だね。その切り替えかオンオフかが彼女をどのように変えてくれるのか、僕は楽しみにしている。
 どうしようもない涙を飲み込む術しか知らない彼女が泣ける唯一の場所になるのかどうか、僕は野次馬のようにしかなれないけど。どちらに転ぼうと、人生に何度かしかない逃れ得ない運命に出会った時人は泣くしかないのだけれど。
 希くば、僕は彼女をあいしているから、倖に転じればいいなあ、だなんて他人事として考えてはいるよ。豊饒は僕らの存在そのものゆえ、贔屓は出来ないけど。ただ、ひとは面白い事に困った時の神頼みと言って祈るから、真摯であればかみは応えてくれるものだと僕は知っている。

 彼女は損ばかりしてきた。生誕を祝われて然るべき時期、初めて愛した男を春に永久に失い、共に育った犬も春に息を止め、理解ある友も春に自ら死を選び、愛した友人達とは望まぬ離別、慰めてくれた仔犬も春に死んで、そんなことばかりの救われないこれまでを。全て塗り代えるような男だといい。
 何も言わず優しく手を延べて微笑む、それだけが出来る男がいい。血の滲む忍耐を作った笑顔で上手く隠す事ばかり巧くなった彼女が泣きながらその手を取れる男だといい。早くとはいわないから。希くは。絡み合う糸が縺れても絡んでも千切れても。みなが倖せになりますように。なれますように。なるように。ささやかに祈るよ。おやすみ可哀い仔、今度こそ。

名を、はもの

産まれつきに誰にも依らず強く生きられる者はいない。
だが、生きるうちにそうなれる者はいる。

お前はそうなれ。
けれど己を過信するな、然し疑うな、常に考えろ。

何が善くて、何が悪いか。
そうすることで、お前の価値が上がる。

いつか誰ぞが欲しがる程になるだろう。
それでも誰にも"依らぬ"程の人間になれ。

お前には、その素質がある。
生まれつきに鋭利な魂の色をしている。
その色を濁らせるな。愛をして。


***


はなを、あげる。しろいはな。
きみのすきな。やわらかい、おおきな花弁。

いつも、それをみてわらうから。
ぼくはきみの、うろこだから。
何でもかなえてあげたいんだ。何でも。

天ぷらにしたら美味しそうだ、って。
思っているのをしってる。すきだよ。

そのはなのなまえは、しらないけど。
ねえ。とてもきれいだね。

かすみづきよ

 ひょうひょうと吹き付ける風が今日は少しあたたかい。
 冬も目前に迫ってきているというのにまだ夏が、秋が去りたくはないのだと我儘でも言っているのかもしれない。
 冬は長い。夜も早く訪れる。夕方が短い。ただしとても美しい。
 冷えていく空気に常緑でない樹々は枯れ葉に衣換えをして、それもすぐに脱ぎ去って春を待つのだろう。
 長い冬が来る。
 そのうちに天から結晶の贈り物が降くだされ、この森も耳が痛む程の静寂しじまを目一杯に抱えるのだろう。
 寒さに脅かされる事などないはずの自分が、少しあたたかいと感じるほどの風が吹き付けているだけの今日、少し寒いななどと思わず呟いてしまったのは。


 眼裏まなうらに浮かぶ、過ぎ去った夏の日。
 秋の気配がそこかしこに宿り始めた頃、瑞々しく村に豊かさをもたらしていた泉が唐突に涸れ果てた。何の予兆も無く、突然のこと。
 物事に永遠などないとわかっていても、それは本当に唐突で、誰も予想しえなかったことだと思う。
 それが、その土地に根差して数百年経たんとする、ヴァンパイアの私でさえ。
 泉の枯渇による混乱と動乱とが起こるまでには然程時間はかからなかった。
 水が無ければ作物は育たず、ひとも生きてはいけない。
 彼らは私を責めた。何故なんだ、と。永く生きては来たがそんなのは知る由もない。永く生きているからといって特別な力があるわけでもないし、当然ながら自然現象に手を加えることなどできない。

 うまく折り合いをつけて共に生きてきたひとびとが、私に刃を向ける。
 純朴で優しい、無実のひとたち。
 その混乱を、先祖代々が拓いてきた土地を捨てざるを得ない受け入れがたい現実を、誰かに擦り付けてしまいたかったのであろう。
 その対象として、私は相応しかったのであろう。
 ひとでなく、ひとを搾取する、異端の種族。
 うまく折り合いをつけて、共に生きてきたとはいえ、彼らの生は短い。
 土地に根差し、自然を享受し生きる彼らと、彼らありきに存続する私とでは。
 その生命の源泉といって差し支えない泉が涸れたとなれば、その絶望は計り知れない。
 だから、きっと、仕方なかったのだ。


 彼らは涸れたその地に残ることを選んだ。水をどうするのか知らない。
 新しく水脈を探して掘るのかもしれない。
 しかし私は、その土地から追い立てられ、彼らの平穏の為にも離れる事を選んだ。いや、離れざるを得なかったと言うべきか。
 名残はある、未練もあるが、様々な事由を言い訳にして、離れてきた。
 永く愛した森を離れるのは断腸の思いであったけれど、私が居る事で、彼らがいたずらに傷付くのは、嫌だった。
 私はあの静かな森をとても愛していたけれど、それ以上に、短い生を懸命に生きる、その中に私と言う存在を受け入れてくれた彼らを、愛していた。


 これで、よかったのだ、と。
 何度も自分に言い聞かせて、あてどなく土地を離れ、風の吹くままとても遠くまでやってきた。
 今宵はこの辺りで休もうと人里離れた深い森の湖畔に腰を下ろす。
 疲れてはいなかったが、むしょうに寒いなと感じるのは、失わざるを得なかったものの大きさなのだと、そろそろわかってきていたけれど、それを認めてしまえばもっと寒いと感じるような気がして、意図的に眼を背けていた。


「随分、明るい…………」


 昼間程ではないにしても、夜にしては格別に明るい夜中。
 月の高さと星の位置から随分と夜更けなことがわかるけれど、とても明るい。
 久方振りに、空を見上げたような気がする。
 月の満ち欠けなど気にもしていなかったのに、煌々と私を照らす月を見ていると、ぶるっと身体が震えた。寒い。
 月は明るく、風もあたたかい程なのに。寒い。
 ほろほろと熱いものが溢れたようだった。それが涙だと気付くまでにとても時間が掛かった。
 つらい、と、唐突に気付いてしまって、そうしたら、堰を切ったように止めどなく泣いていた。止まらなかった。

 辛くて、苦しい。
 何故、何故なんだ。
 何故だったんだ。
 泉も湖も世界中にあるのに何故あの土地のあの泉が涸れたんだ。
 愛していた。愛していたのに。
 とても大事に思っていたのに。すべてを愛していた。
 神よ、あんまりすぎやしないか。


「ねーえ、だいじょおぶ?」


 遠慮がちに掛けられた声。
 振り向くと、ころりと鞠の転がるような少女がひとり。
 こんな季節に、こんな場所に、少女?と私が不思議に思っている間にも少女は近付いて来て、私のすぐ側にしゃがみこんだ。
 きゅるきゅると大きな、おそれのない瞳で、まっすぐに見つめてくる。
 その強さ。


「おにいちゃん、そんなに大きいのにどうして泣いてるの?おなかいたいの?」
「…………お前こそ、こんな所で何をしている…?親は」
「んーん、おとうさんとおかあさんを探してるの」


 涙を拭い、あらためて少女を見やる。
 細い、首に、真新しい大きなあざ。思わず眉を顰めた。
 何事だ、こんな幼い少女の首に大人の手形など、何かあったに違いない。
 そっと立ち上がり、少女の手を引いても、見上げてくる強い視線は無垢なまま。


「お前の親を探そう。送っていく、どこから来た?」
「うふふ、ありがとうおにいちゃん!あのね、こっち!」


 手を引かれるまま歩いていく。
 がさがさと枯れた音しかしない森の中を進む途中、ゆらり緩慢に揺らされた黒い影が目に入った。
 特異に秀でた視力が捉えたそれを少女に見られないよう、自然に歩く方向を変えて。


「どこいくの?」
「お前の親も、こんな夜更けでは家に帰っているだろう。街まで送る。道を覚えているか?」


 大きな木立ちの間に、ぶら下がって揺らされるふたつの遺体。
 既にこと切れ冷え切っているのだろうそれを認め、少女を町へと促す。
 何を苦にしてか知らないが、この娘の親は子供の首を絞めてから自殺に至ったのであろう。ぶら下がったあのふたつの遺体が娘の親ならば。
 くびり殺したと思って死んだあと、娘は気を失っていただけ、といった顛末であろうか。

 何にせよ、泉が涸れ死に始めた土地でもそこで生きると覚悟を決めたひとびとを私は知っている。
 森も豊かで、湖もある。豊かであろうこの土地で何を苦にしているのだ。
 幼い子供を遺して逝くほどのことだったのだろうか。
 何も、詳しいことは、わからないけれど。


「ちょっと!何ぼけっとしてんの、早く行くわよ」
「何故…なんだ?」


 はあ、と大きなため息が出た。
 うたた寝をしていたようだ。
 私を起こす声の主はあの時の娘。

 あの後町に送り届けたが、彼女は己の両親がいないと見てとるや、私から離れなくなってしまった。
 町は廃れ、人も殆ど残っていなかった。
 わけを聞けば、戦争の為にと言う国が、育て貯蔵していた作物の類を徴収していってしまい、食うものがなくなった人々が町を離れていき、挙句に若者の殆どは強制的に徴兵されていったのだという。
 この娘の両親はもう随分な歳で、作物をやる力もなく、食糧も尽きたんだろうと言われた。
 わしもそろそろだ、と哀しい目で言った老人も、既にこの世にいないだろう。
 老人は何か縁を感じるのなら、娘は連れてくれ、この町へ残していかれてもやはり縊るしかないと言われ、再度殺されるとわかっていて、残してはいけなかった。
 そう思って、少女の手を離さなかったあの時の自分を、ほんの、少しだけ、後悔している。

 子供は親に似るというのはわからないでもないが、何故こんなに言葉が悪いのか。
 私はこんな口調で話したことなどないというのに、どこで覚えてきたのやら。
 少女だった娘はわずかな年月で乙女へと育ったが、どうにも口が悪い。
 だが器量は悪くない、賑やかな街で何度か置いて行こうと、或いは預かって貰おうと嫌悪する教会も訪ねたが、何度置いて行っても娘は私を追ってきた。
 だから、仕方がなかったのだ。
 私はまだ、彼女の死を見届ける覚悟がない。
 手ずからひとの食べ物を食べさせ、育てた、ちいさな少女。
 私が年を経たなと感じるより前に、あっという間に老いて死んでいくのを見届けるなんて、できない、と。思っている。
 そうだ、分別がつく年齢になれば、それもすぐの事だろう。
 育ての親のもとなど、離れたがるに違いないと、思っているうちによちよちと歩いていた少女は懸命に走って追ってくるようになり、今や私を急かすほどになった。
 本当に、何故なんだ。


「どうしたの。具合でも悪いの?」
「お前…それは、何だ」
「何って」


 くるり、身を翻した乙女は黒い衣服を身に纏っていた。
 端切れを接いで作った、ドレスとは言い難い粗末なワンピース。
 彼女の動きに引きつられてふわり、裾が躍る。
 にんまり笑う乙女が、草臥れた革靴でかつかつと近寄ってきて、私の腕をとった。


「ドレスよ」
「何故」
「何故何故うるさいわね、あなた。夜の世界に嫁ぐのに、この上ないでしょう。この粗末な感じ」
「お前」
「わかってるわよ、噂や伝説なんて信じていないわ。ヴァンパイアに血を吸われても、与えられても、人間があなたのようにはなれないことくらい、とうの昔からわかっている」
「ならば、今度こそ、街で」
「いやよ。何年も一緒にいるのに、あなた、何もわかってくれていないのね」
「………やめてくれ」
「やめないわ。私、あなたと一緒にいる。あなたと出逢った時に、そう決めたの。もうずっと昔のことよ」
「私はひとではない。お前が老いていくのを、死んでいくのを見ていられない」
「じゃあ何故、教会の窓を割って這い出す私に何度となく手を貸したの。何度、あなたを追いかけてさ迷う私を拾ったの。何度、あなたの方が縋るように私の手を取ったの。何故?」
「それは、」


 言葉に詰まる。
 仕方ない、と、何度言い聞かせてきただろう。
 何度彼女の手をとって、仕方ないと、言い訳してきただろう。
 何度。何故。
 すべては、本当に、仕方がなかったか?


「あなた、離れられないわ。わかってるの、とても残酷なことだって知っている。だけど、離れがたいの。あなたのことを、あいしてるわ。だから私、どんなに残酷なことをあなたにしているとわかっていても、離れないの」


 初めて、あの月の明るい夜。
 娘の、強い瞳をまっすぐに覗き込んでしまった時から、本当は。


「泣き虫ね。ヴァンパイアのくせに」
「お前の前で泣いたのはこれで二度目だ。泣き虫などではない」
「そうね。行きましょ」


 ぐいと手を引かれる。
 ふくふくとした、握り潰さないかと肝を冷やしたあのころとは違う。
 柔いが、あのころよりももっとずっとしっかりとして、はっきりとした娘の手。

 私は、ひとが、すきだ。
 忌み嫌われても、どうしようもないほどひとがすきだ。
 彼女が、すきだ。私を救ってくれた、射るような強いひとみがすきだ。
 何も言えないまま、私の百分の一も生きていない彼女に手を引かれるまま街を出た。

 何度も、何度も、きっとこれからもこれを繰り返すのだろう。
 わかっていて、何も言わないで。このまま。


「ねえ知ってる?私があなたに初めて会ったあの夜の月。次に見られるのは、171年後なんですって。また一緒に見たいわ」
「…………きっと、一緒だ」
「そうね。楽しみにしているわ」





***

 振り返りざま、とても嬉しそうに笑った彼女の表情かおを、私は永遠に忘れないと思う。
(伝説のように、おとぎ話のように、あなたと同じになれたら、何百年後でも、何度でも、あの月をあなたと一緒に見られたのに。次はきっとあなたまたひとりね)
(次の月はきっと観ない。この娘が息を引き取るのをみとったら、そう、みとったら、その後は、)

『ショートショートつめあわせ』

『ショートショートつめあわせ』 山城よる 作

  • 自由詩
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日 2017-01-13
Copyrighted

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。