三四郎のいる東京

三四郎のいる東京

 少年はマンガばかり読んで、純文学にはとんと縁がない。関心がなかったのである。そんな少年が高校生の頃、神戸にある親戚の家を訪れたとき、アメリカへ留学したイトコの書棚にぽつんと「三四郎」が置いてあった。三四郎というかっこいい名前に興味をそそられ本を持ち帰った少年は、慣れない文字をとつとつと読み始めた。三四郎は予想したようなかっこいい青年ではなかったが、明治の世界にくりひろげられる人間模様、田舎出の三四郎と都会育ちの美禰子の間に起こる不可思議な心模様にひかれていった。無器用で純朴な三四郎が、美禰子の東京にほんろうされながらも健気に生きる姿に共感したのである。
 東京へ行きたい、そんな思いが春を待ちかねたツボミのようにぷつぷつと少年の心に芽吹いていった。中学の修学旅行の際、帰りぎわに東京駅の柱をぽんぽんと叩き、またぜったい来るしな、と独りつぶやいた約束を少年は果たそうと思った。
 二年後、東京へ出た少年は「文学界」を愛読し、すっかり文学青年になりきっていた。というより文学青年風をよそおったというのが正しい。現実の身は昭和の大都会に置きながら、心は明治・大正の東京をさまよっていたのだ。青年は英米文学科に籍を置き、せっせと日本文学科の講義に足を運んだ。熊と呼ばれた先生は、のっしのっしと黒板を右に左にと歩き回り、吼えるような名講義で有島武郎の世界に引き込んでくれた。また風呂敷包みに講義ノートを入れ、長靴をはいて早稲田から来ていたK先生の文体論は、見事に芥川を解析して見せた。漱石が「猫」を書いた年になったと言っていたU先生の講義は欠かさず出席し、関連の書物は目に留まると手が自然と伸びていた。時がヘルメット姿に鉄パイプを持って荒々しく70年代に駆け込んだめまぐるしい潮流の中で、枕石漱流のごとく青年の時間はゆるゆると流れていった。
 七年いた東京に別れを告げる年、青年は漱石の跡をたどった。新宿区喜久井町の夏目坂から東に折れ15分ほどくねくね歩くと、かつての漱石山房跡に造られた「漱石公園」に行き着く。漱石が青年の中に占めてきた広がりに比べあっけないほど小さい。狭い敷地に猫塚がひっそりと積んであった。三四郎池にも足を伸ばした。三四郎と美禰子が出会った場所にたたずみ、青年は東京の終わりを感じていた。
 三四郎のいる東京という魔法から覚めた青年は、教員になろうと決心した。「野分」の先生は越後を追われ田舎を転々としたあと東京へ戻ってきた。青年はその越後といわれた所で先生になる覚悟を決めていた。

三四郎のいる東京

三四郎のいる東京

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-11

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