命名


祖母の魔法使い,というからには,魔法が使えなければならない。まず,その魔法使いは,祖母の思考を読む。取りたい物,読みたい物,片付けたい物などを祖母に言われる前に選び,祖母に差し出し,祖母の前から取り去る。こう書くと,まるで犬か何かのように思えるだろうし,また,そんなことぐらいは,数年共に暮らせば誰にでも出来ると指摘したくなるだろう。ここで付け加えれば,その魔法使いは祖母と出会った最初からそうだったのであり,なんだったら,魔法使いは祖母との初対面の際,祖母が購入を考えていた本の数冊,日用品,昼食に足りない材料,その数年後に必要となった薬草の種や,花の球根,そして空の木箱(祖母の遺品を収めることになる,と魔法使いが口にした)を両脇に抱えていた。その時の魔法使いの姿は,とにかく長い手足に,ひょろっとした胴体,アゴが鋭角な輪郭,目元は見えない,なぜなら真っ黒な髪が伸びていて,眉も目も耳も隠されていた(したがって,魔法使いは足下を見ていない)。見えない頭頂部は,魔法使い曰く,自然に巻かれて渦を描き,太陽だって目を回す。巻いていることは事実で,鼻に届きそうな前髪も巻いていて,あとは気の利いた冗談だった。その時の魔法使いは緊張していて,自分のためにそう言ったのだそうだ。その時の私は,緊張していたというか,怪しんでいたし,日差しを浴びて,ひたすらに伸びてくる影を踏んで試していた(嫌がるかと思っていた)。一方で,祖母は魔法使いをじっと見据えていた。包丁とか,トンカチとか,使う道具の使い勝手を見極めようとする時と全く同じ,祖母の顔だった。それも当然,祖母にとって,魔法使いは使うものであり,対して,魔法使いもそれを望んでいる。お互いにしばらく見合って,祖母は一言,
「上を向きなさい。」
と魔法使いに言って,魔法使いはそれに従って,アゴを上げて,上を向いた。首にしては長過ぎる,魔法使いの首がより露わになった。そのまま,と魔法使いに指示をした祖母はつかつかと近づいていって,鼻息がまともにかかる距離まで顔を寄せ,匂いを嗅ぎ,アゴを手にとって,じっくりと眺めた。その間,魔法使いはピクリとも動かなかった。私だけがハラハラした。アゴから手を離した祖母は,その場で振り向き,こちらまで戻ってきて,寸分たがわず,と言わんばかりに元の位置にかつんと立って,「よし」と一言を命じた。魔法使いはサッと顔を元の位置に戻した。魔法使いはそのまま立っていた。祖母が名前を訊いた。特になし。祖母は笑って言った。
「じゃあ,『私のもの』ね」。
それが魔法使いの名前になった。魔法使いはそれを受け入れた。続いて,私も名乗った。魔法使いはその名を名乗った。嬉しそうだった。私にはそう見えた。
魔法使いが来てからの生活は,二人っきりのときより楽になった。単純な労働力となり,また魔法を使う魔法使いは,せっせと働き,祖母と私の生活風景にあっという間に馴染んでいった。「私のもの」と呼ばれる前に,用件を済ませる魔法使いと,祖母が直接交わす会話は,数えてみると,一日に五回となく,にもかかわらず,完璧な意思疎通を果たしている関係性は奇妙であり,また羨ましかった。私は積極的に魔法使いに話しかけ,祖母との間のような関係を構築できないかを試み,一方では,別の魔法使いに会ったときに役に立つような情報を得ようと試みた。結果は失敗に終わった(魔法使いは規律を守り,秘密を守った)。代わりに,簡単な魔法を教えてもらった。口笛を吹くようにすぼめた唇を使って,伝えたいメッセージをいじくる魔法は,上級者ともなれば,相手の意思や感情を操れる。多大なる失敗と,いくつかの成功を経て,私は街に下りてから,気になっていた,靴屋見習いの男の子にその魔法をかけてみた。大失敗に終わった。練習では対象物を一つに絞れていたのに,街では手当たり次第,視界に収まった老若男女の方々にかかってしまい,飛び交う言葉が滅茶苦茶になった。私は慌てて祖母の下に向かい,罰を受けることとの引き換えに,魔法使いの力を借りた。魔法使いは記憶と共に,私が失敗した魔法の効果をすべて帳消しにした。長い腕を伸ばして,指先で弾き,袋の口を閉じるような仕草で,すべてを片付けた。街から引き上げる道中,お礼を言えない私に対して,魔法使いは何も言わなかった。祖母の下に戻った私は,薪置き場として使っていた小屋の前に縫い付けられ,一言も発せずに一晩中そこにいることを命じられて,それに従った。自分から望んで,夕ご飯を我慢して,迷わず鳴るお腹と一緒に真夜中を過ごした。肌寒い風が通り過ぎたし,雲が暗闇を深くした。無邪気に生い茂る草が,カサカサと擦れていた。
漏れる灯りと一緒にドアが開いて,魔法使いが出て来て,そして居なくなった。
魔法使いが,その時間にも仕事をすることを私は知っていた。でも,見たことはなかった。その日,私はその一端を目にした。帰って来た魔法使いの手から血のように水が滴り,地面に落ちて,何かが咲いた。魔法使いがそれを踏み,長い足を離して,私の前を通り過ぎた。影が丸ごと動いていた。小屋の奥にある井戸から水を汲み上げて,流し,それを拭い,手足を大きく振った。その勢いで,ボサボサの髪が浮き上がった。私の所まで,水滴は飛んできた。私はそれを見ていた。魔法使いは何も言わなかった。私は魔法使いに向かって言おうとした。いつも通りに話しかけようとした。
でも,意図した言葉が出てこなかった。こちらを向いた魔法使いの唇がすぼまって,上を指差して,その指を消した。私の瞬きが間に挟まって,発光する,青白い揺らめきが,指の形を保とうと努めている姿がそこに現れていた。思いの形。それは私のものだった。あの魔法で,取られたのだ。
私は言った。
「いじわる。」
魔法がかかったままのその意図が,魔法使いには伝わっていたはず。影が重なって,また遠のいていく。一晩を終えて,太陽に目を回した私がたたらを踏むまで,見張りの番は絶えずに続いた。長かった。伸びていた。青い青い光。
ある日,祖母との墓参りの帰り道で,契約の終了事項として,当事者が亡くなることがあるということを祖母から聞かされて,思わず魔法使いに訊いてみると,魔法使いにも千年単位の寿命があると教えてもらった。祖母は若い頃に一度,それを看取ったことがある,魔法使いは生前,大事にしていた装飾具を残して跡形もなく消える。その魔法使いは,足首のあたりにそれを残して消えた。「『私のもの』だと,これかしら」と言った祖母は,魔法使いの首にぶら下がっている金の装飾具を引っ張った。それは私に言われて,祖母が魔法使いに贈ったものだった。生まれて初めて,魔法使いが人から贈られたものだった。受け取った日にそれを身に付けた魔法使いは,一度も外さないままでいた。だから喜んでいるように見えた。本心かどうかはともかく,魔法使いも,そういうことを口にすることが出来るようになっていた。祖母は変わらなかった。変わらないまま,かつかつと靴を鳴らして,誰よりも先を進んだ。先を進んで,天寿を全うした。
たくさんの物が敷き詰められた木箱を持って,魔法使いの前に立った私が,魔法使いの前で誓ったのは,魔法使いが既に知っていたことであり,それに対して,魔法使いがその意思決定を済ませていたものだった。とにかく長い手足,ひょろっとした胴体,アゴが鋭角な輪郭,目元は見えない。なぜなら真っ黒な髪が伸びて,眉も目も耳も隠されているから(したがって,魔法使いは足下を見ていない)。なのに,魔法使いはアゴを上げ,こちらを見下ろすようにして,恥ずかしげもなく,その目を相手に晒し,口を開き,必要な言葉を口にする。魔法使い曰く,その見えない頭頂部は,自然に巻かれて渦を描き,太陽だって目を回す。代わる代わる,辺りが照らされる。私が手を伸ばす。
その名前は私が決めた。

命名

命名

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-10

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