破裂
星のひとつが破裂して、その中身が、空から降ってきた日に、ぼくの、いもうとの友だちが何人か、行方不明になったそうだけれど、それは、たぶん、破裂した星の中身、動物の肉のようにピンク色をした、弾力のある、やわらかい何かに取り込まれたからで、肉のようなそれは、いもうとが通う小学校の裏山の頂に、落ちているのだった。
あれは落ちているというより、地面にはりついてる感じ。
と言ったのは、いもうと、ではなく、いもうとの、行方不明にならなかった友だちの、おかあさんのおとうと、とかいう、大学で何かを研究しているらしい人であった。その人は、ぼくの友だちの、おにいさんの友だち、でもあった。
髪が長くて、もじゃもじゃしているため、いもうとはひそかに「もじゃ男」と呼んでいるようだが、ぼくの友だちは「恐竜おたく」と呼んでいた。恐竜の研究をしているのか、と思ったら、大学で研究しているのは恐竜ではなく、恐竜にまったく関係ない、とはいえないが、恐竜の生態などを調べているのではない、とのことだった。ぼくもむかし通っていた小学校の裏山に、例の肉のようなやつ見に行った際に、その「恐竜もじゃ男」に遭遇したが、なるほど確かに、髪はもじゃもじゃしていて汚ならしく、例の肉を食い入るように観察する姿は、恐竜、という言葉をつけずとも、おたく、と呼ぶに相応しい人だった。
ぼくは、うちのとなりのアパートに住んでいる鹿の子と、いっしょにいたために、鹿の子にも、「恐竜もじゃ男」は興味津々だった。鹿の子の頭にはえた二本の角を、持参していた虫眼鏡をつかって、ねっとりと見ていた。鹿の子はとても臆病な子だったので、年上のその人にやめてと言えずに、ふるえていた。ぼくが何度か、いやがってますよ、と制止したが、無駄であった。
破裂した星の中身が落ちてくることは、何十年かに一度はあるのだと、鹿の子のおとうさんが教えてくれた。いもうとの友だちは、星の中身が降ってくる直前、裏山にめずらしいきのこを探しに行くのだと、いもうとに話していたという。
ピンク色の肉のようなそれは、地面の上に拡がり、ぴくぴくと蠢いていた。脈打っている感じだった。ぼくの家の、リビングくらいの大きさであった。(つまり、一般家庭のそれに等しい)
生きている、と思った。
死にかけている、とも思った。
からだは失ったけれど、からだの中身はまだ機能している。ぼくの皮膚が破けたとして、そこからどばどばと溢れ出す、心臓や、胃や、肺や、腸が、ぼくという器なしで動いている、ということだ。おそらく。むつかしいことは、よくわからないけれど、ピンク色の、ぴくぴくと蠢く肉のようなものからは、なんというか、そう、生気みたいなものが伝わってくるのだけれど、それがその肉のようなピンク色のそれのものなのか、何らかの状態でその中にいるであろう、いもうとの友だちのものなのかは、判然としなかった。
鹿の子が、とうとう泣き出した。
すぐに泣くのだ、鹿の子は、雄であるのに情けないと、鹿の子のおとうさんは、ぼやく。鹿の子のおとうさんは、実に立派な角を持つ、たくましい鹿である。かっこいいと言うと、照れる。そういうところは、ちょっとかわいいな、と思う。
「恐竜もじゃ男」が、めそめそと泣き出した鹿の子を前に、狼狽えている。頬が仄かに赤いのは、鹿の子が女の子のように、かわいらしい容姿をしているからか、気持ちはわからないでもないが、もし惚れたのならば、やめておいた方がいい。今はこんなんだが、おとなになればこの子だって、人を優に押し倒せるほどのたくましい鹿に、なるはずだ。鹿の子のおとうさんのような、樹齢何千年の大木の枝と見間違うような堂々たる角をはやし、無駄な脂肪のない堅牢な脚でしゅんっと走る、のしかかられると重たいのだけれど、おかあさんの腕の中のようにあたたかく、人よりもからだに詰まっているものの躍動がありありと感じられる、まさにからだのなかのあらゆる臓器が正常に機能して人や動物は生きている、ということを改めて教えてくれるような、そんな存在に、この子もなるはずだ。
蠢いているピンク色の肉のようなもののまわりで、いもうとの友だちの家族たちが、それぞれの子どものなまえを呼んでいる。子どもたちがほんとうに、その中にいるのかも不明なのだけれど、ドーム型のそれにはナイフも、包丁も、くわも、かまも、火炎放射も、通用しないのだった。
(あの、ピンク色の肉のようなものの中は、どうなっているのだろう)
ぼくは、ちょっとだけ、取り込まれてみたいと思った。
もしかしたら、鹿の子のおとうさんにのしかかられ、やさしくつぶされたときのような心地よさが、あるかもしれないなと想像したら、ぼくはいてもたってもいられなくて、「恐竜もじゃ男」になだめられている鹿の子をおいて、びゃっ、と家に飛んで帰った。
破裂