形式


シルエットが命,となる作業です。
だから最初に,当日着用されるドレスを見せてもらうか,教えてもらうことから始めます。各ドレスにある違いといえば,大雑把に言ってしまうと,切り替えしの位置,丸みか細身か,それとスカート丈の長さというところでしょうか。特に丸みか細身か,という点を重要視します。丸みには丸いもの,細身には細いもの,と合わせるのがやっぱり基本だと思います。あくまで引き立たせるためのものですから,シルエットは同じにしてしまって,大きさや色味などの工夫を施すことに意識を向ける。目立たせ過ぎず,また無難なものになり過ぎないような調整を行うことに,時間を割くことが可能となります。確か,お好き色は黄色でしたよね?主張し過ぎない黄色は,品よくまとめるのに最適と言えます。しかしながら,反面,白に寄り添い過ぎる面があるのも事実です。華やかさを出すためのアイデアが必要となります。花弁の大きなものを選ぶとか,緑を加えて際立たせるといったものです。もちろん,言葉の意味で魅せることもできます。そこにこだわりを持つことも大事です。何せ,二人のための儀式なのですから,二人だけ,あるいはご自身にしか分からない組み合わせを選んだとしても,それを責められる人はいないのではないか,と考えます。申し付けて頂ければ,もちろん承りますが,何かありますか?ご自身,またはお二人のためにこだわりたいものは?そうですね,取り掛かる前に申し付けて頂ければ,十分に対応できます。ええ,選ばないのも一つですよ。はい。はい,分かりました。いえいえ,こだわりがないということは,その分だけ選択肢が増えるということですから。どの儀式にもある最低限の厳かさはあります。でもそれは,見映えで楽しんではいけないことと,必ずしもイコールではありません。ましてや,祝われる儀式であるならなおのこと,喜ばしさに満たされることは許される,と考えます。ブーケは投げるという形で,人に手渡されるんですから。はい。そうです。では,飾ることを楽しんでいきましょう。そのための提案はまだまだあります。ご納得頂けるまで,選んでいきましょう。下手な冗談のように聞こえると思いますが,文字通り,ひとつの形になるまで。
ではお聞きします。その日着られるものの,シルエットは?


リコーダーの鳴り方と変わらないんだよ,と教えてあげると,こうして一緒に,ソファーに座るぐらいには身近に感じてくれるみたいです。でも,触れたりはしません。家ではそうじゃないんですが,ピアノもギターも,何度も叩かれていますし。だから,すごく大事なものなんだと,この子は見てくれているようですね。
僕自身は,この響きが好きでした。この,空間を包む響き。小さい頃は歌えませんから。聞こえてくるメロディを一拍遅れて,鼻歌みたいに真似するか,口を開いて歌っているフリをして,演奏を聴いて楽しんでいました。綺麗だなーって,わざとぐずったりして抱っこしてもらった時は,その姿を見つめてました。作りからして,やっぱり特別な印象を受けますからね。その気持ちに従って,僕は泣くフリをすることも忘れて,首を伸ばして,背筋を伸ばして,無事に地上に下されました。そこでは本当にぐずって泣きましたね。そうすると,また必ず抱っこしてもらえました。そして,失敗から学んだ僕は,その姿が見えなくならないように,フリをすることを忘れることなく,その演奏が終わるまで,大人しくしていました。僕はそうやって大きくなったんです。憧れでしたね。こうやって,その時のために弾く姿が。
儀式を取り仕切る側の者として,ということなのでしょうが,お礼は必ず言われます。それを嬉しく思います。ですから,今まで演奏に携われた,全ての機会が大切な思い出になっていますが,あえて一つを挙げるのであれば,ラブレターを貰えたことになりますかね。ああ,いえ。主役の一方から,ではないですよ。その日の参列者の,幼い子から貰えたんです。平仮名で『らぶれた』と題されて,演奏をしている僕の絵が紙面の大部分を占める数通でした。式が終わった後で,片付けしている間に,長テーブルに一所懸命に向かって,書いていました。最後の一枚を書き終わるまで,僕も待っていましたから。手渡しでしたよ。上手だった,と褒めてもくれました。私もいつか弾きたいと言ったので,許しを得て,さっそく一緒に弾きました。鍵盤を押すことを,楽しそうにしていました。その彼女が先日,ここを歩きました。主役が弾くわけにはいかないですからね,僕が代わりに弾きました。そういう意識を持っていたんです。彼女にも直接,言われましたから。私が目指していたあの日の演奏をよろしくお願いします,と。プレッシャーを感じました。同じ演奏は二度とできませんから,僕がすべきことは,すなわち,幼かった彼女を再び振り向かせることです。若返ることのない僕は,そういう意味で彼女の力を借りたんです。終わった後で,彼女は私に合格点をくれました。僕は,彼女が抱く断片の再現に成功できたようです。演奏家としても,忘れられない式になりました。大切な思い出の中から,あえて取り挙げる理由です。
いえ,残念ながら,『らぶれた』も含めて,その日の参列者から手紙を頂ける機会には巡り会えませんでした。ただ,彼女のリクエストに応えて,撮られた写真があったそうで,ハートのある文面に添付されて,送られてきました。
だから,現像された写真は増えました。上手だね,と,この子も褒めてくれます。


はい,おっしゃる通り,私はその場に立ち会ったりしません。赤の他人である以上,招待されることもありません。中を覗いたりもできません。不便な場所に建つ,ここまでの交通の便宜を図るために,予めお伝えしておいた時間までに間に合うよう,ステアリングを握り,タイヤを走らせます。自車で向かわれる方を除き,招待客を乗せて,建物の入り口で降ろし,駐車場に停めてから,そのまま待機することもあります。大体が,一時間前後ですか。私は運転席を降りて,足回りの点検をしたり,持参した水筒からお茶を注い飲んだり,買い置きをしておいたビスケットを食べたり,タイマーをセットして仮眠をとったりして,その時間を過ごします。ラジオは点けないようにしていますが,これには合理的な理由がありません。なんとなく,という気分で守っていることです。そして,二度目になりますが,見て分かる通り,ここは不便な場所です。なので,それは必然的に静かな時間となります。考え事をしたりします。何を,と尋ねられると困ってしまうのですが,プライベートでよく乗っている,自転車に関するものは多いかもしれません。メンテナンスや,ツーリングのコースなどです。帰りに用いている方の自転車とは違う,スポーツタイプですから。妻や息子にも使わせてはいません。将来的には息子に譲るかもしれませんが,今は私のものです。だから色々と考えます。時間はすぐに経ちますし,気付いたら,送る時間が迫っていることもあります。バックミラーでも,建物の様子を見て,必要な準備を済ませます。すべてが終わった後でも,すぐに出てくることはほとんどありませんから,予めバスを入り口につけておきます。乗降口のドアを開けて待っておきます。そうすれば,中の人のアナウンスに伴って,ぞろぞろと人が乗車します。活気のある雰囲気が満ちていきます。私はこれが嫌いじゃありません。行きに比べて,交わされる会話が親密になったこと,滑らかになったことが見て取れるからです。席が足りないとき,運転席に近いところで補助席を出して,そこに座ってもらうことになりますが,それが小さい子であっても,大人の人であっても,私との間で簡単な会話が成立します。花嫁さんは綺麗だったとか,花婿さんは格好良かったとか,どちらの知り合いで,どちらの親友か。過去にあったことに,明るい未来の予想図。私の方からは,送り迎えのあるある話や,これまでの経歴について訊かれたりします。私は専属の運転手です,と答えると,驚かれて,送迎場所に着きます。おそらくは,ここからはもっと具体的な話をしたい大人の人は少なくないはずです。しかし,そのことについて,これまでに訊かれたことがない。不思議とここに例外はありません。私個人の考えですが,式の帰りに交わす現実的な話題は,それが出来るようになるまで,長いステップを必要とするのでしょう。そして,私達が走る道はそれに足りない。だから,私達の会話は簡単に終わります。おまけに大体の人達が,二度とは会わない人達です。最後の一人になるまで見送って,私はまた走り出します。ステアリングを握って,ギアを入れて,アクセルを踏みます。Uターンをして,登っていきます。折り畳む暇がなかった補助席がガタついて,視界がまた変わっていきます。緑が目立ち始めます。次の午後の予約までの時間,するべき事を並べます。整理します。遅れることがあってはなりません。式に影響を及ぼします。だから大事な仕事です。そう自負します。往復します。
はい,おっしゃる通り,私はその場に立ち会うこともあります。迎えに来てもらえますし,終われば送ってもらいます。その時の運転手と,私も会話を交わしますが,その話題が送り迎えに及ぶことはありません。専ら,立ち会えた場面についてのことばかりになります。
とても幸せな時間です。私達には,とても短く思えます。

形式

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-08

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