鍾乳洞のオバチャソ

 マサトは大学生になって初めての夏休みを迎えていた。
 高校生の頃は、大学生になればサークル活動したりコンパしたりで自然と彼女が出来ると思い込んでいた。だが現実は甘くないと直ぐに気付いた。自分は自分なのだ。高校生から大学生へと変わったからといって突然彼女が出来るはずもない。
 高校生の頃の計画通りなら、今頃は水着姿の女子と夏を満喫していただろう。だが現実は違う。マサトと一緒に夏を満喫してくれる相手は高校時代からの腐れ縁とも言える男友達だけであった。 
 車を買ったと浮かれた調子で男友達から電話が来た。ドライブに誘われた時は、もしや女子も参加するのではと夢見たが現実は厳しい。車内に居るのはマサトを含めた男三人、運転手のセイジ、もう一人はトオル、高校時代からの見飽きた顔だ。車内は狭いうえに男臭かった。
 新米運転手のセイジが選んだドライブコースは緩やかで道幅の広い峠道だ。ノロノロと安全運転で進んでいく。車内はむさ苦しくとも窓の外は緑豊かで爽やかであった。運転手が前方に看板を見つけた。
「鍾乳洞だって」
 助手席に座っていたマサトも前方へと視線を走らせる。白いペンキで塗られた看板は、錆により朽ちかけていて不気味だった。“鍾乳洞はこちら”と書かれた赤い手書き文字が、更に不気味さを感じさせる。
「本当だ。こんなところに鍾乳洞が在るんだな」
 後部座席のトオルが「行ってみようぜ」と提案してきた。男ばかりの車内は暑苦しい、鍾乳洞の中は涼しかろうと涼を求めることに話は決まった。勿論、三人が求めるのは涼しさだけではなく女子との出会いも含まれる。男だけで車内に居たんじゃ絶対に出会いは無い。
 道路沿いに立つ看板から脇道へと入るとアスファルトが途切れ砂利道となる。駐車スペースと思わしき広場に辿り着いたが車は一台も止まってなかった。運転手が不安を口にする。
「車が全然停まってないな。此処に停めて良いのかな」
「俺達以外に客が居ないんだろ」
「ってことは女子との出会いも無しか!」
 マサト達は車を降りて周囲を見回した。遠くに古びた民家が見える。互いに不安を口にしながら、とりあえず民家へと歩いた。
 辿り着いた民家は人の気配が無かった。だが軒先に置かれた長机の上には駄菓子やラムネが並んでおり、鍾乳洞に来た客相手に商売をしている様子が伺われた。ラムネは発泡スチロール箱の中で氷漬けにされている。そしてラムネの隣に並べられた木箱には赤い文字の貼紙が付いていた。

―ろうそく 一本 百円 マッチ付き―

 マサトは蝋燭を手に取った。
「此処で売られてるってことは鍾乳洞に入るのに必要なんじゃねえの?」
「洞内に照明設備とか無いのかも」
「すみませーん。どなたか居ませんかーー?」
 トオルが声を張り上げて住人を呼んだが、誰も出てこない。そもそも人がいる気配が無い。
「受付らしい設備もないし、見学が無料なら照明設備なんて無いのかもな」
「じゃあ蝋燭買わないとヤバいな」
 セイジが財布を取り出して机の上に百円玉を置いた。
「なぁ、蝋燭を取って此処に百円置いて行こうぜ」
 マサトとトオルも財布から百円を取り出して並べて置いた。
「この店には盗まれるって意識が無いんだな。ラムネだって心無いヤツがいれば盗んでいきそうだし」
 各々、蝋燭とマッチ箱を頂いた。



***



……真っ暗な鍾乳洞を、蝋燭の明かりだけ頼りに進むのか……。
 我々はこの時点でようやく恐怖心を感じ始めた。だが好奇心とは恐ろしいもので「やめよう」と言い出す者はいなかった。
 民家を後にしてから、どれ程歩いただろうか。道は細く険しくなってきた。いよいよ鍾乳洞の入口が近いのだろう。
 草で覆われた洞窟の入口が見えてきた。その隣には「入口」と書かれてある朽ちた木製の看板が立っていた。
 怖そうだな、緊張する……などと口々に言いながら蝋燭に火を灯す。洞窟の奥からは冷気が漂ってくるのが分かる。これは中の気温が低いからなのか、それとも……?
「おいマサト! 気味の悪いナレーションつけるの止めろよなー!」
「そうだよ! 何で実況中継してるレポーターみたいに話しながら歩いてんだよ」
「探検隊っぽい雰囲気作りをしてるんだろ!!」
 いよいよ、鍾乳洞の中へと進む。深い闇の中に漂う我々の蝋燭は鍾乳洞の生物達を驚かしているのだろうか?ここで改めて紹介をしよう。俺の名はマサト。そして友人二人の名は……まぁいい。
「だからウザい実況中継やめろ!!」
「なんで俺達の名前は、まぁいい。なんだよ!!」
「いいじゃんか実況中継くらい!! 分かった、俺は別行動を取る!!」
「おい!独りじゃ危ないぞ!!」
 心配する友達二人を振り切り、マサトは一人で横道へと進んだ。鍾乳洞とはいえ観光地だ。然程危ないなんてこともないだろうとマサトは気楽な気分でいた。だがその考えが浅はかであることに直ぐ気付くことになる。
「あれ……?」
 行き止まりだ。では来た道を戻ればいい……はずなのだが、戻る道の様子が来た時と違う。これは別の道だ。
 マサトの背中に嫌な汗が流れた。鍾乳洞内には「出口はこちら」なんていう親切な看板は立っていない。此処は遊園地のアトラクションではない。大自然が作り出した洞窟なのだと思い知らされた。蝋燭を持つ自分の周囲以外は真っ暗闇で方向感覚がゼロになる。
 先へ進むのも怖いが立ち止まるのも怖い。とにかく歩かねばならない。友達を探して正規のルートに戻らなくては出口に辿り着けない。蝋燭が燃え尽きてしまえば真っ暗闇になってしまうのだ。
 随分歩いた頃、ようやく先に明かりが見えてきた。自分以外の誰かの存在を感じてマサトは安堵した。
 灯りを目指して進んでいく。その先に見えた物にマサトは己の目を疑う。遠く、明かりの中に浮かび上がって見えてきた物は……茶色くて丸い……
「ちゃぶ台?」
 暗闇の中、行灯の明かりにぼんやり照らし出されていたちゃぶ台に誰かが座っている気配がある。目を凝らすと辺りの異変に気づく。置いてあるのはちゃぶ台だけではなかった。地面には畳が敷かれてあり、隅には茶箪笥まで有る。
「お若いの、道に迷ったのかい……?」
「ひっっ」
 マサトは不意に声を掛けられて肝を冷やした。行灯がスルスルと動いて声の主を照らし出す。マサトは冷静になろうと息を整えてから相手を観察した。
 相手は母親と同年代に見える女性であった。行灯の明かりに照らされて不気味な笑みを浮かべている。
 こんなところに住んでいるのか?いや。冷静に考えるなら、ここに人が住むなど考えられない。人じゃないのかもしれない。マサトは恐る恐る質問をした。
「……もしや、貴方は幽霊ですか?」
「幽霊に見えるかい?」
 質問を質問で返されてマサトは少々イラついた。幽霊に見えるかい?見える……といえば見えるような。大体にして、幽霊など見た事がないから分からない。
 女性の口元が笑いを含んで動き出した。
「幽霊じゃないよ」
「なんだよオバチャン、脅かすなよ!」

――バン!!

オバチャンが力いっぱい、ちゃぶ台を叩いた。
「初対面の女性にオバチャンとはじゃないぁ!!!」

……―かぁ……

……―かぁ……

……―ぁ……

……―……

オバチャンの叫びが静かな鍾乳洞内に響き渡った。
「じゃあ……あの、お、お姉さん……?」
オバ……お姉さんは、人差し指を立てて左右に揺らしながら「チチチッ」と舌を鳴らした。
「オバチャソって呼んで」
「え?オバチャソ……? うわ発音しづらいんだけど」
「スマンはスマソ。ドキュンはドキュソ。知らんのかい? ンをソとするのが流行でしょ」
「随分と昔、某巨大掲示板で流行ってましたけど……」
 マサトの持つ蝋燭からポタリとロウが垂れた。ノンビリと会話をしている場合ではないことを思い出す。蝋燭を使い切ったら御終いだ。呼び名などどうでもいい。それより助けてもらわなくては。
「あの俺、道に迷ってしまって……蝋燭も残り少なくて困っているんです。出口を教えてもらえませんか」
 マサトの問いかけに反応してオバチャソが立ち上がる。茶箪笥から何やら取り出した。
「はいよ、蝋燭一本二千円」
「高っ!! 外の店じゃ百円だったじゃん!!」
 オバチャソの横暴ぶりにマサトは声を荒げた。だがオバチャソは怯まない。
「自動販売機だって山の上じゃ高くなるだろう?鍾乳洞の蝋燭も同じさ」
「ジュースは120円が150円くらいのもんだろ!! 百円が二千円って二十倍だぞ!?」
 オバチャソがニヤリと笑う。
「そうかい、いらないのかい。蝋燭のない鍾乳洞は……さぞかし……真っ暗闇だろうねぇ……ひっひっひっ…………」
 この業突く張りババァめ! 人の足元見やがって!! マサトは心の中で毒づきながらも、後ろポケットから財布を取り出して渋々二千円支払う。
「一本でいいのかい? 二本なら三千円に負けとくよ」
無言で追加の千円を払った。
「マッチはサービスしとくよ」
「ありがとよ……」
オバチャソは茶箪笥から一枚の紙を取り出した。
「鍾乳洞の地図も売ってるよ。これも欲しいかい?」
「地図があるのかよ!! それも売ってくれよ、蝋燭は一本でいいからさ」

「地図は五千円でございます。蝋燭の返品は受け付けておりません」
「五千円!!!!」
 マサトの心中に殺意が芽生えた。いや。たかが八千円で人間一人殺そうとは思わない。だが足元を見る態度が腹立たしかった。
 それにマサトの財布には残り五千円も入っていなかった。さてどうするか?とマサトは思案する。
「負けて」
 まずは正攻法で交渉を持ちかける。だがオバチャソは首を左右に振った。マサトは次なる手を打つ。
「オバチャソ。なんで鍾乳洞に住んでいるんだ? 家は無いのかい?」
 腹立たしくとも発音しづらくともオバチャソと呼ぶ。値切りたいなら下手に出るしかないからだ。
「家なら在るよ。蝋燭を売っていた家が私の家だよ。夏場は暑いから鍾乳洞内で涼を取っているのさ、エコライフってとこだね」
 地球に優しくする前に、俺に優しくしてくれよ。と心の中で突っ込みながら手を打っていく。
「オバチャソって俺の御袋と同年代じゃねえかな。生きてればだけど……」
「お母さんは亡くなったのかい?」
 オバチャソの表情が変わった。よし、このまま泣き落とし作戦だ!マサトの脳内では、母ちゃんが木枯らし吹いちゃ冷たかろうとせっせと手袋を編んでくれていた。
「俺……天涯孤独なんだよね。大学には奨学金で通ってるけど生活費はバイトで稼いでるんだ。地図代支払いたい気持ちは山々だけど金が無いんだよ……」
 項垂れながら、ちょっと目の辺りを擦って見せた。本当はマサトの両親はピンピンしている。昨日は母親がDVDを見ながら体操する震動が煩くて父親が怒っていた。ダイエットしたいなら御友達とランチバイキング行くのを止めなさい!! 正論だ。ちなみに母親は編み物など出来ない。
 オバチャソは、マサトの名演技に釣られたらしく目頭を押さえていた。
「お兄ちゃん……名は何と言うんだい?」
「マサト」
 オバチャソが息を飲んだ。
「マサト!? ……うっ……うう……」
 嗚咽交じりにオバチャソが語りだした。
「死んだ子供と同じ名前だよ……なんて因果だろうねぇ……」
 オバチャソは両手で顔を覆うようにして泣き出した。その様子にマサトは酷い嘘を吐いてしまったことに気付いた。
――俺は……!! なんて酷い嘘を吐いてしまったんだろう!!!!
「夫にも息子にも先立たれてね。息子は生きてれば、あんたと同じ年頃だろうねぇ……いいよ、地図は持って行きな……」
 行灯に照らされたオバチャソの頬には涙の痕が出来ていた。マサトは罪悪感に押しつぶされそうになり財布を取り出した。独りきりで、あの寂しげな民家に住んでいたなんて。
「五千円無いから、地図は三千円に負けてくれないか? これが今の全財産だ」
 オバチャソは受け取れないと拒否を表すように手を振った。マサトは、ちゃぶ台に三千円を置いて地図を取った。
「……いいのかい?」
「ああ。それで上手いメシ食ってくれ」
 オバチャソは三千円を手に取ってから優しく微笑んだ。
「気をつけて帰るんだよ」
 マサトは軽く手を振り、踵を返した。
――袖振り合うも他生の縁、か。
 良いことをしたと気分良く歩くマサトの背後で、オバチャソの叫び声が響いた。
「アディオース!マサートォ!!」
 なんでスペイン語?



***



 地図を頼りに歩いていると友達と別れた道まで戻る事が出来た。ここからなら直ぐに外へ出られるだろう。遠く明かりが見え初めた。気が焦り足が速まる。
 あぁ……眩しい……!! こんなにも世界は眩しかったのか!! 暗闇から外へ飛び出した蝙蝠の気分だ!!
「だからウザい実況中継やめろっての」
「遅かったなマサト。もう少しで消防に連絡しようかと思ったんだぞ」
「まぁ無事で良かった」
 自分で言うなよ。などと談笑しながら三人で来た道を戻る。蝋燭を買った民家まで戻ると人影が見えた。
 マサトは疑問に思う。オバチャソは独り暮らしと言っていたはずだ。
「いらっしゃい、鍾乳洞は如何でしたか?」
 三人に声を掛けて来たのはランニング姿の青年だ。トオルが優等生的な返答をする。
「面白かったです。自然の生み出す造形に感動しました。あ、ラムネ下さい。御幾らですか」
「百円ですよ」
 セイジとトオルは百円を渡してラムネを受け取った。マサトも百円払いラムネを受け取る。
「ボンジョルノ、マサート!」
 声を掛けられ振り向くとオバチャソが歩いてきた。今度はイタリア語かよ。などと呑気にラムネを飲みながら思っているとオバチャソに小突かれた。
「こりゃマサト!ラムネ代、百円払え」
「え?払っただろ?」
 オバチャソが、ニヤリと笑った。最後に見た優しい笑顔じゃなく、最初に会ったときの嫌な笑い方だ。
「お前は鍾乳洞に入る前にも一本飲んだろうが!」
 確かにマサトはラムネを一本拝借していた。
「この店には盗まれるって意識が無いんだな。ラムネだって心無いヤツがいれば盗んでいきそうだし」などと言いながら……。
 マサトはゾクリと寒気を覚える。見られていたのか?いや、そんなはずはない。オバチャソは鍾乳洞の中に居たのだから。鎌を掛けられているかもしれないと、先ずは惚けてみた。
「な、何を証拠に! 俺はラムネなんか盗んじゃいないぞ!!」
「しらばっくれるんじゃない!!」
 背後から、トオルが肩を叩いてきた。
「おい、マサト。誰と話してるんだ?」
「え?誰とって…オバチャソ……」

――ひっひっひっ……

 オバチャソの笑い声が響いた。
「嘘吐いても御見通しだよ……何もかもねえ」
 ランニング姿の青年が、マサトの元に走り寄ってきた。
「あんた、見えるのか?」
 マサトの背中に嫌な汗が流れていく。見えるのか?という質問は、本来見えないはずのモノが見えるのか?という意味だろう。
「俺の死んだ母さん、夏場になると鍾乳洞に現れるんだ」
「もしや貴方の名前はマサトさんでは?」
 ランニングの青年が驚いたように頷いた。
「生きてんじゃねえか、息子!!」
「嘘吐きはお互い様だろう。マサトや、御両親を勝手に殺しちゃいかんぞ」
 オバチャソの手がマサトの背中を叩く。その冷たさに背筋が凍った。
「はい! スミマセン!!」
 マサトは最敬礼の角度で頭を下げた。鍾乳洞に入る前にも一本飲んだのでと、息子のマサトさんに百円支払う。
「はい、支払いましたよ……オバチャソ?」
 辺りを見回したが、既にオバチャソの姿は無かった。



 マサトは帰りの車内でオバチャソの話をした。
「良かったじゃん、女子と知り合えて」
 運転手のセイジが半笑いで相槌を打っている。
「女子って年齢じゃないし、その前に人間じゃないし」
 後部座席のトオルは無邪気な声で笑う。
「アディオース! マサートォー!!」
遠くからオバチャソの叫び声が聞こえた。
「お、おい! 今の声、聞こえたか?」
 マサトは二人に確認したが、爆笑するばかりで答えてくれない。
「オカルトこわーい!」
「こわーい止めてー!!」
「お前ら信じてないだろ!!」
マサトは車内から後ろを振り向いてみたが、オバチャソの姿は見えなかった。

アディオス、オバチャソ。

鍾乳洞のオバチャソ

鍾乳洞のオバチャソ

真冬真っ直中に真夏の話ですみません。暖かいお部屋で夏に想いを馳せながらお読みください。楽しんでいただけたら幸いです。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ホラー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-07

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