神斟物経酌語

『季節は夏ということもあり、醤油だれに二日間浸された柿崎は仄かな甘味とコクを感じさせるハラペーニョへと変貌を遂げていた。

「圭二………」

上野が溜め息混じりに柿崎の名を呟くと、柿崎は茎を横に降った。

「違うぜ、上野。俺は圭三、柿崎圭三だ。圭二は俺の叔父の名前さ」

「………なんだと?」

上野は自身の耳を疑った。飲み会の度に記憶力の良さだけを自慢してきた上野からすると、柿崎の名を間違えたことは、路肩で放尿している所を妻の友人に目撃される事より耐え難い屈辱であったのだ。

「圭三だと………。そんなバカな………」

上野は頭を抱え、両肘両膝のみを地面に着けた状態から逆立ちをし、つむじを軸に高速回転を開始した。アスファルトが瞬く間に削れていき、無数の水道管が顔を出す。その様子は正に、春先にひょっこりと現れる可愛らしいつくしそのものであった。
かの世界的ピアニスト、シルフェート・マッキンリーはこの光景を妻のサルヴェイ・J・マッキンリーへの手紙にこう書き記している。

『僕は未だかつてあんな素晴らしい場面を目にしたことがないよ。一人の男が、まるで、魔法のようにつくしを生み出していくんだ。名状しがたい、素晴らしく美しい光景だった。興奮を押さえきれなくなった僕は、ついついその男に話しかけてしまったんだ。
「その技の名前を教えて下さい」
ってね。そしたらその男、何て答えたと思う?
「カキザキケイゾウ」
だってさ!何てユーモアに溢れた男だろうと思ったね。勢い余ってその男のサインまでもらっちゃったよ。今でもそのサインを見るたび、あのときの興奮がフラッシュバックされるんだ。サルヴェイ、君の言う通り旅行先を日本に決めて良かったよ。おかげで仕事に復帰することが出来そうだ。』

「なんですって!?」

 シルフェートからの手紙を受け取ったサルヴェイはひどく狼狽した。執事のケネディはその声を聞きつけ、サルヴェイの元へと駆け寄った。

「どうかしたのですか?奥様………」

「どうしたもこうしたもないわよ!この手紙を読んで!」

ケネディが手紙を受け取ると、サルヴェイは大きく溜め息をついた。

「こんなことになるなんて………予想だにしてなかったわ………」

「お、奥様………これは一体………」

「シルフェートからの手紙よ。………まさか、こんなことになるだなんて………やっぱり旅行なんかさせるんじゃなかった………」

「奥様………」

ケネディの耳にサルヴェイの言葉は入っていなかった。ケネディはサルヴェイのスラリとした肢体に釘付けだったからである。
サルヴェイは一日23時間のトレーニングを欠かさなかった。よって常に健康的な身体であったのだが、痩せすぎることは決してなく、程よい肉付きと見るもの全てを魅了する天性の器量を持ち合わせていた。かつて彼女に言い寄ってきた男は数知れず、シルフェートの妻となった今でも、彼女に恋心を抱く男は尽きることを知らなかった。ケネディもまた、彼女に恋をした愚かな男の一人である。

「お………お………奥様ぁぁぁぁぁ!!」

ケネディのリビドーは遂に限界を迎えた。まるでビールかけの如く精巣がうち震え、シャンパンのコルクのように彼から原液が射出された。
ヘロインの与える快感はオーガズムの数万倍とまで言われているが、彼の感じた快感はその数億倍とまで言えよう。サルヴェイに凝視されながら果てるという羞恥は、一種のマゾヒズムに近い性癖をケネディに植え付けた。人間の生殖本能がこれ程の快楽を生み出せることを知ったケネディは、宇宙の真理を理解したという。
しかし、最上の快楽の先に待っているものは、最上の絶望である。全てを吐き出したケネディは、深い深い悲しみに満ちた世界へ落ちていった。宇宙を悟り、全てを失った彼に、人間としての感情はないに等しい。

"賢者と愚者は限りなく近い存在である"

哲学者、A・シードが生前残した言葉を、ケネディは一生忘れることはなかったという。』


 ここまでの文章をワープロに打ち込んだ私は椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。
深夜0時、今近所で開いている店といったらセブンイレブン以外に存在しない。田舎はこれだから嫌なのだ。せめてファミリーマートがあれば良いのだが、なぜか私の住むアパートから最も近いファミリーマートまで5000キロは離れている。

「………異常だ」

そう呟いた声すらも、虚空の彼方へと消え去って行く。孤独とは、常に悲しいものである。

「………コンビニ行くか」

そう呟いた声すらも、虚空の彼方へと消え去って行く。孤独とは、常に悲しいものである。

 だらだらと3000キロばかり歩いて近所のセブンイレブンまで行くと、そこには見慣れない女の姿があった。
赤い眼鏡に赤い日傘、真っ赤なブラウスと深紅のハイヒールを身につけ、赤色の瞳をした赤い肌の女である。私は彼女に青女というあだ名を付けた。見た目は赤いのに青という名前を付けることで、趣のある感じを出そうと試みたのだ。

「趣って何だっけ………」

そう呟いた声すらも、虚空の彼方へと消え去って行く。孤独とは、常に悲しいものである。

私はセブンイレブンでからあげクンのファミチキ味を購入し、店を出た。すると、青女がおもむろに私に話しかけるのであった。

「あの………この辺にコンビニってありませんか?」

目の前にセブンイレブンがあるではないか、と私は思ったが、恐らくそういう事ではないのだろうと私は考えた。
彼女の言う『コンビニ』………それは所謂『convenience store』ではなく、『confuse beginning』の略ではないだろうか。

「申し訳ない、私は英語とかいう下等言語に頼らない生活を送っているのでね。そういう話は田邊真一とかにしてくれたまえ。はっはっは」

そう呟いた声すらも、虚空の彼方へと消え去って行く。孤独とは、常に悲しいものである。

神斟物経酌語

神斟物経酌語

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-06

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