肺も凍る、夜

 りんご、のように赤いほっぺの女の子が、二十八時の、雪が降る夜の町の、とっくにシャッターがおりた本屋さんの前で、二本の角がはえたヒトといっしょにいて、二本の角がはえたヒトは、雄か、雌か、判然としないのだけれど、女の子は、まぎれもなく女の子であった。おそらく五歳、六歳くらいと思われた。この国では、十五歳までの女の子は、スカートをはく決まりであるため、ぼくもスカートをはいているが、ぼくは、スカートよりも、ズボンをはきたい人で、二本の角のヒトは、ズボンをはいていたけれど、十五歳をすぎれば女の子も、ズボンをはいていいことになっているから、はいているものだけでは、雄だか、雌だかは、やっぱりわからないのだった。
 ぼくは、眠っている、というより、死んでいる、ように静かな二十八時の町が、好きなのだった。だから、ぼくは雪の中でも、二十八時になると、死んでいるような町を、あてもなくさまよう、のであって、目が三つあるヒトや、腕が地面につきそうなくらい長いヒトや、右と、左の顔がちがうヒトなんかに遭遇する確率が、高いのだった。けれど、りんご、のように赤いほっぺの女の子は、まぎれもなく女の子であり、疑う余地もなく、人間であった。

(あ、小説を書こう)

 ぼくは思った。
 頭に二本の角をはやした、雄だか、雌だか不明なヒトと、女の子の物語を書こう、と思った。
 ふたりは二十八時の、死んでいるような町の住人である。死んでいるような町は、いわば仮死状態であり、陽が昇ると息を吹き返す。町の目覚めは、すなわち、ふたりの就寝につながる。
 二本の角のヒトは、女の子の育ての親、とする。ぼくたち人間が活動している昼間に、ふたりは惰眠をむさぼる。ぼくたち人間が眠る頃に、ふたりは起き出して、ごはんをたべる。こんがりきつね色に焼いたトーストに、りんごのジャムをたっぷりと、あたたかいコーンポタージュと、かりかりベーコン、フォークを突き立てると、ぷつっと裂けて溢れ出す半熟黄身の、目玉焼き。
 二本の角のヒトの職業は、自由業とする。お金には、さほど困っていない。身の丈にあわぬゼイタクさえしなければ、女の子を養いながら積み立てもできる、ような甲斐性を、二本の角のヒトは持ち合わせているものとする。
 女の子は、わがままをいうと捨てられる、と思っているものとする。泣いたら叩かれる、とも。けれど、二本の角のヒトは、泣いたくらいでは手をあげたりしない。ごはんを残したくらいで、ヒステリックに怒鳴ったりしない。粗相をしたくらいで、外にしめだしたり、しない。
 ぼくは二十八時の、仮死状態の、白く染まってゆく町並みを眺めながら、歩く。頭の中では、雄かも雌かもわからぬ、二本の角がはえたヒトと、りんごのように赤いほっぺの女の子が、手をつないで、おなじ景色の中を歩いている。途中、瞳が水晶のヒトとすれちがう。単眼の巨人とも。息を吸うと、つめたい空気とともに雪が、はいりこんでくる。ぼくは誰も読んでくれなくとも、小説を書こうと思う。肺も凍る、十四の夜である。

肺も凍る、夜

肺も凍る、夜

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-05

CC BY-NC-ND
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