*星空文庫

わたし日記

N村Kタロウ 作

  1. 江戸っ子オヤジの怒り
  2. コーヒーカップ
  3. 自己嫌悪
  4. 書店にて
  5. 共感
  6. 暗闇に目を凝らせ

※「わたし日記」はフィクションです。僕はわたしではありません。 

江戸っ子オヤジの怒り

江戸っ子オヤジの怒り

「お嬢ちゃん、ウチはジイさんの代から真っ当に商売してる寿司屋だよ。ポストコロニアリズムの話なんざァ願い下げだ。とっとと出てってくんな!!」
 どんと背中を押されて、がらがらぴしゃんとガラス戸の閉まる音を聞いた。呆然としたまま惰性で二、三歩、ブーツの足を歩道に踏み出す。
 わたしはのろのろとコートに袖を通し、マフラーを巻きなおした。
 春とも思えない北風が、夕暮れの雲を引きちぎって浜離宮の方へ運ぶ。
 カウンターの上ではまだわたしのお茶が湯気を立てているはずだ。
 そして、ああ、いまだ箸をつけてもいない、きらきらとしたハマチ。
 JRのガード下で、思う。
 あんなこと、言うんじゃなかったな。

コーヒーカップ

コーヒーカップ

「君のそういうところが嫌なんだ。許せないんだ」とあなたが言った。
 わたしは驚いてコーヒーカップから顔を上げる。
 あなたの顔には、怒りよりも疲れがあった。
「わたし……」とわたしは言う。「いま、何を言ったっけ? あなたを怒らせるようなこと言った?」
「真剣に言ってるのか? 本当に何も分かってないんだな、君という女は」
 その通りだった。
 わたしには、分からない。
 ここはどこなのか。あなたは誰なのか。今はいつなのか。わたしは誰なのか。
 ニュース速報のチャイムが聞こえる。
 ぴんこんぴんこんぴんこんぴんこん。
 わたしはただ、驚くしかない。
 あなたが怒っていることに。あなたがいることに。わたしがいることに。世界があることに。誰かがテレビを見ていることに。
 ぴんこんぴんこんぴんこん。

自己嫌悪

自己嫌悪

「あなたの最大の敵はね、あなた自身なのよ」
 とか言うのだ、ひとが気持ちよく飲んでるのに。
 わたしは視線を上げないで、グラスをのぞき込む格好のままで生返事をする。
「はあ」
「あなたの自意識が、ただそれだけが、あなたの邪魔をしているの。他の誰のせいでもないわ」
「まあ、そうかも知れませんけど」
 曖昧に答えて、わたしはグラスを揺する。氷をかろころと鳴らす。気持ちのいい春の夜なのに、なんで放っといてくれないんだろう。わたしの邪魔をしているのは、あなたでしょ。他の誰でもないじゃん。
「つり橋を渡るのが怖いのは、どうしてだと思う?」
 話はまだ続くのだった。わたしはあくびをかみ殺す。
「……高いからでしょう?」
「下を見てしまうからよ。いちばん強いのは、そこがつり橋であることすら知らない人間。知らなければ、目をつぶってたって渡れてしまうものよ」
 眉にぴくっと来た。くだらない。お説教はいいかげんにしてよ。
 わたしは顔を上げる。
「さっきから、いったい何が言いたいんですか? こんなやりとり、無駄だと思いません?」
「そうよ。こんなやりとりは無駄だって、わたしはさっきからそう言ってるの」
 と、わたしが答えた。他の誰でもなく。
 
 ひとが気持ちよく飲んでるのにさ。

書店にて

書店にて

 大好きな作家の新刊がひっそりと棚のすみっこに出ていたから、レジにもっていった。
 エプロンのポケットにボールペンをずらりとさした、白髪混じりのおじさんの店員さんが、バーコードをぴっぴっとしながら、口をゆがめて眉をしかめた。
「1890円になりますが、ね」と店員さんは言った。
 わたしが二千円札を差し出すと、店員さんは本をごとんと乱暴にカウンターに置いて、お金を受け取ろうとしない。
「カバーはご入用ですかね。ま、そもそも、こんな本をお買い上げになること自体、おすすめしませんが、ね」
「カバーはけっこうですけど……」
 わたしはびっくりしていて、次の言葉が出なかった。
「カバーをかける値打ちも無い本ですが、ね」
 と店員さんは言って、汚いものをさわるみたいに、本を指の背でわたしの方へ押しやった。
「お嬢さん、この本の――この、本と称するものの著者が、どれだけ売国的な人間か、ご存知でお買い上げなんですか、ね」
「売国的?」
「この作家――作家と称する下司野郎は、祖国日本に唾する、誠に忌むべき人物なんですが、ね。ご存知ではない、と?」
「……はあ、よく分かりません……」
 わたしは本と入れ違いに、二千円札を店員さんの方に押しやった。
「じゃ、110円のお返しになりますが、ね」
 店員さんはわたしの手のひらに硬貨をちゃりんと置いて、そのままわたしの手をぐっと握った。
「あなたのような、お若い方が、こんな人間の駄文に毒されないように、願っておりますが、ね。老婆心ながら」
「……」
「ま、とにかく、毎度ありがとうございました、と言わざるを得ませんが、ね」
 本屋を出るとすぐに、わたしはトイレで手を洗った。
 ごしごし洗った。だって煙草のひどいにおいがしたから。
 バカみたい。
 入荷しなきゃいいじゃん、ね?

共感

共感

 そうか。君は今、誰にも会いたくないし、誰とも話したくないんだね?
 わかるよ、そういう気持ち。
 嘘じゃない。よくわかるんだ。僕も今ちょうどそんな気分だ。
 ほんとうさ。誰とも話したくない。
 世界中がみんな僕に余計な口出しをしようとする。なんで放っておいてくれないだ! 僕をひとりにしてくれ! って、そんな気分さ。
 ね、同じだろう?
 うん。君とは気が合いそうだな。
 僕らはね、同類なんだ。前から薄々そう感じていたけど。
 そのことについて一晩ゆっくり話さないか?
 ……君さえよければ、この上に部屋をとるからさ。
 
 と、その男はわたしに言った。
 馬鹿じゃねーの。

暗闇に目を凝らせ

暗闇に目を凝らせ

「なにもかも全て、無意味なの。この世界には意味なんて無いの。それはペシミズムでもなんでもない、当たり前のことなのよ。だからそれを受け入れて生きるほかない。意味のあるものなんて何一つないんだ、って心の底から納得できたときに、まるで暗闇で目を凝らした時にかすかに見えてくる小さな灯火みたいなものが、冷え切った心の底の底で、自分を温めていることに気づくの。つまりそれが、生きているっていうことなのね」
「はあ、そうですか……」
「だから意味が無いなんて言わないで、オーガニックアロマフェイシャルエステ体験コース、今週は30%オフよ。ほらそこのビルの二階。どうかしら?」
「結構です」とわたしは言った。

『わたし日記』

よく分かんないですよね。ごめんなさい。何でこんなの書いたんだろう…。

『わたし日記』 N村Kタロウ 作

数年前にブログに時々書いていたシリーズです。小説とも呼べません。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-01-04
Copyrighted

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