騎士物語 第五話 ~夜の国~ 第六章 異文化交流

第五話の六章です。
魔人族という種族が住む世界の紹介ですね。

第六章 異文化交流


「恋愛マスターに会った? またいきなりね。」

 半分お姉ちゃんの着せ替え人形になってた気がする試着地獄から帰ってきたら十時くらいで、ご飯も食べてきたから、あたしたちはそれぞれの部屋に戻った。
 入学してからしばらくは一人暮らしみたいなモノだったから、帰って来た時に「おかえり」っていう言葉がくるのはなんか嬉しいわ。しかもその相手があたしの好きな――な、なんでもないわよなんでも!
 と、とにかくそうやって帰ってきたら当たり前だけどロイドがいて、あたしがちゃちゃっとシャワーを浴びて魔法で髪を乾かしてたら男連中で夕ご飯を食べに行った時に恋愛マスターに会ったって話を……なんていうか、神妙な顔で始めた。
「色々わかって……詳しい事はみんながいる時に話そうと思うんだ。その、ふ、副作用の事とかもあるわけだし……ただ、これだけはエリルに話しておかないとと思って。」
「なによ。」
「……結論を言うと……オレが忘れている一年の間に、オレとミラちゃんは……たぶん、こ、恋人――的な関係だったと思う。」
「……ふぅん。」
「わ、忘れた理由ってのがその、恋愛マスターのミスっていうか無意識なんだけど、それでも恋愛マスターの力は恋愛関係にしか影響しないはずで、だ、だから――」
「詳しい事はみんながいる時なんでしょ……それで、なによ。」
「う、うん。つ、つまりオレが言いたいのは――」

 色んな想像が頭の中をよぎって、嫌なモノが通り過ぎた時には胸が痛くなった。
 だけど――

「記憶が戻った時、オレの気持ちがどうなるかは正直わからない。だけど、少なくとも今、この時、オレが好きだって思う女の子は――エリルだ。」

 普段からこっちの顔を赤くすることばっかり言うこいつでもそうは言わない――ここぞって時の緊張した表情と声色であたしの耳に届いたそんな言葉は、あたしの中にすぅっと染み込んでいった。

「……普通、そういう時は記憶が戻っても好きだって言うところよ……」
「い、いやだって……」
「それに……例えそうなってもそれで終わりになんかしないわ。」
「?」
「ローゼルたちがやってる事をあ、あたしもやるまでよ……」
「そ、それってその……」
 赤くなるロイドを見てあたしも顔が熱くなる。
「あ、あんたはどうなのよあんたは!」
「オ、オレ?」
「あ、あたしが……他の男を好きになっちゃったりしたらどうするのってことよ!」
「そりゃあ奪い返しに行くけど。」
「――!!」
 照れる感じでも焦る感じでもない、まるでそれが当たり前ってくらいに普通にロイドは言ってくれた。なんだかすごく胸が熱くなったんだけど――その後、ロイドは首を傾げた。
「でも……どうすればいいんだろう。」
「なにがよ。」
「いや、ほら……女の子には男の子を……こう、誘惑――する武器がたくさんあるだろう? あ、あれとかそれとか……エ、エロい感じだったり色っぽかったり……」
 気まずそうに、胸とか腰の辺りでジェスチャーしながら話すロイドが言おうとしてることはすぐにわかったけど……
「……変態。」
「しょ、しょうがないんです! 目が行くんです!」
「……それで、それがなんなのよ。」
「だ、だから女の子はそういうのがあるけど、男の子には女の子を誘惑する武器って無いんじゃないかなって思ったんだよ……つまりその……男の色気的な?」
「気持ち悪い言葉使うんじゃないわよ……」
「気持ち悪い言うなよ……ほ、ほら、エリルから見てオレに……こう、グッとくるような場所はあるか?」
「別にないわ。」
「……それはそれでショックだ……」
 しょぼんってなるロイドを横目に、あたしはぼんやりと考えてみる。
「男の色気……ようは目が行くようなところって事よね? やっぱり筋肉とかなんじゃないの?」
「じゃないのって、女の子のエリルがそんな他人事に……」
「うっさいわね。」
「筋肉か……でもあり過ぎるのもあれなんだろう? 彫刻みたいな肉体美的なのが色気か?」
 バカな事をまぬけな顔で考えるロイド。さっきはああ言ったけど……そりゃあ、あたしはこいつがす――好きなんだから、グッとくる場所みたいなのがないわけないじゃない……
 ちょっとアレなとことか、ああ言ったあとのアレとかその前のアレとか……
「う。」
 あたしが色々考えて恥ずかしくなってきたあたりで、ロイドが……なんか嫌なモノを見つけたような顔になった。
「どうしたのよ、いきなり。」
「……色気色気考えてたら、旅の途中で会った変な奴を思い出したんだよ……」
「また女?」
「男です! オレにも男友達いるんです!」
「色気色気言う男? 何よそれ。」
「そういう趣味っていうか研究っていうか……んまぁ悪い奴じゃないんだけど。」
「……あんたの旅の知り合いって変なのばっかりね。」
「失礼な。」


 次の日、いつもなら食堂で色々話しちゃうんだけど、恋愛マスターっていう占い師が思ってた以上に大物らしいから、一応周りを気にした結果――まぁ、それでもいつも通りに放課後、あたしとロイドの部屋に『ビックリ箱騎士団』を集めて、ロイドは恋愛マスターに会ってわかった事を全員に話した。

 一つ、ロイドの失われた一年分の記憶っていうのは願いを叶える為の代償じゃなく、恋愛マスターのちょっとしたミスが原因だったって事。異種間の恋愛を無意識にないものとしてたせいで、願いを叶えた瞬間にカーミラたち魔人族との……れ、恋愛絡みの記憶が封じられちゃったらしい。カーミラが自分で思い出したのもあるし、これは頑張れば思い出せるみたいね。

 二つ、願いを叶えた事によって、恋愛マスターにもどうにもならないところで起きてしまう副作用。ロイドのそれは前にローゼルが立てた仮説がそのまま正解だったらしい。恋愛マスターがそうだって言ったわけじゃないみたいなんだけど、「副作用によってハーレムが出来上がってる」って言ったらしいから、たぶん正解。

 三つ……ここからは新しい情報で、まずロイドの代償が謎っていうこと。記憶が代償かと思いきや、それは恋愛マスターのミスだったわけだから、じゃあ一体何を? って話になる。恋愛マスターによると、この代償っていうのは恋愛マスターが奪ってるんじゃなくて……なんか、世界が奪ってる……らしい。こういう願いならこういう代償っていうのがある程度決まってるらしくて、何回か叶えた事のある願いなら恋愛マスターにも大体わかるけど、珍しい願いをされると予想がつかないとか。

 四つ……これも謎って話だけど、ロイドが……両親を失った日の記憶がパムのと合ってない事について。まさかこんな事件の中に恋愛要素なんてあるわけないから恋愛マスターは関係ないってことで、この時の記憶が変なのには別の理由があるみたい。

 五つ……謎ばっかりだけどそもそもにして恋愛マスターっていう存在の謎。恋愛マスターが残した「三人の王」っていう言葉しか手がかりがないんだけど、ロイドの話じゃ、プリオルが「彼女は人間を超える存在」みたいな事を言ってたらしいから、ただ単に凄腕の魔法使いってわけじゃなさそうね。

「なるほど。今回最も重要な情報はわたしの仮説が正解だったという点だな。」
「えぇ!? い、いやまぁ重要だけど……」
「んもー、じゃーこれからもロイくんはボク以外の女の子とイチャイチャする機会がそこそこあるってこと? ロイくんてば、浮気はダメなんだからね。」
「……もしかしてだけどー……あたしがセイリオスに来たのもなんだかんだで実はロイドの副作用の力だったりするのかなー。」
 アンジュがそう言うと、ロイドは申し訳なさそうな顔になる。
「ご、ごめんね。迷惑な感じで……もしかしてオレって、アンジュの……その、人生を狂わせちゃったりしばっ!」
 下を向くロイドの顔をバチーンとアンジュの両手が挟み込んだ。
「そーゆー考え方は良くないよー。世の中のカップル全員が「自分に会わなければもっといい人に会えたかも」って考えだしたら悲しいでしょー。むしろあたしは嬉しいんだからー。」
「ほぇ?」
「ロイドの副作用ってさ、逆に言ったら――もしかしたら一生出会えなかったかもしれない「本気で好きになる相手」に出会えるチャンスを、ロイドをそういう相手だと思う女の子に与える事になってるんだよー。これって素敵だよね?」
「ほ、ほうはな……」
「まー、おかげでこんなに大変な恋の戦争をしなくちゃいけなくなったけどねー。」
 あたしたちを見ながらふふんって笑うアンジュ。
「で、でも本当に……そ、そうやってたくさん人の……運命みたいなモノを操れるれ、恋愛マスターってどういう人……なんだろう……?」
「三人の王……少なくとも、あたしはそういうのを聞いた事はないわよ。」
「ふむ。きっと王族という意味の王ではなく、何かの比喩として「王」という言葉を使っているのだろうな。」
「支配者とかの意味かもねー。てゆーか、そういう人があと二人いるって事だよねー。」
 別に一大事ってわけじゃないけど、今まで知らなかったそういう存在がいるっていう事に思わずため息が出るあたしたちを見て、ロイドが――一番気になってるクセに話題を変えた。
「んまぁ、わからないものはわからないよ。これは今度フィリウスにでも聞いてみるとして……みんなはどうだったんだ? その――えっと、服選び。」
「全員お姉ちゃんの着せ替え人形にされたわよ。」
「まぁ確かに。しかしその甲斐はあったとも。期待しているといいぞ、ロイドくん。」
「は、はぁ……」
「そーだロイド。ドレス選んでる時にみんなで思ったんだけどさー。スピエルドルフで嫌がられる服とかってあったりするのー?」
「えぇ?」
「あーつまりな。国によっては……例えば女性は顔を隠すモノだったりと、習慣が異なる事があるだろう? スピエルドルフにそういうのはないのかと思ったのだ。」
「ああ……そっか。そういえばオレも、スピエルドルフに初めて行った時は入国する前にフィリウスから色々な注意事項を教えてもらったよ。そうだな、話しておかないとね。」
 ぺたんと床に座り込むロイドにつづいて全員が床に座ったところで、スピエルドルフ講座が始まった。
「魔人族の国であるスピエルドルフに行くにあたって、知っておきたい――というか理解しておいて欲しいことは二つ。彼らは人間よりも強い存在だけど人間には大して興味がないって事と、友達になれるって事。」
「……その二つ、矛盾してるわよ?」
「そうなんだけど、別に変でもないんだ。とりあえず最初の方から説明するけど……魔人族は魔法器官を持っているから魔法の能力が高い。だけどそんなのよりもそもそも、身体能力が人間とは比較にならないほどに高い。例えばみんなも会ったストカだけど――」
「そこで女の子の方を例に出すところが女ったらしロイドだよねー。」
「変な呼び方しないでアンジュ! た、単純にユーリの身体が規格外だからストカにしただけだよ……あ、あとついでに言うけどアンジュ、そそ、その座り方だとパ、パンツが見え……るから!」
「やだなー、見せてるんだよー。」
「も、もぅ……」
 顔を赤くしたロイドは、ちょっと目線をずらして続きを話す。
 っていうかアンジュはいつか茹でてやるわ。
「ま、魔人族の身体能力がどれだけすごいかって言うと、別に魔人族の中じゃ力自慢でもないストカがフィリウスと腕相撲でいい勝負ができるくらいにすごい。」
「筋肉の塊みたいなフィリウスさんとストカがいい勝負?」
「ああ。つまりフィリウスみたいな筋力が魔人族にとってはまぁまぁ普通レベルの筋力なんだよ。」
「信じられないわね……」
「ちなみにストカは脚がすごく速いんだけど、たぶんオレの全力の風移動よりも速い。ほとんどリリーちゃんの瞬間移動レベルだと思う。」
「しかし……そんなストカくんでも護衛見習いなのだろう? おそろしい話だが……そんな魔人族に世界を握られていないのは、さっき言った「大して興味がない」という点につながるのだろうな。」
「うん。興味がないっていうとちょっとイメージ悪いかもしれないけど……要するに、オレたちがゴキブリを見つけた時に問答無用でやっつけるほどに嫌いでもなければ、犬とか猫みたいに可愛がる対象でもないってこと。その上魔人族は数が少ない種族だからそんなに広い領土はいらないし、ずっと昔に統一されているから国はスピエルドルフしかない。夜の魔法が覆っている範囲だけあれば十分だから人間と争う理由もないんだ。」
「……仮に人間が何らかの理由で戦いを挑んできても軽くあしらえてしまうだろうしな……つまり彼らにとって人間とは、わたしたちにとっての……そうだな、例えるなら森の中で勝手に巣を作って勝手に生きている野生の生き物ような感じなのだろうな……」
「そんな感じかな。もっと言うと……人間の中でも、野生の生き物を狩りの対象として特に意味もなく殺す人がいれば保護して育てて可愛がる人がいるのと同じように、すごく嫌ってて殺しにかかってくる魔人族がいれば仲良くなろうとして近づいてくる魔人族もいる。」
「なるほど。興味がないと言うよりは、魔人族だからという理由で何かしらの特別な感情を全ての魔人族が人間に対して抱いているわけではないという……何のことは無い、普通の感想を持っているだけなのだな。」
「うん……だからみんなに分かって欲しいのは……例えばの話、凶悪な人間の犯罪者の手によって罪もない人間が殺されていても、それをぼーっと眺めていたり無視したりする魔人族はそこそこいるよって事なんだ。決して冷酷っていうんじゃなくて、単に……オレたちで言うところの、野生動物の縄張り争いを眺めるような気分にしかならないってだけなんだ。」
 ……なまじ似たような姿だったり同じ言葉をしゃべったりするから誤解しちゃうんだわ。きっと、今のロイドの話を聞いてない状態でそんな場面に出くわしたら……ううん、きっと話を聞いた今のあたしでも、そんな魔人族がいたら「冷酷な奴」、「心の無い奴」とか言うと思う。
 難しい問題だわ。
「それでロイくん。二つ目のお友達になれるっていうのは?」
「そのままの意味というか……えっと、今話したみたいにさ、根本的に別の種族だから魔人族は人間にそんなに関心がなくて、でもってオレたち人間も、自分たちと見た目が全然違うから魔人族を……こう、変な目で見がちなんだ。だけど――」
 ちょっと暗い顔で話してたロイドの表情がふっと明るくなる。
「目がたくさんあったり腕がいっぱいあったりしても、話せばオレたちと変わらないんだ。ケンカしたら絶対負けるけど、だからって仲良くなれないわけじゃないから――そういう気持ちでいて欲しいんだ。」
「……あんた、その内魔人族と人間の架け橋みたいな立ち位置になりそうね。親善大使みたいな。」
「えぇ?」
「心配するなロイドくん。カーミラくんらと出会った事で、既にわたしたちの中の魔人族の印象は良いモノになっている。」
「へぇー。ローゼルちゃんってば、あんな恋敵に好印象なんだ。」
 意地の悪い顔でにししと笑うリリーに対して、ローゼルは――別にそうしなくても普段から前に出てる胸を張って腰に手をあてる。
「ふふん。負けるつもりはさらさらないが、しかして好敵手にはなるだろうさ。」
「ロゼちゃん、強気だね……い、一応女王様……だよ……?」
「わたしは女神だからな。」
 高嶺の花代表みたいな『水氷の女神』はむかつくほどに偉そうで……そんなローゼルを見たロイドがこう言った。
「あはは、ローゼルさんの、そういう毒舌混じりで自信満々なところは好きだな。」
「――!」
 いきなり「好き」って単語が発射されて、ローゼルは変な顔で固まった。
「あんたねぇ……」
「ロイくんてば!」
「ロ、ロイドくん……」
「ロイドはこれだからなー。」
「え――えぇ?」



 今週は色々あったけど、ともあれ週末がやってきた。今日はミラちゃんのところ――スピエルドルフを訪ねる日。久しぶりで懐かしいっていう思いと、記憶が戻るかもという期待と……んまぁ色々思うところのある今日この頃、オレはベッドから出て朝日を拝むために窓のカーテンを開けた。
「……?」
 えぇっと……どういう事なのやら、窓の向こうにある庭に全身黒こげになった誰かがうつ伏せで寝ていて、その隣にジャージ姿で槍を持った先生が立っていた。
「サードニクス。お前の師匠のスケベさをなんとかしろ。」
「師匠――え、それフィリウスですか!?」
 ブスブスと煙のあがる黒い人物に目線を落とすと、頭の部分がバッと横に――先生の方に向いた。
「誤解だぞ教官! 俺様は大将に会いに来ただけだ!」
「朝っぱらから女子寮の庭に侵入する理由にはならねーよ。とりあえずこっち来い筋肉ダルマ、学院長に雷落としてもらう。」
「たった今落雷を受けたのにか! 大将、朝飯の時に会おう!」
「あ、ああ……」
 なんとかしろと言われてもフィリウスのああいうところには慣れてしまっていて……しかしいざあれが師匠となると少し恥ずかしい気もしてくるという何とも言えない気分になったところで、オレはふっと息をはいた。
「よし、とりあえずエリルを起こそう。」
 部屋を横断しているカーテンをくぐり、その向こうにあるベッドの上を見た瞬間――愉快な師匠のせいで生じた微妙な気分はパッと消え去り、オレは目の前のエリルにドキッとしていた。
 エリルの寝相はかなり良くて、基本的には仰向けなのだが今日はたまにある横向きで……今のオレには布団にくるまるエリルの顔がよく見えている。
 吸血鬼の力の暴走の時はさすが吸血鬼というか、エリルの首を見た時にヤバメな衝動が湧き上がった。ならば、普段のオレは何にドキリとするのだろうか。
 聞いてもいないのに教えてくれたのだが、フィリウスのドキリポイントは「スタイリッシュな太もも」らしいが……
「ふぅむ。オレは今エリルの何にドキッとしたんだ?」
 ベッドの傍まで行き、エリルの顔を覗き込む。ふわりといい匂いがする中、オレはエリルの寝顔をまじまじと眺める。
「……みんなにキ、キスされたりしたせいで唇にはドキドキするけど……それがオレのそれなのかな……目元……髪? うーん。」
 こんなにじっくり誰かの顔を見るのは初めてかもしれない。
 というかしかし――
「うん……オレの恋人は――ふへへ、やっぱり可愛いなぁ。」
 我ながら恥ずかしい事を言いながら気持ち悪い笑いが出たものだと、言った後に若干自己嫌悪に入ったのだが……その時、エリルの顔がふるふると震えながらみるみる赤くなっていくのに気が付いた。
「!?!? ぶぇ、ば――エ、エリル? も、もしかして起きていらっしゃいました……?」
 ベクトルは違うけどレベルとしてはお風呂場に突撃してみんなに――あ、あれな感じなあれをした時と同等の焦りを覚えるオレの目の前、エリルはゆっくりと目を開いていく。

「この――バカ……」

 ものすごく恥ずかしそうに瞳を潤ませ、ものすごく怒っているようにも見えるドキドキしてしまう顔をしたエリルから、いつものように燃え盛る拳が飛んでくると思ってガードの準備をしていたのだが――エリルはふるふる震えるだけだった。
「ど、どうしてくれるのよこの空気! 朝からバ、バカじゃないのこのバカ!」
 真っ赤なエリルが後押しとなり、たぶん史上最高に恥ずかしくなったオレの頭の中は一瞬で真っ白になった。
「わ、だ、ばっ! ご、ごめん! オレもなんかどうにかしてた感じでえっとえっと――どど、どうしましょう!」
「知らないわよバカ! ど、どうにかしなさいよ!」
「じゃ、じゃあえっと――え、えいや!」

 互いの距離が近かったとか、それをするのにベストな姿勢だったとか、あとになると色んな理由をくっつけられるけど……単純にその瞬間のオレはパニクるとかテンパるっていう言葉を誰の目にも分かりやすく体現していたからどうしてそうしたのかを一切説明できない。
ただハッキリしているのは、うるうると怒るエリルが反則級に可愛かったって事で――いや、んまぁ、これが一番の理由だろう。
とにかくオレは――

「――!!」
 エリルにキスをした。

「……」
「……」
 見れても恥ずかしくて見れないけど、どっちにしたって近すぎてエリルの顔はもちろん見えない――っていうか全力で目をつぶってるから何にも見えないし、そもそもちゃんとエリルの唇にあたったのかもよくわからないし、ていうか何やってるんだオレは!

「……」
「……」
 何やってるんだ――そう、何やってるんだっていう自覚はあるし、これは燃やされるとも思ったんだけど……しかしそのまましばらく時間は過ぎて……
 結局……きっと二、三分そうしてから、オレはエリルから離れた。
 視界に入ったエリルはむずむずした顔をしていて……赤い顔のまま、目を背けながら口をとがらせる。
「……だ、だから……長いのよ……」
「……す、すみません……」
 そんなわけはないのだけど何事もなかったかのように起き上がるエリルと立ち上がるオレ。
「……なんでいきなりキ、キスなのよバカ……」
「……強いて言えばエリルのせいかな……」
「な、なんであたしのせいなのよ!」
「うん……こう……可愛すぎたというか。」
「ば――あんたってのはどど、どうしてそう……」
「うん……うん。エリル、オレはちょっと確信したぞ。」
「何によ!!」
「オレって、オレが思っている以上にエリルが好きらしい。」
「――!! こ、これ以上そういう事言うんなら燃やしてやるから!」
「ちょ、エリル、布団が焦げそうだから炎をしまうんだ!」
 本気じゃなく、どうしようもないからなんとなく暴れる感じのエリルをなんとなくなだめ、そうしてオレたちは互いに互いをなんとなく眺めた。
「……おはよう、エリル。」
「……おはよう、ロイド。」
 今更なあいさつに、ぷっと笑いがふきだ――

 コンコン。

 ――す前に心臓が止まるくらいにビックリした。見ればノックの音がしたのは窓の方からで、ガラスの向こうにはみんなが――『ビックリ箱騎士団』の面々がこっちを睨んで立っていた。



「バカロイドくんめ! あ、あんなここ、ことを!」
「ロイくんボクにも! ボクにもおはようのチュー!」
「王子様キス……か、かっこいいね……いいなぁ……」
「……ロイドもああいうのするんだ……ふぅん……へぇー……」
 ロイドが朝っぱらからしてきた嬉し――バカな事を見られた結果、ロイドは正座させられて四人――特にローゼルとリリーからギャーギャー言われてた。
「かか、仮とは言えこここ、恋人をしているのだからそーゆーことがあっても仕方なしというかわたしがそうであったならもっと色々――と、とにかく、こ、行為自体は一万歩くらい譲って片目くらいをつぶるとして! しかしそれを見てしまった以上は黙っていられないというか黙っている自信はないぞ!」
「ふぁ、ふぁい!」

 ぐいぐいほっぺを引っ張られるロイド。対してローゼルは――とにかく真っ赤で怒ってるんだかなんだかわかんない変な顔で……いえ、たぶんあれだわ。
 ロイドが時々言ったり……さっきみたいにしたりしてきた時になる変な気持ち。恥ずかしいを超えた感情っていうか……頭の中がグルグルして心臓がバクバクして、ただただのどが渇くみたいな気分……変な気を起こす一歩手前みたいな、ロイドが言うところの「ヤバイ」状態。
 たぶん、ローゼルは――っていうか四人がそういう状態なんだと思う。

「どうにもならない変な気分だ! どうしてくれるのだ! あんな、あんな――責任をとるのだロイドくん!」
「へひひん!?」
「こ、このままでは、わたしは何をするかわからないぞ! 場合によってはロ、ロイドくんが出血多量で病院送りになる可能性もある! だだ、だからそうなりたくなかったらわたしにも――同じようにキスするのだ! 今すぐに!!」
「べふぇえっ!?」
 変な声をあげたロイドはずざざーって後ずさって壁にぶつかった。
「にゃ、にゃにを言っているんですか!」
「ロイくん! ボクにもだよ、ボクにも!!」
「あ、あたしにも……へ、変な気分だから……」
「変て言うか……やらしい感じみたいなー?」
「いやいやいやいや! なんかおかしいですよ! エ、エリル! そうですよね!」
 今までに増してカオスな状況の中、ロイドはあたしに助けを求めた。
 あたしは……なんでかすごく落ち着いてる。恋人――のロイドが他の女にキスしてまわるとかいうわけわかんないピンチなのに。
 まぁ、この四人が諦めないって言ってて、何よりロイドは押しに弱いからこういう変な状況にもいつかなるかも――なんて想像をした事がないわけじゃないっていうのもあるかもしれない。
 でもそんなのよりもこの四人……あたしから見てもか、可愛かったりスタイル良かったり、色々と男心をくすぐりそうなモノを持ってる強敵の中、ロイドはあたしを選んだのよ。しかもさっき――あんな事も言ってたし……
 王族として生まれたあたしは、昔々の王家の――色恋沙汰みたいなのをぼんやりと知ってる。その中で知った言葉で言えばきっと、今のあたしは――
「…………やんなきゃおさまりそうにないし、やるしかないんじゃないの?」
「えぇっ!?」
 ……あれ? っていうか確か、ロイドが他の女の子にしたりされたりしちゃった事はあたしにもするとかいう変な決まりを作らなかったかしら。
 え? じゃ、じゃあもしかして……あ、あたしはこの後、ロイドによ、四回も――!?
「――!! がが、頑張るといいわ……」
「ぶえぇっ!?!?」
 ローゼルたちの要求よりも、その後に起こる事で頭の中がいっぱいになったあたしを、怪訝な顔で睨むローゼル。
「……どういうつもりで許可を――いや、許可など得ずともしてもらう事は確定なのだが……詳しい事は後々問いただすとしよう。まずはロイドくん! さぁさぁ!」
「そ、そんな!」
「だだ、だいたい前にしただろう! あれの続きみたいなモノだ! ただ今回はロイドくんからというだけ!」
「ハードルが桁違いでばぁっ!? リリーちゃんいきなり抱き付かないで下さい!」
「ロイくん、嫌なの?」
「い、嫌じゃないですけどあの!」
「じゃあ……ね?」
「観念するのだロイドくん!」
「王子様キス……えへへ……」
「んふふ、優しくねー?」
「びゃああああああああああああっ!」



「なんでここにいるんだ?」
 田舎者の青年が過去に例を見ない「女難」にさいなまれている頃、彼の師匠である筋骨隆々とした男は女教師に引きずられて連れて来られた学院の長の部屋で思いがけない人物に出会っていた。
「ご無沙汰しております、フィリウスさん。」
「ご無沙汰って……ついこの前会話したろ。」
「魔法による通話ですから、やはりご無沙汰でしょう。」
「まーそうだが。で、何のようなんだ《ジューン》。」
 筋骨隆々の男、女教師、そしてこの部屋の主である学院の長を比較対象にするのであれば、年齢的には女教師に近いだろうか。
 死神が羽織りそうな真っ黒なローブで身を包み、身の丈を超える曲がりくねった杖を手にしている。道に迷った森の中で霧の向こうから現れて道を示す不気味な老人のような姿の男だが、片目を髪で隠したその容姿は美しく、「美男子」という表現がしっくりくる。
「先日、フィリウスさんから第六系統について質問を受けましたが……少し妙だと思いまして。」
 身振り手振りを加えて話す人はそこそこいるだろうし、実際この《ジューン》と呼ばれる男もそのタチのようだが……少し腕を動かすだけで、その真っ黒なローブの下からジャラジャラと何かの音が聞こえて来る。しかしその騒音には全員が慣れているのか、特に何も言わずに話を聞いていた。
「質問の内容は第六系統の使い手であれば誰もが答えられるモノでした。国王軍に闇魔法の使い手が一人もいないわけはありませんし……なぜ? そう思って少し調べてみたところ、思いの外大きな事件が起きたようで。」
「まぁその通りだが、それでお前が来る程のことじゃないだろ。」
「いえ……もしやと思い、呪いをかけられた貴族の遺体を拝見させてもらったのですが――」
「おい、一応まだ死んじゃいないぞ。」
「――失礼。お身体を拝見させてもらったのですが、あれを施した術者は凄まじい使い手です。もしかすると、歴代の《ジューン》が追い続けている相手かもしれません。」
「ほぉ、そんな奴が。」
「《オクトウバ》が『イェドの双子』を追うのと同じです。同系統の使い手の大悪党は、各十二騎士にとって無視できないモノですから。」
「わからんでもない。で、俺様には闇魔法はさっぱりなんだが、あれはそんなにヤバイ呪いだったのか?」
「贅沢な使い方をしていました。肉体強化に加えて戦闘技術や魔法の知識の付与、はては強力な魔眼に匹敵する能力を身体のあちらこちらに。あれだけの呪いを同時に一人の人間――しかも貴族という素人中の素人に施し、かつ呪いの干渉が起きないように絶妙なバランスをとっている……神業と言っても良いのに、例の襲撃が起きた段階では全ての呪いが完全に定着しきっていない状態だった。」
「なに? じゃあアレ本来の実力はもっとやばかったってわけか?」
「知恵や工夫を除いた単純な戦闘能力なら、《ジャニアリ》に届いたかもしれません。そんな超高等魔法をあっさりと捨て駒に……」
「要するに、あの呪いをかけた奴にとっちゃそんな神業も朝飯前のちょちょいのちょい程度の感覚っつーわけだ。なるほど、そりゃ大物だな。」
「そして、その大物が再び襲撃を仕掛けて来る可能性の高い場所へフィリウスさんは出向こうとしている――そうですね?」
「同行させろってか?」
「是非。仮に相手がこの男であった場合、《ジューン》の悲願であるという以前に――フィリウスさんだけでは勝てない可能性があります。」
 ピクリと眉を動かしたフィリウスに対し、《ジューン》はしゃべりながら一枚の写真を突きつけるように見せた。
「自身の悪事を完璧に隠ぺいし、全てに別の犯人を用意して裏の世界を渡り歩き、何食わぬ顔で表の世界をも闊歩する。何一つとして証拠はありませんが、歴代の《ジューン》が残してきた資料はこの男が犯人であると示している。幻術や幻覚、呪いの尋常ではない使い手――指名手配されていない最悪の大悪党――ザビクと呼ばれるこの男が相手では。」
 写真に写っている老人を見て、フィリウスはため息をついた。
「当然、今もこの姿ってわけじゃないんだろ?」
「はい。唯一の写真ではありますが、ザビクは百年以上生きているはずですから……おそらく闇魔法で容姿は変えているでしょう。」
「だろうな。だがまぁとりあえず同行の話だが、悪いが断る。」
「! なぜ!?」
「俺様だけだとヤバイかもっつー意見はたぶんその通りだ。どんな奴にも負けはしないと豪語したいところだが、闇魔法は専門外だからな。」
「では――」
「理由は二つ。一つは、事の始まりがうちの国王軍への襲撃って段階でこの事件がフェルブランドの問題になってるってこと。《ジューン》、お前からしたら外国の出来事だ。十二騎士は依頼があれば世界中に赴くが、何もないのなら基本は自分の国の騎士だ。現状、十二騎士の《ジューン》に対して依頼は出ていない。その上、そもそもお前、今自分の国でデカいヤマを抱えてるだろうが。質問だけで済ませた理由もそれなんだぞ?」
「――っ……その通りですね……ではもしも捕らえる事が――いえ、その場で殺すべきですね……」
 はがゆそうな顔をする《ジューン》だったが、最後にはキリッとした顔になった。
「了解しました。ならばせめて、十二騎士の《ジューン》としての忠告を。」
「おお。そういうのなら喜んで聞くぞ。」
「……ある一定以上の実力を持つ第六系統の使い手を相手にする際には、とどめを刺す直前に最も注意を払って下さい。相手に魔法を使う隙を与えないように。」
「そのこころは?」
「自身の命を代償に、置き土産をしていくからです。」



「ああああ……オレってやつは……」
 スピエルドルフに行く前に、お姉ちゃんから借りてきた――ローゼルが言うところの戦闘服に着替える為にみんながそれぞれの部屋に戻った後、ロイドはもんどりをうつみたいにベッドの上で顔を覆いながらジタバタしてた。
「ロイド、あんたも着替えるのよ。お姉ちゃんに渡されたこれに。」
「……エリルはなんでそんなに落ち着いてるんだ……オレときたらあれですよ。師匠譲りのとっかえひっかえ野郎ですよ。」
 結局四人の押しに負けて全員にキ――をした後……


「うむ……やはりするのとされるのとでは違うのだな……これは……いい。」
「でへへ。えへへ。うぇへへへへー、んもぅ、ロイくんてばロイくんてば!」
「――は、恥ずかしい……」
「……んん……うん……」
 四人がほくほく顔なのに対してロイドは……たぶん過去最高に真っ赤な顔で目をぐるぐるさせていた。
「しかししてもらっておいてなんだが、まるで酸っぱいモノを食べた後のような表情でとても「がんばって」していたからな。できればもう少しロマンチックにして欲しかったところだ。」
「む、むひゃをいわないでくははい!」
 ろれつがおかしいロイド。
「まぁ確かに、相手はロイドくんだからな。今後の第一歩だと考えれば上々だろうか。」
「今後!? こここ、こへ以上なにを――!?」
「ランク戦の時に約束したデートの件もあるわけだし、色々あるだろう? 今日のこれを一つの機として、今以上にロイドくんとの関係を深めていくのだ。そしてロイドくんは気が付く――エリルくんではなく、わたしであると。」
 そういう事を本人の前で言うローゼルは、恥ずかしい事を本人の前でさらりと言うロイドと似たところがあるわね……
「普通に考えたら奇妙――いや、異常とも思える状況に、きっと今後もわたしはロイドくんを引きずり込む。その度にロイドくんは――そう、とりあえず今の恋人であるエリルくんへの罪悪感だとか、美人でナイスバディなわたしに対しての理性との葛藤、出血などが伴うだろう。しかしそれでロイドくんをわたしで染められるなら――ロイドくんの気持ちがわたしに向くのであれば躊躇はしない。」
「――!! どど、どうしてほんな……」
「どうして? ひどい事を言わないでくれよ、ロイドくん。好きというのは人を嵐に飛び込ませるのだ。要するにそれだけ――」
 すぅっとロイドに近づき、その唇に人差し指をそえたローゼルが呟くように言った。
「きみが好きなのだ。」


 なんかもう二回目の告白みたいな、そんな感じの抜け駆け……的な事をしたローゼルと、そんなローゼルにいつものようにギャーギャー文句を言いながらも同じようにロイドに迫ったリリーと、ほんのりと言葉を残したティアナと、やらし――色っぽく身体を寄せたアンジュたちは沸騰しそうなロイドを置いて部屋を出て行った。
 で、そのあとロイドはじたばた。
「……そりゃあ色々思うところはあるけど、でもしょうがないじゃない。そういうところがあんただもの。」
 でもって、あんなカオスな状況でドロドロの……殺伐? とした感じにならないのが、このロイドっていう間の抜けた田舎者を巡る戦いの変なところなのよね。
「しょうがない……エリル、オレってそんなに魅力あふれる男なのか?」
「自分で言うんじゃないわよ……それにそんな事を、あ、あんたの事を好きって言ってるあたしに聞くんじゃないわよ、バカ。」
「は、はい……あ、そうか。オレ、七年も放浪してたから……その、なんていうか、たぶん普通の恋愛観からはずれたモノを持ってる――と思うんだ。も、もしかして今、オレがこうやって恥ずかしい感じになってるのって普通の事なのか?」
「どう考えても異常よ、バカ。」
「ですよね……」
「だいたいそんな事言ったらあたしだって、ここに来るまではずっと家庭教師みたいなモノだったし、同年代の知り合いはみんな貴族とかだし……きっとあんたの言う普通の恋愛観なんて持ってないわよ。」
「そうか……変な二人がこ、恋人同士になっちゃったんだな……」
「そ、そうね……」
「……っていうかエリル、同年代の知り合いなんていたのか。」
「……あんたみたいに知り合い全員が自分に惚れてるなんていうような感じじゃないわよ?」
「ごめんなさい……」



 複数の女の子に好きって言われるっていうだけでとんでもないのに、その上全員が可愛いやら美人やらナイスバディやらで……そんな中で好きだなぁって思う女の子がいて、その子とめでたく恋人的な関係になったと思ったらみんなは諦めないと宣言し、それまで以上の猛攻をしてくるようになり……まるで男の理性を試されているような、きっと他の男子がうらやましがるだろうしそういうのに憧れるような気持ちがないわけでもなかったと思うけど実際になってみるとオレのキャパシティー? を遥かに超える状況でヤバイ。
そんな中で諦めないと宣言した――というよりは実はずっと昔に恋人だったかもしれない女の子にこれから会いに行くのだ。

「どうした大将。似合わない格好したから頭の中までかしこまって固まったか?」

 ドレスアップしたみんなはきれいで、いつもと違う感じの髪型とかお化粧した感じとかにドキドキしながら、加えてぐぐっと目を引くむ、胸元やら背中やら脚やらに追加ダメージを受け――しかし再びやってきたフィリウスの顔を見たらほっと落ち着き、しかしこれまたその落ち着きのせいでついさっきのカオスな出来事を思い出してしまい、目の前の美女たちの姿と重なって余計大きなダメージを受けたオレは、どうにかこうにかいつものボロい格好の師匠に話しかけた。
「フィ、フィリウスも来るんだな……」
「ま、理由は色々あるんだがな。俺様的に、メインの理由は懐かしいメンツに会いに行くのと、俺様自身の記憶探しだ。大将経由でいじられちまったらしい、スピエルドルフでの思い出をな。」
「思い出か……そうだな。」
「ああ。熱い夜を忘れたとあっちゃ《オウガスト》の名がすたる。」
「……別に歴代全員がフィリウスみたいってわけじゃないだろ……」
「そうでもない。俺様が《オウガスト》になった日、トーナメント場で先代にこう聞かれた。「お前、女は好きか」ってな。」
「……なんて答えたんだ?」
「「勿論だ。ちなみに俺様は尻や太ももが好きだがあんたは?」。」
「……なんて答えたんだ?」
「「ふ、俺は二の腕だ。」。いやぁ尊敬できる漢だった。惜しい騎士を無くしたもんだ。」
「! 亡くなったのか?」
「ああ。そもそも俺様とやり合った時点で五十過ぎだったからな。そのくせ《オウガスト》じゃなくなった後も現役で活躍して、いい加減に身体にガタが来て最後は病気で亡くなった。俺様に鼻血モノの秘蔵のお宝を託してな。」
「言っちゃ悪いがしょうもないな。」
「なに言ってんだ。大将だってそのお宝の内の一つを持ってるだろうが。」
「ば、んなの持ってねーよ!」
「いやいや、その二本の剣がそうなんだよ。」
「えぇ? この――回復魔法がかかってる剣がか? オレはてっきりフィリウスが作ったのかと思ってたんだが……」
「おいおい、俺様は第八系統以外が学生レベルで止まってるんだぞ? そんなの作れん。もらったはいいが俺様はデカい剣が好きだからな。そういうチンマイのは性に合わなくて困ってたんだ。だから大将にやった。」
「そうだったのか……」
「しかし大将、そういう格好は大将の性格には似合わないが容姿には似合うな。」
「いきなりなんだよ……ていうかフィリウスはその格好で行くのか? 一応――スピエルドルフの女王様からの招待なんだぞ?」
「物理的に、俺様に合うパリッとした服がないんだ、しょうがないだろう。」
「……鍛え過ぎも考えもんだな。」



 あたしたちのドレス姿を見ていつも通りにわたわたしてたロイドがフィリウスさんとの会話で元に戻ってく。さすが、七年も一緒に過ごした相手ってところね。
「ロイドくんが「持ってねーよ」とか言うのは新鮮で良いのだが、そろそろ行かないか?」
 長年の相棒同士の会話が延々と続きそうな気配がしてきたのを感じてか、ローゼルがそう言った。実際、フィリウスさんと話してるロイドは口調がいつもと違くて……ちょっと悔しい感じがするのよね……。
「じゃ、じゃあ行きますか。」
 いつでもどこでもスピエルドルフの近くに移動できる魔法がかかった黒い指輪をはめたロイドがその手を壁に置く。すると真っ黒なドアが出現した。
「うわ、ホントにすごいな、これ。」
 おそるおそるドアを開いてその向こうを覗いたロイドは、ドアを大きく開きながらそう言った。
 ロイドが驚くのも納得で、ドアの向こうにはどこかの平原が広がってた。あたしたちはおっかなびっくりそのドアをくぐってその平原に移動して、最後にロイドがくぐると黒いドアは消えてなくなって……ドレスアップしたあたしたちはどこかの原っぱにぽつんと突っ立ってる状態にな――
「な、なによこれ……」
 周りをキョロキョロ――するまでもないくらいに、あたしたちの背後には巨大な黒い壁がたってた。右にも左にも上にも、一体どこまで続いてるのかわからないくらいに巨大な黒い壁。まるでそこで世界が終わってるような感じだった。
「みんなこっちだよ。」
 唖然として壁を見上げてたら、ロイドがあたしたちを呼んだ。見ると、壁の一か所に小さな小屋みたいのがくっついてる。
「あれがスピエルドルフの検問なんだ。壁に沿って東西南北にそれぞれ四か所あるんだよ。んまぁ、その内の一つは海の上にあるんだけど。」
 このメンバーじゃあロイドとフィリウスさん以外経験がない、魔人族の国への入国。あたしは今更にドキドキしながらロイドについて行った。
「すみませーん。」
 ロイドがチケット売り場みたいな窓口に声をかけると、中から猫耳――じゃない、猫の顔をした――じゃなくて、猫が立ち上がったみたいな人が顔を出した。
「許可証を拝見。」
「あー……えっとですね、オレたちミラちゃ――女王様から招待を……」
「! もしやロイド様――ああ! ロイド様だ! おい、ロイド様が来たぞ!」
 中にいる誰かに声をかけ、猫の人は小屋の外に出てきた。服とかは着てなくて、本当に二足歩行する猫という感じだった。
 まぁ、ただあたしたち位の身長なわけだから猫と思って眺めると相当大きく感じるわね。
「お話は伺っています。ロイド様とフィリウス殿、それと――えぇとロイド様の侍女の方々でしたっけ?」
「ち、違います! みんなはオレの――」
「あ、愛人ですね。お噂通りおモテになられるようで。」
「違います! というか何ですかその噂!」
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。一人の男に対して一人の女というのが人間の国の常識のようですが、ここにはそういうのありませんから。何代か前の国王様には奥様が三十人ほどおられたそうですし。」
 ふふふと笑う猫の人の前、呆然とするロイドの肩にフィリウスさんが手を置く。
「よかったな、大将!」
「なにがだよ!」
「お二人はお持ちですよね、許可証。持っていないのは愛人のみなさんで?」
「愛人じゃないけど持ってはいないわ。」
「おや、正妻狙いですか? 女王様は手強いですよー。どうぞこれを。」
 ニコニコ笑う猫の顔ってこんなんなのかしらと思いながら、ついでに……せ、正妻はあたしなんだけど……って思いながら、紙を受け取る。
 べ、別に側室を認めてるわけじゃないわよ?
「ほう、これがスピエルドルフへの入国許可証か。さすがに厳重なモノだな。」
「おわかりですか。許可証は夜の魔法の一部ですから、かかっている魔法の解除、改変は不可能です。ちなみに許可証が許可している者以外が使おうとすると……具体的には言いませんけどひどい目にあいます。」
 あたしの名前が書いてある入国許可証からちょっと怖い事を言った猫の人に視線を戻したあたしはぎょっとした。
『おお、ロイド様。よもやこちらの検問所をお使いになられとは。お会いできて光栄です。』
 いつの間にか猫の人の隣に立ってた……いえ、立ってたっていう表現が正しいのか微妙な人……ではないからえっと……そう、魔人族がいた。
 簡単に言えば、ドロドロのスライム状の液体をこんもりとさせててっぺんに大きな目玉をのっけたような感じ。魔人族の国に行くっていうことである程度の想像はしてきたけどいきなり斜め上の魔人族が現れたものだわ……
『未来の国王様だ。よし、記念撮影をしよう。』
「み、未来の? えぇっとあの、オレってスピエルドルフでどんな風に言われているんでしょうか……」
 目玉の人に普通に話しかけるロイドがなんだかすごいわ……
『つい先日の事です。女王様が国民全員を対象にとある魔法をかけましてね。すると……ええ、どうして今まで忘れていたのか自分が信じられないのですが、国民全員がロイド様の事を思い出したのです。具体的にどういう事を思い出したのかをロイド様に伝える事は禁じられたのですが……お教えできる事があるとすれば、それはロイド様がこの国の恩人であること。女王様のお心を射止めた方であること。そして――多くの国民が、貴方様を次期国王として迎えたいと思っていること。』
「オ、オレが……というかオレをですか?」
『ええ。ですから是非記念の一枚を。』
 いきなりの壮大な話にビックリするあたしたちは、その後の目玉の人に行動にもっとビックリした。
『どうぞ、この検問所を背に並んでください。』
 目玉の人の頭の上……って言うと変だけど、ようは上から下に、身体の真ん中に線が走ったと思ったらそこを境目に目玉の人は二つに分裂した。そして真っ二つになったそれぞれがそれぞれに欠けたところを修復し、結果的に目玉の人は二人になった。
「すごいですね。」
 普通に感想を言うロイドに目玉の人が首を――目玉をかしげる。
『いえいえ、この程度。うちのレギオンマスターなら一度に百以上は分裂できますからね。』
 ……どうやら照れたらしい目玉の人の片方があたしたちの横に、そしてもう片方があたしたちからちょっと離れたところに立ってその目玉をこっちに向けた。
『人間はこういう時こう言うんでしたか。撮りますよー。ハイ、チーズ。』
 カメラがないからどこを向けばいいのかわからなくて、なんとなくその目玉の方を見てたら一瞬その目玉の奥が光った。
『ありがとうございます。』
「どうもです。じゃあこちらへどうぞ。ヴォルデンベルグにつなぎましたから。」
 小屋の横にアーチ状のくぐり抜けるような場所があって、そこにさっきの黒いドアと似た雰囲気の不思議な光が灯ってた。どうやらあれを通って国内に入るみたいなんだけど……
「……ヴォルデンベルグってどこよ。」
 あたしはロイドに小声で聞いた。
「スピエルドルフには街が五つあって、デザーク城……王族が住むお城のある街がヴォルデンベルグっていうんだ。んまぁ、つまりはスピエルドルフの首都かな。」
 ……そっか。ちょっと勘違いしてたっていうか、勝手にスピエルドルフを都市国家みたいに思ってたわ。スピエルドルフっていう国があって、そこの首都がヴォルデンベルグっていう街で、そこに――デザーク城っていう王城があって、そこに女王カーミラがいるってわけね。
「ではごゆっくり。」
 猫の人と目玉の人に見送られながらアーチをくぐると……何にもない原っぱから薄暗い街中に、あたしたちは移動した。
「これがスピエルドルフ……魔人族の国なのね……」
 ロイドとフィリウスさん以外、あたしたちは周りをキョロキョロと見まわした。
 ちょうど街の入口みたいな場所に出たみたいで、目の前には大きな通りが三つほど見えてる。商店が並ぶ感じとか街灯とか、別に人間の街と変わらない雰囲気なんだけど、そこを歩いてる人が文字通り人間じゃない。加えて……さっき見た真っ黒の壁がたぶん夜の魔法で、それの内側であるこの場所は本当に暗い。まさしく夜で、今は昼間のはずなのに夜景がきれい。
 ……っていうかちょっと暗すぎじゃないの……?
「ロイくーん、どこにいるのー?」
「ここだよリリーちゃ――わ、きゅ、急に抱き付かないで……ってあれ? アンジュ?」
「へー、こんなに暗くてもわかるんだー。あたしの匂いがするとかー? それとも胸の大きさだったりー?」
「ち、違うよ、魔眼のおかげで普通に見えるんだよ……み、みんなも目が慣れてくればそこそこ見えるようになるよ。んまぁ、それでもちょっと暗いんだけどね。」
「ふむ、当然と言えば当然か。魔人族全員がきっと夜目が効くのだろうし、そんな彼らに合わせた光量で街の明かりが調節されているのなら、昼間に生きるわたしたちには若干光量不足だろう。」
 きりっと解説するローゼルだったけど、目が慣れてきてふと周りを見たら、ロイドの腕とか背中とかに全員がくっついてた。
 ……あたしも含めて。
「ちょ、な、なんでみんなしてオレに……見えないんじゃ……」
「み、見えないのはそう、なんだけど……な、なんかロイドくんの場所はわかるなぁって……」
「なに? 大将、いつからそんなフェロモンを。」
「ねーよんなもん!」

「お待ちしておりました。」

 ロイドがあたふたしながらあたしたちから離れたあたりで、ふよふよ浮きながら誰かが近づいてきた。
「皆様のご案内を任されております、マーレ・クロンファートと申します。海のレギオンのサブマスターを務めております。」
 そう言ったその人……魔人族は、あたしたちで言うところの人魚だった。かなり美人な女性の上半身に、暗くてもわかる綺麗な鱗のついた魚の下半身。絵本に出て来る人魚そのまま――なんだけど、この人魚が登場した瞬間、稀に見る一致団結の連携であたしたち女勢はロイドの目を覆った。
「ちょ、あ、あんた何か着なさいよ!」
「?」
 首をかしげる人魚。そう、その人魚は上半身裸だった。長い髪の毛でなんとか隠れてるけど、その立派な胸は堂々とさらされてる。
「――あ、これは気づきませんで。そういえば人間はそうでしたね。すみません、服を着る習慣がないもので。」
「服を着ないってどういうことよ!」
 あたしがそう言うと、フィリウスさんが――その人魚の胸に目線を釘付けにしながら解説した。
「人間と違い、魔人族は多様な姿を持ってるからな。文化の違いが人間同士の国の差を遥かに超えるレベルであるのは当然だ。一見変わりがないように見えるあの辺の店も、商品の並べ方とか扉の位置とかが全然違う。しかも店によってな。トイレとかに入ると大きなカルチャーショックを感じるだろう。」
「で、でも服くらい着たっていいと思うわ……」
「そういう人魚もいるだろうが、彼女はそうじゃないってわけだ。そもそも、さっき検問所で会った猫いたろ? あれだって服を着てない素っ裸だ。魔人族側に言わせれば、温度調節なんかの実用性の面での話ならともかく、恥ずかしいどうこうが毛深いのとそうでないのでわかれる意味がわからないとさ。」
 ……言われてみれば納得だわ。で、でもこのままだとロイドが鼻血を……
「ではこれでどうでしょうか。」
 人魚がそう言うと、その周りに水蒸気……いえ、雲がもくもくと発生して人魚の上半身を包んでいった。
 胸の部分だけで良かったような気もするんだけど、上半身をモクモクさせた人魚は最終的に……まるで羊の身体から女性の顔と両手、でもって魚の尻尾が出てるみたいな面白い姿になった。
「……それなら問題ないわ。」
「それは良かったです。ではどうぞこちらへ。」
 まるで空中を泳ぐみたいに尻尾――いえ、尾びれ? をゆらゆらさせて進む羊人魚について歩くあたしたちは、街を歩く魔人族の注目の的だった。「なんで人間なんかが」っていうよりは「わぁ、人間だー」っていう感じの比較的印象の良い視線なのは幸いね。
「クロンファートと言ったか? 水のレギオンのサブってことは、フルトのとこのナンバーツーってことだろう? でもそれって前は牛っぽい奴じゃなかったか?」
 前に来た時の話なのか、フィリウスさんがそう尋ねると羊人魚――マーレは、ふふふと笑ってこっちに笑顔を向けた。
 ――っていうか、その格好で振り向かれると笑っちゃいそうだわ……
「人間の世界の軍と同じく、レギオンは完全な実力主義ですから。マスターの座がそうなる事は少ないですが、それ以外であれば入れ替わりはたびたび。」
「ほう。人魚というとバトルのイメージはないが、相当強いんだな。」
 ニヤリとするフィリウスさんだったけど、マーレは「いえいえ」と手を振った。
「オルム様に勝利されたことのあるフィリウス様には及びませんよ。」
「何気に含みのある言い方をする。久しぶりに血が騒ぐなぁ、おい。今度はマスター全員と戦ってみたいもんだ。」
「物騒な事言うなよフィリウス。こう……十二騎士の立場みたいのないのか?」
「わかってないな、大将。むしろ最も自由に動ける立場なのが十二騎士だ。」


 弟子であるロイドには受け継がれなかったらしいフィリウスさんの好戦的な武勇伝を聞きながら歩くこと二十分、あたしたちは真っ黒なお城にたどり着いた。大きな扉をくぐり、真っ赤な絨毯が敷き詰められた豪華な城内を進むことさらに十分。マーレに促されて入った部屋で、あたしたちはスピエルドルフの女王に謁見した。
 言い方を変えると、権力っていう意味で言えば最強の恋敵であるカーミラ・ヴラディスラウスに再会した。
「ああ、ロイド様! なんて素敵な御姿! ワタクシの為に正装を――は、もしやこのままウェディングを!?」
 ロイドの前では落ち着いた女王様モードでいるのかと思ってたんだけど、普通に素が出てきたわね……
「い、いやほら、一応……国賓? みたいなものかと思って……いえ、思いましたんです、はい。」
「敬語はよして下さい、ロイド様。ワタクシとロイド様の間柄なのですから。」
 前に学院に来た時と同じ……じゃないんだけどやっぱり黒いドレスにコウモリの髪飾りっていう格好のカーミラは、キラキラした目をパチッと閉じて物憂げな表情になった。
「ああ……申し訳ありません、ロイド様。予定では国務等に区切りをつけ、今日明日はロイド様と密な時間を過ごすつもりだったのですが……今少し、雑務が残っている状態なのです。」
「いや、ミラちゃんは女王様だし、仕方がない――よ。」
「あぁ、お優しいロイド様。ですが折角なのですから、少しでもロイド様が記憶を取り戻すお手伝いをと考え、そこのマーレをつけました。」
 今一度ペコリと頭をさげるマーレ。
「思い出のたくさん詰まったこの城内や街中を、どうぞご自由にお歩き下さい。何かを思い出せるかもしれません。」
「そうだね。うん、そうさせてもらおうかな。」
「ではまたすぐに――ああ、ロイド様?」
「なに――うわ!」
 玉座的なところに座って、位置的にあたしたちを見下ろしてたカーミラは、気づくとロイドの目の前にいた。
「血を――ほんの少しでもいただけませんか?」
「え――えぇ!?」
「この前はそこの皆さんにおあずけをくらってしまい、あれからというものロイド様の――あぁああ、その血が飲みたくてたまらないのです! 首から――は後にとっておきましょう、せめて指先からだけでも! きっと雑務が通常の十倍の速度で片付きます!」
「べ、別にいいけど……えっと……指を切ればいいのかな……」
 そういえばお城に入るっていうのに没収されなかった剣を抜き、ロイドは指先を少し切った。その瞬間、カーミラの目の色が変わり、表情がものすごくやらし――色っぽくなった。
「はぁああ……あぁぁ……」
 ドギマギするロイドの前、指から垂れる血をすくうように舌をはわせ、カーミラはロイドの指をパクッとくわえた。
「びゃひゃあっ!」
 ビクッとなるロイド。それはたぶん仕方ないと思う――くらいに、なんていうか……エ、エロい光景と音だった。
 あらい呼吸と濡れた唇からもれる唾液の音。そのままロイドの骨まで舐め尽してしまうんじゃないかってくらいのいきお――

「姫様、それくらいに。」

 見てるこっちが変な気分になってくるヤバイ光景が一分くらい続いたところで、トロンとしたカーミラを背後から羽交い絞めにする感じで持ち上げたのは――蛇人間だった。
「やれやれ。我らが王たるヴラディスラウスの方々は基本的に素晴らしいのだが、愛する者の血を前にした時だけはどうしようもない。」
「おお、マルムマルムじゃないか!」
「ヨルム・オルムだ。毎度毎度わざとだろ、お前。」
 口調的にはあきれてるんだけど、蛇の表情なんか読み取れないあたしには無表情に舌を出してるようにしか見えない……
「――…………は! いけない、ワタクシったら……」
 我に返ったカーミラは、それでもトロンとした顔でロイドを見つめる。
「はぁあ……あぁぁ……身体の底から力が湧き上がります……ふふふ、今なら何でもできますね……しばしお待ちを、ロイド様。」
 ふらふらと玉座の方に歩いていって、その途中で黒い霧にかすむみたいに消えたカーミラ。あんな千鳥足で大丈夫なのかしらって思うけど……でも確かに、なんていうかカーミラから感じる――存在感っていうのか圧力っていうのか、吸血鬼としてのそれが急激に大きくなったような気がするわ。
「あばばば……」
 対してロイドは、濡れた指先をそのままに呆然としていた。
「……とっとと拭きなさいよ。」
「――はわ、あ、ご、ごめん、ありがとうエリル……」
 あたしがハンカチで指を拭く間、蛇――えっと、ヨルムがシュルルとしゃべる。
「本来であれば気心の知れたユーリとストカを案内につけるべきなのですが、生憎二人とも訓練中でして。夜には合流できるかと思いますが。」
「夜ってお前、ここはいっつも夜だろうに。」
「時間で区切ってる――って知ってるだろうが。」
 旧知の仲っぽいフィリウスさんとヨルム。マーレのさっきの話からすると、この二人は戦った事があるみたいね。
「それまでの案内役として……我が国が初めての方もいるという事なので出来るだけ人間に近い姿で、かついざという時も頼れる実力者を選んだ結果、そちらのマーレがお供する事となりました。どうぞなんなりと――」
「え、いざという時があるわけ?」
 思わず口に出たあたしのその質問に……たぶん、少し残念そうな表情……になったと思うヨルムが答えた。
「ええ、お恥ずかしい限りですが……我が国にも悪党はおりますので。」
 それは――いえ、それはそうね。やっぱりあたし、スピエルドルフに対して色々と勘違いしてるわ……
「つっても人間の国よりは百倍近く安心だろう? 夜の魔法があるんだからな。」
「……歴代の王たちが代々強化してきたからな、いつか一切の悪事を行えない国になる事は断言できる。しかし今はまだそうではない。金品を奪う者、無差別に殺しを楽しむ者、ただただ騒ぎを起こしたい愉快犯。そういった犯罪者は確かに存在している。」
 そこまで話したヨルムは、ふとロイドの方を向いた。
 ……まぁ、蛇の顔をしてるから両目はロイドの方を向いてないような気がするけど。
「人間の国同様、我が国でも多くの事が犯罪行為として禁止されていますが、特にレギオンの面々が目を光らせている犯罪は――人間に危害を加える事です。」
「へぇ、ここじゃそれって犯罪になるの?」
 ロイドの方を向いて真剣な声色で話をしてたヨルムにリリーのケロッとした声が挟まる――っていうかリリー――
「何言ってんのよ、当たり前じゃない。」
「当たり前じゃないよ、エリルちゃん。だって――」
 ふっと、たまに見せる黒い……冷たい表情でヨルムを指差したリリーはこう言った。

「人間の法律に、魔人族を殺しちゃいけないっていう文言はないもん。」

「!」
 あたしはショックを受けた。リリーの態度とか言い方がどうこうってわけじゃなくて、リリーが言ったその事実にだ。
 例えばの話、カーミラは人間と同じ姿で言葉も通じる。だけどそのカーミラを――殺したとしても、スピエルドルフで重い罰を受ける事はともかく、少なくとも人間の法律では裁かれない。
 魔人族は人間と根本的に違うとかなんとか、魔人族の方ばっかりに目をやってたけど……人間の側の、しかも法律っていう大事な部分がその違いを明確にしてた。
 ……あたしが思う以上に種族の差って言うのは大きくて……そしてあたしが思うよりも圧倒的に、ロイドとカーミラが婚約してたっていうことは一大事なんだわ……
「その通り。しかしそれは当然の事――」
 ロイドの方を向いてたヨルムの顔がリリーの方に向く……そう、リリーの方を向いたんだけど、同時に視界におさまったあたしたち――スピエルドルフが初めて勢はそこで、まさに蛇に睨まれた状態になった。

「殺してはいけないという言葉には、殺すことができるという前提が必要なのですから。」

 ゾッとした。
 あたしたちが同族――人を殺してはいけませんって言われる裏には、やろうと思えば人は人を殺せるっていう事実が……ええ、確かにある。
じゃあ……魔人族相手には? 殺してはいけませんっていう文言がないって事は……それはつまり、もしも殺さなきゃいけないと感じた時に法律が足を引っ張らないように……全力で命を奪いに行けるように……
 要するに、人間は魔人族よりも弱いから、基本的に魔人族を殺せないんだ。

「なぜ自分たちよりも弱い生き物を殺してはいけないのか。どうして、さもこの世の支配者のように振る舞う連中に現実を教えてはいけないのか。人間に危害を加える犯罪者らの文句は決まってこんな感じです。しかし、それは間違いだ。」
 あたしたちの方を向いたまま、ヨルムの指がフィリウスさんを指差す。
「生物学的に言えばそうでしょう。しかしこうして魔人族を超える実力を持つ人間も存在している。仮に魔人族と人間で全面戦争をした場合、魔人族は余裕の勝利をおさめるか――答えは否。こういった強者によって同胞の命は絶たれ、被害は甚大……下手をすれば敗北もあり得る。何かを奪い合わなければ共存できないわけではないのだから、人間とは一定の距離を置いて平和に過ごしていこう――これがスピエルドルフを建国した初代のお言葉。それゆえの――先ほどの法律なのです。」
「だけど、その法律を破る者もいて……そしてオレはミラちゃんと……」
 ヨルムの顔がロイドの方に戻ると、あたしたちを包んでた身体の緊張がふっと無くなった。勝てる勝てないの話を通り過ぎた、捕食される側の気分っていうのがそれっぽい表現かしら。
 初めて会った魔人族がこの蛇人間だったら、あたしは魔人族を大嫌いになってたわね……
「そうです。そういった連中にとってロイド様は最も……腹の立つ存在。本音を言えばレギオンで完全な護衛をしたいところですが、街中を行軍しては思い出せる記憶も引っ込んでしまうでしょう。故のマーレなのです。」
「……色々と気を使わせているんですね。ありがとうございます。」
「そのような事は……当然のことなのですから。おいフィル、お前も護衛の勘定に入ってるからな。」
「だろうと思った。心配するな、既に怖い妹ちゃんから釘を刺されてる。」


 ヨルムと別れた後、あたしたちは――ヨルムがあきれた声で渡したシャツを羽織ったマーレと一緒にとりあえず街に出かけてみる事にした。
「ロイくーん、ボク怖かったよー。」
 ロイドにひしっと抱き付くリリー……
「うん……オレも最初に会った時は怖かった――ような気がする。なんかちょっと思い出してきたぞ……あ、あとリリーちゃん、は、離れませんか……」
「だっはっは! レギオンマスターの中じゃあいつが一番怖い見た目してるからな! フルトはただの水だし、ヒュブリスは鳥だし。」
「ヨルム様はお優しい方ですよ。皆様の案内をする事が決まった際、こちらの本をくださいました。」
「ふむ、『人間の生態』とは愉快なタイトルだな。まぁこの国では別に変でもないのだろうが。少し中を見せてもらっても?」
「ええ、どうぞ。」
「うわー。優等生ちゃんったら、いきなり『人間の子作り』のページを開くとかアレなんだからー。」
「ち、違う! たまたまだ!」
「に、『人間の男・女との接し方』っていうペ、ページが……あるね……」
「急所一覧なんてのが横に書いてあるわよ……」
 人間であるあたしたちにしたらだいぶ珍しい人間図鑑を見ながらしばらく歩いて、あたしたちは賑やかな通りにやって来た。
「おお! 大将、夜リンゴがあるぞ!」
 そう言いながら出店の一つに歩いて行ったフィリウスさん。
「よ、夜リンゴ……ってなぁに……?」
「えっと……便宜的にそう呼んでるだけなんだけどね。」
 上……たぶん夜の魔法を指差しながらロイドが説明する。
「ほら、ここっていつも夜だから作物とかは上手に育たないんだよ。でもそれは嫌だってことで、大昔にスピエルドルフの偉い学者さんがあらゆる作物の品種改良に成功したんだ。夜でも――というか日の光がなくても元気に育つようにね。そうやって生まれたスピエルドルフ専用の食べ物を呼ぶときに、オレたちが普段食べてるのと区別するために「夜」っていう言葉をくっつけてるんだ。」
「逆に、リンゴであれば私たちはみなさんが普段食べているリンゴを「外リンゴ」と呼びます。」
「要するにどっちも普通のリンゴなのだな。」
「ちょっと味が違うんだけどね。フィリウスはそのちょっとの違いにはまってるんだよ。」
 戻って来たフィリウスさんは、その大きな手の平にリンゴを二つ持ってて、一つをロイドの方に放り投げた。同時に空気がふわりと動いてリンゴを分割、ロイドの手の中におさまる頃にはきれいに六等分されてた。
「……それ、よくやってたけど……今ならフィリウスの魔法の腕がすごいってわかるな。」
「変なところで感心するなぁ、大将は。」
「そうか? はい、みんなも。」
「ふむ……むぐむぐ……はて、なんだろうか? 確かにちょっと違うな。」
「か、香りかな……甘さとかは同じだね……」
「……これって、例えば日の光にあてたらしぼんじゃったりするのかな。」
「なんだリリーちゃん、もしかして夜リンゴを売るのか? 残念ながら、しぼみはしないが水分がとんでパサパサになるぞ。」
「そういえば商人ちゃんって商人だったんだよねー。」
「今更ね……」
 リンゴ――夜リンゴをかじりながらまたちょっと歩いていると、たぶんあたしだけじゃない、全員が「あ」って思ったと思うお店が見えた。
「ちょ、ロイド。あれはマズイんじゃないの……」
「えぇ? 確か魚の味は変わらなかったはずだけど。」
「バカ!」
 ぺしっとロイドを叩いたら、ふふふと笑ったのはマーレだった。
「もしかして、人魚である私が魚屋さんの前を通るというのはいかがなモノかと思われましたか?」
「え、ええ……だって……」
「ふふふ、そこは考え方の違いといいますか……事実をお伝えするなら、ミノタウロス族の方々だって牛肉は食べますし、オーク族の方々も豚肉は食べます。私も魚は美味しくいただきますしね。」
「そ、そういうものなの……?」
「似た姿……きっと遺伝子的に同じ部分が多いのでしょうけど、別の種族ですから。時に愛で、時に食す。みなさまと変わりありませんよ。猿の肉を食べる事もあるでしょう?」
「……あたしは食べたことないけど、そういう文化があるところもあるわね。」
「それと似た感覚ですよ。」
 半分くらいだけど納得したあたしの横、珍しくローゼルが控え目に手を挙げた。
「ひ、一つ聞きたいのだが……」
「ええ、どうぞ。」
「魔人族には多種多様な者がいて……な、ならば……人を食べる魔人族もいるのだろうか……」
 あたしはごくりと唾を飲み込んだ。実は一番聞いてみたくて聞けない質問……それに対するマーレの答えはさらりとしたものだった。
「います――いえ、いましたが正解ですね。大昔には食べていたそうですが、スピエルドルフが建国されて先ほどの法律が出来上がってからは人間を食べる種族はいなくなりました。」
「ぜ、絶滅してしまったのか?」
「そうではなく、食べ物の選択肢の中に人間が入らなくなったのですね。人間しか食べられないという種族はいませんから。」
「ふぅん。じゃあボクたちで例えると、いきなり法律で「今日から豚肉は食べちゃいけません」って決まったみたいな感じなんだ。反発はなかったの?」
「多少は。ですが……人間というのは食べるものが他になかったら食べるくらいの立ち位置でしたから。大きな反発はなかったようです。」
「だっはっは! 要するに人間はマズイってわけだ!」
「言ってしまえば、そうですね。ですがまぁ、吸血鬼の方々にとってのみ、人間は美味しい血を持っているという認識のようですよ。今も昔も。」
「ロイドー、さっき食べられてたけど大丈夫ー?」
「食べられてないよ……ほら、もう傷も塞がってるし。」
「ほんとだー……はむ。」
「びゃああっ!」
 治った指を見せるロイドのその指を、アンジュがパクッと――ってアンジュ!!
「にゃ、にゃにをするんですか!」
 慌ててアンジュの口から指を抜いたロイドに対し、アンジュは舌をペロリとする。
「さっきの女王様見て、ちょっとやってみたくなっただけー……ふぅん、こんな感じなんだねー。」
 いつもみたいにニヤニヤした感じならともかく、舌を引っ込めたアンジュは少し嬉しそうな顔をしてる――!!
「大将、俺様は羨ましいぞ!」
「やかましい!」



 田舎者の青年が貴族出の女の子に指を舐められている頃、スピエルドルフの四つの検問所の一つで直立した猫のような姿の者が、先ほど撮影した写真を額に入れて壁にかけていた。

 国内へ物理的に、そして魔術的に侵入不可能にしている夜の魔法に四つだけ開いている入口――検問所。国外へ出かける魔人族はほとんどおらず、許可証を持っている者は五十にも満たない為、たまたまたどり着いた何も知らない者も含めて検問所を訪れる人数は年数人ほどしかいない。おそらく、先ほどの田舎者の青年らが史上初の団体となるだろう。
 厳密に言えば穴が開いているわけではないのだが、いくら通る者が少ないからと言っても夜の魔法を通る事のできる入口には万全の警備をしかなければならない。
 検問所に配属される魔人族はレギオンの一員であり、一年ごとに交代していく。一見窓際部署のようだが、実際はレギオンにおける精鋭が担当している。検問所を経験する事が一つ、レギオン内でその実力が認められたという証なのである。

「いい時期に検問所担当になれたな。宝物にしよう。」
『そうだな。』
 そんな精鋭である猫と目玉は、壁にかかっている写真と同じモノをそれぞれ持ち、綺麗に封筒にしまいながらお茶をすすっていた。
「フィリウス殿は当然として、しかし人間の学校とやらはいい教育をしてるようだな。ロイド様やその愛人のみなさん、あの年齢にしては結構強いぞ。」
『個人的には髪の長い槍使いが気になるところ。見た感じ、第七系統のなかなかの使い手だ。』
「かっか、海のレギオンはそればっかりだな。おれは赤い髪が気になった。ありゃあ何か特殊なバトルスタイルだぞ? たぶんごりごり殴りに行く感じの。」
『陸のレギオンもそんなのばかりではないか。』
 騎士見習いの習慣として、田舎者の青年らはそれぞれの武器を手に検問所を通ったが、得意な系統や戦い方などは披露していないし話していない。そんな、普通一目見ただけではわからないような事実を語り合う二人は、ふと話題を変えた。
「しかし……本当に良かったのか? さっきの。下手くそだったけど魔法は完璧だったろ?」
『ああ、わたしの目でも見抜けないくらいの相当な魔法使いだ。きっと夜の魔法下でも多少の制限付きで自由に動けるだろう。』
「国の玄関を守るおれらが国に害なす気満々の奴を通すってどうよ?」
『仕方がないだろう。レギオンマスターを通り越して女王様直々の命令なのだから。』
「どうしてこんな事……」
『わたしも疑問だったが、さっき実物を見て確信したよ。』
「へぇ、なにかあったか?」
『あの完成度なら当然と言えば当然だが……あの魔法使い、ロイド様の血液を使っている。』
「おいおい、本当か!? ああ……それはやってしまったな。それで女王様が自ら……」
『ああ。吸血鬼からその最愛の者の血を奪うなんてな……』
 困惑顔だった猫は、半ば同情するような顔でついさっき男が通って行ったアーチを眺めた。
「あいつ、普通に死ねると思うか?」

騎士物語 第五話 ~夜の国~ 第六章 異文化交流

ファンタジー界に登場する多様な種族の住む世界――倒すべき敵ではなく、同じ世界の住人として接してみたのがスピエルドルフですね。
昔から、私は人外を書く/描くことが好きなので楽しく書きました。

ちなみに、この章で戦いが始まる予定だったのですが……楽しくなった結果、もう一つ先にのびてしまいました。

騎士物語 第五話 ~夜の国~ 第六章 異文化交流

恋愛マスターに出会ったことでいくつかの謎が明らかになり、そして増えてしまったロイドくんたち 色々な事を思い出す為にも、ついにやってきたスピエルドルフ 人間と距離を置いている魔人族の国で、しかしロイドくんたちは歓迎されて――

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted