大晦日の恋路

「お清さん」
後ろから私の名を呼ぶ愛しの殿方の声,振り向くと水色の薄い着物を端折り,捻りハチマキに道具箱を担いでたっている。走ってきたのか,顔を赤くして額には汗が滲んでいる
「待たせてしまいましたか?」
心配そうに尋ねる彼。あぁそんな顔,そんな瞳で見つめられたら私…私…
「どうしましたか?調子悪いですか?」
いつの間に蹲っていたのだろう,着物から伸びる彼の逞しい両脚と草履が目の前にある。
「いえ,そのようなことはございません」
「そのようなことを真っ赤なお顔で申されましても…」
彼の手が私の頬を撫でる。その手は岩のようにゴツゴツして,ところどころ切り傷や逆剥けが出来ている。だが対照的に,撫でる仕草は彼の優しさに頭の先から爪先まですっぽりと包まれてしまったよう。
五感は全て,彼に染められる。
あぁ…このままずっとこうされていたい…

「あぁ,もう亥の刻ですか」
彼は不意に立ち上がった。着物から微かに汗の臭いが漂う。
「何かあるのでございますか?」
「ようく耳を澄ませてみぃ」
遠くから微かに梵鐘をつく音が聞こえる。

ボーン…ボーン…

あぁ,そうだ。今夜は大晦日だ。

「もう1年も終わりでございますな」
ボソリとつぶやく。そんな彼を見上げると,浅黒い頬に目立たないながらも紅がさしていた。
「信様?」
「ここでいうことではないのは承知してはござるが,私と仲になってくれぬか?」
「え?」
驚いた。まさかそんなことを言われるなんて,いや前々から想っていた殿方に想いを告げられるなんて…
「幸せにすることは,八百万の神に誓おう」
脈拍が次第に早くなっていく。顔が赤くなり,全身から滝のように汗が噴き出る。
しかし,答えは言われる前から決まっていた

ゴーン…

108つ目の鐘が鳴り終わったと同時に,涙で濡れた瞳に笑顔を浮かべ,こう答えたのだった。

「はい」

大晦日の恋路

大晦日の恋路

  • 小説
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-31

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