ゆるやかな消滅

(ゆるやかに、消滅)

 おれの右足の親指は、おとつい、見えない何かに食べられた。
 きのうは、人差し指を食べられた。
 おそらくきょうは、中指を食べられる。
 あしたはきっと、薬指。しあさっては、小指だろう。
 おれ、同性しか好きになれないけれど、おなじ雄ならば、人でなくても、かまわない。犬でも可。クマでも、しろくまでも、たぶんへいき。あんたもそうだと思うけれど、おなじ雌ならば、人ではないものでもいけるっしょ。目が三つある生き物でも、触手が生えている生き物でも、半身が魚の生き物でも。

 そうそう。

 消滅した肉体は、世界の裏側に行くんだって。
 おしえてくれたのは、ときどきセックスをする人だった。厳密にいうと、はんぶん獣の人で、はんぶん獣の人は、サラリーマンである。おれより七つ年上。三十歳の雄。
 世界の裏側というのは、わかりやすくいえば、おれたちがいる世界をからだの皮膚として、その皮膚をぺりぺりとはがして覗けるからだのなか。脂肪や肉に覆われ、血管と神経が張り巡らされ、生きるために正常な機能が求められる臓器が詰まった、からだのなか。それが、世界の裏側。つまり、いま、おれが、なにもない空間に手を伸ばし、爪で引っ掻いて、シールのようにぺろんとめくれたら、その裏側のどこかに、おれの食われた右足の親指と、人差し指が、いるってこと。
 世界の裏側で、おれのからだは、再構築されるそうです。
 さいこうちくって、まあ、表の世界でほぼできあがっていたおれのからだが、一度ばらばらになって、裏の世界で組み立て直されるのだから、そういうことなのだけど、でも、サイコウチクって表現、なんか、無機質っぽくて、やだね。

「そういう肉体の消え方は、世界の裏側に引きずり込まれている証拠」

 だそうです。
 はんぶん獣の人が言ってた。おれの乳首を、べろべろ舐めながら。
 なんで、そういうこと知ってんの。
 たずねたら、むかし研究してたのだと。二十一歳くらいのときに、おなじ大学にも、いたらしい、おれみたいに一日に指一本ずつ、消えていった人。
 世界の表側の人が、裏側に引きずり込まれることは、そんなに珍しいことではないようだ。
「それいわゆる、神隠しってやつじゃないの」
 おれは言った。
 はんぶん獣の人は、
「ざっくりいうと、そう。厳密には違うけど」
と答えながら、おれのわき腹に舌を滑らせた。
 はんぶん獣の人の舌は、なんせはんぶん獣だからか、ざらざらしていて、ちょっと痛かった。
 硬くて細かい無数の突起が、はんぶん獣の人の舌にはびっしりついているのだった。

 予想通り中指が消えて(食われて)、きのう、薬指も消えた(食われた)。
 順当にきているので、きょうは小指が消える(食われる)と思われる。
 いや、まちがいなく消える(食われる)。
 そしたらあしたは、左足の親指だろうか。もしくは右足の、指の付け根から甲、足首にかけて。はたまた、いきなり首から上、という可能性もあるかな。あるよね。ありえなくはないよね。
 だいたい消える(食われる)といっても、消えた(食われた)ところで、その消えた(食われた)ところから血が噴出するとか、肉がはみでるとか、骨が見えるとか、そういうのはまったくない。痛みも。消えた(食われた)指の断面は黒く、なんだかおれのからだのなか、黒炭でできているみたいだと思った。人間の皮をかぶった、黒炭。

 ねえ。

 あんたはどう思う?
 胴体よりも先に、首から上が世界の裏側に飛ばされた場合、おれは、こちらの世界ではどういう扱いになるのかな。
 にんげん?
 それとも。

ゆるやかな消滅

ゆるやかな消滅

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-27

CC BY-NC-ND
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