君の庭に埋められたい

同性愛描写があります。注意してお読み下さい。

 僕は君の庭に埋められたい。あの雨の日、滅多に感情を出さない君が、顔を汚して泣いていた。大きな声で、雨音も弾き飛ばすようなそんな咆哮だった。飼っていた犬が死んだ。ただそれだけだった。僕は生まれてこの方ペットを飼ったことがなかったし、よく聞く「家族の一員」なんて言葉の意味もわからなかった。でも、君を見て分かった。君は小さな冷たくなった家族を胸に抱いて、オウオウと声をあげて泣いた。初めて見る外にでた君の大きな悲しみだった。君の中には広く深い闇があるのを僕は知っていた。君の大きな目玉には、この世に対する希望と絶望が詰まっていた。それを僕は君の歌でしか聞いたことがなかった。感じたことがなかった。君の創り出す歌はさみしさの塊だ。歌にして吐き出される君の穏やかな絶望はいつも僕をえぐった。しかしそれは、歌という膜で包まれたものだから、僕の想像の範囲でしかなかった。きっとあのことが君を傷つけたのだろう、きっとあのことが君をこんなにも幸せにしたのだろう。自分のことを話したがらない君が、僕や他人に持つ唯一の伝達手段が歌だった。それがあの雨の日確かに破かれたのだ。大雨で調子の悪い電波が、ザーザーと立てて君のか細い声をかき消した。君が僕に電話するなんて滅多にないものだから、僕は酷く焦っていた。君は今までに聞いたことがない声でもう一度僕にはっきりと伝えた。ミズキが死んだと。ミズキは君の初めての我儘の象徴だ。父と母に見捨てられた君は、幼いころから祖母と二人きりで生活をしていた。君は街角で小さな花屋を切り盛りする祖母を助け、とても大切にしていた。我儘を全く言わないものだからよく祖母に心配されたといっていた。そんなある日、君は空き地に捨てられていたボロボロの犬に出会う。その犬を見つけた瞬間、君は段ボールごと抱えて急いで祖母の家まで走った。そして初めての我儘を口にした。この犬を飼いたいと。それから、その犬はミズキと名付けられ、君の家族の一員となった。それが死んだ。大雨の日。僕は急いで家を飛び出して君に会いに行った。急いで着たカッパの袖から水が染みて体が段々冷えていくのを感じた。心臓の音がやけにうるさくて、体の内だけがやけに熱かった。辿り着いた時、君は項垂れていた。冷たくなった犬を胸に抱いて、静かだった。僕はそっと君の名前を読んだ。僕を移した赤い目はひどく感情的だった。君は泣いていた。何も言えずかけよると僕は君の前にしゃがみ込んだ。流れきっていない涙がまつ毛の上について震えていた。それが、冷たくなった犬の上に落ちて濡らしていた。それを何度も繰り返して、長い時間が立ち、ようやく君は口を開いた。「悲しい」シンプルにただ一言それだけだった。君の歌はいつも酷く曖昧で悲しみは比喩のベールに包まれていた。それが開いた。生々しい赤子の産声のようにその言葉は僕の内臓を重くした。空想の中で生きていた君が、ようやく生身の人間になった。生きてる人間になった。僕が君の肩を叩くと、君の涙はまた流れ始めた。声をあげて君は泣いた。確かに泣いていた。僕の胸に顔を埋めて泣いていた。君の胸に抱かれていたミズキが僕の膝に転がった。確かに生きていない者の重さだった。僕は君がミズキにどんな思いを抱いていたのかを知らない。君がどんなにミズキを思っていたかを知らない。でも君は、歌に出来そうもない大きな感情をこの家族に抱いていたのだ。僕が死んだら、君はどうなるんだろうか。こんな風に泣いてくれるのだろうか。霞を食べて生きているような君が、生身の人間に戻ってただ単純に泣いてくれるだろうか。悲しいと、ただ一言、こぼして泣いてくれるだろうか。僕の冷たい体を抱いて。 この後、泣き止んだ君は庭に小さな家族の墓を作っていた。雨で湿る土を掘って小さな家族の体を埋めていた。
君の庭に埋められたい。
土をかぶせて、手を合わせる君の横顔を僕は見ていた。そこに残る僕の感情は射精の前のあの高ぶりに似ていた。


飴村歩生あめむらあおい、二十五歳 職業はギタリスト兼花屋。好きなものはひとつだけ。
びくりと体を震わせて起きた。懐かしい夢を見ていた。横に眠る男は寝息を立てて眠っている。そっとベッドから降りるとシャワー室へと足を急がせた。まだ、寒さの残る空気を肌は敏感に感じた。佐々木さんはまだ眠っている。佐々木さんの部屋には何もない。あるのはベースとベッドだけ。そのベッドで今日セックスをした。いつものように。ライブが終わると僕らはよくセックスをする。人の歓声が脳内にこだまして体を蛇のようにまわって熱くさせる。そんな熱を誰かに吐き出したくて僕らはセックスをする。さも当たり前のように。これのきっかけはある夜だった。ツアーのファイナルが終わり、打ち上げをしていた時のことだ。華やかな宴会会場を抜け僕がトイレに向かうと佐々木さんは僕の後をついいてきた。狭い通路の奥にトイレがあり、そこで佐々木さんは僕に耳打ちした。奥の方で宴会のざわざわした騒ぎ声がこだましていた。それが遠くなるほどに衝撃的な言葉だった。
「お前、ゲイだろ?」
図星、というには少しずれた表現だった。しかし女を愛せないのは事実であった。愛せないというよりただ単純に性的対象に見ることができない体質であった。しかし男にも興奮しない。自分は何だろうと宙ぶらりんの性癖を持て余していたところだった。そんな心の奥にしまった悩みをここ数日間バンドを組み、横でベースを弾いていた男に触れられるとは考えもつかなかったのだ。
「分かりません」
ただ一言、そう言うのが精いっぱいだった。
「いや、お前その気絶対あるよ。俺ゲイだからわかるもん」
「そうですかね」
嫌な汗がにじみ出た。別にこの人に自分がゲイとばれたからといってどうということもないのに。不安と焦りで心臓が破けそうだった。
「何、焦ってんだよ」
じりじりと細い道を奥へ奥へと追いやられていく。そして壁にぶつかった。トイレに人影はない。佐々木さんと自分の二人だけの空間だった。
「なあ、飴村、俺とセックスしようぜ。」
耳を疑い、聞き返そうとした瞬間口をふさがれた。信じられない状況だった。不快感の中どうしようもない興奮が体の奥を熱くした。唇が離されると佐々木さんは唇の端をあげた。
「どうする」
バカみたいな選択をこの人はさせるのだなとぼんやりとした頭の中で思った。そしてその夜、僕たちは二次会には行かなかった。
シャワーを浴び終わると須藤さんは換気扇の下でタバコを吸っていた。タバコの煙が換気扇の刃が起こす竜巻に吸い込まれる様子をずっと見ているようだ。
「上がりました。ありがとうございます」
こちらに気づいた佐々木さんはタバコの火を押し消して僕の方に近づいてきた。
「飴村さあ俺いつも思うんだけど、ねものがたりってことばしんねーの」
「何ですかそれ」
僕の濡れた髪をすくと佐々木さんは喉に引っかかるような笑い方をした。そして、僕の腰に手を回すとグイッと体を引き寄せた。
「かわいくねーな。」
そう耳元で呟くと、おでこにそっとキスを落とされた。
「恋人みたいなことしたいんですか」
「いんや、でもさお前やけに冷たいんだもん。俺の腕の中で善がってる時は可愛いのに朝起きたら横にあるのは冷たいシーツなんだぜ。寂しくもなるよ」
「意外と子供っぽいですね。そういうとこ嫌いじゃないですよ、佐々木さん」
こうやって冗談を言い合える仲は貴重だと思う。僕は本当に友達が少ない。腰に添えてある手をほどくと佐々木さんはバスルームにいった。鼻歌は昨日のアンコールだ。ギターソロがあるとっておきの歌。神様が作った、僕のための曲。
佐々木優糸は僕のセックスフレンド。嫌いじゃない男、
好きなものは一つだけ、僕は神様に恋をしている。

神様に裏切られた午後、俺は一つの決断をした。恋愛というものに向いてないなぁと思い始めたのは他人の恋を認知し始めてから。脳内がピンク色にグショグショになって薬をきめたようなあの感覚。まるで宗教のようだと、恋する人々を見ながら思っていたのだけど俺もいつの間にか運命の相手を見つけたようだ。好きだった。理論的ではないふわふわとした感情にほだされていた。そして、幸運なことに相手も同じように俺のことが好きだった。普通の男と女なら恋愛が成立するのなんてごく当たり前のことなんだろうが俺の場合、男しか愛することのできない所謂ゲイというものだと、思春期の時におもい知らされていたから、一般的に女を愛する男が男の俺を好きというのは本当に奇跡だったのだ。高校という狭い閉鎖的な空間で、誰にもばれないように育てた関係はやがて社会人になるまで続いた。そのころには俺たちは同棲生活をおくっていた。ゲイカップルありがちの節目ってやつだ。俺は、高校時代に始めたベースをやめられなくて、色んなバンドのサポートベースをやって細々とした収入を得ていたし、あいつはあいつで小さな出版会社に入りこつこつと利益を上げていった。あいつは俺に出会わなければきっと普通だった。俺の人生に巻き込んでしまった。一緒にご飯を食べるとき、出かけるとき、キスをするとき、体を重ねて愛を確かめ合うとき、罪悪感は俺の心に重くのしかかった。あの時、気持ち悪がられて終わると思っていた思いがここまで続いた。神様がいるのなら大盤振舞で祭り上げても怒られはしないそんな幸福感だった。しかし、心の奥の罪の意識は消えなかった。肌を重ねている瞬間、いつだって俺は泣いていた。すまない思いでいっぱいだった。それをあいつは背中をさすって慰めてくれたし、俺も手放しであいつの胸に飛び込みたかった。しかし、幸福感は俺の胃を酷く焼いたし、罪悪感は俺とあいつに大きな壁を作った。なんでかなあ、ゲイは幸せになっちゃいけない気がしてたんだよ。だからこそ、あの午後、神様は俺を裏切った。神様の与えてくれた幸福感を信じなかった俺にばちがあたったんだ。あの日は、珍しく二人とも休日でどこかに出かけようかと俺は提案した。インドアな俺と違って元々アウトドアなあいつは喜ぶかと思った。けれど、あいつは喜ばなかった。決意したように静かに話があるんだとだけ告げた。俺は何かと思って最初は茶化していたけどそうはさせない雰囲気があった。そして、静かに別れを告げられた。五年間、あいつが必死に信じてきた幸福は俺が聞く耳を持たなかったせいであっけなく終わってしまった。あまりの衝撃に言葉が出なかった。俺をあいつは何の感情もこもっていない目で移していた。もう何度も警報はならされていたというのに。こんな終わりが近づいていると。もう新しい人がいると告げられ、様々な思いがぐちゃぐちゃになった。黒くて大きくて吐き出せない思いはいつだってこいつが俺からとってくれていたというのに。その思いを作り上げたのは間違いなくあいつだった。あいつは泣いていた。静かに疲れたように泣いていた。そして、ごめんと一言だけ言うと部屋を出ていった。次の日には引っ越し業者がきて荷物は全部取り払われた。残ったのはベットとベースだけ。元々極端に物が少ない部屋だったのに、とても広く感じられた。神様に裏切られた午後、俺は一つの決断をした。誰にでも保障されている権利、幸福追求権を放棄した。


佐々木優糸ささきゆい、三十二歳。職業はベーシスト。好きなものはわからない。
セックスをする時、相手の優位に立つ方が好きだ。相手の手で惑わされてアンアン喘ぐなんてもってのほか。相手が自分の手で翻弄されるのを見るのが趣味。この頃のお気に入りは俺が助っ人で入ったバンドのギタリスト。おとなしそうな外見からは想像もつかない激しい引き方をする。そういうのがくるってファンからは絶大な人気を誇る。が、残念ながらこいつも助っ人。このバンドは一人の絶対的な神により構成される一時的なバンドなのだ。ボーカルの三上揺みかみゆらぎは、作詞、作曲、編曲、PVに至るまで全てを一人でこなす天才だ。そいつがライブツアーをする時、必然的にギターやベース、ドラムが必要となってくる。いくら天才といえどそこは一人では賄うことができない。そこで呼ばれたのが俺らなわけで。ギタリストである飴村歩生とドラマーの由湯川翔太は学生時代、三上とバンドを組んでいた。だから俺だけが他人で、縁があってこの場所が回ってきた。この一時的でなおかつ不安定なバンドメンバーではあるが、それなりに仲良くやってきたつもりだ。だって日本各地を回るライブツアーって意外と長くて、半年くらいそのメンバーと生活を共にしなきゃいけないんだから。幸いなことに俺はこのメンバーが気に入っていたし、三上がもし次の曲を作るときも呼んでくれれば、最高だなと思っていた。しかし、物事というのは明るい面だけではない。やはり、一緒に音楽を作っていく上で、気づいてしまったことがある。きっと、飴村歩生は三上揺のことが好きだ。好きには色々種類があるとは思うが、これはあれだ。肉体的な関係を望む好きだ。しかも厄介なことに、三上の方はそれを分かって飼い殺しているように見える。三上は俺から見て人との距離の取り方が下手な方で、俺には薄い壁を作って話す。それが気にならないことはないのだが、もう俺は大人だし、相手は芸術家ってやつで。人との距離を分かってなくてバカみたいに詰めてくるやつよか幾分ましだと思う。しかし、飴村にとる態度はそれだ。あいつらの関係に距離はない。共依存って言葉がしっくりくるかもしれない。不思議なことに由湯川にはそれを感じることはできない。彼らの関係はよくわからないけれど。飴村は大変頭が切れるやつだからきっと関係の異常さは十分承知していると思う。けれど、あれはもう離れられない。あんな、脳みそまで綿菓子が詰まってそうなバカな男に一生を捧げて、ギターを健気に歯車になって弾いているんだからとんだ笑い種だ。きっとあいつにも表したい何かがあるのだろうに。ライブツアー中、泊まったホテルで飴村はギターを弾いていた。皆ライブで疲れて酒飲んで寝ているのにあいつだけは黙々とギターを弾いていた。控えめな音だった。でも確実に意思の入った音だった。飴村、俺はお前のギターのすごさを知っているよ。人を引き付ける力がある。たとえ地味でもな。しかも、きっとお前にもお前だけの歌があるんだろう。俺と違って、お前は作り出せるはずだ。そう思っていくうちに俺はもう距離のない、共依存の中に巻き込まれていた。
「なあ、セックスしようぜ?」
距離がなくなる。生々しい舌が口の中をまさぐる。あぁ、これが現実だ。
飴村歩生はギタリスト。幸福ではない男。
恋をするには、もう遅い。好きなものも分からない。

神様は生きているものを作りだすものだ。自分の歌は生きているだろうか。昔から歌を作るのは好きだった。一度聞いた音は忘れないし、一通り楽器で弾ける。絶対音感といえるものだろうか。自分の中に気持ちいいといえる音感が存在してそれの通りに音を繋げる。そうしたら、みんな返してくれる、様々な反応を。動画サイトから始めた活動は今ではこんなにも大きくなった。大きなライブハウスで歌えるようにもなった。みんな僕のことを天才やら、神様などというけれど僕はそうではないと思っている。僕は小さな神様を飼い馴らすことができるだけだ。僕は自分の体から生きている音楽を作り出すことは無理だ。はじめ僕が音楽を作り出したとき、コンピューターを使った。昔から音楽が好きで買ってきたCDをすり切れるように聞いていた子供で、それを自分自身で作るための道具だと祖母に言ったら祖母は迷うことなく僕にそれを与えてくれた。まずはじめに自分の肉声以外のすべてをコンピューターでプログラミングし、動画サイトに投稿していた。その時、様々な賛辞を僕は貰ったけども、けれど一人だけ的確なことをいう人がいた。「こいつの音楽は機械でも作れるじゃないか」僕のファンたちはその人の意見をたたいていたけど、けれど僕はその言葉に我に返った。神様の皮をかぶった無機物になりかけていると。それから僕は必死に楽器を練習した。ギター、ドラム、ベース、キーボード。自分の作った曲に息を吹き入れるために必要なものをすべて。しかし、それは機械にも及ばないものだった。だから、僕は小さな神々を探し回った。生きている音楽を作り出すものに自分の作った音楽を引かせたかったのだ。それから僕はライブハウスや楽器屋、CDショップなどを回った。そして、やっとみつけだした。僕はもうその時には疲れ果てていて途方に暮れていた、もう音楽なんて辞めてやろうという気にさえなっていた。しかし、学園祭の最終日、ステージの真ん中でトリを飾ったバンドが僕の心をひどくついたのだ。詳しく言うと、ギターとベース。他はどうでもよかった。街中に音楽はあふれているけど、生きている音楽は少ない。僕のファンの中に僕を神と呼ぶ人がいるけれど、僕も機械が生産するような大衆音楽を生産するただの一般市民に過ぎない。しかし、僕には生きている音を探す能力は存在する。だから、出会えた。
神様は生きているもの作り出す。僕はその神を使い、神様のふりをする。

三上揺みかみゆらぎ、二十五歳 職業はボーカル。大切なものが二つある。
「ゆ、ら、ぐ?って読むの」
そう、彼女は僕に問いかけた。
「ゆらぎ、みかみゆらぎって読むんだ。ろうそくの火がユラユラしているのを見たらなんだか落ち着くだろ?そんな子になってほしいってつけられたんだ」
へえと彼女はいうと興味がなさそうに、またベースを弾き始めた。出会って三日たった日のことだった。彼女が所属する軽音部は先日の学際でボーカルが引退してしまい参ってしまっているところだったらしい。そこに僕が入部希望できて僕は前のボーカルと面接し、了承をへてここにいるのだが、あまりに突然のボーカルの変更にみんなソワソワしている。ベースの虹村伊予にじむらいよも例外もなくその一人だった。今はなぜかわからないが伊予しか部室におらず僕らの間の空気は冷たい。
「なんで、君ここに入ろうと思ったの?」
「君のベースは生きているものだと感じたからだ」
伊予はベースの手を止めて、こっちを見た。適当な間つなぎの質問をしたらトンチンカンな答えが返ってきたからであろう。
「生きているって?」
「感覚的なものであるから、説明するのは本当に難しいのだけど、僕は人が心地いいと思う音域をわかっているんだ。それを作り出すことができる人はたくさんいるけれど、それは機械にもできることで心の奥底には残っていかない。虹村さんは音楽と一緒に過ごした思い出はたくさんあるだろう。音楽を聴くたびにその悲しかった、楽しかった思い出が蘇る、それが耳に心地いい音楽が作り出すもとであるんだ。じゃあ、音楽だけが強烈に残っているものってあるかい?そこには何も自分の私情もなくただその音楽に心奪われた経験。僕はよく歌を作るよ。コンピューターでね。それでそれを動画サイトに投稿してる。みんな思い思いのコメントを書いてくれるのだけど、やっぱり、僕の作る歌って思い出を巻き戻す機械でしかないんだよ。虹村さんはどうか知らないけど、今のご時世音楽だけを純粋に楽しむ機会なんてあまりないからね。何かをしながら片手間にみんな音楽を聴いているんだ。僕はね、手を止まらせるような音楽を作らせたい。みんな片手間に映画なんて見ないでしょ。話がわけわかんなくなっちゃうからね。映画や本は片手間には基本的にできない。それの内容によってどこかに連れて行ってしまうから。じゃあ、音楽にもその魅力はあるはずなんだ。君のベースにはその魅力がある。人を惹きつける魅力。すなわち生きてるってことさ」
 伊予はただ茫然と僕の話を聞き、そしてへらっと笑った。
「ゆらぎくんだっけ、面白いね。君は本当に面白い」
「どこら辺が」
「普通の人間は、初対面でこんなに人をべた褒めしないよ」
真剣に言ったつもりではあったが、僕の感覚はどうやら他人とは少しずれているものらしい。音楽ではぴったりと合った感覚であるのに。
「私だけに、惚れたの?ゆらぎくん、私のほかに、ギター、ドラムがいるけど」
「いや、あと一人、ギターの彼もいい音を出すね。ドラムも悪くはないが、まだ死んでる」
「ギターか」
バンドメンバーの前で僕が歌っているとき、ギターの男だけ、熱心に僕のことを見ていた。まるで品定めするように。主人を選んでいた。そのギターの名前は、
「あおい、あめむらあおい。あおいにもこの話してあげたがよいよ。きっと喜ぶ、あいつ音楽馬鹿だからさ」
大きな、大きなライブハウスで歌う時にこの光景をいつも思い出す。伊予、僕は君のベースが好きだった。今ではもう君が生きている証の電子音しか聞こえないけれど。
大切なものは二つだけ。あと一つを僕に返してください。


(幕間)
由湯川翔太ゆゆかわしょうた、二十五歳 職業はドラマー。天才にはなりきれない凡人。
天才は俺を当たり前のように使う。高校時代、あの天才は突如俺の世界に現れた。4月に新入生が入ってこなくて俺ら軽音部は次のボーカルを探せないまま夏の引退コンサートをすることになった。このまま決まらないのであれば、ギターの飴村をボーカルにとなっていたが、飴村はギターしかしたくないといっていた。確かに彼のギターはボーカルには向いてはいない。激しくて熱いのでギターだけの方がきっと観客の心をつかむのだ。そんな状態の中、彼は颯爽と現れた。
「ボーカルを募集していると聞きました。僕に歌わせてください。」
その天才は三上揺と名乗った。願ってもないボーカル志望の登場にみんなは浮かれていた。しかし、俺はこの時、警鐘がなっていた。こいつは危険だと。この男は感情を表に出す術を知らない奴なのではないかと。一言で言ってしまえば不気味だった。しかし、廃部の危機を免れた軽音部はそいつを快く招き入れた。メンバーの前で歌い、技量を見せてもらった時もこいつは非の打ちどころがなかった。ベースの伊予だって最初は警戒していたのに、いつのまにかこいつに心を許していた。飴村は気が合うのかいつもこいつの隣にいたし。そして、こいつの力は歌だけではなかった。歌なんてこいつの才能の氷山の一角でしかなかった。作り出す歌、それは一回聞いたら二度と離れないメロディ、独創的な言葉選び。生まれながらにして持っている才能をこいつはあるがままにしていた。このバンドはいつもギターの飴村とボーカルが作っていたのだが、三上が入ると三上しか歌を作らなくなっていた。そして、それがあの激しいギターとベースに乗って世間に発信されるものだから俺らの音楽は最強のものとなっていた。インディーズバンドが好きなファンの間ではたちまち有名になり、ライブハウスは満席になった。神様が戦う道具を手入れた瞬間だったのだと思う。あの三人は俺から見て本当に仲が良かったし、俺も普通にその中に入れた。ただ大きな壁があった。凡人、それは神に寄って引かれた残酷な線だ。やがて、俺らは卒業しそれぞれの道を歩むことになる。三上は音楽事務所と契約しプロになり、俺と伊予は音楽大学へ進学、飴村は三上の実家の花屋へと就職した。俺らは時間を見つけてはあっていたし、三上が曲を作る際よく呼び出されていた。じゃあ、なんで四人まとめてデビューを飾らなかったのか。それは、解散が免れなかったから。ギターの飴村が三上の家の花屋を継ぐといって聞かなかったからだ。三上は幼いころに父親と母親を亡くしており、祖母に育てられて生きてきた。高三の夏、その祖母が倒れ花屋の存続が厳しくなり祖母は花屋をたたみ、店を売る決意をしていた。しかし、そうすることで三上は本当に帰る場所を失ってしまう。そこで音楽をやめ、花屋になろうと決心する三上に飴村は俺が継ぐとはっきり言ったらしい。そこに迷いや同情のまなざしなどはなかった。ただ、三上の音楽を守るためならなんだってやる、そういった決意はあるだけだった。その話を聞いた瞬間、俺を嫌悪感と嫉妬が支配した。依存関係が気持ち悪い、そこまで盲目に信じられるものがあってうらやましい。そこで俺が感じたことは、いろんなところでドラムを叩くことができるフリーのドラマーになろうという思いだった。人の音楽を盲信できるほど俺の頭はおかしくはなかったのだ。三上のほかに俺は大学でいろんなバンドメンバーの助っ人ドラムをした。俺のドラムはまるで粘土のようで、好きなように味を変えられた。そこが天才にはなれない理由だったのかもしれないけど。伊予は、新たにギターを始めてみたり(やっぱり、ベースかなとこぼしてはいたけど)、ほかのバンドの助っ人に言ったり、三上と曲を作ったりしていた。飴村はもともとコミュニケーション能力が高い方だし経営に向いていたようで花屋は繁盛していた。でも手を見ると相変わらずギタリストの手だった。真面目なあいつの性格だ、あれはきっと毎晩弾いているのだろう。三上はCDを出すたびに俺らをレコーディングに呼んで、ツアーも一緒に回った。学生ではありながらほぼプロの世界だった。俺は音大を卒業して、フリーのドラマーになって、生活を立てていく予定だったし、伊予もそのつもりだった。飴村だってそうだろう。この四人はつかず離れず、俺たちは音楽で生活する集団になる予定だった。いや、ならないはずがなかった。しかし、この関係はあっという間に崩れてしまう。ある出来事によって。その日、三上は俺たちにいつものように集合をかけた。月末に始まるライブツアーのだから俺たちはいつものようにスタジオに集まった。しかし、伊予がこない。あの真面目な伊予が約束を守らないはずがない。そう思って何度も何度も電話をするが出ない。メンバーの焦りや、不安が頂点に達したとき、ある一本の電話が鳴った。伊予が交通事故にあい、意識不明の重体だとその電話の声は告げた。信じられなかった。でも、俺たちが病院に行くと沢山の管に繋がれた伊予がいた。辛うじて生きているのが分かった。伊予の両親が泣き崩れていた。そして、その両親に医者は顔を歪めて伝えた。
「まだ、確信は持てませんが、おそらく娘さんは植物状態になる可能性が高いです」
衝撃的な事実に頭がクラクラした。今にも倒れそうな絶望感があった。伊予のベースがもう聞けなくなる。その時俺は初めて自分もこのメンバーに依存していることに気づいた。いくらフリーになったって、自分が帰る場所はここと決めていたのだ。それが今崩れた。完璧に壊れてしまった。俺らは4人集まって完璧な存在で、一人一人はとても不安定なものだった。伊予はベーシストとして死んでしまった。それでも、週末にはツアーが来る。俺らはどうすればいい。病室は静かだった。伊予の命を繋げる機械音しか聞こえない。その沈黙を破ったのは、飴村だった。
「ツアーはやろう。今から代わりのベーシストを探す」
飴村の目には強さがあった。
「だめだ。歌えない」
いつものように静かな声で三上は言った。しかし、いつもの調子と違っていた。
「みか、もう君の歌は一人のものではないんだよ。君は歌うことが仕事なんだよ。責任を取らなくちゃいけない。今なら変わりのベーシストを探せる。ここで腐ってはいけない。それが、君が作り上げてきた代償だ」
静かにもう一度告げた。伊予がよく言っていた。飴村は音楽馬鹿なのだと。柔らかな雰囲気とは裏腹に秘めているものはとても熱いものなのだと。この男は、三上の音楽を心底愛している。そして、信じているのだ。どんなことがあってもこいつはへこたれないと。その時、三上は無言で飴村を見ていた。そして去って行った。
「ゆゆ、ドラム練習しておいてくれ。ここでツアーが中止なんてことになったら一番悲しむのはいよだろう?」
「でも、三上は戻ってくんのかよ」
「戻ってくるよ。いよの気持ちを一番わかってんのはみかだろうから」
それから飴村は店を自分の弟に任せベーシストを探し出した。今まで作ってきた音楽に伊予のベースは必須だった。それを同じクオリティに持ってこれる、またはそれを超えるベース。それを探すのは至難の業だった。
そして、ツアー七日前に迫った日、飴村はある一人の男をつれてきた。それがベーシスト、佐々木優糸との出会いだった。また、天才に使われる新たな男の誕生だ。強烈な依存の中にいるなんでもない俺の話。

飴村歩生は人生において一つのあきらめをしている。それは、三上揺という存在から一生逃れることはできないこと。出会いは強烈だった。三年の先輩の引退コンサートの日、いよいよボーカルがいなくなり、廃部の危機に面した軽音部は途方に暮れていた。そこに現れたのが三上揺であった。初めてその男が自分の前で歌った瞬間、あまりの才能にくらくらした。しかも自身の才能に対し、本人が全くといっていいほど興味がないのだ。天才とは傲慢と紙一重の物だと思っていた。そのできすぎた才能が他を傷つけるものとばかり思っていた。しかし彼は違った。彼は心底音楽を愛していた。自分の音楽が売れようと売れなかろうと彼は歌うのをやめないだろう。自分の才能を存分に使い、自分が目指している音楽に限りなく近付けようとしているのだから。そこに妥協はない。とてもシンプルだ。だから、この男についていこうと思った。自分の作りたい音楽はこの男についていった矢先にあるのだろう。そう確信していた。しかし、どうだろう。あの時、伊予が事故に合わなければまだ自分は三上揺の一部にならずに済んだのだろうかの時すでに依存関係にはあったが、まだこの事態は免れたのかもしれない。自分の音楽が作れたのかもしれない。飴村は自分の居場所の崩壊を恐れた。三上揺という絶対的な盾の喪失を恐れた。あの時、あの時、 そんな思いが頭をめぐる。

声を我慢していると、背中の骨に沿ってなぞられた。思わず声が出ると佐々木さんは僕の頭を撫でた。
「やっぱりかわいいよ、お前。」
「男にかわいいは失礼ですよ。」
マウントを取られて、女みたいに又を開かされて、イチモツを自分の尻の穴で受け止めているなんて異常な光景だと思う。しかも、今さっきまで横でかっこよくベースを弾いていた男のそれだ。どうしてこうなってしまったんだろう。
「佐々木さんモテそうなのに、なんで僕なんですか。」
「いや、最初に言ったじゃん。俺ゲイなんだって。」
「いや、ゲイでも他にいただろうに。」
「どうした。今日はよくしゃべるね、甘えたいの。」
軽口を叩く佐々木さんはご機嫌だ。まだ中にソレが入っているから、お腹がパンパンに膨れて苦しい。動くたびに声が出そうになって全く余裕がない。支配されている、悲しいほどに。
「もういいですよ」
「今の若い子はすぐ拗ねるな」
くっくっくと腹の奥から笑うその声は独特で聞くたびにお腹がむずがゆくなる。それを今耳元で聞いているのだからたまらなくなる。それに気付いたのか須藤さんはいきなり体制を変えた。中が変なふうにかきまわされて大きく喘いだ。
「お前のその余裕がない感じたまらないね。ぞくぞくするわ」
「おっさんにそんなこと言われてもうれしくないですよ」
「はっは、かわいくない」
基本的に、佐々木さんのセックスは激しい。背中に腕を回して、女みたいな声で喘いで佐々木さんのことしか考えられなくなる。きっと佐々木さんは、僕がミカのことをどう思っているのかを知っている。知っていてこんなセックスをする。普通、セックスフレンドって奴は相手を重ねながら虚しさを分かち合うものなのだじゃないのか。須藤さんにも大きな虚しさが存在する。それは僕とは違うのかもしれない。しかし、僕の虚しさは、喜びにも返ることができる。ミカとセックスしないことで僕は彼を妄信することが出来ている。ミカ自身ゲイではないのでセックスできる、出来ないはあるとしても。ユユは知らないと思うけれどミカとイヨは付き合っていた。しかも結構長いスパンでだ。僕は彼の本能的な一面を見たことがない。恋愛とは本能だ。僕は恋愛を好きという想いを暴力的に相手にぶつける行為だと思っている。人のエゴイズムが見え隠れするような思いを僕はミカに思っているのだけど、でも僕はそれよりも彼の作る音楽が心底好きだった。性的欲望よりも、僕は彼の音楽が大切だった。ミカは僕が抱えている思いを告げようものなら、きっと音楽をやめてしまうだろう。僕は彼の音楽を作る道具の一つでしかないのだから。道具ではあるけれど、僕はミカに選ばれた存在になれて、それだけで幸福だった。では、佐々木さんの虚しさはどんなものなのだろう。初めて僕が佐々木さんに会った時、それは雰囲気でわかった。ああ、この人はもう余生を楽しんでいる人なのだろうと。きっと佐々木さんの人生の中で大きなものがあった後なのだ。とても臆病な人なのも分かった。だからこそ、彼の弾くベースは繊細だ。イヨの弾くベースは繊細だったけど、奥に秘めた熱さがあった。須藤さんのベースには熱さはないけれど聞いてるものに何か訴えるものがある。聞いていて泣きそうになるそんな虚しさだ。初めて、ミカに須藤さんのベースを聞いてもらえて時ミカは頷いた。それからずっと、ミカの使うベーシストは佐々木優糸ただ一人だ。
「佐々木さんのベース聞いていると泣きたくなります」
事が済んで、ベッドでタバコをふかしていた佐々木さんに僕は告げた。
「突然だな」
「ええ、伝えたくて」
佐々木さんはフーンというと灰皿でタバコを消してシャワー室に向かった。
その背中を見ていると、やはりなんだか寂しげだと思った。僕は彼を知らない。けれど、彼の弾くベースはとても好きだ。
ただそれだけ。

佐々木優糸は人生において自分をおさえることを常に気を付けている。須藤優一は曲を作ったことが一度もない。そして、ボーカルになったことも一度もない。それはベーシストとして当たり前のことかもしれない。しかし、主人公になりたかった自分には嘘をついていると思う。色んなバンドのサポートベースにはいり、色んな音楽を奏でていたけれどそこに自分はあったのか。自分で音楽を作り出し、コンピューターソフトに入れて音楽を作っている奴なんてたくさんいる。ではそれが当たり前になった時、自分の存在は必要なのか。昔から、自分は主人公になりたかった。戦隊もので言えば、赤になりたかった。それ以外みんな要らないと思っていた。主人公以外の人生なんてみんなゴミだと思っていた。しかし、自分にはなれなかった。なる資格などなかった。何故なら、自分を守っていたから。自分が傷つきたくない。それが自分の中で一番大事であったから。自分を傷つけるものなんかたくさんいた。でもそれ以上に幸福を与えてくれるものの方が多かった。しかし、俺はそれを受け止め入れない。壊れてしまいそうで信じることが出来ない。そうやっていくうちに自分を抑える癖がつく。他人に合わせた自分になる。そうなるといよいよ他人と自分の境界線が分からなくなるのだ。そうして、出来上がったのが他人の思い道理に動く自分だった。都合がよい佐々木優糸は、バンドマンから沢山の指示を得て色んなものへ形を変えた。形を変えることは悪いことじゃない。でも、これは自分の意思じゃない。流されているだけだ。そんな中いつものように都合よくベースを弾いていたら、あの男に出会ったのだ。
「佐々木優糸さんですよね、今さっきのライブ見てました。お願いします。僕の横でベースを弾いてください。あなたが必要なんです。」
飴村歩生はそう俺に告げた。
俺を、主人公にするために。

「こんばんわ。改めまして、三上揺です」
ライブの中盤、ツアーおなじみのメンバー紹介が始まる。由湯川が派手にドラムを鳴らす。それが合図で三上がメンバーを紹介する。いつもの流れだ。
「こちらが、ベースの佐々木さん」
「こんばんは。佐々木優糸です。今日は楽しんでいってください」
軽くベースを鳴らすと客から拍手をもらうことができる。
「続いて、ドラムの由湯川」
「どうも。由湯川です。元気にドラム叩いていきます」
由湯川は比較的、男性のファンが多い。由湯川自身のキャラクターがそうさせているのだろう。彼はいつも大胆だ。
「で、ギターのアメ」
「こんばんは、飴村歩生です。ボーカルの三上とは高校の時からの仲です。ここにいるみんなと違って、僕は普段ギターを仕事にはしていません。だから、こんなところに立てているのが本当に夢みたいです。ここに立たせてくれているミカと会場に集まってくれているファンに感謝をこめてギターを弾きますのでどうぞよろしくお願いします。」
そういうと、飴村は深くお辞儀をした。飴村は所謂バンドマン臭さがない。何事も丁寧に接する。バンドマンとは自分の虚像を信じぬく生き物だと思うのだがそれが飴村には感じられない。虚栄がないのだ。接客業を長いことやっているからだろうか、それが斬新だと思う。
「相変わらず、真面目だね」
「そうかな」
ファンの間からコールされると、いつものように控えめに飴村手を振った。
そして、三上の掛け声で後半戦が始まる。飴村が激しくギターを弾き始めた。静から動へと変化する。張りつめた緊張感。そこにドラムが入り、声がのる。それに乗り遅れないように俺は弦を叩いた。
このバンドに名前はない。なぜなら、三上のために集まった一時的なものであるから。職業上よくバンドのライブに行くが、そこでは初めにバンドの名前が出てくる。その後、MC中にバンドメンバーの紹介がある。しかし、このバンドは三上の名前をはじめ名乗る。チケットにもポスターにもこの会場に立てかける看板でさえ三上の名前しかない。三上の音楽を奏でる俺たちはいったい何なのだろう。一定のバンドに留まらない限りはこの思いからは抜け出せないのだろうけど。しかし、一時的であるこのバンドの関係性はとても深い。強烈な共依存の中にある。初めてこのメンバーとセッションしたとき、あまりに完成されすぎていると感じた。しかし、そこに俺はぴったりとはまった。まるで最初から席が用意されているかのように。俺は基本的に他人の音に合わせていくタイプなのだが、俺が合わせる前にこのバンドは俺にぴったりとはまった。俺のもともと持っているものが浮き彫りに出たのだ。ずっと忘れていたものだった。それを考えてきっと飴村はここに俺を連れてきた。猿まねをしていた俺を見抜いてここに連れてきた。そこにあるのはただ一つ、三上揺の音楽への執着であろう。飴村歩生と三上揺は疑似恋愛関係にある。きっと男女であれば体を繋げていただろう。彼らを妨げるのは一枚の皮膚のみでると思う。それぐらい距離が近い。俺の前のベーシストは今、植物状態にあるというのを聞いたことがある。そのベーシストと三上は付き合っていたらしい。この三人の関係はどんなものだったのだろう。わからない。飴村は三上に体の関係を望んでいる。三上はそれを知って泳がせている。きっと罪悪感など何もないのだ。しかし、飴村も苦しい恋をしている様子がみじんもない。破裂しそうな思いもない。これは俺と飴村がセックスをしだしてわかったことだ。あいつは自分を徹底的に殺している、しかもそれを自分の意志で実行に移している。俺みたいに傷つきたくないという安易な思いからではない。あいつは本当に、三上のギターになることを望んでいるのだ。息をするのと同じようにそれは癖がついている。もう、だめなのだろうか。もう、飴村歩生は死んでしまったのだろうか。そんなことないだろうに。初めて俺を含めたメンバーでライブツアーをした初日のことだった。最後のアンコールの曲で、三上の声が突然とんだ。無理やり立て直した彼の精神も限界だったのだと思う。冷や汗が出ていた。演奏は続き、ざわつくライブハウス内でその声は大きく響いた。ギターである飴村が歌い始めたのだ。三上の中性的でキーの高い声ではない。迫力のある低い男の声だ。観客は全員飴村を見ていた。見ざるをえなかった。それぐらい衝撃的な歌声だったのだ。倒れそうになっている三上を支え、飴村は歌い続けた。最後は泣きそうな声だった。そして、最後のドラムがなり終えたとき、飴村は深くお辞儀した。
「本日はお越しくださって本当にありがとうございます。ベースの虹村の不在の中、ツアーをやろうとわがままを言ったのは僕です。なぜなら、ここでツアーを投げ出してしまったら一番悲しむのは虹村だと思ったからです。この三か月間このツアーのために三上は本当に曲作りに真剣そのものでした。だからこそ今、ファンの皆様にお届けしたかった。これからも三上揺をよろしくお願いします。」
ここ言い放つと、また深くお辞儀した。三上も立つのがやっとでふらふらしているのに飴村を真似るようにお辞儀をしていた。ファンからは大きな拍手が送られ鳴き声も聞こえた。俺はこの時、依存から離れた飴村歩生を一瞬垣間見た気がした。三上を支える飴村は依存そのものだった。しかし、歌っている飴村は、違った。飴村の世界が確かにあることを証明したように見えたのだ。音楽馬鹿と呼ばれていたという飴村。三上に出会う前の飴村はどんな音を奏でるのだろう。それが気になった。とても。三上に出会う前の飴村は生きていた。生きている飴村の横で俺はギターを弾きたくなってしまった。

「いらっしゃいませって、あぁ佐々木さんか。何しにきたんですか」
あんなギター弾くやつが普段は花屋ってなんだか面白いなと思う。よく見ると奥に弟らしき人物がいた。その弟が話している老婆こそ三上の祖母なのだろう。
「何しに来たんですかって花買いに来たんだよ」
「佐々木さんがですか。似合いませんね」
ふっと笑うと、飴村は注文票を持ってきた。
「どんなご依頼ですか」
「アジサイが一つ欲しいんだけど」
「ああ、花束のご依頼ではなんですね。ありますよ。こちらですね」
もうすぐ梅雨が来る。三上のツアーはいつも冬だ。今はせっせと曲を作っていることだろう。
「ありがとう。なあ、仕事が終わったら時間とれるか」
顔に疑問符がついているのが分かる。俺と飴村がプライベートであったことはない。ライブ後、体を重ねる時だけだ。しかし、飴村はうなずいた。
「いいですよ。あと少しなんで待っていてください」
「分かった。近くのカフェで待ってるから連絡して」
そこでいったん俺は店を出た。アジサイの鉢植えは意外と重い。久々の生花のにおいを嗅いだ。手で触れた。美しさって生々しいなとアジサイにとまるハエを見ながら思った。

「お待たせしました」
日がすっかりとくれて飴村はカフェに現れた。持ってきた文庫本をしまって俺は軽く頭を下げた。
「ごめんな、時間取らせて」
「いえ、かまわないですよ。今日はご飯一人だったのでありがたいです。」
「え、今、誰と住んでんの」
「弟夫婦と居候です。恥ずかしながら」
そこにウェイターが来て注文の取りに来た。俺はコーヒーのお替りを、飴村はオムライスを頼んだ。意外と子供舌なんだなと笑うと、飴村はそんなことないですと少し拗ねた。俺と飴村がなんのいかがわしさもない会話をしているなんて面白い話だなと思う。俺は飴村のこと何にも知らないのだと改めて気づかされた。飴村もそうだ。俺のことは何も知らない。俺も語らないし、飴村も話さない。俺と飴村の関係はいったい何なのだろう。
「今日はどうしたんですか。思いつめた顔してますけど」
「え」
見透かされて心臓がはねた。飴村はじっと俺を見ている。本当にこいつは頭が切れる。
「俺の心の中まで見えてんの?飴村」
「そんなことあるわけないでしょう。本当にどうしたんですか」
空気がピンとありつめる。破裂寸前の気配がそこにはあった。
「お待たせいたしました。オムライスとコーヒーですね」
その瞬間空気を破り、ウェイターが注文した品物を運んできた。ありがとうございますといい、飴村はオムライスを受けとった。伝票を伏せて置きウエイターは去って行った。
「話の腰、おられちゃいましたね。で、どうなんですか佐々木さん」
「はは、オムライス食べてからでいいよ。冷めるだろう」
俺が食べ終わった後でないと話さないと察したのであろう飴村はもくもくとオムライスを食べていた。この不穏な空気を醸し出した男の前で食べるオムライスはどんな味がするんだろう。
「おいしい?」
「味がしませんね」
「意外と肝っ魂小さいのな。お前」
「佐々木さんが作り出してるんでしょう」
少し苛立った口調で飴村はいった。俺が優位となっているこの時間に少し俺は優越感を得ていた。
「御馳走様でした」
飴村は俺を見た。珍しく飴村は焦っていた。指先がテーブルをとんとんと二回叩いた。
「話してください」
ただそれだけ飴村は口から吐き出した。問いただしたい気持ちをぐっと抑えて。呼吸音が聞こえてくるほど、俺は飴村に集中していた。
「俺は三上の支配下から抜けるよ」
飴村の眉はピクリとも動かなかった。冷静を装っていた。
「何でですか。何かありました」
「別に何にもないよ。ただ、俺はこのチームから抜けたくなったんだ。突然何もかもがいやになることってあるだろう。それだよ」
「また、猿まねに戻るつもりですか。」
「違うな、今度はお前がいる」
慎重に俺の話を聞いていた飴村は驚愕していた。目の瞳孔が縮まりふるえていた。何を言っているんだこいつはと言いたげだった。飴村が口を開く前に俺が開いた。
「今日話に来たのは俺が抜ける話じゃないよ飴村。お前をその深い依存から抜き取ってやろうって言ってんの。俺と独立してくれよ」
「臆病者だったんじゃないんですか、佐々木さん。大きく出ましたね」
「俺のこと、これっぽっちも話してないのによくわかるね」
飴村はまだ憎まれ口を叩く余裕がありそうだ。俺はもっと責め立てることにする。元々この戦には勝機が見当たらない。これは一つの大きな賭けだ。
「俺は三上からは離れませんよ。そう決めたんです」
「誰が?ってこの質問は陳腐だな」
「そうですね。僕は自分が決めたことしか信用してませんから。そもそも僕たちは寄生型です。自分一人では立つことができません。誰かに使ってもらえることでやっと自分を認めることができる。ご主人を選ぶのは大変だと思います。でも、佐々木さん、道具が道具を主人に選ぶのは見当違いだ。よく考えてくださいよ」
飴村はさも当たり前のように自分を道具という。自分には何もないと決めつけている。飴村自身が持っている性格上、それはしょうがないのかもしれない。でも俺からみた飴村はそんな奴じゃない。誰かの道具になれるわけがない。お前がギターをやめないのは三上のためも、もちろんあるだろう。でも、それでも。
「お前、音楽馬鹿なんだろう。音楽が好きなんだろう。三上の音楽じゃなくて、音楽が好きなんだろう。俺さ、初めてお前が歌ったとき興奮した。あの時、お前は三上のために歌ってたのか。いや、それもあるのは知ってる。でも一番は音楽を止めてはいけないってそう思ったからじゃないのかよ。お前こそ真の臆病者なんじゃないのか。お前自身の評価がつけられたくないだけじゃないのか。でもな、三上のギターじゃなくてもお前はお前だよ。俺は、お前のギターが聞きたい。お前だけの音楽が聴きたいよ」
俺の話を聞いた飴村はとても悲しそうだった。もうあきらめている顔だった。
「今の言葉、伊予が事故を起こす前に言ってくれていたらまだ僕は戻れたのかもしれない。そうです。僕は臆病者です。ミカの後ろに隠れる臆病者です。はじめは、一緒に音楽を奏でていきたいと思った。この人の横でギターが弾けたら幸せだろうにと思うだけだった。それがどんどん歪んで依存になっていった。僕はミカを神様に仕立て上げたかっただけです。神様のご加護に依存していただけです。でも、」
飴村はゆっくりと息を吸った。
「でも、もう戻ることはできない。これから新しい一歩なんて踏み出せない。神様も、もう一人では生きていけなくなっているし、僕はここが気に入っているから。」
自分で自分が信じられなかった。自分から幸福を追求していた。だから俺は賭けに出た。飴村と独立し、音楽を作り出す自分を想像した。だから言った。これが答えだ。
「これが最後のチャンスだと思うぞ」
「分かってますよ。こんなこと僕に言ってきたのは佐々木さんが最初で最後です。」
「俺さ、お前のこと好きだよ」
「僕も好きですよ」
じゃあ、なんでこんなにもうまくいかないんだろう。悲しいなと素直に思う。こいつのギターが手に入れられないことが悲しい。やるせない。俺は立ち上がると、紫陽花を机の上に置いた。
「これの花言葉知ってる?」
「あなたは美しいが冷淡だ。」
「ギター弾いてるお前は綺麗だったよ。じゃあな」
最後に軽くキスをした。俺を移した赤い目はひどく感情的だった。音楽を続ける限り、俺たちはまた出会う。その時は、このバカみたいな思いを笑えるだろうか。

 三上揺の軸はもうぶれることはない。電子音が響く病室の中、三上は影のようにゆらゆらと立っていた。今日は、伊予の命日となる日だ。もう目を覚ますことないと判断した両親は伊予をドナー登録した。そして、適合者見つかったのだ。今日管を外され伊予は死ぬ。本当にこの愛おしいベーシストをなくすのだ、でも、三上の心は穏やかだった。僕には、まだギタリストがいる。そしてそれを繋ぎとめるだけのドラムもいる。あのドラムには替えがいるが、ギタリストとベーシストを引き留めるにはあのドラムは必要だった。元々のバンドのおまけのようなもの。しかも、三上はギタリストの全てを知っている。ギタリストが三上をどう思っているかを知っている。それを無視してずっと飼殺している。ギタリストが連れてきたベースが不穏な動きを取ろうとしていることも知っている。でも、大丈夫。あいつは僕を裏切れない。これは支配だと思う。歪みきったこの関係に終わりはこない。三上は今日も音楽を作る。息をするように。自分という存在がもう三上には分からない。伊予と呼ぶ声に返事はいつものように返ってこない。最後におでこにキスをすると三上は病室を後にした。

ベーシストがいなくなってしばらくたち、僕らは新たなベーシスト探しに手こずっていた。なかなか難しいなとアメが笑っていたから本当に大変なんだと思う。
僕はその間にももくもくと曲を作っていた。
「犬ね」
アメはニュースを見ながら呟いた。どうやら、動物の墓を作るサービスが今流行しているらしい。
「今は動物の墓まで業者の人が作ってくれるらしいよ」
「そうなんだな。ミズキの時は自分で掘って作ったのに」
アメはミズキの名前を聞くと懐かしそうに眼を細めていった。
「あの庭に戻りたいな」
「どういうことだよ」
「簡単に言えば、あのころに戻りたいってことだよ」
もう戻れないことはお互い百も承知であろうに。もし今あの庭に戻れるのなら、僕は今度、誰を埋めるのだろう。大切な家族の横にもう一つ深い深い穴を掘って。そうだな人間とギターが入るくらいの。
「僕は庭に君を埋めたい」
僕は出来上がったばかりの曲名をデータへと書き込んだ。

君の庭に埋められたい

君の庭に埋められたい

どうしようもない歯痒さをテーマに書きました。タイトルに注目して読んでいただけたらと思います

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-26

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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