廃墟に咲く花

ファンタグレープ 作

 私は四〇〇年前に落城した地を眺め、魂の残滓がちらついた。白い陽炎が薄らと彷徨っていた。そして息吹をあげた小さな命に宿っていく瞬間を見ることができた。



 山間にある恋人の故郷は、織物で栄えた町だった。江戸中期に栄えて、戦後の着物需要が全盛期となった。
 その名残が、幹線道路沿いの店に並ぶ。しかし今となってはところどころにセールの文字が。
 もともと日本経済のバブル崩壊後に、着物を買う人が少なくなった。
 極めつけはある着付けの店の盗難事件だと私は思っている。町の百周年記念のときは、中心街の真ん中に堂々と、「織物の街」と謳っていた。さらに公園を借りて、園芸祭を催した。伝統芸や街づくりをしていく人達の出鼻を挫いた事件だった。
 成人の日を境にして、街は入れ替わろうとしていた。マンション建設の工事音が響く。道路の反対側の店はまるで悪しき慣習のように観られていた。佐知子の家は、着物屋で、着付けもしていたが、心無い人に傷つけられたと言っていた。
 私は駅前のデパートから出て興奮気味だった。駅前に繋がる陸橋では、大学生風の男がタブレットを片手に持ち何やら通行人にアンケート調査をしていた。
「ちょっといいですか?」
 私は早足で通り過ぎようとしたが、その背広を着た若い男に呼び止められた。男はこの地域にある大学生で、素性を聞いてきた。どこに住み、何の仕事をして、この街に何をしに来ているのか? という質問だった。私はここから二駅離れた街に住み、水産の仕事をしていると答えた。大学生は三つ目の質問を挙げた。ここに何をしに来ているのか。
「買い物に来ただけですよ」
 駅構内にあるデパートの八階に本屋がある。デパートに入っているから大型書店で、この地域ではここにしか私の求めている本は置かれていない。滝山城跡の詳細な本だった。観光用ではなく、歴史の棚に並んでいた。
「これがその本」
 「滝山城跡」という本の表紙を見せる。大学生は目を輝かせた。
「実はこの地域についてアンケートをしているのですが」と大学生は言う。黒い手提げバッグから、特殊法人の冊子を取り出した。そして説明を始めた。どうやら、ビルの一室を間借りして、大学生を中心に意見を交わしていると言うのだ。私はこの手の話に胡散臭さを感じていたが、大学生は織物についても話を始めた。
 大学生の話を拾うと以下のようなものだった。織物業を営む店が次々と店を閉じ、駅前のデパートに人が集まっている。人の流れは幹線道路沿いの店まで行き届かず、この街は駅前中心に賑わっているに過ぎない。
「なるほど」
 そういう考え方もできるな、と考えた。最後に大学生は言った。
「一回でいいから、講義に参加してみてください」

 私はパンフレットを受け取ると、ビニール袋を一つにまとめ、その着物屋のほうへと向かった。ガラス張りのショーケースに、色鮮やかな着物を身に着けたマネキンが並んでいた。手前にはセールと赤い文字が目立つ。ちょうど店先で掃除をしている女性がいた。
「佐知子さんはいらっしゃいますか?」
 店頭に顔を出していたのは、佐知子の母親であった。顔馴染みで、夏祭りのときにお世話になった。小母さんは短く髪を整えていたが、若々しくて綺麗な人だった。
「店の奥にいるはずだけど。佐知子。実さんだよ」
 奥を覗くと、受話器を右手で握って耳に押し当てている佐知子の姿があった。長髪で小顔な可愛らしい女だった。母親と同じ、黒い制服を着て、接客の仕事をしている。今は電話の応対をしているようだった。彼女が受話器を置くまで、小母さんの側で待っていると、苦々しい顔をした佐知子が大股で歩いてきた。
「調子悪いのか?」
「わかるでしょ。クレームの電話よ。その前はキャンセルの電話」
 佐知子は私のほうを向いているが店先で子帚を持っている小母さんに当たっているようだった。例の事件が尾を引いているのだ。「新風の響」という着物店が成人式の当日に着物を用意できなかった。店の従業員による晴れ着の盗難事件が相次いだのだ。当日に着物を用意できなかった、新成人がテレビの前で悲鳴をあげた姿は、まだ記憶に新しかった。新風の響は、街の中心で店を構えていて、私も事件がある前日に店の前を通り過ぎたことがあった。
「まだ事件は風化しないのか」
「あれから半年は過ぎたのよ。もう馬鹿みたい。やっぱり違う街で着物を予約しますのでって電話口で言うのよ」
 私は佐知子のことをなだめた。事件が起きたのは別にこの街だけではない。多摩川の向こう側の県にまで及んだ。昔はその街とも絹の交易をしていたと言う。場所に関係性がない事件というわけではなかった。私は手提げのビニール袋から本を取り出した。滝山城跡の本だ。
「それどうしたの?」
「明日休みだろ。城を見に行かないか?」
 佐知子は首を振った。もう佐知子と付き合って三年目となる。私の言い分を素直に聞いてくれる仲ではなかった。休みの日だからこそ、彼女にも行きたい場所があるようだった。
「銀座に行きたい」
「どうしてまた銀座なんかに」
 どうやらテレビで観た寿司屋に行きたいらしい。久しぶりに上等なものを食べて気分転換をしたいのだ。上等な物という彼女の言葉の響きが、ショーケースに並んでいる着物と対比しているように思われた。私は首を振った。そして小母さんも口を挟んだ。
「滝山城跡に行ってきなさい。少しは自分の生まれた街のことを知らなくちゃ。あんた着物くらいしか知識ないでしょ」
 佐知子は口を曲げた。小競り合いがあり、最終的には城巡りに落ち着いた。

 高尾山で電車を降りると、我々はその城の前に立った。城は崩れた後で、壁のない跡を見下ろした。
「一日で落城したらしい」
「一日で城が崩れるものなんだ」
 と感心していた。しかしその瞳にはどこか怒りが滲んでいた。私はその訳がわかった。同様のことを考えていたからである。その城の主であった北条氏照は、豊臣秀吉の命を受けた上杉景勝に敗れた。上杉謙信は北条家と同盟を組んでいたが、養子である景勝のときに、氏照は裏切られて滝山城は落ちた。一日で景色が変わってしまったことは、織物の街にも言えた。あのテレビのニュースを観ていた佐知子の姿が脳裏に刻まれている。肩を落とし、落胆した表情を見ているのは歯がゆかった。そんな彼女の横顔を眺め、私は胸ポケットから、箱を取り出した。
「この指輪、似合うかどうかわからないけど」
「どうして?」
 佐知子は驚きを見せ、掠れた声で言った。それは呟きのようにも聞こえた。
「佐知子さん。結婚してください」
「私の家を継ぐってこと?」
 彼女の言葉には力が込められていなかった。
「着物屋をやらせてください」
「もう先がないの。着物屋なんか先行き不安で、お先真っ暗なの」
「そんな着物屋をやるのも悪くないだろう」
 私は彼女の顔を見た。その綺麗な顔を脳裏に焼き付けようとした。そして彼女の背景に聳える暗い影を。平原は四〇〇年の重苦しい風に吹かれていた。その風に乗ってきた種子が大地に芽吹いていた。隣には花が。瞳から滲み出る水滴で視界がぼやけた。そして落城した滝山城を背景にして、それまでの想いが溢れ、薄らと動く何かを見ることができた。恐らく佐知子も見たに違いない。

廃墟に咲く花

廃墟に咲く花

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2016-12-25

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