死んでないわたし

一度平和と言う、自叙伝で病気になるまでを描きましたが、精神病になってから今現在までをピックアップしました。少しでも障害をもっている、人への手助けになると幸いです。

ウナしさえ微塵にもみた、くだらない人生も、

1 喜び中綻ぶ

ウナしさえ微塵にもみた、くだらない人生も、巧妙の手が運んだ。一瞬でも幸せなら人は永遠とも思えるべき喜びを得る。
誰しもがその持続する喜びを望んでいる。しかし上手くいかないのが人生である。
1日に朝、気分が良く頭がキレて動ける状態を7時49分に迎えていた。しかし、10時頃にはどうだろう?と疑問を持ってみる。決して今が気分がいいから10時頃もいいだろうと考えるのは不手際に立たせる。決して将来を浅はかにみてはならない。それは7時49分の時点で調子が良いとき必ずしも10時には調子が保てているから絶対にありえないからである。
7、8割は上手くいかないと予測して10時を待つ。早くに決断をするのはどうかと思われるが、1日のペース配分を考えるのは精神患者にとって何よりも大切なことであるから。

2 案の定で精神病!!

きっかけが全てだった。不運もその時を去れば良き思い出となる。わたしは過去を部活以外は後悔していない。いじめられた訳でもなく、自分の上手いようにはいかない成り行きや運に苛立ちを覚えても、軌道修正させてくれた両親や友人がいたからだ。何でも相談し軌道修正してくれた友人や両親にはありがたいと感謝している。もし、自分が親もいなく、友人もいなければ軌道修正出来ず自殺の道を歩んだだろう。
しかし、自分は今、生きているのであって死んでいる訳ではない。それはとてもありがたく、感謝している。
ウキウキする気分も今までないくらいに調子が悪い状態が続いていたが、ある転機でもって、ほんの少しずつ、巧妙な光が見え始めた。息を飲む光景が一瞬不屈な苦しみの映像になるときが多々あったが、それが幾らばかりか減少し少しずつ回復していった。
前向きな薬でテンションは上がりまた、仕事もすることが出来た。自分の治癒力と能力を信じて仕事も10年は続けることが出来た。
生活力も回復して子供みたいな人だったが徐々に大人になることが出来た。何も知らない馬鹿なわたしだったが何でも知る賢いわたしにいつしかスイープチェンジしていた。本当に徐々に徐々に変わっていった。
考え方がおかしいと思うと何度も何度も思考のベクトルの向きを正しい道に正した。その結果、考え方でさえ、まともになってきた。
要は幼い頃からはなから考え方がおかしかった。ただ、病気になるのは時間の問題でなってしまったのは当然で当たり前のことだった。
暗くネガティヴなわたしは心でいつも傷つき泣いていたからだ。それが精神病になるきっかけに過ぎなかっただけだ。
夢か現実か分からなくなる状態は病気になってからもあったが、学生時代、病気になる前からもあったからだ。
だから、何を今更という感じで構えていた。
案の定で精神病!!

3

不思議な内面の様子を実際みなさんに見せたいが何故か今では実践より霊力がみなぎるわたしになっている。悟りの境地か?我慢をすることが多かったので、自然と霊力を鍛えてきたのだろう。人が軽はずみで自由に飛び越えていく壁をわたしは砦のように感じ、この要塞はいつ崩れるのだろうか?と息を呑み苦痛に歪む顔は正に青ざめていた。無理と実行の二択から選ばなければならないわたしはこの歳までガキだった。もっと自由に地球を抱えなくてもいいんだよ!と言われたとき、ドッと疲れが取れ、崩れ落ちたわたしだった。
正にぶっ飛んでいた。考え方も愛も思いも行動も、全てに赤ちゃんそのものだったのだ。
そんな赤ちゃんが大人社会で働いていたのだから、そうとうの苦痛であっただろうに。
それを今まで、両親にも話さず黙っていた。
体は大人で中身は子供、そんなわたしに天も世間も容赦はしなかった。正に大海原にいきなり投げ捨てられ岸まで泳いで帰って来い!
溺れながらも波にさらわれたり嵐の大海原を泳いで帰らなければならない。内面的に表現するとこんな感じだった。
しきりに!人生とはなんぞ?と問うてみると、わたしの今までの中では苦痛と答えが出るものだった。
だが、そんな中でも恍惚な光は時間と共にその傷を癒していった。先天的にわたしは明るい子!結局のところ、わたしは暗い人間ではなく元より明るい人間なんだ!そう先生に言うと、笑顔で答えてくれた。
わたしは自分を発見した瞬間だった。
どんなに辛くても生き抜いていこうと辛さを憚って生きてきたことが泡のように馬鹿馬鹿しくなった。何でもないことだった、ただたんに、焦らず、ゆっくり休む。考えないように、目の前のことから1つずつ片付けていった。
それは元より赤子がヨチヨチ歩きを始め、二足歩行になり、またトイレを覚え、おもちゃを好きになり、勉強していくそのものと何ら変わりのないことだった。
頑なな考え方を捨てることによって、ガチガチなわたしの解放を促した。
勉強をしきりにすることこそが全てとガチガチなわたしは沢山の失敗をしていた。しかもその失敗を学習せずに、同じ失敗を何度も繰り返した。ある宗教から精神病院に送られ当初は幹部の方々が「あんなに硬いとは思わなかった。」と陳謝したが、わたしの人生は内面で動く嵐の中でどうしよもない、罪意識と申し訳ない償いが交錯していた。
確かに幹部の方々はわたしのこと、中身を知らなかった。わたしが表面的に見繕っているものを感じず、これでいいんだという思いがあったのだろう。限界を越えた闘いでも勝てない無力さが反感の代わりに展開を求めた。
情もない、形だけの薄っぺらい関係からわたしは自分の本当の力を見ては貰えなかったのだ。誰よりも愛に溢れ、誰よりも頭が良く、誰よりも情がある、わたしのことを見ては見透かしていたのかもしれない。情のない街はわたしをズタズタにした。ズタズタにするばかりか病気にまでした。憚る苦痛から離れ精神病に倒れているとき、調子はいつもすぐれかったが、病院を変わり、仕事をし始めた頃から天気が目覚めた。そこからはただ、与えらたことをし、気分が上がることも助けになった。
病気になって15年目で何かしら不屈に萌える変な執着を捨て、自らで楽しむことを選ぶことが出来るようになった。病院関係者や友人、両親のおかげだ。もう一度立ち上がり前を向ける。

4 いつしか、岸に付いていた

長く時を待って得る地道な活動はわたしを大海原から陸に上がる経緯を示していました。自らの一人で陸に上がった訳ではなく、両親が舟に乗って応援してくれたり、浮き輪を友人が投げてくれたりしたからです。目がさめるときにはもう、岸辺に上がっていました。気が付くと溺れて死にそうになっているのに、港の周りでは何やら賑やかだったのです。魚を売る漁師もいるし、羽根を休めるには充分に休めれる場所でした。休んではみんなで一緒に遊んだり、一緒に過ごすことが出来ました。
もう、大海原に戻ることはありません。戻るときは豪華客船に乗って、帰るつもりです。
騒ぎながらも見渡せば自然が綺麗だし、まともに恋もすることが出来ました。
幸せとはこんなんなんだ、と思い出しながら、過去と現在をぐるぐる回りました。
生地獄、それがわたしの中にあるものを知りました。上の空で、現実を見れず生きてきたこと。多大なる損害からわたし自身のことを考えていなかったことを深く反省しました。結局のところ、自主的に動いていなかった自分のせいでした。それが気がついたのが38歳の自だったのです。全てが自分本意でなはなく、人に頼り環境のせいにしていたのです。そこから生まれる闇は苦痛でしかないのは当たり前のことです。人の道から離れていることがどれだけの苦しみか?苦しみではないのに自ら人の道から離れて苦しんでいたのですから、もはや、救いようがないようです。それに気がついたとき、わたしは現実を見ることが出来ました。目を覚ますことが出来たのです。長い期間でしたが、やっと自分の幸せを考えるようになりました。病気とは本当にえげつないものです。気がつくのに15年掛ったのですから。
早くに気づいている人は頭もよく、愛を知り、しっかりしています。それを人のせいにせず、自分を戒める人間性を持った人です。
それをいつしかいや、幼い頃からわたしはサボっていて、心の成長をしていませんでした。何かと嫌なことから逃げていつも、人や環境のせいにしたのです。生まれながら学ぶことをしていないわたしは子供で、赤子そのものでした。 それが38歳になってようやく分かったのですから、それを取り戻すことを今からやっていかなければなりません。精神的な苦痛が多かったので、それが解放された今では普通に生きていくこと、自分を信じ責めないことをやっていかなければなりません。
誰もがこの問題に到達したとき、はじめて大人の階段を登ることが出来るのだと。愛されることより愛することを知る。そして、愛されることより、愛する方がどれだけ自分を幸せにするかを知るのです。心を開いて現実に出していくこと。恥ずかしがったり躊躇せず、前を向いて生きる。この素晴らしさから愛が溢れてなりません。人を批判したり人を恨んだり、人を見限ったり、馬鹿にしたりしてはならないこと。その見返りは反復して自分に必ず返って来ます。真っ当に生きなければいずれ、哀しみや苦しみになることがもう、分かっています。それが因果であり、因果応報です。
悪いことは何らか後か先かにより、自らに悪いこととなって返ってきます。いつしか幸せとは無縁な中をわたしは生きていました。もっと愛されたいばかりで、愛することを知らなかったのです。愛から逃げ、これが愛だと豪語する言葉や行動には愛がありませんでした。そんな人が幸せになることも、病気が治ることもなかったのです。当たり前のことですが、当たり前のことが出来ませんでした。縋り愛されるばかり思い自主性がない人に幸せは訪れません。常に人のことを思い実際に行動する人間こそ幸せになるべき資格があるのです。
そのような人は苦しみとは無関係に生きています。それを38歳にまでなったわたしはやっと分かったのです。幼い頃、2、3歳や小学生で学ぶことを38歳でやっと分かったのですから話す言葉すらありません。しかし、めげずにわたしも頑張っていこうと思います。
死んでいるよりも生きている自分に感謝です。

5 上がり落ちるテンション

病気の中に躁鬱があります。一気にテンションが上がったと思えば急降下のようにテンションが下がる病気のことです。病気になって、仕事を辞めて落ち着いた頃にわたしも経験しました。朝ものすごくテンションが高くいろいろなことを急ピッチで出来るのですが、昼過ぎからペース配分を考えず気持ちは一気に急降下でした。1日のペース配分を考えずにいると本当に大変なことになります。逆にテンションが高過ぎるときは必ず落ち着け、落ち着け、あとあとペースが崩れるから控えめにしておく、ことが肝心です。テンションがあまりに高いときはあえて出来ることは8分目か1番いいのは4割くらいがちょうどいいのです。
後は時間が解決してくれます。あの時間に抑えていて良かったという時間に満足して気持ちが落ち着くのです。
疲れがあるから体と心を実に繋がっていて、体が疲れている時は精神も疲れます。当然です。24時間ある時間を朝の時点で10割使いアクセル全開にしていたなら、その後に体は疲れ調子が崩れるのは当然のことでしょう。
何に対しても八分目でやる、それが原則です。
後はやりたいことをしていて、これからもっと楽しくなるくらいのところでやめて次のことをした方が長続きします。次の行動や気分転換すると何故かと気持ちが落ちつきテンションを保てるようになります。
要は幸せになることが前提であり、やりすぎもやりなさすぎもよくないことです。
テンションが上がりすぎないくらいでやり続けないことがベストです。
病気と上手く付き合うというのはこんな状態にあるのかもしれません。

6 仕事もやりたければやればいい

お金がないのは心に余裕を持てません。仕事をしなければ収入もなく、精神病は悪化するばかりでしょう。働いてみるべきです。何もフルタイムでいきなり正社員になれというのではありません。働きたいな~と思う気持ちが大切であって新聞配達でも良いし、日に1時間でも2時間でもやってみたらいいのです。4時間の仕事を奇数日にしてみるなど働く方法は山ほどあります。続けていくうちに自分に自信がつき、世間や社会で口が出せます。障害者にとってはある意味世間や社会が敵なのかもしれません。怖がっていた社会でもわたしは少しでも働いているんだと話が出来るわけです。わたしも社会の1人なんだと思うことでとても自信になります。
社会からは障害者はやはり冷ややかな目で見られますが、決して意気消沈してしまう、患者さんが多いようですが、調子がいいなら働いてみるべきです。それも、ほんの1分や1時間、それだけで物事の見方が180度変わります。
調子が良くなるのも、1つのきっかけにしか過ぎません。そのきっかけが訪れるようしっかり辛抱すべきです。あるきっかけがあってから順調に物事が運んでいる患者さんをみました。一過性のものでもなく、本当は出来ると自分を信じて生きていけば、治らない病気ではありません。本当は明るい人だったり、本当は努力家であったり、頭が良いだとか、何か自信にあるものを信じて生きていく。患者さんにとらわれず、逃げたりもしながら、足跡をつけていく。

7 ある時期が来たときから平和になっていた
時代が変化してから調子が良くも悪くも
言えるようになった。


精神医学が発展を遂げる中でわたしたちは生きています。以前に言われた!「頑張れや!気の持ちよう!根性!」がタブーになった時代があります。時代が変わり環境が変わると精神医学も変わって来ました。精神病は治らないで働けない病気でしたが、今では精神患者が世に出て働いている光景をよく見ます。不知の病とされた病気でしたが、団塊世代が若い頃は良い薬がなく何十年も精神病院で過ごしそこで死んで行くありさまでしたが、今現在では新薬も進み治る病気とされています。ポーッと一点を見つめ、口が空いたまま、腕を下げてのそのそ歩く精神患者は少なくなりました。未だに分からない精神の闇をこれからは暴く時が来ています。調子が悪いと言って何それ?と言われる時代も過ぎました。精神患者の願いがそして、この世に潜む闇を明らかにするときが近づいていると、わたしは解釈しています。心理学や哲学、スピリチュアルや精神学がもっと発展し、未来には少なからず精神患者は激減するのではないか、くらいのところまで時代が付いて来ています。
何も精神病が精神患者だけの問題だけではありません。残業の多さからビルの屋上から飛び降りて自殺する高学歴な人もいるし、現代病と言われるのは今に始まったことではありません。個人個人が映し出す闇は精神患者だけでなく、一般の人にも潜んでいるに違いありません。今に始まった遺伝子から先天的な病気から精神病はお父さんお母さんの遺伝子から始まっていることを最近耳にしました。これはもはや、過去生からなにやら、薬に及び服薬だけでは解決しようもない深いものがあるに違いありません。誰もが黙り生地獄のこの世の中で産まれおちた瞬間から精神病の病は始まっているのです。それを紐解くタブーな面で治すことをわたしは実は知っています。それは過去生を正すことです!それは氏族復帰であり、血統を正すことです。


8 氏族復帰と血統

宗教的な話になりますが、宗教を語らずして現代病の成果はあまりないと言えます。
誰しもがこの世に産まれ、そして人生を全うしあの世に返っていく。これは地球の生物の根本的な営みでしかありません。その中に勉強したりクラブをしたり、結婚したり、子供を育てたりと沢山、人生には穴を埋める要素があります。
ただ、わたしたちが愛する地球上で今の遺伝子を受け継いでいることは当たり前です。あの世が実際にあるかどうかは?死んでみないと分かりませんが、血統の中に遺伝子というものがあるならば、やはり、アマテラスから授かったこの命や戦国時代や戦争の抗争では、必ずしもいい事だけをしてあの世に行った、御先祖様はいません。今の現代を見渡せば分かることですが、あの世、死んでいった人たちにもやはり、この世で生きるわたしたちの良い人や悪い人がいた。ただ、それだけのことだと、わたしは解釈しています。善行を積んだ人は天国に行き、悪行を施した人はやはり地獄にいるのです。
その地獄にいる人は苦しくてわたしたち子孫に頼りわたしたちが善行を行うことでその御先祖様は初めて、罪が消え、天国に行けるシステムになっています。天の法は厳しく確実なものです。報いに反すればやがて、悪魔の種を刈り取るしかなくなります。仏様の考え方の中にも因果があります。あの世では実際に長いスプーンを与えられ、それを自分の口には長過ぎて持っていくことが出来ず、どうすればいいのかお腹が満たされないままになっています。しかし、そのスプーンで人に食べさせてあげて、相手に食べさせられるとお腹を満たすことが出来るのです。だから人のために生きた人こそ天国で自由に飛び跳ねることが出来るのです。
間違って、愛さず、馬鹿にしていると因果律からあまり嬉しくない世界にいくのです。
これが天の法です。決してお金は人に使われてこそ相応しいのですが、金持ちはあまり、聖職者に好ましく思われていないのは、あまりお金に執着するな!お金はあの世には持ってはいけないぞと忠告しているように感じます。
要するに氏族の罪を癒せば、自分も運が良くなり自然と気持ちも上がるようになっています。
精神病が現代病で治す方法が遺伝子レベルで先天的にしかという発想からも過去生を正すことは重要であることが言えます。

9 どのように過去生を正すのか?

では、どのように過去生を正し病気を治していくのか、方法があります。あの世での営みは全て愛が関係します。人を愛さずにはいられない世の中において、あの世の営みが愛とも思えるのも不思議なことではないですね。
罪を償う。この一語にしかありません。あの世で苦しんでいる人はこの世で実際に生きている子孫に頼ってきます。まず、罪とはなんでしょうか?罪とは現世で悪意を行い罪を償わずあの世に行った人のことを言います。実際に罪とは人の首をきり苦しみを与えた人はあの世ではどうなっているかです。あの世では愛が本意なので、自分の首に刀が刺さり、血を流して苦しんでいるのです。その苦しみを現世の子孫に向けて報いてもらうことが罪の償いです。身勝手に生きた人は天国にはいけません。悪態や悪口や悪意は愛とは反対なことをしたからです。
天の法は実に精密な機械のように、あの世で報いて嘆いているのですから、もはや、空いた口が塞がりません。そして、子孫はその首の痛みを何故か、喉元が炎症したり、肩がこったりと感じます。現世で徳を積み、心身から首の痛みを取ってもらったとき初めてその御先祖様は報いわれるのです。それには神様へと痛切な祈りをあげたり、善なることをしなければなりません。その責任があるというのが現世においての贖罪の道であり、個人個人に与えられた責任分担です。自由に生きているようで、徳を積んだ御先祖様の功労を台無しにしたり、身勝手に子供を作っていると、そんな理由から御先祖は怒るのです。それが罰当たりに当たるようです。そこを分かった上で行動しないと血が滲むことになるのです。混ざりあっている血にはいろんな歴史を作り上げた子孫に当たるわたしたちに贖罪の道を教えているのです。御先祖様が嘆くようなことは絶対にしないと誓い、こころの成長を耐えて促さなければなりません。

10 見えるものの限界

タブーだった時代からOpenになった時代から分かることが沢山判明してきました。ある程度、見えないことの科学的な根拠がない団塊世代は医学も薬学も精神学も未熟なものでした。
夏の暑い日に水を飲まなずに練習しろ!と言われたことが、熱中症になるからやれ、水を飲めだとか、塩分を取れと豪語するのです。
人間はいつも都合がよく、好き勝手に報道された番組にそうだ!そうだ!と言うのですから如何にメディアかと言うよりもテレビ社会の風潮なのでしょう。しかし、時代が変わりテレビで情報を得る時代から、スマホなので、こちらから情報を採取する時代になりました。
ゆとりを越え、さとりを越え、いきついたのは少年による犯罪でした。誰かが止める訳でもなく数奇な社会を人間が複雑怪奇にしていくのです。ファミコンの時代から携帯ゲームの時代へシフトチェンジするときに、秋はまだか?冬はまだか?と実際に冬が来ているのは気づけていない大人たちが多すぎです。そんな、脳デカの知能馬鹿が子供を教育するので、子供たちは彷徨うばかりに犯罪に走ることになっています。それをやれあの子が悪口を言っただとか、それ、セクハラ発言よ子供じみた大人が教育するのです。わたしはやっていないとね!、それが嘘か本当が分かってしまう前に自殺するのです。だから、いつも、問題は迷宮入りで昔のお化け屋敷のような怪奇なことばかり起こっているのです。ネットワークがあちこちと溢れ問題を隠しもみ消し、当たり前だと豪語する大人!その大人が教育、教育が大人?子供は大人?大人は子供?と卑しい目でこちらを見られると、張り倒してやろうかとわたしは何度も思いました。

11 どう足掻いても自分の人生

霊的な過去生を正し、しっかりした道を行く。それは精神患者にとってだけのものじゃありません。普通に暮らしている人にも人生には暗く闇に閉ざされた時代があったり明るい時代があったりするものでしょう。それは精神患者だろうが、一般人だろうが関係のないことです。私ごとですが、精神病院から退院したわたしは本当にものけのカラでした。しかし、精神病だろうがなんだろうが、働いてみました。親と喧嘩したり、人間環境の荒波を直に感じたかったし、社会がどのようなのか実際に10年間は働いてみました。36歳まで販売員を7年やり工場勤務を3年間やりました。その間準備をするために、毎日の日課を自らに課し本を30ページ毎日読んだりギターを40分弾くとか、やってみました。読書が7年間くらい続いたあたりではもはや500冊以上の本を読んでいました。そして、知識の最終形態はアインシュタインの相対性理論でした。確かに本を読み相対性理論が分かった時点で日課をやめました。本を沢山読んだおかげで、小説も三部作描くことが出来ましたし。ギターもバンドを組んで実際に作詞作曲したオリジナルをライブでやったりと、楽しい準備期間を満喫しました。工場勤務で休憩をしていて本を読んでいると後輩からすごいですね、と言われたことがあります。職場も自分が病気であることを明かさず、一生懸命働いきました。精神がどうにかなるだろうと思っても働くしかありませんでした。怒鳴られたこともキレられたこともありましたが、なんとか仕事が続くように耐えて耐えました。人にあまり言うべきことではありませんが、精神病だと馬鹿にされる今では何かしら噂や世間を知るために嘲笑されるにあるのでしょう。それに耐えるのもわたしだから耐えなければならないと思っています。気にしない強さを鈍感なわたしは分からず逆に、それが良かったのでしょう。人には笑われますがそれも個性だと納得しました。
人は自分の人生を生きてはくれません。人は自分の人生の主役であり、みんな人生の映画の主役だと思って自分から人生を切り拓いていかなければなりません。それが苦しいことかも知れませんが逃げることもせず、戦わなければなりません。戦った暁には必ず栄光が待っています。それは精神障碍者でも一般の人でも関係はありません。だから、前に勇気を持って進むべきです。

12 生きた心地がしなかった

いつしか、死んでも同じ状態になるだろうと、生や死を混同して考えている時がありました。誰にも言えない事情を人は人それぞれ抱えています。わたしは精神に苦しめられましたが、実際に実践を怠ると世間から冷たい目で見られることを知っています。障害者はやはり、リスクを負い、人が容易く出来ることが出来ません。億劫になったりめんどくさくなったりするからです。しかし、リスクがあるからと言って寝てばかりいると成長や知能遅れや非社会人やなど一般で働いている人より差が開くものです。一歩前に出ると言うものは、気持ちの面でも些細なことでもいいんです。その些細な一歩が他の人の100倍凄いことであったりするので。どんな小さなことでも前に一歩出てみるべきです。一歩前に出ることによって何だか楽しくなり他の人と戯れて会話が弾んだりするものです。些細な一歩!本当に大事なことです。
生きても死んでも同じに辿り着いた時、心は若干、人生はそんなもんだろうと楽になりました。どうせ死んでいる人生なんだから、生きてやろうと思ったしいつしか、生きているだけで喜びなんだと思うようになりました。
前向きになる薬を処方された辺りから仕事も続くようになり、徐々に調子の良い日が現れて良くなりました。考え方の病気なので、リハビリとはその考え方を治す作業になります。薬である程度気持ちが上がったのなら、支援センターやアルバイトなど、趣味ややりたいことを優先にするべきです。やりたいことをやり、楽しめたらこっちのもんです。楽しいことをやることにより、喜びが溢れ少なくともその時間や後の達成感は満たされた状態になり、調子は悪くありません。一つ楽しいことを見つけたら、是非、慎重に8割程度でやめ、またやりたいことに努めてください。いくつか楽しいことがあるとやる気になり、気分が楽しくなります。その楽しい時間が本来の自分です。自分は何やら何もしないで苦しい苦しいと言っていた。果たして、本来は自由な身なのに何故しんどいと思ったのかが分かるようになります。それが何だかこんなもんか!と思えば話は簡単です。別に1000万円の借金がある訳でもなく、障害年金で毎月お金が入る、何にも束縛されていない自分に出会えるはずです。なんにも問題はありません。あなたは生きています。ただ、考え方がネガティヴで可笑しかっただけです。束縛のない自由を噛みしめることが出来たならこころの自由は自分のものです。それは病気が少し治った証なのです。だから、生きているわたしたちは素晴らしいのです。

13 一番精神病で厄介なこと

気分が下がればやる気も起こらず、苦しむだけです。自然治癒だけで病気を克服した人は本当に凄い人です。しかし、これは絶対にありえません。精神病は必ず薬を処方してもらい、他の生活の面でほんの少しずつリハビリをしていくことによって治っていきます。しかし、気分が下がりやる気にならなければ、趣味や仕事、生活面、での不幸を招きます。だから、まず最初にすることは薬を必ず飲むことです。気分の上がる薬を出してもらい、ネガティヴからポジティブに気持ちを上げてもらうべきです。そこから病気は徐々に治っていきます。まず、ネガティヴなこころから治していくべきです。ネガティヴは一番精神病にとっていけないことです。考えが深いと死のう死のうと集約します。そこを薬で上げることによって死のうは少なからずなくなります。調子が良い日がなかった人が1時間だけでも調子が良い日が出てくるんだけど本当にとんでもない喜びです。喜びが沸けばなんだってやる気にもなるのものです。その1時間が2時間になったり、1日が2日になったり3日になったり、と段々と良くなります。
悔やんで苦しい日々が楽しく明るい日に徐々になっていきます。それがきっと自分の本来の気持ちであると病気前、いや病気前以上に喜びが増すのは当然です。
あとは後ろ盾です、あっわたしは死ななくても大丈夫なんだという安心感があれば徐々にも治っていくのですが、なかなか大丈夫だとこれが思えないのが事実です。下がる気持ちや湧き上がる気持ちが数秒単位で現れ苦しい思いもしますが、少しずつ、苦しいのは永遠に続く訳でもない。そのときだけだ、明日になればなんともない朝がやってくるのですから。
わたしは最近は夜が苦しいと思う日が続いていました。誰しもが夜の怖さに身震いし震えと赤い血に染まり命を落としたのです。
わたしは夜を越えることより、夜は寝ることにしました。病気でにっちもさっちもいかない時がありますが、なんだかんだ生きています。

14 後ろ盾、安心感

わたしはある宗教に属し懸命に信仰生活をしたのです。その試練とは計り知れませんでした。荒ぶる神に身や血を吐くまでやり、ストレスの限界値で病院送りになったのです。未遂でした。二階から飛び降りようとするわたしを懸命にスタッフが押さえ込みました。気が付けば、精神病院のベッドの上、隣では得体の知れない風貌の男の叫び声いったい僕は何処に連れていかれたんだと思いました。
ある地方でしたが、わたしは実家の病院に連れて行かれました。死ぬより恐ろしいものを見たり経験したわたしでしたが、あの怖さはもう経験したくもありません。
たくさん経験したあとに38を越えたときから、短く大きくから細く長くの方に生き方を変えました。後ろ盾というのは絶対に大丈夫と言う神様がいるからです。ある短期のバイトで大きく短くいこうと決めてから仕事をし始めに、おいおい、朝の薬をまだ飲んでないだろ、まあ、待て待て、無理するな!細く長くって言っていただろと、そんな雰囲気を感じました。午前中に家に帰り、少しまた、無謀な挑戦で調子を崩しそうなときに感じた一面でした。あのままお金の欲しいままに働いていたなら、酷く調子を崩していたでしょう。ドクターストップではありませんが、ゴッドストップがかかりました。支援センターの人はやれば出来ると言うと心配していました。ゆっくり長く、細く長い生き方を選んだ瞬間の出来事でした。ゆっくりやればいい、焦るな、じっくりやりなさい。と神様が微笑んでいるようです。
涙を枯れるまで、流したことはありますか?ありのままに生きて、自分の思うようにことが運び笑い転げて過ごしている人。誰もが闇の中で手を伸ばし光に到達したかと思うと生き地獄の一丁目だった。生きていればなんだっておきます。悲しいこと、悔しいこと、辛いこと、病むこと、誰もがその主役に見える自分の人生を歩んで生きます。今日が上手くいっていても、明日はズタボロにされる人生です。何が大切かだとか分かったもんじゃありません。気を失い夢か現実か分からない状態で暗雲も光を掴み離さない、そんな人生を誰もが生きています。ときにはその後ろ盾が分からず折れて倒れて命を失う人もいます。だけど、先を望めば暗雲立ち込める霧ですが、明らかにわたしたちは光へと続く道を選びまた、選択しているです。誰も死んではいけない、世界中の人々がわたしの子供だよと神様は言い張るのです。どんなに苦しく死んだ者でも、神様はいいや、わたしの子だと言い張るのです。この絶対的な大丈夫の存在がいるとき、またいたとき、あなたは絶対に大丈夫です!それを神様は仕切りに言い張るのです。

そして、愛します!
誰もを、みんなを!


2016年12月18日

死んでないわたし
石もち。

死んでないわたし

免れない苦しみの中で苦しみがいったい解消されるのはいつだろうと、自問自答し、悩んでも誰しもがその解決のない無限ループからは脱出しようがありません。必ず前向きになり、自らを客観視でき、大人になれば、自ずと精神病は治ります。

死んでないわたし

精神患者として、クリアする術は山積みですが、人が一歩を踏むことに平気で行う行動を精神患者は億劫に感じて前に出ることが出来ません。しかし、そのほんの一歩を出すだけで、無限に繋がる光のループに入ることが出来ると僕は信じています。人には軽い一歩はわたしたちには100歩や1000歩に近いのです。気持ちだけでも、少なからずの一歩を是非、勇気を振り絞って出して頂きたいです。

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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