ステイ・ウイズ・ミー

孤独で寂しい男の人生

孤独で寂しい男の一生

 ステイ・ウィズ・ミー


 静かな日曜の夕刻、七月も終わろうとしていた。木造モルタル二階建て造りの小部屋で、イマムラは独りコーヒーを飲んでいた。ふと、今日はこの街の夏祭りであることに気付いた。それから同時に、利根川の西岸の、関東平野の中央に位置するこの街は、自分にとってなんの関係のない街、ただ仕事のため独り住んでいるに過ぎないことをも思い起こした。一〇年住みながら、いつまでたってもよそ者意識が消えず、この街への愛着を覚えることができない。淡々と仕事をこなし、それなりに此処に住む人々との間に交流も生まれた。ただ、それはあくまで表層的で、季節が変われば脱ぎ捨てる服と同様に、自分も忘れられていくだろうことを、イマムラは重々承知していた。だから、彼にとってこの街はなんの背景にもならなかったし、夏祭りは特別な出来事でもなんでもなかった。
 半分くらい残していたコーヒーを、イマムラは少し思い切って飲み干し、ひとり用のソファに深く腰掛けて大きなため息を一つした。
 半年のあいだ付き合った女、マリのことが頭を離れない。そしてその思い出が頭をかすめたとき、ある種の恥ずかしさが湧き出て、イマムラは苦笑した。ソファから立ち上がって大きな鏡の前に立ち、自分の姿をまじまじと見て、また苦笑した。
 こんな容姿じゃね。もう若くはない。もう三〇半ばだ。何をやってもダメだろう。空に雲が浮かんでいるように、そう思って生きるしかないみたいだ。あの子には何の罪もないからな。でもこれ以上あの子を追いかけてはいけないみたいだ。僕の心がバラバラに張り裂けてしまう。あの子のことを、もう、ほんの僅かでも心の中に入れてはいけない。あの子は毒だ。猛毒だ。あの子が少しでも入ってくれば、体中が痺れるからな。絶対考えてはいけないんだ。
 イマムラは少し疲れていた。かれこれ二週間くらい仕事で働き詰めだった。彼は窓枠に積もったほこりを見た。
 随分長くこの小部屋に暮らしたものだ。どうだろう?この一〇年間長かったのか、短かったのか?誰も分かりはしない。
 窓枠はアルミサッシでできており、このアパートができた当時は銀色に明るく輝いていただろうが、今は灰色に近く、年月の経過を感じさせていた。いつの間にか午後六時を過ぎていた。イマムラは西側の窓から差し込む強烈な夏の太陽の光に目をやった。しばらく見ていたら、目が痛く感じた。その光は金色と赤色の中間で、今の彼には強すぎた。彼は恍惚としていた。あまりの虚脱感に思考は失われかけたが、どうやらその虚脱感がいたらない僅かの間隙が、彼な思考を保っていた。
 何もない休日。とても素敵に感じる一方、虚無感が果てしなくイマムラを覆い続ける。静かな時間。何もしなくてよいかわりに、体には黒く汚れた毒素が充満していくように感じる。何かがあって欲しい。誰かが電話をかけてくれたり、このアパートを訪問してくれたり。
 いや、そんなことよりも、この黒い毒素を強く払いのけてくれるものが欲しいんだ。そうだ。大地震でも起こってくれればいい。きっと興奮が僕を飲み込んで、その渦の中に導いてくれるだろう。そうだ。天変地異が起こればいいんだ。東京中は火の海になり、いたるところで救急車のサイレンと人々の悲鳴が聞こえる。ビルのガラスは砕け、凶器となって人々を傷つけ、死に至らしめるだろう。地下鉄や地下街は水に埋もれるだろう。今まで僕を苦しめたものは、粉々になって砕け散っていくのだ。学校。友人。クラブ。会社。テレビ局。偉大な人として崇められた人の銅像。政府。みな崩れ落ちていくんだ。そうなればしめたものだ。僕は自由だ。僕はあらゆることから解き放たれるんだ。僕は自由?まてよ。もしかしたら革命が起こるかもしれない。そうだ。自衛隊があったぞ。奴らはどう動くんだ?もしかしたら首都を制圧しにかかるかもしれないぞ。新しい権力を振りかざし、狂気を振りまく。そうか。そういう可能性があったのか。俺は勘違いしていたのか?
 それからイマムラは再び曇ったガラス窓に滲む太陽の強烈な光を見やった。
 もし大地震があったとして、そのあと僕はどうなるのか?イマムラは若干の気分の悪さを覚えた。おそらく冷房を付けっぱなしにして、窓を閉め切り、タバコを吸いすぎたせいだろう。
 せっかく長い間働いて、今の地位を築き上げた人たちは可哀想だな。全てが壊れてしまうよ。みんな今幸せなのか?僕は幸せなのか?なんだか天涯孤独のような気分になる。僕を救ってくれる唯一の神はいるのか?
 締め切った曇りガラスの向こう側に、太陽が動くにつれ夕闇が訪れてくる様子が感じられる。沈みかけた陽の光は、夏霞の薄いベールによって透過され、地上に届いているはずである。
 西向きに開いた二階のこの部屋からは、アパートの前の道を走る車の音がよく聞こえる。イマムラはまた煙草を一本取り出して火を付け、目を閉じて煙を吸い込んだ。
 毎週日曜の午後はこんな有様だ。何もしない。何もできない。動くことができない。ただ、正体不明の寂しい、苦しい感情の固まりが存在するだけだ。
 これからどうしようか。夏祭りに行って様子をみようか。
 それからふと壁の隅に丸くなっているキャバリアのミロを見た。キャバリアは小型犬だ。ミロは白とベージュのまだら模様をしている。雄の犬だが性質はおとなしく、滅多なことでは吠えない犬だ。四年前の夏の終わりに大型のホームセンターに付属しているペットショップで買った。一目惚れだった。イマムラがマリと離れてから八ヶ月くらい経った日のことだった。
 夏の盆休みが終わり、また平凡で、ストレスフルな仕事をこなす日常が戻ってきた頃で、もはや何の希望も持てない堕落した日々だった。そんなとき、ペットを飼ってみるというというアイデアがふと頭に浮かんだ。子供時代に父親が雑種の犬を飼い、随分可愛がっていた。イマムラも頼まれて散歩によく出かけた。そんな記憶が蘇ってきた。たまたま住んでいたアパートがペットを飼ってもよいという規約だった。階下の母子家庭でも猫を飼っている。白と黒のブチの猫だ。さかりがつくと随分うるさい鳴き声を立てたりする。でもミロはそれに反応したりはしない。
 ミロの散歩はどうしよう。暑くて行く気になれない。いつも散歩は仕事から帰宅する夜九時過ぎだ。ミロも、まだ暑くて行く気がしないといった顔つきだ。しかし、飼い主の顔を慎重にうかがっていた。普段よりも、いつも疲れているのだが、今日は特にだるそうにしている飼い主を少しばかり気にしているようにも見えた。ただ、ミロはそれを表現したりはしない。イマムラがこの犬を飼って一番ホッとしたところは、変に媚びた様子を見せないことだ。犬として飼い主に依存しながらも、凛とした主体性を持ち合わせていた。大型犬に絡まれても毅然とした態度をしてみせる。イマムラはこの四年間、この犬がいなかったらどうだったのか、想像すらできない。
 朝会社に行く前に一kmくらい軽く歩く。夜はいつも九時過ぎだ。出張の時は止むにやまれず近所のペットショップで預かってもらっている。一泊五千円だ。イマムラが出張から帰ってきて、再会しても、大げさに喜んだりしない。そしてまた、淡々とミロとの生活が続く。
 ミロとなぜ名付けたか。これはイマムラの思いつきだ。イマムラが学生時代に訪れたルーブル美術館で見たミロのヴィーナスが印象に残っていたといえば、そうであろう。また、ミロの容姿が、何となく明るい透明なブルーの地中海を連想させた。エーゲ海には一度行ってみたかったがそんな機会は今まで一度も訪れていない。
 ペットに依存した生活。イマムラ自身は意識したことはないが、傍目から見ればペットなしでは生き長らえていなかったかもしれない。別に話しかけたりはしない。時折抱いて、撫でたりするだけだ。ただ、仕事以外に気を回すものが欲しかったのかもしれない。ペットホテルの店員とはよく話すようになった。まだ二〇代に見える若い男。傍目でみてもよく働いている。この店員のおかげでペットショップはいつも清潔さを保っている。ともすればペットショップは、糞だの食べ残しの餌などで店内は様々なものが乱雑に置かれ、また異臭を伴うことが多い。休日にその若い店員と少しばかり会話をするのがイマムラの僅かな楽しみでもあった。陽気でよく気が回る。ペットショップの制服になっている、薄いブルーのポロシャツにエプロンを掛けている。下はジーンズだ。清潔そうに、短めに髪を刈り上げ、太い眉をした風貌は南国出身のように感じられた。しかし、その青年との会話は犬のことが中心で、それぞれの背景については話すことはなかった。彼もまたこの辺りの出身でないことは、彼との会話から何となく察せられた。
 ミロは、イマムラが動くと、首を軽く持ち上げてちらっと様子をうかがう。そしてまたくるりと体をくねらせ、目を閉じてもとの姿勢に戻って体を休める。
 小さな目覚まし時計が、コツコツとわずかな音を立てながら、六時三〇分を指している。イマムラは夏祭りのことをもう一度意識にのぼらせた。
 体は、ずっしりと重く、意志とは反対に動く気配は感じられなかった。しばらくぼんやりと時を待った。煙草を一本吸い終わるくらいの時間が流れた。考えていたというより決断の時を待っていた方が正確だ。
 その時がきた。イマムラはおもむろに立ち上がり、狭く、雑誌や衣類が雑然とおかれている部屋の、片隅に放り投げてあったストーンウォッシュのジーパンを取りあげ、それを履いた。ずいぶん前から履き古しているやつだ。着ていたスエットを放り投げ、上は白いTシャツを着たまま、ジョギングシューズを履いて外へ出た。黒い目覚まし時計は午後六時四〇分を指していた。ミロには、散歩は後で行くから、と心の中でつぶやいた。
 外は蒸し暑く、隣家の庭の紫陽花は、元の濃い青色が褪せ、ドライフラワーのように形だけ留めているのが目に入る。イマムラは、普通に歩いても、駅前の目抜き通りまで一〇分ほどの道のりを、ゆっくりと歩き進めた。路上には、夏祭りの見物に行く小さな子どもを二人連れた家族連れがいる。その先には初老の夫婦が部屋着を着たまま街の中心部に向かっているのが見える。五分ほど歩くと、人の姿が増え始め、中には浴衣姿の若い女性もいた。
 イマムラは、遠く離れている母の顔を一瞬ずつ脳裏に浮かべた。その姿はいつの間にか消え、そのまま街の中心部へ向けて歩き続けた。汗をかかない程度の、ゆっくりとした速度だ。
 頭は霧がかかったように、未だにぼんやりとしていた。遠くから、笛と太鼓の音が、湿った風に乗って聞こえてくると、人の数はますます増えてきた。イマムラは浴衣姿の人が思いの外多いのに気付いた。彼らはこの土地に生まれ育ったのか?それとも移り住んできた人々なのか?どうして彼らは浴衣を着ているのだろうか?祭りに同化することになんの逡巡もないのだろか?この小さな街に罪はないのに、イマムラは、自分とこの街に、同時に向けられた拒否反応に気付いて不快を感じた。そのことに意識を向けないように、できるだけ自分を空虚に保つようにしながら歩き続けた。
 東京のベッドタウンとしての顔。もう一つは昔から続く農村の延長としての顔。この街は二つの顔を持つ。イマムラはこのどちらにもなじめなかった。朝、駅のホームにあふれんばかりに蠢く人々の群れ。彼らの表情からは感情が読みとれない。造成された宅地に住み、互いの接触が希薄な都市型の人々だ。流れ流れて、此処へ移り住んできた人も多かろう。彼らにとってこの土地はふるさとではないはずだ。心はどこかに置いて、此処で余生を過ごす。イマムラもその一人であるはずなのだが、独身であることや、この先この土地を離れる可能性も高いことから、なおさらコミュニティーに同化しようなどと考えることもなかった。
 意外に残されているもう一つのこの街の特性は、保守性だ。夏祭りは町内会単位で行われている。提灯が何十とくくりつけられた山車は、一台ずつ各町内で出すことになっている。これらを管理し、補修し、担ぐのは、商業と農業を主な生業とする、この土地のネイティブの人間たちだ。イマムラがこのコミュミティーに加われるはずもない。どうして流れついたものと、土着のものの、二つの人種が、摩擦を起こさずに共存できているのか、イマムラには不思議に思われた。
 電話会社が入っている三階建てのビルを横目に、駅へ向かう道を歩いていくと、電信柱に渡されたロープに、町内会の名と、商店の名の入った提灯がぶら下がっている。薄暮の中で、電気にともされた淡い光が、周囲の薄闇に滲んで、イマムラの心中にわずかな感情の変化をもたらした。わずかなときめき、高揚と表現できるかもしれない。それと同時に、彼はもう一つの不思議な感覚にとらわれた。なぜ自分がこの場所にいるのか、まるで足が地に着いていないではないか?という感覚だった。高揚感とこの感覚は、ますます彼に、異邦人である、という意識を強くさせた。
 彼は、中途半端に開発されて、宅地が徐々に農地を蝕んでいくこの街の中で、残された少しの自然を見つけることが好きだった。祠を囲む小さな鎮守の森。畑の間を流れる用水路に住む小さな生き物たち。これらを見ると、イマムラは心に少しの安息を感じた。だからこそ、彼を疎外しているのは「人」なのではないかと思ってしまう。「人」は、しかし、彼の心の中にいる「人」たちじゃないかと、イマムラはうすうす感づいていた。拒絶しているのは自分の方だ。
 なぜこの場所にいるのか?という問いは難題だ。彼は、そろそろ避けて歩かねばならないほど増えてきた人々を見ながら、思いをめぐらし続ける。この土地に来なくても、どこに住んでも同じ思いを抱くだろう。もしかしたらふるさとに住んでいたとしても。でもその答えが欲しい。今できることは、時が過ぎていく中で、何か変化があることを求めることだけだ。イマムラは、夏祭りを見に来たことは、そのきっかけを掴みたいと思う心が、胸のどこかにあるからだ、という考えがよぎった。
 イマムラは幼い頃、生まれた街の祭りに行ったときのことを思いだした。そのときもどこか他人行儀で、無心に楽しむ心境にはなれなかった。やはり自分自身に原因があるに違いない。一方で、祭りに熱狂する人々の姿に同化したり、共感することへの期待。そして自分自身の心が躍動することへの期待が、同時に存したことを思い浮かべた。
 街の中心部に入って、一台目の山車が見えた。幅三メートル、高さ四メートルはあろうか。薄暗くなった空気に、何十と、綺麗に順序よく並べられた提灯のにじんだ光が、異彩を放って、イマムラの心にさらなる躍動をもたらした。二〇人はいるだろう。各町内の名前が入った法被を着た担ぎ手たちは、ワッセ、ワッセと声をあげながら、汗を飛び散らせている。山車の上に乗って、担ぎ手をあおっている人々も五~六人はいる。露店が並び始めた。山車を眺める人。露店で綿菓子を買い求めるまだ七~八歳の少女。白い金属のたらいに水を張って、その中に小さな金魚を入れ、ねじりはちまきをしたテキ屋。彼らはみな祭りに加わっている。しかし、イマムラにとって彼らは背景に過ぎなかった。笛や太鼓の音が、人々の喧噪に混じり、妙な響きを持って聞こえてくる。
 独り。何をしに来たんだろう。自嘲気味にイマムラは思う。誰かといる人がほとんどだ。僕みたいな人間はなかなかいないだろう。
 それからしばらくイマムラは町の中心部への突端に立ち止まり、あたりの様子をぼんやりと眺め続けた。ただ、頭の中では様々なこの街での出来事が頭の中で思い浮かんでは消えていった。五年前、寒波に覆われて、このあたりも冷たい雨が降った日に別れたマリとのことを思い出した。当時マリはイマムラより四つ下の二六歳。OA機器の製造会社のOLとして働いていた。彼女はこの街の隣町で生まれ育った。ただ、根っからの地元人ではなかった。親の代にこの地方に移り住んできたみたいだった。
 今、何をしているだろう?結局自分が悪い。あの子を苦しめただけだった。それでも、この街で暮らしてから、いや、人生を通してもあれほどの想いはなかった。もし自分の命がこの瞬間に途絶えたとしたら。マリとの半年間は自分の人生最大の出来事だったと振り返ることができるだろう。
 マリのことが脳裏に浮かんだ瞬間、イマムラの心の中に苦い感情が湧き出して、この場所を逃げ出したい気分になった。




 六月。マリに、友人で、保険の外交販売員をしているアキから、いい人がいるから会わない?と、電話口から持ちかけられてきた。
「もう私たち二六じゃない。ちゃんとした人を見つけたほうがいいと思うわ。」まるで自分のことは考えも及ばないように、アキはマリに言った。
「じゃあ水曜日の夜にね。」
 マリは曖昧な返答をしたが、アキはそれをOKと受けとったようだった。マリは関東平野の中央に位置するO市で育ち、地元の中学、高校を出て、都内の平凡な女子大に進学した。四年間はテニスサークルに所属し、その中で知り合った男と付き合ったこともある。自分では人並みの学生時代を送って来たと分析していた。大学卒業後は都心に本社を構えるOA機器の販売会社の事務職に就いた。ただ、彼女には父親はいなかった。彼女が五歳の時に父母は離婚した。どういう経緯で別れたとか、父親がどんな人物像だったかは、あまり記憶にない。母は離婚後、父親についてほとんど語らなかった。ただ、薄ぼんやりと男というものに若干の不信感を持っていなかったと言ったら嘘になるかもしれない。母は女手一つで家から車で三〇分くらいのところにある工場で働いていた。商品の管理を担当していたようだった。マリには弟がいたが、高校を出て地方の国立大学に進み、下宿していたので、母の経済的負担はよく分かっていたつもりだった。ともかく弟が大学を卒業して就職するまではマリの母は贅沢もせず、あまり不満を言うこともなくよく働いた。公営の団地で家賃も安かったが、さすがにマリが私立の女子大に行ったため、奨学金を借りた。弟は借りなかったと聞いていた。母が貯金を取り崩して仕送りをしていた。弟は母の望むように中堅の保険会社に就職し、今は大阪で一人暮らしをしている。マリの二つ下だ。マリは母と一緒に団地の三階に住み、マリは都心まで通っていた。
 水曜日がやってきた。マリはいつも通り出勤し、会社から近い弁当屋で昼食を買って食べた。定時の午後六時が過ぎ、帰路につき、相変わらず混んでいる東北線に乗り地元までたどり着いた。そして、少しよそ行きの服装に着替えた。今回アキに紹介される男についてはさほどの期待をしていなかった。いや、期待をするしないという感じはなかったといっても良い。つまり日常に溶け込んだ出来事だと感じていた。学生時代には合コンも経験したし、アキ以外の友人の紹介で男会った経験もあった。少し曇り空で、暑くも寒くもない感じの天候だった。ただ、季節は夏至を迎えようとしていた。アキの乗っている、小さい赤い軽自動車に乗せて貰い、待ち合わせの場所に向かった。
 マリたちは、待ち合わせの時間を少し過ぎてカフェ・レストランに着いた。少しだけ化粧に時間をかけ、いつもよりフォーマルに、赤を中心にまとめてみた。イヤリングは一番高価で気に入っているものを着け、鼻につかないように細心の注意をしながら、少し香水を振っておいた。
 マリは、東京都心の女子大に通っていた頃も、中学時代の同級生であるアキとはよく遊んだ。男の子たちとドライブに行ったり、お酒を飲みに行ったり、アキと同じカラオケ店でアルバイトをして、そこで知り合った、国産のスポーツカーを大切にしていた男の子ともつきあった。煙草は大学時代から就職して二~三年間くらい吸っていて、それからやめた。アキは高校を出て専門学校に行ったが、いつもマリのそばにいた。
 マリは人並みには男を知っている、と自分で思っていた。ただ、ここ一~二年はあまり男と出会う機会はなかった。ちゃんとした男、というアキの言葉は、言われなくても彼女の胸の内を、徐々に浸食し始めていた。それはゴールなのか終わりなのかは判別できなかった。また、それ以前にマリは男と一年以上長く付き合ったことがなかった。それがなぜなのか、もしかしたら両親のことが喉に刺さった小骨のように引っかかっていたかもしれないと、うすうす感じ始めていた。しかし、ゴールには、一度はたどり着いてみたいと思っていた。
 薄暗い照明の中で、背が高く太めのアキと向かい合って座っていた、こざっぱりした青いボタンダウンのシャツを着たイマムラを、マリは初めて見た。そのとき、やせ形で眼鏡をかけた、少しだけ洗練されているように見えるこの男は、付き合ってみる価値は十分にあると直感した。
「マリ、イマムラさんよ。工業団地にあるK社でエンジニアやってるの。もう言ったわよね。M大の工学部出てるの。」
 マリは自己紹介した。それからふたりは、アキを交えて、初対面の男女がよく話す話題を一通りこなした。学生時代のクラブ活動の話。テレビ番組のこと。仕事のこと。話せば話すほどマリは興奮してきた。この人と付き合おう。つき合いたい。つき合ったその先に、自分の人生が少しだけ展望できたような気分になっていた。ただ、それはそのときの、一瞬の興奮状態が、マリにそう思わせていたのだと、あとで分かった。ただ、この夜は夢中だった。気分が明るくなり、食事をしたあとに行ったカラオケ店で、マリは「ドリーム・カムズ・トゥルー」や、「大黒摩季」を歌った。イマムラも何曲か最近のヒット曲を歌った。歌はうまい方だった。開けっぴろげで率直な性格のアキは、ふたりが互いにいい印象を持ったことを察してか、申し訳程度に2曲ほど歌って、あとはつまらなそうにしていた。
 三日後の土曜日に、マリはイマムラとふたりで会った。イタリアンレストランで昼食を取り、彼のハッチバックの国産車に乗って公園に行き、少し歩いた。イマムラがアパートに寄っていかないかと誘うと、マリは躊躇なくイエスと返事をした。アパートでコーヒーを飲んだあと、ふたりはキスをして、そのまま抱き合い、二時間ほどイマムラのベッドで過ごした。ただ、終わったあと、煙草を吹かしているイマムラの横顔をのぞいたとき、少しだけ冷たい空気が流れたように感じた。それは、そこにマリが存在していないかのように振る舞っているイマムラの姿だった。ただ、今まで付き合った男からも同様なことを感じたこともあったので、気のせいだと打ち消そうとした。ただ、この空気が、時を経て広がり始めていくだろうということも、あとから思えば、無意識の中で感じ始めていた。そしてそれはイマムラのせいなのか、自分が全ての男に感じることなのか峻別できなかった。それは、自分はどうしても男とはうまくいかないのではないかという、人生上の命題だった。その方程式はどれくらい時間が経っても、どんな経験をしても解けないものだった。


 マリとイマムラは九月に入って、軽飛行機に乗った。
 荒川沿いにある小さな飛行場から、ナイトフライトができる。イマムラの提案で数万のお金を折半して、乗ってみることにしたのだった。
 舗装されていない砂利の駐車場に、イマムラはハッチバックを止めた。太陽は西側の林に落ち、残映による橙色の空を目にしながら、ふたりは民間の飛行機会社の小さな三階建ての建物に入っていった。所々破れた、ずいぶん使い古したソファで待っていると、つなぎ服を着た技術者らしい初老の男が入ってきた。
「今村さんだね。Bコースね。」男はそう言い、バインダーに止めた書類を目にしながら、パーマをかけた頭を二度三度掻いた。それから注意事項や、料金について五分ほど説明をした。男はふたりを連れ、川沿いの飛行場に向けて歩き始めた。四~五メートルほどの道の両脇にはススキがたなびいている。荒川は薄闇でほとんど見えなかったが、水が流れているところは、その他のところより黒く、判別することができた。
「いい天気でよかったね。」男は言葉とは反対に無愛想な表情で言った。五分ほど歩くと、セスナ機が二台ほど駐まっている。つなぎ服の男はそのうち一台を指さして、今日はこれに乗るからと言った。
「さあ、乗っていいよ。」
 事前に事務所で説明を受けていたように、ふたりは座席に腰をかけた。男は緊急時の注意事項を繰り返した。イマムラは、技術者としての好奇心が働き始めたのか、機内をなめるように眺めた。マリは飛行機の構造には興味がなかったが、雲の上から見る夜景には期待が大きかった。イマムラの手を握りながら、秋の素晴らしい、一日の終わりを告げる河川敷の光景を、窓から見つめた。男は指差し確認を終えると飛行機を進め始めた。しばらくそろそろ進むと、急に加速がついて、マリたちに強い圧力がかかった。マリは胸のあたりに、形容のしがたい躍動感を覚えた。幼い頃、感受性がとぎすまされていた頃に、旅行に行く前日に感じたような、いや、それとも少し違う不思議に高揚した感覚だった。
 あっという間に地上は遠くなっていった。下界の灯りは、宝石箱を散りばめた、という陳腐な形容の本当の意味を知らされるように、美しかった。プロペラ飛行機の発する轟音と、ふたりの気分によって、イマムラとマリはほとんどまともな会話を交わすことができず、ただ、きれいだね、とか、あそこはなんという街だね、といった言葉だけ交わした。
 幸せ、というのはこういうことなのかしら。この人と結婚するんだわ。きっと。未来はこの宝石箱みたいに、美しく光り輝いている。
 上空を悠々と旋回する飛行機は、マリたちがよく知る関東平野の街々に、次々とふたりを誘った。天上の至福は、時と空間の概念を忘れさせる。マリの恍惚はこのとき最高潮に達して、その後も永遠に続くような錯覚を与えた。
 いつの間にか飛行機は高度を下げ始めていた。街の明かりは大きく点在するようになり、具体的な姿を現し始めた。高度が下がるたびに、マリはふわっと落ち着かない心持ちがした。滑走路の直線を照らすライトが見えてくる。マリは着陸したら、この夢は覚めるのだということに気付き始めた。現実が、彼女の心の中に次第に大きなスペースを占めるようになって来たことを感じ始めていった。
 マリにとって、言葉通り夢のような四〇分間のフライトが終わり、滑走路に着陸した飛行機からふたりは出てきた。足を地につけて歩き始めると、マリの空中での興奮は、少しばかり冷めてきていた。
「また乗ってくださいな。」
 つなぎを着た操縦士の男がそう言って事務所に向かった。イマムラとマリは、駐車場の車に戻り、その場を離れた。あたりはもうすっかり夕闇の痕跡はなく、夜の空気が匂った。ただ、上弦の月が柔らかな光を地表に注いでいた。
 イマムラとマリは、ファミリーレストランに入って食事を取ることにした。
 イマムラは左手に白いコーヒーカップを持ち、右手でタバコを持っていた。真っ白で、分厚いカップだった。そしてこう言った
「君はどうして旅行に行くのかい。仕事で忙しいんだし、体が持たないんじゃあないのかなあ。」
 マリは、アキとその地元の仲間数人で、来週の土、日曜に旅行に行くつもりだった。社交的なアキは男の友人も多い。マリからそんな計画を言い出すことはない。アキが男の友人たちとコンタクトをとってまとめた話だった。マリはそのことをイマムラに話してあった。それに、これからはそのような旅行には行けなくなるのじゃないかと思っていた。イマムラと暮らすことがその前提であるのだったが。
 結婚については、ほのめかす程度であったのだけれども。マリはそれで十分通じていると思っていた。マリは自分の年齢を世間の常識に照らし合わせて、自分の人生設計を立てていた。しかしそれがマリの、本当の心の底から湧き出た気持ちなのかは、自分でもよく分からなかった。結婚をしてみたい。そして、今まで出会った男や職場の男たちと比較して、経済力やルックス、そんなありふれたものも彼女の頭の中を駆けめぐり、彼女に結婚という方向を取らせていたのかもしれなかった。一週間前には、結婚式場のパンフレットを手に入れ、イマムラに見せたことがあった。イマムラは、ふうんと、少しだけ興味のあるそぶりをしただけだった。
「君は旅行に行くべきじゃないよ。」イマムラは続けた。
「君のために言っているんだ。」
 マリは何のことを言っているのか最初は理解できなかった。ただ、自分の中で、勝手に作り上げられた結婚生活という妄想から覚めさせるには十分な発言だった。
 マリはあとで思った。あのときのあの人の顔は忘れられない。眼鏡の奥から少し上目遣いで私の方を見たわ。私には意地悪そうに見えた。あの人は何を考えてるの。どうしたいの。私にどうして欲しいの。どういうことを言いたかったの。考えたくない。嫉妬?まさか。何?・・・分からない。そしてあなたはコーヒーを口に含んで、しばらくして飲み干して、カップを静かに置いたわ。あの人はいい人のはず。だから私に助言したんだわ。あの人の顔が恐ろしく見えた。ああ、もうやめましょう。思い出してはいけないわ。思い出すと怖いもの。ただあの人の親切さだけを感じていればよかったんだわ。あの人は物静かだし、まじめな人。緑色のカーディガンを着ていたわ。とてもよく似合っていた。秋らしい装いだった。でもあのとき変な考えにとらわれたの。飛行機に乗ったから、少し疲れていたのかもしれない。
 マリが旅行に行く話は、いつの間にか立ち消えになり、飛行機から見た夜景のことや、仕事の話に変わっていった。夜一一時を過ぎた頃ふたりはレストランを出て、イマムラの車でマリの家まで車を走らせた。
 あのときがきっと分水嶺。あとは下っていくだけ。中学生の時に登った山。頂上に着いたときはとても感激したわ。でも降りていくと寂しくなった。でも降りていくとホッとした。
 車の中ではイマムラと何も話さなかった。夜の静けさと沈黙が支配した。マリは気まずさよりも早く家に帰り、休みたいという気持ちが先立った。あのとき車の中で、FMラジオからかかっていた曲をどうしてか、あとになってもよく覚えていた。オフコースの『アイ・ラブ・ユー』だった。夏は終わった。完全に秋に入っていた。それは一時的に燃えさかる線香花火。燃えかすが静かに落ちていく様をマリは想像した。その火の色は、今夜見た関東平野の無数の灯りたちと同じ色で、その灯りは夜が更けるに連れて、一つ、また一つ消えていくのだった。マリは自分の中でこの恋はもう終わりなの?と初めてイマムラとの関係を自問自答した。


ああ早く
九月になれば


 いくら考えてもまとまらなかった。


一〇月にはいるとマリは体調を崩し、風邪を引いた。何年かぶりだった。会社を一週間休んだ。熱が下がっても体が重く、気分も晴れなかった。鬱々とした日々が続いた。マリは毎年秋から冬にかけて調子が悪くなる傾向があるのを自分でも承知していた。しかしこの年は特にそれがひどい感じだった。
 一〇月末の日曜の朝一〇時、マリは固定電話の着信音を聞いた。それと同時に体中から冷たい汗が滲み出てきたように感じた。そして不安と、僅かに恐怖を覚えた。
 またあの人からに違いない。そうだったらどうしよう?
 秋が深まるに連れ、イマムラに対する思いが、マリの心の中で真っ二つに分裂していった。あの人が好き。あの人は怖い。お母さん。お母さんもお父さんに対してそう思ったの?分からない。
「イマムラさんから電話よ。」母からの声が聞こえた。
 やっぱり。いないなんて、とても言い訳できない。とりあえず出なければならない。しかしどうして固定電話にかけてくるのだろう?私が本当にいるかどうか確認するだけ?怪物。あの人はモンスターよ。でもあの人はいい人だわ。私にはどこが良いのか分からないだけ。あの人は立派な人。みんな言っているわ。でも私には分からない。
 マリは躊躇せず、ただ、頭の中では様々な思考が駆けめぐりながら、受話器を取った。
「もしもし?」
「あの、僕だけど。」
「はい。」十分に分かっているという意味を声に含ませて返事をした。
「あのさ、今、秋葉原にいるんだ。オーディオ関係のパーツを買おうと思ってね。もし良かったら付き合ってくれない?お茶でも飲もうよ。どうかな。時間あるでしょ。」
「ええ、いいわ。ちょうど私も洋服でも買おうと思っていたの。そうしたら付き合ってくれる?」
「もちろんだよ。ありがとう。でも本当に暇ならでいいんだよ。そんなに、特に、あれだし。」
 どうしてそんな言い訳じみたことを言うのかしら。はっきり会いたいと言えばいいのに。そしてこの言葉を聞いて、やはりイマムラのことが不気味に思えてきた。マリの心の中は疑念と、そして何か特別な感情とが入り乱れた。
「いえ、構わないんです。大丈夫です。」マリはこう答える以外の言葉を見つけられなかった。
「ホントに?それじゃあ、えーと、駅の西口の改札にしたいんだけど。いいかなあ。分かるかなあ。」
マリはイマムラの一語一語に、何か自分を試すような、優柔不断な気持ちを察することができた。そしてそれがマリの心に少しばかりの不快感を覚えさせた。
「わかると思う。行ったことがあるから。」
「それじゃあ、一時に。・・・そうだな、一時半に駅の西口ということでいいかな。」
「はい、いいです。」
「でも本当にいいの?暇だったらでいいんだよ。」イマムラはしつこく聞いてきた。
「ええ、本当に構わないんです。」
 マリは少し寒気を感じ鳥肌が立った。そして静かに、音を立てないように受話器を切った。
 あの人は電話を切る音まで確実にチェックしている。その音で私を計ろうとしているに違いない。そう思いながらマリは尿意を催しトイレに向かった。そこで放出された黄色い液体を見て、マリはまたぞっとした。
 私は生きているんだわ。だって死んでいたら尿なんてでないもの。 彼女は放出した部分を拭き取りトイレを出た。
 生きている限りあの人から逃げられないのかもしれない。私の心のある部分が。
 マリは、自分の前に巨大な壁があるように感じた。くすんだ灰色の、無機質で、埃がついている。高さは五メートルくらい。その壁の向こうには何かがあって、美しく、爽やかな快楽だけが待っている。ただ、今はそんなものは予測することはできても、実際に見ることは不可能だった。秋葉原に向かうために、グレーのジャケットと黒のスカートを選択した。そんな気分だった。玄関を出るときに息が詰まるような気がした。
 薄い青色のトレーナーを着た七~八歳の男の子供と、薄茶色のジャンバースカートを着ている女の子が、母親に見守られながら、街にある数少ない区画に作られた人工的な公園に無理矢理押し込められたように置かれた遊具で遊んでいる姿を、駅に向かう途中、マリは見た。公園の木々も、鳥の鳴き声も、秋そのものだった。
 何が秋を感じさせるのか。何が秋を感じさせないのか区別することができない。私には。秋というものが心の中にあるようなのに。でもみんな、そう、お母さんがよく言っているわ。東京の秋は素敵だって。きっとそうなのよ。私も、他の人も、お母さんも、あの人、そう、今日これから会うあの人もおそらくそうなのよ。秋はきっと、平等に訪れる。私だけ特別であったなら、神様は不公平だわ。あの人も。きっと秋はあるのよ。
 マリは奇妙な感覚を覚えた。
 秋というのは、とても素晴らしい言葉だわ。人を幸福にできるのね、きっと。でもその秋そのものは人を不幸にすることもある。そう、今の私みたいに。
 駅から電車に乗り、座ることもせずマリは沿線の風景をぼんやり見つづけた。やがて灰色の建造物、上野駅が見えてきた。彼女にとって通勤で馴染みの風景だった。
 きっと、歌のテストと同じなのよ。昔、小学生の時、音楽の時間で嫌な思いをしたわ。あれは全員がやらなければならなかった。だからいくら嫌でも通り過ぎねばならない関門だった。そんなこと、私の人生にいくらでもあったように思う。今回もきっとそうだわ。だから、私の足は秋葉原に向かっている。きっとそうだわ。でも、誰がなんのために私をテストしているのかしら。自分のため?それともあの人のため?そこがはっきりとしないけれども、仕様がないわ。分からないのは私のせい。あの人は知っているんだと思うけれども。でもそんなこと絶対聞いちゃダメだわ。私のためにも、あの人のためにも。もし聞いたらあの人はきっと怒り出すわ。
 マリは上野駅で降り秋葉原行きの電車に乗り換えた。休日のせいかいつもの出勤時に比べれば人が少なかった。電車内にサラリーマンは少なかった。それでも時折スーツにネクタイ姿の中年男を見かけた。この時間は暇なのかもしれないと思った。空いている座席に座ると隣は品の良いスカーフを巻いた初老の婦人。三越の紙袋抱えていたその中には買ったのだろう何かが入っていた。そしてその隣の、やはり同じ様な上品そうな婦人と話していたが、手前の婦人の方が若干太っているように見えた。目の前には、女子高校生が立っていた。紺の制服を着ており、緑色のリボンを付けていた。随分大きな声でその仲間の女子高校生らと話しをしていた。正面のドア付近にはイヤホンを付けた二十歳前後の男が窓の外を見ていた。
 いつもと同じだ。でも、最近は違ってきているみたい。あの人が私を呼び出すたびにこんな、表現できないような心がかき乱されたような気分になる。それに、会う回数が増えるたびにひどくなる。どうしたのかしら?今日はなんと言われるのかしら。
 山手線の車窓から見える風景は、灰色にくすんで見えた。いつもと同じ風景。何年も変わらない風景。小さな家が押し合うように立ち並び、その合間にまばらに四、五階建てのビルディングが建ち、人が住んでいたり、事務所として使われている。そして僅かばかりの緑、木々が顔を出していた。こんな風景は行けども行けども続いているのが東京だ。あまりにも無愛想だとマリは感じた。だが、この電車内にいる人たちの大方は、この風景について何も気にしてはいないだろう。でもマリは知っていた。不気味にも見えるこの街並みの表情も、その一軒一軒の隙間の路地に入れば、子供たちが遊ぶ嬌声が聞こえ、主婦たちが立ち話しをし、夜になれば仕事に出ていた人たちが家々に戻り、夕食を取り、テレビを見て、入浴し、眠りにつくのだろう。その中には無数のきらめく星々のような、心の動きがおそらくあって、その日、そのときを暮らしている。
「それで別れた奥さんは子供をどうしたの?」
「ええ、それがいい加減なもので、親戚に預けてどこかに消えてしまったのよ。」白髪混じりの、マリの隣に座るスカーフを首に巻いた老婦人が、その隣の婦人に向けて、口をへの字にして、頭を左右に大きく振った。
「でも大変ですわね。無責任に押しつけられた親戚の人も。」
「でも、それが違うらしいのよ。やっぱり血は争えないらしくて。預かった先がその奥さんの妹さんで、あんまり子供たちを可愛がらないそうなのよ。」
「あら、そうなの。それじゃあ一番不幸なのは子供たちよねえ。何も悪いことをしていないのに。」
 スカーフの婦人はいかにも可哀想だと強く表現したいが為に、体を揺すり、声に大きな抑揚を付けて話した。ふたりの声はマリの耳に自然と入ってきて、内容も理解できた。ただ、マリにはその話に出てきた子供たちの気持ちを類推することはできなかった。あまりにも別の影が彼女を覆って、考える矛先を彼女の意と反対の方向へと強制的に向けてしまうのだった。老婦人たちの反対側の女子高校生たちの会話も断片的に聞こえた。
「アーガイル模様のセーター買ったよ。」
「いいね。」
「アーガイルって知ってる?」
「菱形の模様のことでしょ?」
「どこで買ったの?」
 それまで会話に参加していなかった、緩やかにパーマをかけた背がやや低い少女が尋ねた。しかしそのあとの会話はもう一つの音にかき消された。まもなく秋葉原に着くという車内放送だった。その放送のあとまもなく電車は減速した。すると向かい側のドアの前でイヤホンで音楽を聴いている、外を眺めていた青年が、少しよろけた。それも僅かなあいだで、すぐにバランスを取り戻して
何もなかったように窓の外を見つめ続けていた。
 マリは鼓動が強くなるのを感じた。私は降りなければいけないんだわ。そう、もうすぐなのよ。そこにあの人が待っている。そうだわ、行くべきなのよ。あの人に会うことは、たぶん良いことなはず。私にもあの人にも罪はないんだし。私が考えているほど嫌なことなんか、きっと起こることはない。これから何が起こるかなんて、誰も予言できるわけもない。でも、あの人を怒らせるようなことは決して言ってはいけないのよ。私は我慢するんじゃない。普通の場合おそらくそうなのよ。こういうケースは、きっと誰でもこうなるのよ。この間会ったあと、家に帰ってずっと一人で泣いていたことなんか決して言ってはいけないんだわ。そんなことを言えばあの人は怒るどころか悲しみ、私を憎むかもしれないわ。私は誰からも嫌われたくないし、憎まれたくもない。
 電車は静かに止まり、ドアが開いた。運転がうまいベテランが電車を走らせているようにマリは感じた。マリはそのまま秋葉原のホームに降りた。プラットホームの上に引かれた、黄色い蛇のような線をまたいでしばらく歩くと、一〇月の陽光が雲間から差し込み、マリの体やホームに淡いベールをかけた。かなり多くの人々がこの駅で降り、また乗った。この風景を見ている限りでは、彼女を束縛するものは何もなく、ただ秋という季節があり、制服を着た高校生や、ショッピングに来た家族連れ、さらに婦人たちが右往左往していた。さらにマリは歩を進めた。どうやらマリは今までの迷いを捨てたかのようだった。
 私はこう思うべきだったのよ。私をいろいろな方向に導いてきて、私を苦しめたのは、私自身だったのよ。私の言葉、私の行動、私の容姿、これらが悪いのよ。だから私は、あの人に安らぎや、罪を求めてはいけない。私は自分で勝手に物語を作り、それに振り回されてしまっている。父と母が、私が五歳の時に離婚したことなど、関係ないはず。
 秋の寂光はマリの靴に最後の輝きを与え、やがて彼女は、庇に覆われた影の部分に向かった。やがて駅の中心部に入っていった。中に入っていくと、先ほどのイヤホンで音楽を聴いていた青年がマリの少し先を歩いていた。黒っぽいスタジアムジャンパーを上に引っかけて、わざと破れて穴の開いた、若者のファッションなのだろう、それを履いていた。マリはふと、その青年のあとをついていこうというアイデアに心が奪われた。
 このまま、この男のあとをついていけば、きっとどこか違う場所へ私を誘ってくれる。でも行ってはいけないわ。私がいなくなったらお母さんが困ってしまうもの。それにおそらく、この先の改札で待っているあの人も、きっと不愉快な思いをするわ。
 しかしマリは不可解な糸で結ばれているように引きずられ、そのスタジアムジャンパーの男の後を追った。特段格好がよいわけではなく、そのあたりでどこにでも見つけられそうな青年だった。彼女はその男の後を追って自然と改札口を抜けた。目をそらした瞬間、スタジアムジャンパーの男はマリの視界から消えてしまった。彼女が探せばその男を見つけられる距離であったかもしれない。後を追っていくこともできただろう。しかしそれをしなかった。改札口がまるで磁石のように彼女を惹きつけた。その場に立ち止まって周囲を見回した。もちろんイマムラの姿が見えるかどうか確かめたのだ。マリの心臓は激しく鼓動を始めた。足は宙に浮くように感じ、肩に妙な力がかかった。ただそのとき、彼女の中では唯一の考えしか浮かばなかった。
 あの人を捜さなければ。
 マリはそれが、今までイマムラからの影響であろう、ある種の苦しみから抜け出すためにはそう思うほかなかった。様々な種類の、男も女も年老いたものも若い者も、子供も、彼女の視界を横切っていった。かなりの雑踏だった。彼女は紺の短めなソックスに少しだけかかとが高い、黒い革靴を履いていた。彼女は少し背伸びをして辺りを見回した。そしてついに、黒っぽいジャケットを着た、先ほどの青年とは違うオーソドックスなジーンズを履いた、眼鏡をかけた男を見つけた。顔は少し浅黒く、逆三角形だ。髪型はあまり手を入れていない様子で、目つきは穏やかだが全体に少し暗い印象を与える男。すなわちイマムラを見つけた。と同時にイマムラも例の女。ショートカットの髪型で肌の色は白く、顔の小さい女、マリを見つけた。イマムラはマリになんと言おうか迷っている様子だった。マリは静かな足取りでイマムラの方に向かっていった。イマムラから緊張感が少し薄れていった様に見えた。イマムラは幸福そうな表情を浮かべた。イマムラがなんと言おうか悩んでいるあいだに、事態は解決した。マリから言葉が発せられたのだ。マリは何と言ったのか、そのすぐあとでさえ忘れてしまった。ただ、イマムラとの距離が近づいて来るうちに、先ほど頭の中を駆けめぐっていた迷いが少しずつ消滅し、彼女の心はやがて平穏に保たれるようになっていった。
 マリとイマムラは電気街の数軒の店をまわり、そのあと喫茶店でお茶を飲んだ。マリの心は落ち着いていた。ただ、警戒心が心のどこかに隠れていた。イマムラが何かを言い出すのではないかと。ただこの日に関しては杞憂だった。マリはその日の夕方、イマムラと食事をして、再び秋葉原から電車に乗り、ふたりの地元の街に帰ったあと、彼のアパートに寄り、いつも通りのセックスをし、イマムラの車で送ってもらって帰宅した。マリは一日をふり返り、疲れたのと、自らの臆病さと、イマムラを含めた男という人種に対しての、よく分からない疑念を少しだけ感じ、今日のデートはまるでデートのマニュアル本をふたりでなぞっていくような、ぎこちないもので、マニュアルなしではふたりの関係は維持できないように感じた。
 スエットに着替えてベッドに横たわってから、しばらくぼんやり天井を眺めていた。母と弟と自分の思い出が詰まっているこの部屋。自分が小学生くらいの頃を思い浮かべた。それから今までの軌跡を追いかけようと思っているうちに、いつの間にか眠りについた。
 翌朝は何もなかったように人混みの中で東京都心に出勤した。仕事をしているあいだは、マリはイマムラのことを忘れることができた。
 マリはこの一ヶ月、イマムラに会う前になると、億劫な気分になることをはっきりと意識していた。駅前にはクリスマス・ツリーがセッティングされ、色とりどりの電飾が覆っていた。年末の人混みの中を、イマムラとではなく、今は独りで歩きたかった。それが、イマムラという男個人を対象にしているのか、男というもの全体を忌避しているのかは、マリにはわからなかった。
 その日は自然と訪れた。一二月の中旬頃だった。その日は冷たい雨が降り、気温も低かった。マリは一日中寒く感じていた。夜、イマムラと会う約束をしていた。約二週間ぶりくらいだった。ここのところメールや電話も減っていた。お互い年末で仕事が忙しいという言い訳を用意していた。
 イマムラのハッチバックは、駅のロータリーの一角にハザードランプを点滅させていた。マリにはすぐに分かり、車に向かって行った。イマムラを見つけるとマリは
目を合わさず、小さな声で軽く挨拶をし、車に乗り込んだ。マリにとってこれからの道のりは、大袈裟に言えば、死刑囚が絞首台に向かうときの通路のように感じられた。イマムラは時折話しかけてきたが、マリは短い返事を力無くするだけだった。
 車窓からは、マリが幼いときから見慣れた街並みが、流れ去るのがみえた。車の販売店。チェーンのラーメン店。日曜大工用品を売る大規模店。ドラッグストアー。レンタルビデオ店。県道沿いに並ぶのは、店舗の他に、四、五階建ての小さめのマンションがぽつぽつ顔を見せるくらいだ。店舗やマンションの奥には、二階建てで、四LDK暗いの住宅が狭い道路を挟んで、押し合うように建てられている。このあたりは、ここ三〇年くらいのうちに開発された地域だ。この無愛想な街でも、家々の寄り添う中、小さな路地に入れば、子どもたちが遊ぶ嬌声が聞こえ、主婦は夕食の準備や片づけに精を出し、テレビの音が家族の話し声をかき消すように鳴り響く。やがて深夜を迎えるにつれ、活動していた人々は、眠りについていく。そして短い夜は終わり、朝を迎える。人々は再びごそごそと蠢き始める。その中には無数のきらめく星の数ほどに、いろんな心の動きがあって、人々はその日、その時を過ごしている。マリはぼんやりとそんなことを考えていた。自分もそのうちの一つの星だと。
 県道と国道が交差するところにあるレストランに車を停め、雨に濡れないように早足で店の中に入った。ふたりは国道沿いの席に座った。席に着いてから、マリは窓の外の車の往来を眺め続けた。沈黙が支配した。やがてこのチェーン店の制服を着た、まだ一〇代であろう女の子が、不慣れな調子で注文を取りに来た。イマムラは二本目の煙草に火を付けていた。
 早く時が流れるといい。今日という日が早く終わって欲しい。それにしてもこの人はよく煙草を吸う。それにしても考えても見なかった。私がこの人と会う時間が苦痛に感じる日が来るなんて。どうしたらいいの?先へ一歩踏み出した方がいいの?。それともこの半年は何もなかったことになるの?
 雨に打たれて濡れたコートをたたんで隣の席に置いたが、マリは寒くて仕方がなかった。いつになっても暖かくならずにぶるぶると震えていた。店の中はかなり暖房がかかっていたはずだったのに。
 頼んであったハンバーグを食べ終わると、コーヒーが来た。イマムラはまた煙草を吸いながら、マリに話しかけた。
「元気ないね。疲れてるの?」
「仕事が。年末だから。」
 確かにそれはそうだった。いつもより処理しなければならない書類は一.五倍ほどあった。オフィスの中は気ぜわしく、一日があっという間に終わってしまうほど、やるべき仕事が多かった。疲れていると良いアイディアは浮かばないし、今、誰とも、特にイマムラと話したくないのは体調のせいだと思いたい気持ちが、マリの心の片隅にあった。
「でもさ、僕と会うときくらいは楽しそうな顔をして欲しいな。女の人は気分のムラが大きいのかもしれないけど。」
 マリはこの言葉を聞き流したかった。しかしそれは無理だった。彼女は、腹部が熱くなっていくのを感じた。押し殺そうとした。ただどうにも気分が冴えなかった。
「トイレに行って来る。」
 マリはトイレで手を洗い、呼吸を整えようとしたが、わずかな時間ではおさまりそうもない不快感だった。涙が目尻から一筋こぼれ落ちた。
 まずい。どうしても涙を止めなければならないわ。
 レストランの中にいる人たちに見られたくない。それよりもイマムラにこの姿を見られたくない。意地になっていた。ハンカチでなんとか涙を止めると、できるだけゆっくり歩いて席に戻った。
「ごめんなさい。やっぱり調子が悪いわ。」
 マリは黒い、フランス製のハンドバッグから財布を出して、千円を今村の前に置いた。
「今日は帰る。」
「そう?どうやって帰るの?」
 私が帰る手段がないことを知っている。なんてことを言うのかしら。
「送っていく。」
「いいわ。もう少しここにいて、休む。少し落ち着くかもしれないから。」
 マリには、イマムラの思うとおりにはしたくないという気持ちが半分くらいあった。もう半分は、イマムラへの幻想が捨てきれないことだった。それは、マリがこの半年間費やしてきた時間が、重荷になったということでもあった。
 しばらく、言葉もないまま時間が過ぎると、マリは落ち着いてきた。九時半頃に店を出て、イマムラのアパートに向かった。最後の賭けに出ようと思ったのだ。この人とやっていけるか?結婚という選択が、自分にできるのかどうか?私はいつまでも男というものを信用できないのか?それからマリには計算があった。イマムラと離れれば、おそらくよほどのことがない限り次の男を見つけることはできないだろう。生活力を持ち、端整な顔立ちをした男に出会うことは。
 イマムラは車をアパート近くの駐車場に止めた。そこからアパートまで五〇メートルほどの距離がある。蛍光灯が切れかかって、ときどき点滅する街灯の下を、ふたりは言葉を交わすことなく、細い砂利道を傘を差しながら歩いた。電灯に照らされたアパートの、クリーム色の外壁は、年月で薄汚れて、寂しげに見える。何回ここを訪れたろうか。茶色に塗られた鉄板で造られた、アパートの外部に付けられた階段を登り、二階のイマムラの部屋にふたりは入った。
 この夜、マリはイマムラと寝た。結果的にマリとイマムラの最後の夜になった。マリの体は怒ったような反応をした。何者をも拒絶し、そして受け入れた。イマムラはあまり興奮せず、淡々としていたが、次第にマリを早く帰して、彼も独りになりたがっているように、マリからは見えた。この人はもはや察したのかもしれない。マリは思った。これ以上自分の心が揺れることにマリはもう耐えられなくなっていた。どちらかに決めなくてはならない時期が来ていた。
 ことが終わると、ふたりともすぐ洋服に着替えた。マリはハンドバッグを拾い、先にドアを開け、外に出た。ほんの五分前までふたりは一緒に寝ていたはずだった。この間、車に乗るまで、イマムラは煙草すら吸わなかった。深夜になるにしたがい、外気はますます冷え込み、雨が雪に変わるのではないかと思わせた。マリの耳を凍らせるような冷たい雨交じりの風が不意に吹いてくる。雨も少し強くなってきたようだ。関東平野は冷凍室の中のようだった。
 イマムラの車で帰宅したのは夜一一時だった。車で帰る途中、FMラジオでは七〇年~八〇年代の邦楽のヒット曲を流していた。松原みきの「真夜中のドア~stay with me~」が流れた。マリは自分と、この曲に描かれた女性は同じようで少し違うと思った。、寂しい気持ちを描いていることには共感した。聞いているうちに胸が詰まった。涙は必死で堪えた。



私は私 貴方は貴方と
昨夜(ゆうべ)言ってたそんな気もするわ
グレイのジャケットに見覚えがあるコーヒーのしみ
相変わらずなのね ショーウィンドウに二人映れば

stay with me・・・真夜中のドアをたたき
帰らないでと泣いたあの季節が 今 目の前
stay with me・・・口ぐせを言いながら
二人の瞬間(とき)を抱いてまだ忘れず
大事にしていた
恋と愛とは違うものだよと
昨夜言われたそんな気もするわ
二度目の冬が来て離れていった貴方の心
ふり返ればいつもそこに貴方を感じていたの

stay with me・・・真夜中のドアをたたき
心に穴があいたあの季節が 今 目の前
stay with me・・・淋しさまぎらわして
置いたレコードの針同じメロディ繰り返していた・・・

stay with me・・・真夜中のドアをたたき
帰らないでと泣いたあの季節が 今 目の前
stay with me・・・口ぐせを言いながら
二人の瞬間を抱いてまだ忘れず暖めてた


 この曲が終わって次の曲に入る頃、マリの住む団地の取り付け道に着いた。車が止まってすぐ、マリはイマムラに小さく礼を言い、傘を差しながら後ろを振り返らずに小走りに自宅へ向かった。
 マリはそのまま三階に上がり、部屋に入ると、ベッドに倒れ臥した。疲れ切った体とは反対に、安堵感が漂ってきた。一時間くらい突っ伏したまま動かなかったが、石油ヒーターで部屋が暖まってきてから、着替えて、そのまま眠りについた。
 その日以来、マリはイマムラに電話をしなかった。イマムラも連絡を取ってこなかった。しかしマリはイマムラからの電話を、どこかで僅かに期待していた。私はまた一人になってしまう。アキは社交的で友達も多いし、いずれいい人を見つけて結婚してしまうでしょう。お母さん。私をここまで育ててくれた人。感謝の言葉もない。だからイマムラとの別れを話すこともできない。たぶん知っているのかもしれない。私には誰もそばにいない。
 年を越し、一ヶ月経ち、立春を過ぎる頃になると、マリはイマムラの影が薄くなっていくのを感じた。何もなくなってしまったわけではないけれどけれど、未来に向かう白い道筋が、少しだけ輪郭を持って見え始めてくるようだった。仕事の忙しさに追われ、日々を埋める雑事に事欠かなかった。桜が散って春も本格的になると、マリには、イマムラの存在はこんなにも軽いものだったのかと、不思議に思えるようになった。そして、ふたりの関係は完全に終わったのだと、はっきりと認識できるようになった。マリにすれば、今までの恋愛に比べて、気持ちが落ち着くのに、少し時間がかかったような気もする。そしてその後遺症、孤独、なんだか一生背負っていかねばならないような気も同時にした。それからも時折イマムラとの夜を思い出すことがあった。少し切ない気持ちになると同時に、イマムラへのあのときの気持ちは本物だったのだと思うようになった。



 イマムラがマリと別れてから、もうかれこれ四年の歳月が流れようとしていた。その後イマムラは女性と交際することはなかった。その気配すらなかった。時々実家の信州に帰り、一人暮らしをしている母の様子を見に行った。父は一〇年前に死んでいた。五五という若さで死んだ。脳出血だった。
 実直だがユーモアもあり、イマムラとその妹を随分可愛がってくれた。イマムラは母より父の方が好きだった。だから父が死んだとき、彼はその事実を受け止めることがしばらくできなかった。一番愛された経験ということならば、幼少期に父から受けた愛情だったと思う。妹は大学生の時につきあい始めた男と結婚し、福岡に住んでいた。時折連絡はしていたが、いかんせん物理的な距離が遠すぎたことで、ここ数年は疎遠になっていた。
 イマムラの母は社交的で、親族だけでなくその他の友人たちがいるようで、イマムラが特に心配することはなかった。逆にイマムラの結婚が遅いことに関して、くどくどと説教され、実家への足が遠のくばかりだった。結局イマムラの側にいるのは、マリと別れた翌年に飼い始めたキャバリアのミロだけだった。
 イマムラがマリと別れてからというもの、何をやっても楽しいと感じることもなく、ただ毎日をスケジュールに添って、何ともなしに過ごしていた。
 イマムラは相変わらず東京近郊の工場でエンジニアをしており、仕事のある日は、職場までただぼんやり外の風景を見ながら車を走らせて過ごした。背中の丸くなった老婦人が、ゆっくりと杖をついて歩いている姿や、中学生達が大きな声をあげながら、少し危ない自転車の乗り方をしてどこかに向かう様子などが、ぼんやりと視界に入った。
 この頃から週に二日ほど東京、新橋の本社に足を向けるようになってきた。少しだけ社内で地位が上がり、もちろん年功序列で、年齢が上がってそうなっただけだが、電車に乗ることが多くなってきた。駅では忙しそうに、ネズミ色や紺色のスーツに身を固めた企業戦士達が早足で階段を登る姿や、ハイヒールを履いたOLが少し鼻につく香水を後に残していくのに不快な思いをしながら、高校生や主婦らしき婦人達にも追い抜かれ、力無く階段を登っていくのが常であった。イマムラは通勤ラッシュがとても苦痛に感じていた。
 三五になったイマムラは、会社ではまだ若手の方だが、会議などでは積極的に発言したり、新しい企画を提出することもなく、ただただ受動的だった。会議の時は、ただ時の過ぎるのを待っているばかりだった。それが終わるとまた東京近郊の衛星都市に向かう満員電車に揺られ、夕刊紙をときどき買うことはあっても、他には特段に興味を惹かれることもなく、ぼんやり過ごし、自宅のある駅に着くと駅前の定食屋で、カツ定食や焼き肉定食、エビフライ定食と、日替わりで頼みながら夕飯とした。この定食屋の主人や、常連とも特に仲良くなると言うことはなかった。主人も夕方の時間は忙しいらしく、イマムラのような無愛想な人間には話しかける気にもならないようだった。
 夕食を終えると、一〇分ほど歩いて木造モルタル二階建てのアパートの二階の小部屋に戻っていった。誰か待っているわけではない。ただ、鍵を開け、ドアを開けると、ミロが駆け寄ってきて飛びついてくる。一日中、家の中で留守番をしていたのだ。寂しいはずだし、早く外へ連れ出してもらいたいのだ。イマムラはミロを軽く抱きしめると
「待っててくれよ、今、着替えるからね。」
 と声をかけ、チノーズのパンツを履きと、カジュアルなシャツに着替えるのだった。ミロは玄関のところで、早く行こうよと、せかすようにせわしなく動き回っている。イマムラはウォーキングシューズを履き、ミロに首輪を付けると外へ出て行く前に鍵をかける。
 ミロはそんなに大きな犬ではないから、一kmくらい歩けば十分な運動量のはずだ。イマムラはいつものおきまりのコースをぼんやりとミロを引きながら歩き始める。ミロはあっちこっちにイマムラを引っぱって、電信柱という電信柱に小便を引っかけて歩く。そしていつも通りのコースを辿り帰宅した。水とドッグフードを与え、ルームウエアーに着替え、ソファに倒れ込むように座る。タバコに火を付けてテレビをつけ、ぼんやりと眺める。少し落ち着いたところでシャワーを浴びる。夜半を過ぎると、かつてマリと愛し合ったこともあるベッドに入り寝る。そんな毎日だった。
 四月の半ば、日中汗ばむほどの気候の日。夕方はちょうど良いくらいに涼しくなっていた。イマムラはミロを連れて外へ出た。辺りはもう薄暗くなって、家々には明かりが灯り、換気扇からは夕食の匂いが吐き出されていた。その匂いを嗅ぐと、イマムラは少し物寂しい思いになった。今日の食卓の出し物は何だろう?今日の食卓の話題は何だろう。イマムラは、マリと過ごした半年間の思い出を頭に浮かべてしまう。自分のアパートでも一緒に食事をしたことがある。マリはよくカレーを作ってくれた。
 イマムラの住んでいる街は、そこそこ古い住宅地だ。新しく建てられた家と、もう三〇年は経っているだろう古い家が混在している。中には空き地もあって、夏になると随分草丈が高くなるようなところもある。ミロはそんな空き地を選んでは排便を済ます。排便が終われば、後は我が家に向かうだけだ。イマムラは家々の様子をぼんやり見ながら、ミロを連れていることを忘れてしまうほど、頭の中でいろいろな想念を浮かべては消して歩いた。その想念とは幼い頃のこと、学生時代のこと、仕事のこと、そしてマリのことなどであった。
 ただ一軒、いつも、その想念を消し去ってしまう家があった。四〇坪くらいの敷地に建てられた古ぼけた二階建ての家は、草がぼうぼうに生えていて、手を入れてある風もない。それどころかその家には誰かが住んでいる様子も全く感じられなかった。錆び付いた自転車がそれほど広くない庭に一台転がされていた。
 一体この家は何なんだろう?と、通るたびに疑念を生じたが、その問いは、そこを通り過ぎれば忘れてしまっていた。
 しかしこの四月の夕方は、その家にイマムラが執着してしまった日になった。そしてそれはイマムラにとって恐ろしくもありとても悲しい思いに導く一日になった。
 少し出発が遅れてしまったので、夕陽はすでに沈み、近くの公園には葉桜になった木が電灯に写し出されていた。ミロはいつもの場所で排便を済ませた。そしていつもどおり例の荒れ果てた家の前を通り過ぎようとした。そのとき、イマムラは、今思い出してもどうしてなのか分からないのだが、おそらく魔が差したとしか言いようがないのだが、この廃屋について異常とも言える好奇心を持ったのだった。イマムラはこの家のことを誰かに聞いてみたくなった。が、薄暗いし、近所に人のいる気配はない。
 そこで、してはいけないとは思ったのだが、黒い門扉をそっと開けて、手入れのされていない狭い庭に入ってみたのだった。門扉を開ける時、ぎしっと嫌な音が鳴った。イマムラはとっさに周囲を見回して、泥棒と間違われないようにと願った。それから遅れてミロもついてきた。敷石を伝って歩くと焦げ茶色で、埃をかぶったドアの前に来た。イマムラは、おそらく誰もいないだろうと確信しながらも、二度三度軽く叩いてみた。しばらく待ってみたが案の定誰も返事をする様子はない。ドアの横にはチャイムがあり、それも何度か押してみたが、音が鳴っている気配はなかった。電気は止まっているらしい。
 さらにイマムラは大胆な行動に出た。ドアを開けてみることにしたのだ。辺りはもう暗い。誰も見ている人などいないだろう。そう思って、ドアノブをひねってみた。すると鍵がかかっておらず、ドアが開くではないか。イマムラは少しずつ開けてみた。徐々に中の様子が見えてきた。見えたというよりも結局は真っ暗で何も見えなかっただけだったのだが。イマムラは自分の体が入るくらいまで開けると一歩中に足を踏み入れてみた。足の感触からは何もないように感じた。どうやらこの辺りによくある建て売り住宅のような小さめの玄関スペースがあるようだ。イマムラはさらに反対側の足を中に入れようとした。するとミロがなぜか入ろうとしないで、嫌がっている。イマムラはそんなことはお構いなしに真っ暗な闇の中に侵入を続けた。右足で玄関のスペースを探ってみると、どうやら靴がある。そのうちの一つはサンダルらしいということが触感で掴めた。ミロも仕方なさそうに中に入った。ドアを閉めると街灯の明かりが遮られ全くの闇の世界になった。
 その瞬間だった。
「誰だ。」
 中から声が聞こえたのだ。それはどこかで聞いたことがあるような太い声だった。イマムラの心臓は体から飛び出さんばかりに打ち始めた。よく考えれば、この行為は住居不法侵入である。怖くなったイマムラは、あわてて再びドアを開けて、ミロとともに荒れ果てた庭に戻った。イマムラは呼吸も荒くなりながら、周囲の様子をうかがいながら黒い門扉の外に出て、道路に戻った。それから再びその廃屋を見つめた。
「なんてことしたんだ。」
 後悔の念が湧き始めた。それからあの太い声をもう一度思い出そうとした。もしかして空耳だったからかもしれないからだ。でも確かにイマムラの体にその声は染みついていた。そしてどこかで聞いたことのある声だと気づいた。おそらく死んだ父だった。
 イマムラは、心臓の鼓動が高まったまま家に向かった。家に着くとミロの首輪を取ってやり、財布を持って再び外に出た。イマムラは駅前の食堂に、何かから逃げるように自転車を走らせた。食堂で生姜焼き定食を食べると少しだけ心が落ち着いた。
 それからしばらくは、その廃屋の前を通るのを避けたり、通ってもそのまま素通りした。しかし心の内には、あの声がこだまして、それは日に日に疑問としてイマムラの中で大きくなっていった。幻聴だったのか?本当に誰かいたのか?
 五月に入って、ある夕方、いつものようにミロを連れて散歩をして、例の廃屋の前を通りがかると、その廃屋の隣の住人らしき中年の女性が、門扉に掛けられた植木鉢に水をやっていた。イマムラは再び好奇心に火がついて、その女性に声を掛けてみた。
「あの、すいません。この隣の家には誰か住んでいるんでしょうか?」
中年の女性は突然の質問に少し驚いた様子だったが、こういう時にミロが役に立つ。イマムラの周りをうろついているミロを見て、
「あらかわいいワンちゃんだこと。」
と、話を少しはぐらかされてしまった。
「どうもありがとうございます。」イマムラはミロのことに礼を言うと、もう一度隣の家の所在について聞いてみた。
 中年の女性は少し困ったような顔をしたが、彼に対する警戒感はミロを通して弱まってきていたようだ。少し話をはじめた。
「もう一〇年くらい前までは人が住んでいたのよ。今は誰も住んでいないのよ。」
 イマムラは嘘をついて、先日廃屋に人がいたのを見てびっくりしたので、疑問を感じたのだ、と話した。
「大学の先生だったみたい。」
その女性は話した。
 イマムラはミロの話を織り交ぜて、女性が不審に思わないように話しにリズムを付けながら聞いてみたところ、簡潔にまとめればこういうことだった。
 一〇年くらい前まで、独り身の初老の男性が住んでいた。そのころまではこの家もそれなりに整えられて、今のように雑然とはしていなかった。しかし、その男性が心臓発作か何かで倒れて、しばらくして亡くなった後、この廃屋には誰も住んだ者はいないようなのだ。どうやら亡くなった男の遠い親戚が管理しているのだが、その親戚も関西の方に住んでいるようで、なかなか手入れをしに来る暇がないという。
 亡くなった初老の男性は、生涯独身で過ごした様だった。都内のどこかの大学で研究をしていたとのことだった。その女性はその大学教授が誰かと住んでいるのを見たこともないし、誰かが訪ねてきたことも記憶にないという。近所づきあいはほとんどなく、挨拶程度で、機嫌の悪い日には挨拶すら返さなかった。女性から見て、孤独で気むずかしい男だったようだ。ただ、茶色の柴犬に似た雑種の犬を飼っていて、その散歩は怠らなかったようだった。女性から見ると老人は随分犬を可愛がっていた。ただその犬は随分吠える癖があったという。ある時近隣の住民がクレームを言いに行くと、男は突然語気を強め、帰れ、と大声で叫び、とりつく島もなかったという。それ以来近所では犬の吠え声を我慢するほかなかったという。老人が死んだあと、その犬がどうなったかはわからないという。もっぱら保健所に連れて行かれたという噂だったが、一方で、ボランティア団体に引き取られたという人もいたそうだ。
 イマムラはこれ以上のことは聞き出せそうもないと思って、女性に丁重に礼を言いその場を離れることにした。
 帰り道、イマムラに話しかけた男は一体誰だったのか。まさか死んだ初老の男性だったのか。だとすればそれは幽霊だったのか。実はその男性はまだ死んではいなくて、あの廃屋に、こっそりと棲息しているのか。あたかもオペラ座の怪人のように。それとも、廃屋と知って、どこかのホームレスが住処としているのか。いずれにせよ、誰かが住んでいれば隣に住む女性が気が付くはずだ。そうしてみると残された選択肢は幽霊しかない。それか、イマムラの幻覚かだ。彼はあの時の衝撃を思い出しながら、自宅に急いだ。
 それからまたしばらくして、あの時の恐怖を忘れかかってくると、イマムラの好奇心が鎌首をもたげてきた。六月の蒸し暑い夜、午後八時頃だったが、イマムラは再びミロを連れて例の廃屋に入ろうと決めた。辺りを見回し、人気がないことを確認すると、ぎしっと音を立てる門扉を開けて、ドアノブを回した。以前と同じように中は真っ暗だった。イマムラは一歩一歩中に入っていった。そして、前回よりもさらに奥へ、すなわち玄関から廊下に足を伸ばしてみたのである。イマムラは恐怖感よりも、好奇心の方が完全に勝っていた。というよりむしろ、自分がどうなってもよいのだという気分だったのかもしれない。つまり最近のイマムラは、ますます生きる意欲をなくし、俗に言う抑鬱状態だったのかもしれない。時折ふっと消え入りたいような気持ちになったり、生きている価値について何も考えられなくなっていたのだ。だから、自分がどのようになっても、独り身の彼には困ることもない。恐怖感というのは、自分の命を守りたいと思う気持ちが、それをより強めていくわけだからだ。魔が差したというより、イマムラが好んでその廃屋の中を見てみたかったという方が正しかったと、後で考えればそう思えるのだった。そして、この家のかつての住人の姿は、この先の自分なのではないかと、うすうす感じていた。
 蒸し暑い空気と、なんだか埃っぽい匂いの中をゆっくり足を運んでいく。ミロが後から着いてくる。廊下を進みながら、イマムラは手探りで壁を伝っていった。どうやら最初の部屋の位置が右手側の感触から分かった。イマムラは引き戸になっているその戸を開けてみることにした。すると、再び、今度ははっきりと声がしたのだ。それは女性の声だった。
 イマムラは前ほど驚かなかった。気持ちもしっかり保てていた。
「誰なの?」
 女性は小さな声だったが、イマムラにははっきり聞き取れた。
「私は、この家に誰かいるのではないかと思って入ってしまったのです。もしご迷惑ならすぐ帰ります。」
「いやいいのよ。よく来てくれたわ。ここがよく分かりましたね。」
ミロが急にバタバタし始めた。
「あら、かわいい犬を連れていらっしゃったのね。」
「ごめんなさい。少し聞いてもいいですか。あなたはここに住んでいるのでしょうか?」
「もちろんそうです。ここの住人です。」
「他にも誰か住んでいるのですか?実は二ヶ月前に一度ここを訪れた時、男性の声を聞いたんです。その時は怖くて、話もせずに帰ってしまいましたけれど。」
「ああそうですか。あのときの訪問者はあなたでしたか。それはその人から聞いて知っています。暗いから灯りを付けましょう。」
 彼女がそう言うと、ほんのり中の様子が分かるくらいに明るくなってきた。廊下の左右に部屋があるタイプの家だと分かってきた。左側にはリビングがあった。一〇畳くらいだろうか。古ぼけた、埃をかぶったソファが二つ置いてあった。イマムラは彼女の声のする方を見た。そして唖然とした。
 そこには五年前に別れたマリが、正確に言えばマリらしき女がいたのだった。ベージュの長袖のTシャツにチノーズのパンツを履いていた。髪は短めに切っていた。
 「君は、マリだよね。」
 イマムラは、少し震えながらゆっくりと女に話しかけた。女はそれを聞いて少しだけ口元が緩んだ様に見えた。なにせ、電気とは違うよく分からない不思議な光の中で見る姿だ。幻想的でもあり、不気味でもあった。イマムラはやはりこれは幻覚なのではないかと、もう一度頭の中で整理しようとしてみた。しかし無理だった。彼の中の何者かが彼の理性を抑圧して、彼の意識をどこか別の次元に押し出してしまっていた。
 女は答えた。
「そうよ。お久しぶりね。」
「ああ。」
「元気だったの?」
「うん。まあ。なんとかやってる。仕事続けているよ。」
「犬を飼い始めたのね。」
「ああ、君と別れて程なくね。」
女は視線をミロに向けて、それからゆっくりとミロに近付いた。不思議なことにミロはマリらしき女の様子に気が付かないようだった。
 女は何回かミロの頭を撫でた。
「そう、元気なのね。良かったわ。」女はそう言うと右の目尻から一粒の涙をこぼした。
「もう少しあなたと過ごしたかったわ。」女はミロに向かって、いとおしそうに言った。
「君はここで暮らしているの?」
イマムラは自然に湧き出す疑問を口にした。
「そうよ。ここで暮らしているわ。あなたもここにいるのでしょう?」
「ああ、もちろん。今はここにいるよ。」
「あなたはあのときの、出会った時と少しも変わらないわね。何となく臆病で、言いたいことをはっきり言わない。」
「でも一体どうして君がここにいるんだ。」
イマムラは不思議な気持ちを抑えられなくて聞いてみた。
「それはどうでもいいことよ。こうしてまた会えたのですもの。」
女は答えにならないことを言う。それから女は私の仕事について聞いてきた。イマムラは、何とか無事に勤めていること。最近は東京の本社の方にも頻繁に通うようになったことなどを話した。マリによく似た女も近況をいろいろ話した。未だ結婚はしていないこと。母親を亡くし、一人で生きていること。少ししんみりした内容だった。
 どれくらいそこにいて、どれくらい話しをしあったのかは後で振り返っても分からなかった。イマムラはふと気が付くと、ミロを連れて外の道を歩いていた。マリと似た女と出会ったのは幻だったのか。いや、確かにそこに女がいたことが、イマムラの脳裏に焼き付いて離れなかった。
 それから何回かその屋敷に足を運んだ。女がいて、ひとしきり話した。お茶を出してくれたこともあった。そしていつも気が付くとその屋敷の外にミロとともにいたのだった。
 六月の暑い日の夕方、イマムラはまた例の屋敷にそっと出向いた。ミロを連れて行った。彼がその古ぼけたドアを開け、中に入っていくと、出迎えてくれるはずの女が今日は出てこなかった。夜八時は過ぎていた。中は真っ暗だった。すると黒い影がイマムラに近寄ってきた。薄ぼんやりした部屋の中でその影をよく観察すると、最初にここを訪れた時に出会った男だった。イマムラは体中に寒気を催して、毛が逆立つ思いになった。まじまじとその男を見ると、敗れたYシャツに汚れた黒っぽいスーツを着ていた。ネクタイをせず胸をはだけただらしない姿であった。白髪で、顔には深いしわが刻まれていた。イマムラは硬直してその場を動けなくなってしまった。すると男が話しかけてきた。低くかすれた声で。
「おまえ、わしがいない時に、ここへよく来ているのか。」
イマムラは恐怖でしばらく声を出せなかったが、答えた。
「ええ。たまに伺っています。ここに女性が住んでいませんか?私の友人だった人です。」
「何。」
男は語気を強めていった。イマムラがうろたえていると、続けて言った。
「おまえは勝手にここに来て、わしの女に媚びを売ろうとしているのか。」
「いや、違います。あの女性はただの友人です。」
「昔はそうだったのかもしれん。しかしあの女は、今はわしの女じゃ。勝手に上がり込んではならぬ。」
 イマムラは、以前、隣の家の主婦に聞いたことを思い出し、聞いてみた。
「あなたは、この家に住んでいた、大学の先生なのですか?」
男は少し考えてから答えた。
「そうかもしれんし、そうではないかもしれない。昔のことはもう忘れた。今、この瞬間が大切だからな。だからおまえがここにいることを認めるわけにはいかないのだ。」
「ちょっと待ってください。もしあなたが昔ここに住んでいた大学の先生ならば、あなたが一人で暮らしをし、そして寿命を全うした。だからあなたに何かしらの共感を持っているのです。そう、あなたがここに独りで住んでいらっしゃったこと。犬を飼い、大切にしていたこと。私と随分共通しているのです。」
「だからなんだというんだ。おまえに憐れんで欲しいとは思わない。わしはわしで生きておる。おまえこそこんなところに来てわしの女をたぶらかそうとして、許すことができない。」
 気が付くとイマムラは、またその廃屋の前の道にいた。ミロはその場から立ち去らせようとしたいのか、イマムラをぐいぐい引っ張った。イマムラはミロの意志を感じてその場から立ち去ることにした。そしてそれ以来この廃屋の前を通っても、中に入ることはしなかった。
 一方、その日以来イマムラは夜寝付けなくなっていった。毎晩寝付くのが午前三時というのも珍しくなくなった。食欲も少し落ちてきて、体重も減っていった。職場では随分痩せたねえ、と声をかけられることもあった。仕事も少し忙しくなってきたこともあるが、そのペースについて行けなくなり、時折休暇を取るようになった。そろそろ自分でもおかしいと気が付いた彼は、近所の内科を受診した。不眠と食欲の減退、そして出勤できない日があることを話すと、睡眠導入剤と抗不安薬、ドグマチールという抗精神病薬を処方された。また、もしこれ以上気分が落ち込むようなことがあれば、心療内科に行くようにと、医師から言われた。どうしてなのか聞いてみたところ、うつ病の可能性があるからだということだった。病院を出たイマムラは不安になり、うつ病に関する書籍を本屋で購入し、ネットでも調べてみた。今やありふれた病気で、軽症のものも含めれば、年々この病気にかかる人が増えつつあるとのことだった。
 しかし、幸いにしてイマムラは、薬の効果なのかもしれないが、程なく食欲も、不眠も解消に向かっていった。週に二、三日眠れない日があったが、その他の日は深夜零時には寝付けるようになった。食欲も回復して、駅前の食堂の生姜焼定食が美味しく感じられるようになった。
 ただ、あの廃屋での出来事は、今になっても一体何だったのかよくわからないままだった。統合失調症という病気があることも知った。幻覚、幻聴を伴うという。ただ、このことは内科の医師には話さなかった。話しても理解されないだろうし、自分のあとにも多くの患者が診察を待っていた。イマムラは亡き父に似た初老の男。そしてマリに似た女。もしかしたら自分が会いたい人に会うという願望。それが誘発して彼の心の中で勝手に会っていたのだろうと考えた。そしてそれはおそらく妄想だろうと結論づけた。その妄想は病的な範疇には含まれないのだと思うようにした。そして七月を迎えた。


 アキと会うのはほぼ二年ぶりだった。マリはその間日々の仕事に追われ、病気を抱えた母の通院を手伝ったりもしていた。マリの母は、三年前に軽い脳出血を起こし、右半身に軽い障害が残った。日常生活は何とか送ることができたが、、工場の仕事は辞めざるを得なかった。マリは、母が倒れたときにたまたま家にいて、救急車を素早く呼ぶことができた。それがマリの母が比較的軽症で済んだ理由だった。弟は時々見舞いに来てくれたが、四国の営業者で保険のセールスをやっていて、忙しく、なかなか帰ってくることはできなかった。必然的にマリに母の介護が回ってくることになった。母の介護といっても基本的には病院の送り迎えが中心だ。今は病状も落ち着いて、四週間に一回通院すればよいだけであった。ただ、食事の支度などは時間がかかるようになったし、買い物などの日常雑事は滞る面が出てきた。マリがその分を補助するような感じだった。
 ただ、母の病気はマリの人生計画に大きな衝撃を与えた。母はいつまでも元気であることはない。寡黙で働き者の母も普通の人間である。母とのふたり暮らしは、マリのプライベートの時間を少なくさせた。マリは旅行へ行く回数も減った。去年の夏休みに職場の仲間と香港へ行ったのが、記憶に残る範囲では最後だった。
 アキが会おうと誘ってくれたのはマリにとって本当に嬉しかった。アキは突然電話をしてくる。
「マリ、久しぶり。元気?そう、お母さんの調子はどう?」
「うん、ありがとう。大丈夫だよ。」
「今度の日曜日にさあ、お祭りに行ってみない?それから夕ご飯でも一緒に食べようよ。」
「うん。いいよ。」
「マリに話したいことがあるんだ。ビッグニュースよ。」
「えっ、何?教えてよ。」
「秘密。うふ。でもどうせばれるから言っちゃおうかな。実はね、婚約したの。」
「ええ!ホントに?うそでしょ。」
「ホントよ。詳しいことは今度の日曜日にね、話すわ。」
「おめでとう。アキ。よかったわ。」
「じゃあ、日曜日の夕方六時にね。」
「わかった。楽しみにしてる。」
 マリは携帯のボタンを押して電話を切った。マリがアキの婚約の話を聞いたときに一番最初に思ったことは、また一人自分から人が離れていってしまうことになる、ということだった。マリも三〇歳の大台に入っていた。まわりの女友達たちは次々に結婚し、一緒に遊びに行ったり、お茶を飲みに行くことさえ少なくなってきていた。子供ができるとなおさら会ってくれない友人もいた。
 私は取り残されていく。寂しい。だんだん独りぼっちになっていく。仕方ないことだわ。母の側にもいてあげなければいけないし。
 でもマリはかつて存在した選択肢について思い浮かべた。四年半前に別れたイマムラとのことだった。
 あのとき私が決断をして、結婚をしていれば。わからない。どうなっていたか。でも違った人生になっていたかもしれない。もう終わったことなんだけど。そう、自分が選んだ道。後悔をしてはいけないわ。
 日曜の夕方、アキと待ち合わせていた駅前の交番の前に、マリは白っぽいTシャツと、フレアー型のジーパン、アディダスのスニーカーを履いて待っていた。自分の地元の街の祭りに行くのも久しぶりだった。
 アキは一〇分くらい遅れて現れた。
「ごめんね。ちょっと彼氏のと打ち合わせしてたのよ。結婚式について。」
 アキは、のっけからのろけ話を始めた。マリは少しむっとした反面、アキに会えた喜びの方をより強く感じた。
「久しぶりね。会えて嬉しいわ。」マリは正直に伝えた。アキはそれに構わず、
「今度、彼氏を紹介するね。信用金庫に勤めている人なの。」と、頭の中は彼氏のことで充満しているようだった。
 ふたりは祭りの見物のため、街の中央部に向かって、山車や人々の行き交う様や、ヨーヨー釣りや綿菓子、たこ焼き屋などの露店の様子を見て歩いた。
「変わらないわね。この街も。」
 アキはつぶやいた。歩きながら話を聞いたところ、結婚後、関東地方の西部のT市に居を構える予定なのだそうだった。
「アキが結婚しちゃうと、寂しくなるわ」
「そんなことないよ。T市からは車で二時間弱でここまで戻ってこれるでしょ?また何度も会えるわよ。それに実家はこっちなんだから。帰ってくることも多いと思うわ。」
 マリはアキの言葉をそのまま信じることはできなかった。お世辞に聞こえた。
「幸せになってね。」
 マリはアキにそう言った。
 しばらく歩くと夕方の陽光は急に勢いをなくし、少しずつ夕闇が街を覆ってきた。山車の提灯の明かりや、街灯が輝きを増しているように見えた。そして街の商店街中央の交差点、今日は車は通行止めになっているまさに街の中心点にふたりが行き着いたときに、マリは驚愕した。あれは、そう、イマムラだ。間違いない。夕闇が景色を霞ませている中で、確かにあれは昔愛した男だった。自分と同じ様な格好をしている。イマムラも白いTシャツにジーンズ。奇遇ね。あの人は幸せなのか?でも、誰かと連れ添って歩いている風はない。あなたも孤独なの?わからない。でも、あなたを見つけて驚いたけれども、それ以上の何か、ことさらの感情は浮かんでこないわ。マリは一瞬イマムラらしき男を凝視したが、すぐに目をそらした。幻覚ね。きっと。そう思うようにするわ。もう私はあなたから離れて生きていかなければならないの。四年半も前の出来事よ。
 マリはその男を見て確信した。当時の感情が急速に、彼女の脳裏に蘇った。そして、自分の決断が間違っていないことを確信した。あの人のことは好きだけど、一緒にはやっていけない。
 アキはイマムラに気付いていない風だった。マリは敢えてイマムラらしき男のことを話さなかった。アキは相変わらず自分の彼氏のことや、結婚したあとの生活について熱心に語りかけてきた。マリはアキの袖を引っ張って、
「右の方に曲がりましょう。」と言ってイマムラらしき男から離れていく方向を選択した。サヨナラ、と心の中でつぶやいた。やがてマリの視界からイマムラらしき男は消えてなくなった。一人でもいい。マリは強がろうと思った。夕闇が夜のとばりを降ろしていく。もう遠くは見えなくなっていた。祭りの笛や太鼓の音、人々の話し声、雑踏。そんなものがマリの心の中にあるイマムラへの僅かな思いをかき消していった。





 この場所からどこへも行くことはできない。今村は笛や太鼓の音と、雑踏の中で、時間も空間も、祭りを訪れている人々とは違った場所にいるように感じた。
 異邦人、根無し草。生きて行くにはここにいなければならないな。しかし、どうして生きていく必要があるのか。
 様々なイメージがぼんやりとした形で浮かんでは消える。そのうちの一つには、イマムラがこの場所にいることは、幻なのではないかということだった。もはや祭りの光景の中から自分の姿は完全に消え去り、風景だけがそこにあった。
 イマムラは駅前のロータリーまで足を運んで、他の山車を二台見ると、もう十分だという気がして、アパートに戻ることにした。人混みがイマムラを不快にさせる。七月の空気は蒸して、澱んでいた。少しばかり吐き気を感じるほどだった。ロータリーを囲む歩道に置かれたベンチに腰を下ろし、煙草に火を付けた。高校生くらいの若者が五~六人、清涼飲料水を片手に、大きい声で話しをしていた。彼らの目は鋭く、何かを嗅ぎまわっていた。ちょっとしたきっかけがあれば暴力に発展しそうな雰囲気を漂わしていた。
 煙草を吸い終わると、吸い殻をパッケージの中にねじ込んで、立ち上がった。のどが渇いてきたが、出店でなにかを買う気にはならなかった。もと来た道をゆっくり歩いた。いつのまにか最も人出が多い十字路まで来た。駅前から北へ向かう道と、街を東西に横切る道が交差する場所だ。沿道にはぎっしり出店が出て、その背後には、まだ開いていて、明かりを付けている商店も多かった。
 その時、十字路の、ちょうどイマムラから道を挟んで斜め向かいの洋品店の前に、三〇歳前後の女性がふたり見えた。イマムラははっとした。そして急激に胸の鼓動が高まった。そのうちひとりはマリだった。白いTシャツに、ブルーのジーンズを履いていた。足もとは、白っぽいスニーカーのようだった。女性ふたりは、器用に人波を避けながら、互いの方を向き、話しこんでいた。もう片方の女性は、赤いTシャツに細めの黒いジーンズを履いている。イマムラはその女性がアキだと気付いた。
 イマムラは足を止めた。マリから目が離せなかった。マリは全くイマムラに気がつく風はなかった。しかし、そのすぐあと、その女はこちらを見た。イマムラは目が合ったように感じた。いや、確信した。ほんの僅かな一瞬だったが、ふたりは通じ合えたとイマムラは感じた。その方向がバラバラだとしても。
 君が好きだ。たぶん、今でも。もし、君と一緒に暮らせていれば僕の人生も変わっていたかもしれない。
 そう思った矢先、マリは目をそらした。その間、五秒くらいだったかもしれない。ふたり組の女たちはイマムラを避けるように左側へ曲がっていった。イマムラは視線だけはマリに照射し続けた。
 もっとこっちを見て欲しい。どうして?もう終わったはずの彼女に、なぜ気がついて欲しい?イマムラはまた、自分のことを考え始めた。少しずつマリは体の後ろの方を見せながら、人の波に乗ったまま、ゆっくりとイマムラから遠ざかっていった。
 ここに、知らない人は山ほどいる。でも君だけは、僕を、僕のことを異邦人じゃないと思ってくれるよね。なにせ、君ひとりだけだよ。この場所に僕がいた証はね。証人なんだ。誰も気がつかないけど、僕はここにいるんだ。
 マリの姿は少しずつ遠ざかり、人の波に隠れてほとんど確認できなくなるまで、今村は、目立たぬように細心の注意を払いながら、彼女の痕跡を追い続けた。やがて夕闇がなおさらそれを難しくしていった。
 マリの姿が完全に確認ができなくなると、イマムラはアパートへ向かう道の方に向き直り、そろそろと歩き始めた。これから祭りに向かう人と、家路に向かう人が交錯しながら、人の数は、街の中心から離れていくうちに、少しずつ減っていった。最もはずれたところにある最後の出店を横目にしながら、イマムラは呆然と、さらに歩き続けた。暑かった。イマムラの背中に一筋の汗が流れる。この汗はぞっとするほど冷たく感じられた。人の数はますます少なくなり、秋まではまだ時間があるにもかかわらず、草むらから虫の音が聞こえてくる。静かな夜の住宅街に戻ってきた。所々に、ミロが排便する空き地があり、雑草が生い茂っている。虫たちの住む小宇宙があるのだろうと、イマムラは思った。僕の住む宇宙。この小さな街という小宇宙。今、君ともっとも接近したよ。幻覚だったのかな?いや違う。今日こそ本物の君だ。会えて嬉しかったよ。イマムラは涙がこみ上げてきた。でも、ここで泣いてはいけない。恥ずかしいから。誰に対して恥ずかしいのかはわからない。自分に対して?
 アパートまでの道のりの中で、マリを見たことの心の揺れは、少しずつ鎮まってきた。イマムラの心にはわずかな満足感さえ生じてきた。アパートに戻ると、冷房を付け、ソファに深く腰を下ろし、目を閉じて、息を吐き出した。ミロが近づいてきて、少し尾を振った。煙草に火を付けると、イマムラは、夏祭りに行って、何か変わったかもしれないし、何も変わらなかったかもしれない、と思った。


 イマムラはその後、会社ではたいした業績を上げられず、欠勤も多いため出世コースから離れていった。本流をはずれると地方勤務が多くなるのが彼の所属している会社の方針だった。やがてイマムラは北関東の支店に転勤となった。赤城山を見ながら、さらに五年の年月を過ごした。その次に、東北の日本海側の中規模な都市に転属し、今に至っている。もちろんミロを連れてまわった。もう老犬に数えられる年になった。一方イマムラも、もう来年は四〇になる。
 誰から聞いたのか忘れたのだが、おそらくアキの友人からだろう。マリは未だに独身で引き続き今までの会社に勤めている。相変わらず、利根川の西岸に位置する街に住んでいるのだと聞き知った。ただ、それも三年前に聞いた話だった。
 イマムラは以前ほど自分のことをあれこれ考えなくなってきていた。結婚して家族を持つとかといったようなことは。今村の母は相変わらず元気で、松本に住み続け、地区の老人会の幹事をしている。
 ある日、冬の日本海に沿った道を、仕事で車を走らせていたとき、オフコースの『アイ・ラブ・ユー』が、カーラジオから流れてきた。海も空もどんよりとした灰色で、波消しブロックに、時折白いしぶきが上がった。道はすいていて、対向車も稀だった。緩やかなカーブが断続して、彼が向かう先はよく掴めなかった。ただ、一つ一つのカーブを、丹念に曲がっていくしかなかった。
 イマムラは『アイ・ラブ・ユー』を聞きながら、久しぶりに、自分がこの街へ来るまでの道のりをたどってみた。それぞれの時代に、それぞれの人物が浮かぶ。高校時代の同級生、学生時代のクラブの仲間たち。仕事の同僚。脳裏に浮かんでは消えていく。マリのことが頭に浮かぶと、少しだけ顔に火照りを感じた。それから、「へっ」と口にして、苦笑した。
 僕は、物語の主人公になったことは、今までもなかったし、これからもないんだろうな、と思った。

ステイ・ウイズ・ミー

お読みいただきありがとうございました。

ステイ・ウイズ・ミー

人生の寂しさ。百代の過客。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-23

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