うつ病教師の学校論

今起きていること。世界で、日本で、学校で。

第一章 学校の今と教師としての私


一、日本の教育と政治経済


 私がこの書物を世に出そうと思ったのには二つの理由がある。一つは私が二〇〇七年一一月から二〇〇八年十月まで「うつ病」で休職したこと。ちょうど教員としての生活が順調にいけば折り返しを迎え、二〇年ほどの経験を積んだこと。今までの教員生活をから知識と体験から感じ得たことをまとめておきたいという願望が心中から吹き上がってくるのが感じられたことである。折しも日本では本格的な政権交代が起こった。ただ、このことで学校という機能、場所についての位置付けが大きく変わることはないはずだと思う。ただ、今までの、ちょうど私の教員生活はバブル期に始まって、その後失われた一〇年を経て、小泉改革が行われた時期に当たる。この間日本の経済は拡大することはなく、デフレ傾向が進み、格差が拡大してきたと言われる。この格差の問題はまた別の機会に譲りたいと思う。ただ、私の元同僚で同じ社会科の教諭であった、青砥恭氏が「ドキュメント高校中退―─いま、貧困がうまれる場所」などの書物を通して貧困、低学力の連鎖、生活力の不足の連鎖、経済階層の固定化等について研究をされているところで、その推移を見守りつつ、私自身も研究を重ね、この格差問題が引き起こす社会、国家への影響と、その解消への方策について考えてみたいと思う。
 「坂の上の雲」でお馴染みの明治期の軍人秋山好古が、留学等の経験を経て、帝国の衰亡は中産階級の減少にあるとすでに述べているのは慧眼である。彼はローマ帝国とロシア帝国について主に分析をしていたわけであるが。今の日本の現状が中産階級の現象を起こしているのか。またはたの先進諸国と比べてまだそこまで言っていないのかは分析できていない。このことは日本の未来について極めて重要なことである。中国を中心とする新興国に富を吸い上げられ、産業の空洞化が進み、もはや誰もメイド・イン・チャイナに何の違和感も持たないこの時代に、高校生、大学生は一体どういった仕事に就けばよいのか?そこには教育の、または職業訓練が重要な要素を占めるだろう。どういった教育が今後の日本に住み、食べていくことにつながるのか?または、子供、青少年に夢、希望を与えることにつながるのか。また、今はまだ安定しているといって良い治安の問題も、これ以上の格差が広がると社会の不安定化につながりかねない。政権交代は国民が今までのやり方ではダメだ。そろそろ変えていかねばならないという、最初の国民のメッセージのように感じる。それでもダメなら、国民はまた別の手段で社会を変えていこうとするだろう。

二 グローバル化と日本の教育

 今の高校生、大学生は日本国内の同世代と競争しているわけではない。グローバル化が進み、金融においては瞬時に、軽々と国境を越える今、労働力においても、企業は転々と安く優秀な労働力のあるところへ移っていく。国際化、グローバル化は私の教職二〇年のあいだに瞬く間に広がっていった。かつて、国際化は良いイメージで語られていた。二〇年前である。人々は各国の人々や民族とコミュニケーションし、より幅の広い生活圏のなかで暮らしていく、仕事をしていくことについて明るい希望を持っていた。しかし今、グローバル化、国際化はデフレをもたらし、賃金の減少をもたらし、さらに雇用を奪っている。格差拡大の根本的問題はここにある。
 失われた一〇年の中で日本は、「ゆとり教育」を進めた時期があった。これは受験競争に追われ、本質的な「生きる力」を身につける機会を奪ったとされる理由から始められた。文部科学省の元官僚で映画評論家の寺脇研氏が主にこの政策を進めていった。ものは考えようで、確かに自分の興味・関心がある部分を勉強することは、一定以上の知的好奇心を持った層には良いのかもしれない。ただ、出口が見えないのだ。この失われた一〇年のあいだ、アメリカではグーグルなどの世界企業が成長した。一方、日本ではかつてのソニーとかパナソニックのような、ベンチャー企業から世界企業に発展していった企業があっただろうか?ほとんど皆無である。もちろん国内で大きな企業になった「ファースト・リテイリング・・・ユニクロ」などはあるが、世界を牽引するような大きな規模の企業は私の知る範囲では任天堂が唯一なのではないだろうかと思う。つまり、ゆとり教育で今までの既成概念をひっくり返すような新たな需要をもたらすようなベンチャー企業はつぶされていったと言えるかもしれない。時代の旗手としてホリエモン(堀江貴史氏)が登場してきたこともあった。しかし国家権力はそれをいとも簡単につぶした。堀江氏の行ったことに関しては私は寡聞にして知らないので論評は出来ないが、若者に対して、「寄らば大樹の陰」、ほど良いものはないと暗に示したと言える。有能な学者、研究者はアメリカなどの海外に移り、ベンチャー企業を建てるという若者はあまりいない。ゆとり教育の可能性を見たときに、新規の事業を興すものを増やすということが唯一良い面であったと思うのだが、それすら奪われたような感がある。

三、ゆとり教育の反転

 政府は再び授業時数を増やし、教える内容も増やすよう、学習指導要領を改訂した。これは諸刃の剣である。学力が高い生徒にとっては満足するだろう。一方、ゆとり教育導入時にいわれた低学力の児童・生徒への配慮が欠けているとも言える。今の低学力、貧困家庭には、ゆとり教育を受けた世代や、さらにその前の校内暴力全盛期の、大人社会の権威の低下、教員の権威の低下、地域社会の絆の希薄化、といった時代に育った世代である。私自身もその世代に教育を受けて育った。学校の聖性は失われ、市民社会と変わらない場所になりつつある。この辺りについては、「プロ教師の会」に所属して教育論についての書物を出し続けている諏訪哲二氏の本に詳しい。いわいる落ちこぼれの児童生徒が増加していくことが、今回の教育内容の増加という指導要領の改訂で、ますます起きてくる。習熟度別授業、落第の制度など欧米先進国では当たり前のことが日本ではほとんど行われない。「みんな一緒」、という平等優先の考え方は根強い農耕社会の残滓なのである。欧米の狩猟文化を背景に持つ社会では、落第、もう一度学び直すことは権利であり、当然のことと考えられている。ゆとり教育導入の際にこういった部分も合わせて取り入れる事が出来れば少し様子は変わっていたかもしれない。しかし、日本の風土では不可能だった。全体に対してレベルを下げる教育をするのか、全体に対してレベルを上げる教育をするのか、という二者択一になってしまう。個々に応じた学習という考え方はあっても実行不能なのである。
 一つだけ明確に言えることは、日本には資源がない。人こそが唯一の資源であるということは誰しもがいうことである。格差拡大で中産階級が減少し、さらに少子高齢化が進む中、狭い道を選ばなければならない日本にとって教育政策は重要である。特に学習について行けなかった児童・生徒をどう処遇していくかについて、低学力校を二校勤務した経験からいって、注目に値する。「生きる力」というのは、心の、内面の豊かさなのかもしれない。「つづれを着ても心は錦」という言葉もある。しかし、最低限度の生活は保障されるように能力を磨いていく教育をしていかなければならない。文字を読むこと。漢字をある程度読み、書けること。基本的な計算が出来ること。二桁の四則演算などだ。割合についてもそうだ。金利やらお金の管理が出来るようにしていかねばならない。また、社会保障の制度、法律、就労の際の方法など。もっと具体的にいえば、履歴書が書けること。面接の際に向けて、きちんとコミュニケーションを取れる能力を磨いておくこと。企業は成績についてあまり気にしない。重要なのは欠席の数と、清潔な身なり、そしてコミュニケーション能力なのである。これが出来れば何らかの職に今でも就けるだろう。「生きる力」とは自分で職を得、生活を営むようにすることなのである。失業率は5%台で、有効求人倍率も正社員の場合、〇.二五倍くらいの現在、確かに雇用情勢は厳しい。一方で大学や専門学校への進学は一部のエリート校を除けば、お金さえ払えば容易になってきている。定員割れしている大学や専門学校も多い。逆にお金を貰うために入る企業には容易に入れないのが現状なのだ。

四 バブル崩壊後の日本の教育

 私が経験した二〇年のあいだ、二校の低学力校を経験した。二〇年前、一九九〇年頃の低学力の生徒たちは、もちろん貧困層もいたが、経済的に困っているという生徒ばかりではなかった。しかし現在、低学力校のほとんどの学校では授業料やその他学校にかかるお金の滞納が目立つ。奨学金の制度を話しても、保護者も理解できず、結局滞納したまま卒業するというケースも多い。この二〇年、明らかに学力と経済力の相関がはっきりしてきたということは確信を持って言える。私の概算だが、入学してくる生徒の約半数の生徒の保護者が年収二〇〇万円以下であろう。一人親家庭が多い。祖父母に養育されている生徒。施設から通ってくる生徒。幼児期に中国や東南アジアなどから移住してきた生徒。外国風の名前が付いた生徒がかなり目立つようになってきている。国籍が日本ではない生徒が三〇名に一人くらいいる。中国籍の生徒、または親が日本語が話せない生徒の方がかえって真面目に学校生活を送っているケースが多い。まだ、ある種のサクセスストーリーが学校教育へのインセンティブを与えているのだろう。保護者が日本人の場合の方が、あきらめてしまっているという場合が多いように感じる。格差の連鎖である。生徒、保護者とも先のことは考えない。目先のこと、目先の快楽に酔う。将来に向けての勉強や職業訓練はあまりしない。いや、ほとんどしない。それは、保護者も社会からの圧力で貧困に落とされ、子供もその背中を見て育つわけだから、希望と勇気を持つことが出来なくなっている。チャップリンの名言である「人生に必要なのは、希望と勇気と、サムマネー」は、けだし名言である。

五 人間という種における教育

 産業革命以後、大規模な学校が各国に造られていった。歴史は約二〇〇年といったところか。もちろんそれ以前かた学校というものは存在した。古くはメソポタミア文明から。古代ギリシャでも古代ローマに追いてもである。そしてそれは、上級の階層の子弟の出世のツールであった。日本でも律令期に大学、国学が造られ支配層の子弟の教育にあたった。私的なものとしては各氏族が私学を設立し、一族の強化を図った。藤原氏の勧学院などである。庶民の教育に初めてあたったとされるのは空海で、綜芸種智院が我が国の記録に残る範囲では最初である。上流階級が生き残りをかけて子弟に教育を施したのとは反対の立場から、つまり国家や統治体側も、国力の強化のために教育機関を造った。前述の大学、国学は良い例である。古代ローマの英雄カエサルは、教師には異民族でもローマの市民権を与えた。これは希代の政治家であったカエサルの嗅覚の鋭さであったと言える。ローマはそれから四〇〇年以上続く歴史上の大帝国になったのである。
 産業革命以後、近代国家が成立し、国家が自らの強化を図るために国民皆学政策を打ち立てた。優秀な労働者と兵士を造るためである。また、国民の側も、市民革命を通じて身分制度が廃止され、自らの地位の向上に学校を利用した。ただ、現在ほど工業化が進んでいない当時は、農業を営む、商品経済の社会で生きる上で最小限の学問があれば良かった。さらに学問を学ぶにはそれなりの能力を持ち、秀才と呼ばれ、国家の中枢に位置しようとする一部の人々だけだった。そして現代。学校は高校までほとんどの人が通うことになると、別の面が出てくる。すなわち選別装置としてである。優秀な人間を学校という濾過装置にかけ、残ったものが国家の官僚を代表に大銀行や商社、大学、その他に籍を置き国を引っ張っていくようになるのである。逆に言えばそこで選別された出来の悪いとされる児童生徒も出てくる。これは如何ともしがたいが、選別装置ゆえ至極当然のことなのである。スタートは同じでもゴールでは大きな差がついてしまっているのである。そして選別され残ってしまった層は、仕事に就くにも容易ではない。アメリカ等ではギャングや犯罪に手を染めたりして、移民問題と絡んで問題を複雑化させている。
 皮肉なことだが、江戸時代までの身分制社会では職業選択の自由はあまりなかった。鍛冶屋の子は鍛冶屋に。農家の子は農家に。これが原則で、能力の高いものにとっては不公平だが、一方学問の面で能力が低い人たちにとっては救いの制度だったのである。今、就職に苦労している低学力校の生徒たちを見ていると、江戸時代の世襲制の社会の方が、仕事に就きやすかったのではないかと思い、悲しい思いに駆られる。彼らは職業を主体的に選ぶのではなく、そこで排除されてしまう危険性があるのだ。特に農業労働と工場での労働といった仕事は少なくなり、介護、セールスなど、対人コミュニケーションを求められたり、コンピューターのスキルが要求されたりと、低学力の生徒には高いハードルが待ち受けている現状がある。
 繰り返しいうが、明治以降の国民皆学の制は、貧困層でも能力があれば高い地位まで上り詰めることが出来る「上昇装置」として機能してきた。貧農の子でも、師範学校に行って教師となったり、軍人として出世したり、芸術の世界で活躍したり、諸々のチャンスが、封建制の頃に比べれば格段に広がった。戦後は、中学卒業の田中角栄氏が総理大臣にまで上り詰めた。このように、教育、国民皆学は能力のあるものにとっての階段として個人にとって良い面があった。また、「近代国家」にとっても、有能な人材を幅広く登用できることは、国力の増進に大きく寄与し、国家にとっても必要な制度であった。ただ、そういった上昇装置によって選別された、すなわち偏差値の高いといわれる人間が必ずしも正しい政策決定が出来るかどうかは別問題である。明治以来の官僚制度の中で、日中戦争、太平洋戦争などの敗北をもたらし、国家国民の財産を灰燼に帰した結果をもたらしたのも、軍のエリート層だった。ただ、この問題は、私は当時の世界情勢から見れば違った見方が出来るとも考えている。結果だけ見れば、失敗に終わったのは確かである。戦後も有能な官僚と起業家たちによって日本は急速に復興を遂げ、世界第二位の経済大国にまでのし上がり、国民の生活レベルが上がった。この急発展の影には国民全体の識字率の高さ、教育熱心さ。そして選別されたエリート層の努力によってもたらされたと言って良い。ただ、バブル崩壊後の日本、特に官僚機構については迷走を続けている。

六 教師か高級官僚か

 私は一九八八年に国家一種試験に合格し、旧厚生省に内定したが、それを蹴って高校教員の道に入った。私は試験を要領よくパスする能力はあった。ただ、我慢強さとか勤勉さとか他の能力では劣るように思えていたし、神経質な自分の性格もよくわかっていて、深夜、未明まで勤務しなければいけない高級官僚の道を自分で閉ざした。当時採用担当だった企画官が、二〇年の年月を経て(今、二〇一〇年)、その人が事務次官になったこと。同時に、二〇〇九年には民主党政権が成立し、官僚機構の変革を志しているのを見ると、なんだか時の流れを感じる。一方、教師の道はどうだったかというと、年々、職務規律が強化され、上からの指示に従う傾向が強まり、一教師から学校を変えていこうという人間は少なくなった。そうなれば管理職、すなわち校長の判断が問われていくわけだが、残念ながらさらに上の教育委員会、そして文部科学省の指示を待つという、「指示待ち」システムが強化されていった。それはそれで教員の倫理が厳しく問うことは必要なのだが、一方で個性的な人間が減った。要するに、私が断念した官僚機構が、実は、今の学校システムでも同様に官僚化されつつあるというのが現実である。あらゆる規制や、一方で自粛、というように、一部の民間出身の校長などを別にすると、どこの学校も基本的には金太郎飴になってしまったのである。私の母校は、野球が強く、甲子園にも何十回と出場している。進学校でこのようなことが出来るのは、一律の入試だけでなく、野球推薦での入学もあったのだろう。もちろんそれは基本的にオープンにされていなかった。また、女子生徒の数が、共学に比べて非常に少なかった。これも男女別に入試をしていたからであろう。だが、今は開示の時代である。そういった前近代的な、ある意味不合理ながらも機能してきたシステムを止めざるを得なかったのである。こうして学校の官僚制化。教師の官僚化が進み、私の、あの一九八八年の決断は何だったかと思い返すのである。
 バブル崩壊以後の官僚制は、国家に有益であるよりはむしろ弊害が目立つようになってきたのかもしれない。ただ、民主党政権になっても新たな統治機構は現段階では見えていない。

七 校内暴力の時代・・・学校という選別装置

 バブル崩壊の一〇年ほど前、校内暴力騒動が起こった。この怒れる、または価値の転倒を志した中学生たちのパワーは、高校に、ほぼ全入となった時期の少し後であるが、近代的な学校システムの弱点をさらけ出すものになった。学校は「上昇装置」であると同時に「選別装置」でもあった。「落ちこぼれ」といった言葉はその前からあっただろうが、国民のほとんど全ての人間が、ベルトコンベアーに乗せられ、その上で競争し、良いものは残され、悪いものはふるい落とされる、といったことは、日本史上始めてのことだったと言って良い。戦前は封建遺制が残っており、徒弟制や家業を継ぐといった選択肢があった。公平な競争システムほど、落ちこぼれは本人と保護者の責任とされてしまう。丸裸にされてしまったのである。お金がないからとか、家業を継ぐとかと言ったエクスキューズは効かなくなった。テレビのドラマの金八先生は、「腐ったミカン」を排除するな、といったが、現実には中学から高校に上がる場面で明らかに選別されてしまうのであった。ほとんど勉強だけが人を測る物差しとなった。逆に偏差値依存の人間も作り上げられた。偏差値という言葉を使わないようにするとか、入試前の模擬テストの受験を選択制にするとか、建前を強調した表紙替えは行われたが、現実は変えられない。さらに近年は、小学校に上がる場面から、ないし中学校に上がる場面から選別され、一五の春、という時点が早まってきている。「お受験」なる言葉が特に都市部では闊歩している。

八 「個性」という妖怪

 そこで登場したのが、「ゆとり教育」であり、「個性重視」である。私が一九八八年に採用面接で当時の文部省を訪ねたときに、映画評論家でもある寺脇研氏と話した。彼は「」官僚は一兵卒だが、教師は学級王国の王様なのだ。」と強調していたのを今でも覚えているし、きっとその信念は変わっていないだろう。彼には映画批評という「個性」があり、いまは芸術系の大学で教鞭を執っている。彼には「個性」があり、結果的にはそれで飯が食べていけたのである。映画界というある種カオス的な、リベラルな世界を知っていただけに、寺脇氏は国家権力が国民を道具としてみるという観点が書けていたのだと思う。学校は国力を増大させるために存在するという、根本的な見方である。
 当然そこには「個性」のある人間が多く輩出することによって日本の産業の活性化に寄与するのかもしれない。ただ、そのような人間は数えるほどだ。企業が求め、社会が求める「個性」は、寂しいが金になる「個性」だ。ところが、驚くべきことにほとんどの高校生がこれを曲解している。すなわち、個性とは自らのエゴ、自我のことだと考えている。自らの心のあり方、またはそれを表現する仕方について、教師や保護者、そして世間はそれを尊重すべきものと考えているのだ。私は時折、思い出したように、基本的には個性とは、経済に寄与することのできる技術のこと、と考えておいた方が無難だと、生徒に話すことがある。中にはそれを理解し、「なんだ。そうだったのか。」と、納得するものもいる。自分が、自分の心のあり方や、欲求を自ら制御しようとする努力は認められる。また、日本における最も重要な規範である「人に迷惑をかけない。」ということを逸脱しない限りにおいて、己の欲することを行動に移すことは当然である。一方、権利と権利が衝突したとき、それを調整するということも覚えていかねばならない。しかし、憲法においても教育基本法においても「個性」または「個人」の尊重といったときに、何をどう尊重すべきか書かれていない。もちろん経済的な意味での個性、だけが100%ではない。しかし、自我のみを個性とする、ということを公の機関が肯定し、学校においてもそれをことさらに強調するというのは、危険であると私は考えるのである。
 最近の高校生を見ていると、以前ほどことさらに個性を叫ばなくなっている。服装の指導をするときに、指導そのものがおかしいという理屈で教師に、個性を侵害している、と反発する生徒はほとんど見ない。ただ、教師との距離感の中で、ずるずると自分のしたい格好を結果論として認めさせてしまいたいという風が見られるくらいである。なぜそのようになったのか。もちろんそれは、元に戻っただけであると言っても良いし、小泉首相から安部首相の頃にかけて、「自己責任」という言葉が世間を縛っていった。もちろんそれは大切なことなのだが、「どのような服装、髪型をしようとも、その結果は自分が責任をとらなければいけない。」という考え方もあるだろうし、格差が拡大する中で、二〇〇七年に端を発する経済危機の中で、自らのエゴよりもご飯を食べていくことを優先しようという風潮が出てきているのかもしれない。経済環境と生徒の行動様式、および学校現場の変動にはまだ研究の手が広がっていない。今後の課題である。

九 私のうつ病と教師と学校

 私のうつ病歴は長い。幼い頃を思い起こせば、小学生の頃から気分がふさぐ時期があったなと思い返すことができる。特に秋から冬、早春にかけてそれがあった。高校時代から「頭に何か被さった感じ」が続き、勉強と部活(バレーボール)の両立が成り立たなかった。私が、大学四年生の時にキャリア官僚を選択しなかった最大の理由は、おそらくこのことだろうと思う。神経質で、疲れやすい体質の私には、連日深夜にわたる高級官僚の業務には耐えられないのではないかと思ったのである。教師は、私が見てきた母校の教師は、のんびりとし、一七時には職場を出て、週末と長期休業はゆっくりできるというように見えた。しかし現実は違った。私は最初の赴任先は女子がほとんどの低学力校であった。そこで授業も、部活動の指導も、校内の雑務も一生懸命取り組んだ。しかし三年目に軽うつ病を発症し、はじめて友人に教えられて、精神科の門をたたいたのである。初発(病院に通ったという意味で)から、三~四年に一度は特に冬にかけて気分が落ちることがあったが、少しばかり病院に通って投薬をしたりして、学校を長期にわたって休むことはなかった。以来、運動部の指導で一年間ほとんど休みなし、合宿も年に六~七回も組んで指導に当たったこともあった。結果はそれほどのものは出せなかったが。
 しかし、再び低学力校に転勤し、部活指導からも離れ(現在の低学力校は、経済格差の拡大やあきらめ感などの理由により、部活が成り立たない状況にある。練習試合の交通費や道具、部費などが支払えないこともよくある。)、二〇〇七年秋に私としてはかなり気分が落ち、頭痛がし、動けないような状況になった。初発時以来主治医をしている精神科医と相談の上、休職することになった。もちろん今までより深く落ちたのは、低学力校の勤務が精神的な労力を多大に要し、残務処理に追われ、不愉快な思いを、多々、生徒、保護者から受け、授業を成り立たせるのに手一杯だったと言うことだけが原因ではなく、うつ病に陥る教師、教師以外もそうであろうが、家庭的な問題があったとき、仕事もきついと、倒れる確率が高いのではないかと私は実感している。私の場合、父の死や地域の役員を引き受けたこと、子供の誕生、などである。うつの発症は、環境の変化の占める確率が高い。
 結局、リハビリ出勤などを含めて、一年間休むことになった。後半の半年は体調も、投薬と休息、心理療法によって回復し、北京五輪を朝から見続けるなど気分も明らかに明朗になっていた。そして、身近なところでもうつによる休職を余儀なくされた同僚や友人がいた。私と同い年の男の友人の教師は、見るからにいかつく、野球やソフトボールの指導を行い、うつとは縁のなさそうな体育会系の地理教師の男だが、約一年半うつで休職をせざるを得ない状況に陥った。また、知人の中学教師で、やはり野球の監督を初任以来していた男性教諭八ヶ月間うつで休職した例。また、興味深いのは、低学力校で生徒指導主任を担当していたこともあるベテラン教師が、進学校に転勤しうつになり休職した例もある。また、校長に昇進してうつになった例もある。これらは一概に原因を一つにくくることはできない。比較するデータはないが、教師は対人関係を主とした仕事であり、戦前や戦後しばらくしてそうであったような、牧歌的でかつ権威的な存在ではない、「ただの教師」。。。諏訪哲治氏が強調しておられる・・・に、社会の中で位置づけられ、保護者、生徒から尊敬の念を持ってみられなくなったことも、指導を難しくしている。さらに、自己評価やそのほか情報開示、など、もちろん教員の社会が世間並みに律せられるのはよいことだが、一方で教師たちを息苦しくさせているのも確かである。そういった中で、一定の、うつ病に親和的な教師たちがうつになりやすい状況になったともいえる。

一〇 教師はうつ病になりやすいのか?

 また、うつ病になりやすい体質のものが他の職種に比べて教師に多い、ということも考えられる。うつ病になりやすいものの特徴として、「真面目で律儀。目標が高い。かたくなな面を併せ持つ。」といった性格傾向があるのではないか。ある程度おおざっぱなくらいの方がうつになりにくいという感じがする。これは医療とのリエゾンによって休職する教師を減らすことが大切である。なぜなら、税金が余計にかかるという側面があるからだ。休職していた私にも一定の額の給与が支払われていた。また、私の代替の臨時採用の教師にも給与が支払われる。結果的に都道府県の損失になる。各都道府県もカウンセリングを行う施設を紹介したり、学校に来る臨床心理士を生徒だけでなく教師にも開放して相談を受けることができるようにするなど、手は打っているのだが、根本的にはうつ病に罹患する教師は減らないだろう。まず、体調が優れない場合、休みにくい。小中高校ともぎりぎりの人数で授業を組んでいるため、真面目な教師ほど体調が悪くても休まない傾向がある。また、上司や教育委員会の管理が厳しくなり、仕事中、こういう表現はだめ、こういう指導はだめ、など、常に頭の中で考えながらやらねばならない。パラノイア的になってしまっている。特に真面目で神経質な教師ほどそうなりやすい。細かいことが気にならない性格の方が、今の時代教師が務まりやすいといえる。私はある先輩教師にこういわれたことがある。その教師は指導する部活を全国大会に数回導いたことのある指導力のある教師だが、「先のことをあまり考えすぎるな。せいぜい四~五日先くらいを考えろ。そうしないと体が持たない。」私が休職中に大会を観戦に行ったときに言われた言葉で、なるほどと思った言葉の一つである。「ねばならない思考はやめよう」「mustではなくmay」と、私も昔からうつ関係の書物やネット情報を手に入れてきたが、再発を防ぐことはできなかった。幸い私の場合は深く落ちることはなかった。
 ただ、うつ病は自殺に陥ることがあるという恐ろしさがある。私も数件、教師も含めてそういった例を知っている。医療機関で治療をきちんと受けているにもかかわらず自殺してしまったケースも知っている。精神科病院に長年通っているうちに、生きているだけでも素晴らしい、と思えるようになってきている。そこに集まる患者たちは、長期間にわたって仕事や学校に行かず、病院のデイサービスに通うだけの人たちも多々いる。それが一〇年以上立っている人も多い。一方、介護老人ホームでボランティアをしたことがあるが、そこに集まる高齢者、ほぼ七割が認知症であったが、生きていることに価値があるとしかいえない。振り返って低学力校の生徒たちを見たときに、法に触れるようなことをしなければ、彼らも学校に通って、とりあえず席について、授業を受けているという演技ができるだけで十分立派ではないかと、最近考えるようになっている。卒業生の三〇%が進路未定のまま卒業していく。さらに、入学した生徒の三五%が中途退学するという現状。それでも、半数近くの生徒が就職を決め、自らの糧を自らで得て、さらに納税すると言うことは立派なことであると私は考える。一方で中途退学したもの、進路未定で卒業したものも、まずは生きて、チャンスを見つけてほしいというのが私の切なる願いだ。
 うつ病の認知度は、ここ一〇数年で格段に上がり、珍しい存在であるという認識や偏見も見られなくなった。また、うつ病そのものも数が増え、一方軽症化していると言われている。また、私のように何年かに一度うつに落ちるケースを、医者によっては双極Ⅱ型とよび、軽い躁状態を挟んでうつがあるというケースと見る場合もある。私の場合、反復性のうつで、その波の大きさは、そのときの職場や家庭環境に影響されると言うことがわかってきている。

一一 精神疾患と不登校

 一方、子供にもうつがある、とする考え方がある。「起立性調節障害」「摂食障害」「自傷行為」「パニック障害」「過敏性大腸症候群」「心身症」など、うつ病に類縁する病気もよく見られる。治療としては抗うつ薬、特にSSRIという選択的セロトニン阻害剤という薬(フルボキサミンなど)や抗不安薬がそれとセットで処方されることが多い。今はこれらの精神疾患についてはDSMⅣといったアメリカで作られた診断基準に基づいている。
 よく不登校の子供たちが朝起きられなかったり、朝になると腹痛や嘔吐を繰り返したりして、学校を欠席したり、起きられなかったりする場合がある。これは学校恐怖症で、学校に行くことを心理的に拒否するバイアスが体にかかっているのではないかと考える人もいるだろう。その証拠に学校が終わる午後3時半くらいになると腹痛も治まり、元気になってゲームをしたり、外へ遊びに行く子供たちまでいる有様である。不登校には遊び型と、病気型があるが、その両方に朝に弱く、夜に強いという夜型の傾向が見られる。そしてうつ病に関しても、朝非常に不調で、昼過ぎて少し楽になり、夜9時くらいにはもう直ったのではないかと思うくらい調子が上がる場合がある。サラリーマンの中には、そうしたサイクルで残業する方が調子が出て、長時間勤務につながり、うつ病の進行を早めてしまう場合があって要注意だ。話しは戻るが、子供たちの朝の不調は、私は基本的にうつ病的な器質的疾患が原形にあると思う。それは極端にいえば遊び型も病気型も同様とさえ言えると思う。この両方のタイプで、高校を中退していった生徒を私は何人も見てきた。そして現在もそう見ている。家庭のしつけや、鍵っ子、夜更かしして遊ぶ、家庭の崩壊、様々な要因があるだろうが、基本的には疾患の一部とみてよいケースが多く、保護者や教師は注意深く見ていかなければならない。
 低学力校は、遅刻をする生徒が多い。これは様々な要因が重なっている。器質的な疾患の場合。夜更かし遊び型。学校に行くのがつまらない。勉強が面白くないから学校に行く気がしない。規範意識が薄い。いろいろなケースが考えられるが、私の見ている限り、疾患型の比重が思ったより多いのではないかと感じる。私がうつ病経験者で、そういう風に見がちなのかもしれないが、疾患型という見立てが教師の中に薄いということ。特に遊び型の子の一部は疾患型である場合があるので、よく注意してみておかなければならない。 また、うつ病は軽症化し、非定型うつ病など従来の範疇には入らないケースも出てきた。また、患者数も増加し、一方経済状況との兼ね合いもあるが自殺者数は高止まりしている。殺人事件およびその未遂事件は戦後最小になった(2009年)一方、自殺者が減らないということは、攻撃性が内向きになってきていると思われる。ありとあらゆる人は攻撃性を持っている。平和主義者が反戦デモなどで治安部隊と激しく争うなど、人間は攻撃性を隠し持ち、時にそれをもてあましている。うまく発散できればそれに越したことはない。うつ病の増加、また教師のうつ病の増加は気が弱い(自民党の笹川氏)という側面もあろうが、仕事柄ということもある。社会的なバックアップをなくし、孤立する教師たち。彼らを(私も含めて)どのように地域でサポートできるかは、今後の学校の課題だろう。喜入氏が主張するように。、地域社会を巻き込んで解決するという方策が唯一今のところ見いだせる道だ。こども手当の理念が「社会が子供を育てる」ということならば、学校もそうあるべきで、ボランティアなどの積極的な受け入れや、保護者の援助も必要だ。PTAでは、保護者が教育活動を特に高校生になるに従って関わりをなくしていっている。もっとコミットメントするべきだろう。それが教師のうつやこどもの不登校の予防につながるはずである。

一二 カテゴライズされる子どもたち

 学校では、うつ病に限らず、様々な線引き、カテゴライズがされてきている。教師が最も多く使う言葉の一つが、「あの子は多動だ。」である。だから教師の指示に従えなかったり、授業中に離席したり、おしゃべりに熱中したりするのは仕方がないという風に解釈する。病気だとしてしまうのである。そうすれば教師の罪業感も屋や軽減される。仕方ないからである。指導力、特に生徒の関心を高める授業、生徒とコミュニケーションを取り・・・叱ることも含めて・・・その生とをおとなしく席に座らせなければならないという義務をある面放棄できるのである。おそらくリベラル派の評論家はこれは教師の努力不足であるというだろう。しかし敢えて私は教師の側に立てば、実際に多動。ADHDという正式名称で診断されない生との中に、かなり多くの境界線上の子どもたちがいるのではないかと考える。カテゴライズしてしまえば簡単だ。しかし境界線上の子は難しいし、保護者は、ほとんどのケースで病院に行って診断を受けるなど拒否するのがほとんどである。従って教師がそれを促すことはほとんどない。
 LD・・・学習障害も教師の中でよく使われる言葉の一つになってきた。私の経験で、高校三年生が、マイナス六+一三の計算が出来ない子が結構いることを知っている。義務教育を含めて一二年学習して、結果がこれである。各段階での教師の努力不足であろうか?世の中がゆとり教育を推進させた、または個性が大切だと、嫌なことはさせないようにした結果だろうか?答えは否である。明らかにこういった生徒たちは学習に関して不向きである。頭の中で何かを考えるという概念操作ができないのである。これをLDとか、発達障害とかといったカテゴライズすることは可能なのだろうか?難しい問題である。カテゴライズしてその子が職を得て、国家に有益な人材として、なにがしかの貢献を果たすことが出来、なおかつ家庭生活でも不安なく家庭を持てることが出来るようになれれば、カテゴライズする必要はない。
 ただ、私の経験では発達障害と健常との逆目は、多くの人が思うより不明確である。どちらともつかないケースが多いと経験則上感じる。
 最近、私の県では、軽度の発達障害の生徒を受け入れる、特別支援学校が相次いで設立され、入学するのに非常に高倍率になっている。賢明な、と言えるかどうかは不明だが、保護者たちが特別支援学校に子どもたちを入れるのである。かつては養護学校に入れると言うことは抵抗感があり、周囲も色眼鏡で見るといったケースもあっただろう。しかし昨今では、特別支援学校に入れることが、就職しやすいという結果を生み、その子の将来が、普通学校に入れるよりも有利に働いていると言うことを保護者は理解し始めているのである。障がい者の手帳を作れば、企業に科せられた障がい者の一定の比率の雇用義務を果たせるのである。企業にとっても、軽度な発達障害を持つ子供にとってもメリットになるわけである。
 この動きはノーマライゼーションに反するように見える。手帳を持つ子供たちと待たない子どもたちの境目は微妙だが、同じクラスで勉強するという道もあるように思える。この場合、学校側の人的は人を厚く配置しなければならないのももちろんである。
 一つ付け加えれば、軽度の発達障害といっても、その中にはレベルの差が大きいと言うことである。世間ではあまり大きく取り上げられていないが、軽度の発達障害、知的障害を持つ子供たちを集めた特別支援学校で、その知能の差によっていじめの問題が起きている。これはあまりにも悲しい現実である。人間の抱えた業のようなものである。
 最後に、今現在日本の精神医学会で診断においてもっとも使われているアメリカの基準であるDSM-Ⅳ(精神疾患の分類と診断の手引き)において、学校で教師が対面しそうな分類をあげておく。もちろん二つ以上の領域に含まれる子どももいるだろう。
・精神遅滞
・学習障害
・運動能力障害
・コミュニケーション障害
・広汎性発達障害・・・この中にアスペルガー障害も含まれる。
・注意欠陥および破壊的行動傷害・・・この中に注意欠陥/多動性障害・・・ADHD・・・も含まれる。さらに、行為障害(喧嘩やいじめなどを繰り返す)も含まれる。また、反抗挑戦性障害(昔なら単にぐれているという言葉で片付けられていただろうもの)も含まれる。
・チック障害
・気分障害・・・この中にうつ病や躁鬱病も含まれる。不登校の原因になりうる。
・不安障害・・・この中にはパニック障害に類するものが含まれる。さらに、幼児期の暴力などによるPTSDも含まれる。不登校の原因になりうる。
・適応障害・・・不登校の原因になりうる。
・パーソナリティー障害・・・演技性パーソナリティー障害や自己愛性パーソナリティー障害も含まれ、教師を翻弄させるものである。一方、回避性パーソナリティー障害のように引きこもりや不登校、就職などの活動に向かわないなどの結果をもたらす障害もある。
・詐病
 まあ、これくらいカテゴライズされていれば、もしかしたらほとんどの児童生徒がこの枠の中に収まってしまうかもしれないほどで、大袈裟だが、確かに教師にとってのエクスキューズになりうる。しかし、こうして、「あの子は多動だから。」などと職員室の片隅でぼやいている分、確かに教師は救われているのである。



第二章  システムとしての学校


一  不登校の処方箋

 学校に生徒が来ない。ということが近未来においてあり得るのだろうか。
 現在全国で一二万人もの児童生徒が不登校という状況にあり、二〇〇八年度においては、文部科学省の調べによると、前年を若干下回ったそうである。しかし、大きなトレンドで言えばさらにその数は増えつつあるように感じる。もしも、この勢いが止まらず、数学的見地からすればの話だが、不登校生徒の数が増え続けるようなことになれば、学校というもの自体の存在に意味がなくなってしまう。
 私は、現在高校の教員をしており、約二二年間教壇に立ったが、学校に来ないという児童生徒は増え続けているという実感がある。高等学校は、様々な課程があり、率直に言えば、学力においてレベルの差があるのも事実であるのだが、そのどの課程、そのどのレベルにおいても、若干ながら不登校生徒は増加していると実感せざるを得ないのである。ある年、中堅の高校で私が三年間担任したクラスにおいては、五名の不登校生徒が出た。うち二人は何らかの形で学校を去らねばならなかった。いや、去りたかったのかも知れぬ。
 不登校、とは簡単に言えば学校を拒否するということである。すなわち学校を必要としない、という、必ずしもここのケースでは該当しない場合が多いが、全体を俯瞰すれば、そのように捉えることが可能となる。私が過去抱えた不登校生徒のほとんどが学校に来たい、と願う場合が少なくなかった。しかしその願いは、一〇〇%ではなく、むしろ比率の問題、五一%対四九%であるように感じられるのだ。人間の心というものは、あれか、これか、で決着されるものではない。彼らの心の中には、学校に行きたくない、という願望と、行きたい、いや、行かねばならない、という願望とが相反して存在しているのである。
 ただ、全体として不登校が増えてきているということは、その意味論的解釈をとれば、学校が、世の中で、社会で、あまり必要ではなくなってきているという、もちろんかつてに比べればということだが、そのように解釈できるのである。
 よく不登校問題に関して、「無理に学校に行かせなくても良い。」という立場と、「できる限り学校に連れてくるべきだ。」という両方の立場が存するといわれる。これも私に言わせれば、どちらかをとるのは不可能だし、もちろん個々のケースでも違いがあるだろうし、例えば一人の不登校生徒をとってみても、その時期によっては、両方のケースが考えられるといえるのではないだろうか。それは臨床学的な問題になってくるだろうし、その生徒に関わる教師や医者、カウンセラー等にとって大変厄介な問題でもあるのだ。
 さて、ではなぜそもそも学校などというものに行かねばならないのだろうか?少し巨視的な視点から眺めてみる必要があるだろう。いま、不登校で悩みを抱えている児童、生徒、およびその保護者にとっては、不登校に対する即効性のある処方箋を期待されるかも知れない。しかし、結論から言えばそのようなものはないのである。ただ、処方箋にもいくつかの出し方があるだろうし、個々のケースによっても処方箋が違ってくるのは当然であるから、まずは学校の存在意義から捉えなおして、それによって新たな地平が開けてくることを期待するというのも一つの手段だと考えるのである。

二  学校というものの存在と歴史

 学校が始まったのは、そもそもいつからであろうか?私は、学校というものは文明の誕生とともに始まったものであると考えている。文明の誕生は、皆さんご承知のとおり、古代メソポタミアからである。今から約六千年前くらい前がメソポタミア文明の起源とされる。そこでは人類史上初めて文字が使用され、まだ未熟ではあるとはいえ、組織化された社会が成立した。そこには権力を持つものと、持たざるもの、貧富の差、権威、名誉、などといった石器時代にはなかった新しい価値が生じたのである。メソポタミアで権力を握ったのは神官階級であるとされている。また、軍事力を背景にした武人の長、すなわち、王のようなものも力を持っていたに相違ない。しかし忘れられては困るのは、メソポタミアにおいて、文字と数学いう武器を握る「書記」なる人々が、力を持っていたという事実があるのだ。歴史上、文官と武官の対立は中国史に代表されるように世界史上でどこでも見られることである。なぜ、ペンは強いのか。権力とは利益の配分である。権力者とは利益の配分を行えるものである。いかにして収穫物を徴収し、いかにしてそれを配分するかという問題に、文字と数学いうものは欠かせないものだったのである。権力は文字と数学を必要としていたのである。
 蛇足だが、農耕の発達が文明を産んだということはもはや自明のことと思われる。ただ、自給自足的な農耕ではなく、大規模なかんがいを必要とするような農耕社会においてである。ある程度の規模を持った社会が成立すると、そこには様々な規制がなくては、社会はうまく回っていかない。当然であるが、そこには法というものが発生してくる。それまでのような小さな集団・・・村のような・・における取り決めではなく、万を超える人々に強制力を持たせた法が必要になってくる。当然を取り決めた内容は文章化せざるを得ないわけである。そこにも書記が力を持つ起源の一つがある。
 さらに、交換経済が発達してくる。村で余った生産物、すなわち余剰生産物を他の地域と取引するようになってくる。メソポタミアは金属の産出が少なかったため、かなり遠方との交易もあったようである。そこで、経済の大原則である「信用」とともに「契約」が必要になってくる。個々でも、もちろん文章化の必要が出てくるであろう。それとともに、その地域全体に共通する商取引の原則のようなものが存在してくるだろう。「商法」のようなものが。
 また、契約書類が正式なものかどうかを照合するためのものが必要になってくる。メソポタミアや、インダス文明でよく出土する印章はそのためのものだ。物物交換経済においても、貨幣的な位置を占めた物があったであろう。麦や布類である。そうなると、取引において計算の必要が生じてくる。商法とともに経理が必要とされることになる。
 さらにエジプトのように毎年洪水に襲われるような地域では、人々にもとの土地を配分し直す必要から測量の技術が必要となる。それは数学の起源である。
 数学は、建築とも関わりが深い。古代メソポタミアではジッグラトと呼ばれる階段状のピラミッド型神殿が作られ、交易を行っていたエジプトに伝わって、あのピラミッドになっていった。これらの建造物の建築にはかなりの数学的知識が必要になってくるだろう。
 暦については、農耕が始まったと同時に必要とされることになったであろう。神官が暦を扱う例が世界で多いのはそのためである。暦こそはもっとも古い数学といえるのかもしれない。
 このように考えれば、文明の誕生は高度な知識を必要とし、ある程度の数の知識階級を生んだと思われる。その知識階級を育成したのが「学校」の起源だったと考えられるのだ。 メソポタミアにおいての知識階級は書記であった。そして、書記を育成する学校があったことが、楔形文字が刻まれた粘土板に記述されている。というよりも、粘土板のうち相当数が、書記を育成する際に練習したものが出土しているのである。楔形文字は500程度の文字が存在するといわれ、これにはかなり訓練が必要だろうし、先生(教師)なるものが存在していただろう。そして教師は文字だけでなく、法や神話、経済の仕組み、占い、数学、測量など、様々なことについて生徒たちに語っていたと思われる。
 面白いことだが、出土した粘土板にはスペルを間違えたものがときどき見つかるのだという。これは生徒たちが練習した時に失敗したものだとされているそうである。また、シュメールの文書庫には、書記を目指す一人の生徒と教師や、親の様子が記されている文書がある。これは紀元前二〇〇〇年頃というかなり早い段階の話だそうだ。それによると、少年は粘土板を読み、昼食を取ってから今度は粘土板に書く作業を行うのだが、この少年は合格点に達せず、何人もの先生にこってりとしぼられる。そこで少年の両親が、担任の先生を家に招いてご馳走をして贈り物もした。すると先生の態度が変わり、少年の成績を水増しして、学校と書記の守護神であるニッサバという神に祈ってくれるという話である。この話はその後の生徒や教師にも人気があったようで、繰り返し複写されているのだそうだ。今の学校と、そう大差がないのではと思ってしまうが、今の日本では、教師よりもむしろ親や生徒自身の方が教師よりも強い立場に立つことも多いので、一概には言えない。このことは後述するが、現在の学校のある面での病理現象を物語っている。
 話をメソポタミアに戻すが、書記の育成プログラムは約千年の間変わらなかったらしい。文字、文章を教育することの重要性がこのことからも分かるというものである。
(『メソポタミアの神話』ヘンリエッタ・マッコール著 青木 薫 訳 丸善ブックス 第2章 定義と文学の伝統p22 第3章 神と人間、作者と読み手、聞き手p51)

三  教育システムとしての徒弟制、正統的周辺参加

 さてここで、学校という、多くの生徒に対して教師が教えるというやり方と、近年その有用性が再認識されている、「徒弟制」について述べてみたい。
 徒弟制の歴史は古いだろう。フランクリンは「人間は道具を使う動物である。」と述べたそうだが、おそらく道具を使うようになってから、その道具の作り方、使用方法について、知っているもの、というよりむしろ徒弟制度の場合、体得しているもの、といった方がより本来の意味に近いと思うが、そういった先輩が後輩に対して指導してきたところから始まるのである。もちろん狩りの仕方をはじめとした食料の取り方、住宅を中心とした建築技術、その両者に共通して使用されるであろう、基本的な道具である石器の作り方が最も重要だったと考えられる。
 徒弟制度は技術が複雑になるにしたがって、その教育期間を伸ばしてきた。旧石器時代から、農耕の原初的姿があらわれた新石器時代に入ると、農耕技術をはじめとして、様々な分野で徒弟制的な教育が施されてきたと思うのである。土器、暦、かんがい、農具の作り方、そして現在では科学的でないとされている占いの仕方などである。
 金属が使用されるとより技術が複雑化し、徒弟制度における教育期間はより長くなっていったであろう。
 徒弟制度は世界のあらゆるところで見られ、しかも、現在までその教育方法は続いている。学習理論の立場から、近年大きな影響を各方面に与えてきた著書である、『状況に埋め込まれた学習』(ジーン・レイブ、エティエンヌ・ウェンガー共著 佐伯 胖 訳 産業図書)は、徒弟制度において特に「正統的周辺参加」という方法によって、獲得すべき学習内容、技術を会得していくのだということを、様々な例から証明しようとするものである。例えば、メキシコのユカタン地方の産婆たち、リベリアのヴァイ族とゴラ族の仕立屋たち、アメリカ海軍の操舵手の作業習得場面、アメリカのスーパーの肉屋、アルコール依存症者の断酒のあり方、である。「正統的周辺参加」という概念は、非常にユニークで興味深いのだが、ここでは省略させていただく。ただしこの著者たちが次のように述べていることは、学校での学習が、または学校の存在意義が、徒弟制度に光を当てることによって、浮き彫りにされるということがいえるのである。そこで少し長いがこの著書から引用してみる。

 「まず第一に、正統的周辺参加に焦点をあてはじめたとき、私たちはなによりも学習に新鮮な目を向けたかった。私たちの探求とアイデアの説明には、私たちの文化では学習と学校教育の問題は、一般に、あまりにも深く相互に結びついているように思われた。さらに重要なことに、教育形態としての学校組織は、知識は脱文脈化できるという主張に基づいており、しかも学校自体は社会的制度であり、学習の場としての極めて特殊な文脈を構成しているものである。かくして、状況に埋め込まれたものとしての学校での学習を分析するには、いかに知の営みと学習が社会的実践であるかについての多層的見方--それだけで一大プロジェクトになる--を必要とする。もうひとつ、言い残された重要な理由は、学校教育の効率性(教え込み、人格変容における学校の専門化、学校がよく知られているような特別な様式で行う思想の吹き込みにおける効率性)の起源に関する議論はしばしば対照的であり、対立的ですらあった。しかし、私たちは私たちの考えを限定して、学校教育を含めた何らかの教育形態の主張との対比を主要な部分として理論構成したくなかった。私たちはそれだけで自立した学習の見方を発展させておき、学校や他の教育形態の分析は将来に譲りたかった。」

 少し長い引用であったが、ここで筆者たちは、学校教育と徒弟制度に関して比較することを避けてはいる。しかし、徒弟制度という世界各地で隈無く行われている教育形態は無視することができないのであると思うのである。
 不思議なことに、マス教育システムである学校教育の中に、徒弟制度的なシステムが存在することが面白い。私はそれを主に、日本でいうところの特別活動、特に部活動においてよく見られることを経験的に知っている。
 私は徒弟制度が、学校教育にまさっていると言っているわけではない。ある分野に関しては徒弟的なやり方で、ある分野においてはマス教育システムで行うことが効率的なのではないかというところが、一般的に言えると思う。また、徒弟制度と学校的システムとの境界線をどこで引くかという問題ももちろんあって、かつての幕末の松下村塾のように、徒弟制的でもあり、学校的でもある存在も世界各地に多々あるのである。
 少しだけ苦言を呈すれば、日本において、「総合的な学習の時間」が導入された時、この摩訶不思議な時間は、現場の教師からすると非体系的あって、様々な分野において、個々の教師が得意とする分野について児童生徒に教えたり、また、以前からの教科から離れて、世の中、すなわち働く現場などに積極的に参加することによって、文部科学省のいう「生きる力」を養うという大義名分がある。しかし実態としてみた時に、結局は学校的なシステムで行われているのである。にもかかわらず、一部の教育評論家がマスコミにおいて、前述した『状況に埋め込まれた学習』をひきあいにして、この「総合的な学習の時間」を推奨していた時、私は少しずれているのではないかと感じたのである。

四  社会化された身体を求めるのが教育

 「人間は本能が壊れた動物である。」と心理学者の岸田秀はいう。私は必ずしもこの考え方に、全面的に賛同するものではない。しかし、人間が生まれたままの状態で、ただ食物を摂取していただけでは、人間社会に適応することはできない。インドで発見されたといわれる、オオカミに育てられた少女が、結局、人間社会に最後までとけ込めなかったという話からもそれがわかる。人間は一〇ヶ月の早産状態で誕生すると考えられると、動物学者のポルトマンは指摘している。
 人間は、言葉を覚え、「身体」を律し、社会の中で生きるすべを覚えていかなければ、生存はおぼつかないのである。もちろん、人間たちは、そのことを自覚することはほとんどない。親や、それに代わるものとともに、幼い頃から密着した生活を送る中で、自然に身につけていくのである。ここで「身体」を加えたことは重要である。徒弟制度は、言語と同等に、立ち居振る舞いを覚えていくのである。近代社会にはいって、文字が大多数の人々に使われるようになってから、その記号操作ばかりに目がいって、身体を使うことを軽視してきた傾向は否定できない。これは日本だけでなく、欧米においても同様である。ただ、人々は「身体」の重要性について無意識的に理解している。古くは女性の出産の神秘性について。これは、日本で発見される縄文時代の「土偶」が最も知られている。「土偶」の多くは妊娠した女性をかたどったものだ。日本においては、茶道、武道などの世界において、手順や動作についてを重視し、そこに象徴的意味を付与してきた。日本のみならず、世界中に、祭り、儀式など、手順や動作を事細かに定めた「世界」がある。これについては、二〇世紀以降に急速な進歩を遂げた文化人類学によって明らかにされてきている。
 近代に入ってから身体性が強く意識された最大の組織は、軍隊であろう。そこでは当然ながら、一糸乱れぬ統率と、強靱な肉体が、戦争を勝利に導く最大の要素となる。現在の日本において、企業の研修などで、自衛隊に体験入隊するものがある。企業は、その成員に組織に適合するべき身体の形成を求めている。ただ、一週間やそこらの体験で、コントロールされた身体が作り上げられるかどうかは不明である。また、心または、脳によって身体を完全にコントロールできるというのは、不可能な考えで、人間の傲慢である。それに挑戦するものは、それこそ「心身症」とか、「うつ病」などに苦しむ結果になる人が多いはずである。
 最近、教師のうつ病が増えてきているということは前述した。これは児童・生徒が不登校になる現象とパラレルで有意な相関があるものだと思う。「学校」という場が、個々の人間の身体を、大脳のコントロールのもとに置くことができにくくなってきているということの表れである。あとで述べるが、学校社会の予定調和が崩壊しつつあるのである。
 徒弟制度は当然「身体」を鍛え上げる。それには長い時間かけて、徒弟たちが、中心にいる親方たちの立ち居振る舞いをまね、それを身体に馴染ませ、習慣化させていく手順である。そして、それは決して画一化した人間ばかりを生み出すわけではない。身につけた基本動作の上に、生まれ持った個性がアイデアを生み出して、その両者の絶妙な融合が、新しい想像を生み出すのである。
 このことは、「個性尊重」をうたった戦後の日本の教育方針について、なにがしかの示唆を与えるものになろう。
 スポーツ選手は現代のグラデュエーター (剣闘士)である。彼らも「身体」によって社会の注目を浴び、成功したものは大きな富を得ている。かつて、ローマ帝国では兵士と剣闘士は大きな社会的地位を得ていた。兵士は成功して出世をすれば、ローマ皇帝になることもあった。一方剣闘士は、そもそも奴隷身分の者も多かったが、成功すれば身分の高いものから経済的な支援を受けたり、裕福な女性と恋に落ちたりもしていた。
 一方日本においても、相撲は、神々に奉納され、その身体性は記号化されて供物とされるのである。
 スポーツを学ぶということ。それは、ピアノなどの音楽や、絵画、茶道、書道、なども同様なのであるが、時間がかかる。根気がいる。向き不向きがある。年齢が低いときに始めた方がより身につけやすい。いったん身につけた技能は、容易に忘れにくい。などの共通した特徴を持つ。自転車に乗ることに最初は苦労したことを、多くの人々は忘れてしまうが、自転車の乗り方は忘れないのである。
 学校で部活動の担当をしている教員にとって、小さいときから競技に取り組んできた生徒は魅力的である。今や、中学校の教員が、小学生をスカウトするなどということもちらほら耳にするようになった。技術の染みいった身体が大きな武器となっている。
 身体性を忘れた教育というものは無に等しい。そしてそれは、教科、科目の中での話だけではなく、生活の上にも反映されなくてはならないのだ。それがなければ集団生活は成り立たない。学校という場になじめない生徒や、学校の秩序にそぐわない行動を取る生徒は、おのれの身体をもてあましているようにも見える。それが、学校という場だけの話である生徒も多く、社会に出て適応した生活を送る人が大多数だが、中には社会秩序にいつまで経っても適応しきれない場合がある。犯罪を繰り返すもの。三〇歳を過ぎても引きこもりを続けるもの。こういった現象が、過去の歴史と比較して、今、異常に増えているかどうかについては後述する。
 ここでは、人間の身体性の重要さについて強調しておきたい。ただ、付け加えるならば、身体と精神とは実は切り離せないところがあるのである。禅の世界では「身心一如」という言葉がある。身体と心は一体であり、近代西洋のデカルト流の身心二元論とは違い、身と心は宇宙の実態であって、自我を超えて存在するものと説く。
 「心身症」においては、心の悩みが、胃潰瘍などになって現れる。
 また、近年の神経学や、大脳生理学の研究も、心とは何か、理性とは何かについて示唆を与えるだろう。

五  その後の学校史

 さて、メソポタミア以来始まった学校制度は、それぞれの地域に飛び火していった。日本においては、律令制度のもとで、大学(都におかれる)、国学(各地方におかれる)とよばれる、官吏養成の学校がスタートした。また、有力な貴族たちも、大学別曹と呼ばれる一族の繁栄のために学校を作った。近代以前の学校というものの特徴は、基本的にエリート教育で、上層の階級の子弟に対して行われるものだった。その性格はやはり、上昇志向にあったのである。
 庶民に向けての教育施設もあるにはあったが、普遍的な広がりを持っていたわけではなかった。一部の宗教施設が庶民に学ぶ場を提供した場合があった。ヨーロッパでは教会であり、日本では仏教施設である。空海の開いた「綜芸種智院」は有名である。
 中世ヨーロッパで開かれた大学は、徒弟制的な性格がまだ強かった。近代に入ってから現在のような大学へと変貌していくのであり、現在のような開かれた大学というレベルには達していなかった。
 庶民が学問の道に入っていくのには、洋の東西を問わず、宗教の世界に入って学ぶ必要があった。
 ただ、中世に入って、商業が発達し始めると、文字を使用する必要が生じてくる。商業に携わる人々は、基本的には丁稚として修行をするのが通例だった。「アラジンと魔法のランプ」のアラジンは都市に住む若者だったが、最初は仕事もせず町中でたむろするワル
であり、今でいうプータローだったわけだが、魔法のランプを手に入れてからの不思議な話と並行して、次第に商売の仕方を覚えていく。物語の複線として、人々に、真面目に商売の仕方を覚える、また、まっとうに努力する、ということが重要であることを、メッセージとして伝えている。
 ヨーロッパにおいて、最初に市民階級が権力を握ったのはオランダである。ここでいう「市民」とは、商人といってもよいだろう。現代につながる市民社会は、「商人」階級からスタートしていくわけである。
 本格的な学校制度が始まったのは、一九世紀も半ば過ぎてからである。日本のみならず、欧米先進国についても同様である。したがって、国民の大多数が学校というものに通うようになってから、まだわずか一五〇年の歴史しかない。人類史にとって国民皆学というシステムは、近代に入って始まった様々なシステムと同様に、ある意味で実験段階といってもよいだろう。
 学校が必要とされたのは、産業革命が始まり、良質な労働者を育成すること、そして軍人を養成することの必要性からだった。また、近代的な学校というシステムは、近代国家の成立とパラレルの現象である。国民国家にとって、富国強兵をはかるために政策的に、学校というものが建てられたのである。
 この位置づけは、一五〇年たってもまだ大きな変化はないと考えられる。したがって学校の諸問題を考えていく上で、国家と学校の関わりについて考えることは、個人と学校の関係を考えることと同様に重要なのである。教育に携わるもの、政府機関、評論家、学者、マスコミ、そして学校で働く教員たちを含めて、そういった問題意識があまりないように感じられる。
 そして現在、社会における学校というものの位置や、個々人が学校について付与する価値について、近代の学校制度が始まってから少しずつ変貌しつつあるように感じられる。始まった当初の学校は、個々人にとっても、階級上昇の装置として機能していた。もちろん今の学校にも依然としてその役割は大きい。今まで見てきたように、学校というものの根源的な性格だからである。しかし、不登校という現象に見られるように、かつて、経済的な理由で学校に通えなかったり、また、通わせなかったりするのではなく、客観的に見て、自発的に通わないような子供たちがあらわれてきたのである。
 学校の、社会の中における地位が少しずつ低下してきているのは事実だろう。また、学校の階級上昇機能に何らかの異変が起きてきているのかも知れない。国民皆学と、上昇機能が相矛盾することに、人々が無意識のうちに気が付き始めたのかも知れない。それは簡単なことであって、上昇するものがいれば、下降するものもいるからである。
 アメリカや欧米諸国の中には、社会の低い層に属し、単純労働や、きつい労働をして社会を支える層は、移民であったり、外国人労働者であったり、白人以外の人種であったりする。日本においては国籍法によって、単純作業を行う外国人労働者が規制されているため、日本人がその労働を担当している。ただ、ホワイトカラーとブルーカラーの間に大きな給与の差がなく、その中間に位置する中間層が、日本においては多数を占めているため、階級差を感じなかった。しかし今、実質的な給与の差や、住む地域においての差、そして私立学校の中学校と高校の一貫校が多く出現するに至り、実質的な、多少固定化された階級が生まれつつあるように感じられる。
 私の勤務する埼玉県の公立高校においては、バブル経済の崩壊以降、景気の低迷もあるのだろうが、年々授業料の減免措置を受ける生徒が増加してきている。また、奨学金を希望する生徒も同様である。二〇一〇年度から始まった高校の授業料無償化や子ども手当が社会にどのような変化を及ぼすのかはまだ予期できない。
 しかし確実に豊かなものは私立の一貫校に行き、あまり豊かでないものは公立に通うという現象が、都市部を中心に定着しつつあるのである。この現象は階層の固定化につながるのであろうか?私は、江戸時代のような、はっきりした階層の固定化にはつながらないとは思うが、おおざっぱなクラス分けが、次第にはっきりしてくるのではないかと考えている。
 日本は、明治維新以来、戦争の敗北という出来事はあったにせよ、ほぼ一貫して経済成長を続け、国力を増大させてきた。成長し続ける社会においては、階層の流動化が激しく、サクセスストーリーが様々なところで見られた。しかし、これから経済の停滞する時代においては、こういった物語は少なくなってくるであろう。そして大きさの同じパイをどのように分配するかの問題になるのである。相当程度新興国の市場に食い込まなければパイは大きくなることはない。
 日本に限らず先進国は、人口の大きな増加は見込めない。また、資本主義の円熟と、民主主義社会の定着によって、社会の大きな変動は今後もあり得ないだろう。あるとしたら経済恐慌がおこったり、戦争が起こった場合だ。停滞した社会では、歴史的に見て、階級、階層の固定化が起きやすいのである。しかし社会は安定する。江戸時代は典型的な階級社会である。身分が定められていることは、現在の感覚からすれば、住みづらいのかも知れない。しかしその時代に生きていると、そうでもないのである。その身分に属していることによって、その身分に許された職業を得ることができ、生活は安定する。江戸時代の被差別部落に住む人々でさえ、与えられた特別の生業を得ていたのである。
 物事には必ず両面あり、一概に固定化された社会が悪いともいえないが、競争社会においては、多くの人々が競争に参加することによって、より価値のある何かが生み出される傾向がある。したがって、機会の平等が保証されている方が、資本主義の経済体制をとる場合、他国との競争に有利に働く傾向があるといえる。
 江戸時代が完全な身分社会であり、全く階層間の流動性がなかったかというと、一概にはそうでもないらしいということは、最近の研究によって明らかにされつつある。しかし、全般的には階層の固定化があったのである。そのため、江戸後期になると、貨幣経済の発展と、マニファクチュアなど、商業資本が介入する商品経済が進むことによって、貧富の差が拡大し、社会の不安定化につながっていったのである。
 この危険性はこれからの停滞時代を迎える日本、および先進各国において気をつけなければならないテーマとなろう。貧富の差は、どのような学校に子供たちを進めるかという点において、最も顕著に階層差を産む原因になるからである。
 孟母三遷(儒学の偉人孟子の母は、自分の子供をよりよい教育環境で育てるために、三度の引っ越しをしたという故事)という言葉があるように、古くから、子供をどのような教育を受けさせるかがその人間の、またはその一族が繁栄できるかどうかにとって重要だった。
 個々人にとって、今の学校はある程度上昇装置として機能している。最低限、文字を覚え、九九をはじめとした計算能力がなければ、産業社会、消費社会の中で生きていくのは困難である。
 余談になるが、興味深いのは、文字が読めない人々の存在である。現在の日本ではほとんど存在しないと思われるが、ほんの五〇年ほど前には文字が読めない人がそこそこ存在していたのである。彼らは基本的に農業によって生活をしていた。民俗学者も宮本常一が著した「忘れられた日本人」を読むと、そういった人々を取材した記述が見られる。その中で宮本は、第二次大戦後すぐの老人たちを取材しているのだが、文字を知っている老人と、知らない老人では、感性や考え方に違いがある、と述べているのは興味深い。もちろん世界には無文字社会はまだ存在する。そこでは独特の文化がまだ残っており、口承によって、または徒弟制的な方法によって、文化が受け継がれてきているのである。
 かつて中世日本に存在した盲目の琵琶法師たちは、文字を知らないことに加え、目が見えないことによって、音に対する感性が非常に発達していたのだという。したがって長い「平家物語」を暗唱して、辻々で人々にそれを聞かせたのだという。中性西洋の吟遊詩人たちもおそらく同様だろう。文字を持つことによって、失われていった感性、能力があることもまた事実なのである。
 ただ、これだけ産業社会が進むと、文字を知らないことは、圧倒的に不利であることは当然で、学校に行き、文字を覚え、計算の仕方を知ることの重要性はあるのである。

六  階級的な社会になりつつある学校

 私は何校かの高校で教鞭をとったが、学力の低い学校と高い学校では、その仕事の内容、授業に関しても、生活指導に関しても全く異なることに気がつく。教師の能力に学校によって向き不向きがあるように感じられる。各学校に集まる生徒たちとその保護者たちの生活レベルや職業に関しても大きな差が存在する。もちろん今の学校の問題点が凝縮されているのは学力の低い高校に集中している。そこでは教師は悪戦苦闘している。
 七〇年代八〇年代に学校生活を送った保護者たちは、もはや学校の権威性を認めることはない。また、場合によっては学校に通うことの意義を見いだせない保護者もいる。無理して高校に通わなくても良いと考える。このことは、嫌ならば高校をやめなさいというメッセージとなって子どもたちにつながる。かつてのような、親は学校に通えなかったから子どもたちには高校、大学に進んで欲しい、と考える親は確実に減っている。学校の市場価値は一定の層の人々にとって明らかに低下してきている。
 一方で東京大学を筆頭にする偏差値の高い大学に進む子どもの保護者は、高給取りで中高一貫の私立中学校、高校のいわいる中高一貫校出身者が圧倒的である。またこういった私立に進む子どもの親も中高一貫の私立学校を卒業していることが多くなっていると思われる。このことは社会の中で唯一違った階層が同じ教室で机を並べるという、義務教育の場がもはやなくなり、エリートたちは下層の人々と接する機会がなくなってきていることを意味する。このことはふたつの点に論点がある。エリートは、いわいる「ノーブレス・オブリージュ」という、高貴な精神、社会大衆を引っ張っていくのだという気概をもって社会をリードしていければそれはある面でよいことだろう。しかし今の日本ではそういったエリート意識はなく、彼らの多くは生活保守主義に立場をおいている。
 欧米では移民、特に有色人種や非キリスト教徒が底辺を支えている。日本でも外国人労働者が少しずつ流入している。彼らはおそらく下層に仲間入りしていくだろう。
 下層の人々は学校という上昇装置によって社会的地位を上げようという目標を持たなくなってきている。最初からあきらめている風は、私が接している中で生徒たちから良く感じ取れる。中にはまず学歴を手に入れて勝負しようとするものもいるが、おそらくかつてよりは少数であろう。低収入でものんびり生活する、ラテン的生活スタイルを理想としているように見える。面倒なことや、頑張ることは忌避されるのである。
 しかしチャンスは残されているのである。確かに塾や予備校というコストのかかる手段は選択できない。しかしやりようによって経済的成功を収めるチャンスは残されているのだ。しかしこの道は極めて細くなってきているというのが実感である。公立の中堅高校の生徒たちは、最初からエリートコースへの夢を持たなくなって来ている。今、ベンチャー企業などで成功する人々の多くは高学歴である。
 ゆとり教育への一時的な転換も、のんびりしたラテン的な生活観に拍車をかけた。ゆとりを持つことが価値あることだと思われたのである。ゆとり教育に危機感を持ったのはおそらく、公立高校の上位層であろう。また義務教育においても上位を目指す層の人々である。逆に低位層の人々はどちらでも良いか、またはゆとり教育が持続されることが望ましいかもしれない。

七  上昇装置と下降装置

 学校とは階層の上層装置である反面、下降装置であることも忘れてはいけない。上昇するものがいるということは、下降するものもいるのである。能力というものは厳然と存在する。いくら頑張って努力してもみんなが東大に進むことはできない。能力の足りない上層の人々は、小学校や幼稚園からのエスカレーターの学校に進学するだろう。それで能力不足を防ぐことができる。上昇は今やかなり狭い道になりつつある。
 デュルケイムは「学校は選別装置」であると二〇世紀の段階で判断していた。かつてのように戦争や内乱、その他の社会の変動があれば階級のひっくり返りはあり得るが、今のように固定化、安定化した社会ではそれは難しい。
 競争とは激しくなればなるほど、その結果において質の良いものが勝ち残ると同時に、全体としてのレベルも上がる。しかし競争が激しいことは、特に受験競争の激化の問題点は、かつて問題になったとおりである。どちらをとるかという問題である。これは極めて難しい選択である。しかし、ゲームのルールを決める人々と、ゲームに参加する人々のあいだに意識の乖離が生じてしまうことも考えられる。少子化、階層化、人口減、経済成長の鈍化はゲームに参加するものの意識を変えていくだろう。一度ゆとり教育に梶を切ったものをすぐに戻せるとは思えない。そもそも学ぶということに関しての市場価値が漸減してしまっている。かつてのローマ帝国が衰亡していったように、右肩上がりの成長モデルは否定され、生活保守主義が競争からの忌避をもたらすだろう。
 下層に固定されかかった人々は今後どのようにしていくだろう。社会が安定すればするほど階層の固定化が進むというのは歴史の示すとおりである。江戸時代は下層を受け入れることによってある一定の生活手段を手にした。今は生活保護などがそれにあたるのであろうか。高校における授業料減免は年々増加していた。授業料が無償化された今、学年費やや生徒会費、PTA会費の減免も行われる。特に低学力校においてはその増加は際だっていくだろう。下層の人々は、奨学金をもらってまでも上級の学校に進むなどといったサクセスストーリーは少数の人々のことになり、あとで返さなければならない奨学金をもらうよりは現状を肯定していくだろう。



第三章  アジールとしての学校という場について


一  アジールとは?


 学校という空間と、ぞこに流れる時間は、一般社会のそれに比べて異質である。
 こう述べると、必ず反論する人がある。一般社会とどこが違うのか、また、一般社会と違ってはいけないのだと。しかし私の教職経験の中で、学校には特殊な時間と空間が存在するのだと実感してきた。そしてそれは、「場」と表現されるものであると思う。
 そもそも「場」とは様々な人間の活動するところにおいて発生する。神聖な宗教施設であったり、市場であったり、サッカーのスタジアムであったり、葬式の場であったり、国会であったり、社長室であったりする。そこでは一般社会に流れる空気とはまた違ったものがそこに存在するのである。サッカーのスタジアムには祝祭の雰囲気が充満している。そこでは、人々は自然と興奮するのである。
 「場」の中では、特殊な規制が働く。葬式の場では、それに見合った服装をし、行動を取るよう要請される。そこには厳粛な空気がある。このように述べれば、「場」そのものの存在について否定する人はほとんどいないだろう。「場」とは、人間と人間の関係性の中で生じる時間であり、空間なのである。
 「場」の中には、一般社会の法体系ですら通用しないこともある。中世ヨーロッパでは教会や家、墓地などは、犯罪を犯した人など、何らかの事情で追われている人が逃げ込んだ場合、復讐のために追う人々はそこでは犯罪者に手を出せないことになっていたという。また、日本の江戸時代において、鎌倉の東慶寺が、駆け込み寺であったことはよく知られている。このような緊急避難所、または平和領域は、ドイツ語で「アジール」と呼ばれる。また、近年の日本史研究においては、網野義彦氏らによって明らかにされてきている「無縁所」という概念も、「アジール」にほぼ同義といって良いのではないだろうか。無縁の場、中世の公界とは、世俗の縁をたち切った場であり、だからこそ世俗の縁が侵入することが許されないのだという。このような場はある意味で聖なる場である。人間集団には現在の高度に発達した文明のもとでも、このような場は必要とされているのである。葬式の場がなければ、人々は死者との別れをスムースに行えないだろう。


二  学校はアジールである


 さて、学校はどのような点で市民社会と違う場なのであろうか?
 まず、学校は保護された空間である。その中で、もし犯罪が行われても、一般社会の中とは違って、強い処罰を受けることは少ない。独自の法体系が存在しているのである。私の経験では、高校では、生徒が何か犯罪を犯しても、一般社会の法体系で処罰されない。校内の基準に照らして処分されるのである。たいがい、一般社会の法体系より甘い処分である。このような犯罪を犯すと、一般的には少年院に行くのではないかと思われる事例であっても、二週間の謹慎処分で済んでしまうことが多い。もっとも、重大な事件であれば、校内で行われた犯罪であっても、警察に通報される。ただ、このような例は極めて少ない。小中学校においてはさらにそのような傾向が強い。保護者が呼ばれて注意を受けるだけで済んでしまうことがほとんどである。
 なぜそういった二重の基準が存在するのであろうか。よく、学校が、体面を保つために外に情報を出さないからだといわれる。これも一理あるとは思うが、もっとも強い理由は学校が、一般世間とは違った「場」であるからだと思う。
 また、学校という場の営みは、生産関係から切り離されている。広くとらえれば、産業社会においての労働者の「生産」という意味においては、生産関係に組み込まれていると言える。ただ、学校内の日々の営みを概観してみても、直接生産に携わる場面はほとんどない。例外は、農業高校の学生が、実習で作った農産物を学園祭などの時に販売することぐらいだろうか。
 ただ、近代社会の要請で作られた学校は、純粋な文化の伝達、と同時に、産業社会の労働者育成の側面を持つという、二重の機能が作用している点が、学校を巡る論議に大きな混乱をもたらしているのである。
 例えば、「個性尊重」といったとき、ごく普通の生徒たちは、自らの内心にあるエゴイズムを保護してもらうことだと考えていることが多い。一方で経済界は、マーケットメカニズムに有用な「個性」という観点で、教育について論じるだろう。個性的な人物とは、多くの雇用を創出したビル・ゲイツ氏のような人物を指すのである。
 学校の持つこの二重の機能という側面は、一方のみを強調することによっては成り立たず、両者のバランスの中で成立するものなのである。学校内外の議論も常にこの両者が鋭く対立する。


三  ミームについて


 さて、話を戻して、学校の特殊性の他の要素なのであるのだが、文化の伝達ということは、生徒が歴史的存在になるということである。「文化」とは、過去の人類が、各地方においてその形態は多様であるにしろ、培ってきた人間の行動諸様式、知識、その他である。その洗礼を受けて、生徒はその地域の社会の成員たるのである。
 人間は、遺伝子(ジーン)のみで次世代に情報を伝えるわけではない。文化遺伝子または模倣子といわれるミームによってもまた次世代に情報が伝達される。ミームはジーンに比べて揺れ幅が大きく、時の流れと共に大きく変動する。変わりゆく部分と、大きな変化がないものとがある。政治の世界でいう、保守と革新のようなものである。その揺れ幅の中で学校は文化の伝達を行うことになるので、そのときの時代の状況に大きく影響される側面がある。
 ジーンは生殖によって伝達される。一方、ミームは、生まれてすぐに母親によって伝達され始める。私は、母親やそれに変わる人間によって伝えられる部分が、人間にとって大きいと考えている。基本的な人間の枠組みが形成されるのは、母親をはじめとした、幼少期にその人間に接する人々であり、その人間が生まれ育つ社会全体に流れている文化である。このことはフロイトやユングに始まる精神分析学はにおいて良く論じられていることである。ミームの伝達が生殖と並んで人間にとって重要であり、生殖と同様に、「聖性」を持っている。ヨーロッパにおいて聖母子像が盛んに描かれていることはそれを象徴しているのである。
 すなわち、学校という場において、文化の伝達が行われているということは、ある種の「聖性」がそこに存在しているということなのである。それは儀式的であり、毎日何回も行われる授業は、小さなイニシエーションであり、生徒は一時間の授業を受けるたびに、少しずつ別の人間に変容していくのである。
 このように、直接生産関係に関連していない点と、文化の伝達という「聖性」が、学校を一般社会とは違った空間に仕立て上げていると私は考えている。
 蛇足になるかもしれないが、他に「聖性」を持っている場所や人はどのようなものがあるかと考えてみたい。宗教施設のような過去から続く場以外で、近代になって創出されたものでいえば、国の権力の中心である国会をはじめとした、各地方議会の場。ここでは社会の動く方向が決定される、「聖性」を持った場である。また、法廷などもその一つであろう。一方、警察官、医者、看護士、弁護士など、「先生」と呼ばれる職業に就く人間は、「聖性」を帯びる。いずれも生産関係に直接関与しない職業である。ひとつ付け加えれば、「聖性」は、いつ何時「賎性」に転換するかわからない存在だ。「聖」はあっという間に「賎」に変わることがあるのである。もちろんその逆も当然ある。中世の日本史学における最近の研究はそれを示している。
 最近では、学校は市民社会と同様な「場」であるべきだという議論が強まってきているように感じる。それは、一般社会側からも、また、学校側からもである。一般社会からは、学校はもっと開かれた「場」であるべきだとし、公園や街角のように誰でもが出入りすることが自由であるべきだとする意見が強くなってきている。また、小学校からの英語教育の導入に見られるように、産業社会に直接的に有用な知識、情報を、より多く学ばせるべきだとの声も大きい。すぐにお金に結びつくような教育である。
 一方、学校側からは、民間人の校長登用であるとか、処罰を、校内の規定よりも一般社会のそれにあわせていくこと、また、何かあったときには、すぐに警察と連携するべきであるという意見である。
 しかし、いくら学校を一般社会に近づけようとしても、学校の持つ機能が変わらない限り、「聖性」は薄まることはあれ、消えることはないのである。


四  教師の「聖性」


 教師は「聖職」だといわれる。聖なる空間で、文化の伝達という聖性を持つ行いをしているのであるから、それも当然である。その行いは、生産関係とは大きく離れている。
 古代ローマでは、強力な指導者であったユリウス・カエサルは、ローマ社会の発展のために、教師と医者にはローマ市民権を与えたという。中国においても、春秋・戦国時代には様々な学派のことを指す諸子百家が現れ、権力者たちに多く登用され、また、彼らは多くの弟子を育てた。学者、教師は文化の創造者であり、伝達者であるがため、古代より、尊重されてきたのは洋の東西を問わない。
 「聖性」を持つがゆえに、一度不祥事があれば、一般市民と違って、マスメディアなどに大きく取り上げられるのは、警察官や医者などと同様である。マスメディアの発達により、教師の不祥事が報道されることがない日はないくらい、日々教師のスキャンダルが報じられている。これだけ、一般市民に教師の問題が報じられれば、保護者も生徒も教師に対して不信感を持つ場合もあるだろうし、教師の権威も失墜してきている。
 戦前の日本では、小さな村などでは、警察署の署長と小学校の校長が村の名士であり、村人たちに尊重されていたという。彼らは村落共同体に現れた、近代を体現する人だったのである。そして、いずれも「聖性」を持つ人々である。第二次大戦後、都市の拡大、村落共同体の解体が進む一方、教育の大衆化が進み、小学校の校長も、警察署の署長も、ありふれた存在となり、共同体の中で特段の尊敬を受けることはなくなった。あえていえば、組織の中でだけ権威を保っていると言えるかもしれない。大きな尊敬の目で見られなくなった校長、教師は、その分行動も自由になる。注目を浴びなくなったからである。不祥事が多くなった理由のひとつはここにあると考えている。
 サラリーマン化し、小市民である現在の教師たちも、ひとたび教壇に立つと、何者かが憑依したかのように聖性を帯びる。文化の伝達が、生殖行為と同等の価値を持つと、彼らは無意識ながらも考えているのである。そのとき教室(教室だけでなく体育館や様々な場所において)は性行為を行う部屋のように厳かな雰囲気に包まれ、教師たちは人類史上の重要な文化伝達の儀式を行う。世界中の学校においてこの伝達式は無数に行われているのである。
 なぜ教師は憑依するのか。なぜ教師はシャーマンと化すのか。当たり前のことだが、教師は一個人の持つ文化を生徒たちに伝えるわけではない。彼らが属する社会の持つ文化全体を背負い、その代弁者として生徒たちに語るのである。社会の持つ文化を背負っていなければ、教師はただの裸の王様に過ぎない。生徒(保護者、社会一般も含む)が教師を尊重するとしたら、それは、その社会全体の持つ文化に対して敬意を表しているわけである。教師が教壇の上に立ち、自信を持って語ることができるのはその背景があるからこそなのである。
 古い時代に、村の長老が伝承を伝えたり、村の重要な決定を行うことができるのも、長老が村落社会全体の文化を背負っている、体現しているからだと、村人たちが合意しているからである。巫女が神託を下すのも、村人たちの大方が、巫女の社会的役割を尊重しているからで、村人たちの共通理解がなければ、巫女はただの狂人として扱われるだけなのである。
 学校が聖なる場であり、教師が聖性を帯びているとしたら、当然、その社会に属する人々のコンセンサスがなくてはならない。「場」とか「聖性」というものは、人類史上、「人間と人間の関係」が生み出すからである。なぜ人間はこのようなものを生み出したのかは、論ずるのが大変難しくなると思うので、簡単に私の考えているところを述べるてみたい。 動物はその進化の過程の中で、種の間のコミュニケーション能力を高めてきた。類人猿になると、簡単な受け継がれていく文化や、流行などが存在するという。人間にいたるとその能力がさらに発展し、他者のことを「察する」という能力がより発展してきた。相手の立場に立ってものを考える能力である。それが社会全体として機能すると、社会の雰囲気を形成する。集団ヒステリーはそれが高じた特殊な例である。ファシズムなど、個よりもむしろ集団に埋没することを、時として人間が選ぶということを、エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』によって明らかにした。
 また、精神分析家のユングは、集団的無意識、というものを想定することによって、社会の持つ文化性が、個々に分有されている可能性について言及している。
 いずれにしても、これらの傾向は、生物学的に人類が「察する」というコミュニケーション能力を高めてきたからに相違ない。
 付け加えれば、ひとつひとつの学校にも独自の文化性があることに、私は何校かの学校を勤務することによって感じた。そこでは、教師も生徒も入れ替わりながらも、なかなか変わらないその学校の伝統、文化性が存在するのである。
 教室にも様々な共通意識のようなものがある。それは特に「空気」とも表現される。「しらけた空気」。「だらけた空気」。「張りつめた空気」「真面目で堅い空気」などである。それらを生み出すのは、教室を支配する権力者であることが多い。それが教師であることが最も多いのだが、同じくらい教室内でヘゲモニーを取る小集団であることがある。教師はその小集団との交渉に特に気を遣うわけである。


五  教師は裸の王様


 「聖性」を帯びているということは、一転してその座を追われて転落することがある。そうなったときの教師はまさに「裸の王様」である。
 3年B組金八先生、というテレビ番組がある。最初のシリーズが始まってから25年という長寿番組で、学校という場、子どもの作り出すドラマが、いまだ人々の関心を集めていることを指し示している。私が中学生の時に始まったこのドラマは、私が生徒という立場からしても、現実の学校とは異なる感じを持っていた。これは当然で、視聴者が面白く感じるように作られた、架空の話であるからだ。
 しかし教師になってからは、また違った角度から、このドラマの奇妙な点に気がつくことになった。代表的な例として、金八先生が教室で話をしているとき、生徒たちは全員顔を上げて、おしゃべりをすることもせず、居眠りもせず、先生の顔を注視している。このことは、生徒たちが先生の「聖性」または権威を認めて、それに従っている姿をあらわしている。
 このようなことは現実の学校ではあり得ない。何人かの生徒は顔を上げて聞くだろう。しかし、多くのケースで、生徒は後ろを向いてしゃべり出すものがあれば、下を向いてしまう。だから教師はまず、自分の声が全体に伝わるように私語をやめさせる。顔を上げさせることまで強制することはまずない。しかし金八先生の場合は、私語を注意することなく生徒たちは自然と話を聞く姿勢をとるのである。
 ところが、二〇〇四年に始まった金八先生のシリーズの初回で、やっと現場に流れるものと同じ雰囲気がある場面が放映された。その場面は、金八先生が話をしている最中に、生徒たちは後ろを向いて私語をするものがいたり、さらに金八先生の態度が高圧的だとして、半数ほどの生徒が話を聞くことを拒否して教室を出てしまうのである。そこでは生徒たちが教師に対して心が向いていて、それに反発している姿ではなく、ただ、うざったいから外へ出て行くのである。この場面では教師と生徒の間に、「聖性」を持つ関係が成立していない。生徒は完全に教師の権威性を否定しているのである。
 このような姿は、教師のやり方に反発して真正面からぶつかってくる生徒の場合とは、根本的に異なる。このような場面の教師はまさに「裸の王様」でありみじめである。
 金八先生というドラマも二五年たってようやく現実をあらわにし、予定調和的な「聖性」の表現、そして多くの人々が理想とする教師と生徒のあり方を表現することをあきらめて、根本的な教師と生徒の関係性について扱うことにしたのかと、私は感慨を持ったと同時に、牧歌的な学校の姿がいよいよテレビからも消えてしまったかと思うと、寂しい思いにとらわれた。
 大半の生徒が教室から出て行ってしまうということは、現実の学校ではあまりあることではない。あるとしたら、教室でじっと座っていられない少数の生徒たちが集団を形成し、校内をうろうろするということはある。こういった現象は中学校でよく見られるが、今の学校現場の重要な現象であると考えるので後述したい。
 教師のいうことを生徒は聞くものである、という前提は今の学校現場では少しずつ崩れてきている。よく言われることだが、かつて生徒の保護者は子どもたちに、学校に行ったら先生のいうことをよく聞くように、と話していた。それは生徒の保護者たちが教師の聖性を重視していたからに相違ない。しかし保護者たちの高学歴化が進み、教師に対して絶対化した見方から、相対化した見方に変わっていった。教師と保護者が同じ地平に立つようになってきたのである。さらに、マスメディアの学校に関する報道は、その権威をおとしめるように働いていった。また、近代市民社会が成熟していく中で、個々人は消費社会の主体として独自の力を有していくようになってきた。このパワーがまた、教師の権威性を低めていったのである。
 第二次世界大戦後、このような現象はいつ頃から起き始めてきたのであろうか。ひとつのターニングポイントは、一九六〇年代から七〇年にかけての大学紛争である。このとき、象牙の塔として、独自の権威を保っていた大学や大学の教師たちが、学生たちによって権威をおとしめられることになった。そこには政治的な信念で行動に走ったものもいたが、そのようなある意味で良心的な学生は少なく、一般的にはおもしろ半分、または、開放区に象徴されるように、祝祭的空間に興奮するからという理由で、学生運動に参加するものが多くいたに相違ない。また、そのどちらとも言えず、両者が心の中に混在していたものも多かったとも言える。
 こうした大学での動きは、高校の進学率が九〇%を超えてきた70年代半ばになって、高校や中学に、別の形を取って下降してきた。一九八〇年前後の、特に中学校における校内暴力である。ここでは大人の作り上げた権威を軽く見て、もてあそぶ傾向がよく見られた。弱い、年配の教師や女性の教師がからかわれ、肉体的に屈強な体育教師や、男性教師に男子生徒が挑戦するというゲームが頻繁に見られたのである。
 私が見聞きした中では、校内暴力の通報に駆けつけたパトカーをひっくり返してしまったという例があった。これはまさに社会や大人の権威をひっくり返そうという、象徴的な行為であった。このようにパンドラの箱が開かれてしまったとき、学校現場には、力のみがその場を支配するという殺伐とした光景が現れたのである。
 校内暴力を沈静化するのに、学校側は体力のある体育系の教師を導入することによって行ったというケースがよく見られたのである。発展途上国に見られる軍部の強制鎮圧に似た部分がある。しかし、生徒たちはこの暴力にしか反応しなかったのである。これは、人間に対する見方について再考を促す。ルソー的な性善説、進歩主義は後退し、知識人の言う反動的な復古的なものの復活となった。ただ、建前では体罰は禁止されている。それに代替する規則を事細かく定めていったのが一九九〇年代の学校で、これにはまたマスメディアが噛みついた。校則が細かすぎるというのだ。
 教師の聖性は、暴力装置によって支えられることがはっきりしてきた。学力の低い高校では、授業ですら秩序維持の道具にされた。時間になったら教室に入り、いすに座って黒板や教師の方を向くという、基本的な動作を取らせることに、授業時間の始めにかなりの時間が費やされることになった。また、服装の規定を厳しくして、違反した生徒に何らかのペナルティーを加えた。喫煙をはじめとした問題行動に対しては処分が加えられ、累犯者には処分が重くされた。
 こうした中で九〇年代に、教師が校門を閉めた際に女子生徒を挟んで死なせてしまうという事件が起こったのである。これは、学校側が秩序維持に最も重点を置いていることの象徴的事件である。一方、二〇〇〇年代に入って、栃木の中学では、若い女性教師が生徒に刺殺されるという事件が起こった。この両者の死は、学校制度維持のための人身御供に供されたとも解釈できる残念な出来事であった。
 私が教壇に立つとき、生徒に対して強制力を働かせようと試みることがある。例えば、宿題としてレポートを提出しなさい、とか、授業中の私語をやめさせるとか、居眠りしている生徒を起こしたりとかである。こういうとき、私は何の権限があって、生徒に命ずることができるかということを考えさせられることが時々ある。
 権力の正当性がなければこれらの行為は認められない。私は公立高校の教師であるから、県民に選ばれた知事の任命によって教職に就き、学校教育法などの教育法の体系の枠内で活動していると言える。公的にいえば以上のようになる。しかし、その法体系は、授業中の教師の行動を事細かに定めているわけではない。その場その場で臨機応変に行動していくのである。そのときの行動基準にはまず、勤務する学校の規則体系に従う。しかしそれでも裁量が許されるときは、学校に漂う「空気」のようなものに従うのである。従って、ある学校では、こういう場面ではああしたけれども、違う学校では別の対応を取るということがあるのだ。例えば、学力レベルが比較的高い学校では、おしゃべりのみならず、居眠りまでも注意する。学力が低くなってくると、おしゃべりは注意するが、居眠りは許容する。さらに学校そのものの秩序がままならないような学校では、授業時間に教室に入っていればよしとする場合もある。このように臨機応変に対応しないと、「空気が読めない」教師として、生徒からは当然として、教師集団からも「浮いて」しまうのである。そうなったとき教師はある種の正当性を失って、「裸の王様」になってしまう。
 おそらく、近代的学校が始まってから、今から五〇年くらい前までは、教師の権力の正当性に疑問を持つ教師は少なかったことだろう。しかし、今や、日々その正当性、権力の範囲を意識しながら生徒の指導に当たらなければならなくなってきている。ここまでならできるが、これ以上は危険だ、などと、絶えず意識を払わなければならない。
 「空気」は、受け持っているクラスによっても違ってくる。特に担任などをしていると、そのクラスの成員たちの作り上げる「空気」によって教師の行動基準も自ずから変わってくる。しかしあまりにも生徒の「空気」ばかりに気を取られていては、目指す空間は作り上げることができない。目指す空間とは、清潔で秩序があり、授業が整然と行われる空間である。また、クラス内の人間関係にいじめなど、ぎすぎすしたものがないようにする必要がある。安全で、安心して生活を送ることのできる空間である。そのためには、個々の生徒が、学校という場の規律に従って行動するように促す必要がある。しかし、生徒の中には、学校と家とを区別して行動できなくなってきているものもいる。学校が特別な「場」になっていないのである。そしてそのような生徒が少しずつ増えているような気もする。各個人の欲望がそれぞれ押さえきれなくて、教室という場においても噴出してしまうのである。このような生徒にとって、教師の「聖性」などお構いなしであり、教師は自分と同じ土俵に立つ一個の人間となるのである。そのとき教師は権力の衣をはぎ取られて、生身の人間同士の対決を強いられるのである。
 時には、生身の人間同士の対決、相克が必要な場面がある。その姿に生徒が、教師の別の側面を嗅ぎとって、よい効果を持つことがある。しかしこの方法は伝家の宝刀である。いつも権力の衣(仮面)を脱いでいるわけにはいかない。それでも教師の権力性に挑戦してくる生徒は多いのである。

六 教師と生徒は対等か

 生徒も教師も一個の人間であり、自由で平等である。という考え方は、ヨーロッパに始まる基本的人権思想に由来する。この考え方は、小学校の社会の時間から教えられ、生徒たち、また保護者はこの考え方を根強く信じている。また、教師の中でもこう考えて、生徒と教師は対等であると説く人が存在する。そのような教師は一般的に進歩的な教師であることが多い。「対等」ということの解釈の問題もあるが、何から何まで平等というというのは、学校の中の生徒と教師の役割分担からして明らかに間違っている。教師は生徒に対して文化を伝授する立場であり、生徒は文化を受ける立場である。
 また、教師は生徒を評価する。これもまた生徒と教師が明らかに異なる地平に立つ原因となっている。「評価」なくして教育が成り立つかどうかは、近年始められた「絶対評価」とあわせて考えても難しい問題だ。学校での「評価」が即、その人間の「評価」にはつながらないことは、多くの人々は漠然と理解はしているものの、いざ評価されてみると、案外嫌な思いをすることが多いのである。教師も近年勤務評定などを通じて「評価」され、それが給与に反映され始めてきた。聖なる場においての市場原理の導入は、混乱をもたらすであろうことは予想される。
 「対等」であると仮定した場合、何が対等たらしめているかという問題が出てくる。ヨーロッパにおいては人間の上に「神」が君臨し「神の前での平等」という構造がある。福沢諭吉は日本に人権思想を日本に紹介する際に、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と述べ、「天」というものを仮定して人間の平等を説いたのであった。ただ、日本には明確な一神教の神が存在しない。このことは、人権と個性に関する考え方に大きな影響を与えていると考えられる。
 「場」が成立するためには、線では成立しない。多重構造が必要なのである。従って、少なくとも学校という「場」においては、役割分担の上に置いて上下関係が存在すると考えられるのである。ただ、教師が家に帰って、学校という「場」を離れてしまえば、生徒も教師も違った「場」の中に存在することになる。このときにはまた別の関係が立ち現れる。生徒が、教師の私生活に興味を持ったり、小学校生などが、担任教師の家に行きたがるのは、教師の多面性に興味を引かれるからである。
 学校以外の場においても、役割分担は明確である。会社であれば、社長が最高意志決定者であり、各部門には課長や係長が存在するのだ。
 ところが、学校という場になると、ルソー的な原則論が顔を出す。それはおそらく、学校がアジールであることと関連するでのあろう。この場は一般社会の有縁関係とは切り離されているように感じられるからである。この点が、学校の持つ特殊性であり、人々を様々な迷路に導くのである。
 学校の「場」において対等を主張する教師を今まで見てきた。しかし彼らは生徒を評価し、処分を加える会議に参加し、授業においては教室の中に入り、椅子に座って授業を聞くことを強制していた。また、教える内容も自らが決定する。このような事実をさしおいて彼らは対等だと主張するのである。どうも矛盾があるように思えてならない。こうした教師は、学校の場において責任を持って役割を果たすことに、無意識的かもしれないが、躊躇しているようにも思える。また、人類史が課す、「文化」の伝達という責務に重圧を感じているようにも見える。

七 舞台としての学校

 このように、学校という場は、教師、生徒がそれぞれの役割を意識して演じる場である。すなわち演劇における舞台のようなものである。校長は校長らしく演じ、教頭は教頭らしく演じる。学年主任は学年主任らしく演じる。ふつうの教師は、教師らしく演じる。生徒も生徒という役割を演じる。彼らはいわば素の自分というものに仮面をかぶって、学校の門をくぐるのだ。こうしてそれぞれが役割を演じたときに、予定調和的に学校という場が成立し、その「場」は安定する。
 このように役割を演じるのは、もちろん学校だけではなく、社会全般で行われていることである。企業においては社長は社長として、課長は課長として演じる。家族においては父親は父親として、母親は母親として演じる。牧師は牧師として、警察官は警察官として。こうして社会は安定する。一人でいくつかの仮面を持つことも当然ある。学校では教師として、家では母親としてといったような場合だ。シェークスピアにいわせれば、人生は舞台であるという。
 問題は台本がないということだ。台本は自分で考えて行動することになる。教師であれば、先輩の姿や、自分が学校に通っていた頃の教師の姿を手本に、自分なりの台本を考える。生徒は、周りの他の生徒たちの姿を見ながら、自分の台本を書き上げる。
 したがって、学校という場で、仮面をはいで元々の自分をさらけ出す人が増えてくると、学校は不安定になってくる。ところが、戦後民主主義の中で、もともとの自分をさらけ出すことが、良いことであるという風潮がある。教師もそういった傾向があるが、生徒の方が、自分のエゴイズムを前面に出して、仮面をかぶることを放棄するような傾向があるようにみえる。こういった生徒が増えると、教室の予定調和の世界は崩壊し、俗に言う学級崩壊、荒れた学校が発生する。

八 教師が演じること

 私は二十数年の間、知らず知らずに、または意識して演技力を身につけてきた。教壇に立ったときの立ち居振る舞い。生徒が良い行いをしたときに褒めること。そして最もエネルギーを使うのが、叱ったり怒ったりすることである。このときあまりにも感情をあらわにしてはいけない。感情を抑制した状態で大声をだしたり、机をたたいたりする。集会の場や、ホームルームなどで重要な伝達事項があるとき、集団の前で大声を上げることがある。大声を出すと、その後しばらく心臓の鼓動が早くなる。しかし一方で、役割を演じきった恍惚感を得ることもある。大声を出すことは、その「場」において教師は誰で、生徒は誰かという役割の再確認を促すことであり、その「場」において、生徒の演技の仕方を確認させるという要素が強い。
 個々人を叱るときは最も注意を要する。基本的に個人を叱るときには、個別に呼んで、集団の前で叱ることは避けた方がよい。一対一になって叱るときはある面でお互いが仮面を取って、素の人間として対峙することになる。そのとき教師としての役割を演じきるには、個人の考えを全面に出すよりも、社会の常識を背負って話をすることになる。こうすると生徒は案外素直に聞くことが多い。
 時には集団の前で個人を叱ることがある。これは諸刃の剣である。この場合、叱られた生徒をターゲットにしていることはほとんどない。集団の前で叱られた生徒は、メンツを失い、ふてくされて逆効果になる場合が多いからだ。しかし、集団にとってそれが効果を上げる場合がある。集団の秩序安定のためのスケープゴートにするためだ。だから、叱られる個人にとってのマイナスと、集団にとってのプラスを天秤にかけることになる。
 しかし、教師がどうしてもその役割を演じきれないこともある。そのようなことは近年増えてきているような気がする。例えば、校舎の裏でタバコを吸っている場面を発見したとき、教師はその生徒を確保しようと追いかける。すると生徒は猛烈な勢いで逃げるか、または開き直って、吸っていないと強情を張ることがある。また、学校の場のどこかで教師が授業に出ていないでぶらぶらしている生徒を注意すると、開き直って、個人の自由じゃないかと反発してくることもある。授業中、何回注意しても携帯電話をいじっている生徒に対して、電話を取り上げたり、げんこつをくれたりした場合、どうして取り上げられなければならないんだとか、何で殴られなければならないんだとか、反発してくる場合などである。こういったケースは近年の学校ではほぼ毎日繰り返されている。こうしたときに、生徒と教師が、仮面を脱ぎ捨てて丸裸で対決する、いわば場外乱闘のようなことがおこる。こうした場面は教師にとって辛い。予定調和が成り立たないからである。しかし、この対決の場で教師はひるんではいけない。意識のどこかにあくまで教師であるという役割分担を忘れることなく、生徒に迫っていく必要がある。そうすると生徒は教師の迫力に押されて態度を軟化させる場合がある。あくまでそれは、生徒が教師に決定的な危害を加えない場面であるという前提のもとである。けがをしたり、命を落としたりする教師もまれに見られるが、そこまでは対決する必要もない。冷静に状況判断をする必要がある。したがって、教師は反射神経が機敏であった方がよい。そしてどういう場面ではどういう風に演じるかといったことを、前もって決めておく必要がある。それは、経験がもたらす場合もあり、また、特に教師の権力基盤について理論武装しておく必要がある。しかし素の人間同士が向かい合ったとき、生徒に無理矢理生徒を演じさせようとすると失敗することがある。緩やかに、生徒を生徒の役割に導くように、場所を変えて指導室に連れて行くとか、保護者や、その生徒の担任教師を呼ぶなどして、場の力関係を変えることが望ましい。学校内においても、それぞれの場所に働く「場」の力学が異なるからである。
 このように、近年は生徒と教師の力学が変化し、学校という舞台が質的に変化してきている。それは舞台を囲む観衆であるところの、保護者であり、一般社会の変化がもたらしていることでもある。教師の役割分担を社会が支えなくなりつつあることが、教師を裸の王様に変えつつある。学級崩壊しているクラスの教師などはその象徴だ。しかもそういった教師は、長らく教職に就いていたベテランであることが結構ある。若い教師ならともかく、ベテランがこのような状況に陥っているということは、生徒というキャストが変質してきているということを表している。
 こうして、役割分担による予定調和的な世界が崩壊すると、そこには力のみが支配するという殺伐とした状況が残される。学校という場に収まりきれない生徒たちに対して、教師は力による排除をちらつかせて、従わせようとする。高校においてはそれは退学処分であり、社会全体でいえば法的処分である。学校でエゴイスムをまき散らして好きなように振る舞っていた生徒たちも、暴走族や暴力団といった力によって構成される組織や、警察に対しては畏怖の感を持つ。そして、鑑別所や少年院に行くことを恐れる。しかし、たいした力を持たない教師集団に対しては、体育教師など、肉体的に強い教師をのぞいては、畏怖の感情はほとんど持ち合わせないのである。

九 記号としての服装

 演劇において衣装は、役者の振るまいと同様に重要な要素である。同様に、社会全体においても服装の果たす役割は大きい。葬式など儀式の場。仕事の場において。また、服装がその人物の仕事をそのまま示すことも多い。看護士や警官などである。
 仮に私服であっても、その服装がその人物がどのような人物であるかを示す。これは、人間が、社会的な記号の体系の中で、自らがどのような場所に位置しているかを服装によって示すのである。または、その人物のアイデンティティーが何であるかを、無意識のうちに表出するのである。欧米であればブルーカラーとホワイトカラーの間の境界はかなり強い。服装によってその人物の階級でさえも読み取ることができる。
 「服装の乱れは心の乱れ」という言葉は学校で古くから使われる。近代的な進歩人は、服装と内心にどういった因果関係があるかを指摘する。しかし私の経験上、不思議なことに、精神的な混乱はほとんどの場合服装に現れてくるのである。生徒の場合だけではなく、私自身にもこれは当てはまる。
 これは無意識の力動構造を研究していかなければ、正確なことは言えないが、経験的に、生徒たちの服装の変化は、何らかの心理的な変化を表している。服装の変化は大きくいって二つのものが変化していることを指し示している。
 一つは、集団の中で特別な個人にだけ服装の変化が見られるときである。この場合、その個人に何らかのアイデンティティーの混乱が生じていると考えられる。
 もう一つのケースは、集団そのものの服装が変化していったときである。このケースは社会全体の服装という記号に対する認識が変化した場合と、社会全体の服装認識が変わらなくて、ある特定の小集団の服装に変化が生じたときである。
 学校で問題にされるのは、個人の変化と、小集団の変化である。特に、小集団の変化には神経をとぎすます必要がある。個人の変化であれば、それは一対一で個別に対応すべきである。ほとんどの場合、この個人を支える、家族のアイデンティティーの崩壊が原因であることが多い。一方、小集団、すなわち学校という集団において全体として服装に変化が生じてきた場合、その学校という集団のアイデンティティーに変化が見られてきたことを示す。そして特に、生徒たちが自分たちの服装によって、自らが生徒であるということを指し示すことをしなくなってきた場合、その学校は安定性を失い、学校そのものの崩壊にいたる危険を生み出してしまうのである。
 すなわち、服装というものは、生徒を生徒たらしめる記号なのである。
 アメリカではクリントン政権において、学校への制服の導入が検討された。それは、制服のある学校が、ない学校に比べて秩序が保たれているからだそうである。これは当然で、制服を着させることによって、逆に生徒たちに、自らの生徒としてのアイデンティティーを強めさせることになるからである。だから、生徒たちは生徒らしく演ずるようになるのである。
 一方、フランスにおいては、宗教的なシンボルを目立つように身につけてはならないという法律が施行され、二〇〇四年現在で、六人もの公立学校の生徒が放校処分にされたという。詳しい状況はわからないが、おそらくフランス社会の同質性を保たせようという目的だろう。
 いずれにせよ、服装や髪型、入れ墨など他者の目につくものが、なにがしかのメッセージを持ち、人間の集団はそれを規制しようとする場合があるということである。そのことは、社会という舞台においては、予定調和的な役割分担を、暗黙のうちに、個人に対して求めているということである。
 
十 学校における服装

 学校の教師にとって、服装の指導というものほど嫌なものはない。なぜなら、生徒に対して、生徒を演じてくれと、直接に訴えかけることになるからだ。牧歌的な感覚からいえば、生徒は生徒を演じ、教師は教師を気持ちよく演じられる状況が理想で、いちいち生徒に対して、役割の演じ方を指導するということは、舞台裏の混乱を示すことなのである。 しかし今や、日本の学校では、一部の学力レベルの高い学校をのぞいては、生徒に演技指導をすることから始めなくてはならない。私の勤めてきた学校においては全て服装指導というものがあった。そしてこれに対して、授業に注ぐエネルギーと同等か、またはそれ以上の力を注がなくてはならない場合があった。
 服装指導の重要性はほとんどの教師が認識していた。一部の「進歩的」教師は、服装指導は「内心の自由」に対する干渉であるとして、反対するものもいた。服装は自らのアイデンティティーを表現する手段であるから、その手段が奪われるのだから、「内心の自由」に対する干渉だとするのも理由がある。しかし、学校という場は、生徒たちに生徒という役割を放棄させることは認められないのである。
 一方でこういう議論も学校では時折耳にする。服装というのは、あくまで表層的なものであって、個人の内心とは無関係なものである。したがって服装の規制は個人の人格までも否定するものではないと。しかし私はこれにはあまり同調することができない。服装は個人の人格を形成するひとつの重要な要素だと見るからである。
 そうすると、服装の規制は個人の人格にまで介入した、かなり高圧的な指導ということになる。このことは近代の個人主義や人権の考え方と相矛盾することになる。ここが教師を悩ますことになる。近代的な学校というものは、近代ヨーロッパの人権思想とパラレルなものとして存在してきたからである。私はこの矛盾を、辻褄の合うように整理することを急ぐ必要はないと考える。
 私は教師になったばかりの頃には、この矛盾に対して悩むことがあった。というのは人権という考え方を、ある意味絶対化して考えていたからである。私は近代主義の信者でもあった。そしてこのころから、人権というものについて、より相対化して考えるようになっていったのである。それは人権思想の起源に立ち返って考えてみることであり、人権は全てではなくひとつの部分ではないかという考えである。また、集団(社会)と個人のあり方についてでもあった。
 個人の人権を規制するためには、「公共の福祉」というものの存在が必要である。個人の人権と公共の福祉を天秤にかけるわけだが、服装の規制が公共の福祉に当たるのかどうかは微妙である。しかし、教師たちは直感的に、服装の規制を重視しなければ、学校の秩序という根本が揺らいでしまうという風に考えているのである。
 服装の統一性が取れていない学校というのは校内の秩序が乱れていることが多いが、そういう学校の背景として次の三つの可能性がある。
 ひとつは中学校などに多いが、その学校の地域が貧しいとか、治安が悪いといった場合である。この場合教師は普通に服装の指導をしているものとする。
 次に、地域性に問題がなければ、教師の指導体制に問題がある場合である。この場合、リーダーである校長があまり服装に興味を持っていない場合や、いわいる「進歩的」教師が校内に多くいて、服装指導をあまりしない場合である。さらに場合によってはこのような「進歩的」教師が密かに、場合によっては大ぴらに生徒たちにアジテーションし、服装指導の無意味さを訴えたりする場合である。最近はこうした例は少なくなっているとは思うが、教師集団にある程度の統一性が取れていないと、生徒たちは混乱するし、一般的に生徒たちは、自らの人格に介入される服装指導を好むことは少ないのであるから、決壊した堤防のように、「進歩的」教師のクラスや授業から、生徒たちの服装は学校の基準から離れていくのである。そしてまた、それは服装だけにとどまらず、学校の無秩序さにつながっていくのである。
 三番目に、学力の低い高等学校の場合である。生徒たちは、高校入試というもので選別され、学力の低い生徒たちは、低いレベルの学校へ行かざるを得なくなる。ここでは、服装に限らず様々な問題が凝縮されている。マスメディアはこのような学校の問題について触れないか、もしくはその学校で行われている強権的な指導法については報じることはある。または、薬物の事件などが起こった場合である。実はこれらは、こういった学校の抱える表面的な出来事に過ぎなくて、社会全体の問題を内包している。
 こういった学校でも服装の指導は必ず行われる。しかし、かなり強い指導をしている場合でも、生徒の服装は標準から大きく逸脱していく場合が多い。これは本能的に生徒たちが生徒という役割を放棄したがっているようにも見える。近代史上、学校に通いたいという欲望は全ての子どもたちが持つ共通の欲求という幻想があるが、実はそうでもないのだと、このような学校に勤務すると実感させられるのである。もともと高校に入ることにそれほどの必要性を感じていなかったり、勉強することに興味がない生徒が、最初から集まる。また、学力の高い学校の生徒に比べて、家族関係に問題を抱えていたり、貧困にあえいでいる場合も多いのである。
 こういった環境の中でも、教師たちは学校の価値を信じ、学校たらしめようと服装や頭髪の指導を行う。しかしこれは糠に釘のような状態なのが現状である。結局中途半端に終わっていくケースが多いのである。教師たちの多くはそれでも努力を続けるが、中には給料をもらえればそれでよいと考え、底辺の学校にいる何年かを(転勤がある場合)、岩陰に隠れてじっと隠れている場合もあるのである。
 このような学校では、服装指導が行われても、多少の実効性があったとしても、全体から見れば失敗に終わっている場合が多い。
 服装指導は、学校によってその方法は様々であろうが、基本的に二つのやり方がある。ひとつは、服装指導の時間を授業時間を割いたり、LHRの時間に行う場合。もう一つは、特に時間を取らず、朝のSHRや、授業時間にそれぞれの担当教員が見る場合。
 もし、服装が標準から逸脱して、それが学校の秩序、特に授業にまで影響を及ぼしている場合は、前者の方法をとるべきである。もちろん後者の、授業や休み時間などの場面において、気がついたら指導するほうがより効果的である。前者と後者を組み合わせないと行けないのは現状の高校であろう。
 ただ、服装の指導は、教師によって温度差が出やすい。ある教師の場合は学校の規定に厳密であり、ある教師はほとんど注意しない。校内で、どこまで指導の統一性が取れるかが、服装指導の成否を分ける。まずは校長のリーダーシップが求められる。中学校ではまずまず校長のリーダーシップが見られるが、高校では教師集団が実質的に方向を定め、校長はそれを追認するようになっているパターンが多い。特に服装の指導など、どうしても校長の職務としてやらなければならないものではないので、教師集団任せになってしまうことがある。そうなると、教師集団内での合意形成や、教師集団内でリーダーシップを取る教員の存在が大きくなる。教師集団の質が問われてくるのである。前述したように、服装の指導は近代史上の矛盾を抱えているので、教師間で対立を起こす原因にもなっている。秩序が大きく乱れている学校では、校内秩序を優先する指導に反対する教師はほとんどいないが、そこそこ秩序が保たれている学校では、対立を引き起こす場合が多い。

十一 教師の服装

 教師の服装はどうであろうか。私自身教師であるので、私が身につける衣装についてそんなに自信があるわけではない。ここでは、教師の服装がどうあるべきかということではなく、生態学的観点から教師の服装を眺めてみることにする。
 まず、教師の服装は教師の数だけ区分されると思うので、あえて大ざっぱに特色のあるものを取り上げてみようと思う。もちろん教師にとっても服装は、意識的にせよ無意識的にせよ、自らのアイデンティティーを他者に表明する手段になっている。
 教師に限ったことではないが、人間はおのれが所属していると考えているか、または無意識において所属している集団の価値体系にしたがって服装を選択する。制服のある職業はともかく、個人に選択を任されている場合は、結局、自らの個人の意志ではなく、何らかの価値体系によって、絡め取られていくのである。
 校長、教頭、主幹など管理職は、対外的な交渉役であることから、スーツを選択しネクタイを付ける。学校の外部に対して、自分の立場を表明するためでもあり、教師集団と生徒集団に対しても、自分がどのような位置にあるかを示すためでもある。また、彼らに憧れる、またはその立場を目指す教師たちは、スーツを着て、彼らが管理職の体系にあることを意思表示する。
 体育教師や、運動系の部活動の顧問をしている教師たちは、体育的な世界の価値体系に自らが属していることを表明する。主にスポーツ・ウェアーを身にまとう。しかも彼らの中では、高価で、そのときの最新のスタイルの着衣がより人気がある。これは、同じ体育系の集団の中で自分の存在を確認させるためでもあり、教師集団や、生徒集団に対して、体育の価値体系の中に自らが所属していることを示す。生徒たちの中で、運動の世界に身を置くものは、体育の価値体系にいる教師に憧憬の念を覚える。特に運動の世界というものは、力を象徴するものであるから、スポーツ・ウェアーを身にまとうことは、学問の世界だけではなく、力の世界でも、その教師が生徒たちに対して勝負をするのだということを表象してもいる。もっとも、小学校では、若い教師を中心にジャージを着ることがある。児童生徒と遊ぶためであり、清掃に参加するためでもある。もちろん体育の授業も受け持つからである。
 一方進歩的な教師は、地味なセーターやシャツにスラックスなどを身にまとう。彼らが表象していることは、問題は服装ではなく内心であり、理性であるということを無意識的に主張している。もちろん例外もあるのだが、この種の教師は一般的にこういった傾向が強い。彼らも彼らの価値体系の中にいることを、無意識的に服装によって示しているのである。
 中には、最新の流行ブランドの服を着て、まるでファッション雑誌から抜き出したような格好をする教師もいる。彼らは教師集団や生徒集団に対して、純粋に服飾文化の体系の中で優位性を示そうとするのである。ただ、この体系は学校の価値体系からは少し逸脱しており、一歩間違うと学校内外から批判を受けることもある。
 そしてこれらの服装が示す価値体系を上手に利用するものもいる。運動会になると、実際には運動をしないにもかかわらずスポーツ・ウェアーを着てくる校長や教師たち。保護者が学校に来るときに服装をがらりと変えるもの。わざと地味な格好をするもの。そのように自由に服飾の価値体系を泳いでいるように見えても、少し気を止めれば、このような教師のアイデンティティーや心の動きを少し感じ取れるものなのである。感じ取るのはもちろん生徒も同様なのだ。

十二 学校に流れる時間

 服装・頭髪という記号と並んで、学校というシステムが保持されるために守られなければならないのが、時間を守るということである。
 朝、定刻に生徒を全員集め、一〇分間SHRを行い、その後五〇分授業を行い、一〇分休憩し、それが繰り返される。過去の人類の歴史から見て、このように分刻みで行動しなければならないことは、いかに強迫的かがわかる。
 有史以前はおそらく、太陽が昇ってからの昼と、暗闇に支配された夜という時間があり、また、四季のはっきりしている地域では、春夏秋冬といった大ざっぱな時間が流れていたに違いない。これらを人間にとって横の時間とすれば、生まれてから成人し、老いて死んでいくまでの縦の時間がもう一方に存在していた。
 また、人間集団の作り出す祝祭的な空気の流れる時間と、一方で日常的な時間との間の区別もあったことだろう。祝祭的な時間とは、その空間ともちろん合一しているが、祭りや葬送の儀礼などに流れる時間のことである。
 農耕文明が始まって、農業に必要な暦の作成が各文明で行われた。農業生産物を主食として生存を確保するには、暦によって時間を区切ることは絶対条件だった。
 貨幣経済が進行することによって、貸し借りにおいて、期限というものが設定された。商品経済もまた独自の時間観念を生み出していったのである。
 しかし今の学校のような細かい時間区分はおそらく産業革命以来である。また、ヨーロッパ中世以来、時計というものが作られ、次第に精密になるにしたがって、細かい時間が人間にとって意識されるようになっていった。
 今やオリンピックなどでは、一〇〇分の一秒を競い、それによって収入などの生活条件が大きく変わるようになっている。
 イギリスで産業革命が始まった頃、工場が建てられて、そこで働く労働者たちを、機械を動かし始める時間定刻に集めることがなかなか難しかったそうである。そこで働く労働者たちはほとんどが農民出身であり、時間を分単位で守るという感性は全く持ち合わせていなかったのである。農民にとって時間は大ざっぱなものであっても、仕事や生活に支障がなかった。
 産業革命が進行し、人々が時計を携行するようになって、近代化した社会では時間は短く区分され、一方で太古からの自然現象と並行していた時間は少しずつ消えていった。新しい時間の観念が人々を支配し、古い時間の観念は消えてはいないが、遠くへ追いやられてしまったのである。
 近代産業社会では、一斉に仕事を開始し、決められた時間に取引や打ち合わせが行われ、決められた時間に作業が終了する。近代産業社会の要請で作られた学校というものは、当然産業社会の投影によって、時間の観念が教育される。まず、学校の教育システムが一対一の徒弟制的システムではなく、多くの人間に一斉に行われる形式であるからである。これはまさに、近代産業社会の労働者育成工場のようでもあり、近代的個人の大量生産および、選別システムのようでもある。
 こうした近代の時間の観念が誕生してまだわずか二〇〇年ほどである。人類史から見ると実験的段階のように思える。また、このような時間の体系から離脱していくものもある。昼も夜もない乳児はもちろんだが、不登校になり家に引きこもり、昼夜の逆転した生活を二〇年もの長き間続けるものもいる。引きこもりの人々の多くは昼夜逆転の生活をするのだが、このことは、昼働いてよる休むという、人類の正統な生活に対する明白な反逆であることを象徴している。引きこもりの人々の多くがそれでもなお昼の生活に戻りたいという願望を持ち、それに向けて必死に努力をしながら、果たせないでいる場合が多いのである。
 時間に対する感性は人間の数だけ存在する。リタイアした老人。幼い子どもを育てている女性。商売人。サラリーマン。受験生。病気で入院している人。様々である。ただ、学校という場は時間の観念を一方的に生徒たちに押しつけている。そしてそれに適応できるものと、そうでない一部のものとが生まれてきている。

一三 遅刻の問題

 学校において、服装・頭髪の規定を守ることよりも、時間を守ることの方がより重視されていることは、上級学校への推薦基準の中に、遅刻の回数が含まれている場合があることからもわかる。上級学校への推薦基準は他に喫煙や暴力などの処分を受けたものなどを不利に扱うこともある。
 生徒の中には、遅刻をしてきて何が悪いのかと、教師にくってかかるものもいる。その根拠は、SHRに遅れて伝達事項が聞けないことも、授業を受けられなかったことも、みな損をするのは自分だけであり、他の生徒や教員に迷惑をかけていないではないかという理屈である。このように言う時点でこの生徒は完全に近代個人主義に毒されていると思うが、重要な伝達事項であればその生徒に再度いちいち説明をしなければならないし、渡すべき書類などがあれば機会を探してその生徒に渡さなければならないわけだから、教師にとっては二度手間になり、明らかに迷惑をかけている。また、静粛なうちに進められている授業の最中にドアを開けて入ってくるのは、教師と生徒の集中力をなくしてしまうことにもなる。この程度なら迷惑をかけていないというのが、個人主義の立場からの言い分である。
 遅刻という行為を問題視するのは、何も日本だけのことではない。例えばドイツのある学校では三回理由もなく遅刻をすると退学処分にされるのだとか、アメリカなどでも遅刻する生徒に対しては、教師ではなく教頭などの管理職がその生徒に指導する。アジア文化圏の韓国においても同様で、「冬のソナタ」の女性の主人公が、高校時代に遅刻の常習犯であり、教師に指導を受けたことがユーモラスに語られていて、この主人公は明らかに遅刻することは良くないことと認識している。
 つまり、学校という近代的な装置は遅刻というものを許さないのであり、それは地域的な文化の差を超え、学校というものの独自の性格なのである。
 教師や学校システムが、生徒の遅刻を恐れるのは、個々の生徒が遅刻したら困るだろうという善意から来ているものではない。生徒に遅刻はいけないと説諭するときには、このような論法を使うかもしれないが、実際のところ、一人二人が遅刻してきても、学校システムにとって痛くもかゆくもないのである。しかし、この一人二人を許すことによって、蟻の一穴のように、なだれを打って多くの生徒が遅刻を始めてしまうと、学校の機能が停止してしまうのである。このことが第一点である。
 もう一つは、学校の持つ「価値」の体系が軽く見られてしまうことに対する恐怖である。このことの方が教師や学校システムにとっては大きい。生徒と教師、および社会一般のある意味で幻想が作り上げている学校システムに、疑念が差し挟まれることは、学校にとって禁忌なのである。遅刻ひとつが許されてしまうことにより、教師の言うことを生徒が聞かなくなっていく恐れがあるのである。そうなったとき、そこには無秩序が支配するようになる。たかだか遅刻といえないのである。
 神戸で起こった、女子生徒の校門での圧死事件はこのような心理的背景があったと思われる。担当の教師はの命よりもむしろ学校の秩序を、無意識に優先してしまったのではないか。つまり、この教師の頭の中には、常に学校の体系の維持しかなかった。揺るがせられない、守るべき価値だったのである。痛ましいこの事件は、現在の近代的においてはどこにでも起こりえる可能性があると思う。私自身がこのような事件を起こしていてもおかしくないと、当時そのニュースを聞いて思ったものである。
 
一四 細かい時間の断片

 学校生活はかなり細かく時間的な区分がなされている。そしてそれぞれの始まりの時間は、学校という体系にとって極めて重要である。始まりの時間は基本的にチャイムによって分かたれている。
 この細切れにされた時間は、それぞれ色を持っている。授業中、休み時間、昼休み、放課後、集会、などである。休み時間と授業中の時間と空間、すなわち「場」が、明確に異なっていることが、学校にとって重要である。授業中は緊張感があり、教師も生徒も集中力を保つことができるような雰囲気が維持されなければならない。一方で、休み時間はリラックスして、身体と脳を休ませ、次の授業に活力をもたらすような時間である必要がある。したがって、その二つの間の時間を区切る一瞬は重要視される必要がある。
 私は、チャイムの音を聞くと心臓の鼓動が早くなることがある。長年教師をやってきた中で体に染みついてしまった習性のようなものかもしれない。この音を聞くと、緊張感が高まり、体内にアドレナリンの放出量が多くなるように感じられるのである。
 この、「場」の転換がうまくいっていない学校は荒れている場合が多い。休み時間と授業中の「場」の色彩に差がない場合である。生徒たちも、教師も休み時間も授業中も、意識してや、または無意識の上で変化を感じない場合である。このような状態になっている場合の原因としては、教師にその原因が帰される場合と、生徒集団の質に関わる場合と二種類あるだろう。
 前者は教師たちの時間に関する、または「場」に対する意識が乏しく、授業時間になっても教室に向かわず、授業を始めなかったり、授業を始めても緊張感に乏しかったりするような場合、生徒たちは敏感にそれを察知して、ますます「場」の聖性が失われるのである。
 一方、教師たちには時間に関する感性があっても、生徒たちにそれが乏しい場合は、先ほどの服装の場合と同じように、生徒が学校の価値体系を軽く感じるか、またはそれを無意識的に拒否するような場合である。小中学校では、一部の学校の価値体系になじめない子どもたちが集団を作って、休み時間も授業中も関係なく校内をうろついてしまい、それが人間の察する能力によって他の生徒に拡大していき、いわいる学級崩壊を起こすような場合がある。
 高校では、やはり学力の低いところでは、学校の価値体系になじめない生徒が多く、授業中と休み時間の区別が曖昧になりやすい。
 このような学校では時間を守らせる指導に力を入れることになる。それが全体の秩序に直結するからである。
 例えば、修学旅行に出かけていくような場合、駅に集合する時間から、自由行動でホテルに帰着する時間、また、朝、食堂に集合する時間まで、ありとあらゆる時間にチェックポイントをもうけ、その時間に間に合わなかった生徒に対し何らかのペナルティーを加える指導をする。私の経験では、集合場所の公園や、ホテルなど学校を離れた公共の場で、遅れた生徒を正座させるなどの罰を加えたことを覚えている。学校の固有の世界の関係を、一般社会に露出することに、私の心の中に恥ずかしい思いも生じたが、一方で、こうしていかないと、修学旅行が円滑に進まないだろうという危機感を感じた。また、旅行中のこととはいえ、ここで時間に関する規律ををゆるめてしまうと、それが帰った後の学校にも直接影響すると言うことを直感的にわかっていたからである。
 私が教師仲間から聞いた話だが、ある荒れ果てた低学力校で、その現状を打破しようと、まず授業が始まるときに、教師がチャイムが鳴る前に教室に行き、生徒を教室に入れる指導をしてから授業を行うようになったところ、学校全体が徐々に落ち着いていったところがあるという。これは教師にとって大変な労力がかかる指導である。教師は一般的にチャイムが鳴ってから職員室の椅子を立ち、教室に向かうという行動パターンを取っている場合が多い。教師も休み時間を長く取りたいし、時間いっぱい授業をやりたくないわけである。大学の教師になると、始まってから一〇分後に教室に入り、終わる一〇分前には講義を終了してしまう場合がある。
 このような指導は教師の身体をまず鍛えることになる。私もここ何年かはチャイムが鳴る前に教室に入るようにしているが、この習慣を身につけるのには精神的な苦痛が当初あったものである。
 一見些末なことのようだが、遅刻をどの時点で認定するかが議論になることがある。チャイムが鳴り始めたときなのか、チャイムが鳴り終わってからなのか、または、教師が生徒の出席を取っているとき、該当生徒が呼名される前に教室に入ってくればよいのか。このことは学校によっては制度化されているところがあるが少数である。多くの学校では、個々の教師の判断に任されている。ベテラン教師は、長年やってきた方法を急には変えられないので、教師集団がチャイムが鳴り始めた時点で切って欲しいと決めても、なかなかそうはいかないのである。このようなことは生徒たちに不公平感を与える。あの先生のクラスでは遅刻にされたのに、別の先生は、同じ時間でセーフだったと。このあたりの統一性の取り方は、学校の課題である。なぜなら教師は、学校というシステムの構成員であると共に、一個の個人事業主としても自己を位置づけていることがあるからである。また、自己を個人事業主として位置づけることが、個性的な授業や特別活動の指導に結びついているので、機械的に統一することと、個々の教師にばらつきがあることの、それぞれのケースによって慎重に見ていく必要があるのだ。
 最近、一部の小学校でチャイムを廃止しているところがある。目的は子どもたちに自律的に時間の感覚を養ってもらうことであり、一方で教師が時間を自由に使って、長引く場合はそのまま延長して授業を続けることができるようにするためだという。
 チャイムのない学校に子どもを通わせている親から話を聞いたことがあるが、結局、学校内の秩序がゆるんでしまったとのことである。授業参観で見たようなのだが、あるクラスでは授業を行い、あるクラスでは休み時間のため、学校全体がざわざわと落ち着かなくて、ぞこに流れる時間に緊張感がなくなってしまっているのだという。結局、子どもたちの中で時間を区切るという感覚がなくなってきてしまうのだろう。また、教師の方も、五〇分なら五〇分という時間の枠がはずされてしまったために、だらだらと授業をすることになり、中身が薄くなってしまいやすいのだと思う。キャンバスという枠があるからこそ絵が描けるのであり、心理療法なども時間の制約があるからこそ治療は濃密になるのである。
 チャイムの廃止が実験的で、もしかしたら教育委員会や校長の功績になるからとして導入されたとしたら、その場の子どもたちや教師にとっては不幸なことであると考える。
 
一五 起立、礼

 日本の学校では、授業が始まる前に起立し、全体で礼を行う。この習慣はおそらく日本の他ではアジア諸国に少しあるだろうが、世界的には少数である。したがってこの風習をやめるべきであるという声が、「近代的で進歩的」な教師などから上がることがある。また、このような教師は「起立、礼」が整然と行われなくても気にならない。
 前出したように、時間を区切るということは大変重要で、授業の場合、これから文化の伝達という神聖な行為が行われるという合図になるわけである。起立、礼がない学校の場合、教師が教室に入室したときが、または、教師が何かを話し始めてからが授業の開始を示す合図になる。中には、これから授業を始めると言うことを宣言する教師もいるだろう。すなわち何らかの動作や発声が授業の開始を示すわけである。
 「起立、礼」は生徒たちが自分の席に着いていなければ行うことができないから、まずは生徒を所定の場所に着かせる効用を持つ。そして休み時間に浮き立っていた心を静め、授業を受けるだけの精神的準備をさせる効用がある。もちろん、このような特別の儀礼を差し挟むことによって、その前と後は時間ははっきりと区別される。教師が教室に入ったときに生徒が整然と着席しているということは、今の中学校、高校では一部の学校をのぞけばなかなかあり得ないのだから、この儀礼を入れることに一定の意味がある。また、日本の学校の場合、生徒は同じホームルーム教室で授業を受けることが多く、休み時間と授業中の区別がつきにくい。日本の一部の学校や、欧米の学校では、生徒が教師のいる教室にいちいち移動して授業を受けることが多いから、その移動が「場」の転換を促しているともいえる。教室移動がない場合には特にこの儀礼の持つ意味がある。
 ただ、この儀礼を行うことには難しい点もあって、儀礼をする以上その場の生徒を全員起立させそこそこきちんと礼をさせる必要がある。半分くらいの生徒しか立たないとなると、これまた学校体系への不服従という象徴的な記号と化してしまうからである。したがって、この儀礼をする以上、一定レベル以上整然と行わせる必要がある。やることが決まっているならば、教師は、きちんとできない場合、やり直しをさせるなどの努力をしなければならないのである。これは服装・頭髪の規定と同様な位置づけになる。この儀礼に参加することによって生徒は生徒の役割を演ずるという意思表明をしたことになる。
 日本の武道では、柔道も剣道も空手においても試合開始と終了時に礼の儀式を行う。また、高校野球という輸入した欧米産のスポーツの場においても、両チームがホームベースを挟んで礼を行う。
 教室の場において礼をすること、これは一体何に礼をしているのであろうか。
 まず、生徒が文化の伝達者としての教師に敬意を表していると言えるだろう。しかし教師の方も礼をするのが通例であるから、教師も文化を学ぶものとしての生徒に敬意を表明していることになる。したがって生徒は教師のみならず、共に学ぶ生徒たちに対しても敬意を払っていることになる。私はこの二つだけではないと思う。その他に学問(文化)そのものに対する敬意であり、教室という「場」に対する敬意であると考えている。これらは大きく見れば、文化の伝達という厳かな行為に対する敬意ということもできる。私は「起立、礼」の意味を毎年のはじめの頃の授業でこのように説明している。
 時には表現を変えて、「教室の神」、「学問の神」に対する敬意だよと、説明する場合もある。そしてそのまま日本や世界に存在するアニミズムについても説明する。近代の落とし子として誕生した学校という場に、アニミズム的な要素が残存していることは奇妙だし、「進歩的」教師にとって、このような非合理的な儀礼が、近代合理主義的発想にはなじまないとして、嫌悪するのではないかと思う。
 
一六 学校における合理と非合理

 「起立、礼」に限らず、学校には意外と近代合理主義からみると非合理的なものが見受けられる。
 いじめなど、あれだけ注意を促しても、全国的にマスメディアに騒がれても一向に学校現場からなくなる気配はない。また、理屈に合わないと批判を受ける校則もまた各学校に残されている。例えば、髪の毛を縛るゴムの色。ソックスの色。スカート丈の長さがセンチ単位で定められていたりと、様々である。人によっては、マラソン大会で五〇kmも走らせる学校もあり、一部からは非合理だと非難を受ける。
 私も時折生徒たちから、なぜ頭髪・服装検査をするのかやその理由について聞かれることがある。
 一方で学校側はタバコを禁止する理由について健康に害があるとか、ピアスは耳にアレルギーを起こすからといった、科学的合理的な理由を持ち出して生徒に説明する。こうなると生徒はますます合理的なものに対する信仰を深めていく。これは学校の持つジレンマである。というよりも、近代社会が持つジレンマであるといっても良いだろう。
 「ダメなものはダメ」」ということも、ときに教師にとって必要である。非合理的なものに無理矢理説明を付けようとして生徒と議論しても、近代合理主義の土俵の上で争ったら負けるわけである。だから私は、世の中には非合理的なルールはたくさんあるよ、と学校外の例を持ち出して説明したり、文化人類学的立場からや、学校という場の秩序論から「合理的」に非合理な校則について説明しようと試みる。しかし近代合理主義に凝り固まっている生徒に話が通じるわけはない。また、生徒には「進歩的」な教師という後ろ盾がある場合もある。
 ただ、そのように疑問を呈してくることは、人間の作る社会についてより幅広い見方をするための端緒になるので、教師はその教師なりの考え方をしっかり表明した方が良い。結果的にその方が、生徒はその非合理的な校則を守ってくれるようになるからである。
 学校に残る非合理性は、近代の所産である学校を揺るがし、一方で生徒に興味深い教材を与えているのである。

一七 ハレとケ

 学校に流れる時間には様々な色彩がある。学校行事は学校に流れる時間に切れ目を作り、期間を区切ることになる。これは生徒にとっても教師にとっても大切なことで、文化祭までとりあえず頑張ろうとか、修学旅行を乗り切れば生徒たちが落ち着くのではないかと教師は考える。荒れている学校の教師たちは、何とか夏休みまで辛抱しようなどとも考えるのである。
 一方生徒たちも、中には行事が嫌いな生徒もいるが、文化祭や運動会を楽しみにして無意識的に時間を区切る。
 農村の年中行事のように、学校も四月の入学式から、三月の卒業式、終業式まで月一回ほどの行事を組み込んでいることが多い。これは単調な日常生活(ケ)に、行事の日(ハレ)が組み込まれることによって、人間の社会集団を活性化し、集団の結束力を増したりするのである。
 また、ハレの日の効果はそれにとどまらない。価値体系の変換という効果がある。ハレの日、祝祭的空間が既存の社会に無秩序を呼び込むことは、古来の文化人類学や、民俗学の研究でよく明らかにされている。
 学校においてもそのような現象が見られる。普段目立たなかったり、勉強が不得意であったりする生徒が、行事に対して情熱を持って取り組んだり、運動会においてそれまで知られていなかった能力を発揮することもある。合唱際などでピアノの腕前を披露して、喝采を浴びる生徒もいる。生徒の間の固定化されたヒエラルヒーがこういった場で崩されるのである。ただ、この階層逆転はまたもとの日常に戻ると、祝祭の余韻が失われて行くに連れて元に戻っていく。
 文化祭や運動会など、学校に異人(外部の人間)が入ってくることがあり、これが学校の既存の体系に変化を与える。授業参観などもそういった効果をもたらす。
 高校では、文化祭で、生徒たちが友人や恋人などを学校に招き入れて、自分が学校で見せているのとは違った自己を教師や生徒に見せつけることもある。また学力の低い学校などでは暴走族や、中退した生徒たちが訪れて学校の秩序を脅かそうとする。彼らはここぞとばかり人前で喫煙をしたり、異装をして自己の存在感を際だたそうと画策する。そのようなとき教師は普段と違う「場」にいながらも、警備員や警察官のように校内を巡回して、最低限の秩序を保とうとする。学校によっては事前に学校の周辺などを警察に巡回してもらうこともある。このような状況では文化祭が成り立たないとして、外部の人間の参加を制限する学校もある。
 教師にとっては慣れ親しんだ日常の場とは違って、興奮する生徒が多く、秩序を保ちにくくて、その一日が何事もなく過ぎてくれればと願うばかりで時が過ぎていくのがほとんどなのである。それでも年に一度ならこういった場が必要だと私は考える。生徒たちにとっては祝祭の場があることによって、普段の日常への活力になるからである。
 ただ、最近の学校では、このような祝祭の時間を拒む生徒が増えてきている。
 ひとつは、日常そのものがある種無秩序であるため、これ以上の祝祭は必要ないと無意識で考えていたり、また、これ以上の無秩序は耐えられないと考える生徒もいることだろう。
 一方では、日常の価値体系が揺るがされることへの恐怖感というものもあるだろうし、祝祭的空間そのものが肌に合わないという生徒もいるのである。
 たしかに、これだけ消費社会が進むと、町中に出ればそこには、デパートや商店街、ゲームセンターがあり、夜になれば歓楽街が広がって、若者が集まるクラブやカラオケボックスなどが存在する。社会にはいつも祝祭的空間が広がっており、あえて学校という場に祝祭を持ち込む必要はないのかもしれない。テレビを付ければ、バラエティー番組など色とりどりのセットに囲まれて、コメディアンたちが価値の転倒を試み、ブラウン管の中での祝祭空間が広がっている。
 そのためか、行事になると欠席する生徒が増えつつあるように感じる。一方で、集団で何かしようとする文化祭、合唱祭、体育祭は、個人で気ままに動きたいとする、今の近代的な個人にとっては苦痛を伴うのだろう。また、集団でのリーダーシップを取ることを拒む生徒も多い。行事は教師の力だけでは成立しにくくて、こういった生徒の中のリーダーが必要なのであるが、体育祭など、結局教師が全てを取り仕切ってしまうことが、学力の低い学校などでは多々見られるのである。文化祭のクラスの出し物は、クラス内の生徒のリーダーが必要なのだが、アイデアだけ出しても実際に体を動かす生徒は年々減っており、結局出し物が作れず、教室にただ机と椅子を並べただけの休憩室になってしまうこともよくある。
 つまり、自分たちで何かを創造しようということを最初から放棄し、もうすでにできあがっている商品やお金をかけて商業的に作られた場の方が確かに立派でもあるので、わざわざ自分たちで作ることもないと思うのだろう。特にそういった傾向は、低学力の高校によく目につく。このような学校では文化祭はやっても意味がないとして、廃止し始めるところも出てきている。
 
一八 薄まりつつあるハレとケ

 生徒たちにおいて行事、すなわちハレの日の意味が全体として低下してきているにしても、それでもまだ生徒は運動会や修学旅行の時には興奮するのであり、それが終わったときには虚脱感が生じる。このような心の動きは、まだハレとケ、年中行事が意味を失っていないこと証明する。そしてこのような心の動きがあるからこそ、時間は有意なものとなり、生徒たちや教師たちが、学校で一年間を過ごしたと実感することができるのである。
 しかし、ハレとケの差が失われてきているのは、農村共同体的な社会が崩壊し、都市的で個人が分立する、消費社会になってきたことが大きいと思われる。集団においての共通意識、集団の成員としての帰属意識が乏しくなれば、その集団の行う行事、儀礼への思い入れは低下するばかりである。かつての農村共同体のように、村の結束によって生産を行い、それが村全体の生存を保証するような状態ではない。あえていえば、一九世紀以来は、広い領域にまたがる国家がその役割を担うようになり、国家の存亡がその成員の生存を保証するような形だった。しかし現在ではグローバル経済の発達に伴って、世界全体の安定が個人の生存を保証するようになりつつある。こうなると様々な集団への帰属意識は失われ、かつて、ヘレニズムの時代にあったような、個人への、あえていえば家族までの帰属意識に限定されるようになってくるのも当然だろう。このような現象が学校社会にも広がって、学校全体の結束とか、クラスの団結などは死語となりつつある。
 私は受け持ったクラスに「班」をもうけ、主に清掃を中心に仕事を割り当てている。席も班でまとまるように座らせ、班長を決めて、一定の役割を持たせるようにしている。しかしある時、教育実習の学生が私のもとについたことがあった。そして私に、「今時班ですか。江戸時代のようですね。」と述べたのである。なるほど、今の学生はそのような感性を持っているのも当然かもしれない。連帯責任などは、農業社会の遺物なのかもしれない。しかし、私は、人間は、または生物はいかなる場所でも、いかなる場合でも集団から逃れられないと考えている。集団といかに個人が関わるかということが、個人がどう生きるかということに大きく関わっているのである。「個」ばかりが強調される今、実は自己実現というものは社会(集団)の中でしかあり得ないということを再認識すべきである。
 先の教育実習生のように、生徒たちの感性も似たり寄ったりだ。したがって私は、班を作る意味から、四月のクラスの出発の時から説明することにしている。そして今述べたような集団と個の関係について説明する。
 日本ではリーダーが育たないといわれる。私は決してそのようなことはなく、農村的な調整型のリーダーであるならば、優れた人物を排出してきたと思うし、今でもいる。彼らは「場」の「空気」を読み取って、上手に集団を誘導する。欧米型のリーダーのように人々を強い力で導くようなことはないかもしれない。しかし、学校では農村型リーダーも、欧米型のリーダーも育てる教育はあまりなされていない。生徒会活動が、近年学力レベルの低い学校を中心に成り立たなくなってきていることや、それ以外の学校でも生徒会に集まる生徒たちが、単なる居場所を求めてや、活動がやや自己目的化(おたく化)しているような現状であることからも、学校での集団の位置づけがよくわかる。
 このように、集団的自我というようなものが学校や、社会の中で失われてきたことが、学校や社会の中での時間の濃淡が失われつつあることのひとつの原因である。一方、日常(ケ)のあり方が変わってきたことも時間の濃淡に変化が生じてきたことのひとつの原因である。
 かつての農村社会では、一年の農作業はその村の成員の生存を賭けての行いであった。だから一生懸命に作業をしたし、神に祈ることもした。また、天候などの運にも左右されていた。それだからこそ、収穫できたときの豊穣の祭りは人々の心を熱く興奮させたはずである。都市民である商人も、一年間の日々の努力と、社会の経済情勢が生存につながるからこそ、祭りに情熱を注いだことであろう。
 同じように、学校という場においては、日々の努力の場、懸命に日常を過ごすことから、ハレの日における爆発力が生じる。例えば、部活動において、一生懸命努力したチームほど、大会やコンクールで緊張するし集中力を発揮する。日々あまり緊張感を持って練習していない部活の生徒たちは、大会の場も日常とさして変わらないように振る舞っているのを、私は何年間かの部活動指導の場で目撃してきた。
 部活だけではなく、日常の授業や清掃などの活動でさしたる努力をしない場合、個々の生徒の場合も、学校全体としても、ハレの日に、文化祭、体育祭などで爆発力は見られないのである。
 また、卒業式などのイニシエーションの場においても、過ごした時間の密度が卒業式における感動の差をもたらすのである。
 したがって、日常(ケ)のあり方が変化してきたため、全体としてハレとケの差が薄まりつつあるのである。
 また、生徒たちが学校以外の場において、多くのハレを体験しているということも言える。「毎日が日曜日」という広告があるように、消費社会においては祝祭的な空間があちらこちらにある。小集団で街に繰り出すことがその集団にとって祝祭の時となる。自らの所属する学校という集団のハレに、さしたる興味が沸かないのも当然かもしれない。それは、彼らにとって学校という枠組みが、かつてほど心の大きな部分を占めることがない証でもある。
 人々は今、農村共同体といった濃密な人間関係の場が失われ、広く薄いぼんやりとした、国家に代表されるような集団に属することになってきた。一方で、自分の興味のある世界に蛸壺のように入り込んで、その集団の中で自己のアイデンティティーを確保する人も多い。生徒たちでいえば、アニメの世界であり、ロックグループの世界であり、暴走族の世界であり、スポーツクラブ(学校の部活も含まれるが、学校全体からは隔離された印象を受ける)の世界である。このように学校以外に様々な集団があり、それに所属している生徒はそれぞれの場においてハレの日が存在しているので、特段学校のハレを重要視しなくなってきているのである。
 そして最後に、不登校の生徒が無意識下で認識しているように、学校そのものの価値を、社会全体が低く見るようになってきたことから、全体として、学校のハレが意味を失いつつあるのである。

一九 学校のイニシエーション

 エリアーデがいうように、人類が世界中で古くから持っていた、加入式などのイニシエーションは、退化した形であろうとも、近代化した今の社会においてすべからく存在する。学校においても同様である。イニシエーションはハレの日でもあるし、学校全体にとっても個人にとっても、未だに重要なものであることには変わりない。
 私の知人に、大学受験の都合で高校の卒業式に参加できなかった人がいる。彼は何年か後に、今でも高校を卒業した気がしない、と卒業式に参加できなかったことについて話していた。また、葬式を挙げることができなかった場合には、おそらく亡くなった人物があの世に行ったような気がしないだろうし、家族や知人にとっても心の整理がつかないだろう。イニシエーションは近代合理主義的な観点からは意味のない行為かもしれないが、意外と心理的効果があるのである。
 イニシエーションは、個人にとっては別の人間になるための儀式である。そこには象徴的な死と再生のプロセスが存在する。過去の自分と決別し、新しい自分が生まれる。
 一方集団にとっては、加入式では新しい成員を迎え、葬式などの決別の儀式では成員との別れを惜しむ。また、集団を一個の自我ととらえれば、集団の歴史にとって、国家の成立から何周年記念だとか、昔であれば独特な暦にそって決められたイニシエーションによって、その集団の存在を再確認してめでるのである。
 個人の人生においては、日本では、お宮参りから七五三、成人式、厄年、還暦、古希などのイニシエーションが人生を色づけ、自らの立場の変換を自覚させる作用を持つ。
 近代の落とし子である学校が人生のイニシエーションに組み込まれることになった。小学校の入学式、中学校の卒業式は、それぞれ義務教育というものの始まりと終わりを明確に峻別して、その個人が社会から与えられた試練、修行を開始し終了することを示す。高校が今や90%以上の人が卒業する現在、高校の卒業が多くの人にとっては子ども時代の終わりを指し示しているのかもしれない。学力の高い学校ではさらに大学などに進学するので、高校の卒業は通過点であるように受け取られている。一方、高校を出て就職する生徒の多い学校では、高校の卒業式が、学ぶ立場と、働く立場を明確に線引きするので、進学校に比べて、生徒たちにとって感慨深いようで、泣き出す生徒も多い。このことはイニシエーションを通過する個人個人によってその重みが違うことを示している。
 学校の儀礼は四月の入学式。そして各学期の最初に行われる始業式。学期の最後に行われる終業式。そして三月の卒業式が毎年行われている。始業式と終業式が行われることによって、長期休業中と授業の行われる期間とを心理的にはっきり区別するために効果的である。
 他には一〇年に一度、学校の周年記念の儀式が行われる。これは学校というものを歴史ある人格と見なせば、学校そのものの通過儀礼といえる。ただしこの儀礼は、かつて周年事業などと称して、借金をして施設の拡張など多額の金銭を使っていた反省から、最近は事業が縮小されたり、儀式を行わなくなってきている傾向がある。
 学校の儀礼は基本的には静粛に重々しい雰囲気で行われる。そこに集まる人々が儀式の規則に従うことが、集団が作り上げる儀式の雰囲気を高めることになり、また儀式の効用を高めることになる。その儀式にある種の「聖性」が生まれてこなければ行けないのだ。そして、始業式や終業式において最も重要な行いは、校長の訓辞である。学校の最高権力者が聖なる言葉を発するのだ。校長は教師の中で最も聖性が高い。
 ところが学校によっては儀式の最中に、特に校長の訓辞の場面において、生徒たちがざわざわといつまでたっても私語をやめない場合がある。場合によってはふざけて遊び始めてしまう場合すらある。彼らは儀式の「場」での規制に全く従うそぶりはない。結局校長自ら静かにするように注意をしたりすると、校長の聖性は急速に失われる。
 校長は教師や生徒たちが飾り物であっても、一応敬意を示してたてるようにしていかないと、学校の中心に空洞化を起こして、組織そのものが秩序を失い始めるのである。集会、特に始業式、終業式の「場」がどういう状態であるかが、その学校に中心のある「聖なる空間」が広がっているかどうかを見るよいメルクマールになっているのである。私はそのことは重要だと考えているので、生徒たちが私語をしていたりふざけていれば、列に割って入って、極力注意をするようにしている。時には大声を張り上げて注意をする場合もある。
 生徒たちは、校長を「校長」という役割で見るのではなく、「個人」としてみることが、おそらく戦後、さらには七〇年代以降強まってきたと思う。したがって、校長が意図して生徒を静かにさせるような訓示を垂れないと、または、校長の話が生徒にとって興味深く感じられないと、いくら周囲の教師が静かにするよう指導したとしても、静粛が直ちに破られてしまうというのも事実なのである。校長の存在が相対化してきたのである。
 入学式や卒業式では、他者(異人)の存在、すなわち保護者や来賓の目があることや、儀礼そのものに重要性があることを生徒が感じていることから、静粛が保たれている場合が多い。それでも荒れている高校や、儀礼の意義を重視しない近代的進歩的教師によって生徒たちの考え方が染められている一部の学校では、卒業式が整然と行われない場合がある。また、小学校の入学式などでは我慢して椅子に座っていられない子どもたちがうろついてしまったり、保護者たちが静粛にできず私語をしてしまうということも一部にある。こういった儀礼は、生徒たちだけでなくその儀礼に参加するもの、また、そのときの社会の情勢が儀礼のあり方を形作っている。
 よく、儀礼の主役は生徒であるとして、生徒に何もかもやり方を決めさせる場合が時々ある。しかしこの考え方は間違っている。儀礼はそれに参加するもの、またはその儀礼を行う集団の作り上げるものである。そこにはその集団の歴史性が付与されなければならない。伝統といったものもその一つであり、学校というものの性格上、儀礼もまた教える内容のひとつであり、学校というシステムが主催すべきものなのである。
 儀礼の場の聖性は、一挙に価値体系の逆転をもたらすこともある。神聖な場というものは祝祭の場と似ている。そこでは時に道化が現れて一挙に場の転換が行われることもある。卒業式の場などでパフォーマンスをする生徒たちがいる。仮装をしたり、呼名の時に奇妙な声を上げたり、クラッカーを鳴らしたりすることもある。また、卒業式後に教師にお礼参りと称して殴りかかったりする場合も一部ではある。式が終わった後、これ見よがしにタバコを吸ったり、車やバイクに乗り回したりするのも、価値の転倒と関係づけられるだろう。教師は一定の許容範囲ならばこれを許そうとするものだが、儀礼の場そのものが崩壊する恐れがある場合、警察を呼んだり、事前に強く指導したり、処分をちらつかせて押さえようとする。
 アメリカ軍の士官学校の卒業式のように一連の儀式が終了した際に帽子を投げ挙げてから無秩序化して興奮がその場を覆うのは、価値の転倒と関わりがあるのである。ただしこれは、軍人を教育するため、ことさら秩序が強調されるわけだから、卒業式の時の無礼講は、その対照的なあり方によって心的バランスを取ろうとする働きがある。だからこそその無秩序すら儀礼的な行為に転化する。もともと無秩序な学校において、儀礼すら無秩序であると、それは単なる無秩序に過ぎなく、聖なる空間を作り出す儀礼とはならないのである。
 儀礼を主催する集団は、その集団を象徴するトーテムポールを掲げる。近代主義国家においては国旗であり、その学校の属する都道府県の旗であり、校旗である。近代合理主義的な発想のもとでは、旗なるものは非科学的なものに思える。不思議なことに人類はその集団を象徴する何かを形にしてきたし、おそらく今後もそうあり続けるだろう。サッカーのチームにはキャラクターがつきものだし、企業においても目印となるマークがある。目に見える記号が、個人のアイデンティティーを安定させる効果があるのだ。国旗についても、現在の世界が国家という枠組みで人々を区分している以上、掲げるのが自然だろう。また、学校は、国家がスポンサーとして成立している。それも国旗を掲げる理由のひとつである。もしそういったことを無視して、国があたかも関与していないつもりになって儀礼を行うとしたら、おそらく内的なひずみが心理面に起きてしまうだろう。そのひずみがどういうことを個人にもたらすかははっきりとは言えないが、おそらく逆に国家への過剰な期待と依存といった心性を生んでしまうのではないかと思う。良くも悪くも自らが国家の成員だと考えることが、その集団の中での役割を自覚し、責務を遂行することにつながっていくように思う。
 ただ、国家というカテゴライズがいつまで続くかはわからない。もしなくなるようなことがあれば、人類は新たな集団を形成することの可能性が強いと私は見ている。
 「近代的進歩的」教師は儀礼の際の国旗国歌に反対することが多い。その理由に日本の過去の歴史に求めることが多い。しかしよく見てみると彼らの多くが日本という国を無意識下でこよなく愛していることに気がつかされる。「日本人は民度が低い。」などということをいう人についても同じである。日本を愛しているがゆえに、日本については絶対的に非があってはならないと考えているようである。だから少しの欠点も認められなくて、強迫的にこの問題について強調するのである。彼らは思想的には完璧主義を取るが、一方で勤務態度などはルーズであることもよくある。ここも心的にバランスを取ろうとしている表れのように思える。
 しかし、国旗国歌を強制されることには私は少し違和感を感じる。何事も一色に染め上げられてしまうことには反感を感じるのである。ただ、私は公務員として上司の命令に従う義務があるから、それにことさら反発する行動はしないし、他の人にもして欲しくない。上から強制されることに違和感を感じるのは、私の心性の中に、近代の個人主義がもはや除去しようもなく根を張っているのだと感じる。
 
二〇 学校というコスモス

 学校という場には陰影がある。近代合理主義的発想からいえば、学校のどの場所も、物理的に同じで、同じように日の光を受けるように思われる。しかし私の体験では、学校に生徒として通っているときにも、教員として勤務している場合でも、学校という場において明るくまぶしい場もあれば、一方で暗く恐ろしく汚い場もあるのである。
 生徒がいない土日の休日や、夏休みなどは、学校の陰影は薄まっている。私は時折生徒のいない学校を歩いてみることがあるが、生徒がいるときの喧噪と比較してあまりの静寂に寂しさと安堵を感じる。そして、やはりこの場に人間が集まるからこそそこに光が当たる場とそうでないところが生じるのだと強く感じる。

校長室

 校長室は学校でもっとも聖性が強い場所である。学校内で最も権威と権力を持つ人物がそこにいて、大概の場合学校で最もロケーションのよい場所におかれる。生徒はもちろん、教師にとっても基本的に近寄りがたい場所である。私の場合、どのような人が校長であっても、気安く中に入れる場所ではなかった。
 校長室は学校の心臓部であり、その権威を保つために部屋の中には歴代の校長の上半身の写真が飾られており、戸棚にはその学校の受賞したトロフィーや賞状などが飾られている。また、おそらくここ何年も開かれたことのない教育法関係の分厚い書籍類がほこりをかぶって並べられている。そして平教員のためにおかれている職員室の椅子や机に比べてかなり立派な机と椅子がおかれ、黒革張りの応接用ソファとテーブルが置かれている。これらは基本的に校長室を権威付けるためだけに用意されているものである。
 校長の中には、開かれた校長室と称して、生徒たちをいつでも中に入れて、自由に意見を述べさせるようにする人もいる。しかしここには大きな矛盾が存在する。基本的に生徒が校長に意見した場合、校長にとって不都合なものは排除される。これは、生徒総会なども同様な性質を持つが、生徒総会は一応定められた手続きのもと、生徒全ての意見をくみ上げる形になっている場合が多いので、校長が一人の生徒の意見を聞くというのは、手続き上からも良くはない。そうしてみると、残る機能は校長室が生徒たちの遊び場、または居場所となることである。そうなると今や保健室や相談室などにたむろする生徒の一部が校長室に流れるだけのことである。それは一部の生徒たちにとっては居心地の良い場所になり利益もあろうが、定員の問題もあり、さらにそうすることによって校長室のイメージ上の聖性が失われることのデメリットを天秤にかけると、私はマイナスの方が多い気がする。だから、結果的に開かれた校長室というのは校長の自己満足に他ならない。聖性が保たれている必要があるのは、校長が学校の秩序の最後の砦だからである。校内暴力盛んな頃に、中学生が学校のあらゆるものを破壊して最後に壊しに来たのが校長室である。荒れる生徒たちも、順番は心得ているのである。
 校長の権威が維持されていることが、教師たちの権威を維持することにつながる。権威があって何が良いか、権威などない方が生徒が自由に話し何でも相談できて良いではないかという人もいる。私は、権威は秩序維持にとってまず第一の効力を発揮し、次に生徒たちが校長や教師たちの背後に感じる学問の世界、大人の世界、学校の教育活動全般に対する信頼、などを担保するものだと思う。もちろん権威はただ形を整えればできあがるものではない。教師集団の努力、個々の教師の授業に対する態度、生活上の問題点に対してきちんと指導すること、などがなければ生徒たちは程なく学校を見放すことは当然である。しかし、このような努力をすると共に、権威を意識して学校作りをした方がより良いと私は思うのだ。
 今や、地域社会から学校や教師はそれほど尊敬されない時代に入ってきている。そこでカラの権威を振りかざしてかえって裸の王様ぶりをさらすことになるのではという心配もあろう。しかし私の経験では、学校側に強い意志があって、そのような行動と雰囲気を作り出せば、地域住民も保護者もそれに対して一目置くものであり、保護者がそのような目で見れば、自然と生徒も学校に対して敬意を抱くのである。
 校長室は、まず、教師にとって一目置かれる場所でなければならない。教師が校長に権威を感じないのであれば、生徒が感じるはずがない。反校長で学校が割れてしまっているような場合、生徒たちは敏感にそれを感じて、結局教師たち全員が軽く見られてしまい、学校は不安定化するのである。だから校長室は必要に迫られた場合に限り行く場所である必要がある。気軽に入れるような場合、特定の教師(教頭は別だが)ばかりが入り浸るようになる。するとそれ以外の教師から不信感をもたれることが往々にしてある。
 校長は孤独であって当然である。権力者は元来そうである。個々の教師も教室では基本的に孤独である。生徒に友情を期待するのは間違っている。明らかに立場が違うからである。それと同様に校長も孤独に耐えなければならない。校長はその孤独を、校長会などの横のつながりで解消すればよい。
 ただ、現在のシステムでは校長の権限は限られている。元来、権力の源泉は人事と金を操る力である。この両方が今の校長というポストではあまりない。まず、人事権だが、基本的に地域の教育委員会の人事課が握っている。校長が恣意的に異動させたり、新しい人材を持ってくることができるのは一〇人の異動があれば二人くらいであるというのが実感である。教師はこれを心得ているから、校長の方針にたてつくのがそれほど怖くはない。一九九〇年代には、組合の力が人事に影響していたこともあった。組合が人事力を持ったのでは、校長のメンツは丸つぶれである。最近校長の意志で教師をリクルートできるようになる制度が一部の地域で採用されつつある。これもプラスマイナスがあろうが、部分的に導入することは校長の権威のためにはよいのではと思う。
 金についても校長の裁量の範囲は小さい。校舎の修繕ひとつも校長の一存ではできない。自治体の許可がなければできないのである。団体費などと呼ばれるPTA会費などの使い道も校長の独断で行われることはまずない。教師の一部が委員会を作り、使い道を決め、それを校長が認めるという形式を取っている学校が多い。もちろん教育活動の細部を知っているのは平の教師たちだから、このような形になるのであろうが、保護者と自治体と教師の間で調整をするのも校長の大切な役割だし、個々の学校の実情により校長がリーダーシップを取ることはもっとあって良いのではないかと思う。
 とにかく私の勤めている県の学校の校長は、基本的に職員会議などでの指示は、教育委員会からの伝達事項がほとんどである。自らの意志、方針を強烈に打ち出した校長は見たことがない。もちろん、日本においては「場」の力に従うことを、校長のみならず教師たちも強制されることが多く、校長もその「場」から「浮き」たくないのだと思う。しかし、そうできない最も大きな理由は、校長がわずか二~三年で異動してしまうからである。
 一年目は様子を見て赴任した学校の状況を把握し、二年目に改革に乗り出そうとして、その年で退職したり転任してしまうのである。結局長くいる教師の意見に従う、つまり前例を踏襲することが最も無難な選択となる。
 私が経験した例では、ある校長が国公立大学の入学者をもっと増やすように指示をして、それに沿って「進路指導部」が動き出したが、ほどなくその校長は退職をして新しい校長が来ると、特段そのことを強調しなくなり、「進路指導部」の努力は宙に浮いた形となってしまった。やはり最低五年くらい在職しないと本当の意味で改革は行えないのだろうと思う。このことは日本の政治の中枢部も同じことが言える。総理大臣はころころ変わり、ある首相が力を入れて始めたことも、次の首相があまり興味を示さないと頓挫してしまう。教育の世界では、「教育改革国民会議」がその例である。一時もてはやされたが、今はどのようになっているか全く報道されることもない。そうなると官僚機構がそれを補う。ただその官僚たちもまた二~三年で異動してしまう。同じように前例主義がまかり通る。学校においての官僚は教師集団だ。中にはリーダーシップを持った教師がいて、その発言力が強い場合がある。学校が荒れ果てている場合などで、そういったリーダーのもとに結集して学校を建て直そうと力を合わせることがある。しかし最近は教師の中でヘゲモニーを握り、学校の中で一肌脱ごうという教師は少なくなってきているように感じる。教師もまた自分の与えられた持ち場だけこなし、学校全体についてあまり考えようとしない傾向がある。それはそうしたとしても給料は変わらないし、学校にますます民主的、平等主義ががはびこることにより、個々の教師が同じ平の教師の方針に従おうとするような精神性を持たなくなってきている。特段荒れていなかったり、緊急に何か結束して動かなければならないような事態でもなければ、ほとんどの教師が前例を踏襲することを支持する。こうなると、やはり公的な枠組みにおいて学校を動かして行かざるを得ない。校長の役割は、こうして高まってきているのである。
 とはいいながら、最近の高校では校長を目指す教師が少なくなってきているように感じる。その理由としては、かつてのように反体制的な心性から校長の立場を嫌うのではなく、責任ある立場につくことを嫌がる傾向から来ている。そこそこ給料をもらい、長時間の時間外勤務はしたくない。管理職は一般的に平の教師よりも長時間勤務であるのだ。特に女性教師にそういった傾向が強い。高校ではいつまでたっても女性校長が増えてこないのである。
 また、近年の校長は、教育委員会のいわば「子どもの使い」である。この様子が平の教師からもありありと感じられる。前述したように人事権や予算の権限がないから学校を変えようにも変える素地がないのである。こうして一般の教師は校長には魅力を感じなくなる。
 責任を負って何かをするということは、リスクを伴う。学校では何か新しいことを始めることは、学校という場において「浮いて」しまうこともあるし、もしそれで失敗したら責任を負わなければならない。結果教師も校長も最低限の仕事をしておけばよいという精神風土が生まれる。特に生活指導は、ひとつ間違えば人権問題などで教育委員会によって処分されたり、保護者のクレームを浴びたり、さらにマスコミにたたかれたりする。同じ給料であれば、余計なことをしない方が無難なのは当然である。こうして学校に対するロイヤルティーは、校長を筆頭に失われていく。
 しかし、それでも校長によって多少は学校の色彩が変わるのもまた事実である。校長が生活指導に力を入れれば、その方面で頑張っている教師にとっては力強い後押しとなる。この結果学校の秩序が安定化する傾向はある。学習指導に力を入れ、進学率に興味を示す校長であれば、多少は進学率が向上する。ただその振れ幅は限定されている。
 とにかく一般的な高校においては、校長は教師たちの組織する委員会が決めたことを追認することがほとんどである。生徒が非行を行って処分するにしても、教頭が加わった委員会で前例に沿って原案が作られ、それを校長が追認する。カリキュラムは文部科学省が学習指導要領によって強い縛りをかけており、さらに事細かくは地域の教育委員会が指導を入れる。その学校の独自性はあまり見られなく、公立学校においては金太郎飴のようになってしまう。
 
職員室

 校長室に比べて職員室は雑然としていて、その聖性は少し薄れる。何十人もの教師がその場に生息し、それぞれの机が与えられる。その上には毎日のように何枚もの紙が配られるために机上に書類が重ねられている。それには体育祭の要項やら、校内巡回の当番表、時折訪れる保険の外交員がおいていった勧誘の宣伝書類。そして組合が教育委員会のやり方に抗議をしているビラなどである。私が教師になって以来職員室の印象で最も強いのがこの紙の臭いでである。机の上は教師によっては雑然としていて机の上で作業するスペースがないほどだ。そのような教師は、誰も使っていない空いている机で作業するか、非常勤で普段学校にいない教師の机を拝借して通知票や指導要録を書く。
 とにかく毎日使用される紙の量が膨大であるため、ゴミ箱の数が多い。そこには不要になった紙類が丸められて1日もたたないうちにいっぱいになってしまう。これらは清掃の時間にやってくる当番の生徒によってポリ袋に入れられてゴミ集積場へと持って行かれる。紙の無駄は教師になって以来よく感じられる。パソコンが普及しても一向に紙のゴミは減らない様子だ。机の上がきれいな教師は捨て上手である。配布された書類の重要性を瞬時に判断して一読したらすぐ廃棄する。最低限必要な本(たいがい教科指導に関するもの)以外は学校におかない。一方、雑然とした机を使用する教師は物惜しみする教師であり、または、授業に使う参考資料を多く使う教師であり、単純に整理能力がない教師である。一概に机上が整理されている教師が能力が高いとは限らない。かえってあまりに整然とした机を持つ教師は普段の教育活動に不熱心ではないかと疑念を持ってしまう。教師が学校で配布される書類の要不要を理解するには、教師になって一~二年で十分だろう。私は今では、大概の書類は一読して廃棄するようになった。教師の間で組織される互助組織によって共同購入されたお茶類が流し場に用意されていて、時間が空いたときにそれを自分で入れて飲む。かつては新人の女性教師が朝、全員の教師分のお茶を入れて回るなどという慣習がある学校もあったようだが、今ではそのようにしている学校は化石のようだろう。教師は管理職を除いて、大学を出たばかりでも、定年を間近に控えている教師も権利の上では平等なのである。ただし、一部では巡回指導の輪番やテストの監督など年齢の若い順に配列されて、若い人がより多く仕事の分担することがある学校は多い。
 また、近年では情報管理、プライバシーの保護の観点から、シュレッダーにかけられる書類が膨大になってきた。シュレッダーは多く配置されていない場合が多く、時教師が列を成すことも多い。また、シュレッダーは、すぐゴミがいっぱいになってしまうのだが、それを取り替えるのが面倒で、一部個人情報が書かれた書類をゴミ箱に捨ててしまう場合もある。学校はもう少しシュレッダーの数を増やすべきである。
 多くの教師が拠点とし、生徒などの出入りの多い職員室であるが、その広い空間にもそれ以外の場とは異彩を放つ一角がある。それは教頭の机の置かれた場である。個々だけは周囲に比べて聖性が高く、場の中心を形作っている。椅子も平の教師のものに比べて高価なものが使用されているケースが多い。普段他人の椅子に座ることを気にとめない教師も教頭の椅子にだけは無意識的に座ろうとしない。教師の精神構造の中に秩序だったものが存在するのである。校長に比べて話をすることはたやすく、それは同じ職員室に居住しているからだけではなく、教頭の地位が校長に比してより教師に近いからである。
 職員室に出入りする人間は、教師生徒だけでなく、学校の事務員、業務員、保険の外交員、出入りの業者、卒業生、出張などで訪れた他校の教師、そしてよんどころない事情で学校に呼ばれた保護者などである。このようないわば異人を、教師の中には長時間引き留めて話し相手にするものもいる。三六五日変わらない人間関係では退屈してしまうからだろう。一方、大方の教師は、異人が職員室内に長くとどまるのを嫌う傾向がある。それは職員室内で無意識的に作られたギルドの秘密を他者に漏らしたくないからであり、教壇に立っている「作られた」自分以外の素の自分を生徒にさらしたくないためであり、気が散って仕事に集中できないためである。だから自分に関わる客以外はあまり歓迎しない。
 荒れた学校などでは職員室は教師にとって唯一の安住の場所である。この場には自分の仲間がいる場所であると認識され、まさか危害を加えられるとは思っていないのである。ところが一部の学校では、教師間の対立があって、職員室が落ち着いていられない場合も時折存在する。管理職派と組合派の対立があったり、生活指導を強硬に推し進めようとする一派とリベラルに事を進めようとする一派である。時には組合が二つあって両者が対立するなどといった場合もある。そうであっても職員室が教師にとっての蛸壺で、この場が居場所なのである。一部の教師は、特に理科や芸術、家庭科などの教科においては、自分の居場所を理科研究室や音楽準備室などに持っており、職員室にあまり顔を出さない場合もある。英国数の主要科目の教師が職員室にいる場合が多いのはそのためである。
 個室を与えられた教師に対して、それを持たない教師は羨望の念を持つ。個室を持つ教師は自宅からコーヒーメーカーなどを持ち込んで、そこで他者を排除した独自の空間を作り上げる。中には一日のほとんどをそこで過ごし、職員室には朝の朝会の時しか顔を出さない教師もいる。こういった教師の職員室の机は使われた形跡がなく、物や本はあまり置かれていない。ひっきりなしに配布される書類だけが机上に溜まり、時折来てはそれを整理する。
 また、個室が社交場のようになることもある。若い教師がその主である場合などは、他の若い人が集まってきてサロンのようになる場合もある。時には禁止されている喫煙をこの場所でこっそりする場合もある。まれには、男女の秘め事の舞台になることもある。このような場では、職員室のように会話が大勢の他者に聞かれることが少ないから、私生活のことや、学校のあり方に関しての本音での会話が成り立つ。また、勤務時間中朝から教師や生徒の喧噪の中で過ごすことになるわけだから、精神衛生上からも個室で静かに休息できるということは貴重である。
 ただ、私は個室が蛸壺化してそこに引きこもるのはあまり良いことと思わない。頻繁に職員室に来る方がよい。なぜなら職員室は生徒に関しての情報が集まる場所だからである。そこで今学校で何が起こっているのかを聞き出して日頃の生徒の指導に当たる方がよりやりやすい。確かに職員室の場での会話は本心をさらけ出すような会話は成立せず、上層を滑るような会話に終始する。しかし、荒れた学校などでは特に教師が孤立しやすいから、助けを求めるにも職員室はありがたい場なのである。
 生徒も職員室に多く訪れる。早退をしたい生徒。宿題を提出に来る生徒。素行が悪くて呼び出された生徒。中には授業について質問しに来る生徒や進路について相談しに来る生徒もいる。多くの生徒は長く職員室にとどまることをしない。しかし中には毎休み時間、昼休み、放課後としょっちゅう職員室を訪れるものいる。これらの生徒は教室に居場所がなかったり、クラス内でやや浮き気味だったりする場合がある。さらに、大人と話すこと、それはおそらく親子関係の投影だと思うが、が好きな場合がある。それは保護者からの、大人からの愛情が不足気味である場合がある。こういうケースは高校においては低学力校のしかも女子生徒に多い。彼女らは授業などで見知っている教師のうち、話しやすい教師を選んで近づき、取るに足らないことを話題にしてひとときを過ごす。特に若い独身の男性教師などには接近しやすい傾向がある。しかし、もし彼女らが服装などについて教師から注意を受けると、ふてくされることはなく自然と注意した教師から遠のいていく。そしてしばらく2~3週間遠のいたあと再び接近しようと試みるのである。
 一方で教師は、生徒に話しかけられることを最初は喜ぶ。しかし毎回来られると仕事がそのたび中断させられてしまうので、だんだん嫌になってきて、彼女らに対してうんざりしてきて、応対もぞんざいになる。すると彼女らは敏感に察知して別の教師のもとを訪れる。
 相対的に見て職員室を訪れる生徒の数は低学力校の方が多い。これは生徒たちが教師に呼び出されて注意を受けることが多いこともひとつの理由だが、大人からの愛情を受ける機会が少なかったことを示している。それと同時にもう一つの理由は、境界概念が低学力の生徒たちの方が薄いということが挙げられる。進学校では教師は、形の上であっても教師としてたてられている場合が多い。もちろん生徒の本心はどこにあるかは不明である。低学力校の生徒は自分たちと教師の間に線を引くことをせず、同じ土俵に立った人間として感知し、まるで友人のような態度を教師に対して取ることがある。敬語を使うことを知らない場合も往々にしてある。これはその生徒がどのような学校歴を歩んできたかによってだが、中学校では生徒と教師が「ため口」で過ごしてきている場合が案外見られる。これらの生徒は高校に来ても同じ調子でため口をきいてくる。低学力校の教師の多くは入学後まずこの口の利き方をなおさせることに力を入れる場合が多い。これは名目上は大人の話し方を身につけさせる教育であり、就職する生徒にとって有益なことであると考えられているからだが、これらのことよりも教師たちにとって重要なことは話し方によって教師の権威を保たせることなのである。これがしっかりしつけられない学校は教師の権威性が低下し、教師の話が威厳を持って伝わらなくなる。結局授業秩序などに影響してしまう。こうして教師と生徒の間に、日本語では有効な敬語というものがあることから、境界を引く作業が重要なのである。このような指導が行われると生徒たちは次にどの教師が話し方について重きを置いているかを比較する。教師を個別に判定して、ある教師には敬語で、ある教師には「ため口」と使い分ける。教師によっては「ため口」の方が親近感があって良いと信じるものがいる。しかしこのような教師がいざ教師の権力を行使しようと強制力を発動しようとすると、生徒は話が違うと反発するケースが往々にしてある。そして、生徒の暴力を受けてしまうということが起きてしまうのだ。友人と思っていた人物から裏切られた気分になるのである。友人は自分にとって不利益な行動は取らないものと思うのが普通だからである。生徒の方に場面による使い分けができる場合もあるが、今はそういったケースは少数になっている。特に低学力校の生徒は使い分けられない場合が多い。だからこそ低学力校では口の利き方の指導が大切で、かりに「ため口」を許す教師であっても、学校全体として話し方の指導が行われているおかげで、生徒たちが教師と生徒の境界を認識して、いざというときに憂慮する事態を防ぐことができるのである。そして「ため口」を許すような民主的教師はそのことに気がつかないことが一般的である。
 話しを職員室に戻すが、職員室に入室するときの仕方について職員室の入り口にある引き戸に記されている学校は多い。そしてその張り紙は往々にして古ぼけて、日光などで焼けてしまっていたり、少し破れていたり、それを止めているセロハンテープの粘着力が弱まっていたりする。気がついた教師や、生活指導担当の教師、教頭などが時折書き換えて新たに張り直す。入室の仕方は、
「まずノックをする。次に、失礼します。何年何組の○○です。○○先生に用があってきました。と言う。」
このようにかかれている場合が多い。しかしかなりの学校ではノック程度で入室してくるし、何も言わずに入ってくる生徒も多い。職員室と言う場の特殊性に気がついている教師が時折注意する。時には激しく注意してやり直しをさせる。すると生徒は、めざとく、そういった教師がいるときといないときで態度を変える。このことに全く気にならない教師もいるし、気がついていてもやっかいは面倒だと下を向いて仕事をしているふりをして無視を決め込む教師もいる。
 このことはやはり口の利き方と同じく境界の問題であり、教師の権威性の問題である。職員室は多くの人間が出入りすることから、いちいち入り方指導をしていては通常の仕事に差し障るという教師もいるが、これを放置することによって妨げられることと天秤にかけてやっていく必要がある。また、最も入室指導が厳しいのは大概「体育教官室」または「体育準備室」などと呼ばれる体育の教師の部屋である。体育は生徒たちに身体のレベルで強制をさせなくてはならない。その際教師の権威性が保たれていなければ、あっという間に無秩序がはびこるのである。
 低学力の学校の生徒は一般的に「境界」に対する観念が薄いケースが、進学校の場合よりも多い。それは話し方、入室の仕方にとどまらず、時間の境界、すなわち学校の始業前と後、授業の前と授業中、制服と私服、校内規則の内と外、さらに国内の法の内と外などである。この境界の逸脱がどのような構造で起こるのかは今のところ不明である。ただ、このように境界を自由に出入りできるのは古来道化(トリックスター)の役割である。道化は境界を自由に逸脱できる代わりに社会的な差別や最悪の場合死をもたらされるということは文化人類学などの研究で明らかにされている。逆に社会からの差別、それに伴う劣等感がこのような逸脱を許しているのかもしれない。
 ただ、学校が道化だらけになってしまうことは、道化を道化たらしめることにならない。さらに道化が道化たらんとすれば、より大きな逸脱をするか、逆に秩序への固執なのかもしれない。ほとんどの生徒が茶髪の学校で、数少なく黒髪を維持している生徒や、ほとんどの女子生徒が短いスカートをはいている中で、服装規定どおりの長さのスカートをはいているものたちがいる。大概彼らは生徒たちの集団からやや孤立しており、教師すら彼らを変わっているものと認識する。彼らこそがこのような秩序が壊れた学校におけるトリックスターなのかもしれない。

 体育教官室

 学校の中で異彩を放つ場として体育教官室が挙げられる。教官室という呼び方は戦前のように教師が権威的であるとして、学校によっては「体育準備室」と呼ぶ場合もある。また、ただ単に「教官室」と呼ぶだけで体育教官室のことを指すことも多い。
 生徒は一般的にこの部屋に職員室とは違う、より強い畏怖の感を持つ場合が多い。学問という場所で、どちらかと言えば脳を使うことよりも、身体のプロフェッショナルとして体育教師は独自の地位を得ている。その身体性の優越から、体育の教師の中には自らの脳は筋肉でできていると豪語するものもいる。彼らは座学の教師たちが何時間もかかる宿題を出す権限を持っているのと同様に、マラソン大会の練習と称して学校の周りを何周も走らせ、筋トレとして腕立て伏せや腹筋を何10回も行わせる権力を持つ。生徒は身体を強制させられることをより敏感に拒否する。
 今は昔ほど生徒たちが嫌がる走ることや、筋トレは行われなくなり、球技など生徒たちが楽しく感じる種目を多く取り上げるようになってきている。ここでも何かを強制するということに躊躇が起きている。
 教官室は職員室に比べてより生徒たちに礼儀作法が要求される。入室退室の際や部屋の中での教師との会話などである。しかし案外生徒の出入りは多い。理科や家庭科の研究室に比べれば段違いである。「体育委員」と呼ばれる体育教師にとって徒弟に当たる生徒たちが授業の行われる場所や内容、準備するものなどを聞きに来たり、体育教師が担任している生徒たちが面接に訪れたり、運動部の生徒が用具を借りに来たり、練習メニューを聞きに来たりする。そしてこれらの生徒は体育の世界の掟を身につけ、手際よく入室し用件を済ます。
 クラスで学級委員などの役割分担をする際に「体育委員」だけが体育の教師の指名で決まることも、低学力の学校では珍しいことではない。これは体育の掟を身につけているかが問われているのである。
 教官室の中は各体育教師の机にその教師の属する競技に関する本や家族の写真がおかれている。また、コーヒーメーカーなどが置かれて明確に学校の公的空間から距離を置いた空間であることを示す。体育の教師たちは座学の他の教師たちと自分たちは違うという意識があり、それは数学の教師が社会科の教師に対して持つ違いと比べると、かなり大きなものである。彼らは自分たちの集団を特殊としてあたかもギルドのようにとらえる。ギルド内では年功序列が徹底していて、年長のものがリーダーシップを取ることが要求される。また最も年齢の若い教師は部屋の中の雑用のみならず、体育的行事などでも面倒なものを分担させられる。このとき年長のものにリーダーシップがないときや、若い者が働かなかったときにはギルド内で混乱が生じ、また個人的な好き嫌いや学校の方針を巡って、また体育施設の利用の仕方などで対立が生じる場合がある。いずれにしてもその排他性故、他の教師によって一目置かれるのである。
 身体性の優越という側面は、学校の秩序維持機能に最も大きな効果を示す。つまり体育教官室は派出所であり、体育教師は警察官なのである。秩序維持に当たる人間は昔から聖性を帯びていた一方、価値の転倒が起こり、賎視されることもある。体育教師を見る目は大きな尊敬を生徒から集める一方で、強く反感を持たれる場合もあるのである。
 体育の教師が学校の治安維持に活躍する理由は、彼らが大学時代に体育会の運動部などで組織に身体を順応させる訓練を受け、同時に先輩後輩といった秩序の体系の価値を体得しているからである。そしてこの価値の体系はオリンピックに出場する選手たちを頂点に形作られ、それが今の日本社会にある程度公認されている。またその価値体系は日本の企業社会のあり方と類似している。つまり体育教師が背負っている価値体系を生徒が感じたとき、日本の大人の作る社会をかいま見るのである。ただ単に体力に勝りそれによって恐怖を感じているわけではない。また、体育教師も自らを体育人と位置づけ、その価値体系に身を預け、信じている。それはいかに「進歩的教師」の価値体系によって学校が覆われていてもあまり覆ることはない。まれに体育教師が「進歩派」の体系に飲み込まれてしまうのを見たことはあるが。
 今の日本ではこの二つの価値体系を比べると一般的には体育的な体系の方が社会の支持を得られていると言える。しかし、学校という場のアジール性の故か、思いの外に学校という場では「進歩派」の体系が正論として語られることが多い。特に生徒は生まれながらに善であるとして、ルソーやデューイが持ち出されるのである。このあたりが象徴的に日の丸君が代問題として噴出していて、職員会議の場などで両者の体系がぶつかることがあるのである。体育教師にとっての体系の頂点はオリンピックで揚がる日の丸であり、金メダルを取ったときに流れる君が代である。だから、職員会議でこの問題が良く論じられた一九九〇年代においては、両者の論点がずれていることが多かった。それに加えて生活指導の方法論(人権に配慮しているかどうか)が絡まってきて、感情的な対立が生じた学校もあったはずである。もっとも、低学力校の教師は進歩派であっても現状を考えれば多少人権を制限しても秩序を優先しなければならないことはわかっていた。だから進歩派としての立場で政治運動をしているものや、団体の幹部をしているもの以外は、進歩派であっても人権を制限した指導のやり方を率先して行ったのである。だからこそこういった進歩派にとって自らの立場を表明するのは日の丸君が代問題に限られ、この問題に全力が傾注されたと思われる。国旗国歌法が施行された今、この問題が職員会議で延々議論され紛糾するという事態は一部の学校を除いてほとんどなくなった。
 体育教師の立場は、高校においては低学力校、中学においては荒れている学校ほど高い。これは治安の悪い国において警察官が一般庶民によって強く期待を集めるのと同じである。私は先進国であるアメリカのニューヨークに行ったことがあるが、警察官の数が多く、また彼らがずいぶん態度が大きく見えた。二〇〇〇年代に入って治安が落ち着いているはずのこの町でさえ警官が強い立場を保持している。
 低学力校では体育教師の発言力が大きく、また他の教科の教師に治安維持の期待を担わされる。新しい体育教師が学校に来るとき、他教科の教師はその教師がどれだけ生徒たちを押さえられるかを期待する。生徒たちもまたその教師の力量を推し量ろうとする。それが期待はずれで秩序維持に興味がなかったり、威圧する力がなかったり、また自ら所属する競技団体の出張ばかり行っていると、低学力校の教師たちはその教師を「使えない」などといって評価する。全くもって、自らは行動を起こさずに人に期待するなど無責任である。
 一方、進学校の体育教師は秩序維持の役割をそれほど期待されない。したがって自らが率いる運動部の指導に没頭するか、または属する競技団体の役員になってそれに力を注ぐ。中には期待されないのでつまらないと言って転勤を希望する人もいる。
 ただ、アメリカや日本の高校は進学の実績と同様にスポーツの分野で学校の名前を売り、生徒の募集に結びつけるということが行われる。もちろん私立学校は経営上当然だが、公立の高校も今や生徒の募集に苦労しているところが大都市部の学校を中心として多い。公立高校でも、推薦入試などで特別活動(運動部などでの実績)が入試の評価の対象にされている。そして運動部が活躍するのは指導者の力量如何でもある。そういった面でも体育教師にかかる期待はある。
 また、低学力の高校では部活動が成り立たないことが多い。それは家庭の経済事情や、勉強と相通ずる根気、集中力、集団においての調和する能力、中学時代の成功体験、など様々な要素が考えられる。そのような中で低学力校でいくつか部活動が強いと、または、体育的な価値体系を身につけた生徒たちが、毎日練習を続けているような状態が学校内に見られることは、そのような学校を元気づけ、活性化させることにつながる。逆に荒れている学校を立ち直らせるために、部活動の活性化を行うという方法もある。ただ、本当に底辺の学校においては、現在ではなかなか難しいけれども、このようなことも体育教師に求められる。
 
 その他の教科

 社会科の教師(今は公民科と地歴科に別れているはずだが、現状ではほぼ一緒になっている。)は進歩派、人権派の教師の比率が他の教科よりかなり多い。社会科研究室がこうした教師たちの拠点になることもある。その理由は彼らが大学で思想、哲学を学んできている影響が多いと思われる。また、社会科の教師が人権派でなくして、誰が学校の人権を守るのかといった気概を持つものもいる。
 私がかつてロッカー室がタバコの煙が充満しており、かつこの場が常習的に喫煙が行われていた様子が見て取れたので、やむなくその場に脱ぎ捨ててあった制服のポケットを調べたらタバコが出てきたことがあった。それに基づいて処分が行われることになり職員会議が開かれたのだが、私がその状態を説明すると、同じ社会科の教師から「おまえはそれでも社会科の教師か。」と罵声を浴びせられたことがある。この教師は明らかに社会科の教師のあるべき姿、立場性に言及している。ということは他教科の教師はそれに比して人権に配慮しなくてもいいのかと思いたくなるが、社会科の教師は近代合理主義、啓蒙主義の宣教師になるべきという発想が根深くあることを示した一例であった。
 今や社会科の若い教師はそうした社会につながるような価値体系を背負うものは少なくなり、世界史や日本史などの狭い範囲のプロフェッショナル(言葉を換えればおたく)的になってきているように思われる。社会科の教師に限らないのだが、背中に背負う社会全体に開かれた価値体系が消滅してしまったか、または社会の中での支持を失ってきているようにも感じられる。こうした現象は取り立てて研究で成果を上げていない、背中に学会を背負っていない教師は、生徒や保護者、社会に向けて指し示せる何かがなくなってしまってきているのである。生徒から見れば「おたく」的に映るだろうし、教師にとってはその教科を教える大義が失われてしまって、単なる受験指導に特化してきているのである。
 こうして社会科の教師やその他の座学の教師が背後に持つ価値体系を失っていることは、体育の教師が背後に大きな価値体系を背負っていることに比べて、生徒から見て魅力が乏しくなっていると言えるかもしれない。
 理科の教師は物理準備室や科学準備室などに閉じこもっていたり、少し変わっている傾向がある。自然が失われて、生徒たちが自然科学に興味を持たなくなってきているのは寂しい気がする。『蝶の舌』というスペイン映画では、第二次世界大戦前のまだ牧歌的な時代に老教師が入学したばかりの子どもと自然の中でふれあう映画である。かつこの教師はリベラリストでやがてファシズムの勢力が政権を取ると、逮捕され町を去らねばならなくなる。この映画は二つの点を示している。ひとつは自然科学に対して純朴な信仰があること。そして教師はリベラリストで時代を引っ張る進歩主義者である必要があるということ。このいずれもは近代主義そのものである。しかし今や教師にこのような近代主義の体現者であることを求めることはなくなった。一部の進歩主義者たちがその残映を追っているだけである。
 数学の教師は、低学力校においては厳しい立場に追いやられている。このような学校では数学の単位は削られていくばかりである。おそらく日本の高校全体で見ても数学の単位の平均値は低くなってきているはずである。数学的な論理能力が遠巻きながら役に立つということは忘れ去られつつあるようだ。単純な計算能力すら今や低学力校に来る生徒はなくしつつある。小学校で教える内容の復習をしているのが今のそういった学校の現状なのである。微分なども教えるが、かなり単純化して教えている。しかし、微分の世界にふれただけでも価値があるという風に思うのは間違っているだろうか。
 国語の教師は温厚な人が多い。女性教師の比率が高く、彼女らはやや自分の趣味に走るケースがある。
 英語の教師は今の生徒たちの精神性を体現していると言えよう。すなわち個人主義者で自己主張が強い。集団との協調性は一般的に薄い。また、私生活と職場での生活を明確に区別し、非公式の会合、つまり飲み会などには意識的に参加しないものもいる。また、西欧信奉者も中にはいて、彼らは人権にことさら興味を示す。
 芸術科の教師は、自分たちは教師であると自己規定するよりも、美術なら美術界の人間、音楽なら音楽界の人間と認識している場合が多い。すなわち教師は仮の姿で、本当は美術なり音楽で飯を食べていきたかったという心性を持つ。こういった心性は特に高校の教師では義務教育の教師よりも強い。真にプロフェッショナルな教師という感覚は多くの教師は持ち合わせていない。
 家庭科の教師は低学力校においては難しい立場に追い込まれている。すなわち身体を動かさなければならない教科であるので、授業の秩序を維持するのがなかなか困難なのである。女性教師が多く、一般的に彼女らは生徒をコントロールすることは得意としていない。
 女性教師は秩序維持においては戦力となる人は少ない。しかし中にはきちんと生徒をコントロールできる人物もいる。学校において秩序が最優先課題になるということは女性教師にとって不運なことである。秩序は暴力というものが背後に見えることによって成り立つ。男性教師で取り立てて特徴のないものの方が、女性で優秀だと見られている教師よりも授業を成立させやすいのである。したがって彼女らは荒れた学校では秩序維持に力を発揮する男性教師に期待し、またはそのグループに所属しようとするものもいる。しかし校内の特に女性教師の間での自分のポジションを安定させることにも同様なエネルギーを注ぐ。組合などが強ければ比較的組合にすり寄る女性もいる。ある学校に勤務していたとき、君が代斉唱の時に起立していた女性教師も、組合が強くて着席者が多い学校に転勤すると、途端に着席してしまう、という現象を見たことがある。管理職側の勢力が強い場合はどちらかといえば管理職側につく。職員会議の場などでその意見や挙手の動向を観察していればよくわかるのである。彼女らを日和見主義者として非難することはできない。誰もが寄らば大樹という感性を持っている。私自身もその学校の主流の勢力を意識せずに学校での仕事はままならない。ただし、私はあまのじゃく的な傾向があるのか、その学校の主流派にはアンチの態度を示すことによって自らのアイデンティティーを確保してしまう傾向がある。組合が強ければ反組合。管理職が強ければ反管理職という具合である。ただ、このような態度は自分が学校の中でやりたいことを会議などを通して実現していくのには不都合である。主流派に上手に妥協しながら事を進めていかなければならない。女性教師はそれが上手なのである。

 孤立する教師

 生徒の中に孤立するものがいるとしたら、教師の中にも同様なものがいる。そのような多くの教師はほとんどの学校で一人や二人はいる。そして彼らは俗に言う問題教師としてレッテルを貼られることが多い。体罰などで血気盛んな問題教師を除いて、問題教師と学校の教師集団に位置づけられるのは、コミュニケーション能力が乏しく、教室で生徒を静粛にさせられず、かといって同僚の教師や上司に助力を求めず、場合によっては個室に閉じこもっている教師である。そして教師内に割り振られた仕事を完遂できず、担任をはずされ、行事などの担当になることもなく閑職でいることが多い。
 彼らを担任にするとこれらの教師たちは、自分のクラスを安定させることができず、それが学校全体への影響を及ぼしてくることから、他の教師たちは嫌がるのである。さらに担任を何年もはずされることになれば、他の教師はよけいに担任をすることになるし、同じ学年団になれば、行事などの運営も任せられないことから、他の教師の負担が増えることになる。このような教師は、特に秩序が乱れやすい低学力校において敬遠されやすい。それは秩序維持を水も漏らさぬようにしている体制の中に蟻の一穴として、そこから崩れてしまうからである。
 こうしたコミュニケーション不全教師は職員室にいてもあまり他の教師と口をきかない。中には奇特な中年の女性教師などが話しかけたりするが、話しがかみ合わなかったり、嫌そうな顔をする。しかし、このような問題教師は教師集団にとってデメリットばかりではない。このような教師を生け贄に捧げることによって、反面教師として利用したりする。また、このような教師がいることによって、別の教師のさぼり具合が隠蔽されることもある。一般の教師は○○さんよりは、自分は良くやっていると自己満足できるのである。もちろんこの場合教師のレベルの平均値は落ちるのは当然である。ただこのようなコミニュケーション不全教師の存在よりも、進歩的教師の秩序維持システムの破壊の方が、秩序に気を遣う学校においては危険である。彼らは能動的に秩序を破壊しようとするし、それが彼らの信念に基づいているからである。学校の教師内の暗黙の調和は破壊され、教師集団内に緊張感が走る。そういう意味ではこのような「進歩的教師」は価値の転倒を学校で行う道化(トリックスター)であるとも言える。
 今、このような教師失格の烙印を押されたものが教育委員会などで再指導と称して研修を受けたりすることが全国的に広がっている。しかし私はこのようにしてもなかなかこうした教師が改善されるとは思わない。もともとの性格、行動傾向がこのようだからである。


 教室

 夏休みに学校内をぶらぶら歩いていると、教室は閑散として、授業が行われている時期との落差に愕然とする。休日においてはそこは単なる無色透明な場所に過ぎないのである。置きっぱなしになっているスポーツウエアや、机の中に残されている教科書類が生きた教室の残像を残している。すなわち生徒と教師という人間がその場所に入ったときに初めて教室は教室となる。
 生徒が教室に入り、教師がその場所に加わったときにその場所には陰影が生じる。教室は前と後ろがあり、前には教師が位置し、後ろに行くにしたがって緊張感は薄れていく。後ろでは音声も小さくなり、視覚的にも教師の姿は小さくなる。教室の後ろの空間は教師の視野に入りにくい。その陰の部分は教室にアクセントを設ける。生徒たちは席替えの際に後ろで窓際を望む。窓際は教室から外へ広がる空間への出口である。外を眺めることで心理的に教室という場から脱出することができる。
 かつて私が一九八〇年代の終わりに教育実習に行った都内の中学は大変荒れていた。授業を見学した若い女性の英語教師の授業はほぼ崩壊していた。教室の後ろに数人の生徒が座り込んでゲームをしていたのである。その他椅子に座っている生徒たちも私語をやめなかった。前に座っている三分の一くらいの生徒たちが、その生徒たちだけに語りかける教師の言葉に耳を傾けていた。そしてある時うしろに座り込んでいた生徒の一人が「先生いいものもっているじゃん。」と言い、つかつかと前に来て、教卓の上にあるラジカセを持ち去って後ろに持って行き、自分たちの持ってきたカセットテープを入れて音楽をかけ始めたのである。女性教師は特にそれを制止する様子はなかった。おそらくそれを拒否すればトラブルになったであろう。その後何もなかったように授業は続けられ、後ろの生徒たちは遊び続けたのである。この奇妙な棲み分けは、荒れ果てた学校の様子と共に私の脳裏に強い印象を残した。つまりこれだけ荒れ果てた生徒たちも、このレベルに置いてさえ場の陰影を感じていたのである。彼らは完全に教師に授業をやめさせることはしないし、前の方で遊ぶこともしなかった。教室の前の方の聖性に触れることをしたがらないのである。あくまでも主役は教師であるという前提は彼らの中にかすかに存在しているのである。そしてまたここには寂しい近代的個人主義が存在していた。後ろで遊んでいる生徒たちは前の方で授業を行っている教師や生徒たちに迷惑をかけているとは思っていないのである。それは教室の後ろという空間で遊んでいるからである。そして自分たちが後ろで遊ぶことができるのは権利のひとつであると認識していた。彼らは自我が欲するものを自然に体現することが善だとする思想を信じ切っていたのである。
 教室の管理者は教師と言うことになっている。生徒が日常使うHRは担任の教師が。社会科室などは社会科の主任である。ところが日本の学校のように生徒が朝のSHRから帰りのSHRまでほとんどの授業で使い、なおかつ昼休みもそこで過ごす場である教室の場合、生徒の心性の中でこの場は自分の場であるという感覚を持つ場合がある。生徒たちは部活動や芸術の授業で使う道具などを思い思いの場所に置く。教師が強めの指導をしない限りそれはエントロピー増大の法則に従って乱雑なものとなる。
 あるとき私のクラスの生徒に対して部活動の道具は教室から撤去させるように命じたことがあった。するとその生徒たちは、教室は私たちの生活の場所であるから、それほど迷惑にならないならどこに荷物を置こうが自由だと言うのである。私は、君たちにそれを認めれば、他の人たちも自分の荷物を置くようになり、収拾がつかなくなるから、一律に禁止するという旨を伝えた。生徒たちは不服そうで、その後も何度も注意してもなかなかその荷物を教室から撤去しようとしなかった。
 教室をある程度清潔に整理された状態にしておくのは、教室内の秩序を維持するのにおいて重要なことであると、長く教師をしているものは理解する。そして管理権は教師が握っていることを明確にする必要がある。しかし実際にはずるずると教師と生徒の間での駆け引きが続くのであり、教師は根負けしてしまう場合も生じてくる。そうなるとそれ以外のことについても生徒たちのエゴが拡大していく危険が強まる。
 日本では業者が入って清掃することは、長期休業などを除いてない。ほぼ毎日清掃の時間がもうけられ、生徒たちが清掃を行う。この清掃活動も一方では生徒がこの教室の持ち主は自分たちであるという感性を養うひとつの要素になっている。業者を入れれば、それを入れる主体は学校の体制側であると生徒は認識するだろうからである。それと共に、清掃の時間は汚れた教室の場を新しく蘇らせる転換点となる。清掃が終わったばかりの教室は新鮮で、新たな活動を誘発すると共に、教師や生徒の精神を安定させる儀式でもある。大掃除が学期の終わりに行われることは、学校に流れる時間に区切りをつける、死と再生の物語を体現している。不浄なものを祓うという日本古来の心性が近代の申し子である学校でも繰り返されている。
 清掃を行う場合、生徒たちにそれを整然と行わせることは今や難しいことになりつつある。しかしやると決めた場合それをある程度きちんと行わせないと、学校の秩序に関わってくることがある。「一隅を照らす」などという人間像は今や大変貴重になった。生徒たちはやり方を示し、分担を決めないとやろうとしない。さあやりなさい、と言って自然にやると言うのは幻想である。箒で掃くもの、黒板をきれいにするもの、ゴミを捨てに行くもの、など明確な役割分担を生徒に指示をしておく。こうすると何とか清掃が成り立つ。彼らはそうすると自分の役割が終わると、もはや自分の役割が終わったとばかりにふざけ始めてしまう。教室全体の清掃分担であるという意識は成り立たない。気働きを彼らに期待することは難しくなってしまっている。さらに箒の分担であれば、そのやり方を教師自身が見本を見せてやらないときちんとできない場合も多い。指示待ち人間が増えていると言われることは実感するのである。
 それでも清掃が成立しないクラスも多い。場合によっては生徒たちは遊んでいて、教師とわずかな良心的な(変わった)生徒が手伝っているだけのクラスもある。清掃の成否は基本的には個々の教師の姿勢に比例するが、一方、学校の体制として清掃を重要視して取り組んでいるかも影響する。清掃監督に、校長を筆頭に全員の教師が参加することが必要である。実は清掃監督を億劫がって行かない教師がある程度のレベルの高校の教師などでは少なからずいるのである。さらに、高校においては学力レベルが下がるに連れて清掃が成立しづらくなっているのも事実である。教師はその際に強制力を働かせることに躊躇してはならない。強制労働させる現場監督よろしく厳しくやる必要がある。生徒の自主性なるものを期待する方が現実から離れている。中学校の教師などは生徒と一緒に清掃をする。私はここのところ特別教師が介入しなければきれいにならないような場合、特別な薬品や器具を使う場合などを除いて、清掃を手伝わないようにしている。そうしないと全体を見渡せず、さぼる生徒を注意できないのである。学校において、真面目なものが馬鹿を見るという状況は年々広がってきている。私はそれを許せる心性を持ち合わせていない。生徒は時々私が清掃を手伝わないことを揶揄する。生徒はあくまで自分たちの地平に教師を引きずり降ろしたいし、教師も人間なので対等なのだと思っているからである。そのとき少し逡巡するが、教壇に登ることと同様に、生徒と教師の立場の違い、権力性を前面に出すことにしている。このような場合、なぜ教師が生徒に清掃を強制できるのかということについて、ただそういうものだというだけでなく、理論的に保証しておく必要がある。中には本気で質問してくる生徒がいるからである。
 清掃がある程度整然と行われている学校は、教室に秩序が保たれている証拠だと考えられる。同時に、壊れた器具、割れたガラス、汚いカーテン、など備品はすぐ交換すべきである。またトイレにトイレットペーパーがない場合はすぐに補充し、落書きはすぐに消す。タバコの灰がらなども教師が拾ってきれいにするべきである。汚れた景色はそこのいる人の心も汚していく。背景というものは重要なのである。
 ゴミ箱は通常教室の後ろに置かれることが多い。中には教室の前方やサイドに置かれる場合もあるが、ゴミ箱もやはり陰が強い場所を好むようである。教室は毎日多くの排泄物を生み出す。ゴミである。これには様々なものがある。主に生徒たちが食べた食事の包装物が中心で、空き缶、ペットボトル、朝のSHRで配られた書類、返却されたテスト、ぼろぼろのジャージ、どこかで盗まれた制服などである。これらのゴミは満杯になってあふれ出さないように、特に教師は気をつけないと行けない。教室全体に便秘が生じて病気を引き起こすのである。高校に置いては低学力の学校の方がゴミの量が多い。経済的な理由からか、手作りの弁当よりも、コンビニの弁当を買わせることが多いようだからである。またこのような学校の生徒はゴミ箱にゴミを捨てないで、自分の席の周りに放ってしまうことが多い。ゴミ箱に捨てる習慣がないこと、公共という感覚がないこと、さらに汚れに対する忌避の念が薄いのである。これは前述した境界観念が薄いことと関連する。教師はゴミをゴミ箱に捨てることから指導を始めなければならない。

教壇

 教室にはそこに権力の関係を示すものが唯一ある。それは教壇である。もちろんこれがない学校もあるだろうし、外国の学校にはない場合が多いのかもしれない。しかし少なくとも生徒は着席し、教師は立って授業を行う。目線は教師は上から、生徒下から見上げるようになる。
 教壇は聖なる場の祭壇である。人々はある特殊な場に足を運ぶことを逡巡することがある。宗教的な祭壇や、人々の注目を集める場などである。結婚式のスピーチの場などもその一つだろう。ちなみに結婚式に置いても主役の二人は客たちより一段高い場所に座る。
 私の経験では生徒は教壇の上に立つこと、そこでクラスの成員に話しをすることに躊躇するものが多いと感じる。LHRの時など私はみんなに話すのなら教壇の上に立って話しをしなさいと、登壇することを促すことがよくある。この心性は、生徒たちの中に平等意識が根強いこと。段の上に立って話すという特権に拒否反応があること。段の上に立つことによって生まれる緊張感に耐えられないことなどを感じる。私も教師になったばかりの頃、段の上に立つことに恥ずかしさを感じたものである。段の上に立つことはそれ以外の人々との間に明確な立場の違いを生じさせることの象徴である。このような場は教室ばかりでなく現代の社会でも世界中で見受けられるのである。
 

廊下

 廊下は他クラスの生徒、他学年の生徒、教師らが行き来する学校内におけるいわば公共の場である。さらに廊下の中でも校長室や応接室など、学校にとって異人が来る可能性がある聖性の高いところでは、生徒たちの暮らす教室のあるところの廊下とまた違った色合いがある。
 荒れた学校の生徒たちが、授業が始まっても教室になかなか入らず、廊下にたむろするのは、教室という閉ざされた空間に押し込められることを拒否するばかりか、廊下が外部の社会につながっている性格を持つためである。廊下を通して下足室に行き、靴を履き替えて校舎の外に出て、さらに校門を堂々と抜けたり、フェンスを乗り越えれば学校の場から脱出可能である。つまり、廊下は教室、学校から外部社会につながる最初の場所ということである。
 また、社交的な生徒にとっては、クラスという限定された人間関係の場から解放される場でもある。友人が少ない生徒にとってもわずかな他クラスの気の合う友達と接触可能な場所でもある。
 廊下は公共的性格からか、一方で管理者がはっきりしない。清掃の時などクラス間で責任の所在が問題になることもある。

下足室

 下駄箱が置かれる下足室は意外と重要な場である。日本ではここで下履きと上履きを履き替えるシステムを取っている場合が多い。履き替えるという行為は大変面倒なものである。上履きのまま外へ出たり、下履きのまま校舎に侵入する生徒も結構いる。教師でも生徒が見ていなければこのような行為をする場合がある。これも境界の問題であり、境界意識が乏しい生徒が多い学校ではこの場はあっという間に汚れてしまう。ここの清掃監督を行う教師は毎日気を遣って清掃を行わせないと、境界が不明確になり、やがて校舎内部も次第に汚れ、秩序がゆるみ始める。
 上下足の区別を付けさせる指導というものは意外と重要である。学校の構造上、教室からすぐに外へ出られたり、渡り廊下から外へ出やすい場合もある。その際、学校によっては黄色いラインを引いて、ここから外は下足、中は上履きといった区別をわざわざ付けることがある。これも境界概念を生徒に植え付けることによって、間接的に秩序維持機能を強化しようとしている。また、体育館周辺では、上履きと体育館シューズによってさらに区別を付けている学校も多い。この境界の守護者は主に体育の教師が行う。名目は体育館に上履きではいると汚れてけがに結びつくという考え方であるが、本質は体育館を周辺の環境から隔離させ特殊な空間にさせることを意図している。体育館の場の守護者は体育教師であり、体育の価値体系によって守られた空間なのである。この体系は他教科の教師にもほぼ共通して共有され、そのルールに違和感を持つものも従う。体育館で全校集会などが行われる際、校長を筆頭にほとんどの教師が体育館シューズを持って体育館に向かい、中に入るときには履き替える。場のルールに、学校の最高権力者でさえ尊重するのである。これは進歩派教師とて同様である。
 下足室はいじめや暴力、喫煙などの生徒の非行の温床になりやすい場所である。比較的教師の目が届かず、また境界を形成している場であるために管理者、場の権力者が不在である。そのためその場の占有権を生徒集団の非公式グループが持ちやすい。この場で「溜まる」生徒たちが生じる。その他の生徒たちが近寄らず、不良グループの管理下におかれた場に転化することから様々な問題が生じるのである。

トイレ、校舎の裏、学校の近隣の公園

 下足室のような場は他にもある。山口昌男は『学校という舞台』という著作においてこのような場所を「イナーシア」的な要素があるとしている。「イナーシア」とは英語で、触れると何もする気がなくなるようなものとし、髪の毛や爪など死んでも伸びてくる不気味なものや、血などを指しているという。空間においてもそのような場所があると指摘しており、それがトイレや廊下、学校の裏庭、体育館の陰などであるとしている。そしてこのような場所こそいじめなどの舞台となるとしている。場の位置づけとして、トイレは清浄に対して不浄の場として位置づけられる。また、このような周辺部にはある種の魔力が存在し、生徒たちに不良行為を行わせてしまうのでもある。
 私も長年の教師生活を経験して同感である。トイレは喫煙や恐喝などの舞台として時代と場所を越えて存在している。トイレを巡回しているとタバコの吸い殻などがよく見つかる。吸い殻が露骨に捨ててある場合もあるが、用具入れの奥や、サッシのレールの中に百個以上もおいてあり、しかも長い年月がたったかのような古ぼけたものも見つかることがある。生徒が入れ替わってもこの場所がどういう場所であるかを指し示している。「イナーシア」との関連でいえば、私は、女子トイレに大量の切られた髪の毛が散乱していたのを見たことがある。誰かがいじめにあって髪を切られたのではないかと、教師たちがここしばらくの間で髪の毛が短くなった女子生徒から事情を聞いたが、結局わからずじまいだったことがある。
 このような閉ざされた場であるのを防ぐため、男子トイレに限って入り口のドアを取り外している学校もある。外からその様子を見ると奇妙である。落ち着いて用を足せないのではないかと思ってしまう。陰なる場に少しでも光を当てる試みだが、このようにしてもどうにも秩序が成り立たない学校も多い。陰の場はもはやトイレから廊下へと拡大してきているからである。
 校舎や体育館の裏も同様に学校の陰の場である。教師はこのような場に足を運ぶことはまれで、この場にタバコの吸い殻をはじめとしたゴミが散乱していても気にとめてきれいにしようとするものはあまり多くない。業務主任(用務員)の中で熱心な人が時折きれいにするばかりである。何しろ教師たちはまず光が当たる目立つ場所からきれいにしていくのである。
 よく、その学校の秩序が安定しているかどうかは、トイレをみればよくわかると教師集団はいう。毎日清掃がなされているか。トイレットペーパーが交換されているか。タバコの灰がらが落ちていないかなどである。何しろ不浄は犯罪行為を誘発しやすく、場の秩序に対する感性を奪う。そこにはカオスのみが出現してしてしまうのである。
 このような場所には不良たちや孤独で喧噪を嫌う生徒たちが立ち寄る。たまたま不良グループが喫煙などをしている場所に、孤独な少年などが立ち入って出くわすと、この少年がターゲットになっていじめられたり金をせびられたりすることもある。いずれにしてもこのような場所を好む生徒たちがいるということである。
 学校の近隣の公園や登下校の道筋のちょっとした曲がり角も、不良たちのたまり場になりやすい。近隣住民からの匿名の通報によって教師がそういった場に駆けつけることもしばしばである。校内の秩序さえままならないのに外のことを優先するのは、学校が、まずは体面を保たなくてはならないからである。学校は外からの評判にますます神経質になるのは今後とも続くであろう。

学校の異人

 学校内で子どもが接する大人のほとんどが教師である。生徒は大人像というものを自らの保護者と教師からしか得られない。日本社会においては父親が不在で母親と接する場面が多く、また教師も独特の価値体系、すなわちルソー的な子ども中心主義をベースとした体系によって生徒と接する。そういうことからすると子どもが大人になるまでに真の意味で大人社会の価値体系を身につけた他者に出会うことは、近代に入ってからその機会は急減してきた。そういった中で学校に異人が入り込むことは学校の体系を揺さぶり、生徒たちの持つ価値体系を変化させるのに有益である。
 先ほど述べた業務主事(用務員)もその一人である。彼らは教師と違った価値体系で動く。また教師に比べて社会的地位は低くとらえられがちである。そのことは社会の差別システムを生徒たちに示唆すると共に、一方で違った生身の大人を生徒に見せることができる。彼らは学校の指導基準などは知らないから、一般社会のルールに従って生徒たちと接する。案外大目に見ることもあれば、教師と違ってある場面では厳しく生徒たちを拒否することもある。価値の体系に二重の基準があることを生徒は知るのである。また彼らは自分の仕事の範囲をしっかり保ち、それ以上もそれ以下もやらない。私は彼らと人間関係を持つようにしている。もちろんこれも人を見てだが、話が通じるならば仲良くする。教室の補修や清掃の時に、彼らとの人間関係が役に立ち、教師が見ることのできない生徒の様子や学校内の動向を知ることができる。
 同様に図書館の司書、保健室の養護教員も教師の見えない部分を見ることができる。最近学校に導入されつつある、臨床心理士、相談員なども特殊な立場を保持している。彼らは職員会議の場では中心から排除される(相談員は特殊な例を除いて参加しない)が、独自の価値体系を背中に負うことから時として一目置かれるのである。彼らは学校における周辺人として位置づけることができる。

 転校生、転任教師、留学生

 私は昔から転校生に興味があった。自らも転校を経験したのだが、同じ市内の小学校に転校したにもかかわらず、文化性の差にとまどい、六ヶ月は寂しい思いをしたものである。転校前の学校は牧歌的な田舎の小学校でのんびりとしており、教師たちも緊張感を全面に押し出していなかった。一方、転校先の小学校では、教育委員会が先端校として力を入れており、年に一度全国大会と称して、各県の教師などを招いて授業公開をする日があった。これに向けて強迫的に生徒たちを活動させたのである。校内には緊張感が漂い、転校生に気を向ける教師や生徒はなかなかいなかった。
 逆に転校生を迎えるときに私が最も興味があったのは学校の文化性の差異である。学校のシステムのあり方、言葉や習慣、その他である。彼らは学校の異人として、異なった価値体系を背負っていた。彼らから異彩が放たれていたのである。
 しかしやはり六ヶ月くらいすると、彼らはいつの間にか同化し、周りと区別できなくなっていた。あるとしたら、彼らがその学校にいなかった昔話をしているときくらいである。彼らはその学校の価値体系を体得し、馴染んでしまうのである。
 同様に転任してきた教師についても同じことが言える。彼らは違った文化性を背負っている。私は彼らが以前に勤めていた学校の文化性や状況に興味を持つ。生徒は転任教師に対して、その学校の慣習や文化体系に馴染んでいないことから、同様に違和感を感じ、信用をおかない場合もある。さらに行動が奇異な場合、揚げ足を取ったり、反発したりもする。しかし一方で、転任教師に対して違った文化性を感じ畏敬の念を持つこともある。
 一方で私も何度か転任をしたことがあるが、そのたびに新しい学校の体系になじむまで、エネルギーを使い、やはり馴染むまで半年か、それ以上かかる。転任した当初は前の学校とやり方が違うと違和感を持つものである。と同時に、転任先の学校の良いところ悪いところ(自分の価値体系の中で)がよく見える。他の転任教師も同様であるから、転任してきた教師のその学校に対する見方は大切にするべきである。ただ、一般的に、あまり前任校はこうだった、この学校はダメだ、という教師は学校内で好まれない。いつまでたっても同化の兆候を見せないからである。
 教師は最初に勤めた学校を自分の価値体系の基準として心に留めることが多い。または長くいて、かつ居心地のよかった学校の価値体系である。最初に低学力の学校に行くと、まず秩序に対する感性が鋭敏になる。一方進学校に最初に勤めると、教師の領分は基本的に授業だけであると考えやすい。このあと低学力校に移るとあまりの文化性の差にパニックを起こしてしまう教師もいる。
 私は、高校の場合、若い教師には低学力の高校をまず経験させるのが良いと考える。秩序に関する感性のみならず、教師の権力性という根源的な問題に直面しなければならないからである。
 転校や転任は、その人物をリセットさせる機能を持つ。生徒にとっては小学校から中学へとか、高校へとか違う学校に進む場合も同じである。転任教師は、組合派だった教師が急に管理職を目指したり、一生懸命やっていたものが急に力なく勤め始めたりと、自分のスタイルや考え方を変える契機となる。基本的な性格傾向は変わらないが、一方で死と再生の変換を行うことができるのである。
 留学生はまさに異文化をそのまま持ち込んで、学校という村落共同体を揺るがす。日本の高校の多くは留学生を特別扱いし、日本語の指導などに特別に教師を割り当てたりすることが多い。一方アメリカなどは日本からの留学生を特別扱いしない。英語という国際的に使われる頻度の高い言語を母国語を持つ国という面を割り引いても、特別扱いしないということは、一方でその人物を共同体の成員として公認することを意味する。一方日本ではまだまだお客さんであり、旅行者として扱うのである。それは学校という社会の閉鎖性を示している。ALT(語学の補助教師)についても同様で、職員会議には参加できなくて、境界人(マージナルマン)である。
 留学生たちは若いためか日本の学校文化になじみやすい。来日当初ミニスカート姿の高校生に驚いた彼らもしばらくすると自分のスカートを巻き上げたり切ったりしてミニスカート姿に変貌する。髪の毛の着色に興味がなかった留学生もほどなく髪の毛の着色をし始める。中には授業をさぼったりする留学生もいる。この場合留学生に対し、学校は円の内部にいる生徒に対してと違う処分を行うことが多い。二重の基準を当てはめる。これは留学生を外部に位置づけている証であり、日本文化への適応を促していないことになる。教師のメンタリティーの中に日本は特殊で、外国には自らの文化が通用しないとでも思っているようだ。私はできる限りそのようなことはしないよう心がけている。授業で最初に示したルール(チャイムが鳴る前に着席しておくこと)などは、留学生が入ってくる九月に彼らに説明し、それができなければペナルティーを加えるのも内部の生徒と同様に扱う。しかし気分的にはやりづらい。その一番の理由は語学力である。留学生が自分のクラスの成員になることは、多くの教師は嫌がるのではないかと思う。
 しかし、今や単なる一見さんではない外国人が増えつつある。東南アジアや日系ブラジル人などの日本に定住する生徒が学校に流入するようになってきたことである。彼らが一クラス三~四人いる場合も出てきているだろう。こうした傾向は、学校の中での構造を変化させる。かつての同和地区出身、在日朝鮮人といった生徒たちに対する差別問題よりも、こちらのほうがより深刻な問題になることが、一〇~二〇年後には予想される。
 
二一 開かれた学校

 近年学校を開かれたものにしようと様々な試みが行われている。民間出身の校長の導入もその一つである。開かれた学校という考えは、学校内に異人の来訪者を増やす。すなわち、教師と生徒たちが中心になって作り上げた学校という場の価値体系に、違ったそれを侵入させようとする試みであると私はとらえている。民間出身者は市場経済と、企業内の集団秩序の価値体系を学校に持ち込もうとしている。また、教師を民間企業へ一年間研修に行かせるシステムもまた同様である。
 ところが不思議なもので、民間出身の校長が来ても次第に学校のレトリックを身につけ、学校人として振る舞うようになってしまうのである。民間出身の校長が自殺した悲しい事件が起きたが、これは学校の価値体系と企業社会の価値体系の間の葛藤ではなく、体制派と反体制派のいわば学校の価値体系内部の争いに巻き込まれたものであると考える。そうした対立に民間出身者が慣れていない結果だと思う。
 民間に企業研修に行った教師も、企業ではお客さん、一見さんとして扱われ、戦力としてカウントされない。また学校に戻ればすぐに学校の体系に戻ってしまう。それほど学校の価値体系は根強く、大方の改革では容易に変化しないものであろう。変化があるとすればそれは社会の変化による影響の方が強いと思われるが、社会主義下だったソビエトの学校も、北朝鮮の学校も、おそらく日本の学校の持つ価値体系に似たものを有しているに違いない。学校というシステムそのものが持つ価値体系だからである。先進資本主義諸国ではさらに日本の学校と似たようなものであるのはいうまでもない。
 したがって、学校の価値体系を嫌うものはそもそも学校が嫌いなのであり、その反感のエネルギーを学校の言説に紛れ込ませてくるのである。学校ほど批判されやすいものはない。誰もがその場にかつていたわけだし、みなが払う税金が学校に投入されているからである。
 保護者が学校経営にに参画する必要性は認める。荒れた学校で保護者に校内の巡視をさせたところ、ある程度効果を発揮する。生徒も教師と違った立場の大人の価値体系にはある程度敬意を表する。しかしPTA活動というものは昔から存在するが、保護者の関心はそれほどなく、PTA総会などは参加者が少ないのがどこの学校でも共通した現象である。一方、個人面談には保護者の参加率は高い。自分の子どもには興味を持つが、学校全体については、あたかもボランティアであるというようにとらえ、報酬がないことから参加率が低いのである。一部の、人間関係を充実したい人や、政治的動気を持つ人が積極的に参加し、残りはくじ引きで仕方なしに参加するのである。
 総合学習などにおいて職業体験の修行をすることはそれなりに意味がある。往復三時間かけて都内に通う父親の労働する姿は、生徒たちは目にすることはない。その代用として、地域の職場に生徒が訪れることは意味がある。しかし教師は生徒に大人社会のあり方を前もって教えておかないと、テレビなどで報道される予定調和的なふれあいの姿だけではなく、もう二度と来ないでくれと、生徒たちが邪魔ばかりするということはよくあることなのである。
 開かれた学校が叫ばれてまもなく学校に侵入した不審者によって生徒が殺されたり、傷つけられるという悲しい出来事が起こった。これは学校を開くことに水を差すと同時に、学校という場を閉ざすことにもつながった。学校の門が開かれることは、良いこと悪いことあるのだということを考えなければならない。

二二 学校の道化

 秩序の攪乱者が道化の性格とすれば、どのような学校においても、それが進学校であろうともそうでなくとも、一定の遊びを体現するもの(不良)と、秩序に従順で真面目なものにいたるまでの各階層に分類できる。この現象は不思議なもので、人間が共同体を形成すると、その構成員は予定調和のように秩序に親和的なものとそうでないものに分解するのである。おそらくそれは無意識的に行われ、中には場のバランスを考えて、意識的に道化的な役割を演ずるものもいる。一方で、構成員の排除の圧力により、意に沿わず道化的立場におかれるものもいる。これは、場において自然に調整する力が働くからであって、誰かが恣意的に仕掛けたものではないと思われる。
 このような現象は生徒間の間だけではない。教師集団の間にも起こる。校長派と反校長派のバランスの問題があるとすれば、どちらかが強い場合、バランサーになる教師は校長派が強ければそれにアンチの立場に立ち、その反対であれば校長派、体制派に寄るものである。
 ここ何年かで学校現場では組合の力がかなり弱くなってきた。日の丸君が代問題に対する体制側の攻勢や、組合が政治的すぎることから一般の教師が加入しなかったり脱退するケースが出てきているからである。しかしある校長は、組合があった方がよいという。それは自分の権力性を自覚したとき、チェック機能が働かない場合、自分の行いに不安があるのである。同じように教師たちも、校長ら体制派の横暴に対して不安を抱くのである。
 学校の道化の中心的存在である不良生徒たちは、常に学校の境界の守護者たる教師の隙を狙い、境界を飛び越えようと試み、また実際に飛び越える。教師は常に道化たちの動向を注視する。よく、生徒個々人に対しての指導ということがいわれるが、それだけで生徒の指導ができるわけではない。おそらく五〇%以上、教師が意識して、かつ力を注ぐのは、教室における力学の問題である。力関係に安定性がないと個々人の指導も成り立たない場合が多い。それは、生徒が教師の話に耳を傾けなくなってしまうからである。教師たちは学校内の、またはクラスの内部での道化的要素の強い生徒の動向をチェックする。これは、彼らが境界を侵犯するからである。教師にとって境界を明確にしておくことは死活問題である。ひとつの境界が破られれば、あっという間に次の境界の突破を許してしまうからである。
 学校によってどこに境界を置くかはそれぞれ異なっている。秩序が乱れている学校で、厳しい境界線を引くことは困難である。しかし比較的守りやすい境界を引いておくことはこのような学校でも必要である。例えば、服装の規制に関してのある部分や、時間を守ることなどである。それでも境界を突破してくる生徒がある。しかし学校はそれは計算の範囲内である。一定の割合内の生徒が突破してくるならば、それらの生徒を個々に指導して、枠内に戻すことをすればいいからである。逆に、線を引いたところを突破してきた生徒を放置すると、後続集団が次々と境界を突破してくる。だから先頭者をどのように対処するかが重要で、後続のものはそれを息を殺して注視しているのである。
 学校の指導でよくあるのが、生徒たちが○○さんはどうして注意されないのか、という反論をしてくることである。それに対して教師は○○さんにも注意をしている。それに君は、ルールを破っているのだから、まずそれを訂正してから教師に対してクレームを付けなさい、という言い方をするのが一般的で、私はそうしている。
 このように言ってくるのは比較的女子生徒が多い。女子生徒の境界の引き方は男子生徒のそれと異なっている。男子生徒は学校の体系というものを女子生徒よりも意識する割合が高い。だから境界を越える際にある程度の覚悟を決めて飛び越えてくる。それは学校の体系に対する挑戦である。したがって、彼らは周りの生徒たちを意識し自らが目立つことを主眼におき、あえて学校の秩序のの攪乱者たらんとするのである。このような生徒に対しては一対一の関係が功を奏することが多い。教師とその生徒の人間関係であり、多少の暴力的部分を含みつつ、一方で人情に訴える方法である。学校の体系についての立場からの説明をすることもあるが、それよりも前者の方法の方が有効のようだ。
 一方で女子生徒が境界を飛び越えてくるときは、学校の引いた境界を強く意識することは少ない。彼女らは自分たちの仲間である女子生徒たちが作る境界線を意識する。教師たちの作る境界線にはまるで興味を示さない。彼女たちのスタンダードを一歩超えて自分の存在をアピールしようとする。したがってこのような場合、学校の体系を維持しておくことが教師にとって大切である。女子生徒たちを指導するには学校全体での境界線を上げ下げすることでコントロールするしかない。彼女たちは全体に漂う雰囲気に非常に敏感なのである。もちろんそれは学校を離れて社会に漂うものに対しても同じである。
 このように境界を突破する生徒を指導する場合、まずは最も逸脱した生徒を真っ先に指導するのが肝要である。二番手三番手を指導して直させて、一番手を浮き上がらせる方法もあるが、これはあまり効率的とは言えない。やはり一番手のものを叩いて、境界の逸脱度を下げていく方が、生徒たちからみても納得されるのである。ただ、教師の仕事はこのモグラたたきを年間を通して行うことになるのであり、根気強く、無理のない範囲で行うことしかないのである。
 教師の中には、境界突破の一番手を、スケープゴートとして生徒たちの前で派手に叱るという方法をとることがある。これはかつて、学校内の境界が明確で、教師が教師としての聖性がある程度保たれている場合には有効で、私が経験した範囲ではそういった牧歌的な時代を知る年配の教師がこのような方法をとることが多かった。しかし、今の時代はこのような方法をとることはリスクが大きい。生徒たちの自我が脆弱になり、一方でその分自らの自我を守ろうとする力が強く働くことから、傷つけられたとして教師に猛然と反発してくることがある。そして叱られたその場で生徒として振る舞うことをやめ、対等な人間関係に座標をずらし、教師に文句を付けてくる。この場合生徒は、叱られた内容について抗議するよりも、むしろ叱り方について抗議してくることが多い。そんなに大声出さなくてもいいのではないかとか、みんなの前で叱るのはどうかというふうにである。そしてかえって教師の位置がずれてしまって、その他の生徒たちにも教師の聖性が虚構であったことがあらわにされてしまう。このような姿を見たくないという生徒は多いわけだから、このような場面を作ることは教師は極力避けなければならない。しかし、こういったノーガードの撃ち合いも避けられない場合もある。そのためには理論武装して、かつ一貫性をもって生徒に当たるしかないのである。
 したがってこのように境界を突破してきた一番手の生徒は、他の生徒がいないところに呼んで、しかも場所は落ち着いた指導室や、職員室に呼ぶ場合も小さな声で周りにその内容が聞こえないように話しをしていくことが肝要である。それでも効果がない場合、学年主任や生徒指導主任、教頭、など個々の教師が指導しているのではなく、学校全体が指導しているのだということを生徒に知らしめて、学校の価値体系を実感させるほかないのである。場合によっては保護者を学校に呼ぶという、学校の権力性を行使する必要もある。
 教師という仕事は個々人を相手にする能力もある程度必要であるが、むしろ集団をどのように作っていくかということが試されることが多い。それはクラスであり、部活動であり、生徒会などの集団である。私の場合、クラス経営には次のような方法をとる。まず四月のクラスの始まりの時に、これこれは認めないと境界を明確にする。例えば遅刻をした場合、その旨の連絡がないときはペナルティーを行う。SHRの時は静粛の状態を保つ。などである。このようなことは一年の途中で投げ出してはいけない。最後まで貫徹することが大切である。そのためには、最初からできないことはやらない。自分の力で補える範囲だけを明示して実践する。このことで明確な境界を作り上げることができる。万一自分の設定した規制が、生徒たちの状態と照らし合わせて不可能になった場合は、理由を説明して躊躇なく打ち切る勇気も必要だ。基準を下げてまた境界を造り直す作業を行う。
 授業においても最初にルールを設定している。時間までに着席しておくこと。教科書などの教材を忘れずにもってくること。私語をしてはいけないこと。携帯電話をいじってはいけないこと。いじった場合は預かること。ガムや菓子を口にしないことなどである。
 最初に言っておいた方が良いのは、あとから基準を強化すると、生徒からの反発を受けやすいのである。私の場合、最初は厳しい教師と思われるが、あとからそうでもないと理解されることが多い。ただし、第一印象も大切である。最初にこのように基準を提示することによって、あの教師は嫌なやつとレッテルを貼られることもある。どちらを取るかは個々の教師にゆだねられるが、私は最初に基準を提示することの方がやりやすい。
 このようにする場合、生徒集団の見立てをしっかりしておく必要がある。それは個々の生徒たちはまだ理解できていないので、過去の経験から導かれたおおよそのラインと、勤務する学校の状況を勘案する。そして言ったことを必ず実行する。口先だけでは信じられない。授業に遅れないように教師が教室に入るのはなかなかきついことなのである。
 席替えは、生徒たちがよく要求してくることである。席替えの機能は、単調な毎日を送る生徒たちにとって、今までの状況を清算する、場の転換となる。生徒たちの多くは聖性の薄い教室の後方や、外部との境界である窓際を好む。教師はこれをうまく活用する必要がある。私は一ヶ月半を目安に席替えをしている。だいたいフリー抽選で、男女関係なしである。しかし偶然、仲のよいもの同士が席が近くなり、授業中などに私語がやまない場合もある。こうしたときは最初に注意することや、席と席の適切な距離を保たせるようにさせるが、それでも収まらない場合は再び席替えを行うという荒療治にでる。席を教師が決める場合もあるが、その恣意性が生徒の不信をかう場合もなきにしもあらずで、私は特別な場合を除いて行わないようにしている。

二三 特別権力関係

 このように教師は自らの判断で規制を行う。それは学校全体の規制と大きくかけ離れてしまわないようにする必要があるのだが、時には生徒が、どうして教師にはそのような権限が許されるのかという、根源的な問いかけをしてくることがある。これに対して教師はそれなりの回答を用意しておかねばならない。かつてのように、教師は教師であり、生徒は生徒であるという牧歌的な関係を期待できないからである。
 かつて学校において、一般社会における法体系と異なる権力関係が許されていたことについて、「特別の権力関係」という概念がもうけられ、それにしたがって学校では学校独自の法体系によって生徒を指導、処分してきたのである。それは「特別の公法関係」という言葉に取って代わり、ここ何年かにいたっては、「私法契約関係」によって学校と生徒の権力関係が規定されるとされてくるようになった。つまり、生徒が入学する際に、学校に入学したら、学校と契約を結び、学校の法体系に従うという契約を結んだという考え方である。
 しかしこの契約という考え方は教師にも生徒にも浸透していない。学校側は、生徒を募集するに当たってや、入学前の説明会において、契約という概念を十分説明していないし、契約書も存在しない。「在学保証書」という書類に、保護者は生徒を学校の規則に従わせます、という記述があるくらいである。だからこの書類の意味は大きい。もちろん単位の認定や、生活の規定について説明はしている。それが契約という形をなしているかと言えば不十分なような気がする。なぜならそれが生徒や保護者に浸透していないからである。説明は説明として受け取られ、実際に権力が発動される場合については説明不十分なのである。
 生徒たちは学校の場を契約で規定された場とは考えず、教師と生徒の間で予定調和的に生じた場であると考えている場合が多い。したがって教師に与えられた権限と、生徒が意見を表明する範囲について生徒の考えは明確化されていない。その結果生徒たちの多くはそれを拡大解釈して教師は自分たちの思い通りになるべきだと考えてしまう。そのようなことをするのは先生の権限ではない。とか、私たちが教室の使い方について決める権利がある。などである。特に服装の規定などを違反した生徒を指導するとき、服装の自由化がマスコミによって取り上げられていることもあって、教師にどうしてそのような権限が与えられているのかと抗議する。私はその場合、学校というものは県民が選んだ知事や議員によって設置され、教師は知事によって任命を受けている。学校には一定の裁量権が与えられており、規則を決め、指導を行うことができる仕組みになっていると話す。また、入学前に学校や教師の指導に従うと契約を交わした形になっているのだと話す。大方の生徒はこの説明で納得する場合が多い。じゃあ不満があったらどうするのかと言うことをきかれるが、君が大人になって納得のいく学校を作るように議員になったり、政治活動を行ったりすればよい。もし今すぐ直したければ、裁判所に訴えることもできるかもしれないし、生徒会などを通じて自分の意見を表明することもできる。場合によっては第四の権力であるマスメディアに訴えることもできる、などと話す。結局生徒はその場で担当の教師に基準をゆるめさせたいわけであるからそのような遠回しなやり方はできないというわけである。
 私は服装指導などは、該当生徒とのよいコミュニケーションの場であると認識している。こういう機会に話を交わすことで、生徒は世の中の仕組みを学べるわけだし、教師という人種の特性を知ることもできる。教師にとってもその生徒の考えていることが、追いつめられた状態ほどよく出てくることから、その生徒の理解に通じる。ただし教師はその生徒との会話において、エネルギーを100%注入していく必要がある。真剣勝負である。中途半端や、機械的な会話では生徒は納得しない。だからこそ服装指導は教師を疲れさせるのである。

二四 生徒会

 生徒会の機能について付け加えておくと、生徒会が決められる範囲というのは、あくまで、文部科学省、教育委員会、校長や教師たちが定めた範囲の中の狭い領域にだけである。言ってみれば民主主義の予行演習に過ぎなくて、実質的な権限は与えられない。手のひらの中で泳ぐ魚のようである。場合によっては教師たちによって、生徒総会のシナリオさえ書かれてしまうことがある。こういった現状が露呈すれば生徒会活動に無気力化する生徒が増えることは当然である。何かが変わるわけではないからである。しかしそのことは今の民主国家においても同様ではないかと思う。自分の一票が世の中を変えるという実感を味わえない、政治的無気力と、生徒会は似ている。それでも生徒会の存在意義は私はあると考えている。様々な意見があることによって、校長や教師集団に間接的に影響を与えるし、一方で、発言力の大きい目立つ生徒の意見ばかりが生徒たちの声ではないということがあらわになることがあるのである。比較的秩序親和型の生徒たちは、校則は厳しい方が住みごこちが良いのである。ふたを開けてみると校則の自由化が否決されてしまうなどと言うことが、教師の操作なくしても起こるのである。
 現在の高校の生徒会に入る生徒たちの動機は、仲間作り、という側面が強い。部活などと同じように居場所のひとつである。場合によってはクラスで浮き気味の生徒たちの集まることもある。そう意味でも生徒会の存在価値はある。彼らは若干生徒会の仕事を自己目的化し、やや「おたく」的様相を示すこともある。しかし彼らに試練を与えるのは、一般の生徒たちを動かさねばならない行事などである。「おたく的」な彼らが無意識に一般の烏合の衆と対面するときの苦しみを求めているようにも見える。それは自らの行動、性格を他者に広げていくという、人間的成長を求めているようにも見える。
 
二五 いじめは無秩序な方がおきやすい

 もしこれこれのことをしたら退学にしますなどという契約書を結んだとしたら、それこそマスメディアの攻撃を受けるだろう。それは学校の聖性から、ドライな契約という概念を持ち込むなど、悲しいことであるという、性善説に立った考え方が強いからである。監視カメラを学校という場に持ち込むことも性善説の観点からすると許されないのは当然だろう。イギリスでは荒れている学校に監視カメラを導入しているのだという。日本人はこのことを人ごととしてあまり具体性をもって考えない。しかし現状では盗難や暴力がひどくて、監視カメラが必要である学校も、少数ながら存在する。こういった学校では弱者が、逆に性善説によって追い込まれるという悲劇が生ずる。治安が悪ければいじめはますます拡大し、弱きものは被害者となるのである。
 学校の管理が厳しくてそのストレスがいじめを引き起こすという言説が未だにマスメディアなどで闊歩している。しかし私の経験上これは明らかな間違いである。そもそもストレスを引き起こすほどの管理を学校はできようもない。逆に秩序が乱れて学校が荒れている場合ほど、原始的な暴力が生徒を支配し、弱いものいじめがはびこるのである。いじめは生徒たちから教師に訴えることは少ない。生徒は生徒たちの世界の中で様々なことを完結させようとするからである。しかし、生徒たちの心の一部に、誰かを傷つけると自分に不利益があるとする心性が働くことによって、最悪の場合を防ぐことができる。それは教師が審判としてそこそこ機能していることが必要なのである。「見つかれば」処分されるという秩序的な雰囲気が生徒たちの間に漂っていることで、いじめの程度が弱められる。もし教師がカオスの側に加担したとき、弱い生徒にとっては悲惨な状況になる。彼らに対するいじめはとどまることがなくなってしまう。
 私が教育実習に行った中学校は、私が世話になった2年前にマスメディアに大きく取り上げられたいじめ事件があった。かわいそうなことにいじめられた少年は自殺してしまった。「行きジゴク」という言葉をその遺書に残した。私が訪れた2年後の中学校は、前述したように大変荒れていた。そこには無秩序が覆っていた。いじめられた少年はいじめられている状況よりもむしろ、このような無秩序の雰囲気に窒息しそうになったのではないかと思う。私の行ったときの生徒たちも、それぞれのやり方で自己防衛をしていた。時には不良グループに加担し、ある時は教師に頼りと。しかし教師個々人ではなく、学校の教師集団のつくる体系が、あまりにも薄く弱かった。マスメディアは当時学校の内部に入り取材を重ねたはずである。しかしその中学が荒れて無秩序が支配していたことは、私が知る限りなかった。一体何を見ていたのだろうと思う。もちろん一九八〇年代後半という、まだ教育に対する自由主義信仰が強かった時代である。その後、少年犯罪が何件か起きていく中で、それらを学校の責任に帰する論調は急速に退潮した。今であれば、いじめが無秩序=カオス=ジゴクで生じることを報ずるメディアもあるかもしれない。
 ある程度の秩序は生徒の心を安定させ、弱い生徒にとって比較的安住しやすい。しかし面白いことに、頑なで孤立しやすい生徒ほど教師に対して反発心を感じるのである。秩序が彼らを居心地良くさせる一方、その秩序を作る体制に対して彼らは嫌悪感を覚える。これは奇妙な逆説で、私は左翼的心性と共通しているのではないかと考えている。実際、市民運動などに飛び込んでいく人々は、学校という社会で比較的孤立しやすい頑なな人が多いのではないかと思う。こういう人は学校でまず体制(教師たちのみならず周りの生徒たちも含めて)に対して反感と受け入れがたさを覚え、それをさらに社会に投影させていくような心性を持っている。
 もう一度いじめの問題に戻る。いじめは古今東西どこにでも起きている。いじめと、それを乗り越えていく物語は、神話や寓話にあふれるほどある。継母いじめを乗り越え復讐を果たす平安時代の『落窪物語』や、西欧のシンデレラの話など枚挙にいとまがない。いじめはいつでもあり得るものだと教師をはじめとして大人たちは考えておく必要がある。大人の世界でさえ、リストラなどに関わっていじめはある。そこでどのように生き抜いていくかを子どもたちに伝えていく必要がある。と同時に弱いものいじめはいけないことであるという価値観を訴え続け、さらにそれを担保する体制を学校の中に築く必要があるのである。すなわち、いじめを発見した場合、その程度により罰を加えていったり、謝罪させたりすることである。そしてまた、学校において教師がきちんとヘゲモニーを握っている必要がある。いじめっ子が教師を上回る力を学校で振るい始めたとき、学校は無秩序に化してしまうのである。教師たちが生徒にとって御しがたく、思うようにできないと生徒たちの反発するエネルギーは学校へ向かう。このときいじめっ子といじめられっ子は少しだけ共闘できるのである。共闘できると言うことは同じ地平に立つと言うことで、その瞬間だけ立場に強弱はなくなる。こういう瞬間がないといじめっ子といじめられっ子の力関係は永遠に上下関係として固定化されてしまう。そのときいじめは激烈化する。

二六 性善説性悪説

 教育の世界には、特に日本では、子どもは自然状態では善なるものであるという言説がまかり通っている。これは日本古来、子どもは神の子であるという考え方と、近代の啓蒙思想、特にルソーの思想とが合体強化され生じてきたものと考えられる。ルソーは自然状態では人間は善であるとし、文明化が人間を悪に導いたのだとする。
 西欧中世においては子どもは人間であると見なされず、家畜のような取り扱いを受けていた。少なくともそういった雰囲気があった。今でもヨーロッパでは人間そのものを性悪説でとらえる傾向が強い。教育という装置は、子どもを大人に変える改造装置であると見なされている。一方日本では、教育は手段と言うよりも目的化し、学校生活そのものが楽しくあらねばならないという言説が強く、強迫的である。
 子どもは道化的である。あっという間に秩序の境界線を飛び越えて別の世界へと飛躍する。学校という装置は、子どもたちの道化性を飼い慣らし、秩序だった世界に導くものである。そして秩序の攪乱は決められた祝祭の場においてのみ認められるものとしていく。このように書くと大人は悲しい気持ちを覚えるかもしれないが、人間が社会を形成し生存していくためには仕方がないことなのである。もちろん大人の世界にも道化は存在する。しかしそれは社会全体で少数にとどまらなければならないし、かといって絶滅させることもできない。
 学校に秩序や境界を設けないのならば道化たちは自由自在に闊歩する。ある意味でホッブスの「万人の万人に対する闘争状態」は子どもの世界に実現してしまう。そして道化たちは彼らなりの新しい、力による不安定な秩序を形成する。学校が道化だらけになってしまったとき、道化は道化でなくなる。新たな王が生じてくる。
 私は何年かの教師生活で、子どもたちの醜い面と、驚くような善意との両方に出くわしてきた。しかもそれが同一人物にあり得るのである。人間の多面性について思いを深くする。そして己を振り返ったとき、私自身の中にも天使と悪魔が同居しているのを発見する。ただその両者を私の自我の力がかろうじてコントロールしている。それはフロイトの言う超自我のようなものであり、外部の圧力によって形成されたものである。教師はこの外部の圧力に徹しなければならない。徹していても、生徒は教師の中にある天使と悪魔の両方をうすうす感じ取るのである。
 つまり私は生徒には性善説も性悪説も当てはまらないと考えている。そして現在の教育を巡る言説はいささか性善説に偏っているのではと危惧する。そのような見方をすることが、実は生徒たちが自ら自身や、社会について盲目になってしまうのではないかと危惧している。

二七 母性的な場としての学校

 学校が性善説に傾斜しているのは、学校の価値体系が河合隼雄氏の言う母性原理に寄って成り立っているからである。河合氏によると母性原理とは「包む」機能を持ち、全てのものを同じ価値を持つものとしてしまう。一方、父性原理においては「切る」機能があり、物事を区別し、場合によっては排除の機能が働く。氏によると日本社会は母性原理によって動き、ヨーロッパ社会は父性原理によって動いているのだという。
 欧米において個人主義とそれにセットになっている個の責任という概念は父性原理によってもたらされる。平等はあくまで神のもとによる平等である。一方日本においては神なき国(多神教的なアニミズムは生きているが)である一方で、人々が集まるところによって「場」、阿部謹也氏の言う「世間」も同じ性質のものだと思うが、の平衡を保つことによって社会を安定させてきた。場の平衡を重視するのには、ひとつは一神教の神が存在しないことが大きな理由になっている。欧米では神が大きな重しとして個人の上に君臨し、道徳、規範を与えている。一方で日本では場の内部において、そのグループの中で平衡を乱すこと、すなわち他人に迷惑をかけないこと、が最も重要な倫理規範になっている。
 私が規範を逸脱した生徒に説教をするときに、神によって罰せられるぞ、とか、神の与えた規範を逸脱しているぞ、などと叱ることはない。そのような行為は「他人に迷惑をかける。」または「保護者に迷惑をかける。」という言い方しかない。「法に違反している。」とか「校則に違反している。」などという言い方は生徒の心を響かせることはない。したがって日本において唯一の規範を担保する圧力は(場の内部において)他者に迷惑をかけているかどうかなのである。
 一方で神なき国に平等が持ち込まれたことから、誰しもが意識の上において王になれる。場合によっては規範を与える神にすらなれるのである。この感性が学校に持ち込まれると、子どもたちは「迷惑をかける」ことを自分なりに解釈し、言い訳をする。また、「迷惑をかけていない。」と強弁することも多い。
 徹底した平等、すなわち機会の平等のみならず結果の平等すら求めるのは母性原理の特色である。また能力の差を認めたがらないということも母性原理の特徴である。運動会において順位を付けない学校があるというのはその行き過ぎたあり方だろうし、能力別のクラス編成や、カリキュラムを組むことをしないのも同じである。飛び級制度なども同様である。しかし徹底的に平等に扱うことはかえって結果において差がつくことを「努力」の差に還元してしまい、敗者の原因を「努力」のみに周りも自分自身も考えてしまいがちであり、このことが個々の生徒のメンタリティーに影響を与える。
 私が母性原理を強く学校内で意識するのは、規範を逸脱した生徒の処分の時である。担任はおろか、第三者の教師たちも生徒の減刑を願う発言をするものがより価値があるとされる。中には強硬派といわれる、処分を重くするように要求する教師もいるが、このような教師は反動的で冷たいとされる傾向がある。規範を逸脱した生徒であろうとも母なる子宮で包んでしまおうとするわけである。
 しかし包まれた生徒はぬるぬるとした羊水の中で居心地は悪くないのだが、一方で何となくしっくり来ないように見受けられる生徒も良くいる。壁を破りまた逸脱する。そしてまた大きな袋に再び包まれるのである。これはある面で窒息しそうになる。生徒たちの中には父性によって「切られ」たいと願っているようにも感じられるのである。
 私は母性原理が強い学校の中で、バランスを取ろうと意識的に父性を体現しようと振る舞ってきた。時には厳しく叱るし、妥協をしない。しかし結果的にその方が最初は反発していた生徒が信頼を寄せてくるということがよくあるのである。
 進級、単位の認定も大変母性的である。高校においては「全員が進級」、「全員が卒業」などといったクラス目標が、何の躊躇もなく立てられている場合がある。進級や卒業はあくまで個人の問題である。もちろんその目標の中に仲間が遅れかけたものを助けなさいというメッセージを含んでいるとは思うが、このような個人的なことを私は目標には掲げない。クラスの目標としては、「クラスが、個々人にとって勉強しやすい場所にする。」という目標なら掲げる。
 実際、普通の高校ではいくらテストの点数が悪くとも、課題などの提出によってほとんど全ての生徒が救われて進級、卒業しているのである。管理職や教委も落第をさせることを嫌う。裁判に訴えられたくないからである。もめ事は嫌なのは管理職も母性原理のもとで生きているからである。
 ただこのように進級、卒業したことが、個々人にとって試練を乗り越えたという達成感をもたらすかどうかはわからない。イニシエーションとしての高校の意義は薄れてしまっていると言えるだろう。
 場の平衡を保つこと、または仲間内の価値観を最優先することが母性原理の特徴であるならば、それは決して日本だけの専売特許ではない。欧米においてはキリスト教という大きな価値体系のもとに巨大な場が形成されている。それは異教徒や有色人種を排除した巨大な仲間内だと言える。アメリカの大統領選挙で焦点となる妊娠中絶や同性婚が、日本人が驚くほど注目を浴びるのは、この問題がキリスト教的価値によって守られた場の根源的問題だからである。逆に日本で形成される場の中には妊娠中絶や同性婚はその構成員にとっての主要な境界をなすものではない。日本においては、日本語を話し、日本的な人間関係を重視することがその境界であり、中絶をすることや同性愛は、日本的な人間関係の中で暮らしてさえいれば、場を共有する仲間内と解されるのである。
 「空気を読む」と言うことは場の構成員にとって重要なことで、これは日本のみならず人間社会全てにおいて存在している。空気とはひとつの価値体系であり、また空気は時間の流れと共に変化していくものとそうでないものがある。空気は世論とも言える。人は空気を読むことによって守られている一方で、空気を読むことに疲れたり、反発を感じることもある。学校の場での空気は教師集団と生徒たちの混じり合いによって生じる。地域性や生徒たちの学力レベル、そして何より偶然に集まった教師たちの個性の混ざり合いが空気を作り上げていく。もちろんそのときの時代背景にも影響される。
 場というものはそもそも閉鎖的であり、境界を有する。不思議なことに日本人に限らずあらゆる人間はそこに集まることによって場を形成する。かつては氏族的なものであり、その後階級や人種、宗教、同じ言語を話す集団、また同じ職にいるもの、などが様々な場を形成する。そこには歴史的経緯の中で形成された秩序が生まれ、外部と内部を区分する。学校という場はこれらのものと同様に作り上げられてきたのである。そして学校の場はそれだけで自己目的化し、社会の中で独立した強大な場のひとつとなり、一方で社会とは隔絶した閉鎖的社会を作り上げていったのである。

二八 学校の村社会

 かつての学校には、教師集団はある種のゲマインシャフト的ものが存在しており、今でもそのようなものは薄れつつも残存している。都会の学校ほど教師の個人主義的傾向は強まり、その役割分担には忠実である一方、教師集団内の非公式な関係はなくなりつつある。
 かつての学校にはボス的な教師がいた。彼らは学校という場の支配的な空気を作り上げていた。彼らはその学校に長く勤めていたり、教務主任など学校を動かす要職について、なおかつ能力が他の教師から認められていることが必要である。部活動で全国規模の実績を上げたり、学会などで評価される活動を行うものもボスになりうる。荒れた学校などでは生活指導で力を発揮する、つまり生徒に恐れられるような体育の教師がボスの座に着くこともある。
 ボスは校長を立てながら実質的に学校の運営の方向を定める。校長は当然彼らに一目をおく。彼らは他の教師に対してある面では威圧的であるが、一方で食事をおごるなど、その配下の教師に対して寛大である。若い新任の教師はボスの配下にはいることによって対生徒や、他の教師に対しての交渉がやりやすくなる。また、ボスの行動パターンを見ながら自分に取り込んでいく。ある面での徒弟制的機能が学校の中に存在していた。またボス教師は社会の規範に必ずしも忠実でなく、大酒を飲んだり、やくざ者と知り合いだったりする。
 しかし、今の学校ではボス的教師は減ってきている。若い教師を食事に誘うようなことはなくなりつつある。一方若い教師もそうした年配の教師を見本として自己のスタイルを築いていくことをしなくなってきた。学校の村社会は崩壊しつつあり、ゲゼルシャフト的になっていっているのである。
 学校の教職員の懇親会が、かつては行事のあとや学期の終わりなど頻繁に、場合によっては勤務時間中でも行われていた。しかしそれはどんどん減ってきていて、なおかつ懇親会に参加する教師も減りつつある。
 社会心理学における「ホーソン工場の実験」に見られるように、非公式の人間関係が、結果的に組織そのものを活性化させると言うことも報告されている。そういったものがなくなる中で、選んだ道とはいえ、個々の教師が孤立していきつつある。非公式の人間関係の中で若い教師は先輩に悩み事を相談したり、学校の体制に対する愚痴を言ったりすることができた。そして時には信頼する教師に苦言を呈され、自分の認知を変更することもできた。今はそういう人間関係の場がなくなり、職員室の中でも表面的な会話に終始するようになりつつあるのである。
 村的な社会の崩壊は良いところと悪いところがある。ボス支配、年齢による上下関係がなくなる一方、孤立をもたらした。このような現象は生徒レベルでも起きている。よく言われるようにかつては番長やスケ番がいた。彼らは配下の者を支配する一方、良く面倒を見たのである。しかし一九七〇年代後半あたりからそうした人物は姿を消しつつある。校内で覇権を握っても配下の者の面倒を見ない。ただ暴力的に支配するのみである。番長は日本的な価値体系を背負っていた。しかしその価値体系が多様化細分化したことから、番長は何を基準に行動して良いかわからなくなり、結果的に丸裸な暴力によって支配することになったのである。番長がいれば、配下の者は番長を超える悪事はふるわなかった。しかし押さえのない校内では雨後のタケノコのように次々と、しかも小集団や個人が事件を起こし、際限なく秩序の壁を突き破っていったのである。つまり教師が作る秩序体系と共に生徒たちにおける秩序体系が崩壊してきたのである。かつて一世を風靡した暴走族も、今や昔でほとんど目にしなくなった。この理由は子どもたちが縦の関係を嫌うからであることと、規律や規範に縛られることを忌避する傾向が強まってきたことの証左である。暴走族には鉄の掟があり、上下関係があった。今の暴走族は、かつての千人単位のものではなく、少人数のゲリラ的なものに変化してきているのである。その小集団は基本的に上下の関係はなく、横並びである。リーダーなき集団は抑えが効かないことからより暴走し、過激な殺人事件などに発展していくことがあるのだ。
 学校のボス教師が、生徒のボスを把握して押さえていれば、生徒のボス以上の悪事は起こらなかった訳だから、学校の秩序維持はしやすかった。今はモグラたたきのように対処していかなければならなくなったのである。
 これらのことは学校において場を形成することが難しくなってきたことを示す。多様な価値体系が学校内に流れ、つかむことができるような空気が失われてきた。かつては学校という場の空気になじめなかった子どもたちが拒否反応を示していたのが「登校拒否」であったのに対して、場の喪失によって浮遊し、結果的に学校に訪れなくなった生徒たちが「不登校」といわれるようになったと、大ざっぱに言えるのではないかと思う。
 日本的な場が前近代的で封建的であったとした論客たちの言説は、今や学校の場において実現した。しかし破壊された場の廃墟のあとに新しい何かが生まれてくる様子はなく、小さな神々(価値体系)たちが生まれては消え、カオスが支配するようになってきたのである。これは進歩的な言論人や教育学者たちが想定した結果ではなかったと思う。何かを得ることは何かを失うことであり、かつての日本的な場を回復しようというノスタルジーはもはや無理なのである。時代は後戻りできない。廃墟の上に何を構築するかが問題なのである。ただし、新たな場の形成は、新たに排除される者を生むということは頭の中に入れておかなければならない。

二九 強迫的な場としての学校

 強迫神経症、または強迫神経症的な人は手を洗い続けたり、外出すると、鍵が閉まっていないか、ガスが付けっぱなしになっていないかといった想念が頭を離れなくなり、日常生活に支障を来すのである。一方私の二〇年以上に渡る教師生活も、「~~しなければならない。」「~~してはならない。」の連続であった。それはますます強化され、教師を縛っていった。生徒指導が必要な学校では、やれ。靴下の色が違反であるとか、髪の毛が屋や脱色されているだの、リボンやネクタイを着用していないだの、ピアスや指輪などの装飾品を付けているだのと、注意しなければならないことが、生徒と関わる中で山のようにある。授業中には、居眠りをしている生徒に注意を促さなければならない。寝ていることで、結果成績が足りず、留年になってしまった場合、保護者等から授業中にちゃんと起こす指導をしてくれたのか、などとクレームを付けられることがある。授業中の私語も同様である。この場合、真面目にやりたい生徒の保護者からクレームが来る。もちろん静かにさせられない教師として、管理職や同僚から非難を受けることもある。一方進学校では、センター試験に合わせて、どこまで授業を進めておかなければならないといったプレッシャーもある。かつての教師、特に東京の公立の進学校のように、日本史ならば、一年間で平安時代までしか進まなくても、生徒たちはそれを当然と思い、自らで自学自習したというような牧歌的な時代は失われた。教師の職は聖性が薄れ、サービス業になっていったのである。
 前述のように、ボスがいなくなった学校は小道化が、飛び出しては消えるというようなモグラ叩きのような状態にある。教師はいちいちそれに反応しなければならない。真面目できちんとやろうとする教師ほど、このモグラ叩きに疲弊し、心身を病んでいくのである。私もその一人だろう。教師という職業は、「must的」な~~でなければならない、模範的でなければならない、といった一般的な社会の要請が強いのである。これは教師にとって辛い。「アバウトでよい」「大雑把に」「大体で」という言い方をすると、教師の足並みが乱れて、学校の基準線の後退につながる。またある教師は、自分が学校を支えているのだとか、良い教師でありたい、といった願望から、脅迫的に仕事をしているものもいる。私は、うつ病を発病してから、「mustからmay」へを常に心がけてきたが、やはり気にしすぎてしまう強迫的な性格があって、なかなかうまく対処できない。結果、休職を余儀なくされた。こだわりが強いとか、目指す基準が高すぎるとか、主治医やカウンセラーからアドバイスされる。全くその通りだが、職場に行くと、ルーティーンの仕事だけでいっぱいいっぱいである。
 教師という聖性を帯びた職業の宿命が、この強迫性である。もちろん逆もある。生徒も学校という場では一律に扱われ、特別視は基本的に許されない。あれはしてはいけない、これはしてはいけないといった規範が強い。真面目な生徒ほどそれに縛られ、場合によっては学校という場を離れても、その規範に忠実であろうとする。教師だけの問題ではないのである。

三〇 保育園と化す学校

 保護者が、または地域社会が学校に期待するものが変化しつつある。それはその時代その時代によって変わってくるのが当然なのだが、学問を学ぶ場であるとか、教師の指導によって社会的常識を身につけるだとか、そんなものはあまり期待されなくなった。特に階層の低い家庭では、一人親や、または共働きの親にとって、学校は子どもを預けておける便利な場所なのである。私の家庭でも、妻は早く子どもが小学校に行ってくれれば、働けるのに、と愚痴をこぼす状態である。
 一方地域社会においても、一〇代後半のやんちゃな若者たちが、昼間から街中でたむろし、タバコを吸ったり、喧嘩をしたりするのでは街の治安が危うい。学校にいて貰えばそういう心配はない。学校の保育所化はさらにこの格差社会の中で進んでいる。
 一方高校生にとっても、学校は学びの場ではなく、ただそこに行けば友人がおり、おしゃべりを楽しみ、情報を交換したりする居場所としての機能を持つ場に成り下がった。特に女子生徒にとっては、女子高校生というブランドは社会の中ではちやほやされやすく、商業主義の大人たちの鴨にされやすい。それでも彼女らは自分の身分を大切にするのである。決して学ぶという目的のためではない。特に低学力の高校になるにしたがってそういう傾向を持つ生徒は増える。彼ら高校生は、学校にしか居場所を見いだせなくなるのである。
 アルバイト先を見つけ、そこを居場所にするものもいて、やがて学校に顔を出さなくなり、完全にアルバイト先を居場所にしてしまう生徒もいて、退学の理由のかなりの部分を占めている。
 高校生が卒業式の時に涙を流すのは、教師や保護者への感謝よりもむしろ自分の身分が剥奪され、居場所を失う惜別の情から来ているようにも思える。

三一 学校を支える価値

 地域社会が学校を、子どもをただ収容しておく場所でよいとする考え方がよくわかる事象は、登下校時のクレームからわかる。自転車で通う高校生は、タバコをくわえて走っていたり、並列走行をしたり、ヘッドホンで外部を遮断して自転車を走らせたり、携帯メールを打ちながら走っていたりで危険極まりない。そういう場合、生徒に直接注意をする一般市民は極めて少ない。逆ギレするのが怖いからだろうし、話しても無駄だと思うからだろう。したがって学校の教師に連絡をして、何とかしてくれというのである。学校もこういったクレームに弱く、直ちに教師を配置したりと対応する。地域社会の住民には、子どもを地域で育て、やがて立派なその成員になってくれることなど期待していないのだ。
 学校に、やがてその仲間になる子どもたちを道徳的にも学問的にも立派に育てて欲しいということ。また、せめて、生産活動にあたる立派な労働者を輩出すること(これも生徒を機械のようにとらえているとして嫌がる進歩的文化人もいるだろうが)を期待していないのである。PTA活動は一般的に低調である。みな役員を引き受けようとしない。逃げるばかりである。保護者の協力すら得られない学校は、その保護者、県知事、県議会議員、マスメディアの攻撃にあって、丸裸である。校長を筆頭とする管理職は、ただただ、内実より外部から見える姿の改善に注力する。一般の教師はただ、無防備な攻撃に晒されて、なおかつ地域社会の援助も受けられないばかりか攻撃を受け、立つ瀬がない状態にある。
 よく県知事の数値目標に、退学者を減らす、ということがあるが、それはどうかと思う。高校は義務教育ではないし、する必要もないと思う。学校で学習するより、職業訓練や実際の労働に携わった方がよっぽどその生徒にとって有益であり、精神的にも安定するという場面を、私は多く見てきた。辞めたくて仕方がない生徒を無理矢理学校に残してまで退学者を減らそうとする校長もいるが、奇異に感じる。問題は、教育システムの複線化の方である。
 喜入克氏が主張するように、今の学校でもっとも必要なのは、地域社会との結びつきである。警察や児童相談所、地域のスポーツクラブ、地域の企業、保護者、等々となるべく横の関係を広げて貰いたい。OB、OGとの連携も大切だ。孤立した学校は、生徒の指導が出来ない。周囲の力添えがあって初めて学校は成り立つのである。
 学校は、今でも社会にとっては有益な労働力の供給先であり、一方生徒個人にとっても学校という装置を使って将来の安定した職を得る手段である。この価値観をもう少し地域で強めるべきだ。マスメディアや一部の県議会議員のように、ひたすら攻撃するのは無意味であるどころか、学校、さらに地域社会を荒廃させる元になると思う。
 最近、職業体験、インターンシップというものが各地で行われるようになった。これは評価されるべき仕組みであると思う。生徒はやがて労働者となる。何のために学校に通っているのかという原点を、生徒に分からせ、保護者にも分からせる要素がある。是非地元の企業はこの運動に協力的であって欲しい。文部科学省のいう「生きる力」とは所詮、自分で食べていける将来の力ということである。学校もそのことを保護者や生徒に周知させるべきだろう。企業は欠席の少ない、生活リズムの安定した生徒を好む。また、コミュニケーション能力の高い生徒を好む。
 さらにいえば、高卒一括採用の是正。職業訓練の強化も、このグローバル化した時代では最低限必要なことだろう。もちろん生徒保護者の自己責任という部分もあることは、きちんと伝えなくてはならない。
 地域社会、特に地域の企業、自営業者が職業と密接に結びついた状態で生徒たちと関わってくれると、教師の仕事のうち五〇%は終わるのだと思う。



第四章  アイデンティティーとしての学校


一 伸びる青年期

 西暦二〇〇〇年前後、ある新聞の調査で、成人を迎える青年男女に、「あなたは大人ですか、子どもですか。」という問いのアンケートを実施した。すると、女子の約八〇%、男子の約六〇%が自分はまだ子どもであるというふうに答えたという。これは日本での調査である。
 このことは三つのことを明示している。ひとつは子どもである期間が長くなってきたと言うこと。次に大人と子どもの境界が不明確になってきたこと。三つめに、今の日本社会にとって子どもであることが楽で、大人にはあまりなりたくないと言うことである。
 かつては、民俗学や文化人類学の調査などによれば、大人と子どもの境界は比較的はっきりしており、それはそれぞれの文化によって定められたイニシエーションによって明確にされていた。成人式である。また、それぞれの社会において大人の役割分担、子どもの役割分担は、その社会の価値の体系に保証され、その成員はそれについて疑念を持つことは少なかった。
 今の社会において、最も明確な子どもと大人の境界というのは、学校を卒業して社会に出る、すなわち就職したときであると言える。かつては結婚して一人前といわれた、今は生涯独身で通す人も多い。そのような人も社会の中で重要な役割を果たしている。私の周りの教師の中にも男女問わず三〇代四〇代の独身の教師は多い。就職して稼ぎ、税金を納めるようになって一人前である。
 学校を卒業する、ということが大人になるための試練であり、現代人の意識の上での境界にある程度なっていると言える。しかし、昨今の荒れる成人式などを見ると、かつて中学校や高校において道化として秩序の攪乱をしていたのが、今やさらに年齢が高い段階で起きていることに気がつく。またそれは、高校、大学を卒業しても一定の職業に就かず、フリーター、ニート、ひきこもり、として社会の中心部に入り込まなくなってきている人々(周辺人)の増加という現象が見られる。私の教え子たちのかなりの人数が、正確に追跡調査をしているわけではないが、仮に就職しても二~三年でやめてフリーターになることは良くあるのである。それは病的な若者ではない。どこにでもいるような普通の若者である。
 ドイツの若者は、大学を出てから二七~二八歳になるまで自分のやりたいことを探すため、アルバイトをしたり、海外を歩いて回るものが結構いるという。つまり日本で起きている現象は決して固有のものではなく、豊かな先進国の共通した現象であるといえるだろう。
 かつての近代以前の社会は大人と子ども言う二つのカテゴリーしかなかった。近代以降一部のブルジョワ階級に青年期、すなわちエリクソンの言う「モラトリアム」という期間が誕生した。大人でもない子どもでもない期間である。この難しい期間は教師たちにも難問を突きつける。よく高校生たちは先生はずるいという。なぜならある時は私たちを子ども扱いし、ある時はもう大人なんだから責任を持ちなさいと言う、と。私もこのように問われて返す言葉が見つからない。私は彼らに高校生とは半分大人で半分子どもであり、その比率は年齢を増すにしたがって大人の割合が増すのだと説明する。そのとき「モラトリアム」という概念を同時に説明する。しかしこの曖昧な説明では生徒たちは納得するはずもない。
 中学卒業して社会に出たものや高校を中退したもの、また高校を出て就職していくものの中には早く大人になりたいと考えるものもいる。低学力校の生徒の場合その比率は高いのだが、暴走族などの不良グループに加わる一方、そのグループを二〇歳前には卒業して、異性の結婚相手を見つけて一〇代後半に結婚して子供を作るものもいる。そういった女性はいわいる「ヤンママ」と呼ばれるが、残念ながら離婚してしまうことも多い。その原因として心理的に大人としての意識を持ちきれなかった場合もあるし、経済的に家庭を支えていけない場合もある。またこういった人たちの中には自らの子ども時代が家庭的に不遇である場合も多く、家庭というモデルが頭の中に不在で、どのように家庭を作っていって良いかわからない場合もある。また社会がそういった若い夫婦を支えていくような共同体も、特に都市においては存在しない。また、若いときに遊び足りなかった、という人もいる。一〇代後半や二〇代のはじめで子育てしていると、同年代の若者はまだまだ親の保護のもとぶらぶら遊んでいる人を見て羨ましく思うのである。こういった人々を援助する公的な支援は、この少子化時代に、もう少し考慮されても良いはずである。子育てをする若い母親は孤立しやすいのである。
 ただ、このような「ヤンママ」的な人々は社会では少数派である。多くの中間的なボリュームの多い層においてはフリーターや転職を繰り返すものが増えてきているし、高学歴のものの中にも、就職して社会に出ることを躊躇し、目的もなく大学院に進学したり、留学をしたり、ワーキングホリデーなどで海外を放浪して回るといった現象も見られるのである。
 私自身を振り返っても、教え子たちの状況を見ても、青年期は一五歳で高校に入学してから三五歳くらいまでが一般的な青年期と位置づけられるだろう。三五歳という年齢は人生七〇年だとしたら折り返しになる年齢であり、死というものが視野に入ってくる年頃である。死が見えてきて初めて自らを大人であると自覚しなければならなくなる。それは身体的に衰えを感じることであり、残りの人生の時間を意識し始めると言うことである。逆に言えば青年期は死を意識しなくて済む年齢である。もちろん希死念慮の強い一部の人々は別である。大人の仲間入りをするということは精神的な面である意味「死」を意味する。多くの若者にとって、大人になってからの人生は「余生」となるのである。それにしても二〇年間という長き時間が中途半端な青年期として現代において位置づけられることは、社会にとって与える影響は大きいのである。
 心理的にも、サミュエル・ウルマンの言うように、いくつになっても心の持ちようで青春である、という考え方が支配的であり、見果てぬ夢を持ち続ける精神的な若さが礼賛されるのが今の社会の一般的な価値である。大人であること、社会を支える成員として今与えられた役割を黙々として行うことは、オヤジくさかったりおばさんくさいと価値が低められている。つまり「青春」時代こそ人生で最も輝いている時期であり、大人であることは価値がおとしめられてしまっている。
 こういった価値観が社会の中で支配的になってきたのは、技術の進歩が早く、かつてのように大人の経験というものの価値が相対的に低くなってきていること、青年の経済的な豊かさなどが挙げられる。「老賢者」の知恵というものが生かされづらい世の中になっている。また、価値観の多様化は、その小さな価値の体系の中でのみ人々が生きることになるので、全体としての大きな価値が喪失していることが、社会全体の大人像をうまく作り上げられなくなってきているとも言える。つまり、社会において理想的な大人のあり方のイメージが拡散してしまっているのである。

二 境界の喪失

 いつから思春期に入り、いつから青年期にはいり、いつ青年期から大人になるかという境界は限りなく薄まっている。境界というものはそもそも個人において存在するのではなく、社会が個人に与えるものである。個人は社会の持つ価値の体系を内面化しそれによって自己規定する。それが現在薄まっていると言うことは、社会全体の価値の体系が薄まってきていること、または価値の体系が数多く存在し、どの価値体系を選択して良いかを人々が選びづらくなってきていると言うことである。価値の体系の中を遊泳する生徒たちは、ある時は自分を子どもであるとする価値体系の中に身を置いて教師と向き合い、ある時は自分は大人であるという体系から教師と対峙する。教師の方も彼らをどのように位置づけるのかが不安定であるため、はっきりとした立場でものを言うことができなくなってきている。
 結局その個人に境界の引き方をゆだねてしまうことから、各個人は支えるべき言説のないまま自らをして自らを規定するという困難な作業に取り組まなくてはならなくなる。自分のおかれた位置に対して不安感を持つのは当然である。アイデンティティーの拡散、または喪失という現象が起こってくる。
 また、近年の青年たちは、社会的な境界をもあまり意識することなく、飛び越えてしまう。例えば、私の経験によれば、机の上に菓子パンがあれば、人のものでも食べてしまう。他人の体育館シューズを勝手に使い、返さない。彼は借りたのだと強弁する。机の上に財布がおきっぱなし出あれば、そのままお金を抜き取る。机の上に置きっぱなしにする方が悪いのだという。ニュースなどによれば、援助交際と称して売春を行い、罪悪感はない。覚醒剤はやせるためであるから他人に迷惑をかけていない。等々である。つまり社会が形成した秩序の境界線は彼らにとってあまり意味を持たなくなってきている。
 夏目漱石は『彼岸過迄』の中で「高等遊民」という言葉を使っている。漱石が活躍した一〇〇年前にすでにモラトリアムの端緒が存在した。『それから』の中で代助は三〇歳まで父親の経済的援助のもとでぶらぶらと生活をしている。結局人妻である三千代を横取りする代わりに父親の庇護のもとを離れ自立をせざるを得ないところへ、境界を突破する。ただ、このような例は明治期においては限られた少数の恵まれた連中のみに見られたはずである。結局二一世紀に入り、代助のような高等遊民はあらゆる層に拡大していった。多くの若者が代助のように境界を前にして逡巡して、何ともなしに暮らしているものが増えたのである。それはフリーターであり、ニートであり、ひきこもりである。

三 ピーターパン

 アメリカのダン・カイリーがピーターパン・シンドロームという言葉を提出し、大人になりたがらない、子どものままでいたいという人々が増えていることを説いた。私が生徒たちに聞いたところ、大人になりたいか、子どものままでいたいかについて問うと、大方の生徒は子どものままでいたいという。特にこれは日本社会で際だっているのではないかと思う。日本は河合隼雄氏に言わせれば「母性原理」で動く社会である。その中では、特に母親が子どもたちを大切にする文化がある。河合はユング心理学から「永遠の少年」という元型を取り上げている。
 「永遠の少年」は成人することなく死に、グレートマザーの子宮の中で再生し、少年として再びこの世に現れる。「永遠の少年」は決して成人しない。英雄であり、神の子であり、グレートマザーの申し子であり、トリックスター(いたずら者)であり、しかもそのいずれにもなりきらない不思議な存在である。
 河合はこのように述べ、日本の文化の背景には「永遠の少年」の元型が強力に働いているという。そして日本人は成人になれないのだと説く。私はむしろ、「永遠の少年」というのは西欧社会の元型であり、「永遠の少女」という存在が日本では強いような気がする。少年よりも少女の方が今や大人になりたがっていないのである。少年は少女化し少女は子どもの世界に永遠に永住しようとする。少年はあきらめて大人の世界に仕方なく足を踏み入れていく。専業主婦であっても経済的に夫に依存している面を差し引いても、女性の方がピーターパンでいたいように見える。境界性人格障害などは女性の方が多いように思える。この障害は永遠の少女でいたいという表現のひとつだろうと思うからである。
 子どもを家に残して夫婦が外出するというようなことは、欧米ではあっても日本においてはほとんどないだろう。欧米では大人は明らかに格上であり、子どもは格下なのであって、大人の都合が常に優先される。だから欧米の子どもたちは早く大人になりたいと願うものが多い。一方日本では、何があっても子どもの都合が優先される。子どもには権利は与えられている一方で義務や責任は持たせない。近年になって少年法の厳罰化がされ多少変化はあった。しかし子どもたちについての経費は家計の支出の中でも最優先にされる。
 経済的な理由だけではない。土井健郎氏の『甘えの構造』によって紹介されているように、日本社会は甘えというものを、つまり他者に上手に依存することを良いことと解釈する。この現象は日本社会のあらゆる共同体で今もなお残存すると思われる。この書物の中で、ベネディクトが「日本社会では老人と子どもが最も自由と気ままを許される」と述べていることを取り上げている。ところが社会の技術革新のスピードについて行きづらくなった老人は社会の中で以前よりは住み心地が悪くなってきている。一方子どもに対しては少子化もあり、一人っ子が増えるなど、子どもに甘えを許す風土は依然として続いている。子どもたちはそれを巧妙に察知している。教師をしていて感じるのは、教師の特権よりむしろ子どもの特権である。子どもであればその発言に責任を問われることはない。教師に対する暴言は、荒れている学校ではよくあることだが、子どもたちの発言は責任能力がないものとして処分の対象にされないことが多い。その一方で、生徒と教師の間でのトラブルが起こったときには、生徒の主張に、かりにそれが嘘であっても耳を傾けなければならない。
 このような状況では子どもたちが大人になりたがらないのは当然である。フランスでは「ひきこもり」という現象は、治療の対象としてあげられないのだという。フランスの精神科医はこの現象を日本の文化性によるものとしているのを聞いたことがある。確かに三〇,四〇になるまで親と同居し特段の病気がないにもかかわらず働かずに家にこもっていると言うことは、他の諸国においては少し考えづらいだろう。フランスではこのような人々はホームレスになるという。ひきこもりは退行現象という斉藤環氏の考え方があるが、いつまでたっても大人になりたくない。母親の子宮の中で庇護され、その中に限り家庭内暴力を起こすという、家族への甘えの構造が見て取れるのである。
 子どもが大人になりたがらないもう一つの大きな理由は、社会の中で子どもに特権が与えられていると言うことの逆になるかもしれないが、大人の社会に魅力が乏しいからである。学校においての大人を代表するものは教師であるが、教師が社会の中で尊敬を受けていないばかりか、不祥事が報道され、不適格教師の研修が話題になり、そして最大の理由として教師がいたるところで子どもたちに負け続けているのである。何の躊躇もなく反抗する生徒、時には教師を生け贄のようにつるし上げる生徒たち。生徒たちから見れば大人の代表である教師がこの体たらくでは、教師以外の職も同じようなものであると考えるだろうから、大人になりたいとは思わないはずである。
 もちろんそれは家庭という子どもたちにとってより重要な場所においても同様だろう。よく、「大人をなめている」生徒が多くなったという教師がいる。大人の持つ価値体系を軽く見る。ところがこのことはいずれ時間の経過と共に大人にならざろう得ない子どもたちにとっては自分の首を絞めているようなものである。ただこれは子どもの責任ではない。大人の側がしっかりした価値体系を自信を持って示すことができないことが問題なのである。しかしすぐにはそういった価値体系の構築はままならないであろう。
 また、マーケットメカニズムにおいても子どもを優遇している。子どもをターゲットにするCMが流され、夫よりも多くの小遣いを子どもに与える。日本の消費を考える際には女性と子どもをまず重視するのは当然であろう。テレビもそういった層に向けて作られる。子どもと、青年の層であり、しかも女性が中心なのである。

四 「永遠の少年」尾崎豊

 教師が尾崎豊の「卒業」という曲を耳にして、当惑しないものは少ないだろう。なぜならこの曲には・・・夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった・・・など、学校の価値や権威を否定する内容が含まれているからである。このような曲を真に受けて実行に移す生徒が増加するならば教師にとって困ることになる。実際私も学校で部活動の合宿をしている際、合宿所に泊まっていると、進入してきたバイクの集団が校舎のガラスを割って回り、夜中の二時にたたき起こされ、警察の実況見分に立ち会ったことがある。
 しかしこの曲が流行った当時も、現在もこの曲について表だった批判をする教師は少ない。また教育委員会や文部科学省もこの曲について何らかのアクションをすることはなかった。さらに、教師の中にはこの曲をカラオケで歌ったり、生徒の前で歌ったりして満悦するものさえいる。これは教師が持たざるを得ない価値体系からして明らかな矛盾である。そういった教師の心性には「学校」を文部科学省やら政府やらのもっと強い権力に見立てて歌っていたのかもしれない。
 私より一つ上の尾崎豊は結局大人になれないまま弱冠二六歳という若さでなくなった。彼こそが価値の体系を選択することができずに、最終的には内面の混乱から薬物などに逃避し死を迎えなければならなかった人物の典型といえる。かれは、大方の人々がうすうす感じていた価値の体系の相対化、弱体化についてはっきりとその詩の中に明示した。例の「卒業」の中に
  何に従い 従うべきか考えていた
  ざわめく心 今 俺にあるものは
  意味なく思えて とまどっていた
と書かれている。彼の非凡な点はこのようなことを堂々と詩にできることである。
  逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
  信じられぬ大人との争いの中で
  許しあい いったい何 解りあえただろう
  うんざりしながら それでも過した
  ひとつだけ 解ってたこと
  この支配からの 卒業
 ここで登場する「大人」とは大人たちの価値体系のことを指す。もしくは彼の父母のことだったかもしれない。父母がその価値体系を指し示すことが、体現することが一般的だからである。もちろんその心性の中に「甘え」を指摘することも容易なことである。ただ彼は「支配」という言葉を使っているが、「支配者」というものが具体化されていない。時の権力者を指すのか、彼の父母を指すのか、学校を指すのか。または日本的な「場」の力を指すのか。私は彼が支配されているものとすれば価値が相対化されている状況そのものであったと考える。なぜなら彼はそのことにうすうす感づいていたからである。「意味なく思えて とまどっていた」「うんざりしながら それでも過ごした」といった表現にそれが見て取れる。それでも何かに支配されてそれをはね返そうとすることによって自らの自我を守ろうとしてきたのである。しかし彼がデビューして成功しある意味では権力側に立ち、年齢的にも子どもといえない年頃にさしかかったとき、この虚構は崩れ去るしかなかった。彼は自我を、何かに反発すること、によって支えられなくなり崩壊をきたしたのである。
 何かに反発すること、「ルサンチマン」によって自らの自我、アイデンティティーを維持すると言うことは一般的なことである。国をひとつの自我の統合体と見なせば、「仮想敵国」などというものはそれに当たる。アメリカのように歴史的伝統のない国は特に顕著で、かつては共産主義、それが崩壊すれば今度はテロとの戦いがそれである。
 フロイトは彼の属するユダヤ教に対する強烈なルサンチマンが精神分析の理論を作り上げていくことにつながった。フロイトの理論の中の「超自我」にあたるものはその価値体系である。超自我は自我を監視する一方自我を支える役割を果たす。ルサンチマンが強烈な創造のエネルギーを生み出すのである。しかし今の日本にはそういった敵にすべき何物かがなくなりつつある。もし権力者を攻撃するならば、それは仮にも民主的手続きで選ばれたわけだから、結局は自らを攻撃することに他ならない。私の中にもほとんど敵は消滅してしまった。あえて言えば、何物かを敵に仕立て上げて攻撃する勢力に対する反感であろうか。しかしこのような構造は無理、矛盾がある。結局心的エネルギーが落ちていく一方なのである。
 尾崎豊の父は自衛官であったという。普通に考えれば彼は復古的な価値体系を幼少時から与えられ、それと民主的、自由平等の価値体系との相克があったのではないかと想像されるだろう。しかし私はそうではないと思う。彼の父親はおそらく民主的合理的な軍人であり、彼の自主性を尊重していたと思う。そして尾崎豊は父母からはっきりした対峙すべき、またはあとから自らが内面化し飛び込むことになるべき価値体系を示されなかったのではないかと思う。
 以前埼玉県の自主性を重んじる高校の教師が、家庭内暴力で暴れる息子を殺害するという痛ましい事件が起こった。この教師は学校の中でも生徒の自主性を重んじ、強制を嫌い、民主的であったという。この事件も尾崎豊のケースと同様なものを感じる。この教師は彼の息子に明確な価値の体系を与えることができなかった。壁になることができなかったのである。壁があることで、それを乗り越えようとして子どもは成長する。やがてその壁を何らかの形で内面化し反発するにせよ内面化するにせよ自我を強固にするための手段にする。こうしたものをこの教師が与えなかったばかりか、母性的空間が家庭内に充満していたのであろう。彼の息子は壁を探して暴れ回ったに違いない。そしてこの教師は学校という場においても壁になることを避け続けていたのだろうし、彼の勤務していた学校のような進学校ではあえて壁になるまでもないほど、ある程度秩序が保たれていたに違いない。こうした空間では母性的で、自主性に対する幻想が機能する。
 太宰治もまた価値の体系の中でさまよい、結局大人の価値体系の世界の中で安住できなかった一人である。彼は社会主義運動の中にも、軍国主義の価値体系の中にも身をおけなかった。なおかつ幼少時代から父母との接触が少なく、何かの価値体系を内面化する機会が失われていた。結局その価値体系を遊泳し「お道化て」見せるほかなかったのである。彼は父親になったが家庭的な人間にも安住し得なかった。彼の作品のそこかしこに家庭について言及がなされている。家族の価値観すら彼に安住の場を与えなかったし、信じることもできなかった。結局、彼の自我を支えるものとしてかろうじて一神教の神が少し顔を出すだけである。彼は近代的な境界性人格障害として日本史上で最も早く出現した人物の一人といえるだろう。
 椎名林檎という歌手は、その歌詞の中で無化された価値体系の世界を歌っている。彼女の「アイデンティティー」という作品の中にその一端が示されている。
   是程多くの眼がバラバラに何かを探すとなりゃあ其れなり
   様々な言葉で各々の全てを見極めなくちゃあならない
正しいとか 間違いとか 黒だとか 白だとか
何処に行けば良いのですか
君を信じて良いのですか
愛してくれるのですか
あたしは誰なのですか
怖くて仕方が無いだけなのに・・・
 ここでは「バラバラに何かを探す」というのはある種の安住できる価値のことを探している。しかしどの価値体系も信じるにいたらない。結局「様々な言葉で各々全てを見極め」ざろう得ないが、それは無理なのである。結局「何処へ行けばよいのですか」ということになり「あたしは誰なのですか」という、アイデンティティー不在の状態になる。もちろんアイデンティティー不在の問題は、精神分析の学者たちが言うように幼少時の父母の愛情不足から来ることが多いだろうが、社会を覆う価値の体系の不在がそれに拍車をかけているのである。
 椎名林檎はもはや尾崎豊と異なり、何かに責任を預けるようなことはしていない。仮想敵すら存在しないのである。そうなると言葉は脈絡を失う。彼女の詩が意味不明で解釈しにくいのもそのためなのである。彼女自身が、このような心性を持つにもかかわらず、狂気に落ちていかないでいることは不思議である。彼女の詩は現代の境界性人格障害の女性の気分を象徴しているからである。
 こうして何事かに対するルサンチマンを失うとほとんど全ての人間は自らの自我を圧倒的に覆い尽くしてくれる「愛」なるものを希求する。尾崎豊が晩年有名な歌手をあたかも「観音様」のように見立てて愛したことは知られている。太宰治も次々と愛人を作り、そこに避難場所を求めた。椎名林檎の歌詞にもおそらく異性と思われる人物に自らの自我を預けゆだねる様子が描かれる。しかし相手も人間であり、完璧ではないのである。結局どこかで人間のおぞましさに直面しなくてはならず、その相手から離れていかなければならないときが来る。このときその相手に対して強烈な敵意が生じたり、一方で自己否定の絶望感が自らを覆うのである。
 境界性人格障害の様相を示す生徒は学校の中にも増えつつある。彼らは教師に一方的な与える愛を望む。しかし教師が絶対的な愛などを与えることなどできるはずもないのである。すると生徒は教師に裏切られたと過剰に敵意をもったり、絶望するのである。したがって教師は無意識的にこのような生徒に最初から近づくことをしない。結末が明らかだからである。しかし生徒たちの心性にギブ・アンド・テイクという感性よりも、圧倒的に何かをして欲しいと願う心が強まっているのは確かであり、特に低学力の学校の生徒は、家庭的な理由からか、偏差値による選別によって無力感を抱いているといった理由から、教師に対してのイメージを現実のものとは大きく違って作り上げてしまうこともあるのである。教師はそういった生徒に圧倒的な愛を与えられない自分に無力感を味わうのである。
 こうして絶対的な愛を保証してくれるものはあとは「神」の他無いのである。しかもそれはかつての氏族的社会から生み出された多神教の神々ではなく、一神教の神である。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教が都市から発生していったこと、またはある程度文明化されて、価値が拡散した社会の中で生まれたことがそれを証明している。一神教の神が価値が多様化し、多民族の中で、それを信じるある程度の信者がいることによって、神を信じる共同体が形成されることが、人々の孤独、心的分裂を補う作用を持つ。またそうした集団は敵を見つけて、さらにその集団内の共同幻想を強める。
 日本においては一神教の神は存在しない。浄土教や日蓮宗は一神教的な側面を持つが、今の日本において圧倒的な影響力を持つにいたっていない。西洋やイスラム圏では原理主義が復活する動きを見せているが、これは自我を守ろうとする無意識の動きに相違ない。日本では一度社会主義が一神教の神として君臨しかかったこともあったが、大勢を占めるにいたらなかった。都市においては、個人を保護する、一対一でその人と繋がる神の存在が、人々の無意識かにおいて求められようとしている。
 日本においては近代的価値観はほぼ全国に行き渡った。今、この原理が他の文化と摩擦を起こしているのは、農村共同体の価値観が強く残存している地域である。意外にも山奥などで家族の中の凄惨な事件が起きたり、ひきこもりの青年が事件を起こしたりしているのは、このような地域が比率として多いのではなかろうか。しかもその家族は農村共同体的な価値を持っている古い世代が、母性原理で子どもたちを統制しようとしている場合のように思える。一方都市化しきってしまった地域には価値体系がないという砂漠のような状態をなしている。

五 女性の問題

 子どもから大人になりきれない青年は、近年女性の方が増えているように思える。笠原嘉氏は『退却神経症』の中で、無気力、無関心、無快楽の青年は男性が多いとする一方、女性は陽性の行動化(浪費、ギャンブル、アルコール依存、薬物依存、自殺企図など)が目立つと、一九八八年の時点で述べている。私がちょうど教師になった頃である。それ以降不登校の高校生は女子生徒に目立って増えてきているように感じる。同時にメンタル面での不調を訴えて、精神科や心療内科を訪れる一〇代後半から二〇代の女性も増えているように感じる。この現象は女性を巡る価値の体系の変化からその理由を探ることができる。
 戦後女性に参政権が与えられ、法的には男女平等化された一方、社会の意識の上では女性はまだ家を守り子どもを育てるといった存在だった。フェミニズム運動などの結果少しずつその状態は改善され、一九八九年には男女雇用機会均等法が施行された。しかしこの出来事は女性を二つの価値に分裂させる一因になったのである。
 高校では男子生徒は以前と変わらず、定職を持ち、家族を養うという役割分担は価値の体系の中で維持された。その結果無気力化が進む中でその価値体系に抵抗するにははっきりとひきこもるか、フリーターとして一定の期間いたあと、二五、六歳で定職についていくのが大方である。これは男性に期待される社会の役割分担はそれほど変化していないことから、定職に就くか、それに反発するかという二者択一になっている。もちろんそういった価値体系はゆるみつつあり、ニートとなる人々が生まれているのだが、一方で女性は、生涯仕事を持ち、自分を養いつつ、場合によっては男性のパートナーを得るという道と、就職して一定の年月を過ごしたあと家庭に入る道との二つの道が用意されたのである。この二つの価値は互いに社会の中で競争してきた。女子高校生もうっすらとその両者の価値を比較する。しかしどうもどちらも選べない状況がある。いずれを選んでも高校生である存在よりも面倒で大変そうに見えてしまうのである。消費社会の主体として、特に女子生徒が注目を浴びてちやほやされる中で、依然として「若さ」というものが男性よりも価値において強く意識される女性は、大人になるということを拒絶したくもなるのである。それは成人式を迎える女性の八〇%が、まだ自分は子どもであると幻想を抱くことに繋がっている。男性は仕方なしに大人の道を選ぶことから、六〇%という数字が出てくるのである。
 その傾向は一九九〇年代に各地の高校で、少子化を迎える中、生徒獲得のために制服を女子生徒の人気のあるようなものに変える動きがあった。ちょうどこの頃、教師にとって扱いづらい生徒は、男子生徒の暴れ者から、どうにも糠に釘である女子生徒に変わってきたのである。そしてこの頃から女子生徒は仮面をかぶらなくなっていき、学校の中でおしとやかにしているという文化が少数になっていった。私が高校生に接している中で女子生徒の質的な変化が認められたのである。「ぶりっこ」ははやらなくなり、一方で短いスカートをはき、自らの性的魅力を前面に出すようになってきた。援助交際などといって自らを商品化することをいとわないものも出てきた。それは自らの価値をマーケットによって計りたいと無意識の中で思っている証拠でもあり、一方で市場至上主義の行き着くところであり、社会の道徳的価値が相対化されてきたからである。
 フェミニストは、敵を古い「良妻賢母」的価値観に設定し男性社会の価値体系を攻撃してきたし、それにある程度成功してきた。また彼女らはそれによって自らの社会的位置を確保してきた。しかし壊れた体系のあとに、女性たちを社会が位置づける体系までは生み出さなかったのである。したがって彼女らは自らをどの体系におくかが不安定になり、結局市場価値の中に身を置くものが出てきたのである。
 境界性人格障害の女性は、香山リカ氏に言わせれば理想主義的傾向が強いという。彼女らは安住の場所を強く求めるが、何処にもその場所は見あたらない。自らを「負け犬」と位置づけ、嘲笑できる人はまだ良いが、理想主義者は安住の場を必死に探そうとする。しかし社会の中ではその場所は用意されず、父母からも価値体系を与えられないのである。

六 記述の総和としての自我

 学校という場において、自我というものをどのように扱えばよいのだろうか。ある生徒の微分的な一瞬の自我のあり方と、彼らを巡る様々な状況で記述される自我と二つに分けられると思う。木村敏氏は、「こと」の世界と「もの」の世界に自我のあり方を分けている。「こと」としての自我が主客が一体化した自我なのに対して、「もの」としての自我は私は○○家の一員である、とか、○○高校の生徒である、とか、○○部の部員であるとかいった記述の総和であるといっても良いだろう。学校の現場において彼らをよりわかりやすく分析するには、自我というものを記述の総和としてみることが便利であり、一般的に教師たちはそういった観点から生徒たちを観察している。もし、「こと」としての自我に関しての深刻な病理があるとしたら、それは教師にはどうにもならない。しかし、記述としての自我が「こと」的な自我にある程度影響を与えているのではないかというのが私の実感である。
 近代合理主義は主観と客観を明確に分離した。そのことははっきりとした自分という存在を、ひとつの価値体系の中に確立することになった。日本においても明治維新以降こういった思想が流入し、特に戦後になると「個人」「個性」といったものが尊重される体系が、特に教育の世界には支配的となった。私はここであらゆる記述を取り払った上で残る何物か、すなわち純粋な自己なるものが存在するのか大いに疑問を持っている。免疫系の研究や生物学的、物理的な自己というものはあるのかもしれないし、またそれらの分野においては自己とそうでないものの境界を引くことがなかなか難しくなっているようである。しかし学校という場においては、形而上的に自と他を明確に峻別するように迫られている。
 私は自らの体験や生徒たちの表に出る行動を分析して、自我とはその人物を取り巻く様々な性格の総和にすぎなくて、その性格とはアイデンティティーと言い換えて良いのだが、これらをひとつひとつはぎ取っていくと、結局らっきょの皮をむいていくのと同様に、その芯には何も残らないのではないかと考えている。もちろんこれは特に学校という現場で彼らに接していく際に有用な考え方であるという点において、おそらく私がそのような考えにいたったと思われる。
 ある時ある生徒に説教をする際に、「人間はどこで評価されるのか。」と聞いてみたことがある。するとその生徒は「内心だ。」と答えたのである。私はすかさず、「内心など私にはわからない。わかるのは行動や服装や発せられた言葉である。」と答えたことがある。彼らには、また私にとっても心の中に作られた自我像が否定されたくないのは当然であるが、ここまで「内心=個性」が日本人の心性の中に浸透し絶対的な価値観として共有されているのには驚いたのである。彼らも私も、純然たる自己というものがどこかに存在していると考えているのである。
 また彼らに、経済界が学生に期待する個性というのは結局ビル・ゲイツ氏のような、マーケットメカニズムにのってくる個性なのではないか、と話すと、一様に彼らはがっかりするのである。彼らは自らの自我(エゴ)がとことん大切にされなければならないと考えており、保護者に対しても教師に対してもその圧力はかなりのものがある。肥大化した自我は実は脆弱で、行き場を失っている。このようなことは、高校の国語の教科書に中島敦の「山月記」が良く採用されているように、高校年代の若者は自らのアイデンティティーを確立する最中であるから、自我はより不安定になるのは当然であろう。
 我々教師は、生徒が非行に走ったり、家に引きこもったりする際に、ほとんどの場合その家族に問題が生じていることを知っている。家族とはその人間を支える最も有力なアイデンティティーのひとつである。また、現在国際化の中で日本という国家ないしは民族性が大きなアイデンティティーのひとつになっていることも否めない。高校生レベルにおいては、クラスにおいて居場所を確保できているか、つまり教師に肯定的に受け止められているかや、友人関係を上手に構築しているかといったこともアイデンティティーになりうる。また、彼らの所属している部活動をはじめとしたグループ、これには不良グループやら地域のクラブなども含まれるが、これらも有力なアイデンティティーたり得る。だから教師はある生徒が部活動を辞めたとか、不良グループを抜けたのだという情報があれば、彼らのアイデンティティーがひとつ失われたわけだから、その生徒に何か違った動きがあるのではないかと考えるのである。また逆に、ある生徒が非行に走れば、その生徒のアイデンティティーに何か変化があったのではないかと考えるのである。
 しかし教師が了解したとしても生徒一個人に対して何かしてあげられるわけではない。ただ了解できるだけである。家庭的な不安定さが生徒を非行に走らせたとわかっていても、その生徒には相応の処分を加えなければならないし、場合によっては学校をやめてもらう場合もある。もし家庭的な問題を情状酌量して大幅に減刑したとしたら、学校の秩序は立ち行かなくなる。「泣いて馬謖を斬る」ことが学校においては多いのである。またそうしなければその生徒たちの真の意味での更正は期待できないであろう。自らの行動の責任は自分が引き受けるのだということを認識させていかなければならないのである。このことは彼らに内心よりも外面に出る振る舞いの方こそが、社会においては重要なのであるということをわからせることにつながる。万能感が打ち砕かれていくのである。このことは多くの青年が試験の失敗や失恋などの経験から現実との折り合いを付けていく。しかしそれがうまく折り合えないことが少しずつ増えてきていると思うのも、近代的自我への信仰が非常に強いことを示している。
 よく「生徒のため」という言葉が学校では頻出する。しかしこの言葉はどのようにでも解釈できるのである。単純に罰を軽くすることが必ずしも生徒のためになるとは限らない。家庭的な不遇から小学生を多数殺害した宅間死刑囚においても、親は彼を全く無視し、勘当していたという。親に支えられない彼は全くもって自我像を作り得なかったに違いない。もはや彼にとって生きていく意味など見いだせようもないのである。自らの命を軽く見ることは、鏡像の理論からも、他者の命を軽く見ることにつながる。しかし社会は宅間死刑囚を死刑に処するほか手段はなかったのである。

七 脆弱な自我

 肥大化し、脆弱になってきた自我とは、裏を返せば彼らを支えるアイデンティティーが希薄化し失われてきているということを表す。一方で近代的自我信仰が彼らの中で、また教師の中で強く生き続けていることである。
 日本では強い一神教の神が存在しない。その代替物として阿部謹也のいう「世間」とか、「場」における共通理解が、「人に迷惑をかけない」という一点において社会を安定させてきた。ところが「世間」や「場」が現代においては曖昧になりつつあるのである。「あうん」の呼吸というものが成り立ちづらくなってきている。世間においてのルールは各個人の自主的な解釈によって成り立ち始めてきた。これはさらに進めばホッブスのいう「万人の万人に対する闘争状態」にすら発展しかねない。これはヘレニズム、古代ローマ帝国など多民族、都市文明においては契約、もしくは一神教によってその秩序が成り立ってきた世界的な「都市」における状況と同じである。ところが今の日本においては相変わらず「世間」や「場」の論理にしがみついてなんとか平静を保とうとしている。
 「人に迷惑をかけない」、という倫理体系は、何が人に迷惑をかけないことであるかが構成員によって共有されていなければならない。例えば万引きをした生徒が誰にも迷惑をかけていない、と強弁することがある。万引きされてもその商品は保険によって保障されているから店には迷惑はかからないはずだといい、店員もアルバイトなので給料を減らされることがないはずだというのである。こうなったら「迷惑」理論は成り立たない。万引きは法律違反だ、という一点においてしか生徒に対して教え諭すしか方法がない。同様のことはやせるためと称して覚醒剤を使う青年や、援助交際をする少女も同様で、誰にも迷惑をかけていないという。すなわち共通の価値体系が揺らいできているのである。
 話せばわかる、という考え方は学校においては絶対的な価値を帯びている。しかし言語の基本的な性格においては、言葉の裏に共通の価値体系が横たわっていなければ、コミュニケーションは成り立たない。これは同じ言語を使っていたとしてもである。教師の使う言語と、一部生徒の使う言語においてはそれは乖離を始めている。教師は大人社会の代表として、教師側、大人側の文脈に彼らを引き込んでいく必要がある。しかし時には彼らの保護者ですら教師の文脈を理解できないものがいる。こうなると生徒はいつまでもその文脈に乗ってくるわけはないのである。小学校で学級崩壊を起こしているベテラン教師は、自らの持つ価値体系が揺るがされ、教師自身がアイデンティティーの崩壊の危機を迎えてしまう。彼らは自分の使う言葉が通じない子どもたちをまるで宇宙人のように感じるのである。言葉の通じない世界には暴力による秩序立てが必要である。しかし暴力=体罰は同じ言葉の文脈を理解するものにとって有効であるが、言葉の通じない場合は単なる裸の戦いにしか過ぎなくなってしまう。体罰がこうした状況においては全く有効でないばかりか、子どもたちの反発や、教師の価値体系に対して不信感を持つだけであり、さらに暴力を内面化し、その子ども自体も暴力を必要に応じて使用しやすくなる傾向が生じてくるだろう。
 なぜ人を殺してはいけないか。という根源的な問いに対して、大江健三郎が、このような問いをたてることはナンセンスで、そのような子どもはおかしいのではないか、といった趣旨の発言をして、教育の場で論争となったことがある。大江氏は純粋に人類の善意はみなに共有できるものと信じているようである。しかし今の子どもたちの中には沸々とこのような疑念が生じてきている。とおり一遍の「迷惑理論」からの回答は用意されている。殺された人やその人の将来、その家族に迷惑がかかる、というものである。日本ではキリスト教圏のように殺人は神の掟に背くものではない。今やこのような根源的な問いですら共通の価値体系を構築することが難しくなってきているのである。
 小此木敬吾氏は『自己愛人間』の中で次のように述べている。
 「これまでの社会では、国家・社会が人々に課した人為的ルール(道徳・法律・慣習)は、あたかも人類が生存上守らねばならぬ現実原則であるかのように教えこまれました。ところが現代社会では、現実原則感覚が弱まるにつれて、執行原則もまたその威光を失ってしまいました。どうせそれは人間が人為的に作ったものにすぎない。それだけではなく、さらに進んで、実際には現実原則に従うべき局面でさえも、人々はそれを人為的・相対的な執行原則にすぎないとみなすようになりました。」
 ここで小此木はフロイトのいう「現実原則」とマルクーゼのいう人間が生活する上で守らねばならない人為的・社会的なルールのことである「執行原則」とを分けて解説している。「執行原則」の方がより相対的なものであるのだが、それすら子どもたちの心の中ではリアルなものとして響いていない。身体的な強制力を失いつつある。「人を殺してはならない」といった根源的なルールでさえ相対化されてしまう。こうなれば学校において定められたルールは空文に過ぎなくなってしまう。これを担保するには暴力的な装置がどうしても必要になってしまう。
 アイデンティティーというものは、すなわちその個人の属性とは社会的な価値体系と密接に結びついている。小此木敬吾は『自己愛人間』の中でさらに次のように述べている。
 「ここで強調したいのは自我理想の場合も超自我の場合も、その家族なり社会なりに一定の価値規範というものがあって、この規範が自我理想や超自我の形で、それぞれの心の中に内在化してひとつの精神構造になったものです。そうした価値規範が確固とした秩序の存在する社会の中で、はじめて自我理想も超自我も内在化していくのです。」
 さらに彼は同じ本の中で次のようにも述べている。
 「現代は社会・歴史が作り出した自我理想がなくなってしまい、個人個人の身近で身辺的な理想自己を満たすような仕組みが人々の自己愛を満たす社会になってしまっているといえます。そうした理想自己を現代の商業主義が宣伝・広告などで利用して、画一化した理想自己を大量生産しているのです。」
 このように、人間を構成するアイデンティティーは価値体系に支えられているわけだが、この体系が弱まってきていることから、人々のアイデンティティーは脆弱にならざろう得ないのである。消費者として、また幻想の上に立つ主権者として一瞬の自我が成立するが、それはあくまで歴史的なものではない。歴史的なアイデンティティーは堅固で、人々から迷いを取り去る。しかし今や歴史性が消し去られつつあるのである。そうして獏とした荒野に小さな無数の価値の群れが見いだされる。人々は疑問を感じながらもそのうちのどれかを選択しなければならない。かつては選択する必要もなかったものである。価値の体系に寄りかからねば生きていくことが容易でないどちらかといえば強迫的(うつ病者的)なパーソナリティーの人にとっては大変生きづらい世の中になってしまっている。

八 境界性人格障害

 学校において近年よく見られ出したのが、リストカットやオーバードーズ(薬の大量服用)である。特に女子生徒に多く見られる傾向がある。こういった生徒は空虚感を伴い、生きている実感や、誰かにかまって欲しいという感情からリストカットなどを繰り返す。こういった症状を境界性人格障害と呼び、近年増加傾向にあるといわれている。
 町沢静夫は『ボーダーライン』の中でこのような患者の特徴として分離不安の強さをあげている。またDSMⅣによれば彼らの特徴のひとつとして、自分自身や外界の対象について、「全て良い」か「全て悪い」の価値のスプリッティングに特徴付けられるという。また、町沢は同書の中で境界性人格障害の人は「砂漠を一人歩いている恐ろしい孤独」をよく訴えるとしている。
 これらの現象は内因的な部分を除けば、おそらく社会における価値体系の相対化が大きく影響していると見られる。分離不安についていえば、彼らを自立させるには何らかの補助具が必要である。我々は一人で立っているように見えて実は価値体系という目に見えないものによって支えられているのである。境界性人格障害の人には彼らを支える価値が与えられていない。もちろん彼らはよりそういったものの支えが必要なタイプであるからこそ発症したのだろうが、彼らの親の多くはむしろ価値を与えることよりも選択することを強要するのではないだろうか。
 価値のスプリッティングについていえば、彼らの中に確固たる価値観が形成していないからこそ振り幅が大きいのである。このような人たちもおそらく昔でも振り幅があっただろう。しかし社会全体の価値体系が安定していたために、振り幅は制限されていた。しかし今はつかみ所のない社会の中で、何処まで行っても限界が見えてこないのである。
 「砂漠を一人で歩く恐ろしい孤独」についていえば、彼らは価値を求めてさまよい歩いている様を想像すればよいだろう。母性的なものに繋がっている人はまだしも、それからすら離れてしまえば、途方もない孤独が押し寄せてくるだろうことは容易に想像できる。
 教師もこのような生徒に対応することは大変難しい。ある時は教師にべったりくっついていたかと思うと、急に反発したりと、とらえどころがないのである。安定した人間関係が結びづらい。このような状態は決して境界性人格障害の人ばかりではなく、一般的に生徒たちに見られるようになってきている。。

九 解離性障害

 解離性障害といえば多重人格がすぐに連想されるだろう。幼児期における虐待などに起因して起こる重篤な障害である。しかしここではより柔らかな形での解離症状について述べてみたい。
 香山リカは『行きづらい<私>たち』の中でプチ解離について次のように述べている。
「”ふたつの自分”のあいだの差があまりにも大きくなりすぎると、ついに「どちらも私」という感覚が持てなくなってしまう、という事態が生じます。
 たとえば、「ハイな自分」と「落ち込んでいる自分」は別々の私だ、そしてどちらが本当の自分なのか、自分でもわからない、となってしまうのです。さらには”ふたつの自分”がより多くの”いくつもの自分”にまで増えてしまって、「そのうちのどれが自分なのか、わからない」ということもあります。」
 普遍的であると社会が認定している体系が薄まってしまうと、あちこちに小さな価値体系が存在し、それは所属する人間のグループによって支えられている。つまり、ある人がある集団に参加しているときにはその集団の価値を身につけて振る舞う。しかし現代社会においては集団はひとつではない。別のグループに参加する場合には別の価値体系に則って振る舞う。部活動に参加しているときの私と、家に帰ってからの私、アルバイトをしているときの私、ある友達と会っているときの私、ボーイフレンドに会っているときの私、インターネット上でハンドルネームを使っているときの私、・・・いくつもの私が存在する。それをうまく自我の内部で結びつけることができればよいが、場合によってはそれに失敗する。いくつもの私を統一するためには、より大きな価値の中で存在するメインの私がなければならない。メインの私を支えるのは家族から支えられて作り上げたものが最も大きいが、社会全体の中でそれが順接的に作用している必要がある。ところが現代では社会の中で人を支える価値が弱まっているので、家庭によって結びつけられた価値が揺らいだときに、「私」は大きく揺らいでしまうのである。
 アメリカの精神科医であるリフトンは一九五〇年代に「プロテウス的人間」という概念を提出した。社会変動の激しい時代にあっては、むしろどのような同一性をももたず、自分が出会う状況に合わせて恒常的に変身していく生き方こそ、最良の適応形式だとされる。それは、時代の変動に会わせて次々に自己のあり方を変更していき、自分が出会う状況にその都度うまく適応していく生き方である。プロテウスとはギリシャ神話に出てくる海神で、恐ろしい大蛇や、ライオン、竜、火、洪水と、何にでも姿を変えることができるのだが、ただ一つ、自分自身にだけはなれないという神である。神なき日本においては世界の中でも最もプロテウス的になりつつあるのではなかろうか。プロテウス的になれないものこそが様々な病理に苦しんでいたり、またはその病理に気がつかなくとも、結果的にひきこもったり、ニートとしてぶらぶらしていたり、中高年であればうつ病を発症したり心身症に苦しんだりするのではないかと考えられる。

一〇 自分探しの旅、青い鳥

 高校で進路指導を担当していると、将来何をやりたいかがはっきりしない生徒が少なからずいて、毎年自分を探すという目的で大学に進学するものが結構いる。さらに大学生ですら何をやりたいかが明確にならない。これは社会の中で自分をどう位置づけるかという作業が大変難しくなってきているためである。特に女子生徒にとってはその傾向が強い。そして自分を探す旅はいつまでたっても終わらない。自分を規定する社会の中の尺度が失われて来つつあるのである。一方で、見果てぬ夢を追い続ける生徒も中に入る。サッカーのプロ選手になりたい。DJになりたい。カリスマ店員になりたい。様々である。こういった生徒の特徴は自分の能力と努力に関してはあまり気にしないことである。誰もが成功する可能性がある社会では、努力することで何事も実現するかのように教師たちは話しをせざるを得ない。しかしそれは彼らにとって幸運なことなのか、将来ご飯を食べていけることに繋がっているのかが教師たちにとっては不安である。しかし彼らが高校を卒業してしまえばあとは知らないというところが現状であろう。こういった生徒は「青い鳥症候群」とよべる。いつまでも見果てぬ夢を追いつつも、現実との乖離が甚だしいのである。「やればできる」という言葉が否定できないほど強く世間一般に広がっているため、「青い鳥」を探すのをやめて現実に立ち返ることが大変難しくなってきている。中には運良く青い鳥を探し当てて成功するものもいるが、大多数は失敗し別の現実的な道を選択しなければならない。この妥協を難しくしているのが現在の社会である。学校の教師は進路指導する際にこの点に大変神経を使う。彼らの「青い鳥」を簡単に否定などすればその生徒は教師に対して大きな不信感を持つ。大概の教師はあまり彼らの夢に対して踏み込まず、好きなようにさせる場合が多いのである。教師のこういった指導がまたフリーターやニートを増やすことにつながっているのは事実である。親も教師も彼らの内面に踏み込んではいけないのである。
 最近とみに人気のある進路先が、心理学(臨床心理士)、福祉、である。純然と技術を身につける理系の学部や経済、法学部などよりもむしろ人気があるかもしれない。これは、自分とは一体何物であるか、または自分が社会において確固たる地位を占めたい、という願望を表している。
 しかしこのようなことは、自我の位置を規定する社会の価値体系が存在しなければ、自分などというものは見いだせない。いくら自分の心を分析しても、皮をはいでいけば結局何も残らないのである。

一一 欲望の喪失

 一方で、教師から見てあまりにも欲がない生徒もいる。その生徒の学力からいえばよりレベルの高い大学をねらえるはずなのに、余裕を持って入れる学校を選択する。彼らの多くは学校の秩序にとても親和的で、問題を起こすことは滅多にない。学校の勉強も基本的に熱心で、与えられた課題はしっかり行う。また、美術や運動の才能があっても、それをより強化して挑戦することを忌避する生徒もいる。彼らはおそらく、中世のような社会の価値体系が落ち着いているとき、その階級が固定化されて行うべき仕事が決まり切っている場合は、村落共同体の中で信頼を得て名誉ある地位を占めたに違いない。しかし、今のこの社会の中では競争と運という未知の世界に飛び込まなくては大きな経済的成功や名誉ある地位を占めることはできないのである。価値体系が多様化して不安定な中では彼らの力は発揮しづらい。
 欲望というものは価値がすでに与えられて、社会一般がその価値を認め、何をすれば評価されるかが安定している場合に現れるものである。人々はそうして目標を持つことができ、それを成し遂げようという精神的な動力源を得るのである。しかし今の時代は欲望の体系が拡散し、自ら選択するという責任を負わなければ他者の評価を勝ち取ることができない。どうすれば他者の評価が得られるかがよくわからなくなってきているのである。こういった欲望喪失型の生徒はリースマンのいう他人志向型といえるだろう。他者の評価というものに自らの欲望を組み込んでいく。しかし今の社会では他者の評価は、共同体の崩壊や、ゲゼルシャフト的な細分化された組織の中でしか評価というものは求めにくい。細分化された組織の中に自らを投入することに躊躇をしてしまうのが欲望喪失者の特徴である。ひきこもりやニートの人々は基本的に他者志向が強く、ゲマインシャフト内部では力を発揮できたかもしれないが、このような価値細分化社会の中では力を発揮しにくいと私は考えている。

一二 客観性を失う自我

 社会の中で自分がどのような位置にいるのか。または自分にとって将来どのような方向が進むべき道であるのかが明確でなくなった社会の中では、自我は客観的な尺度を失う。浮遊した自我は脆弱でまた果てしなく肥大する。これらが自我の病ともいうべき状態を表すようになる。自我の中には鏡像として利用すべき他者が不在になる。親も教師も転移の対象とはならなくなってきている。このような自我の不安定さが、生徒たちに程度の差はあれ、様々な症状を与えることになる。
 学校のみならず、企業などにおいても最近の若者は「指示待ち」であるとの評価が多い。これは自ら何かを選択して行動することに対して逡巡していることを示す。これは彼らの責任ではない。彼らにとってのモデルが存在しないのである。多様な価値観の中でどれを選ぶか、そのいずれにも足を踏み入れる勇気がないのである。社会の中でこのように生きれば他者から評価されるのだという、理想型が存在すれば彼らもよりものを考え、積極的に行動するだろう。
 同様に教師の側にもどのような生徒を育てるかというモデルがなくなってしまった。戦前であれば、末は博士か大臣か、とか、国のためにつくす軍人を育成するというようなもであるがあったことであろう。しかし今や、どのような個性をも認め、どのような価値観でもおおよそ受け入れる必要がある。また、生徒に対して強制をするなどということはあまり良いこととされてはいないし、誰かを良い生徒、誰かを悪い生徒などと評価することは、平等主義に反して、保護者や生徒からそのような考えは受け入れられない。したがって唯一残された勉強ができるかどうかという尺度のみが公的に残された唯一の評価基準にならざるを得ない。特に私立の高校ではそうであろうし、公立においても学校の商品価値を高める偏差値の高い大学に入学する生徒は学校の評価を高めたとして、良い生徒とされるかもしれない。学校が商業主義の中に位置づけられることによってかろうじて尺度が残されているのである。
 偏差値の高い高校や大学に通う若者はより、偏差値的な価値体系を受け入れるだろう。そして場合によってはそれが人生の数少ない支えのひとつになるのかもしれない。一方偏差値の低い学校に進学したものや、卒業したものは偏差値的な価値体系をより低く見積もるだろう。中には偏差値が低い学校を出たことによって劣等感を持つ人もいるかもしれないが、高学歴の人が思うほどそうした劣等感を持つことは少ない。逆に、学校というものの価値をより低く見ることによって、偏差値体系を消し去ろうとすることになる。また別の価値体系を選んでいこうとすることになる。学歴が高いものに対して、社会で生きる力が弱いとか、エリート意識ばかりで実際には力がないのだとかいった言説を採用し、自らは庶民であると位置づけ、自らのアイデンティティーを守ろうとする。
 このような庶民的な価値体系が今後より進んでいけば、社会の階級化はより進んでいくことになろう。なぜなら学歴にこだわらない人々はいっそう学歴にこだわらない人々との婚姻を選び、その価値体系を子どもにも伝えていくからである。つまり学校を使った上昇志向が減少していくのである。
 学校の価値が、ある部分の人たちのあいだで下がってきているのは事実である。高校進学率が伸び悩んでいることや、高校中退率が増加していることがそれを示している。かつてのように、親が高校に行きたくてもいけなくて、子どもには何が何でも高校、大学に進んで欲しいという上昇志向は頭打ちになってきている。実際、親の希望で高校に行ったものの、高校には幻滅して、または大学には幻滅して、自分の子どもには無理に高校、大学に進ませない新たな世代が増えてきている。こうした気分がまた不登校にも繋がっているのである。学校に行って欲しいと周囲の期待が強い場合は「登校拒否」と呼ばれるが、一方で無理して行く必要もないとすればそれは「不登校」になるのである。
 R.D.レインという精神科医は空想も妄想もある意味で真実の体験であるとする。彼はドストエフスキーの『罪と罰』における主人公ラスコーリニコフを分析することからそれを例証しようとする。『自己と他者』は難解な書物であるが、簡易に今の学校の経験からみてみたい。ラスコーリニコフは彼の持つ広大な精神世界と、貧乏な学生であり、家族関係の中で翻弄される現実の状況との乖離が著しい。彼は自らをナポレオンであると想像し、一方で夢で見たような老いぼれ馬のような存在であると空想している。こうした中で金貸しの老婆を殺してしまう。空想と現実が入り混じり止めどもなくなった状況である。実は現在の日本にも小さなラスコーリニコフがあまた存在する。肥大して脆弱な自我を持つ生徒たちは、例えばタバコを吸っているのを教師に見つかっても、吸っていない、拾っただけだと強弁する。スカートを短く切った生徒に注意すると、切っていない、はじめからそうだったという。髪の毛を着色した生徒に注意しても、地毛であるとの一点張りである。現実と彼らの空想が入り乱れて、教師にとっても本当はどちらが正しいのかわからなくなってしまうのである。
 私はこのような生徒たちを観察して、教師からみての嘘は、生徒にとって半分以上真実であると認識されているといって良いと思う。彼らは嘘をついているという自覚はない。または嘘をついているうちに、教師に言い訳をしているうちに、その嘘は彼らの中に真実と化していってしまう。さらに時間がたてばそれは揺るぎない真実になり、それをとがめた教師は圧倒的に敵とみなされるのである。さらにそれは細い絆で結ばれた友人たちの援助によってその空想の体系はより強化されていく。
 このような現象は、価値体系の揺らぎによって尺度を失ったことが生み出している。客観とはある尺度、それが正しいか正しくないかを別にして、それが存在し共有されていることから発生するものなのだと私は教師生活の中で悟るのである。価値の相対化は結果として自我の安定性を失わせ、自我の及ぶ範囲を広げてしまう。一方で広がった自我は自分では制御できず、しかも安定した枠組みによって保証されていないことから、非常に弱々しいのである。

一三 ニート、ひきこもり、フリーター

 ニートという言葉が話題になっている。一六歳から三五歳未満で、学ぶことも働くこともしない若者たちのことである。玄田有史氏の計算によれば二〇〇三年において二五歳未満のニートは約四〇万人いると推定している。その中にはひきこもりの人々も含まれるだろう。
 一方、定職に就かずフリーターとして働く若者もさらに多い。ニートやフリーターの多くは親と同居しており、経済的な援助を受けている。
 玄田氏はニートの問題について簡単な形での解決は難しく、問題は複雑であるとしながら、職業に関わる教育が事態を改善させるのに有効であるとの考え方を示している。
 確かに義務教育での、または高校においての職業教育が一定の効果を上げることは、一部の生徒にとっては有効であるだろう。しかしその核となる人たちは実は価値の問題に直面しているのである。働くことの意義、自分がどの価値体系の中で生きていくのかを選択することができない。もっといえば生きることの意味が見えてこないのである。行動が陽性的な場合は、遊び仲間とぶらぶら過ごすだろうし、陰性的な場合は家にひきこもるだろう。根本的な根っこは同じであると私は考えている。
 ひきこもりについての研究で有名な斉藤環氏は、ひきこもりは退行現象のひとつである分析している。ひきこもりやすい青年の場合、家族の中において一方でその青年を親たちの中に囲っておいて、親の価値観を強く与えながらも、一方で社会における無価値的状況を青年が鋭く感知して、その狭間に落ち込んでいる場合が多いのではないかと思う。引きこもる青年は外部社会に足を踏み入れられなくて、母親の胎内において安住していたいと願うのである。その一方、母親の胎内の壁を突き破りたいという願望が時に噴出して、その分裂状況の中で悲惨な両親の殺害事件やら、逆に家庭内暴力を行う青年を親が殺してしまったりする悲劇が起こるのである。
 ひきこもっていないニートの青年たちも同様で、何をして良いかわからない。とりあえず現状では食べていくことができるとなれば、目的もなく働くことはしなくても良いと考えるのである。また、仕事を持っている青年であっても、自分がこの仕事をしているのは仮の姿であって、本当の自分はまた別にあるはずだと考えている人も多いはずである。
 学校においてあまりに母親の抱え込みが強い生徒は、母親の雄弁さに対比しておとなしく、自己の意見を表明しない傾向がある。このためか、また、周囲の生徒が母親に包まれていることを敏感に察知するためか、いじめの対象になりやすい。しかしこのような生徒の内面にはマグマのようにエネルギーが渦巻いており、時にはそれが暴発して家庭内暴力にいたったり、学校の友人などに暴力をふるったりすることもある。日本社会は母性原理が支配する傾向があるとしたら、母親たちは自分の子どもを高校生くらいになるまで抱え込むことを悪いことと考えない。いつまでたっても小さいときと同じように扱う。このことが、フロイトのいう父による切断、つまり社会全体に広がる価値体系の導入を遅らせているということは、抱え込まれている子どもだけの問題ではないだろう。

一四 コミットメント、繋がる

 椎名林檎の曲には「繋がる」という言葉が頻出する。孤独な現代社会において誰かに繋がっていたいと思う気持ちは必然的である。地域社会の崩壊。家庭の崩壊。すがるべき価値体系の喪失は自我を映す鏡を失い、なんでもいいから繋がっていたいと願うことに繋がる。男性依存の若い女性。母親を筆頭とした家族に必要以上の期待と依存。何かを買うという行為によってかろうじて社会と繋がっている実感を持つ買い物依存症。予定が入っていないと落ち着かない若者たち。友人といつも一緒でないと気が済まない過剰な友人依存。そしてそのつながり方が極めていびつな形で現れることがある。場合によっては貨幣価値に全てを還元してエコノミック・アニマルともいうべき感性で自転車操業するものもいる。このようなエコノミック・アニマルは決してお金の価値体系に全幅の信頼を置いているわけではなく、お金を通じて社会と繋がっていたいのである。お金を持っていることでより社会から、他者から関心を持ってもらえるからこそお金に執着するのである。ボランティアに過剰に入れ込んで、生き甲斐とするものもいる。自分を犠牲にしてまでも何かと繋がっていたいと願うのである。そしてその繋がる線はより太いものであるようにしないと、自分を支えていけない。なぜなら社会の中での事前に用意された繋がりが薄まり、孤独でも安住できる価値の体系が喪失してしまいつつあるのだからである。そのことがゆがんだ形でのコミットメント(関与)を生み出してしまっている。

一五 アスペルガー的社会

 小中学校のカウンセラーたちが最近よく使う言葉の中に「アスペルガー」という言葉がある。広汎性発達障害のサブタイプのひとつ。コミュニケーションの障害が軽微な発達障害である。明らかな言葉の遅れはなく知的障害も伴わないが、自閉症と同様に社会性の障害から、独特の対人関係、興味のあり方(アルファベットに異常に執着する。ミニカーにしか興味を持たない。など。)から、様々な適応障害を起こしてくる。自閉症の一種である。
 ただ、このアスペルガー的、という言い方は、本来のアスペルガーの子どもたちを指すのではなく、一般に自閉的になっている子どもたち一般の傾向を指すのである。価値観が蛸壺化し、それぞれの価値観の体系同士の中においてはコミュニケーションのラインは細い。子どもたちは良くわからない価値の中に飛び出していくことはせず、自らの殻の中に閉じこもる。このような傾向は子どもに限らず大人社会にも広がっている。会社社会の中の価値観にどっぷりつかって地域の他の価値観との交流を持たない男性社員。社会や経済の動きの中に入り込まずテレビの前に座り込む主婦。
 学校では東大を筆頭に受験の価値の中に暮らす生徒もいれば、甲子園を目指す部活動の価値の中でのみ生きる道を探す生徒もいる。最近では中高一貫や、小中高一貫の学校が各地にできている。これは明らかに、その学校に通う生徒たちの保護者が属する階級の価値観の中で子どもたちが育っていくだろうことを暗示する。明治以来少なくとも義務教育に関してはあらゆる階層の子どもたちが同じ教室の中で生活してきたことから見れば、大きな変革である。このように違った価値が覆う学校で育った生徒たちは、おそらく言葉がうまく通じなくなるだろう。場における暗黙の了解という、日本独自の秩序安定機能は少しずつ揺らいでいくだろう。これに外国人労働者が流入してくれば、ますますこの傾向に拍車がかかるだろう。
 同じ義務教育の公立学校の中ですら互いによく理解できない、共通の認識が持ちにくい状況がある。特に教師にとって、自らの持つ価値の体系から大きく逸脱した子どもたちは宇宙人のように見えるだろう。教師は生徒を理解できないばかりか、彼らを異質なものとして特別な立場を与えることになる。すなわちこれが、彼らはアスペルガーなのだという理解の仕方である。ひとつの病理現象としてその現象を理解すれば、とりあえず教師の認識の中でその子どもたちは位置を与えられる。教師の体系の中に取り込むことができる。あらゆる理解不能なものに病名を付けて何とか教師やカウンセラーの中の体系に位置づける努力はアスペルガーに限らない。
 例えば、受験競争に中学高校時代を捧げて、良い大学といわれるものに進学することだけを価値があることという蛸壺化した価値観の中で生きていく子どもたちが、かつてよりも減ったとはいえ存在する。実は彼らはかつて受験競争が激しかったときよりもかえって頑なにこの価値体系を信じるようになってきているように感じる。価値を社会全体が共有しているときよりも、その価値体系の構成員が少ないほど、頑強にその価値を信じ人生の支えにするような傾向がある。これはユダヤ人のような少数民族が頑なに自らの信仰を、差別されればされるほど強く信じることに類似している。
 したがって受験競争に敗北して東大に入れなかった場合や、運良く東大に入れたとしてもその先に目標を失ったりと、空虚感が支配する場合がある。しかし彼らは容易にこの価値体系を捨てはしない。場合によっては一生この価値体系を支えにして生きる。
 部活動においても同様である。サッカーで小学校の低学年くらいからエースストライカーとして活躍してきた少年は、活躍した年代が小さければ小さいほど、その価値観を捨てることはできない。過去の栄光にいつまでもとらわれてしまう。もちろんその栄光は彼らの人生の大きな支えとして、生きるための勇気を与えてくれる場合もある。しかし、小さいときの栄光が華々しいほど、彼らがこの価値にとらわれて方向転換を妨げてしまうケースを私は何度か見ている。小さいときに教えられた思想を否定されると大きな反発をするのである。

一六 ADHD

 ADHDとは多動性障害のことである。特に小学校などで落ち着いて席に座っていられない、授業を妨害するなど、学級崩壊の引き金になりかねない子どもたちである。カウンセラーや教師たちは「多動の子」と、自らの予測を超えた子どもたちを呼ぶ。ADHDなどという言葉は一九八〇年代にはほとんど耳にすることはなかった。おそらくこれは欧米で、特にアメリカでこのような概念が広まり流入してきたことによるものであろう。欧米においては自らの価値体系を強化するために次々と新しい概念を作り上げそこに予測不能な人々を組み込んでいく。おそらく魔女狩りが終わり、近代的合理主義が始まったデカルト以来そのような傾向が強まったに違いない。彼らは正常と異常の区分を、正統と異端の区分を明確に分ける二元論に、日本人よりも強く支配されている。その境界というものは逆に強く意識される。一方日本においてはこの境界を曖昧にしておくことで緩やかな全体としての場を作り上げてきた。日本語が、語尾を曖昧にして自らの立つ位置を明確にしないということからもよく現れている。現代の日本語においても「みたいな」「~的」というような言葉が若者によく使われていることからも、その伝統はなくなっていない。しかし自分の立つ位置を明確にしないこと、どちらの立場につくのかはっきりさせないことが、今の価値観の多様化時代において逆に日本人には大変厳しい状況を招いている。欧米において存在しない特有のひきこもり現象は、こういった文化の差から生じているものだろう。また、日本は西欧の国ではないし、キリスト教がないことからも文化的な伝統は異なっている。それは、明治以降西欧の価値観を導入したことからより価値分裂的になっている。
 フーコーは「狂気の歴史」の中で、近代合理主義が狂気を隔離し差別することにつながったと説いている。病名を付けて体系に位置づけて理解することを可能にする反面、彼らを峻別し差別することにつながるというのである。多動性障害にはリタリンという薬を投与して、学校秩序の中に回復させようとする治療が行われている。薬まで使って異常を正常に組み込もうという動きは日本でもあるようだ。
 アイデンティティー不在の日本社会においては、病名を付けられてその場に安住することができて安定する人々も多い。一方教師たちも病名を付けてその子どもたちを理解する。ただ、多動性的な子どもたちが増えているというのも事実であろう。それはアスペルガーと同様に、診断的に本当の多動性障害ではなく、生徒全般の傾向を表している。椅子に五〇分座って授業を受けることに耐えられない。おしゃべりを我慢することができない。席を立ってうろうろしてしまう。場合によってはいらいらして人に危害を加える。
 このような現象を親のしつけに起因させる向きもあるがそれだけでは説明できないだろう。ひとつは学校というもの、勉強というものの社会の中における価値が相対的に落ちてきていることを、子どもたちが敏感に察知していること。また、教師の権威性、ルールの重要性の相対化が起こっているのである。小学校に入学したばかりの子どもでさえこれらの価値体系の色彩に敏感であるというのは驚かされる。残されたものはある種の暴力によるものであろう。
 学習障害(LD)もアスペルガーやADHDと同様に一九八〇年代以来導入された概念で、精神遅滞や広汎性発達障害が見受けられなく、特定の学習が極端に苦手な子どもを指す。特に算数だけが苦手だとか、漢字だけがどうしても覚えられないなどといった場合が多いようである。これもレッテルを貼って学校や大人が体系的に理解し組み込もうとした結果であると思う。その程度はおそらく様々で、ただ単に勉強ができないことすらこの概念に組み込んでしまいたくなるような誘惑に、教師は駆られるのである。

一七 反抗挑戦性障害(Oppsitional Defiant Disorder)

 親や教師に著しく反抗、挑戦的な態度を示し、それが社会生活を著しく阻害する障害としてODD(反抗挑戦性障害)とよばれるものがある。これはアメリカの診断基準であるDSMⅣに記載されているいるれっきとした病名である。多動性障害と併存しやすいのだが、このようなことまで病名がつくというのは驚きであり、場合によっては投薬治療をするというのももっと驚きである。社会や親に対して反抗するのが、ある意味で子どもや青年の特徴であったはずであるが、これが病気にされてしまうということは、もはや子どもを大人の側に組み込んでいく乗り物が、こういった医学的な関与なしには行われなくなりつつあるのかもしれない。ODDは今後日本でも少しづつ広まり、浸透していくであろう。
 行為障害(Conduct Disorder)は、神戸の少年の殺人事件で有名になった。他人をいじめたり、凶器を持参したり、小動物を虐待したりすることが特徴であるようだ。このような障害を持つ子供が増えているかどうかはわからないが、今後も先鋭化した事件が発生する可能性は否定できない。というのは、地域社会が崩壊し仲間の中で遊ぶ習慣がなくなりつつあるなかで、自分の行動を抑制するすべを学ぶ機会が失われつつあること、一方で社会の中でのモラルハザードが発生しているからである。
 ODDにしても行為障害にしても大人の側が彼らをどのように位置づけるかというところから病名が発生した。医学の体系の中でのみ彼らに安住の場所が与えられるのである。

一八 生きる意味の喪失・・・リスカ、OD、自殺願望

 子どもに限らず青年や大人に枠を広げても従来の精神病理の枠組みではとらえきれない状態について、様々な名前を付けて理解していこうという試みがある。
 無気力で現実逃避な青年たちの存在を「退却神経症」と位置づけた笠原嘉氏がいる。また、小此木敬吾氏は「シゾイド人間」という概念を提出し、日本人が個人主義、近代的合理主義に適応しようとした結果次のような傾向を持つとした。すなわち、大人を含めて人と人の関わりを回避し、対人関係につきものの心の悩みや対象喪失による悲哀・不安を避けようとする人々である。特に同調的ひきこもりを主な適応様式にするその裏には「飲み込まれ不安」と呼ばれるような自己を失う恐怖がある。
 DSMⅣにも「シゾイドパーソナリティー障害」という概念が明示されている。これもまた曖昧な概念なのだが現代人には一様にこのような傾向があるだろう。
 最近若者たちがインターネットで知り合ったものたちと練炭自殺するケースを新聞等で良く耳にする。自殺に関してはいろいろな動機があるだろう。しかし確実なこととして生きる意味が見いだせないということが彼らの全てを覆っている。特に若い人たちはそうである。リストカットやODを繰り返す人々も、死と極限まで接することによって生をかすかに実感していると言えるだろう。また、中高年の自殺も、病苦や経済的な理由が多いとはいえ、根本には生きる意味の喪失があると考えられる。彼らが生きていく際にもっていた価値体系が緩やかに崩壊していく。経済的な豊かさを得て、一方でその先の目標が失われてしまう。かつてのように死に対してのフィクションが消えていく中で、生に対するフィクションも消え失せてしまっている。年を取ることで、経済的な価値体系にのみすがれば、自分の商品価値が下がってしまうと考える場合もあろうし、それ以外の何物かもなくなってしまう。一方で生きるための倫理もないのである。したがって生と死の境界は極めて曖昧になり、簡単にそれを突破できてしまう。
 生きる意味とは、個々人が特有に持つものであるとの幻想があるが、これは間違っている。社会全体に広く薄く共有されていなければ、個々人も生きる意味を確実なものとして受け止められないのである。価値観が相対化し、宗教的な幻想ももはや消え失せた。このような中では自分の行動ひとつ、社会から追認されることはなくなり、自らして正当化しなくてはならないのである。
 うつ病が軽症化し、遷延化している。この現象も社会の価値体系の相対化からとらえることができる。うつ病者は大ざっぱに秩序愛が強いとされる。秩序の大幅な変動があったとき、それを受け入れるキャパシティーが限界を超えたとき発病する。社会の中に確固たる秩序が不在となったとき、自己の中で秩序の揺らぎが生ずる。この現象がうつを引き起こしている。しかもともと確固たる秩序がないから、大きくうつに落ち込むことはなく、軽症で、なおかつ治りが悪いのである。それはいつまでたっても秩序の回復がなされないからである。
 学校ではナイフなどを隠し持っている生徒がちらほら見受けられる。時にはそれで人を刺したりして大きな事件になることがある。彼らの自我は脆弱で、他者がその中に侵入してくることを極度に恐れる。それを防ぐために実際に武装しているというわけである。社会規範が彼らの自我を守ってくれはしない。したがって社会規範を信頼しない。自己規範が彼らの自我の中で大きく拡大していくのである。
 刹那的に生きること、今を楽しく生きること、現在の若者によく見られることで、これは当然の防衛規制である。何しろ時間的なスパンにおける価値の体系がないのであるから、その一瞬の快楽、快感、のり、にエネルギーをかける。ギャンブルやけんか、中には薬物にのめり込んで一瞬の快楽を求めようとするものもいる。
 一方、いじめなどに苦しむ生徒たちの中には、その苦しい状況が際限なく続くのではと考えてしまいがちである。これはかつてのように大きな価値体系があれば、今は辛抱してやがて逆転することができるという物語を作り上げて、自らの今を耐えることができた。しかし現代社会ではそういった社会の大きな物語が薄まってきている。また価値観も多様化している。お金があってどうなる。社会的地位を高めてどうなると、先読みしてしまうのである。成功した像を思い浮かべることができなければ、人生における逆転などということは想像もつかない。したがってそのときの一瞬の苦痛が永遠のもののように感じてしまいやすいのである。
 カウンセラーも精神科医も教師も、価値を子どもたちに与えることはしない。日本のカウンセラーたちの信奉するロジャースのやり方は、受容、共感である。確かに共感されれば少しは心も落ち着くかもしれない。しかし価値に敏感なものたちはそれが慰めに過ぎないことをよく知っている。受け入れてくれる母性と共に、何か指針となる価値たる父性をも同時に求めるのである。父性的なものは今や相対化され、彼らはカフカ的世界をさまようだけになってしまう。

一九 権威が直す森田療法

 強迫神経症や対人恐怖の治療法として戦前に森田正馬が開発した森田療法は、戦前の権威主義がまだ生きていたときには大きな治療効果があったという。しかし戦後、特に最近になってその治療効果には限りが見えてきているという。これは、一方で直りにくい強迫神経症や対人恐怖が増えてきているということが示されるが、一方で権威を信じることによって人は価値の病から脱出することが可能であることを示す。現代社会の価値の相対化はあらゆる価値を叩き否定してきた。宗教的権威、政治的権威、医学的権威、学校の権威、様々である。
 しかし権威によって人は救われるということは忘れられてきた。権威は打倒されるだけのものであり、新たな権威が発生しても、流行歌のように程なくそれは失われてしまう。権威を否定するのはいいが、それをなくしたことのデメリットを忘れてはいけないのである。もちろん権威は価値体系の裏付けによって存在する。価値体系の相対化は権威の相対化である。一方日本においては、出る杭は打たれるという昔からの心性があり、これは権威主義的なものに対するバランス作用としてあった。また母性原理、平等主義との関連もある。権威の喪失は母性原理、平等主義がますます肥大化することにつながる。学校がその最も大きな例とも言える。
 精神科医の門をくぐることも敷居は低くなった。一方で心を病む人々は医者の権威によって直りにくくなった。医者の話を半信半疑で聞くようになり、治療効果が上がらなくなってきた。暗示による効果の現象である。したがって患者は単に薬を供給する人として医者をとらえるようになった。これは学校で教師がただ知識を与えるものだけになっていったことと共通する。

二〇 ポストフェストゥムとしての学校

 木村敏氏はうつ病者の心理として、ルカーチの使った「ポストフェストゥム」という言葉を示している。難解な理論であるが、単純にラテン語で翻訳すれば「祭りの後」と訳される。木村は日本語で言えば「後の祭り」的な心性だとして説明している。木村はうつ病を典型的なかつてのメランコリー親和型のうつ病者の心理にこれを適用しているが、現代の軽症化して遷延化しているうつにはその意味性をスライドさせる必要があろう。
 学校における「ポストフェストゥム」とは、文字通り祭りの後と解釈していい。学校が祝祭として存在することをやめて、ただ、延々と続く、宮台氏のいう「終わりなき日常」と化している。近代の勃興期の学校は近代の使者として、灯台として、各村々に立ち現れた。しかしその学校の神話的幻想は、大学紛争と一九八〇年代の校内暴力によって粉々に崩されていった。これはある意味で市民革命が完成したこと、近代的市民社会が成熟したことを意味する。上記のふたつの出来事は学校の価値を相対化し、学校の幻想を粉々に壊した。いまだにその廃墟的状況は続いている。
 今、学校では歴史的な流れが存在しない。歴史的な流れとは、本来の意味における歴史の中での学校という存在である。もう一方は個人の歴史の中における学校の歴史性である。学校は市民社会、しかも都市におけるそれと一体化してきた。共通の言葉を失い、瞬間瞬間の小さな、生まれては消えていく祝祭のみが存在する。そこには未来に対する期待というものは見えてこない。生徒も教師もその場その場における行動を選択するだけである。
 学校という場は価値の体系のぶつかり合いがよくかいま見られる先物市場である。一方では学校を近代的個人主義の化石のような生き残りとする向きもあるが、その場に存在する生徒はまさに今の時代に存在するのであって、教師のように歴史性を引きずっているものには理解できない何物かを生徒たちは感知している。
 ゆっくりとした階級化、価値の不在による瞬間主義、軽うつ化。まさに近代的市民社会は、かつての歴史家や進歩主義者が想像したものとはずれて完成したのである。「ポストフェステゥム」的な空気は案外人を疲れさせる。何かにすがるよすががないからである。教師も生徒も疲れている。しかも何かをしていて疲れているのではなく、何もしないことによって、そこにいることによって疲れてしまうのである。
 一方で生徒たちは教師よりも長い道のりを残していることから、世の中の先行きには敏感である。そして「歴史の終わり」とフランシス・フクヤマが述べたように、彼らには進歩というものに対する無意識の不信感をもっている。それは一九〇〇年代後半に科学技術に対する盲目的な信仰が崩壊し、しかも核戦争によって瞬時に世界が滅んでしまうことを意識の中に織り込んでおかねばならなくなったことである。冷戦の崩壊はその可能性を多少は少なくしたかもしれないが、新たな民族的なアイデンティティーによる紛争は世界各地で絶えない。これらが引き金になり、核戦争という技術がある限り、生徒たちは未来における不信感を捨てきれないだろう。環境問題や資源の枯渇なども小学生ですらよく知っている。こういった前提は彼らをますますその瞬間主義に向かわせるか、敏感なものには病理的心性をもたらすだろう。
 木村敏は統合失調症者の心性について「アンテ・フェストゥム」という概念を提出している。彼はその患者の心性を「常に未来を先取りし、現在よりも一歩先を読もうとしている。彼らは現実の所与の世界によりも、より多く兆候の世界に生きているといってもよい。」
 このことは直近は「ポストフェストゥム」的に、そして長い目で見れば「アンテ・フェストゥム」的な世界に生きているということであろう。そのことは、目標を完遂してほとんどの権利を勝ち取った一方で、滅亡への序曲を聴き続けなければならないのである。未来への希望が少しずつ減退し、それが根本的な無気力の原因にもなっていることであろう。

二一 不登校の意味論

 不登校生徒は価値の狭間でさまよう人たちであるといえる。学校における進歩主義の衰微。学校を支える価値体系の脆弱さ。その文脈にしがみつく学校はより社会の中で重要性を失っていく。消費社会の中にゆっくりと取り込まれ、学校の都市化ともいうべき状況が起こる。そこには神は存在しない。病的な形において不登校をする子どもたちも、遊び型、非行型で不登校になる生徒も基本的には保護者から通じて、またはマスコミなどから与えられる価値の体系の不全状態を察知してる。彼らは、まだ学校に残っているものと比べて、より先取りした感性によって学校を値踏みしている。
 学校は社会における同質化を強める機能を果たしてきた。それは学校という門をくぐることによって彼らは色づけされ共通の言語を手に入れるのである。しかし今や小中高一貫の私立校の躍進は、最高学府である東京大学などの入学者の大勢をそうした学校の卒業生が占めるようになってきている。これは共通の言語が失われていくことになる。社会の上層部に位置する人々は公立学校の価値体系や状況を知らずに権力を持つことになる。宗教における同質化が働かない日本社会ではこのことは社会の階級化どころか別の社会を作り出すことにつながりかねない。また、中高一貫校は価値の不全体系を是正することはできない。これはあくまでも一部の人たちに向けた対症療法である。
 学校という価値体系をくぐらないものが増えることはますます日本社会における価値の相対化が進むということになろう。相対化が不登校を生み、不登校が相対化を促進する。ひきこもりの人が時折両親を惨殺したりする事件が報じられる。これは適切な価値を与えてくれなかったことへの復讐なのかもしれない。または価値の狭間に突き落としたことに対する復讐である。不登校もまた価値の狭間、つまりアイデンティティーの問題である。青年期は同年代の仲間に同質化することによって新たなアイデンティティーを獲得する時期だといわれる。しかしこれは失敗しやすくなっている。自分が新たに選び取る価値に自信が持てない。または、同質の価値体系を持つ友人を見つけることはなかなかできにくい。
 豊かではない社会においては、まず食べることが彼らの価値の中において大きな比重を示す。しかしある程度豊かな社会においては新たな敵を見つけることしか自らの位置を確認できない。学校そのものや、教師の態度が不登校をもたらすのであるという価値観は一頃は盛んであったが、今や学校があらゆる便宜を図ってきたことから、そのような言い訳は効かなくなってきている。このことは不登校の生徒をますます追いつめることになった。不登校は自らの責任であるとしか考えようがなくなってきているのである。

二二 相対主義とダダ、ヘレニズム

 学校における相対主義はいかにして浸透していったのだろか。おそらくこれは世界全体の流れとも関連している。一七世紀の近代合理主義の始まりは、西欧の勢力の世界への拡大によって、やがて一九世紀には日本にも届いた。二〇世紀になるとその科学主義、個人主義、民主主義システムはもはや普遍的な価値を持つものとして扱われるようになってきたのである。
 しかし一方で価値を破壊しようとする動きが速くも始まった。二〇世紀前半に始まった「ダダイズム」はそのうちのひとつである。私の父がその研究をしていたことから私はその思想については早くから知ることができた。「ダダイズム」は全てのものを破壊する。しかもその価値体系、意味、をすべて無化する。そしてそのダダ自体がひとつの体系を構成する。
 山口昌夫は『道化的世界』において、
 「ダダが他の知的運動と自らを峻別するのは、彼らにあっては、思考が、文学の中のみに閉じこめられず、肉体によって周囲の慣習の世界との緊張感を保つことによって自らが存在する空間を伐り拓いたという点にある。1916年に、チューリッヒで《キャバレー・ヴォルテール》の仲間と共にダダの運動を起こしたトリスタン・ツァラは「詩はたんに書かれた産物、イマージュと音韻の連続であるばかりではなく《ひとつの生き方》である」と言っている。濱田明訳『ダダ・シュルレアリズムーー変革の伝統と現代』思潮社一六頁」
 と述べている。ニーチェが神(体系)の破壊に言及したが、あくまでこれは既成の価値体系に対する反発的な部分が大きかった。しかしダダにおいては、あらゆる事象は意味のない記号と化され、解釈されることを拒む。
 このような動きはおそらく古代インドなどにおいてあらゆる価値に対する疑念が生じていたと考えられるし、仏教に関しても自我(価値に依存すること)を廃しようとする動きが見られる。中国の老子も似たようなことを考えている。古代ギリシャにおいてはソフィストたちを筆頭にした懐疑論者がかなりの力を持っていた。これはギリシャが都市を存立基盤とし、多様な価値体系を商業によって知ることができたことからだろう。
 ダダのあとには、物理学においても「不確定性原理」が主観と客観の境界を不明確にした。ボーアやハイゼンベルグの仕事である。そのような中で西欧の普遍主義は亜種の社会主義、共産主義を生み出し、これらが新たな価値体系を構築したかに見えた。日本のインテリたちは、また特に教師たちの多くはこの新しい価値体系に、学校の未来を託したように考えられる。ところが社会主義は一九八九年に崩壊してしまったのである。これは日本において終戦後に味わった価値体系の崩壊にも匹敵する、もしくはそれを上回る衝撃を学校に与えたかもしれない。社会主義体制になれば不登校も校内暴力もなくなる方向になるのではないかというかすかな期待を持っていた教師や市民がいたからである。
 残されたのは西欧の考え方である。しかしこれはキリスト教の価値にかなり依存している。世界的な広がりを持つにはいたらないであろう。
 また、文化人類学の研究は文化相対主義を流布すると共に進歩主義、つまり歴史性を薄めることに役に立った。世界の人々はどの価値体系が価値のあるものかというよすがを失ったのである。ポストモダンの思想家はスキゾ的な価値の分裂を楽しむようになる一方、微細な差異を極大化して見るようになった。
 西欧の普遍主義は帝国主義的な経済、軍事力による背景において普遍的な地位を保つことができた。今や世界の多元化は必至な状況で、西欧の影響力は少しずつ衰微していっている。このことは日本の学校にも不安定さをもたらしたのである。卑近な例が「日の丸、君が代」問題であり、長い目で見れば「不登校」「校内秩序の崩壊、学級崩壊」なのである。「大学紛争」や「校内暴力」の背景には薄く社会主義思想が後押しをしていた。特に校内暴力を正当化していた中には競争社会であるとか、偏差値主義がアンチとして対置され、暴力がある意味で正当化された。社会主義の崩壊によって、もはやそのような理解は許されず、病理現象として理解されるしかなくなったのである。
 古代から歴史上、価値体系が混乱した時代があった。例えばアレクサンドロス大王の当方遠征のあとのヘレニズム社会においてである。ギリシャ人の価値観は、新たに移住した東方の地において拡散し、またそれがギリシャの地にブーメランのように帰ってくる。ストア派やエピクロス派、ピュロスらの懐疑派が学問の世界において台頭した。彼らの思想は個人として生き、「隠れて生きる」ことを旨とした。都市化が進む中で隠者は中国などにも現れた。唐の時代の王維はその一人である。古代ローマ帝国においては強力な軍事力と裕福さが担保されていた時代においては人々は現世の神を信仰した。而して自国が滅ぼされるような予感が始まるとキリスト教という一神教が急速に広まっていった。多種多様な価値体系の中で社会を運営することができなくなっていったのである。
 現代の隠者はひきこもりであり、不登校の生徒たちかもしれない。彼らは価値の不在に敏感であり、また有力な価値に依存して生きていかねばならない人たちである。さらに悪いことに彼らは価値の相対化の信者である。パンドラの箱を開けてしまってから一神教に戻ることは果たしてできるのであろうか。
 
二三 文明の衝突

 ハーバード大学のサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』という本は様々な論争を呼んだ。彼の説によれば、社会主義の崩壊によって各地域の文化的古層が蘇り、人々は宗教を中心とした文明に身を置くというアイデンティティーの再定義によって自己を守ろうとするだろうという。西欧の普遍主義は衰え、各地の文明が普遍をうたって台頭し、そのフォルトライン(断層線)において紛争が起こるのだという。昨今のボスニア紛争やイラク戦争やウクライナの混乱はこの文脈で理解できる。彼は次のように著書の中でいう。
 「人間は、理性のみによって生きていくものではない。彼は自己の利益を追求するうえで、計算し、合理的行動を取る前に、まず自身を定義づけなければならない。利益追求の政治を実施するには、まず自己の存在を規定する必要がある。社会が急速に変化するとき、確立していたはずのアイデンティティーは崩壊し、自己を新たに定義しなおし、新しい自己像を構築しなければならなくなる。自分は何者か、自分はどこに帰属するのかといった問いへの答えを求める人々に、宗教は魅力的な答えを与えてくれる。」
 今の世界の状況は西欧人から見て価値観に混乱が起こりつつあるのである。日本においては日本民族というアイデンティティー。すなわち八百万の神々の統治する社会に回帰するように願おうとするだろう。首相が靖国神社を参拝するのは、彼が日本という国を代表したときにアイデンティティーを失わないための保証なのである。仏教系の宗教団体が八〇〇万票もの得票を得るのも、ある種の一神教の復活かもしれない。日蓮の法華経信仰は浄土教の教えと共に一神教的である。
 各地で相対主義と古層への回帰のあいだで衝突が起こっている。二〇〇四年のアメリカ大統領選挙では、都市部の相対主義者と地方のキリスト教原理主義者の激しい価値のぶつかり合いであった。
 日本においても、若者の一部には保守化、右傾化の傾向を示すものも多い。インターネットの掲示板、「2ちゃんねる」「ヤフー掲示板」などの書き込みを見ると、相手を非難する場合に「売国奴」という言葉がよく使われる。これは若者たちが不安定になったアイデンティティーを国家(日本の場合はほぼ単一民族であり、しかも日本教ともいうべき多神教信仰がある)に求めようとする動きである。また、「弱いものがさらに弱いものを叩く」という現象は秩序のゆるんだ学校によく見られるが、これと同様の掲示板の書き込みは近親憎悪とでもいうべき朝鮮半島の人々への中傷的書き込みである。もちろん匿名の書き込みという仕掛けは、ユング心理学でいう自己における「影」の部分が噴出しやすいというのも確かであるから、「2ちゃんねる」が若者の心性を全て表しているわけではない。彼らはリアルな対人関係の中では具体的には国家主義的には動いていないだろう。しかし彼らにはアイデンティティーの不安定感があることは確かであり、しかもひきこもりなどアイデンティティー不在の青年は特にこのような日本教への信仰を強く持つ傾向があるのは確かであると考えられる。また、日本の若者が、中国、朝鮮人を差別的に扱うのは、経済的理由もあるだろう。低賃金の中国を筆頭とした国々に国内の工場は移転してしまった。また、韓国ではサムソンなどの企業が巨大化し、日本企業のシェアを奪っていった。若者たちはその結果、日本国内での就職口を失ってしまっているのである。内需産業はなかなか厳しい。対人関係を主としたものだからである。また、工場では派遣、契約社員、パート、アルバイトなどでしか働けない状況がさらに進んでいる。企業は即戦力を求める。ワードやエクセルといったパソコンの技能を持つものや、職人たちである。これらの現象を日本の若者はうっすらと認識し、対中国、朝鮮人に対する差別的な書き込みを行うのだと私は分析する。
 一方で、経済発展著しい中国において、反日教育がなされたこと、またインターネット上などにおいて反日的な書き込みが多いということは、やはり中国においても価値の不安定化が起こっていると見るべきである。毛沢東主義は事実上否定され、鄧小平によって進められた改革開放路線は彼らの価値体系をゆがんでねじ曲げられたものにした。社会主義思想というものはある意味で一神教的で他の価値を許さない。建前は社会主義で実質は資本主義などという分裂状態は人々の心のよりどころを失わせる。社会主義という人々を束ねるものを失ったあとには、中華思想という彼らの古層があらわになるのは当然である。
  
二四 一神教

 都市において多様な価値観を持つ人たちを束ねるために必要なものは一神教である。西欧の近代合理主義は相対主義の浸食によって弱体化しつつある。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の一神教は、原理主義への回帰によってその力を再び蓄えようとしている。日本においての一神教は戦前に出現した皇国史観がそれに近いだろう。しかしこの古層が早々表だって出てくることは、日本においてはないだろう。それくらい日本では相対主義の毒饅頭を食らってしまったのである。しかし日本人が、世界的な価値の分裂と競争の時代に何をもって自らを支えていけるかは難しいところである。共同体が消滅したということは都市化したということである。基本的に都市には一神教しかあり得ないだろう。多神教は相対主義である。本地垂迹説、神仏習合といった今までのような日本的な価値の取り込みが今後も可能かどうか。いずれにせよ西欧の近代合理主義的価値は弱まっていくだろう。
 日本における唯一神の出現はあり得るのであろうか。日蓮宗や浄土教がある意味で一神教的であるが、現実に生きるものを神のようにあがめることはできない。今、可能性があるのはこれらの宗派だけである。これらの宗派の強みは疑似共同体の構築である。人々は孤独が怖いのである。しかし相対主義すら飲み込んでしまう一神教は、日本においては世俗との分離を可能にしたキリスト教か、あるいは新たな一神教、もしかしたら世界のどこかに生まれた教祖によってはじめられたものが一気に広がる可能性もなくはない。明治維新前後に多くの新興宗教が発生したことはそれを証明する。価値の流動期には新しい宗教の発生には大きなチャンスなのである。

二五 価値体系とは何か

 さて価値体系とは一体何であろうか。世の中の事象、自らの自我も身体も含めて全てを記号化したときに、それをどのように解釈するのかという、解釈の体系であろう。これが人間のみが持つものなのか、生命一般が持つものかといえば、おそらく生命一般が持つものである。
 ジェスパー・ホフマイヤーの『生命記号論』によれば生命体は「環世界」という閉鎖的な世界の中に閉じこもって生きていくのだという。これは自分自身の主観的な世界である。人間とても例外ではない。「環世界」という概念を使ったドイツ人学者にユクスキュルがいる。生命は彼を取り巻く様々な事象、それは自らも含まれるのであるが、その記号ネットワーク(記号圏)の中で生命体は解釈をして、環世界としての主観の世界を独自に構築しながら生きていくのである。
 ホフマイヤーによれば
 「記号圏内に生息する生物集団は自分の環世界を保つために、ある「記号論的地位」を占めなければならない。この制約を記号圏がそれぞれの環世界に課す。別の表現を取ると、生物にとっての環世界が記号圏内で存続し得るためには、当の生物は視覚や聴覚、嗅覚や触覚また化学物質による一連の記号を読み取らなくてはならない。
 生物が生物たちが感知し得る環世界の中で何らかの識別を行っている。しかし人間はさらに言語というものを使い始めた。この新たな記号群は自らを客体化したかのように見せることができた。人間は環世界の中に客体化されたがごとくの自分を組み入れたのである。しかし言語は他者を絶対に必要とするし、それなくして言語の世界に入れない。人間は言語を通じて他所の立場を推し量ることができるようになった一方で、自分の固有性という幻想を手に入れたのである。」
 生物はある記号を自分にとって味方か敵か、有利か不利か、食べられるものかそうでないか、一瞬にして峻別を行う。これが解釈である。それが生物全体として順接的に行われればその生物は正常といえよう。しかしそれがバランスを失えば、その生物はストレスにさらされて急速に弱まっていく。
 一方他者とのあいだの「察する」能力は集団の中でのひとつの価値の体系を生み出す。察し合う中で価値体系は作り上げられ、それは環境やら偶然やらに左右されて様々に変化していく。個人一人では価値の体系は作り上げられない。宇宙は習慣化しやすく、サイバネティックス理論のように形作ろうとする。それはビッグバンの時にエネルギーの微妙な揺らぎが生じてそこから差異の体系が作り上げられていったのだという学者もいる。
 一方でエントロピー増大の法則によれば宇宙の特性として拡散するということがある。拡散と収縮が同時に起こりえるのである。人間が宇宙の模倣をしているのだとすれば、価値体系も拡散と収縮を繰り返すだろう。
 価値の体系は基本的に自分たちの仲間かそうでないかを区分けする二元論である。どんなに複雑な哲学も、二元論を否定しようとする哲学さえ二元論で構成されている。それは言語が他者と自分とをふたつに区分けすることからも発生している。境界である。この境界を形作る価値体系はどのように変化を遂げていくのか。おそらく、生産関係が最も有力な根拠のひとつである。また文化的伝統、歴史もその一つである。歴史は親から子へ伝えられる。その社会に生きるものはその社会の価値体系を受け入れて育つ。言語にすら価値体系が埋め込まれている可能性がある。
 価値体系には多くの人々、共同体に広く薄く支持される巨大な体系ともいうべきものがあるだろう。これは文明といっても良いかもしれない。しかしこの下位には様々な亜流が存在し複雑に組み合わされている。現代は、価値体系に矛盾なく一人の自我を統合することが難しいのである。また価値体系には下克上が存在し、それまで下位に存在していた価値体系が急にメジャーになる場合もある。また価値体系は分化しやすい傾向を持ち、かつての新左翼のように、恐ろしく細分化され恐ろしい闘争に結びつくこともある。いつかの主流だった価値体系はいつの間にか忘れられ、細々と生き残る、例えばゾロアスター教のようなものもある。もっと古い時代に人類のDNAに蓄積されたかのような価値体系も存在する。これはユングのいう集団的無意識との比較によって推定することも可能だろう。これらは現代には表面に浮かんでこないが、人類の無意識の中で復活の日を待っているのである。これは人類、もっといえば生物のDNAの文化にも比されるだろうし、兄弟は他人の始まりともいうように、氏族社会にも比すことができる。
 いずれにせよ価値体系は、人類の他者を察する能力が、人類が共同体を形成しなければならないことから生ずることと相まって生じてきたのである。
 教師は教師の価値体系のもとで行動するし、生徒は生徒としての下部構造がある。教師は生徒を自らの所属する価値体系の中に組み込もうと、まとまった記号をぶつけていく。生徒はそれを彼らの環世界の中に取り込むが、一方その記号のまとまりは生徒の中で独自に解釈されていく。背景になる価値体系が似ていたり、同一のものであれば比較的ずれは少ない。しかし現代では、同じ言葉が違って解釈されていくのである。
 ここでは学校論が中心であるから詳しくは生物学や脳科学、哲学などの書物を参照してもらいたい。

二六 遺伝子の乗り物としての学校

 学校というところは、文化の、価値体系の断層線が走るところである。そしてそれはあたかも市場のように価値の体系が売買され、ある体系が買われればそれが優位になり、それにしたがった価値が教えられる。一方で古い価値体系はいつでも復活できるように用意万端である。
 フランスにおけるスカーフ論争はまさに文化の断層線そのものであろうし、日本での、一時の日の丸君が代論争も断層線といってよい。西欧の近代合理主義は今まさにその頂点にあるかのように見えるが、実はその体系に対するアンチの動きがひたひたと忍び寄っている。社会主義的体系はもはや過去のものとなった。日本主義ともいうべき、戦前の皇国史観は疑似一神教的な存在として人々を魅惑する。様々な価値体系が浮かんでは消え、売り買いされる。
 教師は個人としてものをいうことはできない。教師はある価値体系のもとで話しをするしかない。もし彼らが社会的な信用のない価値体系のもとに話しをしたとしたら、子どもも保護者も教師を相手にしないだろう。教師はどの体系を採用するか迷い、苦しむ。彼らの言葉は信念に基づく強さを失い、空虚に響くだろう。それはあまり意味のない記号の羅列に過ぎなくなってきている。
 このような意味のない響きを聞く生徒たちはどう育つだろうか。彼らは自らの言葉や行動を支えるなにがしかの価値を持たずに、混沌とした社会の中でさまようことになるだろう。その中の一部の人々は様々な病理に襲われるだろう。
 また彼らの一部、もしくは多くは、一神教の魅力にとらわれていくだろう。簡単に自らを体系の一部に取り込んでくれる、説得力のある体系である。それは宗教である場合が多いし、次にナショナリズムや民族主義となるだろう。
 子どもたちは価値の体系に記された将来、未来をもはや信じられなくなってきている。その瞬間に極大化された生のエネルギーを注ぐ傾向が進むであろう。一方将来のために勉強するという考え方は少しづつ衰えていくだろう。それは特に階級化された下層の人々にとっては当然の成り行きである。
 学校というところは、ドーキンス的にいえば、文化遺伝子の再生産の場である。このミームは学校という場において次世代に引き継がれていく。しかしそこで語られる記号群は、ある体系に取り込まなければならない。中国では中華思想、反日思想がその場で再生産され、政府という権威の傘の下で堂々と振る舞っている。日本は、共産主義というアンチが消えてしまい、自らの存在を確かならしめる他者を失ってしまった。他者なきところに自己は成り立たない。西欧合理主義、市場主義、ナショナリズムの狭間の中で揺られ続けるだろう。
 生徒は生徒としての下部構造を持つ。立場性である。彼らは大人の価値観に揺さぶりをかけて、その強さを確認しようとする。中には大人の価値体系を背負って、あたかもアダルトチルドレンのような生徒を見かけることがある。学級委員のように教師の代弁者のごとく振る舞うのである。私は彼らをかわいそうに思う。なぜ操られなければいけないのか。彼らには彼らの立場性があるではないか。確かに、ロールプレイングとしての大人性はよい。しかしそれを本当と信じ込んでしまうのは大変危険である。このような子どもたちは、自らの思想体系と現実のギャップで立ちすくんでしまうことは早晩予想される。引きこもったり、保護者に暴力をふるったりとだ。
 学校は歴史の教科書と同じように時の政府や、時の主流の体系に右往左往する。そんな中でミームは受け継がれていくわけである。遺伝子の乗り物として、ドーキンスは人間の身体を想定したが、学校はミームの乗り物である。学校における市場性はその学校の設置者やそこで学ぶ人々の社会の行く末を決める。

二七 最後に、私について

 私は幼少時より価値の断層線の深い谷のある家庭で育った。父は価値の破壊を企てるダダイズムの研究家である一方、日本的な慣習、風習を何の疑念もなく取り込んで生活していた。彼の中にはスプリッティングはなかったようだが、私の中には深い断層線が刻まれた。母は大学で英文学を教えるフェミニストでありながら、知的権威主義が強く、一方で強い母性を持つ人物であり、それは時には子どもを飲み込んでしまうほどであった。ここでも私は大脳の理性的な思想と、身体的な思想体系のあいだでの断層線に巻き込まれた。そしてそれは学校という場の近代合理主義によって強化され、やがて学生時代に知った相対主義の洗礼を受けることになった。また、高校時代に丸坊主でバレーボールを経験したことは、ある意味でこの断層線から私を避難させる場所として機能した。そこには縦の社会があり、身体の世界があり、顧問は「頭脳先行」を厳しく非難した。
 やがて私はそれでも近代合理主義を信仰しながら教師の道へと入ったのだが、そこで対面したのは、近代的合理主義では説明のつかない世界であった。また価値の分裂を再び学校で体験しなくてはならなかった。自らは優れた教師であるという幻想のもと、必死で自らの体系の中に学校で起こる様々な出来事を取り込もうとしたが、それは崩壊せざるを得なかった。生徒たちは思うようには動くはずがない。やがて私はうつ病になった。こうなるのは当然のことであった。
 その後は高校時代に経験した身体の世界に再び足を踏み入れて、そこを足場として教員生活を送ることに決めたのである。それは忙しかったが、確かな足場があるという点において少し私を安定させてくれた。
 しかし根本的な解決は見えていない。いまだに学校は価値が揺らいでおり、それは今後ますます大きくなるように予感されるのである。さらに下部構造として、学力の低い生徒たちの貧困化がさらに先鋭化しつつある。格差の拡大である。私は先行きに楽観的になることはできない。まさに先の見えないトンネルの中を歩き続けるような気持ちを持つ。

うつ病教師の学校論

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うつ病教師の学校論

グローバリズムが破綻寸前。しかしこれは誰に求められない。日本も学校も。

  • 随筆・エッセイ
  • 長編
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-23

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